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異世界料理道  作者: EDA
第十八章 藍の月と紫の月
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貴婦人の甘き集い①~依頼~

2016.4/18 更新分 1/1  4/19・誤字を修正

・今回の更新は7話分です。

「どうしたんだい? 何だか朝から元気がないみたいだけど」


 俺がそんな風にトゥール=ディンへと呼びかけたのは、紫の月の3日のことであった。

 森の主の騒動もようやく終結し、平常通りに宿場町での仕事をこなしていたそのさなかのことである。

『ギバまん』のための新しい蒸し籠を鉄鍋にセットしながら、トゥール=ディンは「いえ」と首を振る。


「別に大したことではありません。わたしなどのことをそのようにお気になさらないでください」


「それは無理な相談だね。トゥール=ディンがそんなにしょんぼりしていたら、気にならないわけがないじゃないか」


 頭ひとつぶん以上も低い位置にあるトゥール=ディンの顔を、俺は横から覗きこむ。


「まあ、俺なんかじゃ力になれないかもしれないけど、誰かに話すだけでも気持ちが楽になるかもしれないよ? トゥール=ディンが嫌じゃなかったら、なんでも相談してほしいな」


 トゥール=ディンは、力なく俺の顔を見返してきた。

 涙こそ浮かべてはいないものの、ほとんど泣きべそのようなお顔である。これで気にするなというほうが無理な相談であった。


「実は……昨日、家長に叱られてしまったのです」


「家長ってディンの家長に? そりゃまたどうして?」


「はい……わたしがあまりに不出来な料理を作ってしまったため、貴重な食材を無駄にするな、と……そのように叱責されてしまいました」


「そんな馬鹿な。トゥール=ディンが、そこまで不出来な料理を作ってしまったというのかい?」


 トゥール=ディンの腕前は俺が一番よくわかっているし、しかも彼女はつい3日前までサウティを救う大仕事に力を尽くしていた身であった。一昨日になってようやく自分の家に戻ることができた彼女は、家人が総出で自分の苦労をねぎらってくれたのだと言って、それはもう幸福そうに微笑んでいたのである。


 トゥール=ディンはスンの分家から引き取られた身だ。正しく生きれば過去の罪は問わないと定められたものの、彼女の性格からして、当初はたいそう心細い思いをしていたに違いない。


 それがファの家でかまど番としての修練を積み、ついには北の集落の婚儀のかまど番をまかせられるほどに成長し、今は宿場町の仕事を手伝ってディンの家に大きな富をもたらしている。そうしてこのたびはサウティ家の苦難を退ける仕事を果たして、森の主の大腿骨をたずさえて帰ることになった。もはやディン家でも彼女は肩身のせまい思いをすることなく、誇りと喜びを胸に生きていくことができるようになっているのだろう――と、俺としては、そんな思いを再確認させられた矢先の出来事であった。


 また、ディンの家長なら俺だって挨拶ぐらいはしたことがある。かつてはスン家の眷族であった氏族であるが、家が遠いためにスン家や北の集落とも深い交流はなく、どちらかといえばフォウやランと同じように、貧しくも清廉な生を生きる森辺の民らしい氏族であったはずだ。あのディンの家長が少しぐらいの不始末でトゥール=ディンを叱責する姿など、俺は想像することも難しかった。


「うーん、いったいどういうことなんだろう。何か不幸な誤解でもあったんじゃないかなあ?」


「そんなことはありません。男衆はみな家長と同じ気持ちであるようでしたから、それだけ料理の出来栄えがひどかったということです……わたしなどに手ほどきをしてくれているアスタにも申し訳が立ちません……」


「ますますおかしな話だなあ。トゥール=ディンがそんな不出来な料理を作るなんて、俺には信じられないよ。トゥール=ディンは、いったいどういう料理をこしらえたのかな?」


「わたしは……ポイタンに砂糖をまぜてしまったのです……」


 そのように言いながら、ついにトゥール=ディンは涙を浮かべ始めてしまう。

 すると、隣の屋台からさりげなくヤミル=レイが近づいてきて、新たに訪れたお客さんから銅貨を受け取ってくれた。

 俺はそちらに目礼を返してから、トゥール=ディンを屋台の後ろ側に連れ出す。


「一緒にかまどを預かっていた女衆らは喜んでくれていたのですが……きっと狩人には相応しからぬ食事であったのでしょう。その日の生命を預かるかまど番として……とても不甲斐なく思います……」


「ちょ、ちょっと落ち着いて、トゥール=ディン。ほら、涙をふきなよ」


「……申し訳ありません……」


 トゥール=ディンは深くうつむき、俺の渡した手ぬぐいで涙をぬぐう。

 料理の腕前は森辺でも指折りだが、彼女はまだ10歳の幼さであるのだ。なおかつ森辺においてはとびきり繊細な気性をしている。そんな彼女がはらはらと涙をこぼす姿を前に、俺は胸をしめつけられる思いであった。


「もうちょっと詳しく聞かせてもらえるかな? ポイタンには、砂糖を入れただけなのかい?」


「いえ……ポイタンを溶くのにはカロンの乳を使い、風味と舌触りをよくするために、乳脂とキミュスの卵もまぜ込みました……あと、干したラマムの実も少しだけ……」


 ラマムの実とは、リンゴによく似た甘い果実である。俺も隠し味として『ギバ・カレー』に使うことはあるが、干したラマムは味見で購入したことしかない。


「ふむ。話を聞いていると、とても美味しそうだけどね。でも、料理というよりはデザートに近いのかな」


「でざーと?」


「うん。菓子のことだよ。トゥール=ディンも勉強会や城下町の晩餐会で口にしただろう? 6種の料理の最後に準備される、あれのことだよ」


 だいたい、乳に乳脂に卵ときたなら、俺がリフレイアに供したホットケーキやドーナツなどと同一の食材である。ただ違うのは、フワノではなくポイタンを使っているところだ。


 しかし、俺がかつて晩餐会で供したのはチャッチ餅と蒸しプリンであるため、そんなレシピは森辺でも公開していない。ヴァルカスが用意したのも卵で作られたメレンゲクッキーのような菓子であったのだから、そちらから着想を得たわけでもないのだろう。


「トゥール=ディンは、自分でその料理をあみだしたのかな? 実は俺の故郷でも、そういった食材を使う菓子はたくさんあったのだけれど」


「そうなのですか……? わたしは普段通り、自分なりに美味なる食事を目指していただけなのですが……砂糖も乳脂も高価な食材なのに、全部無駄にしてしまいました……」


「いや、それはきっと他の料理との取り合わせに問題があっただけだよ。確かに肉料理や汁物料理と一緒に食べるのには向いてないだろうし……そもそも森辺では砂糖や甘い果実を食べる習慣がなかったから、甘みというものが忌避されやすいんだろうね」


 そのように言いながら、新たな涙を誘発せぬ内に俺は慌てて言葉を重ねる。


「でも、果実酒を使った甘めのソースなんかはすぐに受け入れてもらえたし、タウ油と砂糖の取り合わせなんかには誰も不平を述べないだろう? 問題は、やっぱり他の料理との兼ね合いだったんだよ。城下町での晩餐会みたいに食後の菓子として出していれば、きっと男衆にも美味しいと思ってもらえたんじゃないかな」


「……そうなのでしょうか……?」


「きっとそうだよ。そういえば、ルウ家のリミ=ルウなんかもチャッチ餅や蒸しプリンが大好きだったから、自分がかまど番の日は晩餐でも作っているらしいよ?」


 しかし残念ながら、本日宿場町に下りてきているのはシーラ=ルウとララ=ルウであった。

 それに、ルウ家の面々は青空食堂の営業で忙しく、俺たちのように気安く会話をする時間も持てずにいる。


「そうだ、ルウの集落に戻ったら、そのトゥール=ディンの料理を食べさせておくれよ。リミ=ルウも呼んで、一緒に味見をしてみよう。それで味そのものに問題があるのかどうかを確かめてみればいい」


「はい……」とトゥール=ディンは涙に濡れた目で俺を見上げてくる。

 きっとトゥール=ディンは、家族に喜んでほしくて一生懸命にその甘いポイタン菓子をこしらえたのだろう。それを不出来だと叱りつけられて、どれほど悲しい気持ちを抱くことになったのか。ディンの家長らにも罪はないのだろうが、とうていこのままにはしておけない。


 そんなことを考えていると、屋台のほうから「アスタ」と呼びかけられた。


「もういいかしら? あなたにお客が来ているようよ?」


「はい? 俺にお客ですか?」


 トゥール=ディンをうながして屋台に戻ると、何となく見覚えのある若い娘さんが深々と頭を下げてきた。


「お忙しいところを申し訳ありません。わたしはポルアース様の侍女で、シェイラと申します」


「シェイラ……? ああ、《タントの恵み亭》や屋台でヤンのお手伝いをされている方ですね。どうも、おひさしぶりです」


「わたしなどのことをお見知りおきいただき、非常に光栄です」


 宿場町の無頼漢に目をつけられないよう質素な身なりをしているが、挙動や口調には気品がにじみだしてしまっている。褐色の髪を長くのばした、俺と同年代ぐらいの娘さんだ。


「本日は、ポルアース様からの言伝をたずさえてまいりました。今この場でお伝えしてもよろしいでしょうか?」


「はい、なんなりと」


「ありがとうございます。実は、アスタ様を城下町にお招きしたい、というお話なのです」


 またどこかから新しい食材でも届いたのかなと思ったが、そうではなく、それはかまど番としての腕をふるってほしいという要請であった。

 しかも、それを所望しているのはポルアースにあらず、メルフリードの奥方たる貴婦人エウリフィアであるそうだ。


「期日は紫の月の7日。内容は、城下町の《白鳥宮》における貴婦人の集いの軽食です」


「貴婦人の集い? 晩餐ではなく、軽食ですか。……すると、それはお茶会のようなものなのでしょうか?」


「はい。肉や野菜の料理ではなく、甘い菓子をご所望されているとのことです」


 このタイミングで菓子作りか、と俺は少々閉口することになった。

 何だか運命神にタチの悪いイタズラでも仕掛けられている気分である。


「うーん、でも、菓子作りは俺の領分ではないのですよね。貴婦人がたのご期待に応えられるかどうか、はなはだ不安なところであります。……それに、紫の月の7日ですと、こちらの商売も普通に営業日なのですよ。ちょうど明日が休業日で、紫の月の5日からまた10日間の仕事が始まるわけですから」


「はあ、わたしは言伝をおおせつかっただけですので、何ともお答えしかねますが……でも、今ごろは森辺の族長にも正式に依頼の言葉が届けられているはずです」


 それはそうだろう。城の人間が森辺の民に仕事を依頼するならば、まず族長に話を通すべきなのだから。

「うーん」と考えこんでいると、シェイラはきょろきょろと周囲を見回してから、俺の耳もとに口を寄せてきた。


「あの、これはポルアース様に個人的に言いふくめられたお言葉なのですが……何でも現在の城下町においては、数多くの高貴なる方々がアスタ様の料理をご所望されているようなのですね。それをジェノス候爵様が、森辺の民の生活をむやみにかき乱すことはまかりならぬと掣肘しておられるそうなのですが……エウリフィア様というのは、そんな候爵様が唯一掣肘することのできないお相手なのです」


 高貴なれどなかなか奔放な気性をしておられるように見受けられたエウリフィアの姿を思い出しつつ、俺は「なるほど」とうなずいてみせた。


「本当は、もっと大きな晩餐会の仕事をアスタ様におまかせしようとしていたところを、なんとか説得して茶会にまで引き下げた、というのが実情であるようです。なので、非常に申し訳ないことなのですが、なんとか時間を作ってエウリフィア様の好奇心を満たしていただくことはできないかと……ポルアース様は、そのように仰っておられました」


「ポルアースもジェノス候も、きちんと森辺の民のことを慮ってくださっているのですよね。それは理解できているつもりです。……わかりました。森辺の族長とも相談して、なんとか前向きに検討してみます」


「はい、よろしくお願いいたします」


 いくぶんほっとしたように、シェイラは俺から身を離した。

 それから、いきなり頬を染めて、もじもじと前掛けをいじり始める。


「それで、その……もしもアスタ様がこのたびの仕事をお引き受けになられる際は、アイ=ファ様もご同行されることになるのでしょうか……?」


「アイ=ファですか? そうですね、たぶんそういうことになると思います」


 森の主を討伐してから、今日で3日目。肋骨を折ってしまったアイ=ファも、昨日からはそれなりに不自由なく動けるようになって、無聊を託っているのである。こんな話を伝えたら、まず間違いなく護衛役として名乗りをあげることだろう。

 それはそれで俺にとっては心配の種であるのだが、シェイラは何故かしら「そうですか」と顔を輝かせていた。


「その日はヤン様もお招きされておりますので、わたしも同行させていただくことになると思います。……それでは、アイ=ファ様にもくれぐれもよろしくお伝えください」


「はあ」


 笑顔で立ち去っていくシェイラの後ろ姿を見送りながら、俺は(どうしたもんかなあ)と内心で溜息をつくことになった。


                 ◇


「あ、みんなおかえりー!」


 そうしてルウの集落に帰りつくと、かまどの間ではずいぶん大人数の女衆らが俺たちを待ち受けていた。

 明日は休業日で仕込みの作業もないはずなのに、この賑やかさはどうしたことだろう。こんな明るい内から、もう晩餐の準備もほとんど整ってしまっているようだ。

 その中から、今日も元気いっぱいのリミ=ルウが笑いかけてくる。


「最近はあまりギバが獲れないからさ、毛皮なめしの仕事も少ないんだよ。それで薪も割りつくしちゃったから、みんなで晩餐の準備をしてたの!」


 なるほど、と俺は納得する。


 ギバの捕獲量が減った理由はふたつ、そろそろルウの集落では休息の時期が近づいているのと、あとはドンダ=ルウとダルム=ルウの両名が負傷で仕事を休んでいるためであった。


 かまどの間では、ルウ家の女衆が4名と、それに客分の女衆が2名で、それぞれの仕事に励んでいる。ちょっと珍しいところでは、ヴィナ=ルウ、レイナ=ルウ、リミ=ルウの姉妹組にまざってサティ・レイ=ルウの姿があった。

 そちらに軽く挨拶をしてから、俺はリミ=ルウに向きなおる。


「でも、リミ=ルウがいるならちょうどよかったよ。リミ=ルウは、今日の勉強会にも参加してもらえるのかな?」


「するするー! 今日は何をおべんきょするの?」


「今日はね、きっとリミ=ルウが喜ぶ内容だよ」


 そんな会話をしていると、客分たる2名の女衆がひたひたと近づいてきた。


「ファの家のアスタ。本日はわたしたちも勉強会に加えさせていただいてよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろん」


 それは、ルウの集落に逗留しているザザ家の女衆たちであった。かまど番としての手ほどきを受けるためにやってきた彼女たちも、機会さえあればこうして勉強会に参加しているのだ。


 ひとりは年配の女衆で、名前はメイ・ジーン=ザザ。ジーンの家長の妹であり、グラフ=ザザの弟の嫁であるという。背丈はほどほどだが骨太のがっしりとした体格をしており、貫禄のほどはミーア・レイ母さんにも負けていない。


 もうひとりは16歳の未婚の女衆で、スフィラ=ザザ。ザザの本家の末妹――つまりはグラフ=ザザの娘であり、すらりと背が高く、黒褐色の長い髪を大きな三つ編みにして右肩に垂らしている。こちらも若年らしからぬ風格があり、レイナ=ルウより年下だとはとうてい思えない。


 レム=ドムなどはギバの骨の飾り物を身につけていたが、彼女たちは渦巻模様の装束の上に、ギバの毛皮の胸あてや腰帯などを纏いつけている。とりたてて粗暴なわけではないのだが、目つきは鋭く、表情は厳しく、どことはなしに威圧感が漂っている。さすがは勇猛で知られる北の集落の女衆、といった様相である。


「それじゃあ、トゥール=ディンのお手並みを拝見しようかな」


 晩餐の支度の片付けが終わったところを見計らって、俺はそのように呼びかけた。

 いくぶん物怖じしつつも、トゥール=ディンは「はい……」と食材を物色し始める。


 もともとの6名に加えて、俺たち8名が加わったのだから、かまどの間は満員御礼の状態だ。それらの人々に注視されながら、トゥール=ディンは黙々と作業の手を進めた。


 まずはポイタンの粉をカロン乳で溶き、さらに乳脂とキミュスの卵を添加する。それから砂糖を加えていき、味を確かめてから、干したラマムを取り上げた。

 味はリンゴに似ているが、表皮は黄色く、中の身は赤いラマムの実である。干し柿のようにしなびたその実を皮ごとこまかく刻んでいき、溶いた生地に落としこんでいく。


 ポイタンはフワノよりも粘り気が少ないため、生地はとろとろの液状だ。それを木べらでホイップするように攪拌してから、乳脂をひいた鉄板に落とすと、ホットケーキのように丸く広がった。

 色合いも、キミュスの卵を使っているので少し黄色みを帯びている。外見的には、俺が以前にこしらえたフワノのホットケーキと大差ないだろう。


「うーん、いい香りだね! 絶対に美味しいよ、これ!」


 トゥール=ディンの手もとを覗きこみつつ、すでにリミ=ルウはご満悦の表情であった。

 しかし、トゥール=ディンの表情は真剣だ。

 そうしてトゥール=ディンがポイタンの生地をひっくり返すと、茶色く焼き色のついたそれはいっそうホットケーキめいて見えた。


「……これで完成です」


 直径30センチはあろうかというホットケーキ風ポイタンを、トゥール=ディンは器用に形を崩すことなく大皿へと移しかえた。

 そこに刀が入れられる光景を見て、俺は初めて「おや」と思った。

 さくりさくりという感じで、ずいぶん軽やかに刀が通っていくのである。


 そういえば、ふくらみ加減もなかなかのもので、もとは1センチていどの厚みであったのに、それが3倍ぐらいに膨張しているようだ。ホイップするような攪拌の仕方が思った以上に効果を現しているのかもしれない。


「……お味見のほうをよろしくお願いいたします」


 かなり思いつめた表情で、トゥール=ディンが身を引いた。

 小さな木皿に取り分けられたその菓子を、俺たちはそれぞれ手にする。


 上質なバターを思わせる乳脂の香りが芳しい。

 断面からうかがえる内側の生地は、しっとりとやわらかそうな質感をしており、ところどころから赤いラマムの実をのぞかせている。

 

 ひとりずつの量はささやかなものであったので、俺はそいつをまるごと口の中に放り込んだ。

 とたんに、優しい芳香が鼻にぬけていく。

 味もやっぱりホットケーキに近い。

 ただ、その食感だけが独特であった。


 しっとりしているのに、ふわりと口の中でほどけていく。俺の作るホットケーキよりもたくさんの空気をふくんでいるのだろう。まろやかさと軽やかさの同居する、とても心地好い食感であった。


 そして、ラマムの実もほどよいアクセントになっている。熱を通されてもちもちとした果実の粒からほのかな甘酸っぱさがしみだして、砂糖や乳脂の甘さと絶妙にからみあってくれるのだ。食感と味の双方から、このラマムの実がいっそうの美味しさを演出していた。


「うん、これは美味しいよ」


 と、視線を巡らせた俺は、ぎょっと立ちすくむことになった。

 女衆の何名かが、恍惚とした面持ちで息をついていたのだ。

 その筆頭は、リミ=ルウとユン=スドラとサティ・レイ=ルウと、そしてザザ家のスフィラ=ザザであった。

 その他のメンバーもおおむね満足そうな表情であるのだが、その4名はもう至福の表情といった様子なのである。


 いっぽうで、レイナ=ルウやシーラ=ルウなどはきわめて真剣な表情でゆっくりと味を確かめており、そして、ヴィナ=ルウだけが俺と同じように困惑気味の視線をさまよわせていた。


「どうしたのぉ……? なんだかみんな、目の色が変わっちゃってるみたいだけど……」


「どうしたのって、すっごく美味しいじゃん!!」


 リミ=ルウが空の木皿を放り出し、トゥール=ディンの腕にすがりつく。


「こんなに美味しいポイタンは初めてだよ! トゥール=ディンは自分でこの料理を考えたの!?」


「え、あ、はい、その……」


 トゥール=ディンはどぎまぎとその笑顔を見返している。

 すると、逆側の腕をユン=スドラがつかみ取った。


「わたしも同感です! トゥール=ディンが卓越した腕前を持っているということはわきまえていたつもりなのですが……もう、言葉もありません!」


 そういえばユン=スドラも砂糖を使いすぎないよう気をつけている、と発言したことがあった気がする。リミ=ルウと同様に、彼女も甘党なのだろう。

 そして、気の毒なトゥール=ディンの正面に、サティ・レイ=ルウが静かに立ちはだかる。


「この食感は、とても不思議です。かつてアスタが教えてくださったおこのみやきを甘くしたような料理であるようですですが、それとはまたまったく異なる美味しさを持っていると思います」


 これでスフィラ=ザザまでもがトゥール=ディンを囲んだらまさしく四面楚歌の状況であるが、それほど親交のない彼女はただうっとりと目を細めながらホットケーキ風ポイタンを味わっていた。


 そんな彼女らの様子を無言でうかがっていたヴィナ=ルウが、色っぽく肩をすくめた。


「わたしも普通に美味しいとは思うけどぉ、みんなはそれどころじゃないみたいねぇ……これって、以前にアスタがフワノに砂糖や香草を入れていたのと、同じような料理なのかしらぁ……?」


「ああ、そんなこともありましたね。確かに大きく分ければ同系列のものだと思います」


 そういえば、俺も香草の重要さを説くために、シナモンのような香草と砂糖をフワノに混ぜてみせたことがあった。さらに、キミュスの卵を使用したのも、俺がお好み焼きやパスタで使ったことから着想を得たのかもしれないが、それ以外の部分はトゥール=ディンのオリジナルであるはずだ。


 レイナ=ルウたちはどのような感想を抱くことになったのだろう、と俺はそちらに視線を転じてみる。


「城下町に出向いた人たちにはわかると思うけど、これは普通の料理ではなく、食後のお菓子とみなすべきだと思う。その上で、ご感想はいかがかな?」


「はい、とても美味だと思います。ヴァルカスはあまり菓子というものに力は入れていない様子でしたが、これは……アスタやヴァルカスの作る菓子にも負けない出来栄えなのではないでしょうか?」


「うん、俺も菓子作りは専門外なんだよ。ヴァルカスは、6種の料理のしめくくりとしては主張しすぎない菓子が相応しい、と考えていたみたいだから、菓子を単体で作る際はまた趣の異なるものを作るのかもしれないね。……何にせよ、ほとんど知識らしい知識もなかったトゥール=ディンが自力でこんなに美味しいお菓子を作れるだなんて、ちょっと驚きだよ」


 リミ=ルウとユン=スドラに両腕を拘束されたまま、トゥール=ディンはちょっと涙ぐんでしまっている。

 もちろんそれは、昼前に見せていた涙とはまったく性質の異なる涙であるはずだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 四面楚歌は「敵に囲まれてる」って意味だから、今回の状態はちょっと違うのでは。
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