ルウ家の青空食堂③~営業終了後~
2016.3/26 更新分 1/1 ・2018.4/29 一部表記を修正
下りの二の刻、俺たちの商売は無事に終わりを告げた。
正確には、閉店の1時間前には『ギバのモツ鍋』が売り切れてしまい、それに便乗して売れ行きののびた『ギバまん』と『ギバのポイタン巻き』、および特別料理の『ギバ・カツサンド』も30分遅れで完売し、最後の『ギバ・バーガー』を売り切るために定刻まで居残ることになった、というのが実情であった。
「やはりぎばばーがーだけが赤銅貨3枚もするので、売れ行きが悪くなってしまうのですね。これを機会に、ぎばばーがーも形を小さくして売りに出すべきなのでしょうか?」
「どうでしょうね。『ミャームー焼き』はまだしも、『ギバ・バーガー』のほうは大きさを変えるとパテの食べごたえが全然違ってきてしまうので、せっかくの人気が落ちてしまうということも考えられます。それに、定刻できっちり完売することはできているわけですから、『ギバ・バーガー』の売れ行きが落ちたというよりは、他の料理の売れ行きが向上した、と解釈するべきでしょう」
「そうですね……レイナ=ルウとも、少し話し合ってみます。アスタのほうの売れ行きとも関わってくる話なのでしょうし」
「そうですね。明日は他の料理をすべて多めに準備してみて、それで『ミャームー焼き』の売れ行きが落ちてしまうのかどうか、それを確認するのが先決だと思います」
そんな打ち合わせをしている間に、撤収の作業も片付いた。
屋台は荷車に連結し、《キミュスの尻尾亭》への帰路を辿る。
青空食堂は、ミラノ=マスの指示通りにスペースを縄で囲い、《キミュスの尻尾亭》の札を掛けてきた。これで、そのスペースに踏み入ったり卓や椅子に触れたりすることは、ジェノスの法で罪とされるらしい。
「それではアスタ、またのちほど」
「はい、そちらもお気をつけて」
屋台を返却した後、ファの家の組は《玄翁亭》に、ルウの家の組は組立屋に向かうことになった。
俺はポルアースと言葉を交わすため、シーラ=ルウらは新たな卓と椅子の発注を頼むため、別行動と相成ったわけである。
ちなみに食堂のスペースは、ゆとりをもって屋台ふたつ分を一気に拡張するつもりであるという。
で、拡張されるスペースにはふたつの卓を増やし、さらに、4人掛けの卓ひとつに6名分の椅子を準備するつもりであるらしい。
現在準備されている卓が5つなので、卓の合計は7つ。それらのすべてに6つの椅子を準備するとして、42の座席が完成されるわけである。
当然のこと、木皿や木匙もそれに応じた数を準備することになる。
これならば、屋台の前に行列ができることはほぼなくなるし、回転率もぐっと上がるだろう。
食器類もゆとりをもって準備しておけば、洗ったそばから次の料理に、という慌ただしさからも解放される。
さらに革張りの屋根も拡張しなければならないことを考えるとなかなかの出費になってしまうが、まだドンダ=ルウから許されている額には達していないとのことで、シーラ=ルウはそのように英断することになったのだった。
俺としては、「せんこうとうし……」とつぶやいているツヴァイが印象的であった。
一気に倍以上の座席を増やすことになるわけであるが、これがフル回転で活用できるほどの客がやってきたら、いったいどれほどの富を生み出すことになるのかと、ツヴァイも頭の中でそろばんを弾き出したのだろう。
俺にしてみても、期待が高まるばかりで不安などはなかった。
本日の盛況は初日ゆえであったとしても、座席さえあればさまざまな料理を提供することができる。汁物料理はレイナ=ルウの得意なジャンルであるし、いざとなったら俺がカレーやパスタで参戦してもいい。それを考えれば、まったく分の悪い勝負ではないと思えた。
ともあれ、すべては明日からのことだ。
俺は大いに浮き立った気持ちで《玄翁亭》に向かうことができた。
「あの、アスタ」
と、ふいに横合いから声をかけられて、俺はびっくりまなこで振り返る。
荷台に乗っていたはずのユン=スドラが、いつの間にやら俺の隣を歩いていたのだ。
「ど、どうしたんだい? 荷台を降りるなら一言声をかけておくれよ」
「申し訳ありません。わざわざトトスの足を止めさせるのも気が引けてしまったもので」
ぺこりと頭を下げながら、ユン=スドラの顔は笑っている。
灰褐色の長い髪をサイドテールにした、可愛らしい女の子である。
年齢はまだ15歳で、どちらかといえば小柄なほうであるが、女性らしい魅力においてはレイナ=ルウにも負けるものではない。
「あの、ひとつおうかがいしたいことがあったのです。それを尋ねてもよろしいですか?」
「うん、何かな?」
「さきほどの東の民の女衆に、アスタは何を手渡していたのでしょう?」
俺は内心でギクリとしてしまう。
もしや、アリシュナの言葉までもが耳に入ってしまっていたのでは――とも思ったが、ユン=スドラは屈託なく笑っていた。
(いや、聞かれていたなら、それまでのことか。他の女衆に誤解が及ばないようにふるまうだけだ)
そのように思いなおして、俺は毅然と言葉を返してみせた。
「あれはね、旅のお守りを返していたんだよ。ダバッグに旅立つ前、あのアリシュナという女性が俺に預けてくれていたんだ。そういえばあれは中天になる前の出来事だったから、ユン=スドラは俺がお守りを受け取る姿を見ていなかったんだね」
「旅のお守りですか。……アスタはあの女衆とそこまで懇意にしていたのですか?」
「懇意ってほどではないけど、以前に宿屋で俺の料理を食べてくれた相手なんだよ。あのポルアースという貴族がもたらしてくれたご縁だね」
「そうですか……」
ユン=スドラは何かを考え込む様子で目を伏せた。
それから、あらためて俺の顔を見つめ返してくる。
「アスタは本当に、どのような相手とも縁を結ぶことができるのですね。森辺の家人でありながら、どの国の人間ともわけへだてなく――それどころか、貴族とさえもあのように親しく口をきくことができるのですから、本当にすごいと思います」
「そりゃあまあ、もともとこの大陸の生まれでない俺には、生まれや身分で人をより分ける理由もないからね」
とはいえ、貴族に対しては小さからぬ偏見を抱いていた俺であるが、ポルアースのおかげでそのあたりの感情もだいぶん緩和されてきたように思う。
「理由がないというだけで、すべての人間にそれが果たせるとは思えません。それにアスタは、相手が族長筋であってもスドラのように小さな氏族の人間であっても、同じように扱ってくれますし――」
「それを言ったら、ライエルファム=スドラだって族長を相手にしっかりと筋を通せる立派なお人さ」
俺はそのように答えたが、ユン=スドラの表情に変化は生じなかった。
なんとなく、その眼差しも熱っぽさを増してきた気がしてしまう。
「……とにかく俺は、そんなごたいそうな人間じゃないんだよ」
「はい。アスタはしつこく賞賛されることを好まない気性なのですよね。ですから、これ以上は言いません。……でも、どうしてもわたしの感じたことをお伝えしておきたかったのです」
ユン=スドラも、やっぱり根っこは森辺の民らしく純朴な娘さんなのだろう。
言葉の内容そのものには、べつだん何の問題もないように思える。
ただ、その眼差しに込められた熱情だけが、俺を複雑な心境にさせるのだ。
「ああ、宿屋が見えてきた。あれが《玄翁亭》だよ」
前方に見えてきた建物を指し示しながら、俺はそのように述べてみせた。
宿の脇には、巨大なトトス車も停留している。その番をしている武官に頭を下げてから、俺も荷車を停止させた。
「さて、それじゃあ俺はちょっと話をしてくるけど――」
「あの、わたしも同行させていただいてかまわないでしょうか?」
すかさずユン=スドラはそのように発言してきた。
「わたしもジェノスの貴族というのがどういうものなのか、もっと深く知りたいと思うのです。……スドラの人間がそのように考えるのは、おこがましいことでしょうか?」
「いや、そんなことはないと思うけど……」
ギルルの手綱を手近な柱に結びつけつつ、俺は視線をさまよわせた。
すると、荷台から顔を出していたヤミル=レイと目が合った。
「町の人間たちもずいぶん友好的になってきたとはいえ、アスタをひとりで行動させるべきではないでしょうね。誰かひとりはこの荷車に残るべきだとも思うけれど」
そう言って、ヤミル=レイはかたわらのトゥール=ディンを振り返った。
「トゥール=ディン、あなたも興味があるのじゃない? あの貴族は料理の感想ばかりじゃなく、ダバッグについても何やら語ることがあるらしいわよ?」
「そうなのですか? でしたらわたしも、同行を願いたいところですが……」
「そうか。それじゃあトゥール=ディンも一緒に行こう。ヤミル=レイ、申し訳ありませんが、荷車の番をお願いします」
「自分から言い出したことなのだから、あなたに詫びを入れられる筋合いはないわ」
というわけで、俺はトゥール=ディンとユン=スドラとともに《玄翁亭》の扉をくぐることになった。
「アスタ、ようこそいらっしゃいました。ポルアース様はすでにお待ちです」
「ああ、どうも。いつもお世話をかけてしまって申し訳ありません」
「とんでもありません。アスタから受けた恩恵を考えれば、なにほどのことでもないでしょう」
いつでも無表情のネイルは、静かな声でそう言ってくれた。
あたりには、すでにカレーの香りが濃厚に漂っている。
「それに、伯爵家の人間が宿場町の、しかもこのような裏通りの店を訪れるなどというのは、まったくありえない話だと思います。そんな貴族がわざわざ足を運んでまで食べたがる料理とはどれほどのものなのかと、いささかそのような評判まで呼んでしまっているように思います」
「そうですか。少しでもネイルの益になっているのなら、ほっとします」
そんな言葉を交わしつつ、ネイルの案内で食堂に向かう。
そうして扉を開けるなり、「おお、アスタ殿!」というポルアースの声に出迎えられた。
「先に到着してしまったので、すでに料理はいただいてしまったよ! これは、素晴らしい出来栄えだね!」
「そうですか。お気に召したのなら幸いです」
「とても辛いが、とても美味だった! これほどまでに香草を使っている料理というのは、宿場町より城下町でのほうが確かな評判を呼ぶことができるのじゃないかな! もちろん東の民であれば、僕たち以上にこの料理の素晴らしさを正しく語ることができるのだろうけれどもね!」
ポルアースは、城下町での晩餐会の折と同じぐらい昂揚しているように見受けられた。
では、その東の民たるアリシュナはどうだったのだろう、と視線を転じてみると――フードを外してその細面をあらわにしていた占星師の少女は、普段通りの静かな表情で音もなく立ち上がった。
で、たくさんの指輪に彩られた指先で、俺の指先をそっとつかんでくる。
「アスタ。私、東の民ですが、シムの地、踏んだこと、ありません。私の祖父、故郷を追放され、私、セルヴァを放浪中、生まれたためです」
「は、はい。それは以前にもおうかがいしていますが」
「ですが、私の家族、可能な限り、シムの香草、求めました。私の生命、シムの香草、育んでくれました。だから、わかります。……アスタの料理、素晴らしかったです」
言葉だけを聞くと熱情的であるが、その面には何の表情も浮かんではおらず、黒い瞳も夜の湖みたいに静まりかえったままである。
ただ、俺の指先をつかんだアリシュナの指先からは、確かな熱が伝わってきている。
「ジェノス侯、さまざまな料理、与えてくれました。素晴らしい料理、たくさん知ること、できました。ですが、今日食べた料理、私、何より美味、思います。失った家族、この料理、口にしてほしかった、強く思います」
「そこまで言っていただけるとは光栄です。本当にありがとうございます」
アリシュナは、しばらく無言で俺の瞳を見つめ続けた。
それから、何事もなかったかのように俺の手から指先を離していく。
「気持ち、乱してしまいました。とても恥ずかしい、思います」
「い、いえ、東の御方がどんなに取り乱しても、自分たちにはそのように見えませんので、どうぞご安心を」
アリシュナは一礼し、ふわりと座席に腰を下ろす。
俺は頭をかきながらこっそりユン=スドラのほうをうかがってみたが、彼女はにこにこと笑っているばかりでべつだん心を乱している様子もなかった。
「いやあ、しかしこいつは本当に素晴らしい料理だったよ! 口の中はひりひりしてたまらないのに、どうしても手を止めることができないんだ!
このキミュスの足肉などもなかなかのものだったけど、やっぱりこのかれーという料理が絶品だったね!」
見ると、卓の上には何枚もの皿が並べられており、その内の1枚にキミュスの足の骨が載せられていた。
午後の2時過ぎというもっとも中途半端な時間に、しっかりとセット料理を堪能してしまったらしい。
「あの、そこまでのお言葉をいただいた後でこのようなことを言うのは気が引けるのですが、それは俺でなくこちらのネイルが作りあげた料理なのですよね」
「え? だけど僕たちは、アスタの料理を注文したはずだよ? かれーの肉はギバの肉であったはずだし!」
「はい。ですが、俺はそのカレーの素を売っているだけなのです。それをどのような料理に仕上げるかは、ネイルの腕にかかっているのですよ」
「いえ。わたしはアスタに教えられた通りの手順で仕上げているだけです。なおかつ、タウ油や砂糖やラマムの実などは使っていないので、きっとアスタの作るものよりは味も劣ってしまっていることでしょう」
そのように述べるネイルに「そんなことはありませんよ」と俺は答えてみせる。
「俺も試食をさせていただきましたが、違いはあっても勝り劣りはないと思います。むしろ、東の民のお客さんにはネイルの味付けのほうが好みに合うのではないでしょうかね」
俺がタウ油や砂糖やラマムの実などを使用したのは、可能な限り故郷の味に近づけようとした、その結果に過ぎない。
そういった食材を使用せず、なおかつチットの実を加えて辛さを強めたネイルの『ギバ・カレー』は、よりエスニックなインドカレーに近い味わいに仕上がっているだけで、決して俺の味付けに劣っているとは思えなかった。
「ですが、かれーの決め手となる香草の配分はアスタにしか成し得ない技です。ですからこれは、わたしではなくアスタの料理なのだと思います」
「そんなことはないですよ。あ、それと、『ギバ・カレー』以外の料理は、完全にネイルの手によるものですからね? 俺が《玄翁亭》に売っているのはギバ肉を使った料理だけなのですから」
「うん、わかった。君たちはふたりまとめて優れた料理人なのだね。まったくもって、おそれいったよ」
そう言って、ポルアースは笑い声をあげた。
「しかし、アスタ殿の腕前はわきまえていたけれど、そちらのご主人までもがそこまで優れた料理人だなどとは思ってもみなかった。このキミュスを使った肉料理や香草の汁物料理なんかはご主人の作なのかい?」
「はい。それらはわたしがお作りしました。シムの国で学んだ料理ですね」
「なんと! ご主人はシムに出向いたことがあると?」
「はい。若い頃に、数年ばかり暮らしていたことがあります」
「そうかそうか。それなら納得だ! これほどまでに香草を使いこなせるなら、城下町でシム料理の店を出すことだって可能だと思うよ?」
「とんでもないことです。しかし、そこまでのお言葉をいただけるのは身にあまる光栄です」
ネイルはうやうやしく一礼する。
その姿を見返しながら、ポルアースは「うーむ」とうなった。
「いや、実際のところ、シムはジャガルより遠いからねえ。それに、シムの民は放浪好きだからとてもたくさんの人間がジェノスにも訪れるけれど、その代わりにあまり長く留まる者はいない。だから、シムの文化に精通した西の民というのは、非常に貴重な存在なのさ。ことシム料理に限って言えば、ご主人のお手並みは城下町の料理人にも劣るものではないと思う」
「……わたしはシムを第二の故郷と思っています。シムの人々の喜ぶ姿を見ることが、わたしにとっては何よりの喜びであるのです」
「ならば今日はまたとない喜びを得られただろうね。アリシュナ殿がこれほどまでに満足していたのだから」
そう言って、ポルアースは杯に残っていた茶を飲み干した。
「とにかくね、どれも素晴らしい料理だったよ! 特にこのぎばかれーという料理をヴァルカス殿なんかが口にしたら、いったいどのような感想が飛び出すのか。非常に興味深いところだね」
「そうですね。機会があれば、ヴァルカスにも食べていただきたいものです」
しかしそれは俺の個人的な欲求であり、優先すべきは宿場町における普及であった。
この《玄翁亭》はもちろん、他の3つの宿屋においても『ギバ・カレー』はそれなりの評判を呼んでいるようなのだが、実際にお客さんが口にしている姿は見たことがないので、いまひとつ俺としては手応えが感じられないのである。
「さて。アスタ殿もひまな身体ではないのだろうから、もうひとつの本題に取りかかろうか」
と、ポルアースは丸っこい身体をゆすって居住まいを正した。
「例の、ダバッグについての一件なのだけれどね」
「はい」
「ディゴラにメイロスという人物たちは、やはりジェノスにカロンを買い叩かれているのだと偽りの言葉を弄して、いくばくかの銅貨を着服していたらしい。実際、サイクレウスはカロン肉の流通を牛耳るために余分な銅貨をその者たちに支払っていたようだから、その分の稼ぎは少なくなっていたわけだけどね。それでも自分たちの取り分が減ってしまわないよう、他の牧場主たちに支払うべき銅貨をかすめ取っていた、というのが実情のようだ」
ザッシュマの推測は、おおむね的中していたわけである。
「両名ともに商会長と外務官という身分は剥奪され、これまでに着服していた銅貨もごっそり没収されることになった。あとは、領主および牧場主たちを欺いていた罪として、相応の罰も与えられるようだけどね。そのへんのことはこれから審問が始まるところなので、まだよくわからない」
「そうですか。不正が正されるのなら何よりです」
「うん。それでね、あちらは商会長が別の人物にすげ変えられるわけだから、これを機会に我々もカロンの買い付けに関して色々と見直していこうかと考えているのだよ」
「と、言いますと?」
「色々な案はあるけれど、まず僕が推し進めていきたいのは、肉の流通に関してだ」
悪戯を考える子供のような笑顔でポルアースはそう言った。
「現在、カロンの胴体の肉は城下町でしか取り引きされていないだろう? これはそもそも、貧しき民に胴体の肉などは不要、ということでサイクレウスに取り決められていた約束事であったんだ。カロンの胴体の肉を城下町の外で売ることは罪とされてしまっていたのだよ」
「そうなのですか。それは知りませんでした」
「うん。実際、足肉の倍もする胴体の肉を欲する人間なんて城下町の外にはほとんど存在しなかったから、べつだん問題にもされていなかったのだろうね。……だけど最近は、シムやジャガルの貴重な食材も、望みさえすれば誰でも購入することができるようになってきた。だったらカロンの胴体の肉だってそうするべきだろうと思うのさ。買おうとする人間がいないならそれでかまわないけれど、買うことが罪とされてしまうなんて、そんな馬鹿げた話はないからねえ」
「そうですよね。自分もダバッグに出向いたことで、少なからず違和感を覚えてしまっていたんです。世間的にはダバッグよりもジェノスのほうが豊かだとされているのに、貴族ならぬ民の食事に関してはダバッグのほうが数段恵まれているように感じられたので」
「ああ、ダバッグではどんな宿屋でも好きなだけカロンの肉が食べられるのだろうねえ。足肉しか扱えないジェノスの宿場町では太刀打ちできないのが当たり前だよ」
いよいよ楽しげに笑いながら、ポルアースは身を乗り出してくる。
「とにかく、今後は誰でもカロンの好きな部位を扱えるように取り計らっていこうと思う。ダレイムやトゥランの民たちも、サイクレウスが失脚したことによってじわじわと暮らし向きはよくなってきているはずだから、ちょっと贅沢をして胴体の肉を買ってみようと考える人間も増えてくるはずだ」
「はい」
「それにつけ加えて、現在は太陽神の復活祭が間近に迫っている。これに便乗すれば、いっそう胴体の肉を城下町の外に普及することもかないやすくなるのだと思うのだよね」
「復活祭に便乗、ですか?」
「うん。復活祭の時期には大勢の人間がジェノスに流れ込んでくることになる。商いをしている人間にとっては、一年で一番の稼ぎ時であるわけだよ。宿屋でも屋台でも上等な食材を使って上等な料理を売りに出せば、いっそう多くの客をつかまえることができる――という風潮に持っていきたいところなのだよね。祭だったら人々も気が大きくなって、普段以上の銅貨をつかってくれるだろうからさ」
本当にこの御仁は貴族よりも商人に生まれつくべきだったのではないかと思わされることがある。
「だからさっそく、『タントの恵み亭』でも胴体の肉を使った料理を売りに出そうと考えているのだけれど――アスタやご主人などにもまた協力をお願いすることは可能かな?」
「カロンの胴体の肉ですか」
ネイルは無表情のまま首を傾げる。
「わたしの店ではカロンよりもキミュスを多く扱っているのですが、カロンの胴体とはそれほどまでに美味なものなのでしょうか?」
「美味は美味ですよ。少なくとも、ギバの肉に劣るものではありません。現状では、ギバよりも値の張る食材なわけですし」
俺が答えると、ネイルは考え深げに目を伏せる。
「そういえば、いずれギバの肉もカロンの胴体の肉と同じぐらいの値になってしまうかもしれないというお話でありましたね。それを思えば、今の内からカロンの肉にも手をつけておくべきなのでしょうか……」
「そうですね。ネイルだったら、カロンの胴体の肉を使ってまた新しいシム風の料理を作りあげることも可能なのではないでしょうか。俺でよかったら、その扱い方を教示いたしますよ」
俺が言うと、ネイルの瞳にいぶかしげな光が宿った。
「アスタはすっかり乗り気なようですね。しかし、カロンの肉が売りに出されれば、そのぶんギバの肉の売れ行きが落ちてしまうのではないでしょうか?」
「いえ。ギバとカロンに勝り劣りはないと思うので、そこまで深刻に心配はしていません。むしろ、『高価な食材でも買う価値はある』という風潮を根付かせるほうが、こちらとしてもありがたい話だと思えますし」
どのみち、ジェノスの貴族たちがそうと決めたら、俺などにそれを制止する力はないのだ。
ならば、その状況から最善の道を模索するのが、正しい闘い方なのだろうと思う。
「ギバにもカロンにもキミュスにもそれぞれ違った美味しさがあるのですから、それを正しく知ってもらうということが、一番大事なのではないでしょうかね。カロンの美味しさが知れ渡っても、それに負けないギバの美味しさを知らしめていく。どうせなら、俺はそういう方向に努力していきたいと思います」
「そうですか」とネイルの瞳に優しげな光が灯った。
「カロンの肉を扱うことがアスタへの不義理にならないのならば、わたしも異存はありません」
「恩に着るよ、アスタ殿にご主人――ネイル殿といったかな? ジェノスが本当の意味で豊かな町になれるかどうかは、きっと君たち領民の力にかかっているのだろうね」
そう言って、ポルアースはあくまで無邪気に笑い続けたのだった。