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異世界料理道  作者: EDA
第十五章 巡りゆく日々
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黒の月の二十六日②~宿屋巡り~

2015.12/11 更新分 1/1 12/14 誤字を修正

 その後は、手近な宿屋から1件ずつ回っていくことにした。

 まずは、ナウディスを主人とする《南の大樹亭》である。


「ふむ。シムの香草で作られた料理でありますか」


 南の民との混血であるナウディスの反応は、やはり芳しいものではなかった。

 言うまでもなく、ジャガルとシムは敵対国である。が、いささかならず超然とした気質を有するシムの民は、ジャガルの文化に対して強い興味はない代わりに忌避する向きもないので、タウ油や砂糖などを使われた料理もすんなり受け入れてくれたのだった。


 しかし、ジャガルの民はシムの民に対して当たりが強い。

 感情豊かなジャガルの民は、シムの民のそういう超然とした振る舞いこそを、何より忌避しているようなのである。


 ゆえに、ジャガルの民はシムの文化そのものを忌避する傾向が強かった。

 れっきとした西の民とはいえ、父方にジャガルの血を引くナウディスとしては、やっぱりシムの香草を使った料理など、そう簡単に受け入れられるものではないのだろう。


「アスタよ、今さら念を押すまでもないと思いますが――」


「はい。《南の大樹亭》のお客様は半数以上が南の民なのですよね? その《南の大樹亭》でシムの香草などを使ったら、やはり不興を買ってしまうのでしょうか?」


「そうですな。何より、シムの料理を注文するお客様自体がほとんどおられぬでしょう。西の王国で北の料理が喜ばれないのと同じことです」


「はい。ですが、例のダレイム伯爵家のポルアースは、ジェノスが美食の町として評判になることを望んでいましたよね? その構想にどれぐらいの現実味があるのかはわかりませんが、とりあえず、これまで城下町でしか取り扱われていなかった食材もこうして簡単に手に入れることができるようになりました」


 俺は別に、ナウディスを強く説得しようという気持ちはなかった。

 ただ、こんな考え方もあるのじゃないかと示唆してみようと思ったばかりだ。


「で、《玄翁亭》ではタウ油や砂糖なども積極的に使っているようです。シムとジャガルの食材を両方使える町なんてそうそうないのですから、これでジェノスならではの料理を作りあげれば、いっそうお客様に喜んでもらうことができるかもしれない――ご主人のネイルは、そのように言っていたのです」


「ふむ……」


「東の民が常宿としている他の宿屋でも、きっと同じような考えが蔓延するのではないでしょうかね。もとより、タウ油や砂糖は使いやすい調味料なので、レテンの油やママリアの酢よりも格段に買い手がついているようなのです」


「それはそうでしょうな。タウ油も砂糖も素晴らしい食材なのですから」


 ナウディスがぐっと胸をそらす。

 やっぱり彼も、父親の祖国に対してしっかりとした誇りや矜持を携えているらしい。


「そうすると、東の民のための宿屋ではぐんぐん料理の質が上がっていくことでしょう。シム、ジャガル、セルヴァという三国の食材をふんだんに使うことができるのですから、それも当然の話です。東の民と縁のある宿屋のご主人であれば、使いなれないシムの香草の使い道も、お客様がたから学ぶことができますしね」


「ふむ……」


「だから俺には、ナウディスのような立場の御方がシムの食材を忌避するのがもったいないように感じられてしまうのですよね。ナウディスは他の宿屋のご主人たちよりも一歩先んじてジャガルの食材を上手に使いこなすことができるのですから、本来であれば香草に詳しいネイルなんかと同じぐらい有利な立場にあるはずなのですよ」


 ナウディスは、「ふーむ!」と考えこんでしまった。

 数ある宿屋の中で、真っ先に俺のギバ料理を取り扱いたいと願い出てくれたのが、このナウディスなのである。先見の明を有しているし、それにディアルの父親に負けないぐらい商魂はたくましいと思う。


 まだこの世界に居ついて数ヵ月の俺では、各国の情勢や国民感情などを正確に推し量ることはかなわない。しかしこのナウディスならば、シムに対する敵対感情と商売上の利益をはかりにかけて、正しい道を選ぶことができるのではないか――と俺は考えていた。


「確かにまあ……この先、シムの民に向けた宿屋の料理こそがジェノスにおいては最上である、などという話になったら、わたしなどはさぞかし腹が煮えてしまうでしょうな」


「はい」


「シムとジャガルは旧来からの敵対国です。わたしは亡くなった父を敬愛しておりましたので、父が仇敵と憎むシムの民によい感情を持つことはかないません。ですが、セルヴァの版図においてジャガルとシムは争うことを禁じられております。そんなセルヴァの中でも、もっともジャガルとシムの民が交わるこのジェノスにおいては、確かにジェノスならでは料理を生み出す最適の環境が整っておるのでしょうな」


「はい」


「アスタの言葉は、わたしの胸に深く食い入りました。しかし、簡単に答えを出せるような問題ではないようです。……とりあえず、シムの香草を使ったその料理を食べさせていただけますかな?」


「はい、ありがとうございます」


 俺は鉄鍋を拝借して、取り分けた『ギバ・カレー』を温めなおした。

 その強烈な香りに、ナウディスはミラノ=マス以上に顔をしかめることになったが――料理を口にすると、目の色が変わった。


「……これは、美味ですな」


「そうですか。《キミュスの尻尾亭》のご主人などは、何とも判別がつかない味だと仰っていましたが」


「非常に美味です。それは認めざるをえません」


「ありがとうございます。でもまだひと味もふた味も足りない気がしてしまうので、タウ油や砂糖も使ってみようかなと考えているところなのですよね」


「なるほど。そうして、西と南と東の食材をまんべんなく網羅する料理が完成されるわけですな」


 ナウディスは腕を組み、再び「うーむ!」と考え込んだ。


「アスタ、この料理は何かとてつもないものに仕上がる予感がします。アスタがこの料理を他の宿屋で売り出すつもりであるならば、わたしとて見過ごすことはできぬようです」


「そのように言ってもらえるとは、光栄の限りです」


「ジャガルの食材は、タウ油や砂糖やパナムの蜜ばかりではありません。セルヴァではなかなか見ない野菜や、もっと珍しい食材なども存在するのです。わたしはそれらの食材も宿場町に流れてこないかと期待しているのですが――その中にだって、きっとこの料理に合う食材は存在するでしょう」


 そうしてナウディスは、肚をくくったように大きくうなずいた。


「この料理が完成したならば、わたしの店でも味見用の分を取り扱わせていただきたく思います。南の民のお客様に受け入れられるものかどうか、実際に食していただかぬことには始まりませぬからな」


               ◇


 続いて、《玄翁亭》である。

 こちらではもう、手放しで賞賛のお言葉をいただくことができた。


「これは美味です。東の民のお客様にはのきなみ喜んでいただくことができるでしょう。かなうことなら、今すぐにでも我が店で取り扱わせていただきたいほどです」


「ありがとうございます。でも、まだまだ理想に届いていないので、もう少しお時間をいただければと考えています」


「はい。これよりも美味なる料理が味わえるならば、いくらでも待ちましょう」


 東の民の流儀にそって感情をあらわさないネイルであるが、その目は期待に光り輝いていた。


「これはもう、他の宿屋のご主人らも黙ってはいられなくなるでしょうね。東の民と懇意にされている宿屋の多くは、あなたの料理を取り扱いたくてうずうずしているのですよ、アスタ」


「そうなのですか? 今のところ、どの宿屋からも新しい仕事の話は舞い込んできていないのですが」


「今はきっと、城下町からたくさんの食材が流れ込んできたところであるので、アスタやギバ肉の力がなくとも上等な料理をこしらえることができるかもしれない、と奮起しているところなのでしょう。ですが、それでは太刀打ちできないということを、誰もが遠からず思い知ることになると思います」


 何とも過分なお言葉である。

 しかし、俺としても高額商品になりおおせてしまったギバ料理でそれに対抗していかなくてはならないところなので、とにかく慢心せずに励むしか道はなかった。


「あ、それと先日はこちらのお客様をご紹介いただき、ありがとうございました。何とか腸詰め肉の作製に必要な道具はそろえられそうです」


「そうですか。漏斗も手に入ったのですね?」


「はい。宿場町では木製の漏斗が使われていたのですね。鉄具屋で見当たらなかったわけです」


 ネイルは微笑をこらえるように少し口もとを震わせる。


「わたしの店でも果実酒は樽で買い付けていますので、木製の漏斗ならば普通に使用していました。ですが、アスタは鉄製の漏斗を探しているのかと思い違いをしていたので口には出さずにいたのです」


「お恥ずかしい限りです。使いやすいように加工できる分、木製のほうがありがたいぐらいであったのですよ」


「これでギバの腸詰め肉もこしらえることが可能になるのですね」


 あくまでも穏やかに、しかし昂揚を隠しきれぬ様子でネイルが身を乗り出してくる。


「以前にシムへと足をのばしたとき、わたしもギャマの腸詰め肉を口にする機会がありました。あれは旅の供としてだけでなく、立派な料理の食材にもなりうる味わいでありましょう。ギャマとは異なるギバの肉でどのような腸詰め肉ができあがるのか、わたしも楽しみにしています」


「はい。成功できたら、ぜひ味見をお願いいたします」


 すでにミケルからは、燻製肉の下ごしらえの手ほどきを口頭で受けていた。

 最初に塩漬けにする際の塩の分量と漬ける時間の長さ、塩と一緒に使用する香草の種類、塩抜きと風乾の手順――あとはミケルをもう一度森辺に招いて、実際に肉を燻すばかりである。


「では、慌ただしいですがこれで失礼いたします。屋台の商売が終わる前に《西風亭》にも顔を出しておきたいので」


「はい、明日もよろしくお願いいたします」


 鍋を抱えて、《玄翁亭》を出る。

 この後はダン=ルティムの生誕の宴を控えているのに、本当に慌ただしい限りである。

 まあこのようなスケジュールを組んだのは俺自身であるし、楽しい慌ただしさであるということも事実であった。


「どちらの宿屋でもぎばかれーは好評でありましたね。こうしてみると、西の民が一番好みに合わないという可能性もあるのでしょうか」


 静かに問うてくるシーラ=ルウに「どうでしょうね」と俺は首を傾げてみせる。


「ミラノ=マスの娘さんの反応を見ると、そうとも言い切れない感じがしますが、現時点では判断が難しいですね」


「そうですか。まあ、時間をかけてでもこの美味しさが伝わるとよいですね」


 そう言って、シーラ=ルウはにこりと笑ってくれた。


「わたしはこの数日で、すっかりぎばかれーの味を好ましく思えるようになってしまいました。日を追うごとに味が向上しているのも確かですし……この料理は、きっとルティムの宴でも喜ばれることでしょう」


「そうだったら嬉しい限りです」


 そうして俺たちは、本日最後の目的地へと到着した。

 治安のよくない裏通りに存在する、《西風亭》である。


「ようこそ。待ってたよ、アスタ」


 受付台に座っていたユーミが笑いかけてくる。

 本日は朝の内に来訪の意図を伝えておいたのだ。


「母さーん! アスタが来たから、店番を代わってくれない?」


「はいはい。そんな大声を出さなくったって聞こえてるよ。……ようこそ、アスタ。うちの主人もお待ちかねだよ」


 ユーミの母は、小柄だが恰幅のいいおかみさんであった。

 名前は、シルという。

 ユーミと同じく褐色の髪で、肌の色は濃い目の黄褐色。ユーミの肌が象牙色をしているのは、親父さんの血筋であるようなのだ。


「それでは、お邪魔いたします」


 だいぶん中身の軽くなってきた平鍋を抱えなおし、俺は受付台の裏手にある厨房へと足を踏み入れる。

 今までおかみさんが料理の準備をしていたのだろう。ふたつあるかまどの内の片方で、大きな鉄鍋が火にかけられている。


「あれ? 父さんはどこに行っちゃったんだろ。おーい、アスタが来てくれたよー!」


「うるせえな。別にこっちが呼びつけたわけじゃねえだろうが?」


 と、厨房の奥の開いたままであった扉から、大柄な人影がのそりと現れる。

《西風亭》の主人にしてユーミの父親たる、サムスである。


 若き頃に別の町から流れてきたというサムスは、黒い髪に象牙色の肌、濃い褐色の瞳に屈強なる体躯を持つ、40がらみのご主人であった。

 もとはどうやら荒事を生業にしていたらしく、首や腕には白い古傷が刻みつけられている。西の民としては格段に体格がよく、胸板の厚みなどはほれぼれするほどだ。


「何だか鼻がむずむずしやがるな。そのおかしな臭いを撒き散らしているのが、俺らに味見をさせようっていう料理かよ?」


「はい。お気に召せば幸いです」


 無駄口を好まないご主人の気性を慮り、俺はさっそくかまどをお借りした。

 残りがわずかであったので、取り分けずにそのまま鍋を火にかけさせていただく。


「これはシムの香草を使った料理ですので、滋養のほうは申し分ないと思います」


「滋養なんざより大事なのは味だ。あとは、いかに酒を美味く飲めるかってところだな。そうじゃなきゃ、どんな御託を並べたって注文するような客はいねえよ」


「香りでおわかりになる通り、これは辛みがきいていますので、きっとお酒にも合うと思いますよ?」


「ふん。酒を飲めねえ人間に言われても説得力はねえな」


「もう! 父さんはいつまでアスタに憎まれ口を叩くつもりなのさ?」


 苦笑しながら、ユーミが父親のごつい肩を小突く。

 サムスはまた「ふん」と鼻を鳴らした。


 サムスは、西の民としてもとりわけ森辺の民を忌避していたのである。

 ジェノスの出身でもないのに、それは何故なのか――と、ユーミにこっそり聞いたところ、どうやら若い頃に仲間が森辺の民と悶着を起こしたことがあるらしい。


 酔っ払ったサムスの仲間が森辺の民に難癖をつけ、一方的に叩きのめされることになったのだそうだ。

 もちろん非はその人物のほうにあったのだが、両腕をへし折られたおかげで職を失うことになり、その末に野垂れ死にをして、サムスとしては森辺の民を恨むしか道がなかったのだろう。


 なおかつ、それはすでにサイクレウスが森辺の民との折衝役に就任していた時代であったので、過剰な暴力を働いた森辺の男衆に何のお咎めも下されなかったことが、その怒りに火を注いだに違いない。


 そんなサムスに、俺の料理を《西風亭》で扱ってもらえるよう、ユーミは尽力してくれたわけである。


「よし、温まったみたいですね。この焼いたポイタンを汁にひたしてお食べください」


「うーん、すごい香りだね! まさしくシムの料理って感じだなあ」


 まずは当然のごとくユーミが手をのばしてくる。

 木皿に移した『ギバ・カレー』に焼きポイタンをひたし、おそるおそる一口かじり――「へえ!」と驚きの声をあげる。


「思ったよりも辛くないんだね。匂いからして、もっと舌が痺れるような味かと思ったよ」


「うん。《玄翁亭》に卸す分だけもっと辛口にして、それ以外はこれぐらいに留めておこうかと考えているんだけど」


「ふーん? あたしはもっと辛くてもいいぐらいだなあ。《玄翁亭》でチットの料理を食べてる内に、あたしは辛い料理が好きになっちゃったみたいなんだよねー」


 そういえば、ユーミはどの宿屋のギバ料理ものきなみ味わった経験があるのである。

 同じように『ギバ・カレー』を口にしたサムスは「ぐぬう」とおかしな声をあげた。


「どーお? 悪くはないよね? あたしはけっこう好きな感じだなあ」


「……それはお前がシムの料理を食べなれてるせいだろう」


「そうだけどさ。でも、この香りも何だかお腹の減る香りじゃない?」


 サムスはがりがりと頭をかいてから、娘の背中を乱暴に突き飛ばした。


「受付を代わってこい。お前の意見は参考にならねえ」


「何さ、美味しいなら美味しいって素直に言えばいいじゃん」


 ひとつ肩をすくめてから、ユーミは扉を出ていった。

 入れ替わりに、その母親がやってくる。


「ははあ、ものすごい香りだねえ? 外のほうまで匂ってきていたよ?」


 笑いながら、おそれげもなく焼きポイタンを引っつかむ。

 そうして料理を口にすると、おかみさんのシルはびっくりしたように「あらら」と目を見開いた。


「悪くないね。ふうん、こいつがシムの料理なのかい」


「はい。正確には、シムの香草を使った俺の故郷の料理なのですか」


「そうかい。実はね、うちにもシムのお客さんが来ることは少なくないんだよ。ジャガルのお客さんはからきしだけど、ほら、シムの連中ってのはおっかない力を持ってるから西の荒くれ者を恐れたりしないだろう? だから、一人旅のシム人なんかは、うちみたいな安宿をけっこう使ってくれるもんなのさ」


 丸々とした腕を組み、考え深げに首を傾げる。


「でも、シムの香草ってのはミャームーなんかよりお高いんだろう? うちで取り扱えるようなお値段なのかね?」


「はい。他の料理に比べたら少し割高になってしまうかもしれませんが、汁物なんかに仕上げたら値段もおさえられると思います」


「汁物に? こいつをお湯で薄めるのかい?」


「はい。ギバの出汁で割って、調味料を少し加えれば、味が落ちることはないはずです。基本の味が完成したら、そのあたりのことも研究してみようと思っているんですよね。……あと、この通り味の強い料理ですから、少なめの量を安い値段で売ることも可能ではないでしょうか?」


「ああ、それはそうかもしれないね。だけど、こんな妙ちくりんな料理をあたしらが自分で作れるもんかねえ?」


「そのあたりのことは心配ありません。味のもとになるものをこちらで作れば、あとは煮込んだ野菜や肉と合わせるだけです。何も難しいことはありませんよ」


「そうかい。だったら、試してみる価値はあるかもしれないね」


 そのようにのたまうおかみさんに、親父さんは「おい」と不機嫌そうに呼びかける。


「そんな安請け合いをしちまっていいのかよ? こんな臭え料理は誰も注文しねえかもしれねえぞ?」


「そのときは買いつけるのをやめればいいだけの話じゃないか? 試してみなくっちゃ結果はわからないよ」


 もともとはこのおかみさんこそが《西風亭》の跡継ぎであり、よその地から流れてきたサムスはそこに婿入りした格好なのである。

 筋金入りの商売人であるシルは、「試す価値はあるんじゃないのかね」と力強く笑いながらそのように言ってくれた。


「こんな料理はこれまでに食べたことがない。だから、美味いんだかどうなんだかもまだはっきりとはわからないけど、これだけ物珍しい料理なら評判にはなるだろうさ。今のところ、アスタに教えてもらった料理はどれもこれもが喜ばれてるんだから、試しもしない内に断る手はないんじゃないのかねえ?」


 サムスはむすっとした顔で、またぼりぼりと頭をかく。


「だけど俺は、こいつを食ったら何だか頭がかゆくなってきちまったぞ? こいつはシムの香草の毒なんじゃねえのか?」


「あ、それは発汗作用がうながされているんだと思います。汗をかくのは身体にいいことですし、それに、汗をかくと体温が下がるので、ジェノスみたいに温暖な土地ではこういう料理も合っていると思いますよ?」


「あんたは物知りだし商売上手だね、アスタ」


 おかみさんはにんまり笑い、俺の耳もとに口を寄せてきた。


「いっそのこと、ユーミの婿になってほしいぐらいだよ。そうしたら、うちの店も安泰だろうねえ」


「おい、亭主の前で内緒話をしてんじゃねえよ」


「ちっちゃいことをお言いでないよ。……ま、今のは冗談としても、こいつがどんな味の料理に仕上がるのか楽しみにしているよ、アスタ」


「はい、ありがとうございます」


 礼を述べて、俺は《西風亭》を辞去することにした。

 体感的に、そろそろタイムリミットが近いはずである。


「あ、もう帰っちゃうの? そのうちゆっくり話そうね、アスタ?」


「うん、それじゃあまた明日。今日はありがとうね」


 人気のない表に出て、息をつく。

 とりあえず、宿場町におけるミッションはこれにて完了であった。


「何だか色々と仕事が詰まってきた感じがしますね?」


 ずっと静かにしていたシーラ=ルウがそのように呼びかけてくる。


「ぎばかれーだけでなく、アスタはギバの頭の料理についても研鑽しているのでしょう? それに加えて、腸詰め肉と干し肉の作製に、城下町での晩餐会の準備――もしも自分であったなら、これだけの仕事を同時にこなすことなど、とうていできそうにありません」


「そうですか? これといって、苦にはなっていないのですが」


 しかし、まだ完成もしていない『ギバ・カレー』の味見にまで踏み切ったのは、やはり気分が昂揚しているせいなのかもしれない。

 マイムとの出会いと、そして、まだ見ぬヴァルカスなる人物に対してである。


 城下町の晩餐会については、すでに族長たちからも了承を得ていた。

 明日、俺たちは新たな食材を吟味するため、トゥラン伯爵邸までおもむく予定になっている。


 そしてさきほど確認したところ、やはりミケルはヴァルカスという料理人についての評判を知り得ていた。

 その料理を口にしたことは数えるていどしかないが、あれは凡百な料理人ではない――ミケルは、そのように言い切っていたのだ。


 これでは昂揚するなというほうが無理な話であろう。

 もしかしたら、俺は明日にでもそのヴァルカスという人物と顔を合わせることになるかもしれないのだ。


 マイムとの出会いで、俺は力を得ることができた。

 ヴァルカスとの出会いは、俺に何をもたらすだろうか。

 それに、ミケルから燻製肉の作製を教わるのも楽しみでならない。

 どんなに慌ただしくても、ここ最近の俺は日々が楽しくてしかたがなかったのである。


「だけどまずは、ダン=ルティムのお祝いですね。そろそろ屋台の商売も終わる頃合いでしょうから、早くみんなのところに戻りましょう、シーラ=ルウ」


「ええ」とうなずくシーラ=ルウとともに、俺は足を踏み出した。

 今日という長い日は、ようやくまだ半分ていどが終わったに過ぎないのだった。

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