ダバッグ見聞録⑨~帰還~
2016.3/5 更新分 2/2 ・2018.4/29 誤字を修正
・本日は2話更新ですので読み飛ばしのないようご注意ください。
・なお、今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
「あなたは思ったより計算高い人間だったんですね、ザッシュマ」
荷車に揺られながら俺がそのように呼びかけると、ザッシュマは「何の話だ?」とけげんそうに振り返った。
「あなたは最初から、ディゴラたちをあやしいと思っていたんでしょう? で、彼らの反応を見るために、俺をけしかけたんじゃないんですか?」
「けしかけるとは人聞きが悪いな。いかにこすずるい連中でも、証がない内に罪人呼ばわりすることはできないだろう? だから、自分の中で確信を持てるまでは事を荒立てないようにと自制していただけさ」
「だったら、そういった心情を最初に打ち明けてくれればよかったじゃないですか? まったく、人が悪いです」
そのように言いながら、ふっと頭に浮かんだ想念を口にしてみる。
「そういえば、スン家を罠にはめるために商団を偽装したのも、カミュア=ヨシュではなくメルフリードやあなたの策謀だったんですよね。そう考えれば、あなたが計算高い人間だということは最初から明白だったわけですか」
「何だよ、ずいぶんとまた昔の話を引っ張りだしたもんだな。……そんなに気を悪くしちまったのか?」
無精髭の浮いた頬を撫でながら、ザッシュマが心配そうに顔を寄せてくる。
その姿を見返しながら、俺は「いいえ」と苦笑してみせた。
「あなたが実家の牧場を軽んじるような人間じゃなくて安心しました。素直じゃないなあとは思ってしまいますけれども」
「別にそんなつもりで罪人どもを糾弾したわけじゃない。義憤だよ、義憤」
分厚い肩をすくめてから、ザッシュマは視線を荷車の外に移す。
ここはまだダバッグの領内、町と牧場をつなぐ並木道の途上であった。
だいぶん日が高くなってきたので、土の地面には木漏れ日が差している。この後は再びマロッタの牧場に立ち寄ってから、ジェノスへの帰路を辿る予定である。
「……あのディゴラにメイロスという人物たちはどうなるのでしょうかね?」
「さてな。ダバッグの領主の怒り具合にもよるが、さすがに首を刎ねられることはないだろう。金勘定だけで暮らしていく生活はあきらめて、カロンの尻でも追い回せばいいだけのことさ」
これからディゴラたちの悪事については、牧場中に暴露されることになる。怒った牧場主たちがディゴラを糾弾すれば、やがてその騒ぎはダバッグ伯爵の耳にも伝わり、ジェノスからの使者を待つまでもなく、裁きを受けることになるであろう、という話であった。
「こんなのどかな町なのに、謀略を巡らそうとする人間はいるものなのですね」
「そりゃあそうさ。人間が寄り集まる場所で、悪事と無縁でいられるもんか」
そんな言葉を交わしている内に、マロッタの牧場が見えてきた。
ちょうど巨大な木の樽を抱えて厩舎から出てきたミザが「おやまあ」と笑顔で俺たちを迎えてくれる。
「お帰りかい? 町のほうでは美味いカロンを食べられたかね?」
「はい、それはもう。いささか食べすぎてしまったぐらいです」
俺は荷車から飛び降りて、ミザに笑顔を返してみせた。
そのかたわらに、ザッシュマも立ち並ぶ。
「アルマたちはまだ放牧場か? ちょいと挨拶をしておきたいんだが」
「ぼちぼち中天だから戻ってくるんじゃないのかねえ。それよりも、ちょっとあんた!」
と、息子を放置してミザはなおも俺に語りかけてくる。
「あのギバ肉ってのは、ずいぶん立派な肉なんだね! 晩餐で鍋にぶちこんでみたんだけど、うちのカロンにも負けない味だったよ!」
「あ、さっそく食べていただけたんですね。お口に合ったのなら良かったです」
「ちょいとばっかり風味がきついけど、食べている内にその風味こそが大事なんじゃないかと思えるぐらいだったからねえ。あんなに美味い肉が手に入るんなら、じきにジェノスの人らはカロンを買ってくれなくなっちまうんじゃないのかね」
「いえ、ギバにはギバの、カロンにはカロンの美味しさがあるのですから、そんな結果にはならないと思いますよ? それに、ジェノスの全人口をまかなえるほどのギバ肉を準備するのは不可能な話ですし」
「そうかい、だったらひと安心だね」
重そうな樽を抱えたまま、ミザはにこにこと笑っている。
すると、いつの間にか俺たちの隣に並んでいたマイムが「あの」と声をあげた。
「それはカロンの乳ですよね? よかったら、わたしにもそれを売っていただけませんか? 土瓶に10本分でかまいませんので」
「へえ、カロンの乳を買ってくれるのかい? でも、うちにはこういう樽しか置いてないんだよね。ふだんは乳屋に売りつけてるだけだからさ」
「あ、土瓶は町で買ってきました! よかったらお願いいたします」
「すみません、わたしどもも土瓶で20本ほど売っていただきたいのですが」
と、後ろからレイナ=ルウも声をあげる。
ミザは「ありがたいねえ」とにっこり微笑む。
「カロンの乳は傷みやすいから、あんまり買い手がつかないんだよ。土瓶で10本なら赤銅貨5枚、20本なら10枚だよ」
「え、ずいぶん安いのですね? ジェノスで買おうとするとその倍ぐらいはしてしまうのですが」
「そりゃあ運び屋の賃金だろうさ。ダバッグとジェノスを行き来するには、丸一日もかかっちまうからねえ」
そういうことなら、と俺も10本ほど購入させていただくことにした。
下ごしらえのできない明日も宿場町での仕事は休業であるので、俺たちはその時間を利用してミケルに乾酪作りを学ぶ手はずになっていたのである。
「それじゃあこいつを土瓶に分けちまおう。乳屋に売る分は食事をいただいた後にまた搾ることにするよ」
「ありがとうございます。助かります」
そうして厩舎に土瓶を運び込んでいるところに、放牧場の人々がどやどやと帰ってきた。
その先頭を歩いていたアルマが「よお」と笑いかけてくる。
「ザッシュマにお客人、ジェノスにお帰りかい?」
「ああ、その前にちっとばっかり話があるんだよ」
ザッシュマは、声をひそめてディゴラたちの行状についてを語り始める。
その言葉を聞く内に、アルマの顔には呆れかえったような表情が浮かんできた。
「何だそりゃ。それじゃあジェノスの貴族どものせいでカロンの値が下がっちまったってのは、ディゴラの親父の大嘘だったってのか?」
「おそらくな。外務官のメイロスとかいう男とグルになって、お前さんたちに支払うべき銅貨をかすめ取っていたんだろう」
「ははあ……そいつはずいぶんこすずるい真似をするもんだ。ま、金勘定を任せきりにした俺たちの手落ちでもあるんだろうけどなあ」
「まったくだよ。商会の寄り合いにはもう親父じゃなくってお前さんが出向いてるんだろう? 今後は誰がディゴラの後を引き継ぐことになっても、全員が損の出ないように目を光らせておくべきだと思うぜ?」
「了解したよ。他の牧場の連中には?」
「これからだよ。お前さんたちに伝達役を願おうと思ってたんだ。俺たちはもうぼちぼちジェノスに向かわなきゃならないからな」
「よし、わかった。夜にはみんなでディゴラを吊るし上げてやろう」
あくまでも陽気な面持ちで、アルマは手近な牧童を呼び止めた。
「あ、近い内にジェノス城から真偽を確かめるための調査隊がやってくるってことも伝えておけよ? そうでなくっちゃ、あくまでジェノスに買い叩かれたんだと言い張るかもしれないからな」
「何? そんなものが遣わされてくるのか?」
「わからんよ。でも、ディゴラにはそう信じ込ませる必要があるからな」
「はは。ずいぶん悪知恵が働くようになったな、ザッシュマ」
アルマはザッシュマの肩を手の甲で叩く。
同じ表情で、ザッシュマもアルマの肩を叩いた。
「それじゃあな。次は2年も空けずに顔を見せろよ?」
「どうだかな。約束はできないが、まあ覚えておこう」
そうしてアルマは牧童とともに立ち去っていった。
トトスでも駆って、牧場中にふれを回すのだろう。
それを見送っていたザッシュマが、最後に放牧場から戻ってきた人影を見て、軽く眉をひそめる。
ずいぶんと小柄で、なおかつずんぐりとした体型の、それはマロッタであった。
昨日は屈んでいる姿しか見ていなかったのでわからなかったが、思っていたよりも背が低い。せいぜい160センチていどであろうか。
マロッタは仏頂面のまま、俺たちのほうを見ようともせずに通りすぎようとした。
その背に、ザッシュマが「待てよ」と呼びかける。
マロッタはうろんげに振り返り、ザッシュマは荷台から引っ張り出した大きな布袋をそちらに突きつけた。
「ネェノンの葉だ。昨日の食事の礼に、取っておきな」
「……あの食事は、お前たちのよこしたギバとかいう肉の礼だ」
「だったら、アルマやお袋が牧場中を案内してくれたことへの礼だよ。こんなもん、俺たちには何の用事もないんだから受け取ってくれ」
頭半分以上も大きい息子の姿を、マロッタは不機嫌そうににらみあげる。
それと相対しながら、ザッシュマは「それからな」と言葉を継いだ。
「余計な差し出口かもしれねえが、ひとつ言っておきたいことがある。この牧場の上客でもあるジェノスは今、何やかんやと食材の買い付けを見直してる最中なんだ。で、おそらくディゴラの親父は今日の夜にでも商会長を引きずりおろされることになる。これを機会に、親父たちも自分の商売を見直してみちゃあどうだい?」
「……商売を見直すだと?」
「ああ。今はこの牧場で育てられたカロンも、ディゴラの牧場みたいにいいかげんな気持ちで育てられたカロンも、一緒くたで売られちまってるんだろう? 上等なカロンには上等な値段を、粗末なカロンには粗末な値段をつけてもらえるように、ジェノスの連中に掛け合うべきなんじゃないのかね?」
「……お前なんざにそんな差し出口を叩かれる覚えはねえな」
「そうだろうな。だからとっととアルマに牧場を引き継がせちまえよ。アルマだったら、それぐらいの損得勘定はできるだろうからさ。……適当なところで老いぼれは引き退かねえと、いつまで経っても跡継ぎは育たないぜ?」
そう言って、ザッシュマはふてぶてしく笑った。
「親父はこれまで通り、上等なカロンを育てりゃいいんだよ。後の面倒事は、頼もしい跡継ぎが何とかしてくれるさ。俺なんかよりも、よっぽど上等なやり口でな」
「……ふん」と鼻を鳴らしながら、マロッタはザッシュマの手から布袋をひったくった。
そして後は無言のまま背を向けて、家のほうに歩きだす。
その小さくも逞しい背に向かって、ザッシュマは大声で呼びかけた。
「それじゃあな。次に会うまでくたばるんじゃねえぞ、親父?」
「人の心配より自分の心配をしやがれ、この……馬鹿息子が」
マロッタの姿が建物の陰に消えていく。
それを待ってから、俺たちの背後に立ちはだかっていたダン=ルティムが「うむ!」と楽しげな声をあげた。
「それでいいのだ! 父と子ならばこれぐらい心を通じ合わせるべきなのだ!」
「何だよ、大きな声でわけのわからないことを言わないでくれよ、ダン=ルティム」
「わけがわからぬことはあるまい! 粗野な言葉を使いながらも、父親を思いやるお前さんの気持ちはひしひしと伝わってきたぞ、ザッシュマよ!」
「やめてくれってば」とザッシュマは苦笑する。
俺も「あはは」と笑ってしまったが、その瞬間に横から強い力で腕を引っ張られた。
眉をひそめたアイ=ファの顔が、ぐぐっと間近にまで迫ってくる。
「うん? どうしたんだよ、アイ=ファ?」
「それはこちらの台詞だ。お前は何故そのように涙を浮かべているのだ、アスタよ?」
他の人々には聞かれぬよう、おしひそめられた声でアイ=ファが囁きかけてくる。
「涙なんて浮かべてないよ」と答えながら、俺はちょちょいと目もとをぬぐった。
「ただ、父と子の交流ってのは胸に響くなあと思っただけさ。森辺ではあんまり目にしない光景だしな」
「…………」
「そんな深刻な話じゃないから、そんな顔すんなって」
照れ隠しに、俺はアイ=ファの高い鼻をぴんと弾いてやった。
とたんにアイ=ファは真っ赤になって、俺の頬に頭をぐりぐり押しつけてくる。
「いたたたた。ごめん、冗談、失礼いたしました」
「何をやっておるのだ、お前さんたちは? そら、レイナ=ルウたちも戻ってきたようだぞ?」
ダン=ルティムの言葉通り、土瓶を抱えた女衆たちが厩舎から出てきた。
太陽は、すでに中天に差しかかっている。
俺とアイ=ファの姿を見下ろしながら、ダン=ルティムは大声で言った。
「さあ、それでは森辺に帰ろうではないか! きっと女衆らも美味い晩餐をこしらえて待ってくれていることだろう!」
「そうですね。帰りましょう」
俺は笑顔でそのように答えた。
アイ=ファは顔を赤くしたまま、俺の足を軽く蹴ってきた。
そうして俺たちの2日間に及んだダバッグへの小旅行は、いよいよ終わりを迎えることになったのだった。
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