ダバッグ見聞録⑦~会見~
2016.3/5 更新分 1/1 2016.9/13 誤字を修正
2016.3/22 卵の生食に関して設定上の矛盾が生じてしまったので文章を修正いたしました。
「どうやらあいつらは手配中の野盗どもであったらしい。俺たちが豪勢な食事をしているさまを見て、今宵の獲物と心を定めたのだろうな。むろん、食堂で痛い目を見させられた意趣返しという面もあったのだろうが」
翌朝である。
まだあまり人通りのない宿場の道を歩きながら、ザッシュマはそのように語り始めた。
昨晩はけっきょく衛兵を呼びつけて罪人らを引き渡す顛末になったのだが、それにはザッシュマしか立ち会わなかったので、こうして早朝から説明がなされることになったのだった。
「押し込み強盗の罪は重い。もともと手配中であった悪漢どもだから、たとえ死罪をまぬがれたとしても、二度と悪さができないぐらい痛めつけられることになるだろう。ジェノスにまで意趣返しに出向く力は残らぬだろうから、そこのところは安心していいと思うぞ」
「そうか。ならば我らにも不満はない!」
一同を代表して、ダン=ルティムがそのように応じる。
俺たちは《ラマムのしずく亭》にギルルらを預けたまま、徒歩で商会の寄合所まで移動しているさなかであった。
俺にはあまり馴染みがないのだが、こういった町では商会というやつが商売のあれこれを取り仕切っているらしい。
肉屋には肉屋の、宿屋には宿屋の商会が存在する。構成員は、その町で商売をしている店の代表者たちだ。たとえばジェノスの宿場町でもミラノ=マスやナウディスやネイルなどが商会の一員としてときたま寄り集まり、余計な確執や摩擦などが生じないよう商売上のあれこれを取り決めているわけである。
ということで、俺たちはダバッグにおけるカロン牧場の商会の皆様と縁をつむぐべく、面会を願った次第であった。
「昨日も言ったが、商会の頭目は南側のでかい牧場を取り仕切っているディゴラという親父だ。牧場よりも町に入り浸って金勘定に腐心しているような輩だから、損な商売にならないよう気をつけるんだぞ?」
「はい、了解しました」
13名で連れ立って宿場の街路を歩いていくと、やがて行く手に大きな石造りの建造物が見えてきた。
このダバッグを支配する領主、ダバッグ伯爵家の邸宅である。
牧場を除けばささやかな領土しか存在しないダバッグにおいては城下町という区域は作られておらず、ただ伯爵家の邸宅と数百の兵士を有する兵舎だけが石塀に囲まれているらしい。その兵士たちが昼夜を問わず牧場を含むダバッグの領土を巡回し、町とカロンを野盗などから守護しているわけである。
「ジェノスやバナームなんかは侯爵家なのに、ダバッグは伯爵家なのですね」
「ああ、そうさ。こんな辺境の地で侯爵の爵位を与えられるほうがまれなんだよ。ましてや、ダレイムやトゥランみたいにちっぽけな領土の領主にまで爵位が与えられるなんて、普通じゃ考えられないことだ」
そういえば、以前にポルアースも同じようなことを言っていた気がする。
「しかしまあ、侯爵だろうと伯爵だろうと貴族は貴族だ。《守護人》なんかを生業にしていると、その貴族様のお近づきにもなれるわけだが、そうそう尊敬に値する御仁には行き当たらない。むやみに堅苦しいか、あるいは尊大に過ぎるかの二択だな」
「このダバッグの領主というのは、そのどちらに分類されるのでしょうかね?」
「知らんよ。自分の故郷の領主となんて、お近づきにもなりたくはないからな。これから出向く寄合所にだって、せいぜい使い走りの小役人が待ち受けてるだけだろうさ」
領主の館に向かって北上していたザッシュマが、そこで右手側に進路を転じる。このダバッグという町は伯爵邸を中心にして放射状に広げられており、商会の寄合所という施設はその中心部のやや東寄りに建てられているのだという話であった。
確かにそこまで広大な町ではないのだろう。《ラマムのしずく亭》から10分ていど歩いたあたりで、ザッシュマは「ここだ」と足を止めた。
宿場よりも大きくて立派な建造物が立ち並ぶ一画である。
寄合所というのも、平屋ではあるが規模としてはちょっとした公民館ぐらいはありそうであった。
ザッシュマがその扉を叩くと、刀を下げた武官らしき青年が姿を現した。
「ジェノスからのお客人でありますね? 皆様はすでにお待ちになられています」
その武官の青年の案内で、ぞろぞろと回廊を進んでいく。
突き当たりの扉で青年は足を止め、大きな声を張り上げた。
「お客人をお連れいたしました。失礼いたします」
中は非常に広々としており、ちょっとした会議室のような様相であった。
横長の卓といくつもの椅子が並べられており、その上座に2名の人物がこちらを向いて陣取っている。
「ダバッグにようこそ。お好きな席におかけください」
どちらも壮年の、西の民らしい風貌をした男たちであった。
片方はでっぷりと肥え太っており、もう片方は対照的に痩せ細っている。声をあげたのは、その肥え太っているほうだ。
太っているほうは商人風の布の装束で、痩せているほうはもっと上等な絹の装束である。
「わたくしがカロン牧場の商会を束ねております商会長のディゴラで、こちらはダバッグの外務官メイロス殿です。ジェノスからのお客人ということで、特別にご足労いただいたのですよ」
「このような早朝にありがとうございます。自分はジェノスの宿場町で店を開いている森辺の民で、ファの家のアスタと申します」
一同を代表して、俺が礼をしてみせる。
ふとっちょのディゴラはにこにこと愛想よく微笑んでおり、いささか神経質そうな目つきをしたメイロスはしかつめらしく俺たちの姿を見回している。外見と同様に気性も対照的なおふたりであるようだった。
「ジェノスの宿場町でギバの料理というものが評判になっていることは、わたくしどもも聞き及んでおります。その店主殿がダバッグに商売をもちかけたいというお話であったので、わたくしどもも非常に楽しみにしておりました」
「それは光栄です。みなさんのご厚意には大変感謝しています」
カロンの町ダバッグにギバの肉を持ち込むなんて、きっと彼らには得になりにくい話であろうと思われたので、ここまで好意的に迎えられたのは少なからず意外なことであった。
ともあれ、俺たちは何列かに分かれて着席させていただいた。
打ち合わせ通り、最前列には俺とアイ=ファとレイナ=ルウとザッシュマが陣取る。刀を下げたアイ=ファがそこに並んだことにメイロスはいくぶん眉をひそめたが、口に出しては何も言おうとしなかった。
「それで、いったいどのようなお話なのでしょうな。もしや、噂に名高いギバの肉を味わうことができるのでしょうか?」
「はい。本日はギバの干し肉と腸詰め肉を持参いたしました」
「ほう、腸詰め肉」とディゴラは興味深そうに身を乗り出す。
そちらに向かって、俺は手に持っていた革袋を示してみせた。
「昨日の内にお伝えした通り、よろしければ厨をお借りしたいと思います。もちろんこのままでも味を見てもらうことは可能ですが、調理したものと食べ比べていただいたほうが、より多くのことをお伝えできると思いますので」
「ええ、ご随意に。こちらも昨日お伝えした通り、軽い食事を作るていどの小さな厨しかご用意できませんが」
「はい、それで十分です」
「では、厨のほうにご案内を」
笑顔のディゴラに視線を向けられると、メイロスは無言のまま手を打った。
それに応じて現れたのは、さきほどの青年と同じ身なりをした武官である。
室内にはディゴラたち2名しか見当たらないが、それなりの数の護衛役を準備しているらしい。まあ、素性も確かでない一団を迎えるに当たっては、それが相応の配慮なのだろう。
予定通り、俺はアイ=ファとレイナ=ルウ、それに一列後ろに陣取っていたマイムとの4名でその場を離脱することにした。
アイ=ファは護衛役、レイナ=ルウは調理助手、そしてマイムはここだけの話、単なる見物人である。
「こちらです」
扉の向こうはまた回廊になっていたが、あちこち連れ回されることはなかった。出てすぐ向かいに扉があり、そこが厨の入口だったのだ。俺たちが厨を所望したため、そこから一番近いこの部屋が会見の場所に選ばれたのだろう。
入ってみると、6畳ていどのささやかな厨であり、真ん中には作業台、右手の壁際には石造りのかまどがふたつ、そして逆側の壁には調理器具の収められた棚が設置されていた。
そこから手頃な鉄鍋を選び、水瓶の水をたっぷりと移す。
その中に、俺は革袋から取り出した腸詰め肉を3本投じ、その間にもうひとつのかまどで平鍋を空のまま温めることにした。
「レイナ=ルウ、木皿の準備をよろしくね。マイムの分はあっという間に完成しちゃうだろうから」
すでに献立を知らされているレイナ=ルウは、7枚の平皿を作業台の上に並べてくれた。この内の2枚は、マイムのためのものである。
「本当に簡単な料理だから、マイムもあんまり期待しないでね?」
「はい! ……とは言っても、アスタの作るギバ料理というだけで期待は高まってしまうのですが」
マイムは尻尾を振る子犬のような様子で俺の手もとをうかがっていた。
本当に大した料理じゃないんだけどなあと思いながら、俺はまな板の上にギバのベーコンを置く。
干し肉は干し肉として普通に味を見てもらうとして、この苦心の作たるギバ・ベーコンも、俺はダバッグの人々に味わっていただきたかったのだった。
ブロック状のギバ・ベーコンから、肉切り刀で可能な限り薄く肉を削ぐ。
すると、入口のところに陣取った武官のほうを見つめていたアイ=ファが「おい」と小声で呼びかけてきた。
「ギバ肉の匂いを嗅いだら、猛烈に腹が減ってきた。私にも余った肉を食べさせるがいい」
「ええ? そりゃまあ、肉も食材も余分には持ってきているけど――」
俺がそのように言いかけると、レイナ=ルウまでもが恥らいながら袖を引いてくる。
「あの、それでしたら、わたしも味見をさせていただけませんか? 丸一日ギバを食べないというのは初めてのことであったので、何だか心のほうがギバ肉の食事を求めてしまっているのです」
「うーん、そういうことなら、まあしかたがないか……あの、よかったらあなたもいかがですか?」
見張り役の武官にも聞いてみたが、返事は「けっこうです」の一言であった。
こんな状況でつまみ食いをしようだなんて、何と礼儀のなっていない無作法者たちだろう、とでも思われてしまっただろうか。
しかし、そのような体面よりも森辺の同胞たちの心を満たすほうが重要であるように思えてならない俺なのであった。
それにまあ、マイムには最初から試食をしてもらう予定であったので、その人数が増えても無作法の度合いに変わりはないだろう。毒見役だとでも思っていただければ幸いだ。
ということで、俺はギバ・ベーコンを5枚分切り分けて、茹であげている腸詰め肉も2本追加することにした。
商談の相手が大人数であっても対応できるように、あらかじめ他の食材も十分に準備してきている。鉄鍋を温めている間に、俺は革袋から引っ張り出したティノを必要なだけ千切りにしておいた。
それが済んだら、ギバ・ベーコンの焼き上げだ。
部位はあばらの三枚肉なので、特に脂をひく必要はない。まだ腸詰め肉が茹で上がるには時間があったので、俺は大きな鉄鍋に3枚のギバ・ベーコンを投じてみせた。
じゅうっと小気味のいい音色が響き、芳しい香りが厨を満たし始める。
それだけで、まったく空腹でなかったはずの俺まで腹が鳴りそうになってしまった。
そんな気持ちをぐっとこらえつつ、パチパチと脂を弾かせるベーコンをひっくり返し、その上にひとつずつキミュスの卵を落としていく。
キミュスの卵は、やや小ぶりなだけで味や性質は鶏卵と大差がない。生食も許されているので、ここは俺の好みで半熟に仕上げさせていただくことにした。
ちなみに俺のいた世界の諸外国では、衛生面から卵の生食が許されない国も多いのだと聞いたことがある。目玉焼きを作る際でも、両面を焼いてしっかり火を通すのが常であるようなのだ。
とある欧米のボクシング映画では生卵をジョッキであおるシーンがあったように記憶しているのだが、あれはメイドインジャパンの鶏卵を使用していたのだろうか。
そんな埒もない想念にふけっている間に透明の卵白は白く焼きあがり、オレンジ色の卵黄もほどよく黄色に焼きあがってきた。
そうして卵に火が通ったら、『ギバ・ベーコンエッグ』の完成だ。
ベーコンを作製する過程で塩もピコの葉もたっぷり使われているので、これ以上の味つけは必要はない。こんなお手軽な料理もそうそうないだろう。
完成した料理を木べらですくいあげ、木皿の上にひとつずつ載せていく。
くしゅっと縮んだベーコンの上で、綺麗に焼きあげられた目玉焼きが燦然と光り輝いている。
べつだん予行練習が必要な料理でもなかったので、こいつを調理したのは実に数年ぶりのことであった。
見た目も香りも、実に美味そうだ。
「あはは。面白い見た目の料理ですね?」
楽しそうに笑いながら、マイムの瞳は期待に輝いている。
すでにベーコン単体は味見をしてもらっているが、火を通した料理はこれが初めてのはずである。
「さあ、召し上がれ。味が足りなかったら、こいつを掛けても美味しいと思うよ」
「これは何ですか?」
「腸詰め肉のほうで使う予定だったケチャップさ」
これは家で作ったものを小分けにして持ち込んだものであった。
ちなみにママリアの酢は、ウェルハイドから受け取ったバナーム産のものを使用している。
小さな壺からすくい取ったそいつを、俺は木匙で一杯すつ各自の皿に添えてあげた。
木串と木匙だけで器用にベーコンを切り分けて、各人が『ギバ・ベーコンエッグ』を口に運んでいく。
それを口にした瞬間、まずはマイムが「うわあ」と感嘆の声をあげた。
「このやわらかい燻製肉は、焼いたほうが断然美味しいですね! キミュスの卵ともとても相性がいいようです!」
「そうだろう? 俺としては焼く前提で作ったギバ・ベーコンだからね。火を通してこそ本領が発揮されるのさ」
ひと切れのベーコンとひとつの卵しか使っていないささやかな料理であるので、あっという間にそれは3名の胃袋に収められてしまった。
その3名の幸福そうな表情で、腹ではなく胸を満たされる俺である。
「でも、とても塩や香草の味が強いので、卵ばかりでなくフワノの生地や野菜なども欲しくなってしまいますね?」
「うん、腸詰め肉のほうでティノとポイタンを使うから、そっちの料理ではあえて使わなかったんだよね」
そんな言葉を交わしている間に、腸詰め肉も茹であがったようだった。
燻製にされてしおしおになっていた表面が、いくぶん元の丸みを取り戻している。そいつを湯の中から救出して水気を切ったら、千切りのティノとともに厚めのポイタンの生地ではさみこみ、ケチャップと、さらに水で溶いたマスタードのごとき香辛料サルファルを塗っていく。
言うまでもなく、こちらはホットドッグに見立てた料理であった。
そいつを一口かじったマイムは、さらなる喜色を小さな面に爆発させる。
「美味しいです! 腸詰め肉も、水で戻したほうが美味しく仕上がるのですね! 燻製した肉とは思えないような、とてもなめらかな歯触りです!」
「ありがとう。喜んでいただけたようで何よりだよ」
商談相手のためのベーコンを焼きあげながら、俺は笑顔を返してみせた。
レイナ=ルウはうっとりとしたお顔になっており、無表情のアイ=ファもその瞳には至極満足げな光を浮かべている。本当にアイ=ファたちはギバ肉の味に飢えていたようだ。
お仕事モードで厨の入口に立っていた武官も、さきほどから複雑そうな面持ちでこちらの様子をうかがっている。焼かれたベーコンの芳しい香りに食欲中枢を刺激されたのか、あるいはマイムたちの幸福そうな表情に心を動かされたのか――おそらくはその両方なのだろうな、と思えてしまう。それぐらい、マイムたちは美味しそうに俺の料理をたいらげてくれた。
「これを宿場町で売りに出したら、またすごい評判になるのではないですか? ぎばばーがーやぎばまんにも劣らない美味しさだと思います!」
「うん、だけどベーコンも腸詰め肉も干し肉と同じ値段で売り出さないと、ジェノスのお偉方に怒られちゃうかもしれないからさ。そうなると、とうてい宿場町で売りに出せるような値段に収まらないんだよね」
だからこそ、俺はこれらの食材が他の町での商品たりうるかどうかを見極めたく思っていたのだった。
他の町においても、携帯食料としての干し肉にそれほどの銅貨をはたく人間は少ないだろう。しかし、それが生鮮肉にも負けない美味しさを有しているならば、高級食材として扱ってもらえる可能性がある。
もとよりベーコンも腸詰め肉も大量生産は難しい存在であるので、一部の好事家と取り引きできれば、それで十分な成果なのだった。
で、取引先の大本命は、現時点でギバ肉に対して好意的な見解を示してくれているバナームのウェルハイドたちであるが、肉の権威たるダバッグの人々からどのような評価を得ることができるか、それをこれから確かめる心づもりなのである。
(それにやっぱり、ギバの肉や料理を売りに出してる俺たちは、ダバッグにとっての商売敵になっちゃうんだろうからな。遺恨を残さないように、筋を通しておきたいところだ)
そんなことを考えている間に、ディゴラたちのための『ギバ・ベーコンエッグ』も焼きあがった。
手の空いたレイナ=ルウは、せっせとホットドッグもどきをこしらえてくれている。
さらに素のままの干し肉とベーコンと腸詰め肉も別の木皿に盛り付けて、出陣の準備は整った。
「お待たせしました。完成です」
武官はうなずき、扉を開ける。
ダバッグにおける最後のひと仕事に向けて、俺たちはギバ料理を手にディゴラたちの待つ部屋へと戻った。