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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
3/1652

②ギバ狩りの少女

2014.9/20 一部、人物描写の文章を改正。ストーリー上の変更はありません。

2014.10/2 一部、人物描写の文章を改正。ストーリー上の変更はありません。

2015.2/4 「後書き」の文章を削除いたしました。

「さて。お前はいったい何者なのだ?」


 ぬらりと光る蛮刀が、俺の鼻先に突きつけられる。

 こいつはなかなかの業物だ。

 刃渡りはおよそ80センチ、身幅はおよそ10センチ。(なた)をそのまま刀剣に仕上げたような肉厚の作りをしており、それでいて刃先はしっかりと研ぎすまされている。これならどんな獲物でも、肉ごと骨を断つことが可能だろう。

 なんて、そんなことに感心している場合でもない。


「な、何だよ? いきなり物騒なご挨拶だな! 落とし穴のことは謝るって!」


「やかましい。とっとと質問に答えろ」


 娘は、落ち着きはらっていた。

 その冷静さが、逆におっかない。

 俺は溜息をつきながら、刃の先端と娘の顔を見比べる。


「その前に。ここはいったい何処なんだ? 何だか、あの世っていう雰囲気でもなさそうだけど……」


「ここは、モルガの山の麓にある、森辺だ」


「……モルガの山?」


「西の王国セルヴァの版図。地方領主ジェノスの治める地だ。……お前は、どこから来た?」


 何だか、さっぱりわからない。

 だけどここは、正直に答えるしかないだろう。


「俺が生まれたのは日本という国だ。日本の千葉県。わかるかな?」


「にほん……ちばけん……?」


 わからないだろう。わかるはずがない。

 たぶんここは、「日本」などという国とはあらゆる意味で関わりのない世界なのだ。


 俺のいた世界のイノシシには角なんて生えてなかったし。

 俺のいた世界の女の子は、こんな巨大な蛮刀を持ち歩いたりしない。


 それに――その娘さんは、俺がこれまでに見たこともないような風体をしていた。


 肌の色は、浅黒い。チョコレートのような褐色だ。

 にも関わらず、髪の色はくすんだ金色である。

 それでもって、瞳は深い青色だ。


 その金褐色の髪の毛はずいぶん長いようだったが、革紐を使って奇妙なかたちに結いあげられており、青い瞳は、薄闇の中で強く鋭く光っている。


 顔立ち自体は、ずいぶん端整である。

 ちょっと吊りあがり気味の山猫みたいな目に、細くて筋の通った鼻、桜色をした小さな唇――頬のあたりの線がやわらかくて、顔立ち自体は少し幼げに見えるぐらいかもしれない。実際の年齢だって、俺とそんなに変わらないぐらいだろう。


 まあ、けっこうなレベルの美人さんである。

 美少女と評してもいいぐらいだ。

 個人的には、褐色の肌にピンク色の唇というのが、とてつもなく色っぽくも感じられてしまう。


 しかし、その格好は何なのだろう。

 黒褐色の分厚い毛皮のマントを肩からまといつけており、その下には――胸もとと腰のあたりに、綺麗な色合いをした布地を巻きつけているのみ、だ。

 複雑な紋様が編みこまれた綺麗な布地で、見窄らしい感じはまったくしなかったが、こいつはちょいと刺激が強すぎる。


 その他には、白い角だか牙だかを連ねた首飾りを何重にも垂らしていたり、木の実をつなぎあわせたようなブレスレットをしていたり、革鞘に収められた小刀をくびれた腰に下げていたり、というぐらいで、とてもなめらかな褐色の肌が惜しげもなくさらけだされてしまっている。

 あと、足首から先に革のベルトみたいなものを巻きつけているが、きっとこれは履物の類いなのだろう。


 しかし、そのように魅力的かつ露出過多な女の子を前にして、俺の胸に去来するのは、(何だか、すげえド迫力だなあ……)という思いだった。


 顔立ちはとても可愛らしいのに、表情はとても猛々しい。

 その瞳は本物の山猫みたいに燃えあがり、可憐な唇はぎゅっと厳しく引き結ばれている。


 女の子にしてはすらりと背の高いほうではあるが、骨格なんかは華奢に見えるぐらいである。

 しかしそれでも、柔弱な印象は一切ない。


 そのむきだしになった腕や足、肩やお腹のあたりなんかは革鞭のように引き締まっており、無駄肉の一片も見当たらないし、それに、これまでの過酷な生活を示すかのように白い傷跡があちこちに刻みこまれている。


 科学文明の徒と化した現代人にはありえない、原初の生命力とでも言うべき力強さをみなぎらせた少女なのである。


(それにしても――)


 この匂いは、いったい何なのだろう?


 その不思議な少女と相対した瞬間から、俺はそんな疑念にもとらわれていた。


 何だか、ものすごく複雑な香りだ。


 熟しすぎた果実のように、甘い匂い。

 これから咲こうとする花のつぼみみたいに、ひそやかな匂い。

 乾燥させた香草のように、清涼で落ち着いた匂い。

 強めの香辛料みたいに、ちょっと暴力的な匂い。

 そして、強烈な旨みをふくんだ、動物の肉と脂の匂い。


 それらの匂いが複雑にもつれあって、さっきから俺の鼻腔を刺激してくるのだ。

 自慢ではないが、幼少時より料理人の見習いとして働かされていた俺は、人並み以上の嗅覚を持ち合わせてしまっているのである。


 何にせよ、えらく食欲を刺激される匂いだな……などと考えたら、まるでその思いに肉体が呼応したかのごとく、俺の腹が「ぐう」と鳴ってしまった。


 娘のかざした刀の刃先が、少し動揺したように、ゆらぐ。


「何だ。どういうつもりだ、お前は?」


「いや、どういうつもりって……腹が減ってきただけだよ」


 さらに、「ぎゅるる」と胃袋がわめく。

 これはなかなかに格好がつかない。


 娘の形のいい眉が、かなり険悪な感じに吊りあがってきた。


「おい、ふざけるな。私を馬鹿にしているのか?」


「ふざけてねえよ。生理現象なんだからしかたないだろ? お前がやたらと美味そうな匂いをプンプンさせてるもんだから、俺の胃袋が反応しちまっただけだよ」


「何のことだ? 私は食糧など持っていないし、今日だってお前のせいで収穫ゼロだ」


「ああ、だから、落とし穴を台無しにしちまったことは謝るけど……」


 語尾に、「ぎゅごわー!」という腹の音が重なってしまった。

 鳴りすぎだろ、俺の腹。


 ああ、いかん。娘さんのお顔がどんどん険悪な感じにひきつっていき、その肩がぷるぷると震え始めてきてしまった。

 まさか、こんな阿呆な理由で俺は二度目の死を迎え入れる結末になってしまうのだろうか。


「とりあえず、お前さんの縄張りを荒らすつもりなんて、これっぽっちもなかったんだよ。何が何だかわからないまま、こんな場所に放り出されて、俺も困ってたとこなんだ。文句があるなら、すぐに出ていくから……」

「ぎゅぐるぐるぐる!」


 駄目かな、これは。

 どんなに真心をこめて謝罪を申し上げたところで、片っ端から腹の音にぶちこわされてしまう。


 と――娘が急に、そっぽを向いた。

 右手の刀で俺を威嚇したまま、左の手の平で口もとを押さえている。

 肩の震えは、激しさを増すばかりだ。


「……どうしたんだ?」

「ぐぎゅるる?」


 刀の切っ先が、地面に落ちた。

 娘の顔が、真っ赤になっている。


「おい? 身体の具合でも悪いのかよ?」

「ぐぎゅる? ぐぎゅるぎゅる?」


「ぷっ」と、おかしな声音がもれた。

 娘さんの目が、うっすらと涙をためながら、俺を見る。


「もういい……喋るな……」


 何だか、声まで弱々しい。

 俺はますます心配になってしまう。


「いや、喋るなって言われてもさ……」

「ぎゅる。ぐぎゅるぐぎゅるぎゅるぎゅる」


 娘は、刀を杖にしながら、その場にへたりこんでしまった。

 そして、「ぷははははっ!」と大笑いし始める。


 ああ、笑うとまた抜群に可愛くなるな、この娘さんは。

 というか、笑いをこらえていただけなのかよ。


 そうしてひとしきり大笑いした後、娘は涙をぬぐいながら立ち上がり、あらためて蛮刀を俺に突きつけてきた。


 そして、一言。

「……殺す」


「何でだよ!」


 俺は地面にへたりこんだまま、あわてて後ずさる。

 しかし、俺の背後には今登ってきたばかりの落とし穴が口を開けて待っているのだ。

 鼻先に、鋼の切っ先がじりじり近づいてくる。


「こんな恥をかかされたのは生まれて初めてだ。……絶対に殺す」


 その顔は、夜目にもはっきりわかるほど、真っ赤なままだった。

 羞恥心? これぞツンデレの真骨頂? いや違うだろ!

 何でもいいけど、こんなことで殺されてはたまらない。

 ついに穴の縁まで手がかかったところで、俺はホールド・アップの体勢を取った。


「俺の無作法な胃袋がお前の自尊心をいたく傷つけてしまったのなら、謝ろう! すべては腹ぺこなのがいけないんだ! そういえば、今日は昼から何も食べてなかったし!」


「…………」


「俺は本当に困ってるんだよ! ここがどういう場所なのか、どうして俺がこんな場所に来ちまったのか、何が何だかわからないことだらけなんだ! この土地の常識や決まりごともわからないし、この先どうやって生きていけばいいのかもわからない! これでお前に殺されちまったら、俺はいったい何のために……」


 俺はいったい何のために、生命をかけてまで、炎の中に飛びこんだのだ?


 そう考えたら、とたんに咽喉が詰まって、喋ることができなくなってしまった。


 しかたないので、娘の瞳を一心に見つめ返す。


 娘の、深い青色の瞳には、何か不可解な生き物でも見るような光が浮かんでいた。


「……お前の言っていることは、さっぱりわからない」


 刀の切っ先が、少しだけ下がる。


「お前は、石の都の住人ではないのか?」


「石の都? さっきも言ったけど、俺の故郷は日本ていう国だよ」


「……そんな名前の国は知らない。とりあえず、西の王国の民ではないのだな」


 そう言って、娘はようやく刀を降ろした。

 しかし、その目に浮かんだ不審と猜疑の光は消えていない。

 ただ……その険悪な眼光の向こうに、何か複雑にもつれあう感情のゆらめきみたいなものが感じられた。


「……もう少し、お前の話を聞かせてもらう」


 と、娘は低い声で言った。


「私の住処に来い。それが嫌なら、ここで殺して、埋めていく」


「……俺みたいに得体の知れない人間を、自分の家にお招きしてくれるってのか?」


「夜が近いのだ。この場でこれ以上お前と問答している猶予はない。……火の準備もなく森で夜を迎えたら、死ぬぞ」


 足もとに落ちていた革鞘を拾いあげて、巨大な蛮刀をそこに収める。その凛とした姿を見やりながら、俺は地面に手をついて立ち上がった。


「わかった。そっちの指示に従うよ。……そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は、津留見明日太ってもんだ」


「とぅる……みゃーすた?」


「いや。津留見明日太」


「ちゅるみゅぁすた……」


 可愛いじゃないかこの野郎。

 本人はいたって真面目な顔をしているのが、また可愛い。


「うん。呼びにくかったら、明日太でいいよ。お前の名前は何ていうんだ?」


「……アイ=ファ」


 低い声で言い捨てて、くるりと俺に背を向ける。


 非常にすらりとはしているが、さすがに俺より長身というわけでもない。せいぜい167、8センチといったところだろう。


 そんな人並みの身長で、こんなにほっそりしているのに、どうしてあんな馬鹿でかい刀を片腕で扱うことができるのか。筋肉の質も骨の密度も、俺の知る人種とは芯から出来が違うのかもしれない。


 などと呑気にそのようなことを考察していたら、じろりと横目でにらまれてしまった。


「何をしている。お前は足を傷めているのだろう。私の肩につかまれ」


「え。いいのか?」


「時が惜しい。とっととつかまれ」


 さすがにちょっと気が引けるなあと思いつつ、俺はアイ=ファの右肩に右腕を回した。

 とたんに、肘鉄砲がみぞおちに飛んでくる。


「誰が腕を回せと言ったか。私は肩につかまれと言ったのだ」


「うぐえ……ああ、そういうことかよ」


 俺はみぞおちをさすりつつ、右手の指先で、アイ=ファの左肩をつかむ。

 もとから大した怪我ではないのだし、歩行の補助など確かにこれでも十分だ。

 どちらにせよ、この娘さんは分厚い毛皮のマントなどを着込んでいるので、俺の手にはそのごわごわとした感触しか伝わってこない。


「……お前が胸もとに隠しているそれは、刀か」


「え?」


 俺は、ギクリと立ちすくむ。

 腕を回そうとした際に、俺の胸もとが軽く背中に触れたのだが。こんな分厚いマントごしに、そんなことがわかるものなのか?

 みぞおちに肘を入れられるより、そっちのほうがよっぽど怖かった。


「い、今の一瞬でよくわかったな? もちろんお前に危害を加えようなんていう気持ちはないから、心配しないでくれ」


「どうして私が心配しなくてはならないのだ? 切りつけたいのなら、勝手に切りつけろ」


 ななめ後ろにたたずむ俺に、とても冷ややかな横顔を見せながら、アイ=ファのやつはそう言い捨てた。


「その時には、お前の刀より速く私の刀がお前の咽喉笛をかき切るだけだ。嘘だと思うなら、いつでも試してみるがいいぞ。……アスタ」

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