歓迎の宴③~野菜料理・肉料理・菓子~
2016.1/23 更新分 1/1
野菜料理と肉料理が、同時に供されることになった。
俺の野菜料理はカプレーゼ、肉料理はミラノ風カツレツである。
「おお、これはぎばかつか!?」
「ええ、それに少し手を加えた料理です」
俺は今回、イタリアンで料理を統一することにした。
我が《つるみ屋》は洋食をメインにした大衆食堂であったが、そのメニューとは関係なしに、親父はイタリア料理を好んでいたのである。
「和食とイタリア料理ってのは、わりかし似た部分が多いんだよ。味が似てるっていうんじゃなく、料理に対する取り組み方が似ているんだな」
かつて親父は、そのように言っていた。
同じ島国で、山海の食材がゆたかであり、なおかつ気候的にも似たところがある。だから食材の扱いに対して似たところがあるんだろう、というのが親父の持論なのだった。
まあそのような小理屈は関係なく、ただイタリア料理が好みに合ったのだろう。俺がトマトソースを好むのも、ピカタなどといういささかマニアックな料理をかつてリフレイアに供したのも、元をただせば親父から受け継いだものなのである。
それで今回、バナームの人々が乳製品を好むと聞き及んだ俺は、乳脂や乾酪を使用するために、和食や中華や和製洋食でなくイタリア料理で統一しようと思い至ったわけであるが――そうなると、肉料理の選択肢はそんなに多くなかった。俺の乏しい知識では、タラパや乾酪を使ったイタリア風ハンバーグか、ピカタか、ピカタとよく似たこのミラノ風カツレツぐらいしか思いつけなかったのだった。
で、タラパソースの『ギバ・バーガー』は、すでにポルアースやリーハイムなどに存在を知られてしまっている。宿場町の屋台で売られているのと大差のない料理を出されては、貴族たる彼らには興ざめであろう。
なので、前回の『ギバの竜田揚げ』が好評であったことから、俺はミラノ風カツレツをチョイスすることになったわけである。
もっとも、俺はミラノ風カツレツの正式なレシピをわきまえているわけではない。やたらと長ったらしいイタリア語の正式名称をわきまえているわけでもない。ただ、ピカタと同じ要領でイタリア風のカツレツを目指すばかりである。
普通のカツとの大きな違いは、おもに2点。衣に乾酪をまぶすことと、揚げる油に乳脂を使用する点であった。
使用する部位は、やはりロースだ。
きちんと筋切りして、繊維も叩いて潰しておく。塩とピコの葉で下味をつけたら、フワノ粉、キミュスの卵、焼きフワノ粉の順で衣をつけていく。
この最初のフワノ粉には、ヴァルカスがサルファルと呼んでいたマスタードのような香草の粉を加え、パン粉代わりの焼きフワノ粉には、ギャマの乾酪を挽いたものを加えておいた。
揚げる油は、乳脂を加えたレテンの油だ。
レテンの油はオリーブオイルに近い香りを有しているので、今回の料理とは相性もばっちりである。
ソースは各人のお好みで、シールの果汁かタラパソースを選んでもらうことにした。
しかし、サルファルと乳脂の香りがゆたかであるし、人によってはソースも不要であろうと思う。
付け合せは、ロヒョイとネェノンとブナシメジモドキのソテーである。
こちらも乳脂でじっくり焼きあげている。
俺としては、通常の『ギバ・カツ』や『ギバの竜田揚げ』にまさるとも劣らない出来栄えであった。
で、歓迎の宴でこの料理の前に供される野菜料理は、カプレーゼだ。
これはタラパと乾酪を使った簡単なサラダである。
城下町で売られている小粒で甘いタラパを薄切りにして、同じく薄切りにしたカロンの乾酪とたがい違いに並べていく。カロンの乾酪はクセのないモッツァレラチーズに近い味わいであったので、この料理には相応しかった。
彩りとしては、こちらもさっと湯通ししたロヒョイを使い、その上から特製のドレッシングをかけている。カルパッチョで使ったものよりはママリア酢とミャームーを抑えて、隠し味にはパナムの蜜を使い、少しやわらかめの味に仕上げている。
順番的に、クリームパスタとカツレツにはさまれる格好なので、俺としては箸休めとしてチョイスしたメニューであった。
「ああ、これは美味だな」
と、卓の端から大きな声があがった。
ダン=ルティムではなく、サウティの男衆である。
若くて大柄で朴訥とした顔をしたその男衆は、すっかり感じ入った様子で首を振っていた。
「どの料理も美味だったが、この料理は格別だ。サウティの女衆らもルティムで多少の手ほどきを受けてはいるが、とうてい及ぶものではない」
「ふむ。しかし俺には、以前に食べたぎばかつのほうが美味いように思えてしまうな」
と、ダン=ルティムのほうは唇をとがらせてしまっている。
「どうしてであろうな。美味いことには美味いのだが、何かが欠けているような気がしてしまう。アスタ、これはどういうわけなのだろう?」
「それはきっと、揚げるのにギバの脂を使っていないからだと思います。長年ギバを食してきた森辺の民にとっては、きっとレテンの油や乳脂よりもギバの脂のほうが好みに合うのでしょう」
しかし今回は貴族がメインのお客人であったので、レテンの油を使わせていただいた。ギバのラードは、カロンの乳脂とブレンドさせるのには相性がよくなかったのである。
「そうか。まあこれは貴族のために作られた料理なのだしな。俺が不平をもらす筋合いでもないか」
そのように言いながら、ダン=ルティムの唇はとがったままである。
その胸中の不平不満を解消するために、俺は特別料理の蓋を開けることにした。
「では、森辺の民はあまり揚げ物料理を大量に召し上がらないほうがいいように思いますので、足りない分はこちらを召し上がってください」
これは森辺の民にのみ準備をしておいた、まかないの料理であった。
特に男衆は食欲が旺盛なので、一枚ばかりのカツレツでは胃袋が満足しまいと準備しておいたのだ。
アマ・ミン=ルティムの手から回された皿を前に、ダン=ルティムは狂喜した。
もちろんというか何というか、それはギバのあばら肉であった。
「ここの厨には窯が存在するので、あばら肉を窯焼きにしてみました。たっぷり作ってあるので、おかわりしてくださいね」
「人が悪いな! アスタよ、そうならそうと最初から言ってくれればよかろうに!」
「最初にがっかりしたほうが、喜びもひとしおでしょう?」
ファの家やルウの家で、ミラノ風カツレツがそんなに喜ばれなかったことはすでにリサーチ済みであったのである。
ギバの肉をギバの脂で揚げる、ギバの旨みが凝縮しまくった『ギバ・カツ』は、どうやら森辺の民にとって特別な料理であるらしい。それはあのジザ=ルウさえもが美味であると認めざるを得なかったぐらいであったのだ。
だけどきっと、城下町の人々には乳脂や乾酪を使ったミラノ風カツレツのほうが喜ばれるだろう。
これもまた、貴族には貴族に相応しい料理、森辺の民には森辺の民に相応しい料理を、というここ最近の俺の考えからなる選択なのだった。
「……森辺の料理人アスタ殿、そちらの料理をわたしに分けていただくことは可能でありますかな?」
と、向かいの席から野太い声をかけられた。
南の民、ボズルである。
「こちらの揚げ物料理はまたとなく美味でありました。わたしはさきほどから驚きに打たれっぱなしであります」
「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえて光栄です」
そうして俺があばら肉を載せた皿を差し出すと、ボズルはにっと白い歯を見せてくれた。
強面だが、笑うととたんに無邪気な顔になる。実にジャガルの民らしい、それは魅力的な笑顔であった。
「……どうそ、わたしの料理もお召し上がりください、アスタ殿」
と、今度はヴァルカスが声をかけてくる。
見ると、彼の皿はまたもや空になってしまっていた。
俺はさきほどから、一度もヴァルカスが料理を口に運ぶシーンを見られずにいる。
「はい、今すぐに。……よろしかったら、ヴァルカスもこちらのあばら肉をお召し上がりになりますか?」
「ええ、喜んで」
俺はヴァルカスにあばら肉を献上してから、自分の前の皿と向き合った。
野菜料理と肉料理だ。
外見的には、野菜料理のほうが目をひきつけられた。
緑や赤や黄の繊維がふわふわと丸く膨らんでいる。そんな奇妙な形状をした料理であったのである。
よく見れば、それは糸のように細く刻まれた野菜がふんわりと丸められた料理であった。
大きさは、せいぜいピンポン玉ぐらいである。向こう側が透けて見えそうな密度であり、風でも吹いたら飛んでいってしまいそうだ。
「糸のような」というのは比喩表現に過ぎないが、ミリ単位の細さであることに間違いはない。赤や緑でもそれぞれ濃淡があるので、実に色とりどりな装飾品のような外観であった。
しかし、ソースやドレッシングの類いがかけられている様子はない。
生の野菜や香草などを細く刻んで、ただひとつにまとめあげただけの料理なのだろうか。
おそるおそる、俺は俺専用の箸を使ってそいつを持ち上げてみた。
見た目ほどやわらかくはないようで、形が崩れたりはしない。ただ、圧力をかけられた部分が軽くたわむていどだ。
そいつを口に投じ入れ、くしゃりと噛み砕いてみると――
その色合いにも負けない華やかな香気が口の中に炸裂した。
やはり香草もふんだんに使われているのだろう。
目の覚めるような鮮烈さである。
しかも食感は、えびせんのようにパリパリとしていた。
生ではなく、それは燻されているようだった。
野菜の味は判然としない。まるで固形化した香りを食しているかのようだ。
甘くて、辛くて、苦くて、酸っぱい。さまざまな香気が渾然一体となって鼻腔を駆け巡っていく。
これではソースやドレッシングなど必要なわけはなかった。
(だけど……調味料を使わずに、こんな料理を作れるものなのか?)
そのように考えて舌に神経を集中させてみても、やはり砂糖や塩や酢などの存在はまったく感じられない。こんなに甘くて、辛くて、苦くて、酸っぱいのに、それはすべて野菜と香草のみで構築されていたのだった。
美味しいとか美味しくないとか、そんなことを語れる料理ではなかった。
ただひたすらに、ものすごい。
これが人間の手で、かまどや薪といった原始的な調理器具だけを使って作られた存在だということが、にわかには信じられなかった。
そして、肉料理である。
肉料理というか、それは魚の料理であった。
あの4種の魚の、どいつなのだろう。薄く切り分けられているので、元の形状はわからない。
外見上、こちらに奇異なところはなかった。
白身の魚が、褐色の衣に包まれている。油を使っている様子はなかったのに、外見的には揚げ物の料理に見えてしまう。
下に敷かれている青い葉は、茹でたロヒョイだろう。そこに散っている赤い粒は、おそらくチットの実だ。
これまでの料理と比べても、外見的には一番飾り気がないように感じられる。
ただ、断面から覗く魚の身に水気がないのが気になった。
すっかり乾ききっており、お世辞にも美味しそうだとは思えない。
だけどヴァルカスが、主菜の肉料理でつまらないものを供するはずはなかった。
だから俺は、野菜料理で揺るがされた気持ちをしっかりと引き締めなおしてから、その料理を口にすることにした。
そうして、俺の口に広がったのは――
「わあ、美味しい!」
と、いくつか隣の席から元気いっぱいの声が跳ねあがった。
リミ=ルウである。
その手には、俺と同じ料理が鉄串に刺されて掲げられている。
「この料理はすっごく美味しいね! 他の料理はよくわかんなかったけど、この料理はリミも大好き!」
俺は口の中身を呑み込んでから「そうだね」と相づちを打ってみせた。
そして、ヴァルカスに向きなおる。
「城下町の民と森辺の民では、それぞれ好みが異なると思います。そして、異国生まれの自分にも、あなたの料理を上手く表現する言葉が見つけられないのですが――この料理は、掛け値なしに美味だと思えます」
「恐縮です」としかヴァルカスは言わなかった。
レイナ=ルウやシーラ=ルウは、言葉を失ってしまっている。トゥール=ディンも、それは同様だ。
アマ・ミン=ルティムとモルン=ルティムは驚きの表情で、満足そうに吐息をついている。
かまど番の7名全員が、これを美味だと認めた様子である。
複雑な味を好まない、もしくは理解することのできない森辺の民をして、これは美味だと認められたのだ。
もちろん俺にも、異存はなかった。
さきほどの野菜料理は解析不能であったが、この魚料理はとてつもなく美味だ。
それに、俺の好みから逸脱した味でもない。
きっとさまざまな香草を使っているのであろうに、それは見事に調和していた。
やっぱりひとつの方向を目指すのではなく、相反する数種類の味が別々のベクトルを向いているのに、それが巡り巡ってど真ん中の核に収斂されているような、そんな摩訶不思議な感覚であった。
魚の身そのものには、やはり水気や脂気を感じない。
しかし、瑞々しい褐色の衣がそれを補っている。
この衣は、いったい何なのだろう。
厚みは5ミリていどであるのだが、一番表面はパリッとしており、その下にサクッとした軽やかさがあり、そして切り身との接地面にはしっとりと水気や脂気がたくわえられている。まるで、ミクロン単位で何百層もの衣が重ねられているかのようだ。
そして魚の身には、旨みがぎゅうぎゅうに凝縮されている。
万華鏡のようにさまざまな色彩を見せる複雑な味付けにも負けない、しっかりとした魚の味であった。
「それはギレブスの魚を1日がかりで炙り焼きにしたものです」
と、ヴァルカスが静かな声で述べてきた。
「8種の香草に12種の食材をあわせたものを、酒精を抜いたジャガルの発泡酒に溶いて半刻ごとに塗り重ねながら、1日をかけて炙り焼きにいたしました。わたしにとっても最高傑作のひとつと自負しております」
「12種の食材ですか……キミュスの卵と、フワノ粉は使っていますよね。あとは、塩と砂糖とタウ油と乳脂と……それに、ラマンパの風味も感じられたように思います」
「正解です。あとはアロウとミンミの果汁、パナムの蜜、干しキキの絞り汁、ママリアの酢を煮立てたものを加えています」
「それに8種類の香草まで使っているので、ここまで複雑かつ繊細な味を生み出すことができるのですね」
そして、フワノ粉や卵を使っているから、こうして揚げ物のような衣に仕上げることができるのだろう。
俺は首を振り、わなわなと震えそうになる拳をぎゅっと握りこんだ。
「脱帽です。この料理は――少なくともこの魚料理は、俺のこしらえた肉料理よりも美味であるとはっきり思えます」
「なに!? それはずいぶんな言葉だな、アスタよ!」
と、ダン=ルティムが気色ばんで身を乗り出してきた。
「アスタとて、城下町の料理は美味であるかも判然とはしないと言っていたのだろう? そのお前さんが、自分の負けを認めてしまうのか?」
「俺は、料理は勝ち負けではないと思っています。ただ、俺が作ったこのカツレツよりは、ヴァルカスの料理のほうが美味であると思えただけです」
「うぬぬ」とおかしな声をあげてから、ダン=ルティムは勢いよく愛娘のほうを振り返った。
「モルンよ! 俺にもその料理を食べさせてみよ!」
「えー? もったいないから、大事に食べてたのに」
モルン=ルティムは不満げな声をあげたが、それほどためらうことなく皿を父親のほうに差し出した。
ダン=ルティムは手づかみで、それを口の中に放り込む。
「……なるほどな。確かにこのギバの脂を使っていないぎばかつよりは、こちらのほうが美味かもしれん」
そう言って、ダン=ルティムはぶあつい胸と腹をそらせた。
「しかし、普段のぎばかつならば決して負けてはいまい! そして何より、俺にはこのあばら肉のほうが美味であると思えてしまうな!」
その言葉を受けて、今度はアイ=ファがリミ=ルウを振り返った。
「リミ=ルウ、すまないのだが、私にもその料理を分けてはくれぬか?」
「うん、いいよー」
リミ=ルウは笑顔で皿を差し出す。
それを口にしたアイ=ファは、「うむ」と真剣な面持ちでうなずく。
「確かに美味だ。以前に食した料理とは異なり、これは私にも美味と思える。下手をしたら、ぎばかつよりも美味なぐらいかもしれん」
そのように言ってから、アイ=ファは静かに俺のほうを振り返った。
「……しかし私は、はんばーぐのほうが美味であると思えるぞ、アスタよ」
「……そうか。ありがとう」
アイ=ファもダン=ルティムも、余人への対抗心で虚言を吐くような人間ではない。というか、森辺にそのような真似をする人間は存在しない。
だからそれは、アイ=ファたちの心からの言葉であったのだろう。
アイ=ファにとってはハンバーグが、ダン=ルティムにとってはあばら肉が、それぞれ一番好みに合う料理である、ということなのだ、きっと。
「しかしお前はそのように考えていない、ということだな」
俺の心情を見抜いたように、アイ=ファはそう言った。
「ならばお前自身が修練を積む他ない。自分で納得いくまで己を磨きぬくがいい」
「ああ、もちろんそうさせてもらうつもりだよ」
俺は自身を奮い立たせて、ついでに椅子からも立ち上がった。
「それではあらかた片付いてきたようなので、最後の料理でしめくくりましょう。みなさんのお口に合えば幸いです」
俺が準備した食後のデザートは、プリンもどきであった。
残念ながら、俺にはティラミスやパンナ・コッタといったイタリア風のスイーツを作製する知識が備わっていなかったので、最後の最後で妥協させていただいたのだ。
なおかつ、通常のプリンですら、俺には作り方がわからない。だいたい、冷蔵庫もなしにプリンを作製できるのかもわからない。
なのでこれは、茶碗蒸しのレシピを応用した擬似プリンなのだった。
茶碗蒸しならば、蒸し器で作製することができる。出汁の代わりにカロン乳や砂糖を使えばそれらしくでっちあげることは可能であろうという、まあそういう安易な発想だ。こと菓子作りに関しては、ポリシーもへったくれもない俺なのである。
だけどもちろん、作製の段で手を抜いたりはしない。
溶いた卵を水分で割って蒸すだけの簡単な料理なのだから、味付けや食感に関してはとことん追究させていただいた。
陶磁の器で蒸したプリン本体には、砂糖で作製したカラメルソースをかけたのち、生クリームとアロウのジャムでトッピングをする。本当は冷やして食したいところだが、こればかりは勘弁してもらうしかない。
プリン本体の甘さはひかえて、クリームとジャムには砂糖を加えている。常温でも、これはなかなかの出来栄えではないかと俺は自負していた。
「わーい、ぷりんだー!」とリミ=ルウなどははしゃいだ声をあげている。
リミ=ルウもトゥール=ディンも、ついでにこの場にはいないユン=スドラも、試食の際にはこのプリンモドキを大絶賛してくれていたのである。
「ふむ。食べなれぬ味だが、こいつも美味だ」
ダン=ルティムもご機嫌の様子である。
ディム=ルティムやサウティの男衆にも不満はないようで、もしかしたら一番関心が薄いのはアイ=ファであるのかもしれないぐらいであった。
そしてヴァルカスが用意した菓子のほうは、また珍妙な外見をしていた。
色とりどりの、マシュマロみたいな菓子である。
ただし、つついてみるとやわらかくはない。普通のクッキーみたいに固い感触だ。色彩はどれもぼんやりしているが、白、黄、赤、青の4種であった。
食してみると、優しい甘さが口の中に広がった。
俺が選んだのは白色であるが、桃のような風味であったので、これにはミンミの果汁が使われているのだろう。
食感は、少しやわらかめのクッキーといった感じで、表面だけがパリッとしている。
「菓子にも強い味付けをする料理人は少なくありませんが、わたしはこういうやわらかい味わいが相応しいと考えています。これは、キミュスの卵の白身だけを使った料理ですね」
ならばそれは、メレンゲクッキーと称してもいい菓子なのかもしれなかった。
「白はミンミ、黄はシール、赤はアロウ、そして青はアマンサという希少な果実を使っています」
「アマンサですか。それは知らない名前ですね」
食べてみると、それはブルーベリーのように濃厚かつ清涼な味がした。
あまりに希少で高価な食材は宿場町でも扱うことができないので、俺はまったく手をつけていない。このアマンサの実もそのうちのひとつなのだろう。
「こちらの料理にもキミュスの卵が使われているのですね。白いものはカロン乳の脂分、茶色い汁は砂糖を溶かしたもの、アロウの実は砂糖と蜜で煮込んだものですか」
「ご明察です。お口に合いましたか?」
「はい。この菓子ばかりでなく、あなたの料理はすべて美味でした、アスタ殿」
空になった皿を置き、ヴァルカスは静かにそう言った。
「期待通り――いえ、期待を越える腕前でありました。あなたは素晴らしい料理人です。その若さを考えれば、驚異的と評してもよいぐらいでしょう」
「恐縮です。俺もあなたの腕前をあらためて思い知らされましたので、期待を裏切らずに済んだのなら嬉しいです」
「わたしも本当に嬉しく思っています。あなたこそ、わたしにとって好敵手になりうる存在です、アスタ殿」
無表情なヴァルカスの目が、ふっと優しげな光をたたえる。
その瞬間、「何を仰っているのですか!」という聞き覚えのない声が響き渡った。
驚いて振り返ると、褐色の髪をした娘が怒りの形相で立ち上がっている。
これまで無言をつらぬいていた、シリィ=ロウである。
「こんな若造を好敵手だなんて、戯言を仰るにもほどがあります。そのように馬鹿げた言葉を聞き逃すことはできません!」
「無作法ですよ、シリィ=ロウ。アスタ殿の腕前は、たった今あなたも思い知らされたところでしょう?」
ヴァルカスは、まったく動じた様子もない。
それがいっそうこの少女を激昂させたようだった。
「確かにこのアスタという料理人は、卓越した技量を持っています。生半可な料理人では、彼に立ち向かうこともできないでしょう。ですが、ヴァルカスに及ぶような腕前では、決してありえません!」
「本当にそのように思っているならば、あなたは自分の不明を恥じるべきですね、シリィ=ロウ」
「何故ですか!? わたしだったら――わたしだったら、このアスタよりも優れた料理を作ることは可能です!」
ヴァルカスは、あくまで無表情に首を振る。
「それが不明だと言っているのです。……アスタ殿、あなたがリリオネの魚に触れたのはこれが何度目でありましたか?」
「え? それは俺が使った魚のことですよね? 試作をするために1尾拝借したので、それを合わせれば3回目です」
「そうですね。そして、シムの香草に触れたのはふた月前が初めてで、チャンやロヒョイに触れたのは半月前が初めてであったはずですね」
「ず、ずいぶんこまかいことまでご存じなのですね」
「はい。ポルアース殿に確認させていただいたのです。さらにあなたは、3ヶ月前までは城下町に足を踏み入れたこともなく、宿場町で手に入る粗末な食材だけで料理を作っていたのだと聞き及んでいます」
そのように述べてから、ヴァルカスはゆっくりとシリィ=ロウを振り返る。
「アスタ殿の故郷には似た食材が存在するので、それほど苦労はなかったのだとも聞いていますが、しかし、それは似ていても同一の食材ではなかったはずです。これでもあなたはアスタ殿に負けない技量を有していると言い張れるのですか、シリィ=ロウ?」
「でも――!」
「仮にあなたがアスタ殿と同等に近い腕前を持っていたとしても、それでは大成することもできないでしょう。わたしは、失望してしまいました」
ヴァルカスの口調や表情に変化はない。
しかし、その言葉の内容だけで、シリィ=ロウは顔面蒼白になることになった。
「我が師ヴァルカスよ。それぐらいでお留め置きください。シリィ=ロウは、まだ17の若さであるのです」
と、両者にはさまれていた長身の老人タートゥマイが、細いしわ首をヴァルカスのほうにもたげる。
「若き人間には、反骨の気持ちも必要でありましょう。また、あなたの存在を何よりも尊んでいるがゆえの怒りなのですから、そのように責めたてては酷というものです」
「そうですな。それに、我らの中でアスタ殿に匹敵し得る力を持つのはシリィ=ロウのみとも思えます。ならば、ヴァルカスのお言葉を看過できぬのも致し方のないことでありましょう」
こちらはやや苦笑まじりの面持ちで、ボズルがそのように発言する。
ヴァルカスは3名の弟子たちを順番に見回してから、やがて俺のほうに向きなおった。
「何にせよ、わたしの弟子が失礼いたしました。ご容赦願えれば幸いです、アスタ殿」
「いえ、何もお気になさらないでください」
「うむ! 若い内から小さく縮こまるよりは、よほど見込みがあるではないか!」
そのように混ぜっ返したのは、当然のことダン=ルティムであった。
しかし、その豪放な言い様が、張り詰めた空気を緩和させてくれたのだろう。室内には、最前までの落ち着いた雰囲気が戻ってきた。
ただし、シリィ=ロウだけはその大きな瞳に悔し涙を浮かべつつ、唇を引き結んでしまっている。
そしてその目はヴァルカスではなく、対抗心を剥き出しにして俺のことをにらみつけていたのだった。