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異世界料理道  作者: EDA
第十六章 星はなけれども
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歓迎の宴①~下準備~

2016.1/21 更新分 1/1

 藍の月の10日。

 歓迎の宴の当日である。

 その日は、ちょうど中天に城下町の城門に到着できるよう、俺たちは森辺を出立した。


 本日は、23名分もの料理を作製しなければならないのだ。

 前回の親睦の食事会では13名分であったので、10名増しの分量だ。


 それに備えて、4名であったかまど番は7名に増員した。

 が、かまど番が増えればその分の食事も準備しなくてはならなくなる。

 4名の護衛役の分まで合わせると、総勢で34名分だ。

 なおかつ、ヴァルカスたちに味見させる分まで考慮すると、さらに余計に準備しなくてはならないだろう。

 

 そんなわけで、俺たちはゆとりをもって作業できるように、こんな早くから城下町に向かうことに相成ったのだった。


「お待ちしておりました。こちらの車にどうぞ」


 城門で待ちかまえていた武官の案内で、ダレイム伯爵家のトトス車に乗りかえる。

 荷物はギバ肉とポイタン粉と、あとはせいぜい俺の調理刀ぐらいしかないので、実にささやかなものだ。


「うむ! 城下町に踏み入るのも、かれこれ3ヶ月ぶりか!」


 護衛役の筆頭たるダン=ルティムは、車に乗り込むなり馬鹿でかい声でそう言った。

 サイクレウスとの会談の日からはもうそれほどの歳月が経っているのかと、俺は何だか感慨深くなってしまう。


 ちなみに護衛役の最後のひとりはダリ=サウティとともにやってくるので、現在のメンバーは10名である。

 かまど番は、俺、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウ、トゥール=ディン、アマ・ミン=ルティム、モルン=ルティム。

 護衛役は、アイ=ファ、ダン=ルティム、ディム=ルティム。

 このディム=ルティムという少年だけが、俺にとっては初顔合わせであった。


「何を固い顔をしているのだ、ディム=ルティムよ? べつだん貴族たちと刀を交えに出向くわけではないのだから、そこまで気を張る必要はないのだぞ?」


 と、そのディム=ルティムに向かってダン=ルティムが豪快に笑いかける。

 ディム=ルティムは、確かに硬質的な眼差しでしきりに周囲の様子をうかがっているように見えた。


「しかし、相手は何を考えているかもわからない貴族たちです。俺たちは、万事に備える必要があるのではないでしょうか?」


「その通りだ。だからこそ、そのように気張っていては身がもたん。いつ何が起きても十全に立ち向かえるように、自然体でかまえていればよいのだ」


「はい」とうなずきながらも、やはり少年の表情は固い。

 いまだ13歳の、小柄な少年である。ルド=ルウなどよりもほっそりしているし、顔つきなどは実に子供っぽい。


 彼はどうやらふた月ほど前にギバの突進をくらって、何本もの肋骨をへし折られてしまったらしい。半月ほど前にようやくまともに動けるようになり、現在は狩人としての力を取り戻すために修練の最中であるのだという。


 ダン=ルティムはダン=ルティムで元気いっぱいだが、相変わらず杖は手放せずにいる。そう考えると、足首を脱臼して筋を痛めてしまったというダン=ルティムのほうがディム=ルティムよりも深手であった、ということになるのだろうか。


「お待たせいたしました。トゥラン伯爵邸でございます」


 半刻の後、車の扉が外から開かれる。

 俺にとっては、5度目の来訪だ。

 煉瓦造りのこの巨大な建物も、ずいぶん目に馴染んできてしまった。


「トゥラン伯爵邸にようこそ……まずは浴堂にご案内いたします……」


 半月前と同じように、シフォン=チェルが俺たちを出迎えてくれる。

 7名のかまど番と、そしてまたリミ=ルウに引きずられたアイ=ファだけが身を清め、いざ厨へと移動した。


 厨の前には、本日も2名の武官が立ちはだかっている。

 その手によって扉が開かれると、とたんに熱気と香草の香りが俺たちを包み込んできた。


「ヴァルカスたちはもう調理を始められているのですか?」


「はい……ヴァルカス様は、夜明けと同時に厨へといらっしゃいました……」


 ヴァルカスは、丸一日をかけて料理を準備するつもりであるらしい。

 気持ちを引き締めなおしつつ、俺は厨へと足を踏み込む。

 すると、ヴァルカスと2名の調理助手が厨の一番奥で忙しそうに立ち働いているのが見えた。


(たった3人しかいないのか。そりゃあ時間もかかるわけだ)


 俺たちは一番手前の作業台に荷物を置き、まずは挨拶をとそちらに近づいていく。

 せっかく身を清めたということで、今回はアイ=ファも厨の内側で護衛の任を果たすことになった。ダン=ルティムとディム=ルティムは扉の外で居残りだ。


「お忙しいところをすみません。本日はよろしくお願いいたします、ヴァルカス」


 かまどの前で鍋を煮立てていたヴァルカスが、目だけで俺を見返してくる。

 本日も長袖の白装束、そして目鼻と口にだけ穴の空いた覆面姿だ。

 呆れたことに、2名の調理助手もまったく同じコスチュームである。

 ただし、その内のひとりはレイナ=ルウのように小柄で、もうひとりはシム人のように長身であったので、何とかヴァルカスを見間違えずには済んだ。


「よろしくお願いいたします、アスタ殿。……そちらはずいぶん大人数なのですね」


「はい、そちらは3名なのですね」


「いえ、もう1名は燻製室で火の加減を見ています。……タートゥマイ、時間は?」


「は、まもなく半刻となります」


 長身のほうの白覆面が、妙にしわがれた声で答える。


「では、わたしも燻製室に出向きます。シリィ=ロウ、こちらで火の加減を」


 小柄なほうの白覆面は、無言のままこちらに近づいてくる。

 小柄なだけでなくずいぶんほっそりしているので、こちらは女性なのかもしれない。


「申し訳ありませんが、わたしは失礼いたします。……アスタ殿はあちらの作業台をお使いでしょうか?」


「はい、そのつもりです」


「それがよろしいでしょう。おたがいの香気に邪魔されぬよう、なるべく離れた場所で調理するべきとわたしも考えておりました」


 そのように言い捨てて、ヴァルカスは足早に立ち去っていく。

 けんもほろろといった様子である。

 しかし、それだけ真剣に作業に取り組んでいるということなのだろう。俺たちはかまどの前に陣取った調理助手に会釈をしてから、自分たちの作業場に戻ることにした。


「それじゃあ俺たちもさっそく準備を始めよう。まずは食材の確保だね」


 必要な食材は事前に伝えてあったので、それらはすべて食料庫にきっちり取りそろえられていた。

 野菜もなるべく新鮮そうなものを選び、7名で手分けをして運搬する。


 食材がそろったら、まずは野菜を切る作業だ。

 調理の手順は、もちろんこの数日間できっちり整えていた。


「話には聞いていましたが、実に珍妙な姿ですね。顔のわからない人間というのは、いささか不気味です」


 担当のアリアを刻みながら、アマ・ミン=ルティムがこっそり呼びかけてくる。

 彼女は初めての城下町であったのだが、物怖じしている様子は微塵もない。


「でも、料理の腕前はとてつもないのでしょう? 美味か否かを判ずるのは難しいという話でしたが、とても興味をひかれます」


 その反対側でチャッチの皮を剥いていたモルン=ルティムも、目を輝かせながらそのように発言した。

 トトス車に乗っていたときはリミ=ルウと一緒にはしゃいでいた彼女も、ふだん通りの朗らかな笑顔であった。


 どちらかというと、かつてヴァルカスの料理で心を揺らされたレイナ=ルウ、シーラ=ルウ、トゥール=ディンたちのほうがいささか表情は固いかもしれない。

 いっぽうリミ=ルウなどは、アイ=ファに見守られながら鼻歌まじりにネェノンを刻んでいる。


 真剣きわまりないレイナ=ルウたちも、平常心のリミ=ルウたちも、俺にとっては心強い存在だ。

 そんな風に思う俺自身は、ほどよい緊張感を維持しながらも、いつも通りに手を進めることができた。


(あっちも、とりたてて奇妙な調理はしていないみたいだな)


 シリィ=ロウと呼ばれた小柄な人物は、ヴァルカスにまかされた鉄鍋を攪拌しつつ、ときおりかまどに薪を追加している。

 タートゥマイと呼ばれた長身の人物は、ずっと作業台に向かって野菜を刻み続けている。

 そして燻製室では、何かを燻製にしているのか。あるいは火を使う別の作業に取り組んでいるのか。

 彼らがどのような料理をお披露目してくれるのか、今から完成が楽しみなところである。


              ◇


 厨の扉が外から叩かれたのは、作業を開始してから一時間ほどが経過して、いよいよかまどに火を入れようかと準備を始めたタイミングであった。


「アスタよ、何やらお前さんを知る娘御が面会を求めているようだぞ! 手が空いているならば、こちらに姿を見せるがいい!」


 武官でなくダン=ルティムの大声がぶあつい扉ごしに聞こえてくる。

 俺はかまどの準備をシーラ=ルウに託し、アイ=ファとともに扉へと向かった。


「やあ、アスタ! 忙しいところを邪魔しちゃってごめんね?」


「あれ、ディアル? どうして君がこんなところにいるんだい?」


 それは南の商人の娘、ディアルであった。

 かつてこの屋敷で出会ったときのように、青地の清楚なドレスを纏い、短い髪には飾り物をつけている。

 背後には、ふだん通りの格好をしたラービスも控えていた。


「えへへー。実はね、今日の歓迎の宴には僕も参席するんだよ。というか、何とか招待してもらえるように、あのダレイムの第二子息に拝み倒したんだけどね!」


「そうだったんだ? ここ10日ばかりはポルアースとも顔を合わせていなかったから、全然知らなかったよ」


「うん、そうらしいから挨拶に来たんだよ。アスタの料理は食べられるし、バナームの貴族とは縁を持つことができるし、こんな機会を見逃す手はないと思ってさ」


 そう言って、ディアルはにこーっと屈託なく笑った。

 ドレス姿はもちろんのこと、髪飾りをつけて少しおでこをあらわにすると、格段に女の子らしく見えてしまうディアルである。


「バナームの人たちにも商売を持ちかけようっていう目論見かい? ……だけどディアルも貴族は苦手なんだろう?」


 後半部分は囁き声で伝えると、ディアルも武官たちの耳をはばかって口を寄せてきた。


「苦手っていうか嫌いだよ。でも、仕事は仕事できっちり果たさないと、あとで父さんに何を言われるかわからないからさ」


「そっか。それじゃあ商売の成功を祈っておくよ。あとで料理の感想を聞かせてくれたら嬉しいな」


「あったり前じゃん。期待してるよー?」


 笑いながら、ディアルが俺の胸を小突いてくる。

 それから彼女は、俺のかたわらに立ちはだかるアイ=ファのほうへと視線を転じた。


「あー、今のは殴ったわけじゃないからね? そんなおっかない目でにらみつけないでよ」


「……それぐらいのことは、見ていればわかる」


 そう言い捨てて、アイ=ファは横目で俺のほうまでにらみつけてくる。

 家族ならぬ男女はみだりに触れ合うべからずという森辺の習わしには、人一倍厳しいアイ=ファなのである。


「ずいぶん元気のよい娘御だな。お前さんは、ジャガルの姫君か何かなのか?」


 と、いいタイミングでダン=ルティムが口をはさんできてくれた。

 ディアルはそちらを振り返り、にこりと笑う。


「僕はそんなたいそうなもんじゃないよ。ジャガルの鉄具屋グランナルの娘でディアルという者さ。あなたは森辺の狩人だね、大きな人」


「うむ。俺は森辺の民、ルティム本家の家人ダン=ルティムという者だ。ジャガルの人間というのは、町の連中と同じぐらいには森辺の民を忌避していると聞いていたのだがな」


「あー、僕もアスタと知り合うまでは、森辺の民にそんなにいい印象は持ってなかったんだけどね。でも、あなたたちがジャガルを捨てたのはもう80年も昔のことなんだし、今さらそんなことを理由にぎゃあぎゃあ言うのもおかしいのかなって思いなおしてさ」


「なるほどな。まあ俺もアスタの料理を口にするまでは色々とやかましいことを言ってしまっていたから、それと同じようなものか」


 俺にとっては以前からつきあいのある両者がこのように気安く口をきいているのが、何やら奇妙な気分であった。

 しかし、どちらも明朗かつ真っ直ぐな気性をしているので、意外に相性は悪くないようだ。


「ところで、ディアルはどうしてこんなに早い時間からやってきたんだい? まだようやく二の刻を越えたぐらいの刻限だろう?」


「ん、ああ、まあね。……ちょっと、リフレイアにも挨拶をしておこうかなって思ってさ」


 と、ディアルは気まずそうに小さな鼻の頭をかく。


「アスタには謝ることができたから、リフレイアにも謝っておかないと筋が通らないじゃん? そっちのあんたが言う通り、僕はアスタに肩入れしてた部分があったわけだし……けっきょく僕って、どっちつかずのまま両方に不義理をはたらいてたようなもんなんだよね」


「お前はまだそのようなことを思い悩んでいたのか。存外に胆の据わっていない娘なのだな」


 いくぶん表情を改めて、アイ=ファがそのように応じた。


「お前は罪人の告発に力を添えただけなのだ。罪を見過ごしていたことを恥じるならまだしも、罪人に謝罪を申し入れようとする心情は理解できん」


「うるさいなー。こっちにも色々と事情があるんだよ」


 ディアルはかつて、リフレイアのことはあまり嫌いになれないのだと述べていた。

 そんなリフレイアを騙し討ちにする格好になったのだから、色々と収まりのつかない感情もあるのだろう。


「ま、いいや。僕が勝手にやることなんだから放っておいてよ。それじゃあね、アスタ。晩餐を楽しみにしてるから!」


「うん、わざわざありがとう」


 案内役のシフォン=チェルとともに、ディアルとラービスは立ち去っていった。

 それらの背中を見送りながら、ダン=ルティムは「ふうむ」と顎髭を撫でている。


「まったく今さらの話なのだろうが、あのように小綺麗な姿をした娘御が森辺の狩人を恐れないというのは、なかなか感慨深いものだな」


「そうですか。まあ彼女はアイ=ファやルド=ルウなんかとはさんざん顔を合わせていますしね」


「そうか。俺などはもう何年も町の連中とは口をきいていないので、実に新鮮に感じられる。だから、女衆らにどれほど町の様子が変わったのかを聞かされても、今ひとつ実感することがかなわなかったのだ」


 森辺の狩人はなるべく町の人々を怯えさせないようにと、必要最低限にしか町に下りないよう心がけているのである。

 それでもルド=ルウたちなどは護衛役として頻繁に出向いてきていたが、ダン=ルティムはサイクレウスとの会談の日ぐらいしか町に下りる機会がなかったのだろう。


(だから男衆の大半はダン=ルティムと同じように、宿場町の様子を話で聞いているばかりなんだよな。それじゃあ本当の相互理解なんてなおさら難しいんじゃないだろうか)


 それはずっと以前から俺の胸中にわだかまっていた懸念のひとつであった。

 しかし、今はそのようなことに思い悩んでいる場合ではない。

 俺とアイ=ファはダン=ルティムに別れを告げ、厨に帰還した。


「ずいぶん遅かったねー、アスタ? 待ちきれないから、汁物料理は作り始めちゃったよ?」


「ああ、ごめんごめん。出汁のほうは大丈夫かな?」


「うん、レイナ姉たちがやってくれたー」


 鉄鍋に投じられた野菜や茸やギバ肉が、干し魚の出汁でぐつぐつと煮込まれている。

 レイナ=ルウたちが仕切ってくれていたのならば、問題はないだろう。


「それじゃあそいつを煮込んでいる間に、ポイタン料理の仕込みだね。火の番はリミ=ルウとアマ・ミン=ルティムでお願いします」


「はーい!」


「はい」


 本日のポイタン料理には、なかなか手間がかかるのである。

 持参してきたポイタン粉に、食料庫から調達したフワノ粉、そして山のようなキミュスの卵を前に、俺は計量用の杯を取り上げる。


「この料理ばかりはおさらいのために毎日家族に食べさせる羽目になっちゃったけど、ルウ家での評判はいかがなものかな?」


「はい。これは面白いぐらい意見が分かれましたね。どちらかというと、男衆は嫌がる人間が多く、女衆は好む人間が多かったように思います」


 キミュスの卵を割りながら、レイナ=ルウがそのように答えてくれた。


「そんな中で、ルドなんかはたいそう気に入ったようでしたし、ミーア・レイ母さんは普通の焼いたポイタンのほうを好む様子でした。あ、あと、サティ・レイもずいぶん喜んでいましたね」


「サティ・レイ=ルウか。彼女はお好み焼きも好物だったよね」


「はい。きっとサティ・レイはポイタン自体が好きなのでしょう。煮込んでどろどろに溶け崩れたポイタンを除いては、ですが」


 そこでレイナ=ルウは本日初めての笑顔を見せてくれた。


「なので、ここ数日の晩餐では普通に焼いたポイタンも準備していました。

嫌がる人間が多いとはいっても、焼きポイタンが別に準備されていればそれで不満はないようでしたので」


「ああ、焼きポイタンとはまったく食べ心地が異なる料理だからね。どっちも恋しくなる気持ちはわかるよ」


「そうですね。……それに、ジバ婆はこの料理をとても喜んでいました。汁でふやかした焼きポイタンよりは、よほど美味なのでしょう」


 それは何よりの朗報であった。

 でも確かに、焼きポイタンよりはずいぶんやわらかい料理なので、ちょっと手を加えればジバ婆さん向きの料理にもなるのだろう。


「苦労して開発した甲斐があったよ。こいつはいずれ宿場町でもお披露目したいところだね」


「ええ。この料理はぎばかれーと同じぐらいの驚きを得られるかもしれません。少なくとも、わたしはそれぐらい驚かされました」


 そんな風に言葉を交わしつつ、着々と準備を進めていく。

 ヴァルカス陣営のほうも、それは同様のようであった。


 だけどあちらは、本当に助手は助手でしかないらしい。何をやるにもヴァルカスの指示を仰いでいるようだし、ヴァルカスは助手の倍以上もあちこち駆け回っている。

 そして、第三の助手とやらはいっこうに燻製室から戻ってこない。そちらにも、ヴァルカスは頻繁に足を向けている様子であった。


 そうして俺たちが作業を開始してから、およそ4時間後――厨の扉が、再び外から叩かれた。

 ダン=ルティムの呼び声に応じて出向いてみると、そこに待ちかまえていたのはポルアースとアリシュナである。


「やあ、お疲れさまだね、アスタ殿。調理のほうは順調かな?」


「はい。今のところはとりたてて問題ありません。約束の刻限までには仕上げてみせます」


「そうかそうか、そいつは何よりだ。……ただ、こちらのほうは問題が生じてしまってね。どうもバナームの方々は到着が大幅に遅れてしまいそうなのだよ」


「え、そうなのですか?」


「うん。何でも道の途中で毒虫の大群に襲われてしまい、トトスを何頭か失ってしまったらしいんだ。人間に被害はなかったようなんだけど、トトスが足りなければ荷を引くこともできないからねえ」


 トトスで2日という短めの旅程でも、そんなアクシデントが生じてしまうことがあるのか。

 いずれダバッグにおもむこうと計画している俺たちには、聞き捨てならない話であった。


「いや、彼らもきちんと毒虫には備えていたはずだから、こいつはよっぽどの不運だったのだよ。毒虫なんて、日中にはそうそう出るものでもないんだし。……それでね。けっきょく従者の何名かが手前の町まで引き返して新しいトトスを調達したらしいが、半日近くをそれで潰すことになってしまった。本来であれば今日の中天には到着していた予定であったのに、日没ぎりぎりになってしまいそうなのだよ」


「そうですか。それは大変なお話ですね」


「うん。だからね、旅装を解く時間なども考慮に入れて、晩餐は日没の一刻後ということにしてほしいんだ。急な話で悪いけれども、こちらもついさきほど使者から連絡を受けたばかりだからさ」


「ええ、こちらはいっこうにかまいませんよ。……でも、日没の後はどうやって一刻の時間を計ればよいのでしょう?」


「うん? ああ、アスタ殿たちは日時計しか持っていなかったのだったね。こういうときは、砂時計を使うのだよ。ヴァルカス殿だって、調理用に準備しているのじゃないのかな」


 なるほど、そういえばあちらの作業台には何やら見覚えのない器具が色々と置かれていたような気がしなくもない。

 砂時計が存在するならば、俺もキッチンタイマーとして是非とも購入させていただきたいところであった。


「それでね、申し訳ないけれども、ヴァルカス殿にもこの件を伝えておいてもらえないかな? 彼は調理の途中で厨の外に呼び出そうとすると、とんでもなくへそを曲げてしまうという評判なのだよ」


「承りました。伝えておきます」


「あとね、アリシュナ殿からアスタ殿に伝えたいことがあるそうだよ」


 俺はポルアースのかたわらに視線を移動させた。

 深々とかぶっていたフードをゆっくりと払いのけ、アリシュナが黒い面をあらわにする。


「どうも、おひさしぶりです。いったいどのようなご用件でしょうか?」


 アリシュナは、感情の読めない瞳でじっと俺の顔を見つめ返してきた。

 やはり身長は俺よりも少しだけ低いようだ。ちょうどアイ=ファと同じぐらいかもしれない。


「……私、お詫び、申し上げに来ました」


「お詫び? 俺にですか?」


「はい。……私、願われてもいないのに、星を語ってしまいました。迂闊だった、思います」


 そのように述べながら、アリシュナの面は完全無欠に無表情である。

 低くて透き通ったその声音からも、感情を読み取ることはできそうにない。


「私の祖父、藩主の星を読み解いたため、シムを追放されました。人にとって、運命を知る、恐ろしいものです。……私、星を読み解きはしませんでしたが、とても特別なあなたの存在、語ってしまいました。とても迂闊だった、思います」


「ああ、そのことですか。……いえ、そんなにお気になさらないでください。少しびっくりしただけで、あなたにおかしな気持ちを抱いたりはしていませんから」


 俺のかたわらにはアイ=ファがいる。だから俺は、ことさら明るい声でそのように答えてみせた。

 しかし、アリシュナの無表情に変わりはない。


「……私、憎んでいませんか?」


「憎むなんてとんでもない! 星読みの力とはすごいものなのだなあと感心させられたばかりです」


「……あなた、とても傷ついたのに、私、責めないのですね」


 と、無表情のままアリシュナは目を伏せてしまう。


「自分の迂闊さ、余計に苦しく思います。心より、謝罪を申し上げます」


「で、ですからそんなお気になさらないでください。本当に大丈夫ですから」


「まあ御祖父の一件もあったから、アリシュナ殿にしてみても気にしないわけにはいかなかったのだろう。君が寛容な人間でよかったよ、アスタ殿」


 とりなすように、ポルアースが口をはさんでくる。


「かくいう僕も、託宣の類いには疎いタチでね。申し訳ないが、自分の行く末を他者に読み解いてもらおうとは思えない。君のそのわざはそれを求める人間にこそ見せつけてあげるべきだと思うよ、アリシュナ殿」


「はい。反省、深くしています」


「ならばこれで手打ちだね! いやあ、君たちを引き合わせたのは他ならぬこの僕なのだから、大事に至らなくてよかったよ」


 笑顔でそのように言ってから、ポルアースはふっと横合いに視線を転じた。

 つられてそちらを見やってみると、ダン=ルティムが実に興味深そうな目つきで俺たちのやりとりを見守っていた。


「ええと、何か僕にご用事なのかな、森辺よりの客人よ?」


「いや、ずいぶん気安い口をきく貴族もいるものだなと感心していたばかりだ。……お前さんは貴族なのだろう?」


「ええ、僕はダレイム伯爵家の第二子息でポルアースというものです」


「ああ、お前さんがポルアースか! それならば、アスタを救う際に一役買ってくれたという貴族ではないか!」


 大きな声で言ってから、ダン=ルティムは破顔した。


「俺はルティム家のダン=ルティムという者だ。アスタは俺にとってかけがえのない友なのでな。お前さんにはいつか礼を述べねばと思っていたのだぞ、ポルアースよ」


「それはそれは、恐縮です。しかし、トゥラン伯爵家の前当主をのさばらせていたのはジェノス全貴族の罪でありますからな。礼を言われるには及びません」


 なんと今度はダン=ルティムとポルアースの邂逅劇であった。

 どちらも丸っこい体格をしてはいるが、かたや森辺でも屈指の狩人で、かたやジェノスの貴族である。せり出したお腹以外に共通点はどこにも見当たらない。


 しかし、そんなふたりがにこにこと無邪気に微笑み合っているさまは、何とはなしに見る者の心をなごませる効果があった。

 まあ他の人間がどうだかは知らないが、少なくとも俺個人はそのように感じてしまっていた。


「それでは僕は失礼するよ、アスタ殿。……あ、それから、例の料理についてもヤンから聞き及んでいるからね! いずれアリシュナ殿をともなってまた宿場町まで出向かせていただくから、その節はよろしくお願いするよ?」


「了解いたしました。こちらこそよろしくお願いいたします」


 フードをかぶりなおしたアリシュナとともに、ポルアースは立ち去っていった。

 俺をふっと息をつき、それからアイ=ファを振り返る。


「……あれが占星師の娘ということだな」


 アイ=ファは半分まぶたを閉ざし、アリシュナたちの消えていった方角を鋭くにらみすえていた。


「べつだん悪い人間とは思わぬが……私は星読みなどというものに意味や価値を見出すことはできん」


「ああ、そういえばアイ=ファはシュミラルのお仲間に『猫の星』なんて言われてたっけ。まあ占いなんてものは、自分に都合のいい部分だけ聞いておけばいいと思うよ」


「そのような話はどうでもよい。運命とは、自らの力で切り開くものだ」


 不機嫌そうにアイ=ファは言い捨てる。

 すると、ダン=ルティムがガハハと笑い声をあげた。


「東の民というのは心情を読みにくいものだが、あの娘御は心底から申し訳なさそうな様子をしていたではないか。何を言われたのかは知らんが、許してやっていいと思うぞ、俺は」


「はい。俺も彼女を責めようという気持ちは最初からありませんでした」


 なんとなく、ダン=ルティムにそのように言ってもらえたのが、俺にはずいぶんと嬉しかった。

 陽気なジャガル人も寡黙なシム人も、俺はどこか森辺の民と似た空気を感じてしまい、総じて好意的な印象を抱いてしまいがちなのである。いささかおかしな出会い方をしてしまったとはいえ、アリシュナとてその例外ではなかった。


「扉の前で突っ立っているだけの退屈な仕事と思っていたが、なかなか面白いものを見ることができた。こうしてみると、森辺の外にも色々と見るべきものは転がっているようだな」


「それは本当にそうだと思いますよ。俺はとても楽しい気持ちで日々の仕事を果たさせてもらっています」


「うむ! 俺も家長の座を受け渡したことだし、休息の期間ぐらいは女衆の供で買い出しの仕事でも受け持ってやろうかと思えたぞ」


 それは素晴らしい心境の変化だなと、俺には思えてならなかった。

 これまでは、せいぜいルド=ルウぐらいしか宿場町に興味を持つ男衆は見当たらなかったのだ。この陽気で邪気のないダン=ルティムならば、町と森辺をつなぐ架け橋のような存在にもなりうるのではないだろうか。


 そんなことを考えながら、俺は再び厨に舞い戻った。

 ヴァルカスも、ちょうど燻製室へと通ずる扉から姿を現したところであった。


「ああヴァルカス、ちょっとよろしいですか?」


 ポルアースからの伝言を伝えると、ヴァルカスは「そうですか」とくぐもった声で答えながら緑色の目を細めた。


「しかし、日没の一刻後に宴では、我々が解放されるのもずいぶん遅い刻限になってしまいますね。……ならば、僭越ながら我々は先に食事を済ませてしまうべきではないでしょうか? それだけの時間があれば、おたがいの料理を味見することも可能でありましょう」


「ああ、それはいいですね。空腹のままお客人の食べる様子を見守るのはなかなかつらそうなところでありますし」


「では、そのように」


 それだけ言って、ヴァルカスはさっさと調理に戻ってしまう。

 しかし、最後に見せたその目つきは――覆面のせいでよくわからなかったものの、俺には楽しげに微笑んでいるようにも見えた。


 ヴァルカスも、俺の料理を楽しみにしてくれているのだろうか。

 俺としては、お客人たちの感想と同じかそれ以上に、ヴァルカスの評価が楽しみなところであった。


 そうしていささかのハプニングに見舞われつつも、俺たちは日没の前に無事6種の料理を完成させることがかなったのだった。

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