再びの招待
2015.12/10 更新分 1/1 12/14 誤字を修正
翌日である。
屋台で元気に仕事に励んでいると、珍しい客人があった。
南の民にして鉄具屋の娘たる、ディアルだ。
「やあ、ちょっとひさびさだね、アスタ」
濃淡まだらの短い褐色の髪をした少女が、にこにこと笑いながら屋台の前に立つ。お供のラービスも、もちろん健在だ。
サイクレウスという大きな商売相手を失った彼女たちは、あらためてジェノス侯爵の代理人と商売の契約を結ぶことが可能になったのである。
で、その商団の長であるグランナルという人物は莫大な量の発注を受けて意気揚々と凱旋帰国したわけだが、彼女たちはジェノスに居残っていた。ディアルとラービスと、そして商団のナンバー2であるという人物が城下町に残り、随時営業活動を続けていたのだった。
そうして新たな発注を受けたら、早馬ならぬ早トトスを飛ばして本国にオーダーを伝える。そうしてそれらの品を準備できたら、半年にいっぺんほどの割合でまた大がかりな隊商を組んでジェノスを訪れるという、しばらくはそうした方式で商売を続けることに決定したのだそうだ。
サイクレウスの支配下にあった料理屋が使用する調理器具、およびジェノス城の兵士たちが使う武具、それらを永続的に請け負うという大きな商談を成立させておきながら、まだ商売の手を広げようという、ディアルの父親というのは相当に商魂たくましい人物であるらしい。
「やあ、10日ぶりぐらいになるのかな? 元気そうで何よりだ」
灰の月になってから、俺もこの少女とは平穏な関係を取り戻すことができていた。
ディアルはいっそう無邪気に笑いながら、ずらりと並んだ屋台を見回していく。
「今日は何を食べよっかなー。滅多に買いに来れないから、毎回迷っちゃうよ!」
「ディアルは『ギバまん』が好きだったよね。まあ本命は『ギバ・カツサンド』なんだろうけど」
「当然さ! まだ1回しか当たったことがないんだから!」
しかし、5日置きぐらいでしか顔を出せない身で1回でも当たりを引いたのだから大したものだと思う。
などと考えていたら、背後の雑木林からすうっと近づいてくる者があった。
そちらを向いたディアルが「あれ?」と目を丸くする。
「どうしたの? あんたが町に下りてるなんて珍しいじゃん!」
「うむ。今日はちと買い物の用事があったのでな」
アイ=ファである。
アイ=ファは昨日破損した大刀の代わりを購入するために、実にひさびさに宿場町へと下りてきたのだった。
で、大刀は朝一番ですでに購入していたのだが、本日は狩人としての仕事を休み、俺たちと行動をともにしている。
何でも口の中を切ったばかりでなく、奥の歯がぐらぐらと揺れてしまっているために、力を振り絞ることができないのだそうだ。
そんな状態でレム=ドムをポンポン投げ飛ばしていたのかと思うと驚きであるが、何にせよ、体調が万全でないなら休むに越したことはない。
さきほどまでは痛みどめのロムの葉を噛みながらちょっとうとうとしていたアイ=ファが、凛然とした様子を取り戻してディアルと対峙する。
「ふーん、そっか。あんたとは、それこそふた月以上ぶりだね」
「うむ。最後に顔を合わせたのは、トゥラン伯爵の屋敷でアスタを取り戻した際であったな」
言いながら、アイ=ファは静かに目礼をした。
「お前にもきちんと礼を述べねばと、ずっと気にかかっていたのだ。……あの夜は、お前の機転に救われた」
「き、機転? 機転って何の話さ?」
「私の正体を知っていたのに、それを黙っていてくれたではないか? それに、アスタの存在を何気なく匂わせて、こちらの望む方向に話を進めてくれたようにも感じることができた」
「そんなの……それまで何の力にもなれなかった分を考えたら、全然お礼を言われるようなことじゃないよ」
ディアルは悲しげな顔をしたが、アイ=ファは「いや」と首を振る。
「あの頃のお前にとって、トゥラン伯爵家に仇をなす理由はなかったはずだ。そんな中でアスタや森辺の民に力を添えてくれたのだから、礼を述べずには済まされない」
「大げさだってば! あんたにそんなしおらしいことを言われたら、どう返事をしたらいいかわかんなくなっちゃうよ!」
「べつだん返事は求めていない。……まあ、これでアスタに不当な暴力をふるったことを水に流してやらなくもない、ということだ」
「……いちいち古い話をほじくりかえすんだなあ。そんなのこっちはとっくに忘れてたのに」
ディアルは苦笑しながら短い髪をかき回した。
「まあいいや。これで貸し借りなしってことにしてくれるんなら、素直にありがたいって思うことにしておくよ」
「うむ」とうなずいてからアイ=ファは身を引いた。
俺はほっと息をつきつつ、足もとの木筒を取り上げる。
「それじゃあ、くじをどうぞ。献立を悩むのはこれを引いてからでいいだろう?」
「そうだね」とディアルは無造作に木の棒を引っこ抜く。
その先端には、しっかりと赤い印が印されていた。
「あれ……当たっちゃった」
「おめでとう。なかなかの的中率だね、ディアルは」
トゥール=ディンの差し出してくれた木箱から、俺は『ギバ・カツサンド』を取り上げる。
「はい、お代は赤銅貨3枚です」
「えへへ」と笑いながら、ディアルは商品を受け取った。
そしてラービスが無表情に白銅貨を差し出してくる。
この御仁は、いまだにギバの料理を食していないのである。
「あれ? あの女の子は、新顔だね?」
と、ディアルが隣の屋台に視線を移しながら言った。
そこで働いていたのは、ユン=スドラとリィ=スドラだ。
まだ中天には間があったが、彼らは家での仕事を終えるなり駆けつけてくれたのである。
「そう、新しく働くことになったからその手ほどきを受けている最中なんだ。どうぞよろしくね」
「ふーん、可愛らしい女の子だね」
「うん?」
「つくづく森辺の女衆って美人ばっかりだよねー。まあアスタがそういう人間ばっかりを選んでるのかもしれないけど」
「そ、そんなことはないよ。たまたま若い娘さんが選ばれてるだけさ」
「へーえ」とつぶやきつつ、何やらディアルはじとっとした目つきになっている。
幸いなことに、俺はもっと重要な話をこの少女に対して準備していた。
「そういえばさ、ディアルにひとつ聞きたいことがあったんだけど」
「ん? 何だい?」
「あのね、これぐらいの大きさでこんな風な形をした鉄具って、何か在庫があったりしないかなあ?」
「え? え? よくわかんなかった。どんな形だって?」
「えっとね、こんな風に筒になってて、先端がこれぐらいの細さですぼまっていると理想的なんだけど」
「ああ、それってもしかしたら、漏斗のこと?」
「ろうと! そう、その漏斗だよ! ちょっと新しい料理に挑戦するのに必要になっちゃってさ」
俺は昨日、ネイルに東の民のお客さんを紹介してもらい、その人物から腸詰め肉の作製方法を学んでいたのである。
ミケルがわきまえているのは燻製作りの技術のみであるので、腸詰め肉に関してはこちらで情報を収集しておかなければならないのだ。
「漏斗かあ。さすがにそんなのは在庫にもなかったと思うなあ。漏斗なんて、そうそう買い換えることもないだろうからね」
『ギバ・カツサンド』をぱくつきながら、ディアルはそう言った。
「漏斗って、お酒やタウ油なんかを樽から土瓶に移すときに使うアレでしょ? それぐらいだったら、宿場町でも手に入るんじゃない?」
「うーん、そうなのかな。とりあえず、鉄具屋を見て回った感じでは見当たらなかったんだよね」
「だったら、僕が城下町の店を見てきてあげようか?」
「あ、それならツテがあるからそっちに頼むことにするよ。ディアルだって、毎日仕事で忙しいんだろう?」
そのように答えたとき、何とそのツテの大ボスが北の果てからしずしずと近づいてくるのが見えた。
トトスに引かれた、箱型の車である。
俺の視線を目で追って、ディアルは「んー?」と首を傾げる。
「何あれ? 貴族の紋章が掲げてあるみたいだけど」
「たぶんダレイム伯爵家のご子息だね。城下町での晩餐会以来、頻繁に店を訪れてくれているんだよ」
車は宿場町の入口で停まり、そこから2名の武官と丸っこい貴族が下りてくる。
案の定、それはダレイム伯爵家の第二子息、ポルアースであった。
「やあやあ、本日も料理を買わせていただくよ、アスタ殿」
「毎度ありがとうございます。くじはどうされますか?」
「もちろん引くよ! もう半月ばかりは当たりを引いていないのだからねえ」
たいていは侍女やら小姓やらをよこして商品を買ってくれているポルアースであったが、ヤンの店やダレイムの領地に用事があるときなどは、こうして道すがらに自らが訪れてくれていたのだった。
彼のこうした行動が、我が店にとってはいっそうの評判を呼びこむことになったのだろう。貴族がわざわざ宿場町にまで料理を買いに来るというのは、本来ありえないぐらいの椿事であるのだ。
ちなみに、同じぐらいの頻度で屋台を訪れてくれていたサトゥラス伯爵家のリーハイムのほうは、最近めっきり姿を見ない。ギバ肉の買い付けをジェノス侯爵にやんわりたしなめられたのと、あとは――ひょっとしたら、レイナ=ルウに高価な銀の飾り物を贈ろうとして、それをはっきり固辞されたのが原因なのかもしれなかった。
若き料理人ロイやバナームの貴族ウェルハイドばかりでなく、彼もまたレイナ=ルウに心を奪われてしまったのである。
ディアルが言う通り美人の多い森辺の女衆の中でも、レイナ=ルウはとりわけ西の民を魅了する力を有しているらしい。
「ああ、外れだ! どうして僕はこうも運がついていないのだろう!」
俺がそんなことを考えている間に、ポルアースががっくりと肩を落としていた。
貴族の特権で『ギバ・カツサンド』を特別に準備させる――などという考えは最初から頭にないようである。
「僕はねえ、ぎばかつさんどという料理が一番好みに合っているのだよ。もちろん他の料理にだって文句はないのだけれど、あの味はまた格別だからねえ」
そのように言ってから、ポルアースは屋台の脇に引っ込んでいたディアルの手もとに切なげな視線をくれた。
その目が、きょとんと丸くなる。
「あれ? もしかして君は迎賓館に逗留していたゼランドの御方ではなかったかな?」
ディアルは口の中のものをあわてて呑み下し、空いていたほうの手を腹に置くような仕草とともに一礼した。
「はい。僕――いえ、ワタシはゼランドの鉄具屋グランナルの一子、ディアルと申します」
「ああ、いいよいいよ、城中でもないのにそんな挨拶は。僕はダレイム伯爵家の第二子息でポルアースという者だよ。……ええと、最近は迎賓館から普通の宿屋に居を移したのだっけ?」
「はい。そちらで鉄具屋としての商売を続けさせていただいています」
「そうかそうか。君たちはたいそう立派な商品を扱っているようだね。見本の刀を検分した近衛兵団の団長殿も、これならば何の文句もないと言っておられたようだよ」
「……それは望外の喜びでございます」
やはりディアルは俺などよりもよほどしっかりと貴族に対する礼をわきまえているようだった。
ただ、片方の手には食べかけの料理を持ったままであったので、そこだけが可愛らしい。
そちらに鷹揚にうなずき返してから、ポルアースはぐりんと俺のほうに向きなおる。
「ところでね、アスタ殿。今日はまたジェノス侯からお言葉を預かってきたのだけれども」
「え? いったいどういったご用件でしょう?」
まさか、わずかひと月半でさらなる肉の値上げを申しつけられるとは思えなかったが、いくぶんかの警戒心はそそられてしまった。
ポルアースは、相変わらずの無邪気さで微笑んでいる。
「いや、実はね、来月にまたバナームからのお客人がやってくることになったのだよ。ただし今度はただのお客人ではなく、使節団の一行だ」
「使節団? それは……サイクレウスに妨害された国交を10年ぶりに結びなおすということでしょうか?」
「同じセルヴァの民なのだから国交という言葉は不相応だが、まあそういうことだね。おたがいの町で作ったフワノや果実酒で交易することはできないか、あらためてそれを論じ合うことになったのだよ」
ふくよかな頬を震わせながら、ポルアースはいっそう楽しそうに微笑する。
「で、その使節団はウェルハイド殿が父君の遺志を継いで率いることになったらしいのだけどね。そのウェルハイド殿が、またアスタ殿の料理をご所望されているそうなのだよ」
「ええ? 俺の料理をですか?」
「うん。是非にということらしい。察するに、ウェルハイド殿はギバの料理がいかに美味であったかということを、故郷の皆様がたに信じていただくことがかなわなかったのじゃないかな。ならば実際に食べてみよ! という心境なのだろうと思うねえ」
ウェルハイドの端正で生真面目そうな顔を思い出しながら、俺はそっと溜息をつかせていただいた。
「自分のような人間にそのような大役が果たせるか、はなはだ心もとないところではあるのですが……とりあえず、森辺の族長らにおうかがいをたてさせていただきます」
「うん! よろしくね! ……まあ前回も同じ話をしたけれども、そこまでギバ料理にこだわる必要はないからさ。ウェルハイド殿のために肉料理でしっかりギバ肉の美味しさを示してもらえれば、あとはどんな料理でもかまわないと思うよ?」
そうは言われても、カロンやキミュスの扱いにはそれほど長けていない俺なのである。ギバの代わりにそれらを使っても、ギバの料理以上に上等なものをこしらえられる自信はなかった。
ただ、現在の研究が進めばフワノおよびポイタン料理でちょっと面白い料理をお届けできるかもな、とこっそり考える。
「だからさ、今回はトゥラン伯爵邸にあふれかえっている食材を思うぞんぶん使ってみたらいいんじゃないのかな? たしかアスタ殿は、小さなほうの厨にしか足を踏み入れたことがないのだよね?」
「ええ、そうですね。それでも食材の質量には何の不満もありませんでしたが」
「いやいや、大きなほうの厨の食料庫は、それとは規模が違うのだよ! トゥランの前当主が己の半生をかけてかき集めた食材の宝庫だからね! 僕もこのあいだ初めてそれを拝見させていただいたのだけれども、それはもう圧巻の一言だったよ!」
あれはサイクレウスにとって宝物庫そのものだ――というミケルの言葉を思い出す。
「どうだろう? よかったら事前に一度その食料庫を確認してもらえないかな? 使えそうな食材があったら森辺に持ち帰って、新しい料理を考案してみるとか。……ああ、想像しただけで胸が高鳴ってくるじゃないか!」
「はあ……では、それも含めて族長に相談してみます」
「うん! こちらもジェノス侯に話を通しておくね! ……あ、あとね、もちろんアスタ殿おひとりにすべてをまかせるのは忍びないから、こちらでもとっておきの料理人を準備するそうだよ」
「とっておきの料理人?」
「うん。かつてはトゥラン伯爵邸の料理長にして、現在は自身の店を城下町に開くことになった、稀代の料理人ヴァルカス殿だ。彼はねえ、かつてジェノスの三大料理人の一に数えられた人物でもあるのだよ」
「ジェノスの三大料理人ですか……」
それはまたご大層な二つ名だなあと俺はぼんやり思ったが、それに続いたポルアースの言葉でちょっと息を呑むことになった。
「そうしてヴァルカス殿がトゥラン伯爵邸の料理長に、もうひとりがジェノス城の料理長に収まったのちは、料理人の双璧などと称されていた。最後のひとりはサイクレウスの不興を買って、料理人としての未来を断たれてしまったそうだけどね」
「…………」
「うん? どうかしたかな?」
「それはもしかして……ミケルという方のことではないんですか?」
「ああ、そんなような名前だったね。今でもジェノスの領内で暮らしているらしいけど、詳細はわからないんだ」
「……そのヴァルカスという方は、ミケルにも匹敵する腕前と評されていたのですか?」
「うん。評判だったら、ヴァルカス殿のほうが上じゃないかなあ? 何せ彼はあれだけの食材を見事に使いこなしているわけだからね! 当時のサイクレウスは、その腕を見込んで莫大な褒賞を彼に与えていたらしいよ?」
何か熱いものが胸にせりあがってきた。
もちろん、そのヴァルカスという人物に罪はない。その人物とて、サイクレウスからの願い出を退けていたら、ミケルと同じ末路を辿っていたのかもしれないのだから。
しかし、同じ時期に評判を呼んでいた料理人たちが今でも名声を欲しいままにしている中、ミケルだけが城下町の外でひたすら炭を焼いているというこの状況には、やはり何とも言い難い感情を覚えることになった。
「では、族長らにも、どうぞよしなにね! その晩餐会には僕だって何としてでも参加させていただくから! よい返事を期待しているよ、アスタ殿?」
◇
そうして俺たちはルウの集落に帰還した。
そこで待ち受けていたのは、レム=ドムである。
「ああ、アイ=ファ……ご到着をお待ちしていたわ」
アイ=ファは後ずさり、俺の身体を盾に取った。
朝方はアイ=ファも荷車から出ようとしなかったので、再会したのはこれが昨日以来である。
「……息災そうだな、レム=ドムよ」
「ええ。だけど昨晩は地面に叩きつけられた背中がうずいてうずいて……まるでアイ=ファに一晩中抱きすくめられていたような心地だったわ」
「気色の悪いことを抜かすな、うつけ者め」
そんな俺たちをいぶかしそうに眺めながら、他の女衆らは荷下ろしを始めている。
ただひとり事情をしっかりとわきまえているユン=スドラは、たいそう心配そうなお顔をしてくれていた。
「ところで、どうしてそのように家人の陰に隠れてしまっているのかしら? わたしはその美しい姿を目に映せる瞬間を心待ちにしていたのだけど……」
「そういう気色悪いことを抜かすから隠れたくなるのだ」
「ひどいことを言うのね……でも、そうしてわたしに言葉を向けてくれるだけでも幸福な心地だわ……」
と、奇妙に色気の増してきた横目でアイ=ファを見つめる。
アイ=ファにぎゅうぎゅうと肩の肉をつかまれて、俺のほうこそどうしていいかもわからなかった。
「それで……あの……とても言いにくいことなのだけれど……」
「ならば、言わずに済ませるがいい」
「でも、言うわ……実はこれから半月の間、ルウだけではなくファの家でもお世話になりたいの」
「……何を言っているのかわからん」
「1日置きに、ファの家に住まわせてほしいのよ。ルウの家長ドンダ=ルウには承諾をもらうことができたわ」
俺は呆気に取られてしまった。
きっとアイ=ファもそれはご同様だっただろう。
「な……何を言っているのだ、お前は? ドンダ=ルウがそのようなことを承諾するとは思えん。そもそもお前は、狩人になりたいなどというふざけた話をドンダ=ルウに打ち明けたのか?」
「もちろんよ。森辺の族長に心情を隠したまま、そのようなことを願い出るわけにはいかないわ。これでドムの家長にも、わたしの気持ちが知れてしまうことになるわね」
その瞬間、レム=ドムの瞳に強い光が蘇った。
「でも、いいの。家長のディックだってそのことには薄々気づいていただろうし、もともと15になったら打ち明けるつもりでもいたし。……その上で、わたしは狩人として生きていくことができるかどうか、自分の力をすべてぶつけるつもりでいたのよ」
「……お前は私の伝えた言葉もしかと吟味したのか?」
アイ=ファの声にも、強いものが宿る。
レム=ドムは「もちろん」とうなずいた。
「あなたに言われるまでもなく、女衆が狩人として生きていきたいなどと願い出れば、周囲の人間には疎まれるに決まっている。それでもわたしは、自分の気持ちを捨てることができないの。……あなただってそうだったのじゃないの、アイ=ファ?」
「…………」
「わたしはそれでも自分の気持ちをつらぬき通したあなたを誰よりも尊敬している。そんなあなたから、女狩人としての志を学びたいの。もちろんわたしを森に連れていけなどと言うつもりはないわ。今のわたしにそんな資格がないことは、昨日この身に叩きこまれたのだから」
「…………」
「あなたの仕事の邪魔はしないわ。あなたの家で、あなたの帰りを待つ。そうしてあなたの存在を間近に感じたいの。かまど番としての仕事もしっかりつとめてみせる。だから……わたしをあなたのそばに置いてはくれないかしら、アイ=ファ?」
「……半月の間、1日置きに、だな?」
「ええ。その後、ルティムと北の集落で女衆を取り替えることがかなったら、もう何日かはのびることになるかもしれないけれど」
アイ=ファが思い悩んでいる気配が背後からひしひしと伝わってくる。
昨日は頭ごなしに否定していたが、それでも自分の気持ちを捨てようとしなかったレム=ドムに対して、アイ=ファはどのような思いを抱いているのだろう。
女衆でありながら狩人を志したいという、アイ=ファの他には存在しえなかった領域に、初めてこのレム=ドムという少女は名乗りをあげてきたのだ。
それが生半可な思いでなかったのなら、アイ=ファにだって看過はできないはずだった。
「……アスタは、どのように思う?」
「俺はもちろん、家長に従うよ」
よその女衆との同居生活なんて気詰まりな面は多々あろうが、それでも半月ていどならどうということはない。
重んじるべきは、アイ=ファの心情であるはずだった。
しばしの沈黙が、その場に落ちる。
やがてアイ=ファは、低い声で言った。
「それならば……ファの家の家長として、レム=ドムの逗留を許そう」
「本当に!?」
視界が半ひねりで回転した。
俺のか細い身体はレム=ドムの逞しい腕に突き飛ばされ、あっけなく地面に倒れこむことになったのだった。
「ありがとう! この身のすべての力を振り絞ってあなたに尽くすわ、アイ=ファ!」
「やめんか馬鹿者が! お前はいったい何なのだ!」
本日は正面からまともに身体を抱きすくめられ、アイ=ファは必死にあがいていた。
が、やはり筋力自体はレム=ドムのほうがまさっているようで、なかなか振りほどくことができない。
「さきほどの言葉は撤回する! お前のようなうつけ者に逗留を許すことはできん!」
「あらあ、森辺の民が自分の言葉をくつがえすの? 虚言は罪なのよ、アイ=ファ……?」
レム=ドムは幸福そうに微笑みながら、アイ=ファの髪に頬ずりをしていた。
そうして笑うと、屈強なるレム=ドムも年齢相応に幼く見えたのだった。
◇
その後は再び『ギバ・カレー』の研究にいそしみ、ファの家ではフワノとポイタンの配合、およびフォウの家から届けられた目玉や脳の調理などに取り組み、俺たちは夜を迎えることになった。
目玉や脳料理の試作品はフォウやランの人々とたいらげたので、ファの家の本日の晩餐は『ギバの角煮』に『タウ油仕立てのギバ・スープ』という《南の大樹亭》に卸している品目と相成った。
レム=ドムが1日置きに逗留するとなれば、朝方にはこれらの料理の作製を手伝ってもらうことになる。それゆえのチョイスであった。
これに焼きポイタンとちょっとしたサラダも添えさせていただき、栄養バランスも完璧だ。
「アスタ、わたしは言葉を偽ることができないので、率直な意見を述べさせてもらうけれど」
それらの食事を進めながら、レム=ドムが言う。
「あなたの料理は、どれも驚くべきものだと思うわ。これまでの食事とは比べることさえ愚かしいようなものだとも思う」
「うん」
「だけど、何ていうか……すべてが同じぐらい美味だとは思えないのよね。この甘くてやわらかい肉よりも、わたしは昼にルウの集落で味見をした辛い料理のほうが美味であると思えるわ」
「へえ。『ギバ・カレー』はまだまだ試作品の段階なんだけど、あっちのほうがお好みなのかい?」
それはなかなか興味深い意見だった。
「参考までに、トゥール=ディンが祝宴で作った料理ではどれが君のお好みだったんだろう?」
「そうね……あの夜の料理では、内臓を使った汁物と……それに、ミャームーと一緒に焼いた肉が美味だと思えたわ」
「タラパのモツ鍋と、ミャームーソースのステーキか。ってことは、香辛料のきいた料理がお好みなのかな。……いやだけど、昨日はカロン乳のスープもお気に召したみたいだったよね?」
「ええ。わたしはそういう、力の感じられる料理が好みなのかもしれないわね」
偏食家なのか味覚が鋭敏なのか。これだけの例ではまだ判別もつかないが、調理の手際もなかなか悪くはないようだったし、意外にかまど番としての資質は恵まれていそうなレム=ドムであった。
それに、こういった率直な物言いはララ=ルウにも通ずる部分があり、俺は嫌いではない。
ただし、我が家長殿はずっと仏頂面で言葉もなく食事を進めていた。
「……アイ=ファには、苦手な料理や好みの料理などは存在するのかしら?」
レム=ドムに流し目を向けられると、とたんに眉を吊り上げる。
「私が何を好もうとお前には関係あるまい」
「意地悪ねえ……でも、家長としての威厳にあふれていて素敵だわ」
「…………」
「ねえ、アイ=ファ。ルウの男衆たちに聞いたのだけれど、あなたはルウでの力比べで8人の勇者に選ばれたのですって? しかもあのルティムの家長と互角の力を見せたというじゃない?」
「互角ではない。私はダン=ルティムに敗北した」
「だけどあなたは左腕の怪我が治りきっていなかったのでしょう? それであのルティムの家長と互角に近い力を示せただなんて……それは、とてつもないことじゃない?」
ヴィナ=ルウばりに色っぽいレム=ドムの目に、また力強い光が灯る。
「わたしはね、森辺で最強の狩人はうちの家長かグラフ=ザザのどちらかと思っていたの。でも、ルウやルティムの家長というのは、それにも負けない力を備えているように感じられたのよね。……ということは、アイ=ファだってその4人にも並びうる狩人だってことになってしまうのだわ」
「お前はそこまで余人の力を正しくはかることが可能なのか、レム=ドムよ?」
「そこまではっきりとはわからないけどね。アイ=ファの力量はすっかり見誤っていたし。……でも、家長のディックやグラフ=ザザと同じ力量を持つのはルウとルティムの家長だけだと思う。ルウの集落でも、それ以上の力を感じる男衆は見かけなかったわ」
そういえば、アイ=ファやルド=ルウは常に自分の父親という強大な存在を身近に見ていたおかげで、余人の力量をはかる目を養うことができた、というような話を聞いたことがある。
それも、ジザ=ルウやダルム=ルウのように体格には恵まれなかったために、よけい自分の非力さを痛感させられたゆえなのだろう、とも。
ということは――もしかしたら、勇猛なるドム家の集落に生まれ落ちたレム=ドムもまた、それと同じような環境で育ち、同じような心情を抱いていた、ということになるのだろうか。
木皿のスープをすすっていたアイ=ファは、ちらりとうるさそうにレム=ドムを見る。
「力比べは、あくまで試し合いだ。狩人にとって大事なのは、人間でなくギバを討ち倒す力であろう」
「だけどあなたは、たったひとりで驚くほどの数のギバを仕留めているのでしょう? あなたのような女狩人と同じ時代に生きることできてわたしは幸福だわ、アイ=ファ」
「わたしはいまだ17歳の若輩者だ。ドンダ=ルウたちのように長きに渡ってその力を示してきた狩人こそを、お前は指針にするべきであろう」
不機嫌そうな声で言い、アイ=ファは木皿を置く。
「それに、ルウの集落にはマサラのバルシャもいる。お前はあのバルシャと縁は結べたのか、レム=ドムよ?」
「バルシャというのは、あの異国人のことね? ええ、少しぐらいの言葉は交わしているけれど……でも、ギバ狩りの仕事を果たしているのは息子のほうだけよね?」
「しかしバルシャも故郷ではギバに劣らぬ凶暴な獣を狩っていたと聞く。バルシャもまた、お前に正しき道を示してくれる存在であるはずだ」
「ふうん……?」
あんまりピンときていない様子でレム=ドムは首を傾げる。
「わかったわ。アイ=ファがそのように言うのなら、機会を見つけてもっと言葉を交わしてみましょう。……だけど今日は、アイ=ファの存在を感じているだけで胸がいっぱいだわ」
「……そういうたわけたことを抜かすなと何べん言わせるつもりだ」
「ああ、その鋭い目つき……背中がぞくぞくしちゃうのよねえ」
レム=ドムが、すがるようにアイ=ファを見つめる。
アイ=ファはやけくそのように焼きポイタンを噛みちぎった。
「そういえばさ、ポルアースの言っていた晩餐会についてなんだけど」
ここらで話題を転換したほうが平和かな、と俺は口をさしはさむ。
「正式な決定は族長たちの返事を待つとして――アイ=ファは、どう思う?」
「気は進まぬが、断るべき理由も見当たらない。以前の晩餐会と同じように、幾名かの狩人が護衛につけば問題はなかろう」
「そうか。それならいいんだけど」
「何だ、お前も気が進まぬのか? ならばその心情は族長らに伝えるべきであろうが?」
「いや、気が進まないわけじゃないんだ。……ただ、必要以上に気持ちが昂っちゃってさ」
「気持ちが? 何故だ?」
「それはもちろん、ミケルと同等以上の評判であった料理人と同じ日にかまどを預かるなんて、平静ではいられないよ」
「ふむ……?」とアイ=ファは眉をひそめる。
「しかし、城下町の料理人は作法が異なる。たしかミケルはそのように言っていたし、それに、あのティマロとかいう料理人も何やら珍妙な料理ばかりを作っていたようではないか?」
「どうだろうな。ミケルは城下町の料理人の『ほとんど』が食材を使いこなせていないと言っていたんだ。それなら、そのヴァルカスとかいう料理人は、ミケルでも認める立派な料理人かもしれないじゃないか?」
「仮定の話では何とも言えんな。それに私は、城下町の料理人などどうでもよい。……お前が奮起するなら、それは私にとっての喜びだ」
「そっか。それなら思うぞんぶん奮起させていただくよ」
俺が笑うと、アイ=ファもかすかに口もとをほころばせた。
とたんにレム=ドムが「ああ……」と声をあげる。
「ねえ、アイ=ファ……ほんの時々でいいから、そんな優しげな表情をわたしにも向けてはもらえないものかしら……?」
「やかましい」とアイ=ファはせっかくの微笑みを引っ込めてしまう。
困ったもんだなあと、俺は苦笑した。
「だけど、それよりもまずはダン=ルティムのお祝いだよな。腕によりをかけるから、まずはそっちに期待してくれ」
「うむ」とアイ=ファは不機嫌そうにうなずく。
そうしてレム=ドムを迎えた初めての夜は、しんしんと更けていったのだった。