サウティ家の受難①~凶報~
2016.3/27 更新分 1/1
さて――
ルウ家の青空食堂がオープンし、ポルアースからはカロン肉の流通についてまた相談事を持ちかけられ、その日は俺たちにとってたいそう刺激的かつ慌ただしい一日になったわけであるが、ルウの集落に帰りついてみると、そこにはさらなる波乱が待ち受けていたのだった。
しかもこちらで待ち受けていたのは、ひたすら負の方向に振り切った波乱である。
「あれ? いったいどうしたんだろう?」
集落の敷地内に荷車を乗り入れるなり、俺はその波乱の予兆を察知することができた。
ふだんであれば薪割りやピコ干しや草編みなどに勤しんでいる時間帯であるはずなのに、集落の人々はのきなみ本家の前に集結してしまっていたのだ。
ざわざわと不穏な空気が渦を巻いており、そして、その人垣の向こうからはにょっきりとトトスの長い首がのびている。
「もしかしたら、ドム家の人間が不服を申し立てに来てしまったのでしょうか?」
荷台から身を乗り出したトゥール=ディンが心配そうに声をあげた。
レム=ドムはここ最近、朝方にバルシャやジーダとともに森に入って、気配の殺し方や弓の扱いなどを習っているのだ。ギバではなく野鳥を狩っているのだから、ぎりぎり森辺の習わしには背いていないのかもしれないが、狩人としての手ほどきをしていることに変わりはないので、ディック=ドムあたりが知れば怒りを覚えても不思議はない。
「いや、北の集落のトトスはもっと黒ずんだ色をしているはずだよ。あの黄色みの強いトトスは、きっとサウティ家のものだ」
そのように答えながら、俺は人垣の外側で荷車を停止させた。
まだ日は高いので、そこに集まっているのは女衆や幼子ばかりである。
俺たちの到着に気づいた人々は、どよめきながら左右に分かれていき――そしてその向こうからは、思いも寄らぬ姿が垣間見えた。
「ダリ=サウティ! そのお姿はどうしたんですか!?」
「ああ、アスタか。そちらは息災そうで何よりだ」
ウェルハイドの歓迎会以来に見る、ダリ=サウティである。
しかし、森辺の若き族長たるダリ=サウティは、見るも無残な姿に成り果ててしまっていた。
頭にはぐるぐると灰色の包帯を巻いており、そこには赤く血がにじんでしまっている。
さらに、かつてのアイ=ファのように、左腕を三角巾で吊っている。
そして一番変わり果てていたのは、その顔だ。
温厚で風格に満ちみちていたその四角い顔は、別人のようにげっそりと頬がこけ、無精髭を生やし、そしてその目には彼らしくもなく怒りと無念の炎を燃えさからせていたのだった。
「ちょうどよかった。アスタにも伝えたいことがあったのだ。……しかし、ファの家長アイ=ファもいまだ森でギバを追っている頃合いなのだろうな」
「え、ええ、それはそうだと思いますが、それよりダリ=サウティはいったい――?」
「詳しい話は、儂からさせていただこうかな」
と、ダリ=サウティの巨体の陰から、しわがれた声があがった。
そこから姿を現したのは、雪のように白い頭をした痩せぎすの老人である。
「あなたは――モガ=サウティですね?」
「おお、儂のような老いぼれの名前を覚えてくれておったのか。嬉しく思うぞ、ファの家のアスタよ」
この森辺においては年老いた人間自体が珍しいのだから、俺も見間違えることはなかった。
それは懐かしき家長会議において一度だけ対面したことのある、サウティ家の長老モガ=サウティであった。
こちらは以前に見た通りの、柔和で穏やかそうな笑みを浮かべている。
「我々は、ルウの家に助力を求めにやってきたのだ。……数十年ぶりに、森の主が現れてしまったのでな」
「森の主?」
「途方もない大きさを持つギバのことだ。話を聞くに、儂が若い頃に見た主よりもさらに巨大なギバであるらしい。……その森の主に、サウティの狩人たちは手ひどく痛めつけられてしまったのだ」
「俺を含めて、7名もの狩人がひどい手傷を負うことになった。その内の2名はいまだに生死の境をさまよっているし、一命を取りとめたところで、今後は狩人として生きていくこともかなわないだろう」
振り絞るような声で、ダリ=サウティが言葉を添えた。
「サウティの家長として、これほど無念なことはない。しかも主めは、いまだに力を失わずに集落の周りをうろつき回っている。このままでは、サウティも滅びを待つばかりだ」
「ゆえに、サウティはルウに力を求めに来た。……それに、ファの家にもな」
モガ=サウティは、ひどく静かな目つきで俺を見つめ返してくる。
「どうか力を貸してほしい。儂たちにはお主らの力が必要なのだ、ファの家のアスタよ」
◇
その森の主という巨大ギバがサウティの集落のそばに出現したのは、5日ほど前のことであったらしい。
最初は狩人のひとりが遠目に見かけただけで、それは何かの見間違いということで片付けられてしまった。それぐらい、常識外れの巨体であったということだ。
しかしその翌日に、今度は複数の狩人がその巨大ギバと相対することになった。
その際に、3名もの狩人が深い手傷を負うことになった。
正確な大きさなどは計測のしようもないが、とにかく体高は人間と同じぐらいもあり、横幅や体長もそれに見合うぐらいのサイズであったという。まさしくカロンをも超える巨体のギバだ。
しかもそれだけの巨体でありながら、普通のギバと変わらぬぐらい身軽に動くことができ、凶暴さもひとしおであったらしい。
なのでその翌日は入念に罠を張り、サウティを親筋とする狩人が全員がかりでそのギバを退治する計画を立てた。
だが、彼らの仕掛けた罠はことごとく破られて、さらに4名もの狩人が深手を負うことになった。
「俺の刀は確かに主めの首をえぐった。しかし刀はへし折られて、主めの突進をくらった俺はこのざまだ」
ダリ=サウティは、無念に満ちた声でそのように述懐した。
三角巾で吊られたその左腕は、前腕部の骨をへし折られてしまったらしい。
「どれほどの刀を叩き込んでも、どれほどの矢をあびせかけようとも、あの主めはまるで弱る様子も見せないのだ。森の主などという名前すら、生易しいように思えてしまう。あいつは――まさしく災厄神だ」
「森辺には数十年に一度、そういう主が現れるのだ。それまでは森の奥深くに隠れ潜んでいるのか、それとも最初からあのように大きく生まれついているのか……とにかく、並のギバの数倍は巨大であり、凶暴なのだ」
「このままでは数日と待たずして集落の周囲の恵みは食い荒らされてしまうだろう。それで東の森の奥に帰るのならよいが、北の方角に移動すれば今度はサウティよりも小さな氏族があの怪物を相手取ることになるし、西や南の方角に移動すれば――森を出て、ジェノスの田畑を荒らすことになる」
「我々の力の及ばない主めを相手に、町の人間ではなすすべもないであろう。下手をすれば、その脅威は田畑だけでなく町の民にも及ぶやもしれん」
「あの怪物めは、森辺の内で討ち倒さねばならんのだ」
それでダリ=サウティは、すべての恥と無念を呑み込んで、血族ならぬルウ家に助力を願い出におもむいてきたのだという。
サウティと5つの眷族で、狩人の総勢は23名。その内の7名が深手を負い、残りの者たちも半数は傷ついている。もはやサウティに森の主を討つ力は残されていない。どうかサウティを、ひいてはすべての森辺の民とジェノスの領土を救うために、ルウ家の力を貸してほしい――それがダリ=サウティの願いであった。
◇
「……なるほど、ひと通りの話は理解できたように思う」
それらの話を聞き終えたのち、アイ=ファは静かな声でそのように応じた。
日没の後、晩餐の刻限である。ファの家にはモガ=サウティが招かれて、ともに食事を進めている。ダリ=サウティはもうひとりのお付きの狩人とともに、ルウの集落でドンダ=ルウと膝を突き合わせているはずだ。
「それで、ルウの家に助力を願うのはわかるが、ファの家にまでそれを求めるというのは、いったいいかなる話なのだろうか?」
「ファの家長アイ=ファは、ギバ寄せの実の扱いに長けているのだと聞き及んでいる。その力を、我々に貸してほしいのだ」
モガ=サウティは、アイ=ファに劣らず静かな声でそう応じた。
「ギバ寄せの実を扱うには非常な危険がともなうので、その技は時を経るとともに失われていってしまった。もはやその技を使いこなせる狩人は、この森辺でも数えるほどしか存在しないのであろう。……しかしその技と、サウティに伝わるギバ除けの実の技を合わせれば、より強い力でギバを追い込むことが可能になるはずだ」
「ああ……なるほど、そういうことか」
「さらにファの家長は、ルウ家の収穫祭で8名の勇者にまで選ばれるほどの狩人だとも聞き及んでいる。その力を、森辺とジェノスの安息のために使ってほしいのだ」
「……それは狩人と生きる身として、またとなく光栄な願い出だと思える」
そのように答えながら、しかしアイ=ファの青い瞳には鋭く探るような光が宿っていた。
「しかし、私だけでなくアスタをもサウティの集落に迎えたいというのは、いったいどういう話なのだ? 森の主を討ち倒すのに、かまど番の力など不要であろう?」
「それには、3つの理由がある。ひとつは、傷ついた狩人たちに癒しの食事を与えてほしいゆえ。もうひとつは、絶望の淵にあるサウティの民たちに生きる活力を与えてほしいゆえ。そして最後は、森の主を相手取る狩人たちにも強き力を与えてほしいゆえだ。森の主めを討ち倒すには、長きの時間がかかるであろうからな」
そこまで言って、モガ=サウティはふっと穏やかに微笑んだ。
「お主たちは、『美味なる食事は森辺の民に強き力をもたらす』と申し述べていたのであろう? 今こそ我々には強き力が必要なのだよ、ファの家のアイ=ファにアスタよ」
「…………」
「ドンダ=ルウは狩人ばかりでなく、かまど番の力をも貸してくれると約束してくれた。宿場町で商売をしている女衆たちが、そのままサウティの集落に留まってくれることになったのだ。昼間は宿場町で仕事を果たし、その後はサウティの家で晩餐をこしらえてくれよう、と……そこにアスタの力を加えてもらうことはかなわぬ願いであろうかな?」
「それはまあ……私とて、家人をひとり家に残してサウティの集落に出向く気持ちにはなれぬが……しかし、危険なことはないのであろうな?」
「むろんだ。いかに森の主とはいえ、集落の内にまでは踏み入ってこない。こちらもいちおう念を押して、ギバ除けの実で集落を守ってもおるしな」
そう言って、モガ=サウティは手にしていた木皿を置いた。
「我がサウティにおいても血抜きやかまどの仕事を習い、美味なる食事を作りあげられるようにはなってきたものの、アスタの料理はそれとも比較にならぬほどの力を持っている。それらの食事を口にすれば、サウティの女衆や幼子たちにも笑顔を取り戻すことができるかもしれん。……家長にして族長たるダリ=サウティはそのように述べていた。そしてその言葉がまぎれもなく真実であったということを、儂も今この身で知ることができた。願わくば、アイ=ファだけでなくアスタの力をも我々に貸してほしい」
アイ=ファがちらりと視線を飛ばしてきたので、俺は大きくうなずいてみせた。
アイ=ファはしばし瞑目してから、「了承した」とつぶやいた。
「森辺とジェノスの安息のためと願われれば是非もない。私とアスタもサウティを襲った災厄を退けるために尽力することをここに約束しよう」
「ありがたい。この恩は決して忘れぬぞ、ファの家のアイ=ファにアスタよ」
モガ=サウティは、床に両方の拳をついて深々と頭を下げた。
それを見つめていたアイ=ファがぴくりと眉を寄せ、玄関のほうに視線を向ける。
それと同時に、戸板が外から叩かれた。
「夜分に申し訳ない。族長ダリ=サウティおよびドンダ=ルウから遣わされてきたサウティの者だ。ファの家長と長老モガ=サウティに伝えたき言葉がある」
腰を上げようとする俺を押しとどめ、アイ=ファがみずからその人物を迎えに行く。
アイ=ファに刀を預けた若い狩人が入室してきて、モガ=サウティのかたわらに腰を下ろした。
「ルウ家の狩人たちは明日の中天までにサウティの集落へと出向き、力を貸してくれることに相成った。もしもファの家長も同行してもらえるものならば、『上りの六の刻』までにルウの集落までおもむいてほしい、とのことだ」
「了承した。……ちなみに、ルウ家からは何名の狩人が出向くことになったのだ?」
「ルウとルティムとレイから、総勢で10名だ。力の足りぬ狩人を同行させても意味はないし、また、小さな眷族から有力な狩人を駆り出せばその家が危地に陥りかねないので、その人数となった。狩人の名を知りたいのならば、それも伝えよう」
「では、いちおううかがっておこうか」
「了承した。……ルウ家からはドンダ=ルウ、ダルム=ルウ、ルド=ルウ、ミダ、客分のバルシャ、ジーダ。ルティム家からはガズラン=ルティム、ダン=ルティム、ラー=ルティム。レイ家からはラウ=レイ。以上の10名だ」
実に錚々たる顔ぶれであった。
が、少しばかり気にかかるメンバーもまざっている。アイ=ファも同じことを感じたのだろう、いくぶんけげんそうに眉をひそめていた。
「確かに誰もが力のある狩人だ。しかし、客分のバルシャやジーダまで含まれているのは意外であったな。それに、ラー=ルティムというのはルティムの長老ではなかったか?」
「バルシャとジーダは卓越した弓の技を持つということで同行を願われたらしい。ラー=ルティムはダン=ルティムとともに、ギバの臭いを嗅ぎわける役を担うそうだ。ダン=ルティムとて、いまだ森を駆ける力は戻っていないとの話であったしな」
なるほど、と俺も心中で納得する。
それで、8名の勇者としてジザ=ルウだけが選出されていないのは、やはり有事の際は家長と跡取りのどちらかが家に残るべしという習わしを重んじてのことなのだろう。
で、ダン=ルティムはすでに家長を降りているので、ガズラン=ルティムとともに家を離れることも可能になったということだ。
それにしても、ルウの一族でももっとも強い力を持つというルウ、ルティム、レイの三氏族の本家の家長が勢ぞろいしているのは驚きであった。
これは間違いなく、ルウの一族でもよりすぐりのメンバーなのだろうと思う。
ドンダ=ルウも、最強の布陣で森の主と相対する気構えであるのだ。
そのように考えたら、狩人ならぬ俺まで背筋がぞくぞくとしてしまった。
「……わたしもそれに同行させてもらうことは可能なのかしら?」
と、どこからともなく女衆の声が響きわたり、アイ=ファを除く全員が視線を巡らせることになった。
窓の格子の向こう側に、黒みがかった瞳が瞬いている。
刀を預けてしまっていたサウティの狩人は素手のまま立ち上がりかけたが、アイ=ファが「待たれよ」とそれを制止させた。
「あれはドム家を追い出された不肖の女衆、レム=ドムだ。……レム=ドムよ、そのように窓の外から話を盗み聞くのは森辺の習わしに背く行為であろうが?」
「あら、家長のあなたは最初から気づいていたんだろうから、『盗み聞く』という言葉には当てはまらないんじゃない? いつ家の中に呼び寄せてもらえるのかと、わたしはずっと待ちかねていたのだけれど」
「お前を呼び寄せる理由がない。晩餐はすでに受け取っているのであろうが? とっとと自分のねぐらに戻るがいい」
「その前に、さきほどの問いに答えてほしいものね。わたしもサウティの集落に同行させてもらうことは可能なのかしら?」
暗くて表情は見えないが、レム=ドムの声はずいぶんと真面目くさった響きを帯びているように感じられた。
アイ=ファはそちらを横目でねめつけながら、感情のない声で応じる。
「バルシャもジーダもサウティの集落にあっては、お前などにかかずらっている時間は取れぬであろう。大人しく、ふたりの帰りを待っているがいい」
「わたしだって、このような際にまであのふたりに手間をかけさせるつもりはないわ。修練とは関係なく、わたしはサウティの集落に向かいたいのよ」
「何故だ?」
アイ=ファは鋭く問い、レム=ドムは囁くような声で答えた。
「サウティの集落には、深手を負った狩人たちが大勢いるのでしょう? それを癒す手伝いがしたいの。……そうして、狩人としての仕事がどれほど危険で誇り高いものであるか、それをもう一度この身に叩き込みたいのよ」
アイ=ファは無言で窓の外の双眸を見つめ続けた。
それを受け止めながら、レム=ドムは「ふふ」と小さく笑い声をもらす。
「それに、アスタの仕事を手伝わないと、わたしには晩餐を得る手段がなくなってしまうからね。あなたたちがダバッグに向かったときは、スドラやフォウの仕事を手伝って、少しばかりの糧を得ることができたけれど、今度は何日の留守になるかもわからないのでしょう? アスタの仕事を手伝うためにも、同行を願いたいところだわ」
「……それを決める権限は、我々にはない」
アイ=ファは静かにモガ=サウティを振り返った。
真っ白の顎髭をしごきながら、サウティの長老は穏やかに微笑んでいる。
「お主のことはルウ家の者たちからも聞いておるよ、ドム家のレム=ドム。……ドム家やザザ家の手前、お主に力を貸すことははばかられるが、傷ついた男衆らの助けになってくれるというのならば是非もない。族長ダリ=サウティには儂から話を通しておこう」
「ありがとう。感謝するわ、サウティの長老モガ=サウティ」
そうしてレム=ドムの同行も決定されたようだった。
モガ=サウティは「さて」と居住まいを正す。
「残るはディンとスドラの女衆らだな。アスタとともにサウティの集落で預かることは可能であるかどうか、これから家長らに話を通しに行こうかと思う。……重ねがさね、恩に着るぞ、ファの家のアイ=ファにアスタよ」
◇
すべての客人が退出し、俺はアイ=ファとふたりきりで夜を迎えることになった。
金褐色の髪をほどきながら、アイ=ファは「アスタよ」と呼びかけてくる。
「ああ、わかってる。サウティの集落でも危険な真似はしないよ。……でもこの際は、心配されるべきはお前のほうだと思うぞ、アイ=ファ?」
「私はいつも通り、自分の仕事を果たすだけだ。ギバの図体がでかくなっても、何ら変わるところはない」
「でも、サウティの狩人たちが二十人がかりでも討ち倒せなかった巨大ギバなんだぞ? そんなの、まさしくモンスターじゃないか」
「もんすたー?」
「ああ、怪物、化け物ってことさ」
「どんなに大きくて凶暴でも、ギバはギバだ。怪物ではなく、森の子に過ぎん。……同じ森の子たる我々とどちらが生き残るか、すべてを定めるのは森そのものだ」
今さら狩人たるアイ=ファに、あらためて思うところなどはないのだろう。
決死の覚悟など、毎日固めた上で森に入っている。それが森辺の狩人であるのだから。
「それでも一言だけ言わせてくれ、アイ=ファ」
壁にもたれたアイ=ファのもとに、俺は少しだけ膝を進める。
「俺はお前が無事に戻ることを信じて、待っているからな?」
「……その言葉が、私に何よりの力を与えるだろう」
アイ=ファは目を細め、とてもやわらかい表情で微笑んだ。
「お前のもとに、私は戻る。昨日や今日と同じように、美味い食事を作って待っていてくれ。それだけが、私の望みだ」