休業日②~ダレイムの民~
2016.2/9 更新分 1/1
ドーラの親父さんの家は、宿場町で見る家屋とは少し様式が異なっているような感じがした。
基礎にだけ石を使った木造家屋という点は同一であるのだが、何とはなしに丸太と板の組み合わせ方だとか、藁をふいた屋根の感じだとか、柱の位置や形状などが異なっているように感じられるのだ。
宿場町の家屋の多くはジャガルの様式を取り入れたものである、と聞いたことがあるので、もしかしたらこちらのほうが西の王国のスタンダードであるのかもしれない。
ともあれ、石を組んだかまどには大きな違いもなかった。
俺は4名の女衆とともに、下ごしらえを済ませておいた鍋を火にかけ、その間に大量の野菜を切り刻んだ。
メニューは、『タウ油仕立てのギバ・スープ』である。
短時間で大量に作るには汁物料理のほうが簡単であるし、それに、ギバの汁物料理は宿屋まで出向かないと口にすることができない。屋台の常連客ではあっても宿屋に出向く機会は少ない親父さんやターラにも、この森辺の定番料理を味わってほしいと俺は考えたのだった。
ただし、宿屋に卸しているスープとは若干の相違点もある。
まず、肉はスペアリブを使用していた。
朝方に、1時間ばかりもかけてじっくり煮込んでおいたギバのあばら肉である。
肉は骨つきのほうがより濃厚な出汁をとることができる。本格的なギバ骨スープを作るにはまだまだ研究が必要であるが、こうして骨つきのあばら肉を使うだけでもその違いは顕著であった。
なおかつ、あばら肉を愛してやまない御仁がこちら側の参加者にも存在していたので、より相応しいかなと判断した次第である。
そして野菜はアリア、チャッチ、ネェノン、というシンプルな3種であるが、多少の炭水化物も必要であろうと思い、フワノとポイタンをブレンドさせた練り物も仕込んでいる。
イメージとしては、すいとんだ。
パスタよりもフワノを多めに使っており、仕上がりはもちもちである。
鍋そのものの味付けは塩とピコの葉とタウ油のみで、城下町から仕入れた食材は一切使用していない。
ダレイムの人々は宿場町の住人よりもつつましい生活に身を置いているという話であったので、なるべく平素と変わりのない食材で軽食をこしらえてみようと思い至ったのだ。
「ああ、いい匂いだね。うちもアスタのすすめでタウ油を使うようになったんだけど、こいつを入れるだけでもずいぶん立派な食事に化けるよな」
「そうですね。タウ油が気軽に入手できるようになったのは、本当に素晴らしいことだと思います」
思えば、このタウ油ですら以前まではジャガルの行商人とのツテがなければ入手できないぐらい希少なものであったのだ。
それが今では、銅貨さえ出せば各国のさまざまな食材が手に入るようになった。
おかげで現在の宿場町はいささかならず混沌とした様相を呈し始めてしまっているが、その波はいずれこののどかなダレイムにまで押し寄せてくるのだろうか。
「さあ、そろそろ完成ですね。みなさんはもうこちらに戻ってきているのですか?」
「ああ。表で腹を空かせて待っているよ。もっとも、どんなものを食わされるんだろうと不安に思っている連中が大半だろうがね」
そのように言って、ドーラの親父さんは悪戯小僧のように笑った。
親父さんのように宿場町まで行商におもむいている者を除いて、ダレイムの人々はギバの料理を口にしたことがない。それらの人々にもギバの美味しさを教えてやろうと、親父さんの側から提案してくれたのである。
「まあ、こっちも無理強いはできないからね。興味のあるやつだけ集まってくれと伝えて回ったんだが、8割がたは集まってくれたみたいだ」
そのように述べる親父さんを先頭に、俺たちは鉄鍋を抱えて家の外に移動した。
そこには、少なく見積もっても40名近い人々が集まってくれていた。
親父さん自身のご家族と、共同で畑を管理している家の人々、そしてそれに雇われている労働者たちである。
ドーラの親父さんは、これらの人々を取り仕切る家の主人であるのだ。
「さあ、待たせたね。森辺からの客人たちが、俺たちのために食事をこしらえてくれた。宿場町で評判のギバの肉だ。こいつがどれほど美味いものか、自分たちの舌で確かめてくれ」
人々は、持参した木皿を手に鍋の前に並び始める。
みんなうろんげな面持ちであるが、数ヵ月前ならそもそもギバの肉を食べようという気持ちにすらなれなかっただろう。もともとジェノスでは災厄の象徴とされていたギバであるが、それをもっとも心から恐れていたのは、他ならぬこのダレイムの人々であったのである。
見回してみると、やはり極端に年老いている人間はいない。
年をとった人間ほど、ギバや森辺の民に対する恐れの気持ちは強いのだ。
宿場町で出会ったミシル婆さんなども、当初は敵意を剥き出しにしていたものであった。
「どうも、おひさしぶりです、アスタ」
と、列に並んでいたうちのひとり、まだ若くて純朴そうな面立ちをした青年が笑いかけてくる。
宿場町で何度か顔を合わせたことのある、親父さんの上の息子さんである。
「あ、おひさしぶりです。今日はてっきり宿場町のほうに行かれているのかと思いました」
「今日は弟を向かわせました。兄貴の特権というやつですね」
俺にとって、顔見知りといえるのはこの青年ぐらいのものであった。
親父さんの奥方もこの人々の中にまぎれているはずであるが、俺には見分けをつけることができない。
「わあ、美味しい! ギバって汁物でも美味しいんだね!」
リミ=ルウやトゥール=ディンと並んで壁際に座っていたターラが、喜びの声をあげてくれている。
それで勇気を得た人々も、次々とギバのスープを口に運んでくれた。
「うん、こいつは確かに絶品だ。こんな表で汁物をすするってのもなかなか小粋なもんだね」
親父さんも、至極満足げな面持ちである。
そして周囲の人々も、みんな驚きと喜びの表情を浮かべてくれていた。
「うむ、こいつは美味いぞ! あばら肉は汁物にも合うのか! さっそくルティムの女衆にも伝えねばならんな!」
もちろんダン=ルティムも恵比寿様のような笑顔である。
森辺の狩人に対していくぶん腰が引け気味であったダレイムの人々も、この笑顔でずいぶん気持ちが緩和するのではないだろうか。
(こんな言い方はアレだけど、ダン=ルティムは絶妙な時期に自由の身でいてくれたのかもしれないな)
本来であれば、休息の期間でもない限り、なかなかダン=ルティムが護衛役を受け持つことにもならなかっただろう。それが、昨日は城下町で、今日はダレイムで、そして10日後にはダバッグで護衛役を引き受けてくれることになっている。
180センチをこえる大男で、一見は恐ろしげな風貌であり、それでいて内面は無邪気で義に厚いダン=ルティムは、きわめて個性的な人柄でありながら、森辺の狩人としての特性もきっちり備え持っている。森辺の狩人がどういう存在であるのか、それを正しく伝えるのに、ダン=ルティムは意外に適任なのではないかと俺は思うようになっていた。
「本当にこの料理は美味ですね。どうして同じ材料を使っているのに、アスタの料理はこのように美味なのでしょう」
と、ユン=スドラがうっとりと目を細めながらそのように語りかけてきた。
ちょっとよそゆきの顔をこしらえながら、俺はそちらに向きなおる。
「そうは言っても、これはみんなで一緒に作った料理だろう? べつだん俺の手柄ではないと思うけどね」
「いいえ。それでも味がまったく異なるように感じられるのです。わたしひとりではとうていここまでの料理を作ることはかないません」
「そうかなあ。まあ、レイナ=ルウたちもスープ作りの腕は大したものだからね。ユン=スドラもこのまま修練を積んでいけば、きっと納得のいく料理を作れるようになるよ」
「そうでしょうか? でも、わたしは――」
ユン=スドラがそのように言いかけたとき、別の人影がふわりと近づいてきた。
シーラ=ルウである。
「ユン=スドラは、まだ少し野菜を切るときの手つきがぎこちないようですね。肉も野菜も刀の入れ方で味が変わってくるように、わたしは思います」
「そうなのですか? 確かにシーラ=ルウはとても手早く綺麗に野菜を切ることができますよね。とても羨ましいです」
ユン=スドラは笑顔でそちらに向きなおる。
はて、シーラ=ルウが自分からユン=スドラに話しかけるのは珍しいな――などと思っていると、シーラ=ルウがちらりと俺のほうを見てから、あらぬ方向へと視線を飛ばした。
その視線を追ってみると、またもやレイナ=ルウが輪を外れてぽつねんとたたずんでいる。
「……このようなことはすでにアスタからも習っているとは思いますが、肉にも野菜にも筋というものが存在するのです。その筋に従って切るか、逆らって切るか、それだけでも食べ心地はずいぶん変わってくるのですよ」
シーラ=ルウはまたユン=スドラに向きなおり、料理談議を続けようとしている。
それを横目に、俺はその場を離脱させていただいた。
「どうしたんだい? また考え事かな、レイナ=ルウ?」
「ああ、アスタ……はい、少し自分の考えに没頭してしまいました」
レイナ=ルウは、とりたてて打ち沈んだ顔をしているわけではなかった。
いや、どちらかというと澄みわたった表情であると言ってもいいぐらいであったかもしれない。
その青い瞳は、笑顔でギバのスープをすすっている人々のほうに向けられている。
「アスタは以前、家族にふるまうような気持ちで町の人間に食事をふるまうことができれば、今よりも満ち足りた気持ちになり、そしてそれがかまど番としての上達の早道にもなる、と仰ってくれましたね」
「うん、そうだね。たとえ商売でも、そういう気持ちは大切だと思う」
「……その意味が、少し理解できたようにも思えます」
確かにダレイムの人々の笑顔は、俺の心にも喜びの気持ちを与えてくれていた。
この場には、何百何千と存在するであろうダレイムの住人の、ほんの40名ばかりが集まっているに過ぎない。しかし、少し前まではギバと森辺の民を忌避していた人々が、森辺の民のこしらえたギバの料理を口にして、実に満足そうな顔をしてくれているのである。よそ者であった俺などよりも、その意味の重さはレイナ=ルウたちにこそ、はっきり感じ取れるものであるのだろう。
「森辺の民と町の住人は、まだとうてい心を通い合わせているとは言えないような関係です。あのドーラという男衆のように心を開いてくれる人間のほうが珍しいぐらいなのでしょう」
「うん、そうなんだろうね」
「だけど、同じものを食して、同じように美味だと感じている。今のこの気持ちだけは、きっと同一のものなのでしょうね」
そう言って、レイナ=ルウは俺を振り返った。
その面には、かなりひさびさに見る屈託のない笑みが浮かんでいた。
「そしてアスタは、ルウ家はルウ家なりの料理を売るべきかもしれないと仰っていました。わたしたちがどのような料理を売るべきか、それがぼんやり見えてきたような気もします」
「へえ? いったいどんな料理を思いついたのかな?」
「それはまだ秘密です。シーラ=ルウにも相談しなければなりませんので」
と、レイナ=ルウはいっそう朗らかに口もとをほころばせる。
このレイナ=ルウは、もともとこれぐらい魅力的な笑顔を持つ少女であったのである。
俺はとても満足な気持ちを胸に、「そうか」とうなずき返すことができた。
◇
それからほどなくして、俺たちはダレイムを退去することになった。
軽食をとった後は、親父さんたちにもみっちり仕事が待ち受けているのである。親父さんやターラの笑顔に見送られて、俺たちは森辺の集落への帰路を辿った。
「何だか不思議な体験でしたね。ほんの数刻しか過ぎていないとは思えないほどです」
と、ふだんは遠慮がちなトゥール=ディンが、御者台のすぐ後ろにまで来て声をかけてくる。
「昨日は城下町で今日はダレイムだったもんね。さすがにちょっと疲れちゃったかな?」
「いえ、昨日も今日もとても実りの多い1日だったと思います。……わたしのような者がそんなことを言うのはおこがましいことなのでしょうが」
「そんなことはないよ。トゥール=ディンは、森辺でも指折りのかまど番なんだから」
なれない道なので後ろを振り返ることはできなかったが、トゥール=ディンが赤面している気配がひしひしと伝わってきた。
「トゥール=ディンは、ここ最近でどういう心境になったのかな? ヴァルカスの料理にはそうとう驚かされただろう?」
「はい。……ですがわたしは、あのヴァルカスという料理人のような料理を作りたいわけではないのだな、ということが昨日ではっきりわかったような気もします」
「あ、そうなんだ?」
「はい。確かにあの料理人はとても不思議な料理を作りますし、口にするだけで胸が騒いでしまいましたが……少なくとも、森辺の家族たちはあのような料理を喜びはしないように思うのです」
それは確かにその通りなのだろう。
あの主菜の魚料理だけは問答無用の美味しさであったが、アイ=ファやダン=ルティムが言っていた通り、森辺の民が固執するような存在ではなかったのだ。
ただ――ヴァルカスがギバの肉を食材として扱ったらどのような結果になるのかまでは請け負えないところであるが。
「だからわたしは、あの娘のほうがよほど気にかかります」
「あの娘?」
「トゥランのマイムという娘です」
「ああ……なるほどね」
確かにマイムもまた、俺たちにとっては見過ごせない存在だ。
そしてトゥール=ディンにとっては、理解し難いヴァルカスの存在よりも、同い年でなおかつギバの肉を実際に扱っているマイムのほうが、よほど見過ごせない存在である、ということなのだろう。
人それぞれ、受け取り方は千差万別である。レイナ=ルウはずいぶんくっきりとヴァルカスの存在を胸に刻まれてしまったようであるが、トゥール=ディンにとってはマイムの存在がそれに当たるらしい。
そしてこの俺自身は、ヴァルカスもマイムも同じぐらい強く意識させられてしまっている。
「10日後には、あの娘とともにダバッグという町までおもむくことができるのですよね。……本当に、わたしのような者にこのような機会を与えてくれて、アスタにはどれほど感謝すればいいのかもわかりません」
「いいんだよ。俺にそうしてあげたいと思わせたのはトゥール=ディンの力なんだから」
そういえば、現在この荷車に顔をそろえている中で、ダバッグに向かわないのはユン=スドラただひとりであるのだ。
俺も最初からユン=スドラを頭数には入れていなかったし、のちのち彼女が猛烈に同行を願った際も、スドラの家長ライエルファム=スドラにあっさりと「否」の返事をいただくことになったのである。
「差し迫った理由もないのに2日も家の仕事を休ませるわけにはいかん。ルウやディンの女衆が同行するならば、お前の力など必要ないだろう」
家長にはそのように言われたらしい。
俺としても、その言に異存はない。
(レイナ=ルウが不審がるのも当然だよな。ユン=スドラは、いったいどういう気持ちでそんなに熱心になっているんだろう。俺だって、かまど番としての腕の善し悪しで態度を変えたりしてるわけじゃないしなあ)
そんなことを考えている間に、荷車はルウの集落に到着した。
営業日よりは2時間ばかりも早い到着だ。今日はこれから通常通り、明日のための下ごしらえと勉強会に励む所存である。
「あれ、ずいぶん早かったね、みんな」
本家の裏手に荷車を回すと、2名の少女たちが俺たちを待ち受けていた。
ララ=ルウとモルン=ルティムである。
「うん、あまり長居してもダレイムのみなさんに申し訳ないからさ。……モルン=ルティムは、下ごしらえの手伝いに来たのかな?」
「いえ、ダン父さんを待っていました。……ダン父さん、みんなが集落を出たすぐ後に、北の集落から連絡が来たんだよ」
「なに? ようやくお前さんたちを出迎える準備が整ったのか?」
答えは、イエスであった。
北の集落は、ルウやルティムから女衆を迎えるために、集落からギバを遠ざける準備をしていたのである。
休息の期間はもう5日ほど前に終わっていたが、いくぶん時間が足りなかったらしく、残りの作業は女衆だけで取り組んでいたらしい。その作業も、昨日でようやく終了したのだという話であった。
「だから、ルウ家の荷車でわたしたちを北の集落まで送ってくれる? それで帰りは北の集落の女衆たちをここまで連れ帰ってあげてほしいの」
「おお、かまわんぞ! トトスはまたがって走らせるほうが好きだが、荷車を引かせるのも嫌いなわけではないからな!」
ルウ家とルティム家から2名ずつを貸し出す代わりに、向こうからはザザ家とジーン家の女衆らが2名ずつやってくることになる。それで、北の集落の女衆らもいよいよ美味なる食事の作り方を学ぶことになるのだ。
「あれ? ララ=ルウも一緒に行くわけじゃないよね?」
「当たり前じゃん。ルウから貸し出すのは分家の女衆だよ。屋台の商売であたしなんかは必要ないっての?」
「いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど……もしかしたら、今日はご機嫌ななめなのかな?」
「べっつにー!」と、ララ=ルウはおもいきりそっぽを向いてしまう。
「ただ、昨日の城下町も今日のダレイムも10日後のダバッグとかも、あたしやヴィナ姉はぜーんぶ置いてけぼりじゃん? なんか、不公平だよなーと思ってさ」
「ああ、それはまあ、本家からそれ以上の人数を借りるのは気が引けてしまったからであって……」
「ルドもすっごくふてくされてたよー? あとひと月もすれば休息の期間なのに、どうして面白いことを取っておいてくれないんだってさ!」
そう、ルウ家も再び休息の期間が間近に迫ってきていたのである。
休息の期間は年に3回、ギバの活動具合いによって日取りは不定期になりがちであるが、およそ4ヶ月に1度の割合で訪れる。前回の休息の期間が明けてから、すでに3ヶ月近い時が過ぎているのだ。
「そっか。ミケルたちと日程を合わせるために、なるべく早い日取りにしちゃったんだよね。……ララ=ルウもダバッグに興味があったのかな?」
「興味っていうか何ていうか、そんな機会でもないとジェノスの外に出ることもないじゃん。ま、どうせかまど番としてはあたしよりリミのほうが上等なんだもんねー?」
「ララ、そんなにすねないでよー」
と、荷車から飛び降りたリミ=ルウが笑顔で姉の胸もとに取りすがる。
「ふん!」とララ=ルウは逆側にそっぽを向いた。
しかしまあ、俺が言葉を重ねるより、愛くるしい妹の笑顔のほうがララ=ルウの気持ちを安らがせることはできるだろう。
そんなわけで、俺はその間にモルン=ルティムへの別れの挨拶を済ませておくことにした。
「それじゃあ気をつけてね、モルン=ルティム。北の集落のみんなに美味しい食事を食べさせてあげてくれ」
「はい。宿場町での仕事を放り出すことになってしまい、本当に申し訳ありません」
「こっちはアマ・ミン=ルティムがいるから大丈夫だよ。……ディック=ドムにも、よろしくね?」
「え?」とモルン=ルティムは目を丸くした。
それから、ふくよかな丸顔を真っ赤にしてしまう。
「ディ、ディック=ドムがどうかしましたか? どうしてアスタがそのようなことを……?」
「え? いや、レム=ドムの一件があったからさ。なるべく穏便に話が片付くように願っているだけなんだけど」
「あ、ああ、そういう意味ですか! すみません! 早とちりをしてしまいました!」
いったい何を早とちりしたら、モルン=ルティムが頬を染めることになってしまうのだろう。
そんなことを考えていると、ダン=ルティムが「ふむ」と首を傾げた。
「あのドム家の女衆は、いまだ家に戻っていなかったのか。どれほど身体を鍛えたところで、狩人としての魂が育まれるわけでもないのにな」
「女衆が狩人なんて、馬鹿げたことです」
と、実にひさびさにディム=ルティムが発言する。
もともと寡黙な気性なのだろうが、護衛の仕事中は特に張り詰めた感じでなかなか口を開こうとしない少年なのである。
ダン=ルティムは、太い首だけをねじ曲げてディム=ルティムを振り返った。
「確かに馬鹿げた話だがな、時にはアイ=ファのような女衆も存在するのだから、なかなか侮れるものではない。あのアイ=ファなぞは、俺と互角かそれ以上の力を持つ狩人なのだぞ?」
「そのような話は、なかなか信じられるものではありません。現にダン=ルティムは、狩人の力比べでそのアイ=ファという女狩人を下しているのでしょう?」
「あのときは、アイ=ファが大きな怪我から治ったばかりであったのだ。ひと月後の収穫祭では逆の立場になるのだから、俺のほうが土をつけられてしまうかもしれんな」
「……そんなことがありうるわけはありません」
ディム=ルティムはぶすっとした顔になり、口をつぐんでしまう。
さすがルティムの家人だけあって、元家長のダン=ルティムに心酔している様子である。
「では、そろそろ出発するか! 他の女衆らはどこにいるのだ?」
「家の中でミーア・レイ=ルウと話してるよ。すぐにでも出発できるはずだから」
「ならば出発だ! お前さんはどうするのだ、ディム=ルティムよ?」
「もちろん、ともに参ります。北の集落とて、少し前までは敵地のようなものであったのですから」
不機嫌そうな表情のまま、ディム=ルティムはそのように答えた。
「それではな、アスタ! 10日後を楽しみにしているぞ!」
「はい、ダン=ルティムもお気をつけて」
そうしてルティムの人々らは去り、俺たちはようやく仕事に取りかかることになった。
あれほど頑なにファの家の行状を認めていなかった北の集落の民たちが、いよいよ美味なる食事を生活の中に取り入れるのだ。
宿場町における仕事に関してはいまだ否定的な立場であるとはいえ、色々なことがゆっくりと着実に推し進められているということを、俺は体感することができていた。