藍の月の六日②~宿屋巡り、再び~
2015.1/19 更新分 1/1
その後、俺たちはまず《南の大樹亭》に向かうことにした。
厨房にこもっていたナウディスは「おお、お待ちしておりましたぞ」と笑顔で出迎えてくれる。最近は、すっかり奥方よりもナウディスのほうが厨を仕切る立場になってしまったようだ。
「それが例の料理の完成品ですな? いったいどのような味に仕上がったのかと、わたしは朝から落ち着かない気分でありましたぞ」
「それは恐縮です。……いい香りですね。もう晩餐の準備を始めていたのですか?」
「はいはい。実はわたしも、アスタに試食をお願いしたかったのです。先日にいただいた食材を、さっそく自分の料理に取り入れてみましたので」
それは胸の躍る話であった。
このナウディスやネイルは、宿場町の民としてはなかなか確かな腕前を有しているのである。
「いかがなものでありましょうかな。率直な意見をいただきたいところです」
木皿に盛られた煮付けの料理が、俺とレイナ=ルウの前に置かれる。
一口大に切られたカロンの足肉、薄切りにされたアリア、オレンジ色をした椎茸のような茸、そしてくし切りにされたダイコンのごときシィマである。
香りは、タウ油とミャームーのそれが強い。
俺の作る『肉チャッチ』にも似た褐色の汁がふんだんに掛けられており、外見的にはとても美味そうだ。
「では、いただきます」
俺は木匙で割ったシィマとともに、カロンの足肉を口に運んだ。
タウ油とミャームー、それに砂糖や果実酒も使っているようだ。ほどよく甘辛く味付けがされている。
それに、カロンの肉がとてもやわらかい。
時間さえかければやわらかく煮込める足肉であるが、それにしてもこれは秀逸であった。
俺が知る、和風の煮込み料理に近い味わいである。
ミャームーの香りがやや強めであるが、べつだん味を壊したりはしていない。素朴ながらも、味に深みがある。
「とても美味しいです。これは、干した魚の出汁も使っているのですね?」
「はいはい。アスタの言う通りに使ってみたら、それだけでこれほどに深みのある味を加えることができたのです」
俺よりも小柄なナウディスは、俺よりも分厚い胸をえっへんとばかりにそらせる。
「それでジャガルのシィマと茸まで手に入ったのですから、わたしとしては大満足の出来栄えであります。かつて父の故郷で口にした祖母の料理にも負けないものと自負しております」
「肉のやわらかさが素晴らしいですね。それでも必要以上には味もしみていないようですし。最初はお湯で下茹でしたのですか?」
「いえいえ、それは果実酒で漬け込んでから煮込んでみたのです」
そのように言って、ナウディスは破顔した。
「固い肉はジャガルの発泡酒に漬け込むとやわらかくなる、という祖母の教えを思い出しましてな。アスタからもたらされた発泡酒で試したところ、確かに肉はやわらかくなったのですが、希少な発泡酒を無駄に使う気持ちにはなれなかったので、代わりに果実酒を使ってみたのです」
「ああ、なるほど。もしかしたら、その果実酒にはアリアも一緒に漬け込んでいたのではないですか?」
答えは、イエスであった。
そういえば、牛肉をやわらかくするために赤ワインに漬け込む、という方法は俺の故郷にも存在していたのである。そしてその際には、タマネギやお酢やヨーグルトなどを一緒に漬け込むとなお効果的である、とも聞いた覚えがある。
ちなみに最近の《キミュスの尻尾亭》では、カロン乳に漬け込んで足肉をやわらかくする方法を採用していた。
「これは美味ですね。わたしはカロンの足肉をあまり好まないのですが、この味付けは素直に美味だと思えます」
レイナ=ルウも、とても満足げな顔でそのように声をあげた。
もしかしたら、レイナ=ルウがここまではっきりと宿場町の民の手際を賞賛したのは初めてのことかもしれない。
それぐらい、ナウディスの料理は素朴ながらも美味であったのだ。
「さすがにアスタらの作るギバ料理には及びませんが、これが赤銅貨4枚か5枚ていどで味わえるならば、きっと遜色はないでしょう。さっそく今晩から献立に加えるつもりでありますぞ」
「いやあ、これは本当に美味しいです。ギバの料理に負けないぐらいの評判を呼ぶのではないでしょうかね」
「それは買いかぶりというものです。『ギバの角煮』などはジャガルの食材を使うことによってあれほどまでに味が高まったのですから、とうていかなうものではありません」
相変わらず『南の大樹亭』においては10日にいっぺんだけ『ギバの角煮』を卸していたのである。
で、前回の分からはアリアでなくシィマとチャムチャムとシイタケのような茸を使うことにしたのだが、当時のナウディスの喜びようといったらそれはもうこちらがリアクションに困るほどであったのだった。
「……さて、それではアスタの料理を試食する番でありますな」
ナウディスの目に、真剣な光が宿る。
シムの香草をふんだんに使った『ギバ・カレー』の試食である。
南の民にこの料理を受け入れられることはできるか。また、それを試す価値があるとナウディスに認められることはできるか。判決のときだった。
「これは……確かに、驚くほど味がよくなっておりますな」
温めなおした『ギバ・カレー』を口に運び、ナウディスはうなるように言う。
「もともと美味な料理であるとは思っていましたが……ううむ……しかしアスタは、この料理そのものを売るのではなく、この料理の素となる食材だけを売るつもりであると言っていたはずですな?」
「はい、今のところはそのつもりです」
「このように不思議な料理を、わたしや妻などが作ることが可能なのでしょうかな? わたしどもはシムの香草についてなど何の知識も持ち合わせていないのですぞ?」
「それは大丈夫だと思います。煮込んだ肉や野菜の鍋にこれを投じるだけですので」
そのように答えながら、俺は腰にくくっていた小さな革袋からカレーの素を取り出してみせた。
8種のスパイスをブレンドさせ、乳脂でアリアとともに炒めたのちフワノ粉を添加させて、最後に干し固めたものである。
乳脂あたりが傷んでしまわないか当初は不安であったのだが、ネイルやシムのお客人と協議した結果、これだけの香草を使っていれば10日やそこらはまず大丈夫であるという答えを得ることができたのだ。
「もちろんさっき食べていただいた料理には思いつく限りの調味料や食材を使っていますが、そこまでしなくても十分に美味しく仕上げることはできます。最低限の必要な手順は事前にお伝えしますし、それ以外の部分ではお好みの食材を使うことも可能です」
「ふむ……」
「シィマはちょっと合わないかもしれませんが、チャンと茸を使ったジャガル風の『ギバ・カレー』なんてのも美味しそうですね」
ナウディスは息をつき、強い目つきで俺を見返してきた。
「了解いたしました。どの道、他の宿屋でもこの料理を扱う可能性があるならば、わたしも試さぬまま済ませることはできません。今宵の晩餐でお客様がたに試食してもらおうかと思います」
◇
そうしてナウディスに基本的なレシピを伝授したのち、俺たちは《南の大樹亭》を退去した。
次に目指すのは、《玄翁亭》だ。
「……アスタ、ひとつだけ腑に落ちないことがあるのですが」
「うん、何かな?」
人通りの増してきた街道を歩きながら、レイナ=ルウは考え深げに言う。
「さきほどの主人が作った料理は、普通に美味だと思えました。わたしやシーラ=ルウや――いや、ひょっとしたらリミにだってもっと美味しく仕上げることは可能かもしれませんが、それでも、これといって大きな問題は感じられなかったのです」
「うん、ナウディスはやっぱりなかなかの腕前だよね」
「……そうすると、わたしにとってはあのヤンという料理人よりもナウディスという主人のほうがかまど番として確かな腕を持っている、というように感じられてしまうのですが。それは間違った考えなのでしょうか?」
レイナ=ルウは、ずいぶん考え深げな顔になってしまっていた。
俺も「うーん」と熟考してみせる。
「どうだろうね。知識や技術は間違いなくヤンのほうが上だと思うけど……その知識や技術なんかが足枷になるってこともありえるのかなあ」
「足枷ですか?」
「うん。たとえばレイナ=ルウだって、ここまでかまど番としての腕前が上がってしまうと、ただ肉を焼いたり煮込んだりするだけじゃなく、ちょっとは工夫したくなってしまうだろう? ましてや城下町の料理人ともなると『さまざまな食材をふんだんに使うのが上等な料理である』という価値観にとらわれることになってしまうから、いっそうそういう傾向も強まってしまうと思うんだよね」
「はい」
「なおかつヤンは城下町の生まれだから、宿場町の人々の好みというやつもそこまではっきりとはわかっていないわけだよ。味付けが複雑になりすぎないように気をつけつつ、それでも宿場町の人々の期待に応えられるように、手探りで理想の味を探している状態なんじゃないのかな」
いっぽうナウディスは、ジャガルの食材が使いたいのに使えなかったという不満を抱えこんでいた節がある。それがこのたび解禁されたことによって、一気に熱情が爆発したのではないだろうか。
「で、ナウディスやネイルなんかは実際にジャガルやシムの料理を食べた経験があって、お客さんのためにそれを再現したいという思いを持っていた。それって、俺が故郷の料理の味を再現しようとしているやり口と似た部分があると思うんだよね。そういう指針を最初から持っていれば、どんな食材が必要でどんな味付けを目指すべきかも決まっているから、ヤンみたいに試行錯誤しなくて済むわけだよ」
だからこそ、ナウディスやネイルはミラノ=マスやユーミの母シルなどの一歩先を行くことができているのではないだろうか。
いや、ミラノ=マスやシルばかりでなく、宿場町の人々の大半は、突如としてさまざまな食材を扱うことが許されて、なかなかの混乱状態にあるのだろうと察せられる。
で――ひょっとしたら、それはこの数十年だか百年だかで続々と新たな食材を使えるようになった城下町の料理人たちと、同じような構図であるのかもしれないのだ。
「つまり……トゥランのミケルは、自分の娘にそのような混乱を与えないよう、少しずつの食材で腕を磨かせてきた、ということなのでしょうか」
「そう、まさにその通りだね。きっとミケル自身も城下町の価値観にはとらわれず、自分の足もとをじっくり固めながら理想の料理を追究し続けていたんじゃないのかな」
「では、あのヴァルカスという料理人はどうなのでしょう?」
レイナ=ルウの瞳が、ますます真剣な光をおびる。
考えながら、俺は答えた。
「俺もレイナ=ルウと同じぐらいにしかあの人物については知らないから、すべてが想像になっちゃうけど……あの人は、そういう混乱の中に生まれながら、見事に適応することができたんじゃないのかな。多種多様の食材を使いまくるのが上等だっていう価値観を全面的に受け入れながら、自分の理想とする料理を完成させることができたんだよ、きっと」
「自分の理想とする料理、ですか……」
「うん。トトスでたとえるとさ、俺たちなんかは何頭ものトトスを扱うことになっても、足並みが乱れないように手綱をあやつろうとするだろう? でもヴァルカスは、四方八方に走りだそうとするトトスたちの真ん中に陣取って、力ずくで手綱をおさえこんでいるような、そんな印象なんだよね」
下手くそな俺のたとえに、レイナ=ルウはくすりと笑った。
「なんとなくわかる気はします。そのトトスの1頭1頭が甘みであったり辛みであったりするわけですね?」
「そう。一歩間違えたら台無しになってしまいそうなのに、ヴァルカスの料理は絶妙な力加減で均衡が取れている感じなんだよね」
「ええ。それもわかると思います」
レイナ=ルウは小さく息をつき、長い黒髪の先を指先で弄った。
「実はわたしは……あのヴァルカスという料理人が、少し恐ろしいのです」
「恐ろしい? どうして?」
「あの料理人は、わたしには成し得ないことを成し得ています。もしもあの料理人のやり口が正しい、ということになってしまうと……わたしの積み上げてきたものがすべて無意味になってしまうような気がするのです」
もしかしたら、それは俺の感じる胸のざわめきとそれほど遠くない感覚なのかもしれない。
だけど俺は、そんなことのために自分の存在を否定する気にはなれなかった。
「大丈夫だよ。料理っていうのは、本来優劣を競うものじゃないんだから。何を美味しいと思うかは人それぞれだろう? 俺たちは俺たちのやり方で、自分が美味しいと思える料理を作れるように頑張ればいいんだよ」
「そう……ですね。アスタの言葉が正しいのだと思います」
自分に言い聞かせるように、レイナ=ルウはそう言った。
ヴァルカスの存在は、俺が想像していた以上にこの優秀なる森辺のかまど番の胸にも深く食い入ってしまっているようだった。
◇
その後、《玄翁亭》ではまた手放しの賞賛を受けることになった。
もとより試作品の段階で絶賛してくれていたネイルなのである。完成品の『ギバ・カレー』を食すると、ネイルは表情を崩さないようにか全身をわななかせることになってしまった。
「非常に美味です。東の民のお客様がたは、誰もが狂喜することでしょう。他の料理が売れなくなってしまうのではないかと心配になるほどです」
「この料理も小分けにして売り出すべきでしょうね。何だったら、カレーとポイタンと肉料理の組み合わせで売りに出してもいいかもしれません」
俺にはあまり経験がなかったが、インド料理の専門店などではカレーとナンにケバブやタンドリーチキンなどを付けたセット料理が存在したはずだ。『ギバのソテー・アラビアータ風』はもちろん、ネイルの作る辛い肉料理だって、きっと『ギバ・カレー』とは相性がいいだろう。
ちなみに『ギバのソテー・アラビアータ風』でも魚介の出汁や甲殻類の乾物、それにシムの香草などを加えて、レシピを改良済みである。
「現在は、アスタのもたらしてくださったシムの香草を使って、カロンやキミュスの香味焼きを研究している最中です。アスタの料理には及びませんが、きっとそちらもお客様がたには喜んでいただくことがかなうでしょう」
「宿場町に食材を流通させたのは、俺じゃなくてジェノス侯爵やポルアースですけどね」
「ですが、そのきっかけとなったのはアスタの存在です。アスタと出会えた幸運を、わたしは何度でもセルヴァとシムに感謝いたします」
そんなネイルに見送られて、お次の宿屋は《キミュスの尻尾亭》であった。
本日はこうしてあちこちの宿屋を巡る予定であったので、晩餐の料理は朝方にこさえた上で搬入済みである。
ミラノ=マスもまた、「格段に味がよくなったな」と驚いてくれた。
「辛さのほうはひどくなったぐらいだが、なんというか……口の中で暴れる感じはなくなった。肉や野菜もえらく美味いように感じられてしまう」
「お気に召したのなら幸いです」
ほっとしながら俺は言ったが、《キミュスの尻尾亭》についてはひとつの懸念があった。
「それで、野菜や肉についてはそちらで調理していただく、という案はいかがなものでしょう? そんなに難しい料理ではないと俺は思っているのですが」
実のところ、《キミュスの尻尾亭》には今まで生鮮肉を卸していなかったのである。
理由は、あまりギバ料理を増やしてしまうとキミュスやカロンの料理が売れなくなってしまうのではないか、とミラノ=マスが心配したため――そして、どうせ自分たちにはギバ肉を使ってもそこまで上等な料理を作ることはできないだろう、とミラノ=マスが言い張ったためだ。
《西風亭》では成功しているのだからと俺が説得しても、ミラノ=マスが考えを変えることはなかった。たぶんミラノ=マスは、自分たちがお粗末な料理を作ってしまったらギバ肉の評判を落としかねない、ということを懸念してくれているのだ。
「ミラノ=マスもテリア=マスも、キミュスやカロンであれほど美味しい料理を作れるようになったではないですか? 正直に言って、おふたりの腕前が《西風亭》の方々にそこまで劣っているとは思えません。何も心配なさる必要はありませんよ」
宿場町においても、かまど番というのはおおむね女性の仕事であった。ネイルやナウディスはそれぞれシムやジャガルのお客さんに美味しい料理を提供したいという意識が強かったため、自らが厨房に入っているのである。
で、《キミュスの尻尾亭》においては早くに奥方を亡くされてしまったため、その技術を娘さんのテリア=マスに継承させることがかなわなかった。それゆえに、「あまり上等でない料理を出す宿屋」という不名誉を背負うことにもなってしまったのである。
「騙されたと思って、一度ご自分たちで『ギバ・カレー』を作ってみてください。それで納得のできる味に仕上がらなかったら、また俺が手ほどきをいたしますし――」
「お前さんだって、そこまでひまな身体ではなかろう。そして、そこまで俺たちの世話を焼く筋合いもないはずだ」
また水臭いことを、と俺は溜息をつきそうになる。
しかしまた、こういった姿勢もミラノ=マスの美点なのだろうな、とも思う。
「ギバ肉の美味しさを伝えるためなら、どんな苦労も厭いません。それに、あんまりミラノ=マスには感心されない話かもしれませんが――一番つきあいの古い《キミュスの尻尾亭》は、俺にとって思い入れが深い宿屋なのです。だから、他の宿屋と同じかそれ以上の評判を呼びこみたいなという思いが、どうしても捨てきれないのですよ」
案の定、ミラノ=マスは仏頂面になってしまった。
しかしそれでも、何とか俺の提案を聞き入れてくれることにはなった。
テリア=マスが「この料理は店で扱うべきよ」と後押ししてくれたのが、きっと決め手になったのだろう。
他の宿屋と同じようにレシピを伝えて、試作用のカレーの素を手渡し、俺たちは《キミュスの尻尾亭》を後にした。
◇
そうしてようやく最後の宿屋、《西風亭》である。
こちらでは、その場で『ギバ・カレー』の作り方を実演することになった。
野菜はシンプルにアリア、チャッチ、ネェノンの3種で、有り余っていた脱脂乳も少々使わせていただく。これにカレーの素を落とすだけで、それほど物足りなくはない味に仕上げることが可能なはずである。
さらに、干した魚の出汁を使って、スープカレーもどきも作ってみせる。
割高な干し魚を購入する気持ちになれないなら、ギバやカロンやキミュスの肉をじっくり煮込むだけでも、それなりの出汁がとれるはずだ。
評判のほうは、上々であった。
おもに女性陣に、であるが。
「うん、こいつはちょっと癖になる味だね。嫌がる人間は嫌がるだろうけど、あたしとしては是非とも扱わせていただきたいところだよ」
おかみさんたるシルの視線を受けて、本日もサムスはむすっとした顔をしている。
「俺は口の中が痛くなってきた。こんなもん、本当に売れるのか?」
「きっと売れるよ! 少なくとも、ギバ肉を仕入れる前にうちで出してたカロンの汁物よりは美味しいんじゃない?」
ユーミもご機嫌の様子である。
サムスは「ちっ」と舌を鳴らした。
「よかったら、この場で作った分をお客さんたちにふるまってみてください。それで評判が悪いようでしたら、俺も素直に引き下がります」
たたみかけるようで恐縮だが、俺もそのように発言させていただいた。
この親父さんは、ちょっと強気に出るぐらいの姿勢を見せないと、よけいに機嫌を損ねてしまうのである。
「決まりだね。あんたは大した商売人だよ、アスタ」
楽しげな顔で言いながら、シルは残っていたスープカレーをすすりこむ。
すると、同じように木皿をかたむけようとしていたユーミが、ふっと視線を向けてきた。
「そういえば、アスタはもうすぐ城下町で料理を作るんだよね? このぎばかれーもそこで使うの?」
「いや、バナームではあまり香草を使う風習がないみたいだから、やめておいたんだ。……そうでなくとも、これは宿場町や森辺のみんなのためにと思って開発した料理だしね」
「ふーん? 貴族様にはもっともっと豪勢な料理が必要ってわけか」
いくぶん面白くなさそうにユーミがぼやく。
なので、俺は「いや」と否定してみせた。
「確かに城下町では貴族向けの料理を作るつもりだけど、俺はことさら豪勢な料理を作ろうとしてるわけじゃないんだよね。むしろ、結果的に豪勢と思われるように献立を練りあげてるって感じかな」
「うん? どういう意味?」
「俺の故郷とこのジェノスでは、食材の値段が一致しないんだよ。たとえばこの魚の燻製なんかはジェノスだとたいそう高価になってしまうけど、俺の故郷では誰でも気軽に使えるような食材だった。塩も砂糖も酢もタウ油も、それはみんな同じことなんだ」
「……アスタの故郷はそれだけ豊かだったってこと?」
「豊かなことは豊かだったかもしれない。でもそれ以上に、ものの価値が異なっていたんだよ。たとえば……俺が着ているこの白い服、こいつを買うのにはたぶん白銅貨1枚ぐらいが必要になっちゃうんだよね」
「ええっ!? そんなぼろっちいのが!? ……あ、ごめんね?」
「いや、こいつも半年前には新品だったんだけどね」
それでも赤銅貨1枚を200円、白銅貨1枚を2000円に換算すると、それぐらいの価格になってしまうのだ。
ちなみにこの白いTシャツは、値引きされて1980円のお買い得品である。
「俺にしてみれば、タウ油がひと瓶で白銅貨1枚ってことのほうが驚きなんだよ。アリアやポイタンと似た野菜だったら、ジェノスと同じぐらいの値段で買えるんだけどね。……そんな感じで、ものの価値がずれちゃってるからさ。高価な食材を使えば貴族たちは喜ぶのかもしれないけど、俺としてはことさら豪勢な料理を作っているという意識が持てないんだよね」
「うーん、なるほどねー。……そういえば、このかれーっていう料理だってシムの香草をたっぷり使ってるんだから、普通に考えたら豪勢な料理ってことになるんだよね」
「うん。だけどこれは、貴族じゃなく宿場町や森辺のみんなに食べてほしかったんだ。俺の故郷でも、身近な人たちが食べていた料理だからさ」
言いながら、俺はユーミに笑いかけてみせた。
「そもそも俺は庶民の出だから、庶民向けの料理しか作れないんだよ。それでもジェノスでは高価とされている食材を使えば貴族にも喜んでもらえるみたいだから、なんとか折り合いをつけて頑張ってみようと思ったわけさ」
「そっか。アスタにしてみりゃ、どんな料理を作るんでも力加減に変わりはないってことなんだね」
「それはそうさ。考えるのは、その相手がどんな料理を喜ぶかってことだけだよ」
貴族には貴族に相応しい料理がある。
宿場町の人々にも、森辺の民にもそれぞれ相応しい料理がある。
俺としては、自分の持つレパートリーの中からどの料理が喜ばれるか、それを考えるだけなのだ。
「……なんか、うるさいことばっか言っちゃってごめんね? 貴族が相手だとアスタはふだん以上に頑張るのかなーとか考えたら、ちょっと嫌な気持ちになっちゃってさ」
「俺は何も変わらないよ。誰を相手にするんだって、いつでも全力さ」
「うん、安心した。……だけど、貴族のお抱え料理人なんかになっちゃたりしないでよー?」
「あはは。そいつは御免こうむるよ」
どんなに銀貨を積まれたって、俺は絶対にそんな道は選ばない。
今の俺にとって、故郷は森辺の集落のみであるのだから。
「では、長々と失礼いたしました。また明日にでも立ち寄らせていただきますので、『ギバ・カレー』の評判をお聞かせください」
そうして俺は宿屋巡りを終え、ようやく同胞たちのもとに帰れる段と相成ったのだった。