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異世界料理道  作者: EDA
第十六章 星はなけれども
283/1675

有意義なる休業日③~夜~

2016.1/2 更新分 1/1

 夜である。

 その日のファの家の晩餐は、新しい食材の試食も兼ねて、なかなか豪勢なラインナップとなった。


 まずは、特別仕立ての『ギバ・スープ』である。

 いや、ここまで和風の食材がそろってしまうと、『ギバ汁』と呼んだほうがしっくりくるかもしれない。


 出汁は、海草と魚の合わせ出汁だ。

 具材は、アリアとチャッチとネェノンに、新顔のシィマとマ・ギーゴ、それにブナシメジめいた茸も加えている。

 俺の故郷の食材に置き換えるなら、タマネギとジャガイモとニンジンと、ダイコンとサトイモとブナシメジである。


 味付けはタウ油で、ギバ肉はバラとモモ。

 お好みで、トウガラシのように辛いチットの実を入れてもいい。

 乾物の出汁が加わったことによって、いっそう俺の知るけんちん汁に近くなった。


 そしてお次は、ダシガラの再利用。


 二番出汁までとった昆布のごとき海草は細く刻んで、やはり細切りのシィマとともに、干しキキで和えていただくことにした。

 昆布とダイコンの梅干和え、というイメージだ。

 至極シンプルな料理であるが、生のダイコンのごとくシャキシャキとしたシィマの食感はとても心地好い。


 削り節にした魚の燻製のほうは、手作りマヨネーズで和えて、生野菜のサラダに添えることにした。

 こちらもツナサラダのような味わいになり、ダシガラの再利用としては十分な出来栄えだと思う。


 肉料理はシンプルに、ちょっとひさびさの『ミャームー焼き』である。

 部位はロースで、彩りとして焼いたチャンを添えてみた。

 形状は黒いピンポン玉のようなチャンであるが、焼いてもナスかズッキーニのような味わいであったので、取り扱いは難しくない。ふたつに断ち割って鉄網で焼いたのち、ミャームーのタレをからめただけで、副菜としては十分な仕上がりであった。


「……これだけ新しい食材が増えたのに、とりたてて奇抜な料理にはならないのだな」


 もりもりと食を進めながら、アイ=ファがそのように評する。


「しばらくの間は素っ頓狂な料理を食べさせられることになるのだろうと覚悟していたのだが、いい意味で予想を裏切られた」


「そっか。お気に召したのなら嬉しいけれど」


「うむ。美味い」


 と、無表情に『ギバ汁』をすするアイ=ファである。

 レム=ドムが同席しているせいか、ことさら亭主関白な様相に見えてしまう。


「レム=ドムは? 昼間の試食のときよりは満足できたかな?」


「……とても美味よ。特にこの汁物は、ちょっと癪にさわるぐらいにね」


 木皿を置き、レム=ドムが強い眼光をぶつけてくる。


「何なのかしら? わたしは別に、このシィマやマ・ギーゴとかいう野菜をことさら美味だとは思わないのだけど、この汁はものすごく力に満ちみちているように感じられてしまうの。これは最初に煮込んだ海草だとか魚だとかいうものの効能なのかしら?」


「うん。それに加えて、これだけたくさんの野菜を使っていれば、そっちからだって十分に出汁は出ているだろうしね」


「たくさんの野菜を使えば味がよくなるの? でもきっと、酸っぱいタラパや苦いプラなんかを入れたら、これは味が壊れてしまうのでしょうね」


「そういうこと。レム=ドムは理解が早いね」


「子供をおだてるような言い方はやめてちょうだい」


 レム=ドムがファの家に逗留するのは、1日置きでこれが4回目である。

 回を重ねるごとに、俺とレム=ドムが会話をする時間は長くなり、その反面、アイ=ファはいよいよ口が重くなってきた感がある。

 べつだんレム=ドムを忌避しているわけではなく、ただ余人の目があると俺に対してもあまり気安い口をきかなくなるアイ=ファの気性ゆえだ。


 そんなアイ=ファに対して、レム=ドムは性懲りもなく流し目を送る。


「それにしても、アイ=ファの狩人としての力量にはほれぼれとしてしまうわ。どうして誰の助けもなく、毎日毎日ギバを狩ることができるの?」


 奥歯がぐらついたり護衛役としての仕事を受け持ったりで2日ほど仕事を休んだアイ=ファであるが、それ以外の日は1日1頭のハイペースでギバを狩り続けていたのだ。


「……それはわたしがギバ寄せの実を使っているからだと説明したはずだ」


「でも、ギバ寄せの実を使ったからといって、すべての狩人が十分な収穫をあげられるわけでもないのでしょう? そうじゃなかったら、誰も彼もがギバ寄せの実を使っているはずだし。……かといって、毎日『贄狩り』をしているわけでもないのよね?」


「『贄狩り』はギバの減ってきた時期にしか使わん」


「それならやっぱり大した手腕よ。少なからず危険のつきまとうギバ寄せの実を使って、大きな怪我を負うこともなく、毎日これだけの収穫をあげられているのだから」


「……父はギバ寄せの実の使い方に長けていた。私は父から習い覚えた通りに仕事を果たしているだけだ」


「だからそれこそが、すぐれた狩人の証しなのよ。アイ=ファの父親もさぞかし優れた狩人であったのでしょうね」


 アイ=ファは小さく息をつき、土瓶の果実酒を一口あおる。

 レム=ドムが訪れる夜にだけ、アイ=ファは果実酒をたしなむ習慣になっていた。


「レム=ドムよ、お前は皮肉でなくそのように言っているのであろうが、私の父は30を越えたぐらいの若さで森に朽ちてしまったのだ。森辺においては、若くして生命を散らす狩人を優れた狩人とは呼ばないはずだ」


「そんなことはないわ。わたしの父だって2年前に、同じぐらいの年齢で森に朽ちてしまったのよ? それでも父は誰よりもたくさんのギバを狩っていたし、その力を子のディックに引き継がせた。わたしの父が大した狩人じゃない、なんてことを言う人間がいたら、わたしはそれが誰であれ殴りつけてしまうでしょうね」


 アイ=ファはけだるげに頭を横に振る。


「お前の心情はわかった。しかし私は父親について取り沙汰されるのを好かぬのだ。できうれば、あまり口にはしないでほしい」


「もちろんよ。アイ=ファが嫌がるならば今後一切口にはしないわ」


 よその家人には壁を作ろうとするアイ=ファと、ひたすら熱情的なレム=ドムは、相変わらずどこか噛み合っていない部分があった。

 アイ=ファが頑なに過ぎるのか、レム=ドムが能動的に過ぎるのか、俺としてはちょっと悩ましいところではある。


(むしろレム=ドムはあんまり好意を前面に押し出さないほうが、アイ=ファともうまくやっていけるんじゃないのかなあ)


 そんなことを考えていると、また果実酒をあおってから、今度はアイ=ファのほうが口火を切った。


「レム=ドムよ。お前が自分の家を離れて、これで8日もの日が過ぎたはずだな。マサラのバルシャとは縁をつむぐことがかなったのか?」


「バルシャと? どうしてそのようなことを尋ねるのかしら?」


「バルシャもまた女狩人であるのだから、お前に正しき道を示してくれるはずだと私は忠言したであろう」


「ああ、その話ね。……ううん、アイ=ファがそのように言ってくれたから、わたしもバルシャと話してみたのだけれどね、あんまり彼女から学ぶことはなさそうだったわ」


「……何故だ?」


 アイ=ファの目にちょっと鋭い光が瞬いたが、レム=ドムはそれに気づく風でもなく肩をすくめた。


「だって、バルシャはやっぱりもう狩人としての気持ちを失ってしまっているようじゃない? 自分でも、ギバ狩りの仕事なんてつとまりそうにないって笑っていたしね。ギバの眠っている朝方だけ森に入って鳥を狩る、なんて、そんなのはわたしの求めている狩人の姿ではないのよ」


「…………」


「けっきょくバルシャは狩人としての生を捨てて、夫や子供を得たのでしょうし。盗賊云々の罪を問う気はないけれど、べつだん心をひかれるような人間だとは思えないのよね」


「……お前がそうとしか感じられないのなら、やはり狩人としての資質は有していないのやもしれん」


 低い声で、アイ=ファはそう言った。


「まあ、私の知ったことではないがな。目先の誇りだけを追いかけて、好きなように生きるがいい」


 アイ=ファはものすごく気分を害してしまったようだった。

 アイ=ファがここまで森辺の同胞に対して冷たい声をぶつけるのは、実にひさびさのことであったからだ。


 これにはさすがのレム=ドムも反発するのではないかと俺は危ぶんだが、レム=ドムはきょとんとした目でアイ=ファを見ていた。

 そして、手に持っていた木皿を置き、がっくりと床に手をついてしまう。


「わたしはアイ=ファを怒らせてしまったのね……」


 アイ=ファはうるさげに振り返った。

 で、ぎょっとしたように身体を引く。


 レム=ドムは、深くうつむき、押し黙っていた。

 おかげで表情は見えなかったが、毛皮の敷物にはぽたぽたと透明のしずくが落ち始めていた。


「おい、レム=ドム」


「ごめんなさい……わたしは思った通りのことを口にしてしまう気性なの……それできっと、自分に何が足りていないかもわかっていない愚かな人間なのよ……」


「べつに愚かとまでは言っていない。とにかく、気を静めよ」


「だけど、信じて……アイ=ファの言葉をおろそかにしたつもりはないし、バルシャの生き様を否定しているわけでもないのよ……ただ、自分の生をそこに重ね合わせることができなかっただけで……」


 レム=ドムの声は頼りなく震え、涙はいっそう大きく毛皮の敷物にしみを作っていく。


「わかったから、少し落ち着けというのに……まったく、何なのだ、お前は」


 アイ=ファは荒っぽく自分の頭をかきむしり始める。


「狩人を志そうという人間が、たやすく余人の前で涙など見せるな。そうでなくとも、お前はもう15歳なのだろうが?」


「ええ……ごめんなさい……」


「15歳といえば、男衆でも女衆でも一人前と呼ばれて然るべき年頃だ。そんな年でめそめそと涙を流すというのは――」


 と言いかけて、アイ=ファは口をへの字にした。

 かつて俺の前で涙を流したことでも思い出してしまったのだろうか。こちらのほうをぎろりとにらみつけてから、あらためてレム=ドムに向きなおる。


「とにかくこれぐらいのことで涙を流すな。でかい図体をして、何というざまだ」


「ごめんなさい……父や母を失って以来、涙を流したことなどなかったのだけれど……アイ=ファを怒らせてしまったことが、とても苦しくて……」


「わかった。私も軽率であった。反省するから、もう許せ。……さあ、食事がまだ残っているぞ」


「はい……」


 レム=ドムはうつむいたまま手の甲でごしごしと目もとをぬぐい、残っていた料理をついばみ始めた。

 子供のようにしゅんとしてしまい、筋肉質の身体も一回り小さくなってしまったかのようだ。


 いったいどうしたものだろう、と俺が悩んでいる間に、家の戸板が外からノックされた。

 腰を浮かせようとする俺を押しとどめ、アイ=ファが立ち上がる。


「このような時間に、何者だ?」


「……ドム本家の家長、ディック=ドムだ」


 たちまち室内に緊張が走る。

 面を上げたレム=ドムは、いくぶん目もとを赤くしたまま、ふだん以上に勇猛な表情になっていた。


 アイ=ファはゆっくりと歩を進めていき、玄関口で丸くなっていたギルルの頭をそっと撫でてから、戸板のかんぬきに手をかける。


「夜分に申し訳ない。俺の家人はこちらにいるか? それともルウの集落か?」


「こちらにいる。晩餐の途中だが、火急の用件ならば家に入ることを許そう」


「恩に着る」


 底ごもる声音とともに、巨大な人影がぬうっと玄関口に現れる。

 ドム本家の家長にしてレム=ドムの兄、ディック=ドムである。


 深々とかぶったギバの頭骨に、ドンダ=ルウよりも巨大な体躯、古傷だらけの手足に、獣のように光る黒い瞳。俺にとってはふた月半ぶりぐらいに見る、雄渾なる姿だ。

 その手に引かれて1頭のトトスも入ってきて、ギルルのかたわらで丸くなる。少し黒っぽい羽毛を持つ、北の集落のトトスである。


「家長、ようやく姿を現したのね。もう少し早くやってくると思っていたのに」


 レム=ドムもゆらりと立ち上がった。

 そちらをにらみつけながら、ディック=ドムはいっそう苛烈に双眸を光らせる。

 アイ=ファは両者の邪魔にならぬよう身を引きながら、威厳たっぷりに腕を組んだ。


「とりあえず、上がるがいい。晩餐の準備はないが、果実酒ぐらいなら余っている」


「不要だ。話が済めば、すぐに引き上げる」


 革の履物を脱ごうともしないまま、ディック=ドムはその場に立ちはだかった。

 その代わりに、レム=ドムがすたすたとそちらに近づいていく。


「話ね。聞かせてもらおうじゃない。ルウ家の人間から、すでにわたしのことは聞いているのでしょう? そのわりには、ずいぶん遅い登場だったけれど」


「俺とて暇な身体ではない。馬鹿な家人のために仕事を放り出すわけにはいかんのだ」


「それは申し訳なかったわね。ギバ除けの仕事は順調なの?」


「ああ。休息の期間を終えるまでには仕事を果たすことができるだろう」


 北の集落は現在、ルウやルティムの女衆を受け入れるために、家の周りにギバ除けの仕掛けをほどこしている最中なのである。


「……レムよ、お前はいったい何を考えているのだ?」


「わたしが何を考えているのかはもう伝わっているのじゃないの?」


「お前の口から、しっかりと聞かせろ。ドムの家人として、ドムの家長にな」


 とても高い位置にある兄の顔を、レム=ドムがにらみあげる。

 その間に俺も席を立ち、こっそりアイ=ファの横に並んだ。


「わたしは狩人になりたいのよ。それで、森辺で唯一の女狩人であるアイ=ファと会うために、ルウの集落に出向くことを願い出た。もちろん、かまど番としての仕事もおろそかにはしていないけれどね」


「何故、狩人になりたいのだ。お前は女衆なのだぞ、レムよ」


「女衆として家を守るより、狩人として生きるほうがわたしには正しいことだと思えてしまったのよ。それぐらいのことは、家長だってうすうす気づいていたでしょう?」


「むろん、気づいてはいた。しかし、そんな馬鹿げた考えはすぐに捨てるだろうとも思っていた」


「ご生憎さま。年を重ねるごとにその思いは強くなっていく一方であったわ」


 ディック=ドムは、無表情にレム=ドムを見下ろしている。

 無表情だが、とうてい17歳には見えないような、古傷だらけの魁夷な顔である。ドンダ=ルウだって、これぐらいの年頃にはもう少し優しげな顔をしていたのではないだろうか。


「……お前は何か勘違いしているようだな、レムよ」


「勘違い? どういうことかしら?」


「ファの家長アイ=ファは、特別な人間なのだ。女衆の身でありながらこれほどの力をつけることなど、普通では考えられん。誰もがこのアイ=ファのように立派な狩人になれるわけではないのだ」


 俺は驚いたが、アイ=ファは顔色ひとつ変えていなかった。

 そしてレム=ドムは「はん」と鼻を鳴らしている。


「そんなことは、わたしのほうが強く思い知らされているわよ。こうして間近で過ごすことを許してもらえたのだから」


「ならば、馬鹿な考えは捨てろ。資質もない女衆が狩人を志すことなど、森辺では許されん」


「わたしに資質があるかどうか、どうしてあなたにわかるのかしら、家長?」


 レム=ドムの黒い瞳にも激しい炎が噴きあがる。

 さきほどまでしょんぼりしていた娘とは思えないほどの、すさまじい眼光だ。


「わたしはまだ15歳なのよ? それで女衆としては横に並ぶものはないぐらいの力を身につけることができた。あとは技と心を磨けば、狩人として生きていくこともできるのじゃないかしら?」


「無理だ。そのように愚かな目論見のために女衆としての仕事を捨てることは許されん。女衆は、家を守るべきなのだ」


「嫌よ。志を捨てるぐらいなら、未熟な狩人として森に朽ちるほうが幸福だわ」


 ディック=ドムの瞳も激しく燃えさかる。

 黒い眼光がぶつかりあって、ばちばちと火花を散らしているかのようだ。


「お前は森辺の民として生まれつきながら、その仕事をおろそかにしようというのだな、レムよ」


「違うわ。森辺の民として、正しい道を進みたいだけよ」


「話にならん。森は決してお前の愚行を許さぬだろう」


 重々しい声で言い、ディック=ドムはアイ=ファを振り返った。


「ファの家長アイ=ファよ。かまど番としての修練を積むためにレム=ドムをルウとファの家に預けるという約定は、今この瞬間に終わらせてもらう。今後一切、このうつけ者の面倒を見ていただく必要はない」


「ほう」


「これからドンダ=ルウにも話を通してくる。この8日間、世話になった。ドムの家長として礼を申し述べさせていただく」


 そう言って、ディック=ドムはうっそりと頭を下げる。

 その姿をねめつけながら、レム=ドムは唇を吊り上げた。


「家長、わたしはまだドムの家に帰るつもりはないわよ?」


「こちらもお前を迎え入れるつもりはない。狩人になりたいなどというたわけた願いを捨て去るまで、お前は北の集落に近づくな、レムよ」


 言いながら、ディック=ドムはくるりときびすを返した。

 これほどの巨躯でありながら、実にしなやかな所作である。


「それまでは、お前を家人とも認めない。森と己に、自分の罪を問え」


「そういうことね。了承したわ。これが今生の別れになるかもしれないけれど、どうぞお元気で、ドムの家長ディック=ドム」


 黒毛のトトスを引き連れて、ディック=ドムが闇の向こうに消えていく。

 戸板を閉め、かんぬきを掛けてから、アイ=ファはレム=ドムを振り返った。


「北の氏族の家長としては、まあ真っ当な判断だな。お前はこれからどうするつもりなのだ、レム=ドムよ」


「さてね。どこかの空き家にでも潜り込んで夜を明かすしかないのじゃないかしら。幸い、スドラではいくつも家が余っているようだし、あそこからならファの家も近いしちょうどいいでしょう」


 勇猛な顔つきで、レム=ドムは笑う。


「ディックは頑固だから、これぐらいのことは予想がついたわ。むしろ、遅すぎたぐらいの話ね」


「しかし、家長のディック=ドムにあのように言われた以上、私もドンダ=ルウもお前をかくまうわけにはいかなくなった。空き家で夜露はしのげるとしても、どのように糧を得る気だ? 銅貨を持ち合わせているのか?」


「そのようなもの、あるわけがないわ。今のわたしにギバを狩ることはできないでしょうし、宿場町にでも下りて仕事を探すしかないでしょうね」


「宿場町で? 森辺の民を雇うような店なんてあるのかな?」


 驚いて俺が尋ねると、レム=ドムはいつもの調子で肩をすくめる。


「なければ、残飯でもあさるわよ。森辺の掟もジェノスの法も破らぬまま、生きのびてみせるわ」


 皮肉めいた微笑を浮かべながら、レム=ドムの瞳は変わらず火のような光をたたえていた。

 その面をひとにらみしてから、アイ=ファが俺を振り返る。


「アスタよ、お前はフォウやランの女衆らに朝方の仕事を頼んでいたな。あれにはどれぐらいの銅貨を払っているのだ?」


「うん? ああ、一刻で赤銅貨2枚だよ。それで、1日に二刻ていどだな」


「ならば1日に赤銅貨4枚か。それだけあれば、アリアやポイタンはもちろん、ギバの肉だって買うことはできるはずだ」


 アイ=ファの言葉に、レム=ドムがけげんそうな顔をする。


「何の話をしているの? わたしをかくまうわけにはいかないという話をしたばかりじゃない」


「お前をかくまうわけでも、ほどこしをするわけでもない。仕事を受け持てば代価を手にすることができるというのは、誰にとっても当然の話であろう」


「いや、でも――」


「お前をドムの家人と認めないのは、ドムの家長たるディック=ドムの判断だ。そこに異を唱えることは誰にもできんが、しかし、女衆の身で狩人を志したからといって森辺の民としての資格までをも失ったわけではない。……それで資格を失うのならば、私だってもう何年も前に資格を失っていたことになってしまうからな」


「…………」


「お前は罪ではなく、自分の真情を森と己に問え。それで答えが見つかったら、もう一度ディック=ドムと言葉を交わすべきだ」


 そのように言い捨てて、アイ=ファはぷいっとそっぽを向いた。

 レム=ドムは固くまぶたをつぶり、それからゆっくりとアイ=ファに近づいていく。

 その逞しい両腕が、ひさかたぶりにアイ=ファの首を抱えこんだ。


「ありがとう、アイ=ファ……あなたに出会えて、本当にわたしは幸せだわ……」


「ふん」と鼻を鳴らしつつ、アイ=ファはレム=ドムの腕を払いのけようとはしなかった。

 それでようやく、俺もほっと息をつくことができた。


「それじゃあ、晩餐を続けようか。それで、今日ぐらいはファの家に留まっても許されるんじゃないのかな? 明日の仕事の打ち合わせもしたいしね」


「うん……」と子供のように応じながら、レム=ドムはアイ=ファの髪に頬ずりをしている。

 そのタイムが10秒を突破したあたりで、「いつまでひっついているのだ!」とアイ=ファは爆発した。


 そうして騒々しくも有意義なる休業日は、ようやく終わりを迎えることになったのだった。

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