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異世界料理道  作者: EDA
第十七章 ダバッグ見聞録
301/1704

ダバッグ見聞録⑤~晩餐~

2016.3/3 更新分 1/1 ・2018.4/29 誤字を修正

「お待たせしましたあ。背中と腰の焼肉ですよお」


 白い湯気のたつ大きな木皿が、卓に2枚ずつどかりと置かれた。

 載せられているのは、実に芳しい香りを放つ、焼きたてのカロン肉である。


 直径30センチぐらいの大皿からはみだしてしまいそうなほどの巨大な一枚肉で、厚みも2センチほどはあり、なんとも豪快な見栄えであった。

 どちらが背中でどちらが腰の肉なのだろう。外見上に大きな違いは見当たらない。鉄板ではなく鉄網で焼かれたようで、表面には格子状に焼き色がついている。


 そうして人数分の木皿や木匙が配膳されるのを待ってから、ザッシュマは「さて」と備えつけの肉切り刀を取り上げた。


「森辺の民は、余所の家の人間と同じ皿をつつくのを禁じられてるって話だったよな? 最初に切り分けちまうから、適当に持っていってくれ」


「あ、よかったら俺が代わりましょうか?」


「いやいや、カロン肉だったら俺に任せておいてくれよ」


 ザッシュマはとても楽しそうな表情をしていたので、俺は切り分けられた肉を配分する役目を担うことにした。

 木串で肉をおさえながら、ザッシュマは巨大な一枚肉を2センチぐらいの幅で切り分けていく。言うだけあって、なかなかなめらかな刀さばきである。ダバッグ生まれは伊達ではない、ということなのだろう。


 切り分けられた肉を各人の木皿に移して、次々に回していく。その作業がちょうど完了したところで、また娘さんが大きな皿を手に近づいてきた。


「はい、こちらはフワノですよお。まだ熱々なので気をつけてくださいねえ」


 具なしのピザを思わせる丸い焼きフワノが、どっさりと積み上げられている。焼かれる前に練り込まれたのであろうカロン乳と乳脂の香りが、いっそう食欲を刺激してくれる。


「よし、それじゃあいただこうか」


 ザッシュマの声を合図に、俺たちは木串を取り上げた。

 が、そこでダン=ルティムがいくぶん残念そうな声をあげる。


「何だ、この肉は生焼けではないか」


「うん? ああ、こいつは新鮮な肉を使ってるっていう証だよ。昼間にも生の肉を味見しただろう?」


「ううむ。ギバの肉だったら生焼けなど許されんからなあ。このカロンとかいう獣の肉だって、よく焼いたほうが美味いのではないか?」


 ぼやきながらも、ダン=ルティムは巨大な肉片を一口で頬張ってしまった。

 そしてその肉を噛む内に、寄せられていた太い眉がゆっくりと開いていく。


「ふむ! しかしこの生焼けの肉は、なかなかの美味であるようだ」


 生焼けというか、それはミディアムレアぐらいの焼き加減であった。

 俺も大いに期待しながら、その肉を口に運ぶ。


 俺の口には大きすぎたので、3分の1ぐらいの分量でかじり取ったのだが、難なく噛み切れるぐらいやわらかな肉であった。

 表面の焼いた部分は香ばしく、内側の肉はジューシーだ。肉汁の量は申し分なく、脂はこってりと甘い感じがする。


 味はいくぶん塩気が強かった。

 それ以外は、ダイレクトな肉の味だ。

 かなり上等な牛肉のサーロインステーキを思わせる味わいである。


「味が足りなければ、こいつを塗るといい」


 と、ザッシュマが小さな壺を回してくる。

 その中には、刻んだ生のミャームーがどっさり詰め込まれていた。


 そいつをちょっぴりだけ肉の上に載せてみると、格段に味が跳ね上がった。

 欲を言えば俺がふだん作製しているステーキ用のソースでもまぶしてやりたいぐらいであったが、これだけでも十分に美味といえよう。


 もう片方の肉もかじってみると、そちらは脂が少ない代わりに、びっくりするぐらい肉のきめがこまかかった。

 ほとんど赤身なのに、さきほどの肉に劣らずやわらかい。さっぱりとしているのにとても豊かな風味を持つ、ランプ肉を思わせる味わいだ。


「ひょっとしたら、こちらの脂が少ないほうが腰の肉なのでしょうか?」


「ああ、腰というか、尻の肉だよ。毎日きちんと革鞭で叩いてやらないと、こんなにやわらかい尻の肉にはありつけないんだぜ?」


 その俗説の真偽はともかく、とても美味なる肉であった。

 隣の卓でも、マイムが「美味しいですね!」と大きな声をあげている。


「カロンは足肉しか口にしたことはありませんでしたが、背中や腰の肉というのはこれほど美味なものなのですね!」


「ああ、ジェノスの宿場町では足肉しか食えないもんなあ。こいつは倍の銅貨を払ってでも食いたくなる味だろう?」


「本当ですね。城下町の人たちが羨ましいです!」


 しかし、そちらの卓で満足そうな顔をしているのは、マイムとバルシャぐらいであるようだった。

 つまり、森辺の女衆らはのきなみ淡々と肉を噛んでいたわけである。


「何だ、お前さんたちは物足りなそうだな。やっぱりギバ肉が恋しいのか?」


 ザッシュマが問うと、一同を代表してレイナ=ルウが声をあげた。


「いえ、とりたてて不満があるわけではないのですが……塩とミャームーしか使っていないのが惜しいように感じられてしまいます。最初にピコの葉をまぶし、簡単なそーすを掛けるだけでも、ずいぶん違ってくると思うのですが」


「ああ、森辺の民は塩じゃなくピコの葉に肉を漬け込んでいるんだったな。確かにピコの葉もカロンには合いそうだ」


「はい。ですから、美味は美味なのですけれど、そういう部分が気になってしまって……それにやっぱり、わたしたちはギバの肉を食べなれているために、そちらのほうが口に合ってしまうのだと思います」


「何もそんなに申し訳なさそうな顔をする必要はない。俺だってきっと、塩気のないギバの肉を食べたら同じような気持ちになるんだろうからな」


 豪快に笑って、ザッシュマはぐびりと果実酒をあおった。


「しかし、これだけ上等なカロンの肉を食べても、べつだん感じるものはないということか。俺もちょっとばっかりギバの肉ってもんに興味がわいてきたよ」


 そう、実は警護役や連絡役としてたびたび俺たちの屋台を訪れていたザッシュマであったが、彼はまだギバの料理を一口たりとも口にしていなかったのである。

 西の民であるザッシュマはギバを忌避する気持ちが強いのかな、と当初は思っていたのだが、ひょっとしたらそれはカロンの肉をこよなく愛するゆえであったのかもしれない。


「確かにまあ、ギバのすてーきとどちらが美味いかと問われれば、俺も迷わずギバを選ぶだろう。森辺の民は森の恵みを喰らうべきなのだから、それは当然だ」


 そのように言いながら、ダン=ルティムも酒盃の果実酒を一口で飲み干す。


「それにこの果実酒もな。妙に甘ったるいし、酒精も弱い気がしてならん。こいつはいったい何の味なのだ?」


「こいつはラマムの果汁やカロンの乳清なんかで割られているんだよ。お気に召さないなら、お次は別の味にしてみるかい?」


「ほう、別の味があるというのなら、そいつは是非とも試してみたいものだ!」


「呆れたもんだねえ。もうひと瓶を空けちまったのかい? 薄められているとはいっても、7割がたは酒だろうにさ」


 笑いながら、バルシャは自分の酒盃を満たす。

 そして、シーラ=ルウの酒盃が空であることに気づき、そちらの土瓶を取り上げると、バルシャの目がきょとんと丸くなった。


「あれ、あんたももう飲み干しちまったのかい?」


「はい。森辺でいただく果実酒よりも酒精が弱かったのですね。どおりで飲みやすいと思いました」


 飲みやすいといっても、たぶんママリアの果実酒はワインと同じぐらいのアルコール度数である。果汁などで割られているとはいえ、1リットルぐらいの容量をもつ土瓶1本を空けているのに、シーラ=ルウはふだんと変わることなく穏やかに微笑んでいた。


「それじゃあ3本追加だな。おおい、今度はアロウで割った果実酒を3本持ってきてくれ!」


 ザッシュマが注文をしている間に、俺はフワノを食させていただいた。

 ポイタンよりももっちりとしており、そして水ではなくカロン乳と乳脂で仕上げられた焼きフワノは、実にミルキーな味わいであった。ホットケーキから砂糖と卵を抜いたようなものなので、いくぶんお菓子めいている。


「はあい、アロウ割りの果実酒、お待たせしましたあ。それに、野菜の乳漬けと乾酪の壺焼きでえす」


 と、新たな土瓶と大きな木皿、それに人数分の小さな壺が並べられていく。

 木皿には、何かねっとりとした白いものがまぶされた野菜が積まれていた。

 そして乾酪の壺焼きとは、なんと熱されて溶かされた乾酪そのものであった。


「この壺の中には蒸された野菜がぶち込まれてるんだよ。野菜の乳漬けってのは――まあ、説明するより食べてもらったほうが早いだろうな」


 こちらの卓では俺が、女衆の卓ではリミ=ルウが配分役を受け持ち、野菜の乳漬けなる料理を木皿に取り分けていく。


 野菜はアリアとティノとネェノンで、そこにまぶされているねっとりとした物体は、質感としてはヨーグルトに近いようであった。

 鼻を寄せてみると、ほのかに酸っぱそうな匂いも感じられる。

 これはジェノスの城下町でも見かけなかった食材だぞ、と俺はぞんぶんに好奇心をそそられつつ、まずはティノを口に運んでみた。


 やはり、ヨーグルトを思わせる酸味である。

 塩気もあるが、それ以上にカロン乳の甘さというかまろやかさが強い。なおかつ、焼肉の脂をすっきりと洗い流してくれるような、清涼なる風味であった。


 で、肝心の野菜のほうはというと、酸味と甘みと塩気がしみこんだ上で、しんなりとやわらかくなっている。

 これはまぎれもなく発酵食品であった。

 匂いはそんなにきつくないが、雰囲気としては、ぬか漬けに近い。ヨーグルトで作られた浅漬けというのが、俺の知る料理では一番近い味わいであるようだった。


「こいつはいちおう、ささやかながらもダバッグの名物料理でな。苦手な人間も多いだろうが、カロンの肉にはよく合うだろう?」


「いいですね。俺は好きな味です。いったいどうやったらカロンの乳をこのように加工できるのでしょうか?」


 その答えは、ザッシュマではなくミケルの口から語られることになった。


「こいつは搾ったカロンの乳を腸詰めにしたものだ。そうして腸詰めにされたカロンの乳は、酸味と粘り気が増した上で、腐りにくくなる。そうしてできあがったカロンの乳に、塩をもみこんだ野菜を漬け込んだ料理なのだろう」


「へえ! カロンの乳ってそんな使い方もできるんだ?」


 興味しんしんの笑顔で発言してから、マイムは「しまった」というように自分の口をふさぐ。

 が、しばらく父親の不機嫌そうな横顔を見つめていたかと思うと、やがておずおずとした様子で「……どの料理も美味しいね?」と言葉を続けた。


「そうだな」とミケルは低い声で言い、マイムは安心したように微笑む。

 俺などが下手に介入しなくとも、すでに親子喧嘩は終戦に差しかかっているのかもしれなかった。


「さ、壺焼きのほうも冷めない内に食っちまってくれよ? うかうかしてると、乾酪が固まっちまうからな」


 とりなすように、ザッシュマがまた大きな声をあげる。

 確かにこの乾酪の壺焼きという料理も、野菜の乳漬けに劣らず興味深い料理であった。


 人間の拳がすっぽり入るていどの壺に、とろけた乾酪がなみなみと注がれている。ギャマほどではないにせよカロンの乾酪だってそれなりに高級な食材であるはずだから、これは宿場の料理としてはかなり上等なものであるに違いない。


 で、その正体は、まさしく溶かした乾酪に蒸した野菜をぶち込んだだけのものであった。

 野菜は乳漬けと同じくアリアとネェノンとティノの3種で、要するに、最初から具材を投入してあるチーズフォンデュみたいなものである。


 お味のほうは、申し分ない。それに、ここまで時間が経ってもまだとろとろの半液状を保っているということは、微量なれど乾酪以外の食材も使われているのであろうと思われる。

 問うてみると、ザッシュマは同じ料理を口にしながら「どうだろうな」と首を傾げた。


「普通はフワノの粉や乳清なんかが使われてるんだろうと思うが、俺もそこまで詳しくは知らんよ。こんな贅沢な料理を牧場で作ることはなかったからなあ」


「乳清というのは何なのですか? さっき果実酒にも混ぜられていると言っていたようですが」


「乳清ってのは、乾酪を作るときに出る水っ気のことだよ。貴族のお姫様なんかは、乳脂や乳清を肌に塗りこんでいるらしいぜ?」


 ならばそれは、いわゆるホエーというやつか。

 チーズ作りに関しては俺もそこまで詳しくはないのだが、たしかヨーグルトから分離される水分もそれと同質のものであったはずだ。


「カロンの乳というものには色々な使い方が存在するのですね。なんだかとても興味深いです」


 そのように述べたのはレイナ=ルウであった。

 シーラ=ルウやトゥール=ディンは感心したように、リミ=ルウは実ににこやかな様子で2種の野菜料理をついばんでいる。

 どうやらシンプルなカロン肉のステーキよりも、こちらのほうが森辺のかまど番たちの興味をひきつけたらしい。


 そんな中、足肉の煮込み料理も届けられた。

 四角く一口大に切られたカロンの足肉が、白い乳で煮込まれている。汁物ではなく煮付けであるが、俺が《キミュスの尻尾亭》で考案した足肉の乳スープとそれほど大差のない料理である。


 食べてみると、これがまた美味かった。

 筋張っていて脂身も少ない足肉であるが、しっかりと煮込まれてやわらかくなっている。それにたぶん俺と同様に、下ごしらえでしばらく肉を乳に漬け込んであるのではないだろうか。俺の作る足肉の汁物料理と遜色のないやわらかさだ。


 で、煮汁には足肉の出汁がしっかりと出ており、乳の甘さやまろやかさといい具合にからみあっている。その他に感じるのはやはり塩気と、それにほのかな野菜の旨みであった。


「これは、アリアとネェノンが使われているようだな」


 対面のミケルがぽつりとつぶやく。


「形はまったく残っていないが、こまかく刻んだ上で、溶けてなくなるまで煮込まれているのだろう。手間を惜しまない、いい料理だ」


「そうですね。欲を言えば、もうひと押しだけ味を重ねると理想的な気もしてしまいますが」


 俺がそのように相づちを打つと、ミケルの光の強い目が真正面から俺を見てきた。


「アスタ、お前ならこの料理に何を足す?」


「俺ですか? 俺なら、まずはピコの葉ですね」


「ピコの葉か」とミケルは角ばった顎を考え深げに撫で回す。


「お前の作る料理の多くにはピコの葉が使われている。手近にあるからというだけの理由ではなく、それがお前の作法であるようだな」


「はい。俺の故郷では、塩と同じぐらいピコの葉に似た香辛料が味の土台として使われていたのですよ」


「ふん。確かにまあ、ピコの葉を入れるだけでも、この料理は格段に味が引き締まるだろう。なんなら、生の葉を一枚沈めておくだけでも十分なぐらいかもしれんな」


「……ミケルだったら、何の食材を足しますか?」


 俺が尋ねると、ミケルは仏頂面で口をつぐんでしまった。

 そして、その目が横目で愛娘のほうに向けられる。

 リミ=ルウやトゥール=ディンらと談笑しながら料理をついばんでいるマイムに、俺は同じ問いを発してみた。


「この料理に、もうひと味ですか? そうですね。わたしだったらキミュスの骨がらを一緒に煮込むと思います」


「キミュスの骨がらか。なるほどね。俺も高価な魚や海草の干物ばかりに頼るんじゃなく、もっと骨がらを活用しないとなあ」


「アスタ、その点に関して、ひとつ考えついたことがあるのですが」


 と、遠い位置からシーラ=ルウが呼びかけてくる。


「ルウの集落でもミケルの教えに従って、干し肉を作るのに長い時間をかけるようになりました。その時間を利用して、ギバの骨がらを煮込んでみてはどうでしょうか?」


「なるほど。どうせ火の番でその場を動けないなら、同時進行で別の仕事をこなしてしまおうという考えですか。いいですね、それ」


 それならば、前々からチャレンジしてみたかったギバ骨スープの研究に取り組めるかもしれない。

 圧力鍋というものが存在しない以上、本格的な骨がらのスープを作製するには、とにかくひたすら煮込み続けなくてはならないのだ。俺にはそこまでの時間を捻出することもかなわないが、燻製肉の作製を受け持ってくれるスドラやフォウの人々にその役割を担ってもらうことができれば、希望の道が開けるかもしれない。


「いや、本当にそれは素晴らしい考えです。俺もちょっと近所の氏族の人たちと相談してみますよ」


「はい」とシーラ=ルウはひそやかに微笑んだ。

 どれだけアルコールを摂取しても、彼女の聡明さにはまったく曇りもないようだ。


「さすがは料理人の集まりだな。ますますお前さんたちの作る料理に興味がわいてきちまったよ」


 と、だいぶん顔の赤くなってきたザッシュマが陽気に言う。


「さて、あらかた料理も片付いたようだが、まだまだ満腹にはほど遠いだろう? 次はどんな料理を味わってもらおうかね」


「ザッシュマよ、カロンにもあばら肉というものが存在するならば、俺はそいつを味見してみたいのだが!」


「わたしはなるべく多くの食材を使った料理を食してみたいのですが」


 ダン=ルティムとレイナ=ルウの要望に、ザッシュマは「ふむ」と考え込む。


「それじゃあ、あばら肉の焼物と、あとは汁物でも頼んでみるか。銅貨の心配なく料理を頼めるってのは楽しいもんだ」


 そうして運ばれてきたあばら肉は茎のままのミャームーと一緒に乳脂で炒められており、汁物は臓物を使ったカロン乳のスープであった。


 あばら肉は文句なしの美味しさであり、スープのほうもそれなりに手が込んでいた。野菜はやっぱりアリアとティノとネェノンの3種で、スープの土台はおなじみのカロン乳であったが、キミュスの卵やマルの塩漬けなどもぶちこまれており、なかなかひとかたならぬ味わいを生み出していたのである。


 調味料は塩しか使われていないし、ミャームー以外には香草も使われていない。それでいて、味に一本筋が通っているように感じられるのは、やっぱりカロンの出汁の恩恵なのか、あるいはここでも乳清が使用されているのか。


 何にせよ、城下町における試食会ではたびたび不満の声をもらす森辺の民たちも、今宵の晩餐においては実に和やかに食を進めていた。

 複雑さとは縁遠い、それでいてジェノスではちょっとお目にかかれないカロン尽くしの献立に、みんなそれなりに満足している様子である。無表情に黙々と食べ続けているだけのアイ=ファやディム=ルティムも、いやいや完食をしている様子では決してない。


「どうだい、ご満足いただけたかな?」


 ザッシュマが問うと、レイナ=ルウは「はい」と静かにうなずいた。


「ジェノスの宿場町でも美味なる料理を作れる人間が増えてきましたが、それはさまざまな食材が使えるようになったゆえなのだろうと思います。タウ油や香草を使わずにここまで美味なる料理を作ることができるというのは、きっと生半可なことではないのでしょう」


「ああ、最近はジェノスの宿場町でも城下町なみに色々な食材を扱えるようになってきたらしいな。……しかしジェノスの連中は、香草やら調味料やらをどかどか放り込みすぎるきらいがある。あれじゃあせっかくのカロン肉も台無しだよ」


「ええ、わたしもそのように思います。……ヴァルカスという料理人の作る料理は除いての話ですが」


 つまり、ヤンやティマロの作る料理よりは、こちらのダバッグ料理のほうがレイナ=ルウの好みに合致した、ということなのだろう。

 なおかつ、最近ではナウディスやネイルが美味なる料理をお披露目し始めているが、それはジャガルやシムの食材があってのことなのだろう、と。


 大筋として、俺にも異論はない。


「きっとこのダバッグでは、カロンにまつわる食材を扱う技術がひたすら練りあげられてきたんだろうね。しかも、これだけ上等な肉をふんだんに使えるものだから、複雑な味付けが求められることもなかったのかもしれない」


「はい。使われているのはカロンの肉とその乳ばかりで、調味料どころか野菜の数さえそれほど多くはないのですからね。限られた食材で、いかに美味なる料理を作ることができるか練磨する――それはミケルやマイムにも通ずる作法であるように思えます」


 そう言って、レイナ=ルウはミケルのほうに視線を転じたが、ぶっきらぼうなるかつての名料理人はカロンの肉を食みながら無言であった。

 その代わりに、レイナ=ルウの正面にいたマイムが元気いっぱいの声をあげる。


「ジェノスでは城下町でしか胴体の肉を買うことはできませんけど、カロンの乳だったら好きなだけ手に入るのですよね? 家に戻ったら、わたしもぜひカロンの乳を使ってみたいと思います!」


「そうですね。ルウの家でも、またカロンの乳を買うべきなのかもしれません」


 レイナ=ルウとマイムが直接言葉を交わすのは珍しいことであった。

 しかし、マイムはもちろんレイナ=ルウのほうにも気負いは感じられない。むしろ、マイムの隣に座っているトゥール=ディンのほうが、ひどく真摯な眼差しで同年代の好敵手たる少女の横顔を見つめているように感じられた。


 アイ=ファのかたわらにあるリミ=ルウはふだん通りの無邪気な様子であるが、シーラ=ルウも真剣な面持ちで汁物料理をすすっている。

 俺以外のかまど番も、それぞれぞんぶんにダバッグの食文化を堪能できたようだ。


(無理を言ってダバッグにまで出向いてきた甲斐があったな。森辺に帰ったら、あらためてドンダ=ルウにお礼を言っておこう)


 俺がそのように考えていると、隣のダン=ルティムが笑いながら大声をあげた。


「本当にお前さんたちは小難しい話が好きなのだな! 俺は美味い食事と酒にありつければそれで十分だ! ……さ、ザッシュマよ、そろそろ酒が尽きてしまいそうだぞ?」


「それじゃあお次は干しキキ汁の酒でも試してもらおうか」


 ザッシュマも笑顔で食堂の娘さんを呼びつける。

 すると、それと一緒にどやどやと近づいてくる一団があった。

 新たに入店してきた5名ばかりの男たちが、俺たちの隣の卓に案内されてきたのだ。


「お、隣は別嬪ぞろいだな。こいつはいい席だ」


 すでに酒が回っているらしく、男のひとりが大声でそのように述べてきた。

 腰には刀を下げている、いくぶん柄の悪い面々である。ジェノスの宿場町では珍しくもないが、このダバッグではあまり目にすることのなかった、荒くれ者の一団だ。


 いくぶん怯み気味の表情であった娘さんは、ザッシュマからの注文を受けると飛ぶような勢いで駆け戻っていってしまった。

 それを尻目に、男のひとりが女衆の卓のほうに身を乗り出してくる。


「女ばかりで酒盛りかい? ちょうどこっちは野郎ばかりで色気が足りてなかったんだ。よければ一緒に酒盃を交わそうじゃねえか?」


「悪いな、その女衆らはこっちの連れなんだよ」


 陽気な笑顔のまま、ザッシュマが掣肘の声をあげる。

 すると、ひときわ人相の悪い男が「ああ?」と眉根にしわを寄せた。


「何だ、狩人の一団か? このダバッグでカロン以外の肉なんざ売れるわけねえだろうがよ?」


「こちらの方々は狩人としてではなく、旅の護衛役として同行されているんだよ。あんまりはしゃぐとおっかない目を見ることになるぜ?」


 ザッシュマは、気安い態度を見せることで、空気を軟化させようとしたのかもしれない。

 しかし、男たちの放つ不穏な空気に変化は訪れなかった。


「どこの田舎から出てきたのか知らねえが、狩人だったら山ん中で土まみれになってるのがお似合いだぜ? 乾酪の壺焼きなんて過ぎたご馳走だ」


「ははん。俺はダバッグの生まれだけど、ここだって辺境中の辺境じゃないか? いいからダバッグ自慢のカロン料理で腹を満たしなよ、お兄さんがた」


「……待てよ、こいつら、森辺の民なんじゃねえか?」


 と、頬に傷のあるげっ歯類みたいな顔つきの小男が悪意のしたたる声でそのように言った。


「そら、そいつらが着込んでるのはギバの毛皮だし、肌の色だって妙に浅黒い。ついにジェノスの外にまで顔を出すようになったのかよ、こいつらは」


「へえ、ギバ喰いの森辺の民か。森辺の民なんざ半分獣の蛮族だって聞いてたのに、女はやたらと色っぽいんだな」


 いよいよ不穏な空気は高まっていくが、少しでもそれに心を乱されているのは、俺とマイムぐらいのものであった。

 リミ=ルウはきょとんとしているし、それ以外の女衆は平然と食事を続けている。無頼漢にからまれるのはなれっこの森辺の女衆なのである。


 しかし、そうしたふるまいがいっそう男たちの嗜虐心を駆り立ててしまったのだろう。頬に傷のある小男が、ついに席を立って女衆らに接近し始めた。


「おい、手前らはちょっと前まで野盗の真似事をしてたんだろうがよ? そんな罪人がよく余所の町にまで出張ってこれるもんだなあ?」


「罪人はすべて裁かれました。ジェノスの城からその旨は通達されているはずですが」


 小男のほうを見ようともしないまま、レイナ=ルウが穏やかな声で言葉を返す。

 とたんに小男の顔は、アルコール以外の理由で赤らんだ。


「ずいぶんなめた口をきく小娘だな? そんなに銅貨を稼ぎたいなら、俺たちがいい仕事を紹介してやろうか?」


「あ、あの、どうかされましたか、お客様?」


 と、店の主人が慌てふためいた様子で飛んでくる。

 どうやら給仕の娘さんが不穏な空気を感じ取って呼びつけたらしい。

 小男の背後でふんぞりかえっていた大男が、そちらに「うるせえな」と怒声をあびせた。


「いいから俺たちにも酒を持ってこいよ。いつまで客を待たせやがる気だ?」


「は、はい、ですが、他のお客様のご迷惑になりますので、その……」


「いったい何が迷惑だってんだ!? 手前は黙って酒を持ってくりゃいいんだよ!」


 大男が、空いていた椅子をおもいきり蹴り倒した。

 主人は「うひい」と後ずさってしまう。

 どうやら、荒くれ者を扱うスキルは俺以上に持ち合わせていない様子である。

 他の卓で食事を楽しんでいた人々も、ざわつきながらこちらの様子に見入っている。


「我々にとって、晩餐というのはその日の生命を得る神聖な行為なのだ。その場を乱されるのは迷惑以外の何物でもない」


 と――鋼のように鋭く冷たい声が、その場の空気を両断した。

 レイナ=ルウのななめ向かいに座していた、アイ=ファである。

 小男の濁った目が、せわしなくそちらに向けられる。


「はん、女だてらに狩人気取りか? そっちもずいぶんな別嬪じゃねえか?」


「…………」


「だったら手前に相手をしてもらおうか。その小汚え毛皮を剥いじまえば、手前だって――」


 と、小男の手がアイ=ファのほうにのばされる。

 その指先がアイ=ファの肩に触れかけた瞬間、小男の姿が俺の視界からかき消えた。

 アイ=ファに手首をつかまれて、小男はあっけなく床の上に引き倒されてしまったのだ。


「手前!」と大男が立ち上がる。

 その手が腰の刀にのばされるのを見て、アイ=ファは座したまま右足を振り上げた。

 みぞおちをまともに蹴り抜かれて、大男も床にへたりこむ。


 それと同時に、何かの砕け散る音色が響きわたった。

 バルシャの投じた果実酒の土瓶が、別の男の眉間に命中したのだ。

 卓の横に崩れ落ちた男の手には、抜き身の短刀が握りしめられていた。


「食事の場で刀を抜くなんて野暮だねえ。それに、このダバッグでだって刀を抜くのは法に触れるはずだったよね?」


 残された2名の男たちは、顔色を赤から青へと変じてわなわなと震え始めた。


「さあ、最後のひとりがぶっ倒れるまで続けるかい? あたしらは、静かに食事を続けたいだけなんだけどねえ」


「まったくだ。ダバッグには不似合いな無粋者だな、お前さんたちは」


 と、ザッシュマも不敵に笑いながら声をあげる。


「お前さんたち、きっちり面通しをしてダバッグに足を踏み入れたんだろうなあ? そうじゃないなら、衛兵が来る前に店を出ていかないと、かなり面倒なことになると思うぜ?」


 よろよろと立ち上がった小男が、火のような目でザッシュマとアイ=ファの姿を見比べる。

 が、何も言葉を返そうとはせず、そのまま他の客を突き飛ばして、店を出ていってしまう。残りの男たちも、傷ついた仲間に肩を貸してその後を追うことになった。


「やっぱりあいつら、柵を乗り越えて侵入してきた無法者だな。この場で叩きのめして衛兵に突き出したほうがよかったかね?」


 ザッシュマがそのように言いながら店の主人を振り返ると、「滅相もありません!」という悲鳴まじりの声が返ってきた。


「もしもすねに傷を持つ者たちならば、このままダバッグの外に逃げていくことでしょう。刃傷沙汰にならず何よりでありました」


「俺たちは、このまま宿を利用させてもらってかまわないのかね?」


「もちろんです! いちおう衛兵にはあの者たちの風体を告げておきますので、どうぞご安心しておくつろぎください」


 ご主人はあたふたと駆け去っていき、緊迫していた店内の空気もようやく最前までの落ち着きを取り戻す。


「やれやれ、とんだ邪魔が入っちまったな。……それにしても、噂にたがわぬ力量だな、森辺の狩人ってのは。ぴくりとも動かないあんたたちにも驚かされたけどよ」


「うむ? それは俺たちのことか?」


 と、壺の中身を木匙でさらっていたダン=ルティムがきょとんとした様子で振り返る。


「こちらは席が遠かったからな! どうせ俺が立ち上がる前にことは済んでしまうだろうから、余計な手間ははぶかせていただいたのだ」


「たいしたもんだ。これなら俺は最後まで案内役に徹せられそうだよ」


 そう言って、ザッシュマは愉快そうに酒盃の果実酒を飲み干したのだった。

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[気になる点] 誤字を見つけました。 「はい。森辺でいただく果実酒よりも酒精が弱かったのですね。どおりで飲みやすいと思いました」 →どうりで
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