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異世界料理道  作者: EDA
第十七章 ダバッグ見聞録
292/1625

休業日①~畑とキミュス~

2016.2/8 更新分 1/1

・今回は5話分の更新です。

 藍の月の11日。

 城下町での仕事を終えた、その翌日のことである。

 俺はその日も屋台の仕事は休みをいただいて、ダレイムの領地に足を踏み入れていた。


「うわあ、広いね! ほんとに森辺や宿場町とは全然違うんだあ」


 はしゃいだ声をあげているのは、リミ=ルウである。

 俺たちは、合計で8名の大所帯であった。


 城下町での仕事を引き受けると、翌日分の下ごしらえをする時間が取れなくなる。ゆえに、屋台の商売を2日連続で休むことは事前に決まっていたため、俺は志願者をつのってこのダレイム見学のイベントを計画してみせたのだった。


 次の休業日である十日後には、カロンの産地であるダバッグへと旅立つことがすでに決定されている。それに先立ってこのダレイムを見学しておくのは、ちょうどいい予行練習になるだろう。


 時刻は上りの五の刻、俺の体内時計では午前の十時前後。

 宿屋の料理はいつも通り朝方にこしらえて、それを宿場町に届けたのち、その足で俺たちはここまでやってきた。


 同行したメンバーは、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウ、トゥール=ディン、ユン=スドラ、そして護衛役のダン=ルティムとディム=ルティムだ。


 かまど番たる6名はギルルの引く荷車に、護衛役の2名はルティム家のトトスたるミム・チャーに陣取っている。

 それで、ダレイムまでおもむいたことのあるレイナ=ルウの案内で、石の街道を南に進み、宿場町の家屋が途切れたところで進路を西側に切り替えると、いくばくもなくダレイム領の景観が俺たちの前に現出したのだった。


 リミ=ルウの言う通り、とても広い。余計な木々は伐採されているため、驚くほどに見晴らしがよかった。

 何キロ先かもわからない地の果てに背の低い雑木林の影が見え、その手前の空間にはひたすら広大な畑が広がっている。踏み固められた畦道はぐねぐねと曲がりながら奥のほうまで続いており、木造の家が畑の間にちらほらと点在している。それは、溜息が出るほど牧歌的でのどかな光景であった。


「ふむ! ここまで広々とした土地を見るのは初めてのことだな! 確かにこれは、森辺とも宿場町とも城下町ともおもむきの異なる地であるようだ」


 ミム・チャーにまたがったダン=ルティムも、ご満悦の様子である。


「では、さっそく踏み入らせていただこう! とりあえずはこの道を進めばよいのだな、アスタよ?」


「はい、そのはずです」


 畑のど真ん中に築かれた畦道を、常歩でゆるゆると進んでいく。この付近では仕事に従事している人間の姿もなかったので、森辺の狩人たるダン=ルティムらが堂々とその姿をさらしていても見とがめられることはなかった。


(本当にのどかなところだな……やっぱり平和ってのはいいもんだ)


 ジェノスは敵対国マヒュドラからも遠く離れているため、戦火に巻き込まれる危険がない。そして日中も夜間も警護の衛兵が巡回し、野盗などの襲撃から町を守っている。ダレイムの人々にとって警戒すべきは、ときおり森から出没するギバの存在のみであるのだ。


「あ、アスタおにいちゃん、こっちだよー!」


 と、畦道をしばらく進んでいくと、元気いっぱいの声が左手の方角から飛んできた。

 このダレイムの地に住まう、ターラである。

 オレンジ色のワンピースみたいな装束を着た小さな女の子が、あちこちに分岐した畦道の向こうからちょこちょこと駆け寄ってくる。


「わーい、ターラだ。ひさしぶりー!」


「リミ=ルウ、ひさしぶり! ほんとにダレイムに来てくれたんだね!」


 荷台から身を乗り出したリミ=ルウとターラが、上と下とでにっこり笑い合う。3日に1回はリミ=ルウも宿場町に下りてきているのに、彼女たちの挨拶はたいてい「ひさしぶり」だ。中2日でも長く感じられてしまうぐらい、おたがいがおたがいを求め合っているということなのだろう。


 その微笑ましい姿をしばし堪能してから、俺はターラのほうに手を差しのべてみせた。


「出迎えありがとう。それじゃあターラの家まで案内してくれるかな?」


「うん!」


 荷台に這いあがったターラの案内で、俺は南側の細めの畦道へと進路を変えた。

 どこまで行っても周囲は畑であり、何の変化も訪れない。しかし、このあたりではちらほらと野菜の収穫に励んでいる人々の姿があり、その中には俺たちの姿を見てぎょっと立ちすくむ者も少なくはなかった。


 宿場町の他には姿を現さない森辺の民が、トトスと荷車に乗ってダレイムの領地を闊歩しているのである。こんなのは、そうそうありえない椿事であるはずだった。


 もちろん本日の来訪については、事前にダレイム伯爵家から了承を取りつけている。実はポルアースも同行したがっていたぐらいであったのだが、バナームの使節団を接待するために忙しいのだ、と彼はたいそう残念がっていた。


「あ、見えてきた! あれがターラの家だよ!」


 リミ=ルウと一緒に御者台の横から顔を出していたターラが声をあげる。

 俺たちの行く手には、想像よりもはるかに大きな家屋が待ちかまえていた。

 いや、きっと野菜を収納する倉庫も併設されているのだろう。一家庭の家屋の規模ではないし、それに、二階建てと平屋の建物がぴったり寄り添うような格好で建っている。大きいのは、丸太で組まれた平屋の建物のほうだった。


「やあ、アスタ! それに森辺のみなさんがたも、いらっしゃい!」


 と、その建物に到着する前に、また横合いから声をかけられる。

 見ると、大きな籠を背負ったドーラの親父さんが畑のほうから歩いてくるところであった。


「ずいぶん早かったね。お茶の準備をしそこねちまったよ」


「いえ、お忙しいところをすみません。俺たちにはかまわず仕事を続けてください」


「なに、ちょいと早いが昼休みだ。大事なお客さんを放ってはおけないよ」


 ドーラの親父さんはわざわざ俺たちの来訪にあわせて、宿場町での仕事を息子さんと交代してくれたのである。

 額の汗を土まみれの手でぬぐいながら、親父さんはにこにこと笑ってくれている。


「とりあえず、荷車を家の前に置いてくるといい。それから俺たちの自慢の畑をお見せするよ」


「はい、ありがとうございます」


 俺たちは親父さんをその場に残し、荷車を家の前まで移動させた。

 家のほうは、無人のようである。きっとみんな、それぞれの仕事に励んでいるのだろう。野菜を育てて、収穫し、それを売りさばく。ダレイムの人々も森辺の民に劣らず多忙な毎日を送っているのである。


 荷車は邪魔にならないよう家屋の壁沿いに駐めて、ギルルとミム・チャーは手近な木の枝に繋がせていただく。

 それから徒歩で道を戻っていくと、親父さんは籠を足もとに下ろして俺たちを待ち受けていた。


「ここはタラパの畑なんだよ。よく育ってるだろう?」


 籠の中には、確かによく育ったタラパがぎっしりと詰め込まれていた。

 色合いや味はトマトにそっくりなタラパだが、サイズはカボチャなみである。少し土で汚れてはいるが、実に美味そうだ。


「ええと、たしか城下町に卸す分はもっと小さなタラパなのですよね?」


「ああ、うちでも少しだけ扱ってるよ。自分の目で確かめてみるといい」


 籠は道端に放置したまま、親父さんの案内で畑に降りた。

 畑は道よりも4、50センチほど低い位置にあり、土質はやわらかそうな茶色であった。ぎりぎり人間が通れるぐらいの隙間を残して、巨大な緑色の葉が茂っている。高さは俺の膝ぐらいだ。


 親父さんがその葉の1枚をひっくり返すと、その下にタラパの実が生っていた。

 ひとつの茎に、実はひとつ。果実の重さにあらがうように、太い茎が大きくしなっている。


「ここらは宿場町に卸す分だね。城下町のは、この奥だ」


 大事なタラパを踏み潰さないように気をつけながら、ぞろぞろと先に進んでいく。大きな畑の4分の1ぐらいを踏破したあたりで親父さんは足を止め、また手近な葉をつまみあげた。

 その下から現れたのは、俺も城下町の食料庫で見たことのある、人間の拳ぐらいの大きさをしたタラパだ。

 サイズ的にはこちらのほうが俺の知るトマトに近いが、しかし形状は干し柿のようにしなびてしまっている。


「見た目は悪いが、こうやってしぼんじまったほうが、うんと甘みが増すんだよな。だけど、ここまでしぼむのを待ってたら収穫するのに倍以上も時間がかかっちまうから、こんなに小さいのに値段も倍以上になっちまうわけさ。こんなのは、城下町でないとまず買い手はつかないね」


「そうみたいですね。確かに城下町で準備されていたタラパはそのまま食べても十分に美味しかったです。中の身も、大きなタラパに負けない瑞々しさでしたし」


 それは昨日、歓迎会の料理として俺も使わせていただいている。


「だけど、アリアと一緒に煮込んでしまえば大粒のタラパでも十分に美味しいですし、値段のことを考えれば、俺はこれからもあちらのタラパを買わせていただきたいですね」


「ああ、うちでもすっかり細かく刻んで焼いたアリアと一緒に煮込むのが当たり前になっちまったよ」


 笑いながら言い、親父さんはもと来た道を引き返す。


「それじゃあ今度はどの野菜を見てもらおうかね。やっぱりアリアやポイタンかな?」


「そうですね。どの野菜も興味深いですけど、やっぱりそのふたつが特に気になります」


「アリアは家の裏にあるんだ。さっきのタラパを運んじまいたいから、それじゃあアリアを見てもらおう」


 歩きながら、俺はみんなの様子をうかがってみた。

 とりあえず、退屈そうにしている者はいない。リミ=ルウやダン=ルティムなどはたいそうご機嫌な面持ちであるし、トゥール=ディンやシーラ=ルウも好奇心に目を輝かせている。


 ただ唯一、レイナ=ルウの表情だけが物思わしげであるように感じられた。

 彼女は昨晩ヴァルカスの料理を口にしてから、ずっとこのような表情でいるのだ。


「さ、こっちだよ」


 ドーラの親父さんを先頭に家の前まで歩を進め、建物を迂回して裏手に回る。

 案に相違して、そこにはずらりと樹木が立ち並んでいた。

 畑はこの林の向こうなのかな、などと考えていると、親父さんはその木の一本を手の平でぱしんと叩いた。


「こいつがアリアの木だ。よく実ってるだろう?」


「え? アリアは木に生るのですか?」


 俺は驚いて、視線を巡らせる。

 すると、それらの木の枝には確かに見覚えのあるアリアがあちこちにぶら下がっていた。

 タマネギとそっくりのアリアが、まるでリンゴか何かのように高い木の枝に生っているのである。これはちょっと、想像していなかった光景であった。


「へえ……てっきりアリアは土の中で育つものと思っていました」


 アリアは表皮も茶色ではなく緑がかっているので、遠目に見ると果物のように見えてしまう。

 というか、俺の世界では「木に生るものは果物である」という分類法も存在したのだが、この地ではいったいどのように野菜と果物を分類しているのだろう。


「なかなか見事なもんだろう? 高い枝に生っているやつは、梯子を使って収穫するんだ。このあたりのはまだ若いので、収穫するのは半月後ぐらいかな。これぐらい小さくても食えないことはないが、あんまり早く収穫すると品切れを起こすことになっちまうからね」


「そういえば、俺がこの地にやってきてもう半年ぐらいが経ちますけど、野菜が品切れになったことは一度もありませんね」


 そう考えると、アリアに限らず他の野菜たちもそのほとんどが多年生なのだなと思えてくる。やはり、俺の常識を持ち込んでもあまり意味はないのかもしれない。

 しかしまあ、一年を通して同じ野菜が美味しくいただけるなら、俺の側に不満など持ちようもなかった。


「俺の故郷は季節によって取り扱える野菜の種類が異なっていたんですよ。でも、このジェノスは気候が一定しているので、そういう不自由さもないわけですね」


「そうだね。まあ、タラパやプラなんかはそういうわけにもいかないけどさ」


「え?」


「雨季が来て地面がぐずぐずになっちまったら、タラパやプラなんかは作れなくなっちまうんだよ。その間は、雨に強い別の野菜を育ててしのぐわけさ」


「このジェノスには雨季が存在するのですか」


 驚いて聞き返すと、親父さんは俺以上に驚いた顔をした。


「そりゃそうさ。1年の内の2ヶ月は毎日が雨づくしだよ。太陽が出る日なんて数えるぐらいしかない。だから、アリアやポイタンもずいぶん小粒になっちまうんだよね」


「それは初耳でした。ちなみに次の雨季はいつ頃に訪れるのでしょう?」


「雨季は茶の月からだから、まだまだ先だよ。ざっと4ヶ月後ぐらいかな」


 それならば、俺は前回の雨季が明けてから早々にこの地へ遣わされた、ということになるわけだ。

 まったく、意想外な話が聞けるものである。


「だけどまあ、雨季の野菜も捨てたもんじゃない。そいつを使ってアスタがどんな料理を作ってくれるのか、今から楽しみなところだね」


 そう言って、親父さんは楽しそうに笑った。


「それじゃあお次はポイタンかな。ポイタンは、このアリアの畑の向こう側にあるんだ」


 アリアの畑というか林は、タラパのそれよりもさらに広大であった。

 しかしそれも、俺たちが商売に使う分だけで1日に100個以上も購入していることを思えば、当然のことなのだろう。


 安価ゆえに城下町ではあまり使われないという噂のアリアであるが、宿場町や森辺の集落で消費される分まで考えたら、さらにおびただしい量のアリアが栽培されているはずなのである。もしかしたら、俺が最初に遠景で確認した雑木林も、他の家が管理するアリアの畑であったのかもしれなかった。


「こいつがポイタンの畑だよ」


 その広大なるアリアの林の向こう側に、また広大なるポイタンの畑が広がっていた。

 なおかつそこでは、大勢の人々が収穫に励んでいる。畑が大きすぎて人影はまばらに見えてしまうが、数十人単位で働いているのは確実であるようだった。


「へえ、ここはまた段違いに大きな畑ですねえ」


 しかもそこは平地でなく、やたらと起伏にとんでいるように見えた。うねうねと波打った大地から、しなびた薄緑色の葉がびっしりと生えている。その葉の様子を確認しながら、人々は土中のポイタンを次々と引っこ抜いているようだった。


「あっちの奥のほうなんかは、ここ数ヵ月で切り開いた畑なんだよ。ほら、貴族様のお達しでポイタンの畑を広げることになったって言っただろう? そのときに広げた畑からも、ようやく収穫できるようになってきたんだ」


 これまで宿場町で主食とされてきたフワノに取って代わり、現在ではポイタンを扱う家や店が増えてきているのだ。そのおかげで、ドーラの親父さんもだいぶん稼ぎが上がってきたらしい。


「ただし、町で売るポイタンは一回煮詰めて粉にしてから売りさばくように取り決められちまったからね。煮詰める場所や道具なんかは貴族様が準備してくれたが、その仕事を任せる人夫への日当は俺たちが負担することになっちまったから、それを考えると、とんとんさ。稼ぎを上げるためには、もっともっと畑を広げなきゃならないんだ」


「なるほど。ポイタンは今まで以上に薄利多売の商品になってしまったわけですか」


「そういうこったね。でも、作ったそばから売れていっちまうから、決して損な商売ではないよ。いまだにどの家でも先を争ってポイタンの畑を広げている真っ最中なんだ」


 そして、ポイタンが普及すればするほど、フワノを売っているトゥランの財政は厳しくなっていくわけである。トゥランを取り仕切っているトルストのくたびれた顔を思い出すと、あまり手放しで喜んでばかりもいられない。


(でも、パスタやうどんを作るにはフワノも必要だからな。あれが町でも人気の商品になれば、少しはバランスも取れるだろう)


 何にせよ、まだ縁の薄いトルストよりは、ドーラの親父さんの笑顔のほうが嬉しく思えてしまう俺なのである。

 今のところは、トゥランに偏っていた富がダレイムの人々に流れ込んできたことを寿ぎたかった。


「ルウ家のお嬢ちゃん、たしか、リミ=ルウだったっけ? よかったらポイタンを引っこ抜いてみるかい?」


 と、ドーラの親父さんがリミ=ルウに呼びかけた。

「いいの?」とリミ=ルウは瞳を輝かせる。


「地面の上から眺めてるだけじゃあ、見物に来た甲斐もないだろうからね。そうだなあ……よし、こいつをお願いしようかな」


「うん!」


 ドーラの親父さんが指し示した薄緑色の茎と葉を、リミ=ルウがわしづかみにする。

 が、ずいぶん深く根を張っているようで、ポイタンはなかなか持ち上がってこない。


「ターラも手伝うね!」と、横からターラが手をのばした。

 そうしてふたりが「せーの!」と掛け声をあげて引っ張ると、おびただしい量のポイタンが地中から引きずり出されてきた。


 外見はジャガイモにそっくりのポイタンが、10個ばかりも数珠つなぎになっている。それらがすべて引きずり出されたところで、ふたりの幼い少女たちは勢いあまって地面にひっくり返ってしまった。


「おお、見事なポイタンだ。ちゃんと根っこの先っぽまで引っ張り出せたみたいだね」


 ドーラの親父さんは笑いながらリミ=ルウたちを抱え起こす。


「これでポイタンの実を収穫したら、残った根っこはまた同じように埋めておくんだ。そうすれば、また何ヶ月後かに新しいポイタンができあがってるからね」


「面白ーい! ポイタンって、こうやって作られてるんだね!」


 ポイタンについた土を払いながら、リミ=ルウは笑顔でそう言った。

 その手もとを、ダン=ルティムが「ふうむ」と覗きこんでくる。


「確かに面白いな。……ところで、ギバもこのポイタンを喰らうのだったかな?」


「ああ、ギバはアリアやポイタンが好物みたいだね。アリアなんかは木に突進して、枝に生っているやつを落としちまうんだからタチが悪いよ。……ま、ティノやタラパの畑だっておんなじように荒らされちまうんだけどさ」


 親父さんがダン=ルティムと口をきくのはこれが初めてのことであったが、べつだん物怖じしている様子はない。

「なるほどな」とダン=ルティムは顎髭をしごきながら豪放に笑った。


「ジェノスの恵みを守るのは俺たちの仕事だが、そもそも俺たちだってここの畑で作られている野菜を喰らっているのだ。それを思えば、いっそうギバなどに分け前を奪われてなるものかという気持ちになれるな」


「ああ、あんたたち森辺の民がいるからこそ、俺たちは安心して仕事ができるんだ。……そういえば、ここ数ヵ月は少しずつギバの被害も減ってきているみたいだよ」


「うむ! スン家の連中も真面目にギバを狩るようになったし、俺たちもこれまで以上に力をつけてギバを狩れるようになったからな! ……もっとも、ここひと月ばかりは俺も仕事を果たせてはおらんが」


 と、ダン=ルティムは杖の柄で禿頭をかいた。

 その巨体を見上げつつ、親父さんは目を細めて微笑む。


「それだって、狩人の仕事で痛めたものなんだろう? あんたたちには、本当に感謝しているよ」


「なに、ギバを狩るのは俺たちの仕事で、野菜を作るのはお前さんたちの仕事だ。おたがいに仕事をまっとうすれば、美味い食事にありつける! まったくよくできているものではないか」


 親父さんは笑顔でうなずいてから、俺のほうを振り返った。


「それじゃあ次の畑だね。うかうかしてると中天になっちまうから、その前に残らず見物してもらおう」


                ◇


 その後はティノやプラやネェノンの畑を巡り、ドーラの親父さんの管理する畑はひと通り見物し終えることができた。


 しかし、本日の見学ツアーにはまだメインイベントが残されている。

 即ち、キミュス小屋の見物である。


「うちはあくまで野菜売りだからね。キミュスなんてのは、自分たちで食べる卵のために育てているだけなんだ」


 そのように説明しながら、親父さんは家の裏手に俺たちを案内してくれた。

 2階建ての家屋と平屋の倉庫にはさまれる格好で、小さな木の小屋が建てられている。大きさは、せいぜい5メートル四方である。


 親父さんが戸板を開けると、中は薄暗かった。

 薄暗い中で、何か白くて小さなものが跳ねている。


「そら、あれがキミュスだよ」


 入ってすぐのところに、腰の高さまで塀が巡らされている。その向こう側には干し藁のようなものが敷きつめられており、そして――そこに、キミュスがいた。


「……あれがキミュスですか」と、俺は言わずもがなの言葉を返してしまう。

 それはなかなかに想像を絶する形状をしていた。


 確かに空を飛ぶことはできないのだろう。さして広くもない小屋の中を、数羽のキミュスがぴょんぴょんと跳ねている。

 しかし、それを鳥類と認識するには、かなりの時間を要してしまった。


 伝え聞いていた通りに、羽は首の付け根に生えている。

 胴体や足の形状は、ニワトリに近い。

 全身を覆っているのはアヒルのようにぺったりとした質感の短い羽毛で、飛べない翼と尻尾にのみ、ゆたかな羽毛が生えている。


 そして、首は短くてずんぐりとしており、頭部もそれなりの大きさである。

 で、その丸っこい頭には、平たくつぶれた黄色いくちばしが生えている。


 それはまるで、ニワトリとウサギとカモノハシを掛け合わせたような、実に珍妙なる生き物であったのだった。


「どうしたね? ずいぶんびっくりしているようだけど」


「いえ……そういえば、俺はトトス以外の鳥を見るのは初めてだったんです。何ていうか、ずいぶん奇妙な格好をしているんですね、キミュスというやつは」


「奇妙かい。まあ確かに、鳥とも獣ともつかない姿ではあるかな」


 親父さんは、足もとに転がっていた壺からクリーム色をした粒状の飼料をつかみとり、それを塀の内側に放り込んだ。

 あちらこちらで跳ねていたキミュスが、ぴょんぴょんとユーモラスな動作で集まってくる。


「こいつは出来損ないのポイタンとアリアに干したマルを砕いて混ぜ合わせた餌だよ。ポイタンを多めに食べさせると、大きな卵を生んでくれるんだ」


 言いながら、親父さんは腕をのばしてキミュスの1羽をひっとらえた。

 羽のすぐ下の首根っこをつかまれて、キミュスはキイキイと鳴き声をあげる。


「うわあ、なんだかちょっと可愛いですね!」


 と、はしゃいだ声をあげたのはユン=スドラであった。

「可愛いかね?」と親父さんは目を丸くしつつ、そちらにキミュスを差し出してみせる。

 ユン=スドラは、笑顔でそれを受け取った。


 可愛い――といえば可愛いのだろう。ウサギを思い起こさせるのは2枚の羽が長い耳を連想させるためであり、面相はやっぱりカモノハシに近い。が、意外につぶらな瞳をしているし、つぶれたくちばしは微笑みをたたえているように見えなくもない。


「こんなに可愛いと、情が移ってしまいそうです。町の人間は、このキミュスの肉を食べているのですよね?」


「そうだね。でも、ここにいるのは卵のためのキミュスだから、老いて卵を生めなくなるまでは肉にされることもないよ」


「そうですか。わたしはとうていこの子たちの肉を食べる気にはなれません」


 そのように言いながら、ユン=スドラは愛おしそうにキミュスの身体を抱きかかえていた。本当に、今にも頬ずりでもしてしまいそうな様子である。


「ふうむ。しかし、小さな獣が可愛らしいのは当たり前のことだ。ギーズだって、土まみれでなければ案外に可愛らしい顔つきをしているものだしな。……それに、お前さんはギバの子供を見たことはないのかな、スドラの女衆よ?」


 ダン=ルティムがそのように問いかけると、ユン=スドラは不思議そうにそちらを振り返った。


「ありませんが、それがどうかしましたか、ダン=ルティム」


「いや、俺は何度か狩りの最中に見かけたことがあるのだが、あやつらは子供だと小さくてころころとしており、実に可愛らしい姿をしているのだ。嘘だと思うなら、いずれ捕まえてきてやろうか」


「ええ! それはどうぞご容赦ください! ギバに情が移ってしまったら、わたしは森辺の民として生きていくことができなくなってしまいます!」


 悲愴な表情でユン=スドラが応じると、ダン=ルティムを筆頭とする何名かが愉快そうに笑い声をあげた。

 その笑い声の向こうから、小さく「ちっ」と何かを弾くような音色が聞こえたような気がして、俺は後方を振り返る。


 俺の後方には、輪から外れたレイナ=ルウがぽつんとたたずんでいた。

 実に苦りきった面持ちである。

 で――俺と目が合うなり、何故かしらレイナ=ルウは顔を真っ青にして俺の腕に取りすがってきた。


「い、今のが聞こえてしまいましたか?」


「今のって? 何か物音がしたような気がしたんだけど」


 俺の言葉に、レイナ=ルウはいっそう顔を青くしてしまう。


「ち、違うんです。今のは勝手に身体が反応してしまっただけで――決して自分の意思ではなかったのです」


 ぼそぼそと早口で囁きかけてくる。

 その慌てふためいた表情で、俺は真相を推測することができた。


「え……それじゃあ今のって、まさか、舌打ち……?」


 俺のTシャツの袖口をつかんだまま、レイナ=ルウは身も世もなくうつむいてしまう。

 やがてその顔は、青から赤へと変じてしまうことになった。


「そ、それはちょっとびっくりしてしまうね。レイナ=ルウは、そこまでユン=スドラの言動が癪にさわってしまったのかな?」


「そういうわけではないのですが……ただ、どうしてあの娘はこの場にいるのだろう、と最初から気にかかっていたものですから……」


「どうしてって、それはかまど番として熱心だからなのじゃないかな?」


「あの娘は、本当にそこまで熱心なのでしょうか?」


 まだその顔は火照らせたまま、レイナ=ルウは小声で言い捨てた。

 それはまあ確かに、レイナ=ルウとシーラ=ルウとトゥール=ディン、この3名ほどの情熱をユン=スドラが備え持っているとは思えない。だからきっと、半分がたはリミ=ルウと一緒で物見遊山の気分なのだろうな、とは思っていた。


「わたしは少しでもかまど番としての力を得るために、アスタに同行を願ったのです。だけどあの娘からは、それほどの真摯さを感じ取ることはできません」


「うん、だけどまあ、ダレイムの人たちとの絆を深めるっていうのも目的のひとつだからさ。そこまで堅苦しく考える必要はないと思うよ?」


「ですが……」


「ああ、先日の忠告については忘れたりしていないよ。だから今日も、なるべく彼女とは口をきかないように気をつけているだろう?」


 そのように言ってから、俺はレイナ=ルウをなだめるために微笑んでみせた。


「でもさ、それとは別の話で、レイナ=ルウは昨晩からずっと打ち沈んだ顔をしていたね。もしかしたら、まだヴァルカスの料理から受けた衝撃が冷めていないんじゃないのかな?」


 レイナ=ルウは、唇を噛んで黙りこくってしまった。

 俺は非礼にならぬよう、ショールの上からその肩を叩いてみせる。


「前にも言ったけど、あまり思いつめないほうがいい。俺だってヴァルカスの料理には驚かされたし、かまど番として奮起させられたけど、一朝一夕でどうにかなる話でもないからね。自分にできることをひとつずつ積み上げていくしか道はないんじゃないのかな」


「ええ……はい、それはわたしもわかっています」


 そのように答えながらも、レイナ=ルウの表情は変わらない。

 そこで、頭上から声をかけられた。


「何をぼそぼそと喋っておるのだ? いいかげんに俺は腹が空いてきてしまったぞ、アスタよ!」


「ああ、そうですね。それじゃあそろそろ軽食をとりましょうか」


 本日はこのまま、ドーラの親父さんの家で軽食をこしらえる約束になっているのである。

 美味しいものを食べれば、レイナ=ルウの気持ちも少しは晴れるだろう。俺はもう一度レイナ=ルウの肩を叩いてから、みんなと一緒にキミュス小屋を後にすることにした。

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[気になる点] 第二十四章 金の月 において、再度ポイタンの指導に奔走することになっていますが、この話の記述から、既にポイタンの流通は基本粉になっていて、ポイタンのせいで不味いポイタン鍋になる問題は無…
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