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異世界料理道  作者: EDA
第十八章 藍の月と紫の月
311/1683

サウティ家の受難③~晩餐~

2016.3/29 更新分 1/1

 商売用の下ごしらえは、至極すみやかに完了させることができた。

 ルウ家のほうではその作業の大半を居残り組に託していたし、俺のほうではもともと肉を切り分けるぐらいしか仕事はないので、そんなに時間を要するものではない。ルウの集落での積み込み作業とここまでの道のりで1時間以上は余分に時間を食ってしまったはずであるが、ふだん勉強会に当てている時間で相殺することができた。


 日没までは、残り3時間ていどであろう。

 そうしていよいよ晩餐の調理に取りかかる段となると、モガ=サウティが召集した女衆の中から、若年ながらも風格のある人物が進み出てきて、頭を垂れてきた。


「サウティのために力を割いていただき、心より感謝しております。わたしはこの集落で女衆を束ねている、ダリ=サウティの妻でミル・フェイ=サウティと申します」


「ファの家のアスタです。本日よりしばらくかまどをお預かりいたします」


 年齢は、ダリ=サウティと同じ20代の半ばぐらいであろうか。そんなに長くもない褐色の髪をきゅっとひっつめた、なかなか気の強そうな女衆であった。

 そんな彼女の背後には、サウティとヴェラの女衆が合計で6名ほど控えている。そちらは老若入り乱れているが、共通しているのは表情の暗さであった。


 さしもの気丈な森辺の女衆も、これほどの奇禍に見舞われては力を失ってしまうのだ。こんなに元気のない森辺の民を目にするのは、家長会議以来のことであった。

 そんな中、ミル・フェイ=サウティだけが毅然と顔をもたげている。


「わたしたちは、何を為すべきでしょう? できることならば、まずは傷ついた男衆らに食事を届けたく思うのですが」


「そうですね。やはり、固い食べ物は咽喉を通りにくい感じなのでしょうか?」


「はい。特に手傷の重い2名などは、肉や焼いたポイタンを噛む力もありませんので、汁物の汁をわずかに口にしているような状態です。……そして、深い傷を負った眷族の狩人たちも今はヴェラの家に集められておりますので、その全員分の料理を用意したいと考えています」


「はい、深い傷を負った狩人は7名でしたよね? 了解いたしました。それではまずギバの肉を煮込みましょう。……シーラ=ルウ、さっき伝えた手順でお願いします」


「はい」


 シーラ=ルウの手ほどきでギバの肉が切り分けられ、煮立った鍋に投じられていく。

 その仕事に従事しながら、ミル・フェイ=サウティは「あの」と呼びかけてきた。


「これが傷ついた男衆らへの食事なのですか? どのようにやわらかく煮込んでも、ギバの肉はなかなか咽喉を通らないと思うのですが」


「はい。これは出汁をとっているだけで、煮込んだ肉は自分たちの食べる分に移すつもりです。少しでも食べやすく、なおかつ滋養のある料理を作るつもりですので、ご安心ください」


「そうですか。差し出口をきいてしまい、申し訳ありませんでした」


 そうして肉を煮込んでいる間に、アリアとチャッチとネェノンを刻んでいく。切り方は、1センチ目安の角切りだ。

 そいつをどぼどぼと鍋の中に落とし込んでいると、またミル・フェイ=サウティが「あの」と声をかけてきた。


「それらの野菜はアスタらが持参したものなのですか? この家にチャッチやネェノンは置いていなかったはずなのですが」


「はい、これは今日の帰りがけに買ってきたものです」


「……ならば、その銅貨をお支払いせねばなりませんね」


「いえ、これは俺の仕事に必要なものですので、お気遣いは不要です」


 ミル・フェイ=サウティはいぶかしげに眉をひそめた。

 そちらに向かって、俺は笑いかけてみせる。


「モガ=サウティは、サウティの民を癒し、元気づける食事を作ってほしいと願い、俺はそれを了承しました。その後で、サウティにはルウほどさまざまな野菜を買う豊かさはない、と聞いたのです」


「はい」


「ならば、モガ=サウティとの約定を果たすために、俺自身が食材を準備するのも当然のことではないですか? サウティの食料庫にある食材だけでは自分の仕事を果たせそうにないので、これは致し方のないことなのです」


 ミル・フェイ=サウティは、まぶたを半分ほど下ろして俺の顔を冷ややかに見つめてくる。


「何やら詭弁めいて聞こえますね。けっきょくはサウティを憐れんでいるだけなのではないでしょうか?」


「そんなつもりはありませんが、俺は俺の仕事を果たさせていただきたく思います」


 森辺において三番目の大きさを持つ勢力であるのだから、もちろんサウティだってそこまで貧しいわけではない。が、それはあくまでもっと小さき氏族に比べてのことだ。ルウ家や、それに匹敵する北の集落に比べれば、サウティはずいぶんとつつましやかな生活に身を置いているはずなのである。


 なおかつ、最近ではスドラやフォウといった氏族もファの家を経由して肉を売っているため、なかなかの豊かさを手にすることができている。そうでなければ、タウ油や砂糖やさまざまな野菜を買うことなど、とうていかなわないのだ。


 で、最近ではちょっと遠方のガズやラッツなどからも定期的に肉を仕入れるように心がけている。そういった、ファの家に賛同を示した小さき氏族のほうが、中立の立場を取っているサウティよりも多くの富を得ることになった、というのが現在の森辺の状況であるのだった。


 聞くところによると、サウティの食料庫にはアリアやポイタンを除くと2、3種類の野菜しか置いていないらしい。それだけではモガ=サウティの望む食事を作ることは難しかったし、また、多くの狩人が傷ついてしまったためにこれからしばらくはいっそう清貧の生活を送らなければならないサウティ家に食材を買うための銅貨を要求する心持ちにもなれなかった。


 もちろん、ひとつまみの塩でも美味しい料理を作ることはできる。しかし、サウティのみんながそこまで打ちひしがれているというのなら、ちょっとぐらいは豪華な料理で励ましてあげたい、と思うのが人情であった。


「何にせよ、これはダリ=サウティおよびモガ=サウティとの間で交わされた約定です。ご意見があったらそちらのほうにお伝えしていただきたく思います」


「……わかりました」とミル・フェイ=サウティは唇を引き結んだ。

 温厚で柔和なダリ=サウティに対して、この奥方はずいぶん気性がきつそうな印象である。


「では、肉が煮えるまでにはまだ時間がかかりますので、その間に他の料理を進めましょうか。ポイタンはすでに煮詰めてあるのですよね?」


「はい。この集落では3日ごとにまとめて煮詰めるようにしています。……今日だけでずいぶん多くの量を使うことになるので、明日にはまた煮詰めておくことになるでしょうが」


「それじゃあポイタンに関しては、明日からもそちらにおまかせいたします。仕事から帰った後でポイタンを煮詰めるのはなかなかの手間ですので」


 その後はしばらく普通の汁物料理と付け合せの副菜を仕上げる仕事が続いた。

 汁物は、タウ油を使ったシンプルな『ギバ・スープ』だ。

 それがあらかた完成する頃には、怪我人のための鍋のほうでも、しっかりとしたギバの出汁がとれた。

 十分に煮込まれたギバの肉だけをスープのほうに移し替え、「さて」と俺は最後の仕上げに取りかかる。


「これにはカロンの脱脂乳とフワノの粉、隠し味で少々のタウ油と砂糖、それにギバの挽き肉を炒めたものを加えます」


「だっしにゅう?」


「脂肪分を抜いた乳のことです。乳にはたくさんの栄養が含まれているはずなのですよ」


「そうでしょうね。乳とは子を育むためのものなのですから、それは当然のことです」


 かまどの火を弱めて脱脂乳を投入しつつ、俺はふっとミル・フェイ=サウティのほうを振り返る。


「そういえば、サウティの本家にはもう跡継ぎがお産まれになられているのでしょうか?」


「はい。いまだ10歳の幼き身ですが」


「えっ! もう10歳になられるのですか?」


「はい。わたしは15でダリの嫁となり、16で子を産みました。下の子供は7歳と4歳です」


 ということは、ミル・フェイ=サウティはいまだ26歳ということか。

 それで三児の母とは、さすが森辺の女衆である。貫禄たっぷりなのも納得だ。


「よし、これで完成です。よかったら味見をお願いいたします」


 そんな感慨もよそに、料理は完成した。

 フワノの粉でとろみをつけた、カロン乳のスープである。


 野菜はアリアとネェノンとチャッチの3種で、噛む必要がないぐらいやわらかく煮込んでいる。

 ギバの肉で出汁をとり、その上で香ばしく焼き上げた挽き肉を投入しているので、風味もゆたかに仕上がっているはずだ。

 また、とろみをつけるのにポイタンではなくフワノを使用したのは、そのほうが口あたりがまろやかに感じられるためであった。


 肉と野菜と炭水化物、それにカロン乳も使っているので、滋養のほうも申し分ないと思う。少なくとも、食べなれないシムの香草を多用するよりは咽喉にも通りやすいだろう。

 これでもまだ重たすぎるということならば、秘密兵器の海草と燻製魚を使ってさらに飲み口の優しいスープを即興でこしらえてみせる所存である。


 木匙でわずかに味を見たミル・フェイ=サウティは「ああ」と切なげに吐息をもらした。


「確かにこれは美味ですね……それに、ギバの力も十分に感じられます」


「はい。サウティでも肉を挽く技術はルティムから習っているのですよね? 病人や怪我人には汁物に挽き肉を使うと食べやすいと思います」


 ミル・フェイ=サウティの反応にほっと胸を撫でおろしながら、俺はそのように答えてみせる。


「そもそも俺の故郷では、弱った人間に肉を食べさせるのはつつしむべきだ、という風習がなくもないのですが、森辺の民にとってはギバを食することが身体にも気持ちにも一番力になりそうなので、このような献立にしてみました」


 それは、かつてジバ婆さんのために料理を作った経験から得た考えであった。

 しかも狩人の男衆であるならば、いっそうギバの肉を求める気持ちは強いと思える。


 ミル・フェイ=サウティはしばらく俺の顔を見つめてから、手の空いている女衆を呼び寄せて、鉄鍋の料理を運ばせた。


「そういえば、レム=ドムはずっと負傷者のところに詰めているのでしょうか?」


「はい。ずいぶん恐ろしげな女衆であるように見えましたが、とても甲斐甲斐しく男衆らの面倒をみてくれています」


「そうですか。それは何よりです。それでは、いよいよこちらの主菜を――」


 俺の言葉は、外から響きわたった女衆らの悲鳴によってさえぎられることになった。

 一瞬立ちすくんでから、俺たちはかまど小屋の外へと足を向ける。


 鉄鍋を運んでいた女衆らが、そこに立ちすくんでいた。

 そしてその向こう側に、彼女らに驚きの声をあげさせた者たちが立ちはだかっていた。

 俺が死ぬほどよく見知っている、狩人の精鋭たちである。


「アイ=ファ、大丈夫か!?」


「何を騒いでいる。私は手傷など負っていない」


 狩人の火を双眸に燃やしたまま、アイ=ファはそのように言い捨てた。

 しかし、レム=ドムと初めて対面した日を思い出させる、無残な姿である。全身が土まみれで、綺麗な髪の毛もくしゃくしゃだ。


 その場にいる半数以上が、アイ=ファと同じように全身を土で汚していた。

 さらに、その内の2名は手傷まで負ってしまっていた。

 手傷を負っているのは、ダルム=ルウとラウ=レイだ。


「何だ? 俺とて大した手傷ではない」


 いつも以上に物騒な顔つきでダルム=ルウはそう言った。

 ダルム=ルウは左腕に灰色の布を巻いており、胴衣の胸もとにまで血しぶきが飛んでいた。


「俺だって大した手傷ではない! 大事を取って、このような姿をさらしているだけだ!」


 そのようにわめいているラウ=レイは、ミダにお姫様だっこをされていた。

 彼は頭に布を巻かれており、金褐色の長い髪がぐっしょりと血に濡れそぼってしまっている。


「罠を仕掛けているところに、森の主めが突進してきたのだ! あれは驚くべき巨大さであったな!」


 杖をついたダン=ルティムが、やはり爛々と両目を輝かせながらそう言った。


「俺と父ラーがいち早くそれに気づくことができたので、十分に体勢を整えて迎え撃つことができたのだが、それでもこの有り様だ! ダルム=ルウとラウ=レイが身体を張らなければ、また数名ばかりは取り返しのつかぬ手傷を負っていたことだろう!」


「サウティやヴェラの男衆らは無事であったのでしょうか?」


 冷静さを欠いた声で言いながら、ミル・フェイ=サウティが進み出る。

 それに「ああ」と答えたのはドンダ=ルウであった。

 こちらはもう、全身から狩人の気迫をみなぎらせている。女衆らが悲鳴をあげたのは、この森辺の狩人としても規格外の迫力を目の当たりにしたためなのかもしれない。


「少なくとも、こいつらより大きな手傷を負った者はいない。今ごろは全員、家に戻っているはずだ」


「そうですか……我らサウティに力を添えていただき、感謝の言葉もありません」


 ミル・フェイ=サウティは両手を組み合わせながら、深々と頭を垂れた。

 その横で、俺は額に浮かんだ汗をぬぐう。


 土で汚れていないのは、ダン=ルティムとラー=ルティム、それにジーダとバルシャの4名のみである。索敵班のダン=ルティムらと、弓兵部隊のジーダらは、直接森の主とは対峙していないのだろう。


 しかしそれ以外は、ドンダ=ルウを筆頭に全員が土まみれの姿になってしまっている。目に見える手傷は負っていないとはいえ、きっとマントの下は打撲と擦過傷だらけなのだろう。

 これだけの精鋭たちが正面からぶつかっても、このような有り様に成り果ててしまうのか。

 アイ=ファは否定していたが、そんな巨大ギバはやはり怪物であるとしか思えなかった。


「アスタ、とっとと晩餐を食わせてくれ! たらふく食って、失った血を取り戻さなくはならないのだ!」


 ミダに抱えられたラウ=レイがそのようにわめく。


「それで明日は、必ずあの主めを仕留めてやる! 絶対にこのままでは済まさんぞ、ちくしょうめ!」


                  ◇


 そうして日輪が半分ほど隠れた頃には、ラウ=レイの要望通り晩餐を準備することができた。

 俺たちが招かれたのは、サウティの本家だ。客分たる狩人とかまど番は合計で19名にも及んだので、その半数ほどがこちらに割り振られ、残りの半数はダリ=サウティの弟の家に割り振られることになった。


 サウティ本家の人数は、6名。家長のダリ=サウティに嫁のミル・フェイ=サウティ、祖父の弟にして長老たるモガ=サウティ、そして家長の子供たちが3名だ。


 客分は、狩人がドンダ=ルウ、ダルム=ルウ、ルド=ルウ、ミダ、アイ=ファ、かまど番が俺、シーラ=ルウ、ヴィナ=ルウ、トゥール=ディンという顔ぶれであった。


「ドンダ=ルウらの働きには感謝している。その働きがなければ、サウティはまた多くの狩人を失ってしまっていたことだろう」


 食事の前に、上座のダリ=サウティがそのように述べた。

 昨日ほど激情にはとらわれていないようだが、その代わりにいくぶん身体のほうがつらそうな様子である。頭に裂傷を負い、左腕を骨折してしまった彼は、まだ痛み止めと熱冷ましの薬草に頼っている状態であるらしい。


「そして、ルウの狩人の勇猛さをあらためて思い知らされた。森の主めとまともにぶつかって、大した手傷を負うこともなく、それを退けたというのだからな」


「あー、あいつは本当にたまげたギバだよ。あちこち刀でえぐられながら、おかまいなしで俺たちをぶっ飛ばしてきやがったからなー。ミダの棍棒で頭をぶん殴られても、けろっとしてたしよー」


 そのように言いながら、ルド=ルウはそわそわと身体をゆすっている。


「で、色々と話したいことはあるんだけどさ、そいつは晩餐の後にしてもらえねーかな? 俺もみんなも腹がぺこぺこなんだよ!」


「そうだな。すまなかった。それではアスタたちの心尽くしで力を取り戻していただきたい」


 ダリ=サウティが食前の文言を唱え、他のみながそれを復唱する。

 それが済むと、ルド=ルウは「さて!」と木皿を取り上げた。


「それじゃあ、いただくぜ? いきなりぎばかつとは、アスタも気がきいてるじゃねーか!」


「うん。俺の故郷では、勝負事の際にはカツを食べるっていう習わしがあったんだよ」


「そいつはとびきり気のきいた習わしだな!」


 ということで、本日の主菜は『ギバ・カツ』であった。

 狩りの本番は明日からと聞いていたので、験担ぎの意味も込めてこの献立をチョイスさせていただいたのである。


 汁物はタウ油仕立てのギバ・スープ、副菜は、ドレッシングをかけたティノとアリアとプラの千切りサラダ、ホウレンソウのごときナナールのおひたし、それに、ポテトサラダならぬチャッチサラダであった。


「だけどあなたは先にこしらえた汁物をすでに食しているのですよね? このように重たい食事を口にすることができるのですか?」


 ミル・フェイ=サウティが毅然とした面持ちで伴侶に問うと、ダリ=サウティは「もちろん」とひさびさに口もとをほころばせた。


「城下町でいささか風変わりなぎばかつを食べて以来、早く普通のぎばかつも食べてみたいものだとずっと念じていたのだ。これを食べずにいては、心労でいっそう傷の治りも遅れてしまおう」


「まあ」とミル・フェイ=サウティは眉根を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。


 狩人たちは、黙々と食事を進めている。

 同じように手と口を動かしながら、サウティの人々の様子をうかがっていると、初めて『ギバ・カツ』を口にした幼子たちは一様に目を丸くしてしまっていた。


 で、ひそひそと言葉を交わしながら、スープをすすったり、副菜をつついたりしている内に、その小さな顔に興奮と喜びの表情がわきあがっていく。

 モガ=サウティは、そんな幼子たちの様子を目を細めて見守っていた。


「なんだこれ! 前に食べたチャッチのさらだと全然味が違うぞ!?」


 と、またルド=ルウが大きな声をあげたので、俺はそちらに視線を戻す。


「ああ、マヨネーズで使うママリアの酢を、バナームのものに変えてみたんだよ。以前とは色合いも違うだろう?」


「ああ、前のはほんのり朱色だったもんな! 美味いよ、これ!」


 とことんチャッチが好みであるらしいルド=ルウは、もりもりとチャッチサラダを頬張っていた。

 で、向かいに座っている幼子たちに、にっと笑いかける。


「お前らも食べてるか? もたもたしてっと、俺が全部食べちまうぞ?」


「え? う、うん」


「アスタたちの作る料理は美味いだろ? お前たちもたらふく食って、ダリ=サウティみたいな立派な狩人になるんだぞ?」


 幼子たちはもじもじしながら、それでもはにかむように微笑んでいる。

 狩人チームは寡黙なメンバーが集まってしまっていたが、ルド=ルウのおかげで何とかなごやかな空気が形成されつつあるようだった。


 そんなことを考えていたら、俺の左隣にいたヴィナ=ルウが「ねぇ……」と悩ましげな声をあげた。


「空腹だったのはわかるけどぉ、もうちょっと落ち着いて食べたほうがいいんじゃなぁい……?」


 どうやらそれは正面のミダに向けられた言葉であるようだった。

 ぽいぽいと『ギバカツ』を口の中に放り込んでいたミダは、それを呑みくだしてから「うん……」と咽喉もとを震わせる。


「でも……ひさしぶりにアスタの料理を食べられて、ミダは嬉しいんだよ……?」


「あらぁ、やっぱりルウ家の女衆が作る食事では満足できていなかったのねぇ……それは悲しい話だわぁ……」


「……べつにそういう意味じゃないんだよ……?」


「……それじゃあ、どういう意味なのかしらぁ……?」


 どちらもちょっと間延びした喋り方なので、何とものんびりとしたやりとりである。

 そうしてくすくすと笑い声をたててから、ヴィナ=ルウはふっと俺のほうを流し目で見てきた。


「なぁに……? なにかわたしの顔についてるかしらぁ……?」


「いえ。すっかりミダとも普通に会話ができるようになったんだなあと思っただけです」


 ミダの耳をはばかって小声で答えると、ヴィナ=ルウは艶やかに微笑んだ。


「そりゃあ何ヶ月も一緒に暮らしてたら、いいかげんに慣れてもくるわよぉ……それに、ミダだってずいぶんと余分な肉が落ちてきたんじゃなぁい……?」


「そうですね」と応じつつ、それでもまだまだ人間離れした巨体であるミダのほうを盗み見る。

 ヤミル=レイやツヴァイと別の家に割り振られてしまって、食事が始まるまでは少ししょんぼりしているように見えていたのだが、今はすっかり幸福そうな面持ちである。


 狩人としては半人前であるミダも、今回はその怪力を見込まれて精鋭部隊に選出されたらしい。そのことについても、ミダは何だかとても嬉しそうであるように感じられた。


「ところで、ダリ=サウティ、俺からひとつご提案があるのですが」


 頃合いを見計らって、俺はそのように声をあげてみせた。

 少量の『ギバ・カツ』を取り分けて、それを大事そうにゆっくり食していたダリ=サウティは「何かな」と穏やかな視線を向けてくる。


「これはちょっと森辺の習わしにそぐわない話かもしれないので、ドンダ=ルウとも協議した上でお答え願いたいのですが――明日からは、他の眷族たちにも料理を届けさせていただけませんか?」


「他の眷族? それはサウティの眷族に、ということか?」


「はい。かまど番と家の人間は同じ場所で晩餐を食するべき、という習わしが存在することは知っています。ですが、今日もこうやって俺たちがサウティとヴェラの人間全員分の晩餐をこしらえつつ、おのおのの家で食事を進めているのですから、それなら他の眷族の家に料理を届けても問題はないのかな、と――」


「しかしサウティにはヴェラの他に、ドーン、フェイ、ダダ、タムル、という4つの眷族があり、その数は35名にも及ぶのだぞ? その全員分の晩餐をこしらえることなど可能なのか?」


「汁物料理に限ってしまえば難しい量ではありません。肉やポイタンは各自の家で焼いてもらうことにして、滋養ゆたかな汁物料理だけでも届けられたらな、と考えたのですが、いかがでしょう?」


 ダリ=サウティは、どこかが痛むような顔つきで眉をひそめた。


「しかし……そこまでの恩義を受けても、サウティにはそれを返す力も残されていない」


「何も返す必要はありません。ただ、もしもこの先にファやルウやディンやスドラの家が何か困難な状態に陥ったとき、同じように手を差しのべてもらえたら、とても嬉しく思います」


 ダリ=サウティとドンダ=ルウの姿を見比べながら、俺はそのように答えてみせた。


「ガズラン=ルティムも以前に言っていたではないですか? 森辺の民は血の縁ばかりを重んじずに、すべての同胞ともっと慈しみ合うべきだ、と。ドーンやフェイといった氏族の人たちもサウティやヴェラの人たちと同じように傷つき、苦しんでいるのなら、俺たちは少しでもその力になりたいと願っています。……そしてこれは俺ひとりの考えではなく、サウティの集落に集まった8名のかまど番全員の考えでもあります」


「わたしたちは、アスタからの提案に同意しただけだけどねぇ……」


 ヴィナ=ルウが、色っぽい仕草で肩をすくめる。

 それを横目で見やりながら、ドンダ=ルウは「ふん」と鼻を鳴らした。


「かまど番は、食事を食べる人間の生命を預かるという覚悟を、家の人間は、かまど番に生命を預けるという覚悟を、それぞれ忘れてはならじ……同じ場所で同じものを食うというのは、その覚悟を示すために定められた習わしだ。その覚悟を軽んじることがなければ、どこで何を食おうが森の怒りに触れることはねえだろう」


 モガ=サウティは、とても静かな表情でダリ=サウティを振り返った。

 ダリ=サウティは固くまぶたを閉ざし、床の上に右の拳をつく。


「我らサウティの一族に、ファやルウらの真情を疑う気持ちはない。サウティの家長として、我らの生命を客分のかまど番たちに預けたいと思う」

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