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異世界料理道  作者: EDA
第十五章 巡りゆく日々
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森辺への客人②~マイムの手腕~

2015.11/21 更新分 1/1 2016.6/7 誤字を修正

「肉はどの部位にしようね? 調理の前に味を確かめてもらえるかな?」


 俺はあらかじめ切り分けておいた木皿の肉をマイムに差し出してみせた。

 ロースとバラ肉とモモ肉が、それぞれ一口分ずつ載せられている。


「そうですね。焼いて食べれば、あるていどの味は把握できると思います」


「あ、それじゃあ俺の手持ち鍋を貸してあげるよ」


 屋内のかまどはすべて使用中であったため、俺とマイムとミケル、それにミーア・レイ母さんの4名で外に出た。

 そして、荷車に積んでおいた俺の調理器具を引っ張り出す。


 この世界では手持ち鍋、片手鍋などと呼ばれている、それはいわゆるフライパンであった。

 もちろん平鍋とともにディアルから購入した調理器具である。


「ありがとうございます。それでは焼かせていただきますね」


 ミーア・レイ母さんの手で火の入れられた屋外のかまどによって、3枚の肉が焼かれていく。どの肉にも脂がたっぷりのっているので、焦げつく心配は不要であった。


 で、その間に回り込んできたヴィナ=ルウたち3名が、今度は壁の陰からじっとこちらをうかがっている。


「何なんだい、あんたたちは? 自分らの仕事は片付いたんだろうねえ?」


 呆れたようにミーア・レイ母さんが言うと、「当たり前じゃん」とララ=ルウが応じた。


「毛皮のなめしもピコの葉の乾かしも終わったよ。ヴィナ姉と一緒に大急ぎでやっつけたんだー」


「だったら堂々と見物すりゃあいいじゃないか。そんなにこそこそしてたら、よけいお客人に気を使わせちまうよ」


 そんなわけで、ギャラリーが3名ほど追加されることになった。

 しかし、すでにマイムはギバ肉に集中しており、そちらを振り返ろうともしない。


「ギバ肉はキミュスと同じように、赤みが残らないようにしっかりと焼きあげてね?」


「はい」


 俺が貸した木べらで肉をひっくり返す。

 裏面には、ほどよく焼き色がついていた。


「こんなに小さな肉なのに、ものすごい脂の量ですね」


「うん。これだけでも皮なしのキミュスやカロンの足肉よりもたいそうな食材ってことがわかるだろう?」


 マイムはうなずき、片手鍋をかまどから離した。

 あとは余熱で焼きあげるつもりらしい。


「焼けたら、こちらの新しい木皿に移しなよ」


「ありがとうございます」


 十秒ほど待ってから、マイムは手早く鍋の肉を木皿に移した。

 なかなか絶妙な焼き加減である。


「それでは、味見をさせていただきます」


 真剣な面持ちで、マイムはまずロースを口に運んだ。

 一口ていどの大きさであるのに、半分だけ噛みちぎって残りは皿に戻す。


 言葉はない。

 そのままバラ肉とモモ肉も、半分だけ口に入れる。


「これは――本当に質のよい肉ですね。それに、保存には塩ではなくピコの葉を使っているのですか?」


「うん。森辺ではピコの葉がいくらでも採れるから、塩漬けにする必要がないんだよね」


「そうですか」


 最後に食べたモモ肉を丹念に咀嚼しながら、マイムは木皿をミケルのほうに差し出した。

 木像のように静かであったミケルが、いぶかしそうに娘をにらむ。


「何だ? 俺が味見をする必要などなかろうが?」


「うん。だけど父さんだってギバの肉には興味があるでしょう?」


 ミケルは無言で木皿を受け取った。

 そうして父親が念入りに味見をしている間に、マイムが俺を見る。


「美味でした。それに、本当に部位によって固さや味が変化するのですね」


「うん。脂の入り方の違いが食感や味に大きな影響を与えているんだろうね。脂が端に寄っているモモ肉は赤身がしっかり詰まっているので肉質が固めで、赤身と脂が層になっている胸肉は、逆に一番やわらかい。で、背中の肉は適度に脂が散っているので、噛み応えはあるのに固すぎはしないって感じかな」


「はい。焼いただけでこんなに美味であるというのは、本当に驚きです」


 そのように言いながら、マイムはふっと小首を傾げた。


「そういえば、アスタは父さんから炭を買っているのですよね? この肉ならば、塩をふって炭火で炙るだけで文句なしの味になるとも思えるのですが」


「うん。俺も家では炭火焼きにすることが多いよ。でも、屋台の料理ではひっきりなしにお客さんが来るから、鉄板で一気に焼きあげないと間に合わなくなっちゃうんだよ」


「なるほど」と下顎に手を添えて考えこむ。


「下手に手を加えたら、ただ焼いただけの肉よりも味が落ちてしまいそうです。これはなかなかの難題でありますね」


「やっぱりカロンやキミュスの肉を準備しておくべきだったかな?」


「いえ。このように美味なる肉を調理することができるなんて、とても誇らしいことです」


 とても10歳児とは思えぬ力強さでマイムは微笑んだ。


「決めました。わたしの料理には、ギバの足肉を使わせていただこうと思います」


「了解。野菜や調味料はどうする?」


「調味料は、塩だけでけっこうです。わたしはタウ油や砂糖を使ったこともありませんので。……野菜は、アリアとチャッチとネェノンとポイタンを少しずつ分けていただけますか?」


「あいよ。それじゃあこっちの食料庫から選んでおくれ」


 ミーア・レイ母さんの先導で、かまどの間の隣の食料庫へと向かう。

 そこに足を踏み入れるなり、マイムは「うわあ」と瞳を輝かせた。


「すごい! 野菜がいっぱいですね! こんなに立派な食料庫は初めて拝見しました!」


「ふうん? まさか町の人間に食料庫をほめられるとは思ってもみなかったねえ」


「うちは父さんとふたり暮らしですし、そもそもトゥランの住人はみんな貧しいですから、こんなにたくさんの野菜を買い集める機会はまずありません。ルウの家というのはとても家族が多いのですね?」


「ああ、うちは赤ん坊を合わせて13人家族だよ。1日置きにふたりばかり居候を招いてもいるしね」


 ジーダとバルシャの晩餐は、本家とシン=ルウの家で順番に面倒を見ているらしい。


「すごいです! 何だか夢みたいだなあ」


 喜々としてマイムは食料庫の野菜を吟味し始める。

 その小さな背中を眺めていると、後ろから「何だか初めてアスタがルウの家に来たときみたいだねー」という声が聞こえた。

 振り返ると、リミ=ルウが姉たちの間に立っている。


「どうしたんだい? 何か野菜でも必要になったのかな?」


「ううん。こっちのほうが楽しそうだから覗きに来たの。向こうではもうやることもあんまりないし」


 そうこうしている内に、マイムが必要な野菜を平籠に載せて戻ってきた。

 宣言通り、アリアとチャッチとネェノンとポイタンが1個ずつ載せられている。


「それっぽっちでいいのかい? どうせ代価はアスタが払ってくれるんだから、好きにお使いよ」


「いえ。使いなれない野菜を使っては味が壊れてしまいますし」


 そのように言いながら、マイムはちょっと未練がましそうに棚のほうをちらちら見ている。

 その姿を見て、リミ=ルウは「やっぱり昔のアスタみたい!」と言った。


 確かにその通りなのだろうと思う。

「トゥランの人間はずいぶんつつましい生活をしているようであった」と、かつてアイ=ファは言っていた。何でもアイ=ファは俺がリフレイアにさらわれた際、アマ・ミン=ルティムとともにトゥランでの捜索作業を担っていたそうなのである。


 そしてマイムは、タウ油や砂糖を使ったことがないと述べていた。

 いかに料理人の娘であっても、家が貧しければ調味料や高額な野菜を買うことはできない。マイムはきっと、ルティムの祝宴を受け持った頃の俺と同じぐらいの知識しか有していないのだろう。


(それでもきっと、あの頃の俺よりは上等な料理をこしらえることができるんだろうな)


 過度な期待はすまいと思いつつ、そのように考えずにはいられなかった。

 知らず内、また胸の中が熱くなってきてしまう。


 とにかくそれで、俺たちはかまどの間に戻ることになった。

『ロールティノ』の火の番や、それ以外の晩餐の支度に取りかかっていたレイナ=ルウたちが、いっせいに俺たちを振り返る。


「トゥール=ディン、火の番をありがとう。さ、マイム、君の手際を拝見させていただこうかな」


「はい、頑張ります!」


 運んできた食材を台の上に置き、マイムは革の鞄に手をかけた。

 金属の掛けがねが開放され、ついにその中身が俺たちの前にさらされる。


 鞄の内側には、やわらかそうな布が分厚く張られていた。

 そして、3種類の調理刀と、計量用の匙や杯、それに撹拌用のホイッパーみたいな器具や木べらやレードルまでもがその中には収納されている。

 これが城下町の料理人であったミケルから引き継がれた調理器具の一式であるのだ。


「あ、マイムもシムの刀を使っているんだね」


 調理刀の柄に見慣れた渦巻き模様を見出してそのように呼びかけると、「はい!」という元気な返事が返ってきた。


「わたしなどには過ぎた道具ばかりです。家にはもうひとそろいジャガルの刀もありますが、今日はとっておきのこちらを持ってきました」


「ふうん。この一番細い刀は何を切るためのものなのかな?」


「こちらは魚を切るための刀と聞いています。もちろんジェノスの付近には毒のある魚しかいないので、わたしは使ったこともありませんが」


 ポルアースから野鳥の取り扱いを聞いた際、その旨は俺も知らされていた。だから宿場町には、魚介の食材がほぼ置かれていないそうなのである。


 しかしそんなジェノスでも、城下町では魚をさばく機会があるのだろうか。

 ちらりとミケルのほうをうかがったが、その答えが得られることはなかった。


「それであの……非常に申し訳ないのですが、最初の肉の切り分けはアスタにお願いしてもよろしいでしょうか? 初めて扱う肉にわたしなどが刀を入れてしまったら、それだけで味が落ちてしまうでしょうし」


「了解だよ。使う部位はモモ肉だったよね。どういう形で準備しようか?」


「ではさきほどの下準備のときと同じように、できるだけ厚みのある四角い形でお願いいたします。量は、アスタがお望みになる量を」


 かまどの間には俺を含めて10名のかまど番がいたし、すみっこにはさらに3名の観客が増えている。それにマイムとミケルを加えれば、総勢15名だ。

 俺は2キロ弱の見当で、ギバのモモ肉を四角くブロック状に切り分けた。


「ありがとうございます。あと、果実酒を1本と岩塩を少々いただけますか?」


 これは別の台に残っていたものを、リミ=ルウが「はい」と差し出した。

「ありがとう」とマイムは微笑む。


 マイムはまずブロック状の肉をそのまま棒で叩き、それから砕いた岩塩を擦り込み始めた。

 そうして肉に下味をつけてから、ポイタン以外の野菜を刻んでいく。

 切り方は、すべてがスライスだ。


「かまどはこちらをお使いください。わたしたちは、またのちほど温めなおしますので」


 シーラ=ルウとレイナ=ルウが、かまどに載っていた鍋をひとつ下ろす。

 マイムはまた「ありがとうございます」と頭を下げてから新しい鉄鍋を所望した。


 大きな鉄鍋にブロック肉を投じ、強火で丁寧に表面を焼いていく。

 モモ肉の脂がぱちぱちと景気のいい音を奏でた。

 くまなく焼き色がついたら、今度は野菜だ。

 アリアは丸々1個分、チャッチは3分の2ていど、ネェノンは4分の3ていどであった。


 それにあらかた火が通ったら、最後に果実酒である。

 これは豪快に、分厚い肉が3分の2ぐらい浸かるまで注がれた。


 そうして木の板で蓋をして、かまどの薪を半分ほど掻き出してしまう。

 弱火でじっくり煮込もうという目論見なのだろう。


「……特に変わった調理法ではありませんね」


 と、レイナ=ルウが横から囁きかけてくる。

「うん」とうなずくと、今度は逆側からシーラ=ルウが顔を寄せてきた。


「でも、何だか手順はアスタに似ているように思えます。宿屋の主人たちの手際を拝見したときは、そのように感じなかったのですが」


 確かにマイムの手際にはケレン味がなく、なおかつ俺の知る調理法とも通ずる部分が多かった。


 肉の表面を焼いたのは肉汁を逃さぬためであろうし、弱火で煮込むのは肉をやわらかくするためであだろう。

 塩を擦り込んで下味をつけるのも、肉を叩いて結合組織を壊しておくのも、俺と同一のやり口である。

 違いといえば、野菜の切り方ぐらいであろうか。


 マイムはかまどの前に屈み込み、火の具合いを一心に見つめている。

 とても真剣な面持ちである。

 ときおり薪を補充するだけで、マイムはなかなか鍋の中身を確認しようとはしなかった。

 大きな動きはないと見て、レイナ=ルウたちも晩餐の準備を再開し始める。


 そのまま20分ほどが経過して、そろそろこちらの『ロールティノ』は完成かなという頃合いで、ようやくマイムは身を起こした。

 木の板を外し、持参した木匙で煮汁をすくう。

 その味を確認してから、マイムはミーア・レイ母さんを振り返った。


「申し訳ありません。もう一度外のかまどを貸していただけますか?」


「ああ、かまわないよ」


 いったい何をするのかと思いきや、マイムは俺のフライパンでチャッチとネェノンをひとつまみずつ炒め始めた。

 それからかまどの間に戻ってきて、フライパンの中身を鉄鍋に追加する。

 ぐつぐつと煮えたつ果実酒のスープを攪拌し、味を見ながら少量ずつ岩塩を加えていく。


 そうして蓋をしめ、今度は10分ほど弱火を維持してから、またマイムは身を起こした。

 果実酒はずいぶんと蒸発し、ブロック肉は半分ぐらいが露出している。

 その周りに沈んでいた野菜たちを、マイムは木匙で潰し始めた。

 このためにすべて薄切りにしていたのか。


 そうしてペースト状になった野菜を果実酒のスープに溶かしこむと、台の上に残っていたポイタンを薄切りにしていく。

 鉄鍋を攪拌しながらそれを投入していき、4枚目を落としたところで手を止める。


 スープはいっそうとろりとした質感になり、色合いもややクリーミーな赤褐色に変じていた。

 これもまた、俺が簡単にとろみをつけたいときに使う調理法であった。

《キミュスの尻尾亭》や《西風亭》のカロン乳スープでは、こうしてポイタンを投じてシチュー風のとろみをつけているのである。


 マイムは味見を繰り返し、最後に木の串を肉に刺してそのやわらかさを確認すると、ようやく笑顔に戻って俺を振り返った。


「お待たせしました。これで完成です」


「え? 肉の味見はいいのかい?」


「はい。ギバの肉を扱うのは初めてのことですので、たぶん味を見てもこれ以上には仕上げられないと思います」


 潔いというか何というか、実に迷いのない笑顔であった。

 いくぶん緊張した面持ちで、レイナ=ルウたちが鉄鍋を囲み始める。


「完成ですか。本当に調味料は塩しか使わないのですね」


「はい。ですが肉にはピコの葉の風味がしみていましたので、家で作るより煮汁の味に深みが出た気がします」


「それじゃあまずは俺の料理から食べてもらおうかな」


 俺は鉄鍋から『ロールティノ』をすくい取った。

 いったん止めた火をまた点けておいたので、食べごろの状態に温まっているはずである。


 木の串で蔓草のいましめをほどき、淡いオレンジ色をしたスープをかけ、マイムとミケルの前にひと皿ずつを置く。


「よかったらミケルも味見をしてみてください。……俺が宿屋に卸している料理を召し上がったことはないのですよね?」


「ああ。晩餐でまで余計な銅貨はつかえないからな」


 ならばポイタンでとろみをつけるというのも、マイムかミケルが独自に思いついた手法なのだろうか。

 マイムは「素晴らしい香りですね!」と瞳を輝かせている。


 その間に、俺の前にはレイナ=ルウたちのこしらえた『ロールティノ』が運ばれてきた。

 俺は俺で、レイナ=ルウたちの出来栄えを確認しなくてはならないのだ。


「では、お味見をさせていただきます!」


 マイムとミケルが鉄串を取る。

 俺はうなずき、俺専用の箸を取る。


 レイナ=ルウたちの作製した『ロールティノ』は、申し分なかった。

 じっくり煮込まれて甘みを増したティノの衣をかじると、まだ熱い肉汁が口の中に広がっていく。煮汁の味付けにも問題はない。これなら明日からだって《キミュスの尻尾亭》に卸すことはできるだろう。


 俺が故郷でロールキャベツを作るときは合い挽き肉を使っていたが、ハンバーグと同様に遜色はない。俺の舌はもうすっかりギバ肉に馴染んでいたし、そうでなくってもこれは上等な肉質であるのだ。


 ミーア・レイ母さんの言う通り、挽き肉には挽き肉の味わいというものがある。

 ドンダ=ルウらにもこれを美味いと思ってもらえるようになったのなら、それは本当に嬉しいことであった。


「ああ……この料理も本当に素晴らしいですね。食べているだけで笑みがこぼれてしまいます」


 マイムもうっとりと目を閉ざしていた。

 ミケルは無言で、かつかつと料理を食している。


「でも、わたしは自分の感じたことを言葉で言い表すのが苦手なのです。ねえ父さん、これも素晴らしい料理だよね?」


「ああ」


「父さんは、言葉で言い表すのが得意でしょう? わたしの代わりにこの気持ちを言葉にしてよ」


「人間にはそれぞれ別の舌がくっついているのだから、俺とお前が同じものを感じているとは限らん。それに、料理の美味さを言葉で表すことに大した意味などなかろう」


「もう! わたしの料理にはさんざん文句をつけるくせにー!」


 そうして俺たちは『ロールティノ』の試食を終えた。

 いよいよ今度はマイムの料理の試食である。


「うーん、よく考えたら順番がおかしいですよね? アスタの後にわたしの料理を食べてしまったら、その差がいっそう歴然としてしまいます」


「いやあ、大丈夫なんじゃないかな。根拠はないけど」


「根拠がないなら全然安心できません」


 何とも複雑な顔で笑いつつ、マイムは肉切り刀を取った。

 火の消えたかまどの上で湯気をたてているギバのモモ肉に、すっすっとその刃先を入れていく。


 ギバでは一番肉質の固いモモ肉も、ずいぶんやわらかく煮込まれているようだった。

 断面の中心はうっすらピンクがかっていたが、これだけ火にかけていたのだから十分に熱は通っているだろう。

 細長いブロック肉を人数分に薄く切り分けて、マイムは「どうぞ」と顔を上げた。


「自信はありませんが、お召し上がりください。今のわたしには、これが精一杯のギバ肉の料理です」


 レイナ=ルウが鍋の前に立ち、たくさんの木皿を抱えたリミ=ルウがその横に並ぶ。

 取り分けられた肉に一杯ずつの煮汁がかけられ、それが人々の手に回されていった。


 2キロ強のブロック肉でも、15人で分けてしまえば130グラムていどだ。

 まあ『ロールティノ』までたいらげた俺にとっては晩餐に支障が出るぐらいの分量であったが、量を控える気にはまったくなれなかった。


「それでは、いただきます」


 俺は胸をどきつかせながら、たっぷりと煮汁をからめたモモ肉を頬張った。

 まずその煮汁の美味しさに、思わずうなり声をあげたくなってしまう。

 粘度の高い煮汁がねっとりと舌にからみついてくる。味のベースは果実酒の甘みで、そこに野菜と脂の甘みがあわさって見事な相乗効果を成し遂げていた。


 やっぱりマイムの味付けは絶品であった。

 わざわざチャッチとネェノンを追加したのも、この味を完成させるためなのだろう。

 ペースト状になった野菜たちが実にふくよかな味を生み出し、それが適度な塩加減によってきっちりまとめあげられている。


 それに、ギバ肉である。

 煮込んでいたのはせいぜい30分ていどであるのだから、そこまでやわらかいわけではない。

 端に寄った脂身だけはぷるぷるとやわらかかったが、赤身の部分はしっかりとした噛み応えを残している。

 感触としては、ローストされた肉に近かった。

 肉汁があふれてくることはないが、しっとりとした食感が心地好い。

 そしてギバ肉の強い味が、馥郁たるソースの味とからみあって、舌の上を駆け回っていく。


 この味は――


「うん、美味しいよ!」


 ふいにリミ=ルウが大きな声をあげた。

 その小さな顔は、喜びに輝いている。


「すっごく美味しい! マイムは本当に料理がお上手なんだね!」


「ありがとう」とマイムは微笑んだ。

 しかしその顔は、どこか寂しげにも見えた。


「でもやっぱり、アスタの後ではどうしても粗が目立ってしまいますね。わかっていたこととはいえ、不甲斐ないです」


「えー、そうかなー? リミは美味しいと思うけど」


「いえ。ピコの葉の風味も中途半端でしたし、ギバの脂の旨みを十全には活かしきれていません。不出来なものを食べさせてしまって申し訳ない限りです」


「ずいぶん理想が高いんだねえ。あたしも十分美味しくいただいてるよ? 町の人間がここまでギバ肉で美味しい料理を作れるだなんて、驚きさね」


 ミーア・レイ母さんもにこにこと笑っている。

 それで俺は、他の人々の様子を確認してみることにした。


 大半は、至極満足そうな顔をしている。

 あまり感情の読めないヤミル=レイやツヴァイなどは置いておくとしても、バルシャやリィ=スドラは笑顔であるし、ヴィナ=ルウもうっすら微笑んでおり、ララ=ルウはちょっと驚いた顔をしている。


 そんな中で、3名の表情だけが固かった。

 レイナ=ルウとシーラ=ルウとトゥール=ディンである。


「これは――」とシーラ=ルウが声をあげかけた。

 それをさえぎるように、レイナ=ルウが「とても美味でした」と発言する。


「あなたはまだ10歳なのですよね、トゥランのマイム? それでこのように美味なる料理を作りあげられるだなんて、賞賛に値すると思います」


「ありがとうございます」


 マイムはまた寂しそうに笑う。


「そのようなお言葉をいただけて本当に嬉しいです。本日はお時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」


 レイナ=ルウはマイムの姿から目をそらし、きゅっと唇を噛みしめた。

 たぶん彼女にも――そしてシーラ=ルウやトゥール=ディンにも、マイムの凄さが伝わったのだろう。


 マイムの料理は、美味であった。

 だけどきっと、その前に食した『ロールティノ』であったらまったく負けていないと思う。


 しかしマイムは、今日初めてギバ肉を使ってこれだけの料理を作りあげたのだ。

 しかも調味料は、塩しか使っていない。あとはギバ肉に残っていたピコの葉の風味だけだ。

 今の俺たちに、塩だけでこれほど上等な料理が作れるだろうか?


 ルティムの祝宴でお披露目した『ギバ肉とタラパのシチュー』なら、なんとか対抗できるかもしれない。

 しかしまた、あの料理もふんだんにピコの葉を使っていたし、それにギバ肉の味や特性をきっちりわきまえた上で完成させたものであった。

 俺があの料理を作りあげたのは、森辺で暮らし始めてからひと月ぐらいは経ってからのことなのである。


 もしもこの少女が1ヶ月間ギバの肉を好きなように扱えたら、どれほどの料理を作りあげることができるのか。

 そして、タウ油や砂糖やピコの葉といった調味料を好きなように扱えたら、どれほどの料理を作りあげることができるのか。


 レイナ=ルウたちは、そこまで想像してしまったのだろう。

 少なくとも、俺はそこまで想像してしまっていた。


 背筋が寒くなり、胸が熱くなる。

 このマイムという少女は、どうやら俺が予測していたよりもさらに驚異的な存在であるのだと思えてならなかった。

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