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異世界料理道  作者: EDA
第二章 半人前の料理道
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祝福の夜の後に①煩悶

2014.11/21 ・誤字を修正

2020.2/1 ・章分けの再編集にともない、文章の一部を修正しました。

 森辺の最長老ジバ=ルウは、生きる喜びを思い出すことができたと言って、俺とアイ=ファに祝福を授けてくれた。


 それは本当に嬉しいことだった。最高の結末と言っても言い足りない。アイ=ファにとっても大事な存在であるジバ=ルウの人生にこのような形で関われたことは非常な喜びであったし、俺自身、心が打ち震えるような感動を覚えることができたのだ。


 しかし――その数時間後、俺は無人の空き家でひとり煩悶することになった。


 アイ=ファはいない。

 リミ=ルウもいない。

 しんと静まりかえった部屋の中で、俺は怒りと屈辱の念にまみれて、のたうち回ることになってしまったのだった。


(くそっ! 何なんだよ、いったい!)


 べつだん拘禁されているわけではない。アイ=ファやリミ=ルウはジバ=ルウの寝室で旧交を温めている真っ最中であるため、お留守番を仰せつかっただけだ。


 ルウ家の集落にある家のひとつである。

 この家は、ドンダ=ルウの弟だか甥っ子だかの持ち物であったらしい。それが先年、家族が減って生活が苦しくなったため他の家に移り住み、空き家になってしまったのだそうだ。


 で、ファの家は遠いので今宵はこの家で休んでいくといい、というルウ家の配慮をありがたく頂戴することになったわけだが――とにかく俺は、不満で不満でしかたがなかった。


 かといって、誰にこの不満をぶつければいいのかもわからない。

 あえて言うなら、悪いのは自分だ。

 だから俺は、やり場のない感情を胸中に抱えこみつつ、ひとりでジタバタともがき苦しむことになったのだった。



              ◇


 数時間前、ルウの本家の広間にて――


「今日はルウの集落で眠っていくのだろう、アイ=ファ?」とジバ婆さんはゆっくりと少しずつ食事を続けながら、そんな風にアイ=ファへと語りかけた。


「もうすっかり暗くなってしまったからねえ。夜の道は危ないから、今日は空いている家で休んでいっておくれ」


「いや、それには及ばない。ムントやギーズにどうにかされる私ではないよ、ジバ=ルウ」


「おやおや。確かにあんたは立派な『ギバ狩り』に育ったみたいだけど、婆のためにも休んでいっておくれよ、アイ=ファ」


「しかし……」


「だって、あんたにも家長としてのつとめがあるから、そうそうこんな遠くの家にまでは来れないのだろう? この婆にはファの家まで歩いていく力もないし……それならせめて、今宵はこの婆の相手をしていっておくれよ。何せ、数年ぶりに大事なアイ=ファと顔を合わせることができたんだからねえ……」


 さすがのアイ=ファも、この申し入れを固辞することはできなかった。

 が、それはべつだん、かまわないのである。どうも家長のドンダ=ルウには現在のアイ=ファに嫁入りをすすめる気配など毛頭見られないし、それならジバ婆さんやリミ=ルウとの交流を結びなおすべきであろう、と俺も愚考する次第である。


 だから、問題はそこではなかった。

 問題は、その後に生じたのだった。


 どうも全員の食事が終わらないと席を立ってはいけない習わしであるようなので、その後はリミ=ルウがジバ婆さんに付き添うことになり、俺とアイ=ファは自分の食事に戻ったのだが。その間、家長のドンダ=ルウが延々と俺の料理を罵倒し続けてくれたのである。


「こんなもんは動物の食うものだ」「狩人の食うものではない」「よくもムントの餌などを食わせてくれた」「俺の生命が穢された」と、それはもう罵詈雑言の雨あられであった。


 だけどまあ、余所者に対する反発心だとか、家長としての立場だとか、この荒くれ者にも何かしら理があって人の料理をけなしてくれているのだろう、と思い、俺もそんなには気に留めていなかった。

 ジバ婆さんにはあれほどまでのお言葉をいただけたのだから、完全に満ち足りた気持ちを保持することができたのである。


 そこに亀裂が生じたのは、アイ=ファに続いて俺が最後の一口を食べ終えた直後のことである。


「いい加減にしてください! どうしてそんなにアスタの料理を悪し様に罵るのですか? ジバ婆はあんなに喜んでくれたじゃないですか!」


 そんな風に叫んだのは、一足先に食事を終えていたレイナ=ルウである。

 ギバの化身のごとき青い瞳が、うるさそうに次姉の可憐な姿をねめつける。


「何がだよ? 悪いものを悪いと評して、何が悪い? 最長老もさっき言ってただろうが? 何が正しいかは人それぞれだってな。こんなムントの糞みてえな食事をありがたがるのは、歯の抜けた老人だけだってことだよ」


 レイナ=ルウは、しばらく口惜しそうに黙りこみ――

 そして、自分の首飾りに手をかけた。

 角と牙の飾りを外しながら、ゆっくり俺とアイ=ファのもとに近づいてくる。


「おい……」と、ドンダ=ルウの双眸がいっそう不穏な輝きをみなぎらせる。

 それを無視して、レイナ=ルウはぺたりと膝をつき、俺とアイ=ファに牙だか角だかを1本ずつ捧げてきた。


「ルウの家のレイナ=ルウより、ジバ=ルウの魂を救い、そしてルウ家の生命に安らぎを与えてくれたファの家のアイ=ファとアスタに、心よりの祝福を授けたく思います」


「ええ? おい、大丈夫なのかい、レイナ=ルウ……?」


 と、俺はこっそり耳打ちしようとしたのだが、アイ=ファに肩を小突かれてしまった。


「黙って受け取れ。ギバの角と牙を送るのは、森辺の民にとって神聖な行為なのだ。それを拒絶するということは、相手の尊厳と誇りを踏みにじるにも等しい」


 そう言って、アイ=ファは「レイナ=ルウの祝福を賜る」と、白い牙を受け取った。

 しかたないので、俺も「ありがとう」と、それに習う。


「レイナ……貴様は、ルウの家の名を汚すつもりか?」


 底ごもる、大地震の前触れを思わせる重々しい声で、ドンダ=ルウが囁いた。


「俺への当てつけで偽りの祝福を授けるなんて、そんな真似が許されるとでも思っているのかよ……?」


 レイナ=ルウは恐怖に青ざめながら、それでも気丈に父親を見つめ返す。


「偽りなんかではありません! ジバ婆のこととは関わりなく、わたしは心からアスタの作る料理を素晴らしいと思ったのです。ギバの肉が、こんなに美味しく食べられるということを、わたしは初めて知りました。食べることは、すなわち生きること――つまり私は、ジバ婆と同じように、生きることの喜びを強く実感することができたのです!」


「貴様……正気か?」と、ドンダ=ルウが低い声でつぶやいた。

 そのいぶかしげな声の響きこそが、俺を何がなしハッとさせた。


 しかし、その正体が知れる前に、リミ=ルウが「リミも!」と勢いよく立ち上がった。

 ジバ婆さんを振り返り、「大丈夫だよ」とうなずきかけられると、そのそばを離れて俺たちのほうに駆け寄ってくる。

 その幼い顔には、もちろん幸福そうな笑顔がいっぱいに広がっていた。


「アスタ! アイ=ファ! 今日は本当にありがとう! とってもとっても美味しかったから、リミ=ルウからも、祝福です!」


 3本目のお祝い品――なんて気安いものではなさそうな品が、俺とアイ=ファの手の平に乗せられる。


「そうねぇ……祝福に値する、素晴らしい食事だったわぁ……」


 むやみに艶っぽい間延びした声とともに、長姉のヴィナ=ルウがゆらりと立ち上がる。


「『素晴らしい食事』なんてものが森辺に存在するっていうことを、わたしは初めて知ったのだもの……確かにこれは、森辺に生きる人間として祝福せずにはいられないわねぇ……」


「まったくねえ。本当にその通りだよ、ヴィナ」と、続いて立ち上がったのは、ティト・ミン婆さんだ。


「信じられねえ! 何なんだ、こりゃあ!?」


 ドンダ=ルウが、再び叫んだ。

 しかし、そのひび割れた声に満ちた激情は――怒りではなく、驚愕のそれだった。


「俺の家族はみんな頭がおかしくなっちまったのか? やっぱりあの糞みてえな食事には人間を狂わせるアパスの毒でも入っていたのか? だけど、それなら全員が狂っちまうはずだよなあ!?」


 5つの牙と角を握りしめながら、俺はまじまじとドンダ=ルウを見つめてしまう。

 ドンダ=ルウは、本気で困惑しているようだった。

 本気で家族の正気を疑っているかのようだった。


「ひょっとしたら、他の連中も、俺に怒鳴りつけられるのを怖がって、小さくなってるだけなのか? だったら遠慮はいらねえから、好きなように振る舞ってみろ!」


 そうすると、非常におずおずとした様子で、長兄ジザの嫁であるサティ・レイが立ち上がろうとした。

 完全に立ち上がる前に夫を振り返り、鷹揚に微笑みかけられると、安堵の表情を浮かべてこちらに近づいてくる。


「ルウの家のサティ・レイ=ルウより、ファの家のアイ=ファと家人アスタに、祝福を送ります。……不思議で素敵な食事をありがとう」


 そして、彼女が席に戻ると、今度はその隣りに座していた、恰幅のいい女性が腰をあげる。

 少し白いものが混じった赤っぽい髪に、くっきりと色の濃い茶色の瞳。むきだしの腕と肩にはパンと肉が張り、いかにも女丈夫といった感じの壮年の女性。


 リミ=ルウたちの母親であり、ドンダ=ルウの妻である、ミーア・レイ=ルウだ。


「何だかよくわからないね。美味しいものは美味しいでいいじゃないか? あたしはもう、腰が抜けそうになるぐらい感動しちまったよ」


 石像のように動かなくなってしまった夫を横目に、実に力強い足取りで近づいてくる。

 もしかしたら、この女性の声を聞くのは、これが初めてだったかもしれない。


 ミーア・レイ=ルウは、きわめて朗らかな微笑をたたえながら、俺たちに牙と角を差しだしてくれた。


「美味しかったよ。ジバ婆のことも、本当にありがとうね。……まったく、うちの家長は何を意固地になってるんだか」


 母は強し、という言葉を体現したかのような笑顔である。

 この場にいるうちの7人がこの女性の内から産み落とされたのかと思うと、素直にすごいなあと思えてしまう。


 ともあれ、これで7つ目の祝福だ。


「……親父、さっきの台詞は本当だろうなあ? 男衆だからって、後で俺だけぶん殴るなんてのは、勘弁してくれよ?」


 と――まだ幼さの残った声で言い、末弟のルド=ルウが立ち上がった。

 黄褐色の髪をかき回しながら、ずかずかと俺たちのほうに近づいてきて、荒っぽく腰を落とす。


「なあ、お前は何なんだよ? 東の王国には魔術師だとかいう得体の知れない連中がいるそうだけど、まさか、魔法でギバの肉をあんな風に変えちまったわけじゃねえだろうなあ?」


「魔法ではないさ。ほうちょ……刀と火を使った、ただの技術だよ」


 アイ=ファが何も答えないし、そもそもそれはどう考えても俺に対する問いかけであったので、とりあえずはそんな風に答えてみた。


「ふん」と面白くもなさそうに鼻を鳴らし、今度は色の淡い瞳でアイ=ファを見る。


「お前、本当にいい女になったな? もったいねえ。もっと女らしくしてりゃあ、兄貴じゃなくって俺が嫁にもらっても良かったのによ」


「…………」


「ま、掛け値なしに美味い食事だった。正直に言って、また明日から変わりばえもしないポイタン汁を食うのかと思うと泣けてくるぐらい、美味かった。お前、アイ=ファの旦那じゃねえんなら、うちの女衆に婿入りしちまえよ?」


「い、いやあ、相手にも選ぶ権利ってものがあるからねえ」


「ふん。ちびリミ以外だったら、どれでも好きにしてくれていいんだけどな」と、最後の部分だけは小声で言って、アイ=ファと比べても優り劣りがないぐらいの戦利品がぶら下がった首飾りを外す。


「すっげー美味かった。だから、祝福してやらあ。このルド=ルウの初めての祝福だ。ありがたく受け取りやがれ」


 そうして小生意気な末弟が席に戻ると、その後は奇妙な沈黙だけが残った。


「……もう、いねえんだな?」と、下顎の髭をしごきながら、ドンダ=ルウが目線を巡らせる。


「あんなもんは人間の食うものじゃねえっていう、俺と同じ気持ちでいるのは、たった3人だけってことか」


「何もそこまでは思ってないよ。何でも自分を基準にするのは、やめてくんない?」


 三女のララ=ルウが不満そうな声をあげる。

 赤い髪を頭のてっぺんでくくった、末弟とよく似た顔をした小生意気そうな少女である。


「焼いたポイタンと、ギバの煮汁はすげーと思ったけどね。肝心のギバがねちゃねちゃで気色悪かったから、祝福するほどじゃないやって思っただけだよ。……本当は、ジバ婆のことだけでも祝福したっていいぐらいなんだけどさ。なんかみんな、本気であんなのを美味いとか思ってるみたいだったから、あたしはやめておいた」


「なるほどな。ダルム、貴様はどうなんだ?」


 狼みたいに鋭い風貌をした次兄は、「何も語る言葉はない」と返事を拒否した。


「ふん。ジザ、貴様は?」


「……別にそこまで気にする必要はないでしょう、家長ドンダ。どんな形をしていても、どんな味をしていても、ギバはギバだし、ポイタンはポイタンです。どんなに工夫を凝らしたところで、腹の中に収まってしまえば、変わりはありません」


「そんなこたあ、わかってるんだよッ!」


 家長の目が、火のように燃えあがる。

 長兄は、そんな父親を糸のような目で見返しながら、悠揚せまらぬ様子で笑った。


「美味いか、不味いかの話ですか。それも、ララが言った通りですよ。ポイタンにこんな食べ方があるのかと驚きましたし、煮汁にはあのギバの汚らしい臭いが感じられれず、それでいてギバの生命を強く感じました。……だけど、あの赤い蜜がかかったギバの肉、あんな柔らかい肉を食べても、ギバを食べた気がしません。あんな肉を毎日食べていたら、それこそ歯が力を失ってぽろぽろと抜け落ちてきてしまいそうな恐怖を感じます」


「そう――そうなんだよ! だから俺は、あんなもんは森辺の狩人が食べるもんじゃねえって思ったんだ!」


 ようやく何かが腑に落ちた様子で、ドンダ=ルウの顔に精気が蘇ってくる。


「俺のこの歯は、ギバの固い肉を喰いちぎるための歯だ! ギバを仕留めるこの腕や、森を走るこの足と同じように、この森辺で生きるための大事な道具のひとつなんだよ! 道具は、使わなきゃ錆びちまう! 貴様らが俺に喰わせたのは、俺の生命を錆びつかせる、悪い食事だったってことだ!」


「それは……」と反論しかけた俺の腕を、アイ=ファがそっとつかんできた。

 落ち着き払った青い瞳が、「やめておけ」と語っている。


「もちろんそれは、俺が森辺の男であり、『ギバ狩り』だからだ! だから……歯のない老人には、何よりも正しい食事だったんだろうよ」


 と、ついには不遜な笑みをも復活させ、その老人を振り返る。


「我が祖母にして、最長老のジバよ。最長老の言葉は正しかった。あれで最長老の魂が蘇ったというのなら、俺は自分の吐いた言葉を潔く飲み下そう。あれは、ムントの餌じゃねえ。森辺の民として誰よりも永き時を生き、その身をもって森の仕事に従事してきた敬愛すべき祖母を救う、薬だ! 宝だ!」


「ふうん……何だかいつになく素直じゃないかい、家長ドンダよ……?」


「俺はいつだって正直だ! 正しいものは正しいと認め、悪いものは悪いと断ずる! その覚悟がなければ、家長なんざつとまるもんかよ?」


 そして、その猛々しい目が、俺とアイ=ファをにらみすえる。


「ファの家のアイ=ファ! その家人アスタ! 貴様たちは、ルウの家の最長老たるジバ=ルウを救った! ルウの家の家長として、これまでの非礼をわびるとともに、あらためて感謝の言葉を捧げさせてもらう!」


 アイ=ファは、無言で目礼をした。

 俺はそろそろ明確になってきた感情をもてあましつつ、ドンダ=ルウの姿を見すえる。


 ドンダ=ルウは。

 心地好さそうに、笑っていた。

 長年の疑念がようやく解き明かされたかのような、実に清々しげな顔つきで。


「貴様たちの食事は、俺にとっては毒だった! しかし、ジバ=ルウにとっては薬となった! 一夜限りの毒なんぞで俺の魂は錆びついたりしねえから、毒を食わされた罪は不問にする! 貴様たちが手にしたその角と牙は、貴様たちの行為に対する正当な祝福だ! 誰に負い目を感じることもなく、堂々と自分の血肉にするがいい!」

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