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異世界料理道  作者: EDA
第十五章 巡りゆく日々
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黒の月の二十六日①~記念の日~

2015.12/11 更新分 1/1

 そしてさらに2日の日が過ぎて、黒の月の二十六日。

 ダン=ルティム生誕の祝いの日である。


 祝いの料理の簡単な下準備はあらかじめルティムの女衆らに託し、俺たちは普段通り宿場町での商売をこなしていた。

 商売をきっちり終えてから集落に戻っても、日没までには4時間ばかりも残されているので、まあ問題はないだろう。


 で、中天までにはまだ間があるが、本日もすでにリィ=スドラとユン=スドラの姿があった。

 聞くところによると、スドラの家も食材の買い出しをこの商売の帰りしなに済ませることができるようになったため、家の仕事にも多少のゆとりができたのだそうだ。


 まあ確かに、9人家族の食材の買い出しというのは、荷車がないとなかなかの手間なのである。ルウ本家の人々だって以前は3日に1度の割合で宿場町に下りていたのだから、スドラでもそれに近い労力がかかっていたはずだ。そうだからこそ、ドンダ=ルウも眷族たちのためにわざわざトトスと荷車を買い与えたのだろう。


(俺も何か口実を作って、フォウやランの人たちが使えるようなトトスと荷車を準備してあげたいなあ)


 ともあれ、商売のほうは本日も順調であった。

 が――


「ユン=スドラもだいぶ仕事になれてきたみたいだね?」


 俺がそのように呼びかけると、ギクリと身体をすくませたユン=スドラは手に持っていたポイタンの生地を地面に落としてしまった。


「ああ! 申し訳ありません!」


 音をたてるような勢いで、ユン=スドラは真っ青になってしまう。


「大丈夫だよ。ポイタンはいつも多めに焼いてきているから。こっちこそ、いきなり声をかけちゃってごめんね?」


「とんでもありません! わたしが迂闊であったのです!」


 落ちたポイタンを拾いあげ、涙目で俺を見つめてくるユン=スドラである。


「このポイタンはわたしが持ち帰り、相応の代価を支払わせていただきます! 本当に……本当に申し訳ありません……」


「いや、大丈夫だってば。そんな失敗を帳消しにできるぐらい、君はよくやってくれているんだから。そうですよね、リィ=スドラ?」


「そうですね。……ただ、あなたはアスタが近づくと迂闊になることが多いようですね、ユン? それを何とかしないとわたしも安心して身を引くことができないので、そこだけは気をつけてほしいと思っています」


「はい……」と今度は真っ赤になってしまう。

 やっぱりちょっと森辺の女衆としては珍しいタイプの娘さんである。


 で――隣の屋台からララ=ルウがじろじろとにらみつけてくるのは、アイ=ファやレイナ=ルウなどの代理をつとめてくれているつもりなのだろうか。


 そのような目で見られずとも、俺はユン=スドラとお行儀のよい距離を取るように心がけていた。なんとなく、彼女の熱っぽい眼差しやすぐ赤くなるお顔には、朴念仁たる俺にも感ずるところがあったのである。

 そんな心がけが功を奏したのか、今のところはレム=ドムに対するアイ=ファほど困るような事態には陥っていなかった。


 そんなことを考えるでもなしに考えていると、ミケルとマイムがひさびさに連れ立ってやってきてくれた。


「あ、いらっしゃいませ。……少しひさびさだね、マイム?」


「はい。先日はどうもありがとうございました」


 ミケルとは何回か顔を合わせて燻製肉の下ごしらえについて説明を受けていたが、マイムがやってくるのは森辺に招待した日以来、5日ぶりになるはずであった。


「このしばらくは、ずっと家で修練を積んでいました。それで……よかったら、またアスタに味見をお願いしたいのですが……」


 マイムは今日も大きな草籠を携えていた。

 俺の胸が、期待に高鳴る。


「それは嬉しいね。もちろんギバ肉を使った料理なんだよね?」


「はい。その他にも、父さんが買い与えてくれた色々な食材も使ってみました」


 マイムの顔には、実に晴れやかな笑みが浮かんでいた。

 きっと相当な自信作なのだろう。


「それじゃあまた荷車のほうに。……あ、トゥール=ディン、悪いけど、ちょっと屋台をまかせてもいいかな?」


「ええ、もちろんです。……でも……」


 と、うつむきかけてから、トゥール=ディンは思い切ったように面を上げる。

 その目は俺でなく、マイムを見た。


「あの……その料理を、わたしにも味見させていただけませんか? ほんの一口でかまいませんので……」


「ええ、もちろんです! たくさんの人たちに感想をいただけたら、わたしも嬉しいです!」


 マイムは顔を輝かせる。

 なるほど、と俺も納得し、最近は滅多に出番のない試食用の木皿を取りあげた。


「各屋台の料理に木皿がひとつずつ準備されてるから、これで取り分ければ森辺の習わしにも背かなくて済むね。それじゃあ順番に味見をさせていただこう」


 俺はまず『ギバ・バーガー』の屋台からシーラ=ルウを連れ出して、マイムたちとともに荷車のほうに引っ込んだ。

 草を食むギルルとジドゥラに見下ろされつつ、マイムは荷台に草籠を置く。


「まだまだ勉強中ですが、以前に味見をしていただいた料理よりはうんと美味しく仕上がっていると思います。ギバ肉はもちろん、タウ油やママリアの酢というのも、大暴れするトトスみたいな食材ですね」


「…………」


「あは。あなたたちのことじゃないよ?」


 ギルルたちに微笑みかけてから、マイムは布包みと器の蓋を取り去った。

 芳しい香りが、ふわりと広がる。


「うん、こいつは美味しそうだ」


 陶磁の深皿の中に眠っていたのは、赤みがかったソースをまぶされた、肉と野菜の炒めものであった。

 野菜はアリアとネェノンとプラで、肉の部位はおそらくロースだ。

 マイムの焼き料理は初めてなので、いっそう期待は高まってしまう。


「どうぞ。お召し上がりください」


 俺はシーラ=ルウとともに持参した木皿へと料理を一口分ずつ移した。

 タウ油と砂糖の甘い香りに、ママリアの酢の香りが溶け込んでいる。

 とても美味そうだ。

 美味そうだが――どこかに既視感が感じられる。

 外見も、俺が作る料理にそっくりである。


 で――期待を込めてその料理を口に運ぶと、さらなる既視感が驚きとともに爆発した。

 俺は思わずシーラ=ルウと顔を見合わせてしまう。

 シーラ=ルウも、驚きを隠しきることができていなかった。


「アスタ、この料理は――」


「はい、俺もそう思います」


 俺とシーラ=ルウは、同時にマイムを振り返った。

 マイムはきょとんと目を丸くする。


「どうしました? 何か問題でもありましたか?」


「いや、問題はないよ。だけど、この料理は――」


「はい」


「――俺の作る料理に、味がそっくりなんだ」


 マイムはいっそう目を丸くした。


「アスタの料理に? 本当ですか?」


「うん。俺は宿屋に卸すために、ママリアの酢を使った料理の献立を研究しているんだけど、こいつはその味にそっくりなんだよ」


 それは、レム=ドムが初めてファの家にやってきた日にこしらえた、『タラパ風味の甘酢あんかけ』――そこからタラパの分量を減らした料理にそっくりなのだった。


 酸味があまり前面に出すぎぬよう、砂糖とタウ油で調節した、この甘み――そして、肉や野菜にとろりとからみつくこの質感――酢というものに馴染みのない森辺の民や宿場町の人々のために考案した、『酢ギバ』に続く第二の酢料理が、その『甘酢あんかけ』なのだった。


「……ただし、アスタの料理とは少し舌触りが異なるようですね」


 悩ましげに眉をひそめながら、シーラ=ルウがそのように発言する。


「味は、かなり近いです。アスタ自身が作った料理と言われても信じてしまいそうなほどです。……ですが、たぶんこの汁の舌触りが異なっているのではないでしょうか?」


「はい、これはきっとポイタンでとろみをつけているんだと思います。……どうかな、マイム?」


「はい、その通りです。アスタはポイタンを使っていないのですか? ギーゴも使ってみましたが、それだと少し余計な粘り気がついてしまうようなので、わたしはポイタンを選んだのですが」


「そっか。俺はね、チャッチの煮汁を乾かして作った粉を使ってるんだ。感覚としては、フワノを使うのに近いかな」


「チャッチ? チャッチからフワノのような粉を作ることができるのですか? そんな調理方法は耳にしたこともありません!」


 興奮した様子で、マイムがミケルを振り返る。

 ミケルは無言のまま、首を横に振った。


「さすがはアスタですね! やっぱりアスタにはかないません!」


「いや、それは俺が故郷で得た知識だからね。このジェノスに住む人たちが知らなくてもおかしくはないさ。……それと同時に、マイムだって俺の知らない知識をこれからミケルに山ほど習うんだろうからね」


 俺は木皿を置き、マイムを見つめた。

 またぞくぞくと背筋が寒くなってくる。

 そして、何か目の前が開けたような気がした。


「マイム、君の腕前は本当に素晴らしいと思う。たった5日でギバ肉やママリアの酢をここまで使いこなすことができるなんて、俺はもう君を自分と同等かそれ以上の存在だとしか思えなくなってしまうよ」


「それは言いすぎです。わたしはまだ――」


「うん、君はまだ10歳で、これからもめきめき料理の腕を上げていくんだろう。でも、俺だってまだ17歳なんだ」


 昂揚のあまり取り乱してしまわないよう、俺は言い継いだ。


「俺も物心がついたときからこの年になるまで、親父からみっちり料理を習うことになった。君もこれからみっちりミケルに料理を習うことになるんだろう。で――俺たちはとてもよく似た料理を作るけど、君は俺じゃないし、ミケルも俺の親父ではない」


「――はい」


「そこが俺たちの分かれ目になると思う。とてもよく似た調理の技術を持っていて、目指すべき先もきっと近い場所にあるんだろうと思うけれど、それでも俺たちはおたがいの知らない技術で知らない料理を作ることになるんだろう。だから俺は、君がどんな料理を作るのか知りたいし、自分がどんな料理を作るのか知ってもらいたいと思う」


「はい」


「料理の味は、勝ち負けじゃない。勝ち負けなんて、決める必要はない。だけど俺は、勝ち負けじゃない部分で君と競い合いたいと思っているよ、マイム」


 そのように言いきってから、俺は頭をかいてみせた。


「まあ、思わず熱弁しちゃったけど、それが俺の正直な気持ちだ。要約すると、おたがい一人前を目指して頑張ろうねって話だよ」


「はい、ありがとうございます」


 マイムはいぶかしがったり照れたりしている様子もなかった。

 ただ、その瞳が何かを誇るようにきらきらと輝いている。


「わたしはまだアスタの言葉を完全には理解しきれていないと思いますけど……わたしもアスタに自分の料理を食べてほしいし、アスタの料理を食べさせてほしいと思います」


「うん、それだけで十分だよ。ありがとう、マイム」


「こちらこそです、アスタ」


 そう言って、マイムはにっこり笑ってくれたのだった。


              ◇


 その後はすぐ中天になってしまったので、《キミュスの尻尾亭》へと慌ただしく移動することになった。

 本日の献立は『ロールティノ』であったので、それを契約通りに作製したのち、俺は試食用の『ギバの甘酢あんかけ』をもこしらえてみせた。


「ふむ。こいつは確かに以前の料理よりも食べやすい気がするな」


 難しげなお顔で、ミラノ=マスはそのように言った。


「しかし、あの『酢ギバ』とかいう料理はいったん油で揚げているせいか、ちょっと他にはない独特の味だという感じがする。どちらの料理が客に喜ばれるか――俺などには、ちょっと想像がつかないな」


「そうですね。あまりころころ献立を変えるのはよくないというお話でしたし、最初の内はまた試食品を配って評判を聞いてみる、というのはいかがでしょう? もちろん食材費の代価はこちらで受け持ちますので」


「ふむ……」


「それでですね、実はこちらの試食もお願いしたいのですが」


 と、俺は作業台に置いておいた小ぶりの平鍋を指し示す。

 ミラノ=マスは、いっそう難しげなお顔になった。


「それも俺に食べさせるものであったのか? 何か妙な匂いがするから、《玄翁亭》にでも持っていく料理なのかと思っていたが」


「はい。《玄翁亭》だけでなく、《南の大樹亭》や《西風亭》でも味見をお願いする予定ですよ」


 鍋の中身は、研究中の『ギバ・カレー』であった。

 まだまだ試作品の段階だが、だいぶ味がまとまってきたので、ここらで宿場町の人々にもご意見をうかがいたくなってしまったのだ。


「こいつはシムの香草をたっぷり使っています。ミラノ=マスは、香草は苦手ですか?」


「俺はそれほど香草は使わんな。ましてやシムの香草なんてのは口にしたこともない」


「そういう方々に受け入れられる料理かどうか、確認してみたかったのです。お嫌でなければ、味見をお願いできませんか?」


「食えと言うなら食ってみるが……」


 不審顔ながらもご了承をいただけたので、俺は平鍋の中身を木皿で一杯分だけかまどの鉄鍋に落とした。

 たちまち俺の愛すべき香りが厨房を満たす。


「本当に、すさまじい匂いだな。シムの連中は涙を流して喜びそうだ」


 本当にそうならば、それだけでも苦労をして作製した甲斐はある。

 それに、研究を重ねるにつれ、森辺の女衆らの評価もじわじわ上がってきているのである。


 香草は、あれから2種類を追加していた。

 香りのほうに大きな変化はないが、味わいは格段に俺の知るカレーに近づいたと思う。

 それでもだいぶんエスニックな風味であったが、もとよりジェノスでは米ではなく焼きポイタンをナンの代わりにするしかないので、それもまたよしである。


 さらに食材は、タラパとミャームーとラマムの実も追加することになった。

 トマト代わりのタラパはけっこうどっさりと、ミャームーは、隠し味ていどの分量だ。そういえばカレーにトマトやニンニクを投じる家もあった気がするなと思い至り、採用した。


 ラマムの実というのは、ネイルがチット漬けに使っていたリンゴのごとき果実である。これは乱暴なる『ギバ・カレー』に少なからぬまろやかさを与えてくれた。

 いっそパナムの蜜も使ってみようかと思ったが、これは原価率がはねあがりそうなので却下とした。


 それで、香草の配合でも試行錯誤を繰り返し、ルーの作製途上で使用するフワノ粉や乳脂の量なども調節して、作製初日に比べれば格段に味は向上したはずである。


「いかがでしょう? 匂いほど辛くはないと思うのですが」


 俺の感覚としては、甘口と中辛の中間ぐらいを目指したつもりであった。

 俺の持参した焼きポイタンを温められた『ギバ・カレー』にひたして食したミラノ=マスは、「ううむ」とくぐもった声をあげる。


「奇妙な味だ。不味いことはないが……どうにも言葉が見つからんな」


 そんな風に言ってから、ミラノ=マスは厨房の入口に向かって「おおい!」と大声を張り上げた。

 褐色の髪をした細身の娘さんが、おずおずと顔を覗かせる。


「ど、どうしたの? 何か用事?」


「こいつをお前も味見してみてくれ。お前なら、俺よりは気のきいた言葉を言えるだろう」


 娘さんは、肩をすぼめるようにしながら厨房へと入ってくる。

 客室の掃除を終えて受付台に陣取っていた、ミラノ=マスの娘さんである。名前は、テリア=マスという。

 森辺の狩人に対してはまだ若干の恐怖感を克服できていない彼女ではあるが、何ヶ月も顔を突き合わせている内に、俺や女衆に対しては普通に接してくれるようになった。ちょっとおどおどしているのは、もともとの彼女の気質であるのだ。


「あら……香りはものすごいけど、味は美味しいのじゃない?」


 そう言って、テリア=マスはうっすらと微笑んでくれた。


「肉も野菜も、とても美味しいわ。それに……何だか食べるそばからお腹が空いてしまう感じがする」


「ふむ、確かにな。胃袋がさっさと食事をよこせと騒ぎ始めた感じはある」


「それこそが、シムの香草の効能かもしれませんね」


 もしも森辺や宿場町でも、夕暮れ時にこのカレーの香りが漂うようになったら、俺はどのような気持ちを得ることができるのだろう。

 想像しただけで、俺は何やら楽しくなってきてしまった。


「これはまだ試作品の段階ですので、売り物にするには少々時間がかかりますが、納得する出来栄えに仕上がったら、お店で取り扱えるものか検討していただけますか?」


「ふむ。しかしそのときは、他の料理とどのように折り合いをつけるのだ? 3種類の料理を1日置き、か?」


「いえ。できることなら、俺は香辛料だけを準備して、肉や野菜はそちらで調理していただければと考えています」


 各種のスパイスとアリアを乳脂で炒めて、水とフワノ粉で練り合わせる。何ならそれを干して固めれば、カレーのルーとして販売することもできるかもしれない。


「こいつはキミュスやカロンでも美味しくいただくことはできるかもしれませんが、俺はギバ肉が最適だと思っています。少なくとも、キミュスの皮なし肉やカロンの足肉よりも、ギバ肉のほうが力強い出汁がとれますしね」


 なおかつ個人的に、俺は豚のバラ肉こそがカレーには最適と思っていた。

 むろんビーフやチキンを好む向きもあろうが、これはまああくまで個人の好みである。


「俺の故郷で、こいつは定番中の定番料理なのですよ。それがどれぐらい宿場町で受け入れられるか、ちょっと楽しみにしている部分があるのですよね」


「ふん。まあとりあえず、この料理が完成する日を待たせてもらおう」


 それなりの手応えを胸に、俺は《キミュスの尻尾亭》を後にすることができた。

 蓋をかぶせた平鍋を手に、シーラ=ルウとともに街道を歩く。


「これから残りの宿屋を回るのですね?」


「はい。きっとネイルは喜んでくれると思うんですけど、ナウディスなんかはどうでしょうね。南の民は、シムの文化を忌避する傾向が強いように思えますし。……それに、《西風亭》のご主人の反応も楽しみです」


「わたしは食べるたびに、この味を好ましく思えるようになってきました。きっと西や南の民でもこの味を美味と感じる人間は少なくないと思えます」


 言いながら、シーラ=ルウは穏やかに微笑んだ。


「きっとこういう料理こそが、アスタならではの料理というものなのでしょう。いかにあのマイムという娘でも、このような料理を作ることはできないと思います」


「ええ。シムや城下町にもともと同じような料理が存在しない限り、この香草の配合加減が一致することはありえないでしょうね」


「そしてあの娘は、アスタの知らない知識と技術で、自分ならではの料理を作りあげることができる、ということですか。……アスタ、わたしは少しだけこの身をもどかしく感じてしまいます」


「え? どうしてですか?」


「森辺には、美味なる料理を作るという技術が存在しません。わたしたちが習い覚えたのは、すべてアスタからもたされたものばかりです。……これではきっと、わたしやレイナ=ルウがアスタやあの娘の横に並ぶことはかなわないでしょう?」


 歩きながら、俺はシーラ=ルウを振り返った。

 シーラ=ルウの表情はとても落ち着いていたが、その瞳には切なげな光が宿っている。

 そちらに向かって、俺は「いいえ」と首を振ってみせた。


「だけど森辺の人たちにも、独自の好みというものが存在すると思います。俺やマイムの料理を味わって、それをもっと自分たちの好みに改良することができたら、それが森辺の民の知識となり技術となります。俺は故郷で長きに渡って練りあげられてきた技術を学び、マイムはミケルから城下町で練りあげられてきた技術を学びましたが、森辺の集落は今、その技術が生まれようとしている瞬間なのじゃないですかね?」


「技術が生まれようとしている、瞬間……」


「そうです。俺やマイムから得た知識や技術が核となり、そこから森辺の民の新しい食文化が生まれるっていう、そんな気がしませんか? これからシーラ=ルウや、その子供や、そのまた子供なんかが知識や技術を引き継いでいって、森辺ならではの料理というものを練りあげていくんです」


「それは何だか、気の遠くなるような……そして、目のくらむようなお話ですね」


 シーラ=ルウは、両手を胸の上に置いて深々と息をつく。


「わたしは今日が当番の日であったことを森に感謝したいと思います。アスタから授かった言葉は余さずレイナ=ルウにも伝えるつもりでありますが……きっとレイナ=ルウは、今日という日をアスタと過ごせなかったことを大いに嘆くことでしょう」


「それは大げさですよ。……でも、そんな風に言っていただけるのはとても嬉しいです」


 俺にとっても、今日という日は何か特別であるような気がしてならなかった。

 黒の月の二十六日。その日付を、胸に深く刻み込んでおこうと思う。

 そして、それがダン=ルティムの誕生日であるということが、俺には何だかものすごくおめでたいことのように感じられてしまった。

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