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異世界料理道  作者: EDA
第十六章 星はなけれども
291/1629

歓迎の宴④~宴~

2016.1/24 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。次回の更新まで少々お待ちください。

 俺たちは、六の刻のきっかり一刻後に祝宴の場へと駆り出されることになった。

 食堂の隣室に完成した料理をいったん運び込み、そこからまずは前菜だけをお届けする。厨から直接運ぶのでないなら一品ずつ出さなくてもよさそうなものであるが、まあこれがジェノス流の作法なのであろう。


 祝宴の場に出向いたのは俺とアマ・ミン=ルティム、ヴァルカスとシリィ=ロウ、そして護衛役のアイ=ファとサウティ家の男衆である。

 さらに小姓らの手を借りて、食器を載せたワゴンを室内へと運搬する。アイ=ファたちは前回の晩餐会と同じように、扉の脇に立って俺たちの働く姿を見守ることになった。


「おお、ご苦労であったね。バナームよりの客人にご紹介いたそう。こちらが本日の宴のために厨を預かってくれた料理人、《銀星堂》のヴァルカスと森辺の民アスタだ」


 そのように声をあげたのは、およそ2ヶ月と10日ぶりに見るジェノス侯爵マルスタインであった。

 長くのばした褐色の髪に、貴族らしく気取った口髭、すらりとしていて若々しく、とても物腰のやわらかい――それでいて、どことなく心情の読みにくいジェノスの支配者だ。


 さらにその場には、前回の宴で同席した貴族たちも勢ぞろいしていた。

 ダレイム伯爵家のポルアース、サトゥラス伯爵家のリーハイム、トゥラン伯爵家のリフレイアとトルスト、ジェノス侯爵家のメルフリード、そしてバナーム侯爵家のウェルハイドである。


 その他に見知っているのはディアルとアリシュナとダリ=サウティのみで、残りの十余名は知らぬ顔だ。

 ただ、ウェルハイドのかたわらに同じような赤の礼服を纏った男性が2名並んでいるので、それがバナームの使節団なのだろうと察せられる。残りは6名が壮年の男性で、4名が若い貴婦人たちであった。


「では、すっかり夜も更けてきたことだし、さっそく晩餐を始めることにしよう」


 どうやら宴の挨拶などはすっかり完了しているようで、俺たちはすみやかに配膳を開始することになった。

 俺のほうは川魚のカルパッチョで、ヴァルカスのほうは小さなフワノの生地に魚肉のペーストを載せた前菜だ。


「リリオネの魚を使った前菜でございます」


 ヴァルカスは小姓を寄せつけず、シリィ=ロウとふたりで料理を取り分けていた。

 ちなみにシリィ=ロウは俺をにらむのをやめた代わりに、能面のような無表情でてきぱきと働いている。


「ほう、噂には聞いておりましたが、ジェノスでは本当に魚を食することができるのですな。しかも火を通していない魚の料理とは驚きです」


 ウェルハイドの隣に陣取った初老の男性が、上品に整えられた口髭を撫でながら微笑していた。

 その隣のちょっと肥満気味の男性は、実にうろんげな目つきで2種の前菜を見比べている。


「何も心配はいりません。このトゥラン伯爵邸では西から運ばせた魚を生きたまま保管しているので、さばいたばかりのカロンと同じぐらい新鮮です。……そうであったね、ヴァルカスよ?」


「御意にございます、ジェノス侯」


「では、さっそくいただこう。君の料理を口にするのは数ヵ月ぶりであったので、わたしも楽しみにしていたのだよ」


 逡巡する客人たちを気づかってか、マルスタインが率先してヴァルカスの皿に手をのばした。


「ああ、これは美味だね。こと魚料理に関してはジェノス城の料理長とて君には太刀打ちできないだろう、ヴァルカス」


「過分なお言葉をいただき光栄にございます」


 ジェノス侯爵を前にしても、ヴァルカスのぼやっとしたたたずまいに変化はなかった。

 マルスタインを皮切りに、宴の参加者たちは次々と料理を口に運んでいく。


「おお、アスタ殿の料理も美味ですな。ジェノスでこれほど巧みに魚の料理を作ることのできる料理人はそうそうおらぬでしょう」


 そのように発言したのは、意外なことにトルストであった。

 ポルアースは実に満足そうな面持ちで料理を食んでおり、リーハイムは――以前に見たときよりも、明らかに不機嫌そうな顔つきだ。

 頭を油でなでつけたこの御仁は、レイナ=ルウへの贈り物を突き返されて以来、屋台にも姿を現さなくなってしまったのである。給仕の助手をアマ・ミン=ルティムにお願いしたのも、そのあたりの事情を鑑みてのことであった。


 ともあれ、お客人たちはのきなみ満足そうな様子である。

 試食の場でもそうであったが、生の魚の料理というだけで驚きは大きく、なおかつ感想はひねり出しにくいところなのであろう。

 そんなことを考えている間に、次なる料理が小姓たちによって運ばれてきた。


「こちらはカロン乳とカロンの胸肉の汁物料理です」


「こちらはタラパとギバの腸詰め肉を使った汁物料理です」


 複雑な味と香りを有するカロン乳のスープとミネストローネが配膳される。

 そこで真っ先に声をあげてくれたのはディアルであった。


「うん、これは素晴らしい味わいですね。タラパの汁もギバの肉も非常に美味です」


 口調ばかりでなく声そのものも普段よりはおしとやかになっているディアルである。

 などと考えていたら、遠い位置から細目でにらまれてしまった。

 カンの鋭さは森辺の民に匹敵するかもしれない。


「これが噂のギバ肉ですか。ふむ、実に面妖な形をしておりますな」


 初老の貴族が興味深げにミネストローネの皿を覗き込んでいる。


「しかし、ギバといえばジェノスにおいて災厄の象徴とまで呼ばれていた獣でありましょう? そのようなものをカロンの代わりに食する価値があるのでしょうかな」


 そのように述べたのは隣のふとっちょの貴族であった。

 たちまちウェルハイドが眉をひそめてそちらに言い返す。


「これはジェノス侯が我々のために用意してくれた宴の料理なのです。それを悪し様に述べるのはあまりに礼を失した行為かと――」


「まあ、そのようにいきりたつものではない。まずはわたくしが味を見てしんぜよう」


 柔和な微笑をたたえつつ、初老の貴族がギバの腸詰め肉に三叉の食器を突きたてる。

 その健康そうな歯が腸詰め肉を噛み破り、何度か大きく顎を動かして咀嚼すると――その目が「おお」と見開かれた。


「これは……実に美味ですな。しかも、驚くほどにやわらかい。これはギバ肉の燻製なのでしょうか?」


「はい。肉を刻んで腸に詰め、それを燻してから煮込んだものです」


「ううむ、これは美味い。まさしくカロンにも劣らない肉でありますな」


「そんな馬鹿な」と言いながら、ふとっちょの貴族もミネストローネの皿を引き寄せた。

 その目もまた愕然と見開かれてしまう。


「どうです? 僕の言葉に偽りはなかったでしょう?」


 誇らしげに言ってから、ウェルハイドが上座から視線を飛ばしてくる。

 生真面目そうで、若々しい。この純朴で熱情的な貴族の若者も、相変わらずの様子であった。

 この真っ直ぐな目をした若者が故郷でギバ料理の美味しさを喧伝してくれていたのかと思うと、面はゆい限りである。


「あら、本当に美味なのね」


「嘘みたい。本当にこれがギバの肉なのかしら」


「ギバの肉だけでなく、これは素晴らしい料理であるようよ」


 と、下座の女性たちは華やかな声をあげてくれている。

 いずれも豪奢に着飾った若い貴婦人で、何か役職を持っているようには見えない。文字通り、彼女たちは宴を彩る花なのであろうか。


「いや、こちらの料理もまったく負けてはいないようだぞ?」


 そのように声をあげたのは、向かいの席の見知らぬ貴族だ。

 とたんに宴の場は、どちらの料理が美味であるかという品評の声に埋めつくされてしまう。


「どちらも美味だね。アスタはこの数ヵ月で見違えるほど腕を上げたようだ」


 マルスタインが、やわらかいが通りのよい声でそのように宣言する。


「森辺の族長ダリ=サウティはいかがであろうかな? 先の宴よりも楽しめていれば幸いなのだが」


「ああ、この料理も実に不思議な味をしているが、まったく食べにくいことはない」


 ダリ=サウティが発言すると、品評の声は明らかに静まった。

 やはり貴族やそれに準ずる人々の中で、森辺の狩人の存在は異質である。しかもダリ=サウティは、この場の誰にも負けていない巨躯の持ち主だ。腰の刀こそ預けてはいたものの、ギバの毛皮を纏ったその姿に威圧感を覚える者も少なくはなかっただろう。


「それに、自分もアスタの料理を食べるのはあの宴以来でな。その腕前が上がっていることに驚かされていたところだ」


「なるほど。森辺の集落は広いので、誰も彼もがアスタの料理を気軽に食べることができるわけではない、ということか」


「その通りだ。宿場町の民などは毎日アスタの料理を食べているのに、家の遠い我々にはそうすることがかなわない。このように美味なる食事を味わわされてしまうと、それがいささかならず不満に思えてきてしまうほどだ」


 そのように言いながら、ダリ=サウティはにこりと微笑んだ。

 そうして笑うと、もとの朴訥とした感じが蘇る。もともと彼は、森辺の男衆としては格段に穏やかで柔和な気性なのである。


(でも、前回の晩餐会では笑顔のひとつも見せなかったからな。それだけ貴族たちに対する不信感も解けてきたってことか)


 あるいは意識的に、友好的な面をあらわにしているのかもしれない。ガズラン=ルティムほどではないにせよ、彼だってそれぐらいの社交術はわきまえていそうであった。


「では、次の料理です」


 ヴァルカスの声とともに、新たな皿が供される。


「こちらはマロールの身と殻を練り込んだフワノ料理です」


「こちらはフワノとポイタンを使った『パスタ』という料理です」


 宴の場に、今度は驚嘆の声が満ちることになった。

 異形の料理『ギバ・ベーコンのクリームパスタ』によってもたらされた驚きだ。

 ビジュアル的には、やはりツイスト・ロールよりもパスタのほうが強烈なインパクトを与えたことだろう。


「そちらの料理は三叉の食器でからめ取ってお召し上がりになってください。木匙で下側を支えると、より食べやすいと思います」


 ざわざわとどよめきながら、各人がパスタを食していく。

 その中で、ついにポルアースが「ああ!」と大声をあげた。


「これは美味だね! 美味だし、不思議だ! アスタ殿とはもっとも親交の深い僕が何を言っても興を冷ますことにしかならないだろうから、できるだけ静かにしていようと心がけていたのだけれども……これではさすがに黙っていられないよ!」


「まあ。あなたがそのように大人しくされていたら、周りの皆が心配してしまいますわ、ポルアース殿」


 と、貴婦人の中でもとりわけ豪奢な姿をした女性が愉快そうに笑い声をあげる。

 黄褐色の髪を高々と結いあげた、若くて美麗な女性である。純白のふわりとしたドレスを纏っており、首から下げた宝石の飾り物が、燭台の火を受けて鮮やかにきらめいている。


「でも本当に、これは美味だし不思議な料理ね。やっぱりこの不思議な料理はあなたの故郷からもたらされたものなのかしら、森辺の料理人アスタ?」


「はい。食材はすべてジェノスのものですが、これは自分の故郷の料理です」


「あなたは森辺の民であると同時に、渡来の民なのですものね。素晴らしいわ。わたしの屋敷の料理人として召しかかえたいぐらいよ」


 若き貴婦人がそのように述べると、「馬鹿なことを言うな」という感情のない声があがった。

 月光のように冷たい灰色の瞳をした貴族が、貴婦人の姿を静かに見据えている。


「ファの家のアスタとトゥラン伯爵家にまつわる騒乱を知った上でそのような発言をするものではない。少しは自分の立場というものをわきまえるべきであろう」


 それはごもっともな話であるが、あまりリフレイアの前で蒸し返してほしい話題ではなかった。

 心配になって俺は視線を転じたが、リフレイアはすました顔でパスタを巻き取っている。


「あら、わたしは素直な心情を述べただけなのに、それすらも許されないというの? 別に力ずくでファの家のアスタを連れ帰ろうと言っているわけでもないのに」


「だから、そのように軽はずみな発言は――」


「あなたがそんなに堅苦しい気性をしているのですから、わたしは奔放にふるまったほうが均衡が取れるのじゃないかしら?」


 俺は驚いて視線を貴婦人のほうに引き戻す。

 どうして彼女はメルフリードを相手にここまでずけずけと言葉を返すことができるのだろう。

 そんな風に考えていたら、マルスタインが笑顔でその答えを提示してくれた。


「驚かせてしまって申し訳なかったね、アスタよ。彼女はエウリフィアといって、メルフリードの伴侶なのだよ」


「あ……そうだったのですか」


「私にとっては義理の娘だが、不思議なことに血の繋がっている息子よりも彼女のほうが私と気性が似てしまっているようで、ときおりこうして周囲の者たちを困らせてしまうのだ」


「あら、わたくしはジェノス侯爵閣下ほど腹黒い人間ではないつもりなのですけれどね」


 そのように言いながら、エウリフィアなる貴婦人はころころと笑う。

 きっとその態度に毒っ気がないからであろう。他の貴族たちも談笑を楽しむ体で微笑んでいる。


「しかし、エウリフィアよ、アスタはこの腕前によって宿場町では随一の料理人と評されているのだ。それを貴族が召しかかえてしまったら、再びいらぬ反感を抱かせることにもなってしまう。ジェノスの安息のためにも、その心情はおさえてほしいところだね」


「そうなのですか。では、わたくしもポルアース殿のようにお忍びで料理を買いに出向こうかしら」


「エウリフィア」と、ついにメルフリードの声に溜息が混じり始めた。

 この御仁に溜息をつかせるなんて、なかなか大した奥方であるようである。


「僕だって、毎回自分で足を運んでいるわけではないですよ。……それにしても、素晴らしい料理だ。しかもこのフワノ料理はおたがいの味を引き出し合っているようにも思えてしまうのだけれども、まさかこれはふたりで示し合わせているわけではないのだよね、アスタ殿にヴァルカス殿?」


「示し合わせて? ……そのようなことは、ありえません」


 ヴァルカスが無表情に応じると、「そうだよねえ」とポルアースは破顔する。


「でも、汁気の多いアスタ殿の料理とヴァルカス殿の焼いたフワノは、とても相性がいいようなのだよ。このような料理を同時に食せるのはとても幸福なことだと思えてしまうね」


 俺も少し驚いたが、まあ偶然の産物である。

 ただ、ポルアースの言葉を聞いた瞬間、シリィ=ロウが一瞬だけ瞳をぎらつかせたような気がしてしまった。

 曲解して、「両者の腕前は互角である」とでも受け取ってしまったのだろうか。


 ともあれ、6種の料理も半分が終了した。

 お次はいよいよ、野菜料理である。

 こちらでは、ヴァルカスの料理が存分に注目を集めることになった。


「これはこれは……さきほどのフワノ料理にも負けない面妖さでありますな」


 細く刻んだ野菜や香草で作られた、芳香の爆弾である。

 俺たちに供されたのはピンポン玉ていどのサイズであったが、本番用はテニスボールぐらいの大きさであった。

 やはりこれはヴァルカスのオリジナル料理であったのか、リフレイア以外の全員が驚嘆の声をあげている。


「これは不思議だ!」


「まるで香りそのものを食べているかのようだぞ!」


「いったいどのように手をかけたらこのような料理を作ることができるのだ?」


 だんだんと会場がヒートアップしてきてしまった。

 そんな中、たたみかけるように次なる料理が運ばれてくる。

 ヴァルカスの見事な魚料理と、ギバ肉のミラノ風カツレツだ。


 ジェノスの貴族も貴婦人も、バナームからの客人も、目の色を変えて俺たちの料理を食している。個人的に、この肉料理ばかりはヴァルカスにかなわなかったと自省している俺であったが、幸いなことに、不満の声をあげる者はいなかった。ただ、通常の『ギバ・カツ』の味を知っているダリ=サウティだけが、ちょっと複雑そうな顔をしていたばかりである。


「ああ、美味だ! どれもこれも美味だねえ、アリシュナ殿?」


 ポルアースに呼びかけられて、ずっと静かにしていたアリシュナが「はい」とうなずく。

 まったく表情の変わらない彼女であったが、前菜から肉料理まですべて完食してくれていることを、俺はこっそり確認していた。


「なんだか、誰もが楽しそうにしていますね。石の都の真ん中であるはずなのに、まるで森辺での宴を見ているかのような心地です」


 と、アマ・ミン=ルティムが耳打ちしてくる。

 確かにその場には、宴と呼ぶに相応しい熱気がたちこめ始めていた。

 むろん、とてつもない生命力を秘めた森辺での宴に比べれば、実につつましやかなものであったが――それでも、人々が熱狂してくれているのが伝わってくる。


 マルスタインは満足そうに微笑んでいるし、ウェルハイドたちは夢中で肉を刻んでいる。ポルアースのはしゃぎようは言わずもがなであるし、名も知れぬ貴婦人や貴族たちもそれに負けてはいない。メルフリードやアリシュナやダリ=サウティといった一部の例外を除けば、誰もが喜びの感情をあふれさせていた。


「こちらが最後の料理、食後の菓子となります」


 キミュスの卵の蒸しプリンと、同じくキミュスの卵のメレンゲクッキーが供される。

 最後まで、貴族たちの笑顔が絶えることはなかった。


「いやあ、まったく素晴らしい宴でありました。はるばるバナームからやってきた甲斐もあろうというものです」


 使節団を代表して、初老の貴族がそのように述べた。


「さすがは美食の都ジェノスといったところでありますな。ジェノスの皆様をバナームにお迎えした際はいったいどのような料理でもてなせばご満足いただけるのか、今から頭が痛いほどであります」


「バナームにもバナームならではの料理というものが存在しましょう。僕などはカロンの乾酪の帽子焼きが何よりの好物であるのですよ」


 宴もたけなわといった様子である。

 この後は、俺たちが辞去した後も酒盃が交わされるのだろう。そういう段取りは、森辺と同様だ。


 何はともあれ、俺も仕事を果たすことができたようだった。

 俺はアマ・ミン=ルティムとともに壁際に立ち並び、マルスタインからの挨拶を待つ。


 そのとき、皮肉っぽい笑いを含んだ若者の声がひときわ明瞭に響きわたった。


「それにしても、今回ばかりは腕前の差が出てしまったな。ジェノスで一番の料理人は《銀星堂》のヴァルカスで間違いないということだ」


 サトゥラス伯爵家の第一子息、リーハイムである。

 そういえば、この場で彼の声を聞いたのはこれが初めてであったかもしれない。


「ほう、サトゥラスの第一子息殿は、ヴァルカス殿の料理がお気に召したのでしょうかな?」


 罪のない顔で初老の貴族が問いかけると、「それは当然のことでしょう」とリーハイムは口もとをねじ曲げた。


「前回の晩餐会ではギバ肉の物珍しさがまさったが、ここまで腕の差があれば誤魔化すことはできません。まあ、ヴァルカスの料理の邪魔にならなかっただけ上出来といったところでしょうか」


「それは意外なお言葉ですな。わたしなどは、まったく遜色のない出来栄えだと感じておりましたが」


「それはいささか礼を失してしまうかもしれませんよ。料理人には料理人の誇りというものが存在するのでしょうし」


 なんとなく、それは必要以上の悪意に満ちみちているように感じられてしまった。

 俺は少し心配になって、扉の脇に立ちつくすアイ=ファのほうを振り返る。

 幸いなことに、アイ=ファは冷めた目でリーハイムの横顔を眺めているばかりであった。


「リーハイム殿、礼を失しているのは貴殿のほうではないでしょうかな? 本日は歓迎の宴であり、料理の味比べを余興にしているわけでもないのですぞ?」


 と、いくぶん狼狽した様子でトルストが口をはさんだが、リーハイムの言葉は止まらなかった。


「自分は正直な心情を述べているだけだ。それに、森辺の料理人を誹謗しているつもりもない。ジェノスで一番の料理人と同じ日に厨を預かれば、こういう結末に落ち着くのが当然というだけの話でしょう」


「ふうん? わたくしなどは、この結末にたいそう驚かされてしまったけれどねえ」


 と、今度はエウリフィアが声をあげる。

 彼女のほうは、狼狽どころかとても愉快そうな顔をしていた。


「だって、もしも味比べなどをしてしまったら、わたくしはファの家のアスタに軍配を上げることになってしまうもの。これでは驚かざるを得ないでしょう?」


「戯れ言ですね。とうてい本心から仰っているとは思えません」


「あら、本心よ? 野菜料理と肉料理はヴァルカスに勝ち星をつけたいところだけれど、それ以外ではアスタの料理のほうが美味であったと思うもの」


「エウリフィアよ、味比べでもないのに星などつける必要はない」


「わたくしの始めた話ではないわ。それに、わたくしも素直な心情を述べただけよ?」


 再び人々がざわめき始めた。

 これはもう、俺とヴァルカスは退出してしまったほうがいいのではないだろうか。

 彼らの感想は気にならなくもないが、それより何よりこれ以上はシリィ=ロウの不興を買いたくはない俺なのである。


「ひと品ずつで星をつけるなら、僕はまったくの互角であったと思いますね」


 そんな俺の気持ちもつゆ知らず、今度はウェルハイドが発言してしまう。


「アスタ殿のフワノ料理は素晴らしいものでありましたし、ヴァルカス殿の野菜料理にも心底から驚かされてしまいました。そういう意味でも、まったくの互角であったと思えます」


「ふむ。星の数ならヴァルカス殿だが……しかし、あの汁物料理とフワノ料理のギバ肉は実に美味だった。勝ち負けをつけるのは非常に難しいように思えてしまう」


 そのように乗ってきたのは、ふとっちょ貴族だ。

 そんなふたりを皮切りに、今度は名も知れぬ貴族や貴婦人たちが口々に感想を述べ始める。


 ポルアースは、にこにこと笑いながら口をつぐんでいた。

 ディアルはとても落ち着かなげな様子であったが、俺のほうをちらちらと見ながら唇を引き結んでいる。


「わたしはアスタに軍配を上げるわ」


 と――そこでリフレイアが初めてはっきりと声をあげた。


「ヴァルカスの料理は食べなれてしまっているせいなのかしら。どの料理もアスタのほうが美味であるように思えてしまうのよね」


「いや、しかし――」


「わたしは最後のあの菓子が――」


 と、それ以上は個人の言葉を判別するのも難しい状態になってしまった。

 時ならぬ騒乱に見舞われた宴の場を、ダリ=サウティは下顎を撫でながら興味深げに眺めている。


「まったく収拾がつかなくなってしまったな。こうなったら、とことん語りつくしていただこう」


 苦笑まじりにそう言ったのは、マルスタインであった。

 不思議な支配力を持つこの領主も、何かを早々にあきらめてしまったらしい。


「ヴァルカスにアスタよ、其方たちのまたとなき働きには大変感謝している。おって褒賞の銀貨をとらせるので、この場はここまでとさせていただきたい」


「はい」と俺はヴァルカスとともに一礼した。

 人々の半数は目配せで挨拶をしてくれたが、残りの半数は論議に夢中になってマルスタインの言葉にも気づいていないらしい。俺たちは、その熱気に背中を押されるような格好で、食堂を退出することになった。


「なんとも騒がしい宴となってしまいましたね」


 絨毯敷きの回廊にて、ヴァルカスが無表情に振り返る。

 そのかたわらでは、シリィ=ロウが唇を噛んでうつむいていた。


「わたしたちのひとりひとりでは、あそこまで人々を惑乱させることにはならなかったと思います。おそらくは、わたしたちの献立に問題があったのでしょう」


「献立に、ですか?」


「はい。わたしもアスタ殿も舌を休ませるための料理を準備していたにも拘わらず、おたがいの料理がそれを打ち消し合ってしまったのです。これでは舌も心も安まるいとまがありません。惑乱してしまうのが当然です」


「はあ、そういうこともあるのでしょうかね」


「十分にありうるでしょう。わたしとて、試食の場では同じように惑乱することになったのですから」


 そのように言って、ヴァルカスは俺の顔をじっと見つめ返してくる。


「あなたの力はわたしの想像を超えていました。わたしたちはきっとおたがいを研磨し合うために同じ地へとセルヴァに遣わされたのですよ、アスタ殿」


「か、過分なお言葉をいただき光栄であります」


「過不足はありません。それが真実なのです」


 ヴァルカスはちらりとアイ=ファを見やり、「失礼」と静かに述べてから、いきなり俺の指先を両手でわしづかみにしてきた。


「どうかご自愛ください、アスタ殿。わたしにとって、あなたはかけがえのない存在なのです」


「……はい、俺にとっても、あなたはそうなのだろうと思っています」


 アイ=ファやシリィ=ロウの目は気になったが、俺も真情を述べておくことにした。

 数々の失敗を経て多少の分別はついてきたとはいえ、俺は根っからの負けず嫌いなのである。

 料理は勝ち負けではない、という大前提のもとに――俺は、俺よりも美味なる料理を作ることのできるこの奇妙な料理人の存在を看過することはできなかった。


「次にお会いできるのはいつになるかもわかりませんが、今後も自分で納得のいく料理を作りあげられるように励みたいと思います。またいずれ、俺の料理を食べてやってください」


「こちらこそ、あなたを失望させないように研鑽を積みたいと思っています。……本心を言うならば、わたしはあなたと同じ年齢でこの世に生を受けたかったと思ってしまいました」


 最後にまたぎゅうっと俺の指先を握りしめてから、ヴァルカスは身を引いた。


「料理人は、老いとともに力を失っていくものです。あなたとは、同じ時代に同じ年齢で出会ってみたかった。……だからあなたはわたしよりもいっそう幸福な人間であるのですよ、シリィ=ロウ」


「はい」と押し殺した声で少女は応じる。


「それでは、どうぞお元気で。城下町に御用の際は、是非わたしの店にも立ち寄ってください」


「ありがとうございます。あなたもお元気で」


 そうしてヴァルカスは、最後に目だけで微笑んでから立ち去っていった。

 俺は息をつき、アイ=ファたちのほうを振り返る。


「ようやく仕事を果たせたよ。それじゃあ森辺に帰らせていただこうか」


「うむ。リミ=ルウなどは、すでに眠ってしまっているやもしれんな」


 アイ=ファは妙に優しげな目つきをしていた。

 アマ・ミン=ルティムも、それに劣らず慈愛に満ちた微笑を浮かべている。


「アスタ、今日はわたしをかまど番の手伝いに選んでくださり、大変感謝しています。わたしは一刻も早く森辺に帰って、この気持ちをガズランに伝えたいと思います」


「ガズラン=ルティムに? いったい何をお伝えするのですか?」


「わたしがこの日に知り得たことをです。ガズランならば、きっとわたしよりも正しくこの気持ちを森辺の行く末に繋げることがかなうでしょう」


 そうしてアマ・ミン=ルティムは、ゆるやかにまぶたを閉ざしながら、言った。


「わたしは知ったのです。貴族もそのひとりひとりはわたしたちと同じ人間であるに過ぎないのだな、ということを」


「ああ……それはその通りでしょうね」


 とても聡明なアマ・ミン=ルティムの心情など、俺には正しく理解できていないのかもしれない。

 だけど俺は、疑問もなくその言葉を受け入れることができるようになっていた。


 そうして俺たちは、城下町における2度目の仕事をようやく終えることがかなったのだった。

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