ダバッグ見聞録③~見学~
2016.3/1 更新分 1/1 ・2018.4/29 誤字を修正
「このアルマってのは、故郷を出奔した俺の代わりに牧場を継いでくれることになった妹婿なんだよ」
牧場へと続く道を歩みながら、ザッシュマはそのように説明してくれた。
「牧場の主ともなれば、金勘定しか頭にない商会の取り仕切り役ともやりあわないといけないからな。頑固親父がとっとと身を引いてこのアルマにすべてを任せちまえば、この牧場も安泰だろうさ」
「よく言うよ。俺はお前さんほどなめらかに動く舌を持っちゃあいないぜ?」
「これは故郷をほっぽりだした後に身につけた処世術だ。俺なんかが跡を継いでたら、この牧場もどうなってたかわからねえよ」
見る限り、ザッシュマとアルマの間には何の確執も存在しないようだった。
四十路になるならずのむくつけき男性2名が、和気あいあいと言葉を交わしている。なんとも和やかな光景である。
「さ、ここが放牧場の入口だ。思うぞんぶん、自慢のカロンを見ていってくれ」
案内役はアルマひとりで、俺たちは13名全員でそれに追従していた。
丸太の柵に設置された扉に、アルマが手をかける。その瞬間に、俺の横合いからアイ=ファが声をあげた。
「その前に、もうひとたびだけ確認させていただきたい。このカロンという獣にそこまで近づいてしまっても、本当に危険はないのだな?」
「ああ。カロンは大人しい獣だからな。繁殖の時期からも外れているし、何も危険なことはないよ。尻をおもいきり引っぱたいたって、のそのそ逃げようとするだけさ」
気さくに笑いながら、アルマは扉を開ける。
「ただ、カロンに傷をつけたら毛皮も肉も値が下がっちまうからな。カロンの身体に触れるのはかまわないが、乱暴には扱わないと約束してくれ」
「無論だ。決して約定は違えないとここに誓おう」
アイ=ファの大仰な物言いにいっそう表情を崩しつつ、アルマは俺たちを放牧場に招き入れてくれた。
行きがけに見た、広大なる放牧場である。足もとには、ジェノスでは見かけない芝のような草が一面に生い茂っており、足首ぐらいまでがうずまってしまう。そんな中で、何頭ものカロンがもそもそとその草を食んでいた。
「俺たちの仕事は、この牧草に水をまくのと、あとはカロンを歩かせることだ。ご覧の通り、こいつらは放っておくと一日中草を食んでいるばかりだからな。運動させないと、肉の質が落ちちまうんだよ」
言いながら、アルマは手近にいたカロンの尻を革鞭で打った。
カロンの毛皮を傷つけないためにだろう、先端に布の巻かれた革鞭である。そいつで尻を叩かれると、カロンは不満の声をあげるでもなく、のろのろと足を動かし始めた。
本当に大きな動物である。
体長は1・7メートルから2メートル、体高は1・3メートルから1・5メートル、重量は――ちょっと見当もつかないが、6、700キロはあるというホルスタインより軽いということはないだろう。それぐらい図太くて、いかにも鈍重そうなフォルムをしている。
とりわけ四肢の太さは尋常でなく、モモから足首までがほとんど同じぐらいのボリュームを保っている。そのあたりの重量感は、バクではなくゾウを思わせた。
で、ここまで近づいてようやく確認できたが、その平たい足に生えているのは蹄ではなく平爪であった。
その肉は牛に、乳はたぶん水牛に似ているのに、やっぱり俺では分類することもできないこの世界特有の動物であるようだ。
「こいつらは病気になってもぶっ倒れるまで苦しそうな様子を見せないから、そういう部分にも目を配らなくちゃならない。傍目にはカロンと一緒にてくてく歩いているだけのように見えるだろうけど、これでなかなか気苦労の多い仕事なんだよ」
道すがらでカロンの尻を叩きながら、アルマはどんどん歩を進めていく。
リミ=ルウやマイムなどはカロンを間近にしただけで好奇心の塊になっているし、女衆らもくいいるようにカロンの動きを見守っている。平常と変わらないのは、ジーダとバルシャぐらいのものであった。
「バルシャたちは、余所の地でカロンを目にしたことがあったんですか?」
「うん? そりゃまあこんなに立派な牧場に足を踏み入れたのは初めてのことだけど、そこらの農村でもカロンを育てている家は少なくないからね。今さらこの図体の大きさに驚きゃしないよ」
バルシャはかつて《赤髭党》の一員として西の領土を駆け巡っていたのだろうし、ジーダとてマサラから数日かけてジェノスにやってきた身の上である。そんな彼らには、とりたてて物珍しい見世物ではないらしい。
「それにしても、大きな獣だ! これほど大きなギバなどがいたら、俺たちもそうとう苦労することになるだろうな!」
杖をついたダン=ルティムが豪快に笑いながらそのように述べている。
右の足首もだいぶん快方に近づいているらしく、今ではもう足を浮かせたりはしていない。怪我をする以前とさほど変わらぬ力強い足取りだ。
「さすがにここまで巨大なギバなどは存在しないでしょう。そんなギバがいたら、まさしく脅威です」
しかつめらしくディム=ルティムが応じると、ダン=ルティムは笑顔でそちらを振り返った。
「しかしな、数十年に一度はこれぐらい巨大なギバが現れることもあるのだ。残念ながら俺は実際に目にしたことはないが、スン家の祭祀堂に飾られていた頭骨などは、実に立派なものであったぞ? あれに胴体をくっつけたら、このカロンとかいう獣に負けない大きさになるのではないのかな」
「そうなのですか。ならば俺も、いっそう修練に励みたいと思います」
すると、先頭を歩いていたアルマが興味深そうにふたりの狩人を振り返った。
「俺は生まれてこのかたカロン以外の肉なんてほとんど食ったことがないんだが、ギバってのはどんな味がするものなのかね? ジェノスの宿場町では、かなり評判になっているんだろう?」
「ギバは美味いぞ! アスタのおかげでますます美味くなったしな!」
「ええ、ギバは美味しいですよ。さきほど見学のお礼に燻製肉をさしあげたので、よかったら夜にでも食べてみてください」
もっとも、牛肉しか知らない人間に猪の肉を食べさせるようなものなので、本当に口に合うかは神のみぞ知るである。
しかしアルマは「そいつは楽しみだ」と気さくに笑ってくれた。
「ところであんたたちは、そのギバの肉をダバッグで売ろうっていう魂胆なのかな? そいつはなかなか難しい商売だと思うんだが」
「はい。ダバッグではあれだけ美味しいカロンの肉が食べられるのですからね。正直に言って、まともに商売ができるとは思っていません。……でも、そんなダバッグの人たちからどういう感想をいただけるのか、それを聞くだけでも有意義かと思って」
「ふうん? それじゃあ銅貨を稼ぐあてもなく、わざわざ半日もかけてダバッグにやってきたのかい?」
「そうですね。どちらかというと、料理人として見識を広げるために、というほうが眼目なんです」
そして、他の町ではギバや森辺の民がどのように思われているのか、それを知るのが第二の眼目でもあった。
よりにもよってカロンの生産地であるダバッグでギバの肉を売りつけることは難しいだろう。肉に関しては舌が肥えているであろうダバッグの人々にどのような評価をいただけるのか、それが確認できれば俺としては満足なのだった。
「ま、商会の頭目どもはこすずるいから、損が出ないように気をつけるこった。あいつらは、自分が儲けることしか頭にないからなあ」
「商会の頭は、今でも南地区のディゴラなのか?」
ザッシュマが問うと、「ああ、そうさ」とアルマは肩をすくめた。
「ディゴラの親父が退いたら、今度はその息子が継ぐんだろう。あいつらは先代からダバッグの領主とべったりだからな。あんなもん、半分がたは貴族みたいなもんだ」
「牧場の仕事は他人まかせで、自分たちはひたすら金勘定か。ま、銅貨を稼ぎたいならそうしたほうが利口なんだろうな」
「もっともだ。でもまあそれで七面倒くさい交渉や金勘定は引き受けてくれるんだから、こっちは黙ってカロンを追うだけさ」
べつだんそれが不満な様子でもなく、アルマは笑っていた。
金勘定よりも、日の下でカロンを追っているほうが性に合っている、ということなのだろう。
「お、ようやくマロッタが見えてきたぞ。悪態をつかれる覚悟は固まってるか、ザッシュマ?」
「ふん。客人に無礼な口を叩かなきゃそれでいいさ」
俺たちの行く手に、とりわけ巨大なカロンが寝そべっていた。
そのかたわらに、ずんぐりとした体型の男性が膝をついている。
半白髪の頭をした、老域にさしかかりつつある男性だ。アルマと同様によく日に焼けた黄褐色の肌をしており、寝そべったカロンの足もとを熱心に覗き込んでいる。
「マロッタ、お客人をお連れしたよ。ジェノスから牧場の見学に来たみなさんだ」
アルマの言葉に、その人物は不機嫌そうな視線を飛ばしてきた。
その目がザッシュマを素通りして、ずらりと並んだ俺たちの姿を見回してくる。
「……ジェノスからの客人だと? 商会も通さずにカロンの買い付けか?」
「いや、単に牧場の見学がしたいらしい。けっこうな手土産をいただいちまったらしいんで、こうして案内して回ってるんだよ」
「……ふん」と興味なさげに鼻を鳴らすと、マロッタはまたカロンのほうに視線を戻した。
「そいつはどんな具合いだい?」とアルマもそちらに腰を屈める。
「よくないな。ちっと歩かせただけでまた足が痛んじまったらしい。このままだと、脂ばっかりが身についちまうな」
「だったら、頃合いじゃないのかね。ここまで育てば、もう十分だろう」
「馬鹿を言うな。もう二ヶ月ばかりもかければ、こいつはもっと立派に育つはずだ」
そんな主人たちの会話も知らぬげに、カロンは身を横たえたまま草を食んでいる。体長などはダン=ルティムぐらいありそうだし、現状でも小山のような巨体である。
「朝の飼料にネェノンの葉でも混ぜてみよう。今度町に下りたとき、野菜売りから分けてもらってきてくれ」
「ネェノンの葉か。でも、2日前に寄り合いがあったばかりだから、当分町に下りる予定はないんだよな」
アルマがそのように答えると、ザッシュマが一歩だけ足を踏み出した。
「俺たちは今夜、町で宿を取る予定なんだ。何だったら、明日の帰りがけに届けてやろうか?」
マロッタはじろりと険悪な視線をザッシュマに突きつける。
「……客人にそんな使いを頼むわけにはいかねえな。そいつは筋違いってもんだ」
「遠慮すんなよ。牧場を見学させていただいたせめてものお礼さ。駄賃をもらおうなんて考えちゃいないから安心するといい」
「……お前相手に安心できたことなんて、一度だってありゃしねえ」
そう言って、マロッタは息子から顔を背けた。
ザッシュマは、肩をすくめつつ引き下がる。
「それじゃあ見学を続けさせていただくぜ? アルマ、世話になったな」
「ああ。牧場を出るときはまた声をかけてくれ」
アルマは苦笑しつつ、ちょいと手を上げた。
ザッシュマはそちらにうなずき返してから、俺たちを振り返る。
「じゃ、戻ろう。お次はあっちでカロン小屋の見学だ」
勝手知ったる故郷の牧場である。仕事に戻るアルマを残して、俺たちは来た道を引き返すことになった。
「親父はいつもあんな感じなんだ。ま、口をきいただけ今日は上出来だな」
「なかなか手ごわそうですね。頑固一徹の職人気質といった雰囲気です」
「そんな大したもんじゃねえよ。人間よりカロンを相手にするほうが得意だっていう偏屈者さ」
すると、ダン=ルティムが後方から割り込んできた。
「しかし、あれがお前さんの父親だというのなら驚きだな。お前さんは、たしか2年ぶりにこの地へ帰ってきたという話ではなかったか?」
「ああ、それがどうかしたかい?」
「それなのに、たったあれだけの会話で気持ちが済んでしまうのか? 森辺ではまったく考えられないことだ!」
「そりゃあまあ、俺は故郷を捨てた身だからなあ」
がりがりと頭をかいてから、ザッシュマはダン=ルティムの巨体を見上げる。
「たとえばさ、あんたの跡取り息子が狩人としての仕事をほっぽり出して森辺の集落を出ていっちまったら、どんな気分になる? そいつが余所で立派に別の仕事を成し遂げたとしても、あんたは祝福する気持ちになれるかい?」
「ガズランが? 集落の外に? ……ああ! なんととんでもない話をするのだ、お前さんは! 想像しただけで悲しい気持ちになってきてしまったではないか!」
「そうだろう? だからけっきょく、歓迎されないのが当たり前なのさ」
ザッシュマは不敵に笑ったが、ダン=ルティムは「ううむ」と考え込むことになってしまった。
「しかし、それがガズランの決断であったのなら……俺は悲しく、口惜しく感じつつも、最後には認めぬわけにもいかないだろう。森辺の掟を打ち捨ててまでガズランがそうするからには、よほどの覚悟と決意があってのことなのだろうからな……」
「そんな真面目に思い悩むなよ。森辺の狩人だったら俺みたいにいいかげんな気持ちで故郷を捨てたりはしないだろうさ」
「なんと! お前さんはそんな軽はずみな気持ちで故郷を捨てたというつもりなのか!?」
「俺にとっては重要でも、家族にとってはそうでないだろうっていう話だよ」
笑いながら、ザッシュマは何かを透かし見るように目を細めた。
「俺はただ、外の世界を見てみたかっただけなんだ」
◇
その後は、ミザの案内でさまざまな施設を見て回ることになった。
最初に案内されたのは、ミザが乳を搾っていた小屋に併設されていた、幼い子供を持つカロンのための厩舎である。
「子供のカロンが草を食べられるようになるまで、放牧は半日って決まってるんだ。中天から後は、ずっとこうして小屋の中で乳を飲ませておくんだよ」
一頭の母カロンに対して、四、五頭ずつの幼きカロンが集まって乳を吸っている。カロンはこんなに大きな動物なのに、いっぺんに複数の子供を生むらしい。
子供のカロンは成獣に比べるとずいぶんほっそりしていたが、それでも愛くるしいことに変わりはない。そんな小さなカロンたちが懸命に鼻面をのばして乳を吸っている姿は、ちょっと感動的ですらあった。
「乳を出すカロンには、飼料にアリアを混ぜてやるんだ。ちょいと傷んだアリアでも、カロンは喜んで食べてくれるからね」
そういえば遥かな昔に、売れ残りのアリアはカロンの餌としてダバッグに売るのだと、ドーラの親父さんがそんなようなことを言っていた覚えがある。
俺が商売を始めたおかげで親父さんの畑ではアリアが売れ残ることもほとんなくなってしまったという話であったが。ジェノス全体で消費されるアリアの量に大きな変化はないはずなので、別の畑で売れ残ったアリアが今でもダバッグに売られているのだろう。
「隣の小屋は、病気で寝込んでるカロンたちの小屋だ。こっちは大人しくさせておきたいんで、遠慮してもらってかまわないかね?」
「はい、もちろん」
「それじゃあお次は、皮剥ぎ小屋だね」
その建物は、通常の厩舎からも放牧場からも遠く離れた一画にあった。
カロンの母子の心温まる情景を見物した後に、皮を剥ぎ肉を解体する小屋を見せつけられる、なかなかシビアな行程である。
「皮剥ぎは朝方に済ましちまうんで、今は空っぽだよ。いちおう覗いておくかい?」
「はい、是非」
小屋の中には、まだ生々しく血と臓物の臭いが満ちていた。
部屋のあちこちに大きな作業台が据えられており、頑丈そうな梁には何本もの縄が掛けられて、その先端の一方は滑車に繋げられている。
壁に掛かっているのは大小の刃物で、火を焚くための小さなかまどや鉄鍋の備えも怠りはない。
「ふむ。道具は上等なようだが、それ以外は森辺と変わらんな」
興味深げに屋内を覗き込んでいたダン=ルティムが、ぽつりとつぶやく。
「隣は肉の貯蔵庫さ。肉はさばくそばから塩に漬けられて、宿場や近隣の町に運ばれていく。ここに残っているのは、余った臓物や足肉なんかだね」
「やっぱりジェノスで売れゆきが悪くなった分、足肉が余ってしまっているんですか?」
「そうだねえ。でも、もともとカロンってのは足より胴体のほうが喜ばれるもんだからさ。余った足肉は干し肉に仕上げちまうから、そこまで損をしてるって実感はないね」
ジェノスの宿場町に流通しているギバの肉は、一日でおよそ130キロ前後。その分、キミュスやカロンの足肉は売り上げが落ちているはずであるが、まだまだ牧場ごとにそれを実感するような段階には至っていないらしい。
「よかったら、味見をしてみるかい?」
「え?」
俺が驚いている間に、ミザはずらりと並んだ壺の中から塩まみれの肉塊を引っ張り出した。
で、隠しから出した小刀で、その端っこをぶつりと切り分ける。
「こいつは朝方にさばいたばかりの足肉だから、なんも心配はいらないよ。なかなかダバッグの外では生のカロンをいただく機会なんてないだろう?」
「そうですね。ありがとうございます」
俺に続いてミケルとマイム、それに森辺のかまど番たちがその肉片を受け取った。
うながされて、バルシャとジーダもそれに続いたが、森辺の狩人の中で手をのばしたのはダン=ルティムただひとりであった。
「あの魚の生肉とやらは珍妙な味であったが、生のカロンとはどういうものなのかな」
そのように言いながら、ダン=ルティムは恐れ気もなくカロンの肉片を口の中に放り込んだ。
それを横目に俺も味見をさせていただいたが、思っていたほど血の味もなく、そして岩塩がまぶされていたので、そこまで食べにくいことはなかった。
ただ、やはり足肉なのでかなり筋張っているし、表面だけでも炙らせていただけたら格段に美味しくなるのだろうなと思える。
「これは……なんというか、とても奇妙な味ですね」
厳粛な面持ちで、レイナ=ルウがそのように述べる。
「味も風味も噛み応えも、熱を通した肉とはまるで別物のようです。ミャームーのように香りの強い食材とあわせれば、もっと食べやすくなるように思えるのですが……」
「そうだね。刻んだミャームーとタウ油でもあれば、それだけでいっぱしの料理になると思うよ」
しかし、牛肉のたたきでも大抵は雑菌を殺すために表面を炙るものなので、俺としても貴重な体験であった。魚でない生の肉なんて、俺はせいぜいレバ刺しや馬刺しぐらいしか食した記憶がない。
ちなみに、至極冷静な面持ちで味を確かめているレイナ=ルウとシーラ=ルウのかたわらで、リミ=ルウとトゥール=ディンはちょっと涙目になってしまっていた。
「アスタぁ……これって、噛んでも噛んでも呑み込めないんだけど……」
「あっはっは。お嬢ちゃんたちには苦手な味だったかね?」
ミザは愉快そうに笑っている。
すると、朝からほとんど声を聞いていなかったミケルが、ふいにそちらへと呼びかけた。
「しっかりと身のしまったいい肉だ。ジェノスで買うカロンの肉には当たり外れがあるものだが、この牧場のカロンは当たりの部類だな」
「そいつはありがとうね。でも、ジェノスに肉を運ぶのは商会に雇われた運び屋だから、あたしらにはどんな感じで売られているのかもわからないんだよ」
「ふむ。上等な牧場の肉も粗末な牧場の肉も、みな一緒くたで売られてしまっているわけだな。こちらは当たりの肉でも外れの肉でも同じだけの銅貨を払わなければならないのだから、腑に落ちない話だ」
「まったくだよ! でも、個人の小さな取り引きでもない限り、商会を通さないわけにはいかないからねえ」
それでもマロッタの牧場では、手を抜かずにカロンを育てあげているのだろう。機嫌の悪そうなミケルがわざわざ声をあげたぐらいなのだから、それは間違いないと思う。
なおかつ、そっぽを向いて肉を噛んでいるザッシュマが嬉しそうに目を細めているのを、俺は見逃さなかった。
「それじゃあ最後にかまど小屋だね。……と、その前に、いちおうこいつも見ておいてもらおうか」
ミザの案内で貯肉小屋の裏手に回ると、なかなかの壮観が俺たちを待ち受けていた。
屋根だけを張られた広大な空間で陰干しにされている、おびただしい数のカロンの生皮である。
「こいつは数日にいっぺん、革屋の連中が引き取りに来るのさ。それで作られた外套や袋なんかは、ジェノスでも売られてるだろう?」
「そうですね。自分も食材を運ぶのに革袋は重宝しています」
キミュスの皮も食材としてより革製品に加工されるほうが主流であるらしいが、やはり大きくてしっかりとした品の大部分はカロンの革で作られている。ザッシュマやバルシャが纏っている旅用のマントだって、きっとカロンの革製だろう。
「そういえば、最初にミザはカロンの乳を搾っていましたよね。それを貯蔵しておく小屋はなかったみたいですが、ここで乳脂や乾酪は作られていないのですか?」
「ああ、乳は乳屋が売りさばくんだよ。あたしらは、注文に応じて搾るだけさ。ま、乳は腐りやすいから、そうそういっぺんには売れないもんだしね」
「そうですか。でも、ジェノスの宿場町でもけっこう前から乳脂は使われるようになっているのですが。まだ目に見えるほどの売り上げではないのでしょうかね?」
「ふうん? そいつは初耳だねえ。まあ、余所の牧場でも足りなくなるぐらい売れるようになれば、少しはこっちにも稼ぎが回ってくるかもしれないね」
そうなのか、と俺が首を傾げていると、後ろから軽く腕を引かれた。
振り返ると、ザッシュマが苦笑いをしている。
「そういう美味い話は商会で力を持ってる連中が持っていっちまうもんなんだよ。宿場町で売られている乳なんて、ディゴラの牧場だけでまかなえちまうんだろうからな」
「そうですか。……だったらポルアースにでも口添えすれば、この牧場から乳を買い付けるようにもできたんじゃないんですか?」
小声で俺が尋ねると、ザッシュマは同じ表情で肩をすくめた。
「そいつは公私混同ってもんだ。貴族に取り入って儲けを出そうなんて、そんなのはディゴラの親父と同じやり口になっちまうじゃねえか?」
「ああ、そういうものですか」
「そういうものだよ。……それに、うちの頑固親父に知れたら、余計なことをすんじゃねえと怒鳴り散らされることになるだろうしな」
ひょっとしたら、ザッシュマにとってはそちらのほうが理由の大部分なのではないだろうか。
そんな風に考えていると、ミザが「さて!」と元気な声をあげた。
「それじゃあ今度こそかまど小屋だね。大汗をかく覚悟が固まったらついてきておくれ」
それは決して誇張ではなかった。他の小屋に劣らず大きなその建物の中ではいくつものかまどが設置され、カロンの脂や骨がらなどが大量に煮込まれていたのである。
「脂は食用か、あるいは獣脂蝋燭の材料として売られることになる。骨がらのほうはさっきも言った通り、あたしらが食べる食事の下ごしらえだね」
全身汗だくの女性たちが、巨大な棒でしきりに鍋を攪拌している。鍋の大きさも桁違いであるし、室内には白い煙がもうもうとたちこめ、立っているだけで全身が脂まみれになってしまいそうであった。
さらにその隣に建てられていたのは、燻製用の小屋である。
いつまで経っても買い手のつかない足肉は、最終的にここで干し肉に加工されるのだそうだ。
こちらでも味見をさせていただけることになったが、やはりカロンの干し肉というのはとびきり塩気の強いビーフジャーキーのような味わいであった。これは宿場町で売られているのと、寸分変わらぬ味である。
「ざっとこんなところだね。お客人には、ご満足いただけたかねえ?」
そんなミザの朗らかな笑みとともに、俺たちのダバッグ見学の前半戦は無事に終了したのだった。