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異世界料理道  作者: EDA
第十六章 星はなけれども
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歓迎の宴②~前菜・汁物料理・フワノ料理~

2016.1/22 更新分 1/1

 日没――下りの六の刻である。

 厨から一番近い別室で、俺たちはお客人よりも一足早く食事をとらせていただくことになった。


 横長の大きな卓が二脚並べられ、そこには15名もの人々が座している。

 森辺のかまど番が7名、城下町のかまど番が4名、そしてサウティ家の男衆も合流して護衛役の狩人が4名という顔ぶれだ。

 過半数は森辺の民であるが、ヴァルカス陣営のほうに物怖じしている様子はない。


 肝心の料理は、隣の卓にずらりと並べられたまま、登場の時を待ちかまえている。品数が多い上に冷めると味の落ちてしまう料理も少なくなかったので、そのいくつかは蓋がかぶせられて炭の保温器で温められている状態にあった。


「厨では顔を隠していましたので、いちおう名前だけでもご紹介させていただきましょう」


 本日もぼんやりとしていてつかみどころのない表情をしたヴァルカスが、穏やかな口調でそのように述べた。


「こちらが調理助手を取りまとめているタートゥマイです」


 浅黒い肌をした長身の老人が、うっそりと頭を下げる。

 半分白くなった黒髪を長くのばしており、首の後ろで束ねている。痩せぎすで、細められた目は黒く、しわぶかい顔には感情というものが欠落してしまっている。肌の色は森辺の民にも負けないぐらい濃い褐色をしているので、もしかしたら本当にシムの血が入っているのかもしれなかった。


「その隣が、シリィ=ロウ」


 こちらは小柄でほっそりとした娘さんだ。

 褐色の長い髪はアップにまとめあげられており、瞳は鳶色で、肌は黄褐色。おそらくは純然たる西の民であろう。年齢は俺と変わらないぐらいで、強い光をたたえた瞳が印象的だ。


「さらにその隣が、ボズル。いずれも《銀星堂》で厨を預かるわたしの弟子たちです」


 ほぼ一日燻製室にこもっていたのは、ダン=ルティムにも負けない大男であった。

 しかもこれは、南の民だろう。ごわごわとした褐色の髪と髭に、ぎょろりと大きな緑色の目をしており、白い肌は日にやけてうっすらと赤みがかっている。かつての常連客であった建築屋のアルダスを思い出させる厳つい風貌だ。小柄な人間が多い南の民でも、ときおりこうした大男が存在するのである。


「では、せっかくの料理が冷めてしまう前に、味見をいたしましょう。あまり満足な量は準備できませんでしたが、ご容赦ください」


「ええ、一口ずつでも味見をさせていただければ十分です」


 森辺の民が食前の挨拶を終えるのを待ち、俺たちはさっそく料理を取り分けることにした。


 まずは、前菜だ。

 木皿に盛られた珍妙な料理を前に、ダン=ルティムが「ふうむ!」と大きな声をあげる。


「これが生きた魚を使った料理か! まさかこのようなものを食べる日が来ようとは思ってもみなかったぞ!」


「ええ、お口に合えば幸いです」


 俺が準備したのは、イワナのような川魚のカルパッチョであった。

 湯通ししたロヒョイと生のアリアとともに、ドレッシングで和えている。ドレッシングも、この料理のためにこしらえた特別仕立てだ。基本はママリア酢とレテン油で、そこにピコの葉とミャームー、レモンのようなシールの果汁、ぴりりと辛いチットの実、そしてシム産のローリエのごとき香草を加えている。


 ロヒョイは俺の知るルッコラよりも苦みと辛みがきついので、湯通しすることでいくぶん食べやすい状態になっている。

 川魚の切り身も、半口サイズの薄い仕上がりだ。


 森辺では、もちろん肉を生食する風習など存在しない。

 ゆえにアイ=ファやルウ家の人々も、嫌がりはしない代わりに嬉しがりもしなかった。

 この場で供するのも、実にささやかな分量である。


「ふむ、実に珍妙な味わいだ」


 ヴァルカス陣営の料理を待つ必要のない護衛役の面々は、そのささやかなる前菜をいずれも一口でたいらげていた。

 日没とともにダリ=サウティとやってきてこちらに合流したサウティ家の男衆などは、眉を八の字にして川魚を咀嚼している。


「こちらも前菜は魚料理です」


 と、ヴァルカスじきじきに取り分けられた料理が、かまど番のもとにだけ回されてくる。

 その中身を見て、俺は目を丸くすることになった。

 手の平サイズの陶磁の皿には、実につつましい料理がちょこんと載せられていたのである。


「本来であれば、これは9つで1名分なのです。そちらは7名もいらっしゃったので、ひとつずつしかご用意することがかないませんでした」


「そうですか。いえ、まったく問題はありません」


 ただ、それは実に不可思議な料理であった。

 1センチ四方の薄い生地に、あんず色をしたペーストがちょんと載せられているばかりなのである。


 生地は、おそらくフワノを薄くのばして焼きあげたものなのだろう。厚みは1、2ミリぐらいしかありそうもない。

 ペーストは、魚料理と銘打っているのだから魚肉のミンチなのであろうが――ぱっと見には、不透明のジャムにしか見えない。何かこまかい種子のような粒がまじっているし、つやつやと照り輝いている。


「それでは、いただきます」


 無作法かもしれなかったが、俺は手づかみでその料理を食させていただいた。

 すると、そんなにちんまりとした料理であるにも拘わらず、ひと噛みしただけで実に複雑な味と香りが口の中に広がった。


「……そちらの前菜も生の魚であったのですね」


「はい。リリオネの魚をこまかく刻み、タウ油とレテンの油とアロウの果肉、それにサルファルの香草と一緒に練りあげたものです。その下のフワノの生地には、カロンの乳脂とパナムの蜜を練りこんでおりますね」


 リリオネというのは、俺が使用したのと同じイワナのごとき川魚のことであろうか。

 それにサルファルというのは、きっとあのマスタードみたいな香草であるに違いない。それほど辛みは強くないので、きっと水分は付加させずに使用しているのだろう。


 しかしそのマスタードみたいな香気は、しっかりと香りの核になっている。

 そこにタウ油の塩気とアロウの酸味がまじりこみ、レテンの油はなめらかな食感を生み出している。

 そして、パリパリに焼きあげられたフワノの生地が心地好い。


 以前に味見をさせていただいた香草とカロン乳の焼き料理よりは、まだずいぶんとシンプルな味わいであったものの、やはり俺には思いつかない組み合わせだ。


「アスタ殿が前菜で生のリリオネを使うと聞き、わたしもこの料理を選ぶことにしたのです」


 ヴァルカスが、静かな声でそのように言った。


「バナームでも魚を食することはできないはずなので、おそらく魚料理は珍しがられることでしょう。……しかし、いかにカロンを生食する風習があったとしても、魚の生食に対してはいささか忌避の気持ちが出てしまうやもしれません。本来であれば、最初に食する前菜には熱を通した魚料理こそが相応しいと思われます」


「え? それでは何故、ヴァルカスはこの料理を前菜に選んだのですか?」


「ですからそれは、アスタ殿が生食の料理を選んだと聞き及んだからです。ふたりの料理人がともに生食の料理を供すれば、それがジェノスの流儀なのかとバナームの人々を錯誤させることがかなうかもしれないと判断いたしました」


 一瞬呆気に取られてから、俺は「すみません」と頭を下げてみせた。


「謝罪には及びません。わたしはわたしの判断でそうしたまでです」


 やっぱり腹の底の読めない御仁であった。

 で――俺の準備したカルパッチョのお味はいかがなものであったのだろう。いつの間にやら、ヴァルカスたちの皿はいずれも空になっていた。


「とても美味でした。いささかピコとチットの辛みがぶつかっているようにも感じられましたが、生の魚にここまで的確な味付けを為すことのできる料理人はジェノスに存在しないと思われます」


 が、ヴァルカスはもちろん3名の調理助手たちも無表情のままである。

 で、こちらのかまど番たちも魚の生食には関心が薄いので、あまりはっきりとした判断は下せずにいる様子だ。

 早々に、次の料理に取りかかることにする。


「おい、アスタよ。まさか最後までこのようにちまちまと食べさせようというつもりではなかろうな?」


 と、ダン=ルティムが不安げな声をあげてくる。


「はい、この後は何品かずつまとめてお出しするつもりです。……それでよろしいのですよね、ヴァルカス?」


「ええ、食べ方は各人におまかせいたします」


 ということで、まずは汁物料理とポイタン料理を取り分けることにした。

 おたがいの鉄鍋の蓋が取り除かれ、さまざまな香気が室内を満たしていく。


 こちらの汁物料理は、誰を驚かせることもなかった。

 しかし、ポイタン料理が配膳されると、「何だこれは?」というダン=ルティムの声が響きわたった。


「まさか、こいつがポイタンなのか? ちっともポイタンらしく見えんぞ、アスタよ!」


「はい、それはポイタンとフワノをまぜたのち、キミュスの卵とレテンの油で練りあげたものです」


 ダン=ルティムが驚くのも無理はない。アイ=ファもルウ家の人々もレイナ=ルウたちかまど番の面々も、とにかくこの料理を初めて目にした際には誰もが驚嘆することになった。

 それは俺がひと月近くもかけてようよう完成させることができた、ポイタンとフワノのパスタであったのである。


 ポイタンもフワノも小麦粉と似てはいるが小麦粉そのものではない。具体的には、粘性や膨張性をつかさどるグルテンの加減が、俺の知る小麦粉といささか異なっているように感じられたのだ。


 ポイタン粉は、そのまま焼きあげるとけっこうバサついてしまうし、水にまぜるだけでは固形化もしない。フワノ粉は、なかなかもっちりと焼きあがる代わりに、粘性が強すぎるきらいがある。この2種の小麦粉もどきを何とかうまい具合いにブレンドさせて、麺状に仕立てあげることはできないものかと、俺はずっと四苦八苦していたのだった。


(本当は、そばやうどんを作りたかったんだけどな)


 しかしそれは、失敗に終わった。

 いや、パスタよりも先にうどんに近いものを作り上げることはかなったのだが、森辺の民にそれを食する素養が欠けてしまっていたのである。

 味に関してではない。なんと彼らは、「麺をすする」ということができなかったのだ。


「これはいったいどうやって食すればよいのだ?」と、アイ=ファなどは実に悲しげな面持ちで俺に問うてきたものである。


 それで思い出したのだが、俺の知人でも麺をすすれない人物がひとりだけ存在した。中学校時代の、帰国子女のクラスメートである。

 彼はその年まで南米の何とかいう国で暮らしており、麺類を食した経験がなかった。そんな彼をともなってラーメン屋に出向いたところ、アイ=ファと同じ目つきで同じような言葉を口にしたのだった。


 そんな彼も、しばらくしたら麺のすすり方を習得することはできたが、森辺の民は彼よりも分が悪い。何せこちらは、箸を使う風習すら存在しなかったのだから。


 まあ箸に関しては、アイ=ファなどは我流なれど扱うことはできたので、何とか苦労しながらもその日の晩餐を食することがかなった。

 しかし、森辺のみんなに箸の持ち方から麺のすすり方までを指南していくのは並大抵の苦労ではないだろう。ドンダ=ルウなど、途中で箸を投げ捨ててつゆごと一気飲みにしてしまいそうだ。


 で、城下町での食文化についてはまだ把握しきれていない部分があるが、少なくとも宿場町では森辺と同様に麺類を見かけたことはない。それではやっぱりせっかくのうどんも商品たりえないだろう。


 だから俺は、最初のステップとしてパスタを供することにしたのである。

 パスタならば、麺をすすらずに食することができる。フォークのような食器は城下町にしか存在しないようであるが、木匙に切り込みを入れれば代用品を準備することはできる。それでまずは「麺類を食べる」という風習を根付かせることはできないものかと、俺は画策したのだった。


 ポイタンとフワノの配合具合いさえつかめれば、パスタの作製自体に難しいところはない。ただ、そこそこの手間がかかるだけだ。


 2種の粉に卵と少量のレテンの油と塩をまぜあわせ、なめらかになるまでこねあげてから、水分を飛ばすために数時間寝かせる。あとは打ち粉をふって平たくのばし、さらに水分を飛ばしてから麺状に切り分ける。断面がべたつくようなら、もう一度打ち粉をふってもいい。これで立派な生パスタの完成だ。余った分はそのまま干すだけで乾燥パスタに仕上げることもできる。


 今回は、その生パスタをクリームソースで提供することにした。

 具材は、ホウレンソウのごときナナールと、キャベツのごときティノ、ブナシメジのごときジャガルの茸――そして、ミケルから得た燻製の技術でこしらえたギバのバラ肉の厚切りベーコンだ。


 クリームソースは、塩とピコの葉、それに海草の出汁とナツメグのごとき香草で味を作っている。

 さらに取り分けたあとは、ギャマの乾酪を粉状にしたものを降りかける。

 バナームの人々はカロンの乳製品を扱っていると聞き及んでいたので、数あるメニューの中から俺はこのクリームパスタをチョイスしたのだった。


 で、汁物のほうはミネストローネだ。

 トマトのようなタラパを基調にした、野菜たっぷりのスープである。

 使用した具材は、アリア、チャッチ、ネェノン、ティノ、ズッキーニのごときチャン、パプリカのごときマ・プラ、マッシュルームのごとき名も知れぬ茸、そしてギバの腸詰め肉だ。


 こちらはブイヨンの代わりに燻製魚の出汁を使い、塩とピコの葉、ローリエのような香草、ママリアの果実酒、それに隠し味でタウ油と砂糖も使用している。


 タラパ仕立てのスープはこれまでに幾度となく作ってきたので、こちらの料理は問題なくアイ=ファたちにも受け入れてもらうことができた。

 問題は、クリームソースのパスタのほうだ。

 ルウ家の男衆には今ひとつ受けがよくなかったようだが、護衛役の面々にはいかがなものか――と、俺がこっそりうかがってみると、ちょうどダン=ルティムが「うむ!」と声をあげたところであった。


「この肉は美味いぞ! 以前にルウ家からもらった干し肉のように風味がゆたかで、なおかつ普通の肉として美味い!」


「それは何よりです。……ポイタンのほうはいかがでしょうか?」


「ふむ、こいつはちょいとばっかり食べづらいな。味のほうに文句はないのだが、つるつると木匙から滑り落ちてしまうのだ」


 かたわらにあるモルン=ルティムに食べ方を習ったようだが、一朝一夕にはうまくいかないらしい。このあたりのストレスも、男衆らに忌避される大きな要因なのだろうか。


「やっぱりそうですか。では、こんな食べ方はいかがでしょう」


 日中のレイナ=ルウとの会話から、俺は薄く焼きあげたポイタンを準備していた。パスタだけでは炭水化物の摂取量に不満が出るだろうと思い、ポイタン粉はどっさり余分を準備していたのである。

 そいつでパスタや具材をはさみこむ食べ方を実践してみせると、ダン=ルティムの顔に喜びの表情がよみがえった。


「おお、これは美味い! このにょろにょろとしたポイタンも、こうして食べたほうが断然美味いぞ!」


「そうかなあ? あたしは普通に食べたほうが美味しいと思うけど」


「味は変わらんかもしれないが、やはりちまちま食べるのが性に合わんのだ! 食い物は口いっぱいに頬張ったほうが美味かろうが?」


「それは父さんの好みでしょ。……あ、でも、焼きポイタンをこの汁につけて食べるのは美味しいかも」


 ルティム家の父娘は実に和やかに食を進めていた。

 いっぽうヴァルカス陣営の面々は――その半数ほどが、表情を変えていた。

 西の少女シリィ=ロウと、南の大男ボズルだ。


「これは――美味でありますな。このような料理は初めて口にいたしました」


 野太い声で、ボズルがそう言った。

 その厳つい顔は、激しい驚きの表情を浮かべている。


 その隣に座したシリィ=ロウのほうは、無言だ。

 表情は、どちらかというと険しいものになってしまっている。


「特にこの肉! これが噂に聞くギバの肉であるわけですか。……こちらの肉は、香草で燻しているのですな?」


「はい。保存性よりも味を重視した燻製肉です」


「この肉は美味です。汁物の腸詰め肉も劣らず美味い。こんな上等な食材が数十年もの間、見過ごされていたとは……いやはや脱帽であります」


 シリィ=ロウの沈黙が気になったが、ボズルのほうは実に気取ったところのないジャガル人らしい気質であるようだった。


「……ファの家のアスタ殿と申されたか。これは本当にポイタンで作られた料理なのですかな?」


 と、そのように発言したのは、長身の老人タートゥマイであった。

 彼らは三叉の食器を使い、問題なくくるくると巻き取ってパスタを食している。


「はい。正確には、フワノとポイタンを7対3ぐらいの割合で使っています。それにキミュスの卵やレテンの油を加えた料理ですね」


「そうですか。これはまるで、シャスカのような料理です」


「シャスカ?」


「シムの山沿いで採れる穀物です。シムの山岳部では、シャスカをこうして細くのばして食するのです」


「そうなのですか。では、シムの方々はこうした料理をすすって食べる習わしも備えているのでしょうか?」


「熱い汁とともに食する場合はそうするでしょう。焼いたり茹でたりしたシャスカは、こうして巻き取って食しますが」


 やはりこの老人は、シムの血筋なのだろうか。

 だとすると、ヴァルカスの下には西、南、東の人間が勢ぞろいしていることになる。


 で――そのヴァルカスは、椅子の上で静かに座していた。

 見ると、こちらが供した皿はすべて空っぽである。


「あれ? もうすべて食べ終えてしまったのですか?」


「はい。とても美味でした」


 ヴァルカスは、ボズルと同じ緑色をした目をすがめて俺を見つめ返してくる。


「できうれば、こちらの料理も熱が逃げる前に食していただければ幸いです、アスタ殿」


「あ、申し訳ありません」


 俺がダン=ルティムの相手をしている間に、こちらの女衆らもすでに味見を終えてしまっていた。

 さきほどまでは不明瞭な面持ちであったレイナ=ルウやトゥール=ディンなどは、かつてヴァルカスと味比べをした日のように真剣な様子になっている。

 なので俺も、急いで汁物とフワノ料理の味見を済ませてしまうことにした。


 汁物は、見覚えのある乳白色のスープである。

 カロンの乳と、香草もたっぷり使っているのだろう。実に複雑な香気がたちのぼっている。


 フワノ料理は、ねじりパンのような形状をしていた。

 ただし、色合いはほんのりとしたピンク色だ。それに透明なソースが塗られて、つやつやと照り輝いている。


 俺はまず、カロン乳のスープをすすることにした。

 それには相応の覚悟を固めていたつもりであるが――やっぱり驚嘆することになった。


 前菜では抑制されていたヴァルカスの本領が、存分に発揮されている。

 きわめて複雑な味わいだ。

 いったい何種類の香草を使っているのだろう。辛いし、苦いし、酸味もきいている。

 しかし、それ以上に甘いし、旨みもたっぷりである。


 この甘みは、カロンの乳や乳脂や砂糖からもたらされるものであろう。

 旨みは当然、肉や野菜や数々の調味料からもたらされたものだ。


 木匙で中身をさらってみると、カロンの肉とチャムチャムを捕獲することができた。

 カロンの肉は、驚くほどやわらかかった。

 足肉ではなく胴体の肉なのだろう。ナウディスの作った料理のカロン肉よりもさらにやわらかくて、噛む必要もなく繊維がほどけていく。


 それに、タケノコのごときチャムチャムの食感が心地好い。

 ほどけた肉の繊維がチャムチャムにからみあい、まるでそちらこそが肉本体なのではないかと錯誤してしまいそうであった。


 さらにそのスープには、3種の茸と2種の野菜が沈んでいた。

 シイタケモドキ、キクラゲモドキ、マッシュルームモドキ、ダイコンのごときシィマ、ジャガイモのごときチャッチという取り合わせだ。


 どれも食感が素晴らしい。

 水で戻したシイタケモドキは、上質の肉みたいにほどよい噛み応えがある。

 キクラゲモドキはコリコリと、マッシュルームモドキはもちもちと――味のしみたシィマとチャッチは煮崩れる寸前のやわらかさで、口にすればすぐにスープと一体化してしまう。


 これはきっと食材ごとに熱を通している時間が異なるのだろうなと、直感的に俺はそう思った。

 肉や野菜は繊維が崩れる限界近くまで煮込まれているが、茸やチャムチャムは食感を活かすために火加減が調節されている。食材のひとつひとつを吟味して、どれだけの熱を加えるべきかを研究し尽くした、その結果がこれなのだろう。


 そしてやっぱり、特筆すべきは味付けの妙である。

 今回は苦みまでもが加わっているのに、少しも均衡を崩していない。この苦みを除去してしまったら、残された甘みや辛みや酸味までもがバラバラに暴走して、すべてが台無しになってしまう、とでもいうような――そんな気がしてならなかった。


(ああ……なんて不思議な味なんだろうな、こいつは)


 カロン乳と香草を駆使した料理は、これまでに何度も食べる機会を得ている。つい先日にはヤンのこしらえたものを食したし、ロイのも、ティマロのも食したことがある。


 彼らが求めていたのは、この味なのではないだろうか。

 彼らの料理に欠けていたものがこの料理には備わっており、彼らの料理には余分であったものがこの料理からは取り除かれている。

 この料理を心の底から美味い、と思っているわけでもないのに、俺にはそうとしか思えないのだった。


「……その汁物は、キミュスの骨がらと海草と6種類の香草から出汁をとっています。カロンの胸肉は、ママリアの酢と果実酒を配合したものに漬けておいたものですね」


「酢漬けの肉なのですか。肉自体に酸味は感じませんでしたが」


「酢よりも果実酒のほうが比率は高いです。酸味は煮汁に溶け出しているはずですね」


 やっぱり俺には発想の及ばない料理だ。

 何とも収まりのつかないざわめきを胸中に抱えつつ、俺はフワノ料理に手をのばすことにした。


 ピンク色のツイストロールのような料理だ。

 ずいぶん不思議な形だなと思ってよく観察してみると、それはただフワノの生地をねじっているのではなく、三つ編みみたいな形で何本かの紐状の生地が組み合わされているのだということが判明した。


 表面には透明のソースが塗られていたので、手づかみではなくナイフとフォークのような食器でいただくことにする。

 生地の中には、半透明の乳白色をしたチップがそれなりの密度で練りこまれていた。


 期待を込めてかじってみると、意想外の味が口の中に広がった。

 ふわりと鼻にぬけていくこの香気は、海の恵みのそれである。

 感覚としては、エビに近い。

 あの、切り開かれた甘エビみたいな甲殻類の干物を使っているのだろう。


「それはフワノの生地にマロールの身と殻をすり潰したものを合わせ、干し魚の出汁で溶いたのちに焼きあげたものです。生地に練りこまれているのは、ミンミの果肉ですね」


「ミンミ? ミンミってあの、ジャガルの高価な果実ですか?」


「はい。熟れる前の甘くないミンミです」


 ミンミとは、とても高価な桃のごとき果実である。

 俺はてっきりこのチップこそがマロールとかいう甲殻類の身なのだろうと思っていたのに、完全に予測が外れてしまった。


 しかしこれは、確かにフワノの生地そのものに味付けがなされているようだった。

 ミンミの実は、ぷちぷちとした噛み応えを生み出しているに過ぎない。

 それでようやく気づいたが、このフワノ料理は普通に焼いたものよりもうんと繊細な食感であった。歯を使わずに咀嚼できるぐらい、生地がやわらかいのである。


 ミンミの実が入っていなかったら、粉の塊を食べているような心地になっていたかもしれない。

 しかし、注意するまでその独特の食感に気づかされることもなかった。

 それにまた、表面に塗られている透明のソース――おそらくは何種類かの油と乳脂を配合させたこのソースが、粉っぽさを中和してなめらかな咽喉ごしを作りあげている。


 そしてその味も、干し魚の出汁から出るわずかな塩気以外には、あまり強いものがない。ただ甲殻類の香ばしい風味が鼻を喜ばせるばかりである。

 汁物料理とは打って変わって、優しく繊細な味わいの料理であった。


「……この料理では香草を使っていないのですね?」


「はい。すべての料理に香草を使っていては、舌を休める時間を得られませんので」


 言いながら、ヴァルカスはゆらりと立ち上がった。


「料理も残り3品ですね。時が移る前に、味見を済ませてしまいましょう」

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