有意義なる休業日①~ミケルとマイム、再び~
2015.12/31 更新分 1/1 2016.1/1 誤字を修正
1日置いて、黒の月の29日。
その日は屋台も休業日であったので、中天からミケルとマイムを森辺の集落に招くことになった。
目的は、もちろん燻製作りのノウハウを学ぶためである。
場所は、スドラの家。
参加メンバーは、俺とトゥール=ディンとレム=ドム、リィ=スドラとユン=スドラ、レイナ=ルウとシーラ=ルウ、それにサリス・ラン=フォウの8名であった。
「……最初に言っておくが、俺がわきまえているのはカロンやキミュスの燻製作りだけだからな。ギバ肉などを扱ったことはないのだから、どんな不手際が生じても責任は取れんぞ?」
講師役たるミケルは相変わらずの仏頂面で、そのように口火を切った。
生徒役を代表して、俺がそちらに一礼してみせる。
「はい。無理を言って申し訳ありません。どうぞご指南をお願いいたします」
「ふん」と鼻を鳴らしてから、ミケルがかたわらの家を振り仰ぐ。
スドラから提供してもらった、空き家である。
もう7、8年は使われていなかった家で、丸く切り開かれた空き地にぽつんと建っている。万が一の火災に備えて、もっとも開けた場所に建っているこの空き家が燻製小屋として選ばれたのだ。
「アスタからうかがっていた通りに、従来の窓には板を打ち付け、高い位置に代わりの小窓を空けました。これで問題はないでしょうか?」
穏やかに微笑みながら、リィ=スドラがそのように申し述べる。
その窓に張られた板を手の甲で叩きつつ、ミケルは家の外観を検分した。
「ずいぶん古い家のようだから、煙がもれるようなら補修が必要だろうな。まあそのときは隙間に粘土でも詰め込んでおくといい」
「粘土ですね。承知いたしました」
「……肉の準備はできているのか?」
「はい、こちらに」
リィ=スドラの先導で、俺たちはぞろぞろと家の中に入っていった。
玄関を開けてすぐの広間には、大量の薪や必要な道具が準備されている。
その奥側には3つの戸板があり、右の壁際には古びたかまどが設置されている。規模としては、ちょうどファの家と同じぐらいの家である。
リィ=スドラは、1番右側にある個室へと俺たちを導いた。
戸板を開けると、いくつもの肉塊が蔓草によってだらんと吊り下げられている。
スドラ、ファ、フォウ、ディン、ルウから持ち寄られたギバの肉塊だ。
ミケルの教えに従って、これらはすでに下ごしらえを終えていた。
塩漬けにして水分を抜き、塩を洗い流したのち、風乾する。手順自体は森辺の集落に伝わっていた干し肉作りのそれと大差ないが、塩漬けの際にはピコの葉や香草を混ぜ合わせ、漬ける時間もいくぶん長くなっている。
それに今回は試作の第1回目であったので、ブロック状のモモ肉やバラ肉に加えて、普段は干し肉に使用しない肩肉やロース肉、さらにはギバの後ろ足をまるまる1本準備してみた。
さらにさらに、本日の午前中に仕上げた念願の腸詰め肉までもが、そこにはどっさりと吊り下げられている。
「……ふん。本当にこんなものまで準備したのだな」
その腸詰め肉を見上げながら、ミケルが不機嫌そうに言う。
「はい。なかなか苦労しましたが、それなりに形にはなっていると思います」
数日前、ネイルに紹介してもらったシム生まれの旅人に、俺はこの腸詰め肉の作製方法を学んだのである。
入念に挽いた肉を腸に詰め込む。言ってみればそれだけの話であるのだが、これが言うほど簡単な作業ではなかった。
肉と脂の比率は8:2。こねればこねるほどなめらかな食感になるという話であったので、手の体温で肉が傷まない範囲でこねまくった。
添加するのは、塩とピコの葉だ。
もちろんシムではそこに何種類もの香草を加えるそうだが、今日のところは自重しておいた。
で、こね終わったら、腸詰めの作業である。
必要な器具は、大小の漏斗をひとつずつと、真ん中に小さな穴を空けた大きめの布が1枚。
その穴の位置を合わせて、布を大小の漏斗でサンドイッチにする。
たっぷりとはみでた布は上のほうにめくりあげておく。この部分が絞り布になる。
そうしたら、漏斗の先端にケーシング用の腸をセットする。
綺麗に洗ったギバの小腸を、漏斗の先端の管にはめこみ、そのままずるずるとたくしあげてしまうのだ。
ゴムのように伸縮性のとんだ腸は、けっこうな量をまとめあげることができる。最初の内は、1メートルほどでカットすることにした。
それが済んだら、挽いた肉を絞り布の中に詰め込んで、チューブのように軽く絞ってみる。
漏斗の管に肉が満ちたら、腸を少しだけ引っ張りだして、先端を結んでおく。
そうしてさらに絞り布を絞っていくと、腸の内部に肉が詰め込まれて、にゅるにゅるとのびていく。
1メートル分の腸に肉が充満したら、おしりの部分を結んで、完成だ。
15センチ置きに腸をねじって肉を分断したら、もう俺にも見慣れたひとつなぎのソーセージである。
俺にしてみれば、ちょっと感動的なぐらいの光景であった。
そんな手製の腸詰め肉が、1メートルずつ15本も吊り下げられている。
驚くべきことに、これでギバ1頭分の小腸なのである。
太さは3センチばかりもあろう。なかなかのビッグサイズだ。
これだけの腸詰め肉を準備するのに、スドラとフォウとディンから数名ずつの人手を借りることになってしまった。
「それじゃあ、燻しの作業だな。薪と香草の準備はできているか?」
「はい。グリギの薪と、リーロの葉、生のピコの葉、それに炭ですね」
その部屋の足もとは、床板が外されて地面が剥き出しになっていた。
そこに燃料と燻材を円状に配置して、火を点す。
白い煙とともに、リーロやピコから発せられる清涼にして刺激的な香りが室内を満たした。
「……グリギがいくぶん生木のようだな。グリギは乾いていれば乾いているほど余分な臭いが抜けるものだ」
言いながら、ミケルが厳しい眼差しで火加減を確認する。
「火の勢いが強すぎる。これでは香草の香りがとんでしまうので、薪を少しだけ除けておけ」
「了解です」
俺は長めの薪を火かき棒の代わりにして、ミケルの指示に従った。
「この火加減で、三刻だ。香草は同じ量を半刻ずつ追加すればいい。これだけ炭を使っていれば、薪の追加も半刻ごとで十分だろうな」
「わかりました。それ以外の時間は戸板を閉めておくのですね?」
「ああ」とうなずき、ミケルはさっさと部屋を出ていってしまう。
その場にいる全員に火加減を教えこんでから、俺も燻製室を後にした。
いつの間にやら汗だくなので、「ふう」と息をつき額をぬぐう。
「ありがとうございます。三刻の後が楽しみですね」
日当たりのいい場所に置いておいた日時計が中天を指すように、角度を調節する。時間の経過を知るだけなら、これで十分であろう。
「……その間、お前たちは何をしているつもりだ? それだけの時間を無駄にできるほどお気楽な生活をしているわけではあるまい」
「ええ。二手に分かれてそれぞれの仕事に取り組む予定です。火の番をしながら毛皮なめしの仕事をする班と、あとはかまど番の修練に取り組む班ですね」
「……かまど番の修練だと?」
「はい。ですからマイムにもご足労を願ったのですよ」
とたんにミケルのかたわらにあったマイムが瞳を輝かせた。
「燻製作りだけでなく、他にも料理の勉強をする予定なのですね? 嬉しいです!」
「それなら良かった。……実は、城下町から持ち帰った食材について、ミケルにご意見を聞いてみたかったのです」
「ふん。どうせそのようなことだと思っていたわ」
ミケルがじろりとにらみつけてくる。
「今度はどんな食材を持ち帰ってきたのだ? シムの香草か? ジャガルの野菜か?」
「香草や調味料は自分で味や香りを確認しているところですので、今回は野菜と乾物についてご意見をうかがおうかと。……食材はあちらの荷車に積んでありますので、まずはその目でお確かめください」
スドラ家の2名と、それにフォウ家の毛皮なめしをレム=ドムが手伝うことになっていたので、俺はそれ以外のメンバーとともに家を出た。
仲良く草を食んでいるギルルとジドゥラのかたわらに、2台の荷車が停まっている。今日はレイナ=ルウたちがミケルらを出迎えに行ってくれたので、ファの家の荷車に積んだ食材はこれが初のお目見えとなるのだ。
「城下町での晩餐会については自力で何とかしようと思っているのですが、宿場町に流通させる食材について、ミケルのご意見が聞いてみたかったのです」
説明しながら、俺はミケルとマイムを荷台に招き入れた。
「いかがでしょう? いずれもトゥラン伯爵邸の食料庫から持ち出してきたものなのですが」
俺は一通りの食材を少しずつ持参してきていた。
まずは乾物。
昆布のような海草と、エビ、貝、タコに類する干物たち。
それに、各種の茸類。オレンジ色の椎茸みたいなやつと黄色いキクラゲみたいなやつ、真っ赤なイソギンチャクみたいなやつが乾物で、マッシュルームみたいなやつとブナシメジみたいなやつは、堆肥に植えられた生の茸だ。
野菜は、5種類。
緑色のホウレンソウみたいな、ロヒョイ。
紫色をしたヘチマのごとき、シィマ。
ゴボウが蚊取り線香のように丸まった形をした、マ・ギーゴ。
真っ赤でイチョウのような形をした、マ・プラ。
真っ黒のピンポン玉を思わせる、チャン。
以上である。
それらの食材をざっと見回してから、ミケルは深々と息をついた。
「こんな乾物など、俺の店には回ってこなかった。この不気味な動物の干物も食い物なのか?」
「それはセルヴァの王都アルグラッドから取り寄せられたものらしいです。俺の故郷のタコという動物によく似ていますね。……香りはスルメに近いですけど」
「俺も1度だけあのご大層な食料庫には招かれたがな、仕事の話は断ったのだから、市場に出回っていない食材のことなど知っているはずがない。俺にわかるのは、野菜と何種類かの茸だけだ」
言いながら、ミケルの顔はどんどん不機嫌になっていく。
「……これらの野菜も宿場町に出回るようになる、ということか?」
「ええ。俺やヤンがその美味しさを上手く伝えることができれば、ですけれども」
「こうも次から次へと食材が増えては、キリがないな」
不機嫌そうなミケルに反して、マイムはいよいよ嬉しそうな顔になっている。
「いいじゃん! 食材が増えれば増えるほど、色んな料理が作れるようになるんだから! わたしはもっともっと色んな食材を扱ってみたいなあ」
「だったら、もっとタウ油や砂糖やママリア酢をまともに扱えるようになれ。野菜を増やすのはその後だ」
「ふーんだ!」と子供っぽくすねてみせてから、俺の視線に気づいて顔を赤くするマイムである。
「あ、すみません。はしたない姿をお見せしてしまって。……この野菜なんて、ナナールにそっくりではないですか?」
「そうだね。だけどこいつは、やっぱりセルヴァの西部から届けられたものらしいよ」
ナナールは外見の通りホウレンソウにそっくりの味わいであったが、このロヒョイというのはいったいどのような食材なのだろう。
「……この中で火を通さずに食べられるのは、そのロヒョイとシィマぐらいだろうな」
父親の言葉に、マイムは「へえ」と目を丸くする。
「ナナールは生だと渋くて食べられないのに、見た目はそっくりでもやっぱり別の野菜なのですね」
「うん、それじゃあちょいと味見してみようか」
土瓶に詰めておいた水でロヒョイの葉をざっと洗い、少しちぎってマイムに手渡す。
そうして自分もしがみながら、レイナ=ルウらにも回そうと腕をのばしかけたが――それよりも早く、強烈な辛みと苦みが口の中に跳ねあがった。
「辛い! それに苦いです!」
「う、うん。こいつは野菜というより、香草に近いみたいだね」
マイムと同時にミケルを振り返る。
ミケルは仏頂面のまま肩をすくめた。
「熱を通せば、辛みも苦みも消えてなくなる。生で食べられないことはないが、鍋で煮込むのが普通の食べ方だ」
「だったら最初からそう言ってよ!」
俺もマイムと同じ気持ちであったが、しかし、異なる驚きもあった。
辛みと苦みばかりでなく、何だかゴマのような風味もふわりと鼻に抜けていったのである。
なおかつ熱すると辛みと苦みが消えるというなら、それはホウレンソウではなくルッコラに近い野菜なのではないだろうか。
「面白いですね。このシィマという野菜も生で食べられるのですか? こいつも煮込み料理で使われることが多いと聞いていたのですが」
「そいつはジャガルの野菜で、タウ油で煮込むのが普通だな。しかし、生で食べる人間も少なくはなかった」
ならば味見をしてみるべきであろう。
しかし、シィマというのは紫色のヘチマみたいな外見をしており、でこぼことした皮はなかなかに固そうである。
「生でも煮込みでも、普通は皮を剥く」
「なるほど。了解です」
俺は荷台の奥から菜切り刀とまな板を取り出して、シィマを5センチていどの厚みで切り分けてみた。
意外なことに、内部は真っ白でとても瑞々しい。種の類いはないようだ。
で、尻尾の先を切り落として、でこぼことした皮を桂剥きの要領で剥いていくと――とたんに、「うわあ」という声が響いてきた。
「アスタ、見事な刀さばきですね。どうやったらそのように刀を上手く扱うことができるのですか?」
声をあげたのはレイナ=ルウであった。
だが、シーラ=ルウもトゥール=ディンも、同じように驚きと感嘆の表情になってしまっている。
そこで俺は、はたと思い至った。
これまで出会った野菜たちは、のきなみ皮ごと食せるものばかりだったのである。
例外としてはアリアとチャッチがあるが、どちらも簡単に手で剥けてしまうので刀を必要としない。つまり、少なくとも森辺においては「刀で野菜の皮を剥く」という概念が存在しなかったわけだ。
「そうか。こいつは盲点だったなあ。俺の故郷では、チャッチやネェノンに似た野菜でも刀で皮を剥く必要があったんだよね」
「すごいです。まるで魔法を見ているかのようです」
レイナ=ルウがひさかたぶりに、恋する乙女のような眼差しになっていた。
「みんなだって、少し練習すればこれぐらいはできるようになるよ。このシィマなんかは、そこまで薄く剥く必要もないみたいだしね」
「それなら、ぜひ習得したいです!」
俺はそちらにうなずき返しつつ、真っ白に剥かれたシィマを1センチぐらいの厚さで切り分けた。
「それじゃあみんなで試食してみよう」
ミケル以外の全員がまな板からシィマの薄切りをつまみあげる。
そうしてそいつをかじってみると――ゆたかな水気とともに、ほのかな辛みが感じられた。
ロヒョイのように鮮烈な辛さではない。とても清涼感のある、しゃっきりした味わいだ。
「ああ、これは俺の知るダイコンという野菜に似ているかもしれません。煮込み料理には合いそうですね」
『ギバの角煮』と『タウ油仕立てのギバ・スープ』はまず当確であろう。さすがジャガル産の野菜である。こいつが流通するようになれば、ナウディスも喜んでくれるに違いない。
「あとは、マ・ギーゴとマ・プラとチャンですか。マ・ギーゴはギーゴの、マ・プラはプラの亜種であるそうですね。これらもみんな煮込み料理に適しているのでしょうか?」
「そうだな。……というか、ジェノスで野菜を焼くという作法はあまり流行っていない。煮込むか蒸すか燻すかが普通だろう」
「では、まとめて煮込んでみましょうか」
5種の野菜とそれを煮るための鉄鍋、ついでに海草の干物も1枚携えて、俺たちは燻製小屋に戻ることにした。
居残り組の女衆らは、すでに毛皮のなめしに取りかかっている。
「ちょっとかまどをお借りしますね」
火災に備えて、水瓶には水が準備されていた。その水を少しばかり拝借して、まずは鉄鍋に干物を投じ入れる。
これは昨日の晩餐で試してみたが、実に上品な出汁がとれるのである。
味わいとしては、やっぱり昆布に近いだろう。おまけにびっしりと塩をふいているので、そちらからも海の滋養を感じることができる。通常のギバ鍋に投じるだけでも、格段に味わいが豊かになるほどだ。
「こいつはまず半刻ほど水に漬けておかないといけないので、少々お待ちくださいね」
しかしその後は沸騰しない範囲で温めるだけなので、1時間ばかりも煮込んでギバ肉から出汁をとるよりはお手軽ともいえるだろう。
今後アルグラッドからどれぐらいの量が届けられるかは知らないが、値段によっては宿場町で流通させることは十分に可能だと思える。むしろ、こんな簡単に上等な出汁がとれることが知れ渡ったら、城下町で買い占められてしまうのではなかろうか。
「ところでアスタ、城下町のヴァルカスという料理人はどのような御方であったのですか?」
と、手が空いたところで、マイムが無邪気に問うてきた。
「滅多に人をほめない父さんがあれだけほめていたのですから、きっと素晴らしい料理人であったのでしょう?」
「そうだね。性格のほうはよくわからなかったけど、料理の手際は素晴らしかったと思うよ」
その心情に嘘はなかった。
俺に理解し難い味付けではあったが、いったいどれほどの修練を積めばあのような味を組み立てることができるのか――それを思うと、何やら胸が騒いでくるほどなのである。
ほんの少し均衡を欠いただけで、たやすく崩落してしまいそうな、あんな複雑にして繊細な味付けを至極無造作な手つきで体現することのできるヴァルカスは、それこそ俺にとって魔法使いみたいな存在に思えてならなかったのだった。
それはレイナ=ルウやトゥール=ディンも同じような心境であるらしく、ヴァルカスの名前が出るとふたりの顔は固くなってしまう。
心から美味しいと思えるような、そういう料理では決してなかった。
あの味を家族やお客さんにも伝えたい、とも思えない。
しかし、そうであるにも関わらず、俺たちはあのヴァルカスという存在を看過することができないのである。
「なんというか、不思議な料理を作る人だったよ。自分には絶対に真似のできない味付けで……別に真似したいとも思えないのに、思わず自信がぐらつきそうになるほどだった」
マイムに答えながら、俺はミケルのほうに視線を転じる。
「それでひとつ疑問というか、想像したことがあったのですが――ミケル、城下町の人々にとっては、ヴァルカスの作るような料理が王道であり理想なのでしょうか?」
「……どうしてそのようなことを俺に問うのだ?」
「いえ、あれはとても不思議な料理でしたが、それでも根本の部分は自分の知る城下町の料理人と作法が似ているような感じがしたんです。多種多様の食材をふんだんに使って、複雑きわまりない味付けを目指そうという……かつてあのロイなども、一流の料理人ってのはそういうもんだろ、と言いきっていたぐらいですし」
「……ふん、それで?」
「それでですね、俺はどちらかというと、食材の味をなるべく活かすように、というのが料理の基本だと習っていたものですから、ある意味では真逆の発想であるようにも思えてしまうんです。それなのに、どうして自分の料理は城下町の人々にも受け入れられることができたんだろう、とちょっと不思議に思えてしまったのですよね」
それに、ミケルの料理もまた、どちらかといえば俺に似た作法を有しているはずだ。
俺としては、むしろミケルとヴァルカスが同時期に同じぐらいの評価を得ていた、というのがこの疑問の出発点であったのだった。
ミケルはうろんげに目を細めつつ、言い捨てる。
「アスタ、お前は何か考え違いをしているようだな」
「考え違いですか?」
「そうだ。このジェノスという町は、今ほどの豊かさを手に入れてから、せいぜい100年ていどしか経ってはいないのだぞ? それまでは、他の貧しい町と同じように、アリアやキミュスの卵などで飢えをしのいでいたのだろう。タラパやティノなどを口にできたのは城下町の限られた人間だけで、当然のことながらジャガルやシムから食材を買いつける富もなかったはずだ」
言いながら、あぐらをかいた体勢でミケルは身を乗り出してくる。
「なおかつ、ここまで貪欲に他国の食材を買い求め始めたのは、トゥランの前当主が力と富を得てからのことだ。そんなわずかな歴史しかないのに、王道や理想などといったものが語れるほどの料理が存在すると思うのか?」
「……そうですか。つまりはこのジェノスも、ここ近年で急激に食生活が変化してきた町であるわけですね」
「ああ、そうだ。だから城下町の料理人でも、その大半はあふれかえる食材を使いこなすことができぬまま、いっぱしの料理人などを気取ってしまっている。ヴァルカスのような、ほんのひと握りの人間を除いてはな」
それを言うなら、ミケルだってそのひと握りのひとりであったはずだ。
そんな思いを心中に溜めつつ、「なるほど」と俺はうなずいてみせる。
「なんとなく、貴族の方たちでも今ひとつはっきりと好みが固まっていない理由がわかったような気がします。……ちなみに、ご近所のバナームの町もそういった事情はジェノスと同様なのでしょうか?」
「バナームの歴史は、ジェノスよりはいくぶん古い。しかし、シムやジャガルとはそれほど交流はないはずだし、それに、土地が痩せているのでごく限られた野菜しか作れぬはずだ」
ぶっきらぼうに、ミケルが答える。
「バナームで有名なのは、フワノとママリアぐらいだろうな。あとはアリアやレテンが少しとれるのと、それに、カロンの牧場も領土に持っていたはずだ。だから、カロンの乳脂や乾酪などを使った料理が主流であると耳にしたことがある。カロンの乾酪の帽子焼きも、もとはバナームの名物料理だしな」
「カロンの乳脂と乾酪ですか。ありがとうございます。参考にさせていただきます」
「ふん」とミケルは鼻を鳴らした。
口調や表情は無愛想なままだが、俺の知りたかったことを先回りで教えてくれようとしている。その心情が、俺にはものすごくありがたかった。
「……ヴァルカスは、ミケルのことを最大の好敵手と評していました。きっと目指すべき味はまったく異なるものであったのでしょうが、とてもいい関係を築けていたのですね」
「いい関係もへったくれもあるか。俺はその男の顔も素性も知らないのだからな」
「え? だけどヴァルカスは――」
「おたがいの店に出向いて、料理を口にしたことはある。ただそれだけの関係だ」
知らずうち、俺は微笑をこぼしてしまっていた。
「それでもおたがいの腕前を認め合っていたのですね。それじゃあやっぱり、俺にはいい関係だったんだなあと思えてしまいます」
ミケルは押し黙り、白髪の目立つ頭をがりがりとかきむしった。
そんな父親を見つめるマイムの瞳には、これ以上ないぐらい誇らしやかで、そして温かい光が灯っていた。




