貴婦人の甘き集い④~結果~
2016.4/21 更新分 1/1
そうして1時間ばかりの時が過ぎ、俺たちの料理は完成した。
料理は台車に詰め込まれて、小姓の少年の手に託される。ひとり頭の分量はささやかなものであるが、何せ8名もの貴婦人らが待ち受けているのだから、総量としてはなかなかのボリュームとなってしまうのだ。
なおかつ今回は特別に、料理人たちも同じ場で味を確かめることが許されていた。
味比べという遊戯の際には、余興としてそういう趣向を凝らすことが少なくないらしい。
武官の立ち並ぶ扉の前で待機をして、中天の鐘が鳴るのを確認してから、いざ庭園へと出陣する。
丸屋根の下の卓においては、最前までと変わらぬ貴婦人たちの姿があった。
「ああ、待ちわびたわ。早くわたしたちの舌を楽しませてちょうだい」
エウリフィアは、ウェルハイドらの歓迎会の折よりも上機嫌であるように見受けられた。
将来の候爵夫人とは思えぬ気さくさであり、俺としても苦手な感じではなかったものの、あまり目をかけられすぎるのも危うい気がするので、複雑な心境である。
「まあ素敵」
「とても美味しそう」
「こちらの菓子など、見たこともない形をしているわ」
同じようにはしゃいでいるのは、おもに子爵家の貴婦人がたであった。
リフレイアはすました顔をしており、ちっちゃなオディフィアはうろんげな目つきで卓に並べられていく皿を凝視している。
高貴の血筋ならぬ3名の客人らは、期待に瞳を輝かせていたり、完全無欠の無表情であったり、挑むような目つきをしていたりと、三者三様でありながら、とても静かだ。
「公平を期すために、誰がどの菓子を作ったのかは味比べが終わるまで隠しておくことにしましょう」
エウリフィアがそのように宣言をした。
「4種類の菓子で、各人の持つ星の数も4つよ。ひとつの菓子にどれだけの星を与えるかは各人の自由。それでいくつの星を獲得できるか、という勝負になるわけね」
だったら全員に均等に星が渡って、4人一緒にゴールテープを切りたいものだなあというのが、俺の偽らざる気持ちであった。
ただし、俺も力は尽くしたものの、客観的にはリミ=ルウやトゥール=ディンのほうが上出来である、という印象が強い。勝利を収めたいという強い気持ちもなく、また、どう頑張っても勝利を収めることは難しいのだろうな、という心境であるため、ある意味では気楽であった。
「では、あなたがたも、またのちほどね」
エウリフィアの笑顔に見送られて、俺たちは移動する。
同じ場で、とは言っても、やはり同じ卓を囲むわけではないのだ。石柱の陰になって貴婦人がたの姿が見えない場所に、俺たちのための卓と座席が準備されていた。
人数は、5名分。俺とリミ=ルウとトゥール=ディンと、ヤンとその助手のニコラの分である。
「この娘は調理の筋がいいようなので、色々と修練を積ませている最中なのです」
ヤンはそのように言っていた。
ニコラは今日もぶすっとした面持ちで、静かに卓についている。
「わたしたちは、誰がどの菓子を作ったか隠す必要もないでしょう。……こちらの不思議な菓子は誰の作なのでしょうかな?」
「あ、それはリミ=ルウのです!」
と、当人が元気に声をあげる。
リミ=ルウが準備したのは、カロン乳仕立てのチャッチ餅であった。
先日の試食会との相違は、上に蜜がかけられていることだ。
そしてその蜜はただの蜜ではなく、メイプルシロップのごときパナムの蜜と、砂糖を煮込んで作った黒蜜風のものをブレンドさせたものであった。
俺が以前にこしらえたみたらし風の餡も、リミ=ルウのチャッチ餅には適しているように感じられた。しかし、パナムの蜜をかけるだけでも十分に美味である。ならばいっそのことブレンドしてしまうのも手ではないかと俺が提案し、リミ=ルウがそれを採用した結果であった。
提案したのは俺であるが、ブレンドの比率を決定したのはリミ=ルウである。今回の仕事では20枚もの白銅貨をいただけるのだから、そこから差し引く形で蜜を好きに使ってよい、とミーア・レイ母さんからお達しをいただけたのだ。
高額とはいっても、赤銅貨6枚ほどで0・5リットルは買うことができるパナムの蜜である。それをひと匙ずつ丁寧に使いながら、リミ=ルウは蜜の比率を完成させた。
そして蜜を使うので、餅本体の砂糖はひかえめである。さらに、カロン乳やシナモンのごとき香草の風味も殺さぬよう、蜜も適量を使用しなくてはならない。砂糖を焦がした黒蜜の風味と、パナムの蜜の甘さが最大限に活かせるよう、リミ=ルウは3日がかりでこの味を完成させたのだった。
「うわ、美味しい!」と真っ先に声をあげたのは、ニコラであった。
それからすぐに仏頂面に戻り、「失礼いたしました」と頭を下げる。
「確かに美味です。……あなたのように小さな娘が、これほどに見事な味を練りあげられるのですね」
ヤンも感服したように言い、リミ=ルウは「えへへ」と照れくさそうに微笑んだ。
「ですが、こちらの菓子も負けてはいませんね。これはアスタの作でしょうか?」
「いえ、それはトゥール=ディンの作です」
トゥール=ディンは、ホットケーキ風ポイタンでの参戦である。
こちらの改良点は、ただひとつ。焼いた生地の上にカロン乳の生クリームを添えたのみである。
俺がフワノでホットケーキを作った際にはパナムの蜜や果実のジャムなども添えたものであるが、絶妙な配合で作られたトゥール=ディンの菓子には不要だと思われた。
それらのものを使わずとも、生地に練り込んだ砂糖と乳脂と卵が豊かな甘さと風味を生み出している。トゥール=ディンの気性をそのままあらわしたかのように繊細なこの味に、蜜やジャムを加えるのは乱暴に過ぎる、という印象であったのだ。
「俺が準備したのは、こちらの菓子ですね」
俺が準備したのは、アロウのジャム入りのドーナツであった。
蒸しプリンの味を極めてみようかなとも思ったのであるが、すでにリミ=ルウが考案していたカロン乳仕立ての蒸しプリンを食させていただいたところ、それがまたチャッチ餅にも負けぬ味わいで、こりゃあかなわんと撤退を余儀なくされた結果である。
ドーナツならば、リフレイアの要請で一度挑戦した経験がある。そしてそのときにはパナムの蜜やジャムをまぶすぐらいで、ドーナツの内側に具を入れるという調理法にまでは至らなかったので、このたびはそれに取り組んだ次第であった。
同様にカスタードクリームを包み込む、というのもチャレンジしてみたのだが、油で揚げると熱が入りすぎてクリームが液状に戻ってしまい、思うような結果は得られなかった。
ということで、砂糖や蜜と一緒に煮込んだアロウのジャムを平べったい丸形の生地で包み込み、揚げたのちに溶かした砂糖をまぶす、というドーナツで俺は参戦することになった。
甘み好きの森辺の女衆には、のきなみ好評であった。
ただ、やたらと咽喉が渇いてしまう、という意見は多かった。
お茶会ならばお茶があるので大丈夫かな、という軽い気持ちでこのメニューに決定してしまったが、いったいどのような結果になるだろうか。
「どれも素晴らしい味わいです。あらためてアスタ殿らの力量を思い知らされました」
そのようにのたまうヤンが用意したのは、フワノの薄い生地を何層にも重ねたパイのような菓子であった。
パリパリに焼きあげられたパイの上に、おそらくは桃のごときミンミの実のソースがかけられている。そしてリミ=ルウのチャッチ餅と同様に、シナモンのような香草も使っているのだろう。外見的にも香り的にも、文句なしに美味しそうだ。
「あー、えっと……これはリミも食べなきゃいけないんだよね?」
と、リミ=ルウが眉尻を下げながらぼしょぼしょと囁きかけてくる。
もしかしたらこの形状から、酒類をたっぷりと混入させたティマロの菓子を思い出してしまったのかもしれない。
「うん、一口だけでも食べてみなよ。町では食事を残すことは罪とされていないから」
「わかったあ……どうしても食べられなかったら、アイ=ファとかにあげてもいい?」
「そうだね。そのときは俺がうまく言いつくろってあげるよ」
リミ=ルウは悲壮な表情で、小さく切り分けたヤンの菓子をえいやっとばかりに口に放り込んだ。
目をつぶり、眉根を寄せて、くしゅくしゅとフワノの生地を噛んでいく。
そのひと噛みごとに眉根のしわは薄くなっていき、それを呑みくだす頃には、輝かんばかりの笑みがリミ=ルウの顔には浮かんでいた。
「おいしー! これ、すっごくおいしーですっ!!」
「ありがとうございます」とヤンも微笑んだ。
どれどれと俺も頬張ってみたところ、確かに文句なく美味であった。
フワノの生地はパリッと焼きあげられているが、その内側にはしっとりとした食感が隠されている。砂糖や蜜の甘みは感じられるが、水分というよりは油分かもしれない。レテンの油でもしみこませているのだろうか。
それに、噛めば噛むほどに面白い食感が広がった。
パリパリとした表面の生地と、しっとりとした内側の生地、さらに、いくぶんぬめるような感触と、もうひとつ、きゅっきゅっと歯にこすれるやわらかい繊維質の感触がその内には隠されていたのだ。
4種類もの異なる感触がとても面白く、ミンミのソースと砂糖の甘さもちょうどいい。強くなりがちな香草の風味も適度におさえられており、トゥール=ディンに劣らず繊細な配慮が感じられる。
それを一口呑みくだしてから、これはもしかしてとてつもなく美味なのではないだろうかという感動がじわじわとせり上がってきた。
特に派手な味ではない。しかし、ティマロやヴァルカスの菓子を口にしたときとはまったく異なる情動が俺の内に生じていた。
軽食の名に相応しく、とてもあっさりとしていて食べやすい。それでいて、さまざまな食感が口を飽きさせない。無意識に惰性で食べ続けることを許さない、繊細ながらも確かな存在感が、この菓子には感じられるのだ。
「これは、美味しいです。とても失礼な言い草に聞こえてしまうかもしれませんが、これまでに食べさせていただいたヤンのどの料理よりも美味であるように感じられます」
「ありがとうございます」とヤンはまた微笑んだ。
「食感がとても不思議ですね。このなめらかさはレテンの油だと思うのですが、それ以外にもちょっとした粘り気のようなものを感じます」
「それはきっと、ギーゴの粘り気でありましょう」
「ギーゴですか! 菓子にギーゴを使うこともあるのですねえ」
ギーゴとは、ヤマイモのごとき野菜である。それを菓子作りに使用するという発想は俺にはなかった。
熱を通されているためか、ギーゴ特有の土っぽい風味もまったく感じられない。その分量にもさぞかし配慮がなされているのだろうなと思う。
「菓子にギーゴを使う料理人はジェノスでも珍しくありません。チャッチを煮詰めた粉を使うアスタ殿に比べれば、驚くようなことでもないでしょう」
「そうなのでしょうかねえ。あと、何やら細くてそれなりに噛み応えのある繊維のようなものを感じたのですが、あれも何かの野菜なのでしょうか?」
「ギーゴの他に野菜は使っておりません。それはきっとキミュスの肉の感触でありましょう」
「キミュスの肉? 肉を菓子に使っているのですか?」
「はい。これはジェノスでもあまり真っ当な使い方ではないかもしれません。細く裂いてパナムの蜜に漬け込み、徹底的に臭みを殺したキミュスの胸肉を使用しております」
言われてみれば、あれは確かに肉の食感であったかもしれない。
しかし、ミートパイなどならまだしも、これだけ甘い菓子に肉を使おうなどとは、ますます俺の発想の及ぶところではなかった。
「おいしいなあ。もっとたくさん食べたかったなあ」
と、リミ=ルウは名残惜しそうに空になった皿を見つめている。
そんな中、貴婦人がたのほうに控えていたシェイラがしずしずと戻ってきた。
「味比べの結果が出ました。皆様、あちらにお集まりください」
俺たちは、またぞろぞろと列をなして貴婦人らの前に立ち並んだ。
結果を待ちながら、俺は自分の順位だけは予想ができていた。
帰ったらアイ=ファに説教かなあと、そのことだけが気にかかってしまう。
「では、星の数を読みあげてちょうだい。もちろん、一番たくさんの星を獲得した料理からね」
「かしこまりました。……一番手は、11の星です。オディフィア様が4つの星を、それ以外の皆様がたが1つずつの星を与えております」
この気難しげな小さいお姫さまが、自分の持てる得点をただひとつの料理に捧げたのか。
オディフィアは、早くその名を告げろとばかりにシェイラをにらみつけている。
「選ばれたのは、ポイタンを使ったトゥール=ディン様の料理です」
一瞬その場が静まりかえり、その中でトゥール=ディンが「え……?」と不安げな声をあげた。
その姿を見つめながら、エウリフィアが優雅に微笑む。
「まあ? トゥール=ディンというのはあなたのことね? 3つも不思議な料理があったから、森辺の民の誰がどれを作ったのかまったく見当もつかなかったのだけれど……でも、全員が星を与えたのはあなたの料理だけよ。おめでとう」
トゥール=ディンは、何だか泣きそうな顔になりながら俺に取りすがってきた。
俺はその肩を叩きながら、「おめでとう」と笑いかけてみせる。
「二番手は、8つの星。セランジュ様が3つ、ベスタ様が2つ、エウリフィア様とディアル様とシリィ=ロウ様が1つずつの星を与えています」
シェイラはうやうやしく、さらなる結果を読みあげている。
「選ばれたのは、ミンミを使ったヤン様の料理です」
ヤンはふっと息をついてから、頭を垂れた。
そちらに向かって、シリィ=ロウが鋭い視線を突きつける。
「あれはあなたの作であったのですか。……あなたは、ダレイム伯爵家の料理長という話でしたね?」
「はい、僭越ながら」
「ごくありふれたフワノの菓子でしたが、火加減と味付けは申し分ありませんでした。また、ごくありふれた菓子でありながら、キミュスの肉を使うというのは素晴らしい発想であったと思います」
「過分なお言葉をいただき、光栄でございます」
「過分ではありません。きっとわたしの師でも同じ言葉を口にしたことでしょう」
その他にも、姉妹のようによく似た貴婦人がたが口々にヤンを褒めたてていた。
ディアルは難しい顔をしながら、不本意そうに鼻の頭をかいている。
しかし俺自身は、まったく不本意でも何でもなかった。ヤンの菓子は素晴らしかったし、それを越える評価を得たトゥール=ディンも、ただ純粋に祝福したいと思う。
「三番手は、7つの星。エウリフィア様とディアル様とシリィ=ロウ様が2つずつ、ベスタ様が1つの星です」
今度こそ、とばかりにディアルがわずかに身を乗り出す。
が、現実はかくも無情であった。
「選ばれたのは、チャッチを使ったリミ=ルウ様の料理です」
「ありゃ?」とリミ=ルウが小首を傾げる。
その赤茶けた髪を、俺はぽんぽんと叩いてあげた。
「おめでとう。ヤンとは1点差だったね」
「えー? アスタがびりっけつなのー? 何だかかわいそー」
「別に可哀想ではないよ。みんなの作った菓子の美味しさは俺も味わってるんだから、納得の結果さ」
納得していないのは、むしろ客人がたのほうであるようだった。
ディアルは気まずそうに眉尻を下げており、シリィ=ロウは爛々と両目を燃やしている。
そんな中で、俺の名前は読みあげられた。
「四番手は、6つの星。リフレイア様とアリシュナ様が3つずつの星を捧げています。アロウを使ったアスタ様の料理です」
トゥール=ディンに1つずつの星を捧げたリフレイアとアリシュナが、残りの星を俺に捧げてくれたのか。
何だか面白い結果だな、と俺は内心でひとりごちた。
「アスタも気を落とす必要はないわ。8人全員がどの菓子も遜色ない、という感想をぶつけあった上での結果なのですからね。……ただ、油で揚げる料理はジェノスにおいて流行遅れとされているから、そのぶん星が少なくなってしまったのでしょうね」
悠然と微笑みながら、エウリフィアはそのように取りなしてくれた。
「恐縮です」と俺は頭を下げてみせる。
「それに、そちらの可愛らしい料理人たちに手ほどきをしたのはあなたなのでしょう? それは誇りに思うべきだわ。このジェノスでも、あなたがたほど美味なる菓子を作れる人間が、いったいどれほど存在するのでしょうね」
「おかあさま」と、そこに舌足らずな幼子の声が響く。
当然のこと、エウリフィアの息女たるオディフィア姫である。
「さっきのおかしはすごくおいしかった。あのむすめ、めしかかえたい」
「まあ、それは駄目なのよ、オディフィア。森辺の民を料理人として召しかかえることは、候爵様に禁じられてしまっているの。……少なくとも、今のところはね」
「……めしかかえる、だめなの?」
「そう、駄目なの」
幼き姫はいっそうぶすっとした顔になり、そうしてトゥール=ディンのほうを振り返った。
「それじゃあ、またいつかオディフィアにおかしをつくってね? やくそくだよ?」
「え……わ、わたしはその、族長の許しもなく城下町に出入りすることはできませんので……」
「大丈夫よ。あまりわたしたちがわがままを言うと、大事な伴侶を困らせてしまうことになるから。……でも、あなたがたの迷惑にならない範囲で、またいつかお声をかけさせていただくわ」
それがひと月に1度ぐらいのことであるなら、まあ族長たちも了承するだろう。
トゥール=ディンは不安と喜びのはざまで泣きそうなお顔になってしまっていたので、俺はもう一度その肩を叩いてあげた。
「でも本当に、どのお菓子も素晴らしかったわ。わたしはそちらのヤンという御方にたくさん星をつけてしまったけれど、他のお菓子も夢みたいに美味しかったもの」
「本当ね。うちの料理長たちにももっと頑張ってもらわなきゃ」
子爵家の貴婦人がたも無邪気そうに声をあげている。
そして、ついにこらえかねたようにシリィ=ロウも声をあげた。
「アスタ、あなたはヴァルカスに好敵手とまで呼ばれた身なのですよ? それがこのような結果で、恥ずかしくはないのですか?」
「ええ、恥ずかしいことはありません。みんな、素晴らしい出来栄えでしたので」
「……あなたの菓子は熱の入れ方も甘く、アロウの扱いも十全ではありませんでした。歓迎の宴では、まあそれなりの揚げ物料理を仕上げていたはずであるのに、この体たらくは何なのですか?」
「肉を揚げるほうが自分は得手なのです。腕の甘さは否定しません」
シリィ=ロウは何やら口惜しげに唇を噛んでから、ぷいっと顔を背けてしまった。
「やはり本日は厨の仕事をお断りして正解でした。あなたなどを負かしても、何の自慢にもなりません」
「まあ。そのように見目は麗しいのに、ずいぶん情のこわい御方なのね。……ロウ家を飛び出して料理人に弟子入りするには、それぐらいの気持ちがないとつとまらないのかしら」
エウリフィアは愉快そうに笑っている。
そういえば、ジェノス城の客分たるディアルやアリシュナはまだしも、シリィ=ロウは料理人の弟子という身分なのである。それで貴婦人の茶会に列席できるということは、何かしら名家の出である、ということなのだろうか。
「ともあれ、楽しいひとときだったわ。約束の褒賞は《白鳥宮》を出立する際にお渡ししましょう」
それが退去の合図であったのだろう。シェイラが静かに一礼して、石敷きの道へと俺たちを誘う。
そこを踏破し、屋内に戻り、お召しかえの間を目指している道行きにおいて、アイ=ファが「おい」と顔を寄せてきた。
「お前は勝ち負けなどどうでもよい、と思っているのだろうな、アスタよ」
「うん、基本のところではそう思っているよ」
「だが、もしも私が狩人の力比べですべて負けてしまったら、お前はどのような気持ちになる?」
俺は横目でアイ=ファの表情をうかがってみた。
予想通り、アイ=ファの唇はこれ以上ないぐらいとがりまくってしまっている。
「うーん、あんまりうまく想像できないけど、きっと悔しいんだろうなあとは思うよ」
「そうか。ならば私の心情も理解できるな?」
「うん……その代わりに、アイ=ファもきちんと理解しておいてくれよ? 今日の相手は狩人でたとえると、全員が8人の勇者に選ばれるような腕前だったんだ」
アイ=ファはみんなから顔を背けたまま、同じ表情でがりがりと頭をかきむしった。
アイ=ファはダン=ルティムが相手であってもとても悔しそうな顔をしていたので、俺がのほほんとしてしまっているのが気に食わないのだろう。
もちろん俺だって、お題が菓子作りでなければこんな平静ではいられなかったと思う。ヴァルカスと6種の料理で相手をしたときは、とてつもなく奮起させられることになったのだ。
だけど今は、トゥール=ディンとリミ=ルウと、それにヤンの結果を祝福したい気分のほうが先に立ってしまっていた。
やっぱり俺は、菓子作りを自分の領分だとは思えない。シリィ=ロウに調理の甘さを指摘されても、ことさら修練を積む気にはなれない。そんな時間があるならば、ギバ料理の練磨に費やしたい、と思ってしまう。
よって俺は、別の方向に奮起させられていた。
今日のトゥール=ディンやリミ=ルウやヤンのように、ギバの料理で食べる人を喜ばせたい、幸福な気持ちを届けたい――そんな思いが、俺の胸には改めて満ちていたのだ。
まずは目前に迫ってきた太陽神の復活祭に向けて、宿場町での献立を見直そう。
ギバの美味しさを、ひとりでも多くの人に伝えられるように――そして、ギバの肉を売ることで、森辺の民がさらなる豊かさを得られるように――一番最初の最初から、俺の果たすべき仕事は、その一点であったのだ。
そして、それにつけ加えて――と、俺は究極的にすねてしまっている家長に、思いを届けることにした。
「ごめんな、アイ=ファ。俺はどうしても、菓子作りにはそれほどの熱情を傾けられないんだよ」
「…………何故だ?」
「だって、アイ=ファは甘いお菓子にまったく興味がないみたいなんだもん」
アイ=ファはしばらく黙りこくったのち、ほどほどの力で俺の足を蹴ってきた。
そうして城下町における何度目かの仕事は、無事に終わりを告げることになったのだった。