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異世界料理道  作者: EDA
第十五章 巡りゆく日々
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黒の月の十九日③~ルウの家とファの家~

2015.11/19 更新分 1/1

 そうして俺たちは宿場町での仕事を終え、まずはルウの集落へと帰還した。


 時刻は下りの二の刻と半分、俺の感覚では午後の3時前後である。

 ここから2時間ばかりはルウの集落に居残って、明日のための下ごしらえを進めるとともに料理の手ほどきをするのが俺の日課であった。


「やあ、今日も1日お疲れさん」


 荷車を引いて本家の裏手に回り込むと、薪割りをしていた大柄な女衆がそのように出迎えてくれた。

 バルシャである。

 ジェノス城から解放されたバルシャとジーダは、いまだルウの集落に留まっていたのだ。


「あたしが《赤髭党》の生き残りってことが暴露されちまったからさ、マサラの故郷にはちっとばかり帰りづらくなっちまったんだよ」


 ジーダとの再会を果たしたのち、バルシャはそのように述べていた。

 しかし《赤髭党》は貴族の恨みを買いつつ市井の人々には英雄視されていたのでは? と問うと「だから帰りづらいんじゃないか」と返された。


 それでバルシャは、森辺の集落にしばらく住まうことをドンダ=ルウに懇願した。

 森辺の民の一員にしてほしいとまでは言わない。ただ、息子のジーダがもう少し立派な狩人としての魂を育むまで、しばし逗留させてはくれないかと願ったのだ。


「森辺の族長ドンダ=ルウ、あんたのもとでだったら、ジーダも狩人としての生き様を学ぶことができると思うんだ。あたしなんてもう狩人としては息子に及ばないていどの力しか持ってはいないから、これ以上は上手に導いていく自信がないんだよ」


 ミーア・レイ母さんの後押しもあって、ドンダ=ルウはその嘆願を受け入れることになった。

 現在バルシャとジーダはルウの集落の空き家に住まう身の上である。


「お疲れ様です、バルシャ。今日も薪割りですか」


「ああ。あたしにはこの仕事が一番合ってるからね」


 そのように答えるバルシャは、様子が一変していた。

 きゅうきゅうに引っ詰められていた褐色の長い髪はゆるやかにたばねられ、そして革の鎧や男ものの足衣の代わりに一枚布の装束を纏っているのである。

 手首には毒虫除けの腕飾りをつけ、足には革の巻きサンダルを履いている。首に祝福の首飾りがない他は、森辺の女衆と変わらぬ装いだ。


「家の仕事をしている間はこの格好のほうが楽だからね」とバルシャは述べていたが、最初にこの格好を見せつけられたとき、俺はたいそう驚かされたものだった。

 似合っていなかったからではない。その逆だ。そうして女衆の装いに身を包むと、バルシャはれっきとした女性にしか見えなかったのである。


 むろんその唐獅子みたいに厳つい顔に変化はないし、腕や肩には男のような筋肉が盛り上がっている。胴体の図太さもジザ=ルウに負けていないぐらいだったし、身長なんかはダルム=ルウを上回るほどだ。


 しかしそれでも、バルシャはまぎれもなく女性であった。

 より正確に言うならば、彼女は「母」であった。


 顔つきや言動は変わっていないのに、その瞳には以前になかった穏やかさが宿り、その力強さも強き母としての力感に感じられてしまう。そんな印象であったのである。


 サイクレウスとの争乱を経て、バルシャにも何か心境の変化が訪れたのかもしれない。

 これまでは狩人としてジーダを導こうとしていたが、今後は母として導いていきたい――もしかしたら、そのように考えているのだろうか。


 それでもバルシャは、狩人としての仕事を捨て去ったわけではなかった。

 ギバが眠っている中天までは森に入り、ジーダとともに野鳥を狩っているのである。

 むろん、ジェノスの許可は取っている。ギバの餌にはならないモルガ山麓の鳥を狩ることは、ジェノスの法でも禁じられていなかった。


「バロバロほどじゃないけど立派な鳥がいくらでも飛んでるからねえ。どうして今までこいつを狩ろうとする人間がいなかったのか、そいつが不思議なぐらいだよ」


 それはきっと、森辺の民はギバを食べ、町の人間は畜産されたキミュスやカロンを食べていたからだろう。ギバを狩らずに鳥を狩ることに力を注ぐことなど森辺の民には許されなかっただろうし、町の人間にしてみればギバと森辺の民が支配する森に足を踏み入れてまで鳥を狩る気にはなれなかったに違いない。


 そうしてバルシャたちは森で鳥を狩り、ポルアースを通してその肉を銅貨に換えた。ふたりの人間が狩るていどの肉ならジェノスの流通を乱すことにはならなかったし、また、城下町には珍しい野鳥の肉を喜ぶ好事家も多数存在したようである。


 なおかつ、中天より後は、ジーダもギバ狩りの仕事に参加していた。

 狩人としての卓越した力量を認められ、ギバ狩りに参加することをドンダ=ルウに認められたのだ。


「マサラの山でガージェの豹を相手にするんだったら、あたしだってもう何年かは頑張れたと思うけどさ。今からギバなんていう恐ろしい獲物を狩る修練を積む気にはなれなかったから、こうして女衆としての仕事を手伝わせてもらっているんだよ」


 それがバルシャとジーダの現状であった。

 で、俺たちが帰還するとかまど番の仕事に参加するのも、今では通例となっていた。


 ちなみに、これまでは家の仕事のためにすぐ帰還していたリィ=スドラも、営業時間を短縮してからはこの下準備兼勉強会に参加している。1日に4時間ていどの労働が彼女との契約であったため、少なくとも1時間ばかりは居残る義務が彼女にも生じていたのだ。


「ありがたい話です。わたしもアスタのおかげで家の人間たちに少しは美味なる料理をふるまえるようになりました」


 リィ=スドラも、なかなか優秀のメンバーのひとりである。

 あんまり格付けばかりをするのは忍びないが、いまだヴィナ=ルウやララ=ルウに追いつかれてはいないと思う。リミ=ルウやトゥール=ディンほど目立ったところはないが、きっと元からかまど番としての資質があったのだろう。


 さらに、本家のかまどの間ではシーラ=ルウも待ち受けていた。

 芳しい香りを発する鉄鍋の中身を攪拌しながら、俺たちにゆったりと笑いかけてくる。


「タラパのそーすとぱてで使うアリアは仕上がっていますので、あとは肉を挽いてぱてをこしらえるだけです」


「ありがとう。それじゃあみんなで仕上げちゃおうね」


 レイナ=ルウ、ツヴァイ、モルン=ルティム、バルシャの4名がそちらには参加する。

 こちらのメンバーであるトゥール=ディンとヤミル=レイとリィ=スドラは、まず明日のための下ごしらえだ。


「それじゃあいつも通り、ヤミル=レイとリィ=スドラはポイタンの焼き作業をお願いしますね。俺とトゥール=ディンは肉を切り分けておきますので」


 本格的な下ごしらえは明日の午前中に片付けるので、前日に必要なのはそれらの仕事のみであった。

 ポイタンは、ダレイムにおける研究と調査によって粉状にしてからも十分に保存がきくことが判明していたので、数日置きにまとめて煮詰めるのが慣例となっていた。

 また、ポイタンはフワノと違って1日でカチカチに干上がることもなかったので、こうして前日の内に焼きあげておくのが毎日の仕事になっていたのだった。


「今日は何の手ほどきをしようかな。トゥールーディンは何か希望などあるかな?」


 ルウ家で預かってもらっていたギバ肉をブロック状に切り分けつつそのように問うてみると、トゥール=ディンは「うーん」と可愛らしく首を傾げた。


「やっぱり新しい食材の使い方でしょうか。タウ油や砂糖といったものの使い勝手はだいぶん身についてきたと思うのですが、ママリアの酢やパナムの蜜などはいまだにどのように使えばよいのかわからないのです」


 宿場町に流通し始めた食材は、森辺においても少しずつ流通し始めていた。

 特に調味料は少量でも料理の味を激烈に変化させるので、森辺の女衆にも大いに歓迎されることになったのである。

 そしてまた、ディンやスドラやフォウなどはファの家に肉を売ることによってそれらの調味料を買えるだけの富を有してもいた。


「そうだなあ。パナムの蜜なんてのは、俺も菓子の他にはあんまり使い道がわからないんだよね。ママリアの酢も、『酢ギバ』以外では甘酢やケチャップやマヨネーズなんかの材料にするぐらいかなあ」


「そうなのですか」


「うん。もちろんいくらでも応用はきくと思うんだけど、これっていう料理はまだ思いついていないんだよね」


 そんな風に言葉を交わしていると、にわかに外のほうが騒がしくなってきた。

 早くも男衆らが戻ってきたのかなと思ったが、そうではなかった。男衆は男衆でも、それはルウの眷族の男衆であったのである。


「おおい、モルンは帰っておるのかな? 本家の女衆が見当たらなかったので、この戸をそちらから開けてもらえるとありがたいのだが!」


「あれ、ダン父さんだ」とモルン=ルティムが目を丸くする。

 ヴィナ=ルウが汚れた指先を布でぬぐいつつ、かまどの間の出入口に足を向けた。


「おお、仕事の最中にすまなんだな!」


 戸板が開かれると同時に、ルティムの家長たるダン=ルティムがのそのそと入ってくる。

 その豪放なる笑顔に変わりはなかったが、ダン=ルティムは頑丈そうなグリギの木の杖をついており、右の足を地面から浮かせていた。


 ダン=ルティムは俺たちが商売を再開させるのと時を同じくして、右の足首を負傷してしまったのである。

 何でも崖から転落して足首の骨を脱臼してしまったらしく、そんな足で傷ついた同胞を抱きかかえて何時間も歩いたものだから、かなり深刻なレベルで筋を痛めてしまったらしい。


 それでも時間さえかければ元通りに治癒されるだろうと言われてはいたが、実に痛々しい姿だ。

 しかし本人は至って元気そのものであり、ルティム家で購入したトトスで毎日あちこち飛び回っているそうである。


「どうしたの、父さん? わたしに何か用事?」


「うむ! お前さんとドンダ=ルウにだな! しかしドンダ=ルウはいまだ森から帰っていないようなので、まずはお前さんへの用事を果たしておこうと思う」


 そのように言いながら、ダン=ルティムは木の壁に寄りかかった。


「実はな、北の集落に貸していた男衆らが戻ってきたのだ。北の集落は、今日から休息の期間に入るらしい。ルティムの集落に留まっていた北の集落の男衆らも、入れ替えで自分たちの家に戻っていった」


「え……それじゃあついに、今度は女衆の番なのね?」


 北の集落はルティム家と3名ずつの男衆を交換して、血抜きや臓物の摘出、および臓物の洗い方などの手ほどきを受けていたのだ。

 宿場町における商売については来年の家長会議まで判断を保留するという立場であったが、ついにグラフ=ザザも美味なる食事というものを一族の生活に取り入れる決断を下したのだった。


 だが、ダン=ルティムはとぼけた顔で「いや?」と首を振った。


「かつてダルム=ルウやルド=ルウが述べていた通り、北の集落はギバの縄張りのすぐそばに家を築いてしまっているらしい。あれでは女衆も昼間からギバやムントを警戒せねばならぬので、とうていルティムの女衆を貸し出せるような状態ではないそうだ」


「ええ? それじゃあ……どうするの?」


「うむ。だからこの休息の期間を利用して、集落の周りをもう少し切り開き、獣を除けるための備えをしてくれるそうだぞ。だから、女衆を貸し合うのはその仕事が終わった後、おそらくは休息の期間が明ける半月後からになるわけだな」


「何だあ、そうなのかあ……」


 モルン=ルティムは、しょんぼりと肩を落としてしまう。

 事情は知らぬが、彼女は北の集落に出向くことを熱烈に希望しているようなのだ。

 そうなると、宿場町でのお手伝いはおそらくアマ・ミン=ルティムが一手に引き受けることになる。


「あとな、これはドンダ=ルウに伝えてほしいのだが、本家の長姉たるお前さんに言伝を頼めるかな、ヴィナ=ルウよ?」


「ええ、何かしらぁ……?」


「その女衆を貸し合うのに先立って、この休息の期間にドム家の女衆を1名あずかってほしいそうなのだ。居座る場所はルウでもルティムでもかまわんが、まずは一族の長であるドンダ=ルウの了承が必要であろう」


「ふうん……? その女衆は、いったい何の用事でやってくるのかしらぁ……?」


「よくは知らんが、料理の腕前を上げるのに熱心ということなのであろうな。よその氏族にたったひとりで乗り込んでこようなどとは、なかなか根性の座った女衆ではないか」


 ダン=ルティムは笑っていたが、俺のかたわらではトゥール=ディンとヤミル=レイがこっそり目を見交わしていた。


「北の集落に、そこまでかまど番の仕事を重んじる女衆など存在するのでしょうか……?」


「うん、ちょっと考えにくい話よねえ」


 まさか北の集落では、女衆もギバの頭の皮や頭骨などをかぶっているのだろうか。

 とりあえず、どんなに勇ましげな女衆が登場しても驚かないように心の準備をしておこうと思う。


「もしも了承するならば、俺がトトスを走らせてその報を北の集落に届けてやろう! そのようにドンダ=ルウには伝えておいてくれ」


「承ったわぁ……ダン=ルティムは、もう帰られてしまうのぉ……?」


「うむ! ラウ=レイが森から帰ってきたらトトスの走り比べをする約束をしているのだ!」


 モルン=ルティムとヤミル=レイが同時に溜息をついた。

 無邪気に過ぎる家長を頂く家人のささやかな苦悩、といったところであろうか。


 そんな中、ダン=ルティムがぐりんと俺を振り返ってきた。


「ところでアスタよ、俺のトトスはミム・チャーと名付けることにしたのだ。よき名であろう?」


「ミム・チャーですか。可愛い名前ですね」


「可愛いか? 東の言葉で『明日』という意味であるらしいのだが」


「『明日』ですか?」


「うむ。アスタの名にも『明日』という意味が込められているのであろう? それにあやかって、ミム・チャーとしたのだ。俺に新しい子供でも生まれればそのように名づけたかったが、新しい嫁を娶る気はないのでな!」


 そうして俺を絶句させてから、ダン=ルティムはひょこひょことかまどの間を出ていった。


               ◇


 夜である。

 研究中の『ギバのうま煮』を主菜にした晩餐を終えた後、俺とアイ=ファはいつも通り燭台の火を頼りにくつろいでいた。


 アイ=ファは金褐色の髪をほどき、壁にもたれて座っている。

 俺はその正面で、寝釈迦の体勢をとっている。


「……まあそんなわけでな、そのマイムって娘さんを森辺に招待したいんだけど、いかがなものだろう?」


「それはいっこうにかまわんが、私のいない時間に見知らぬ人間を家に招き入れるのはあまり気が進まぬな」


「うん、おたがいの調理の手際をお披露目するなら、一緒に晩餐をこさえるのが一番だろうからさ。いつも通り、家に戻ってくるのはアイ=ファとほとんど同時ぐらいになると思う」


「そうか。ならば問題はない。ともに晩餐をとるならば、私がその後にその者たちをトゥランまで送り届けてやろう」


 アイ=ファは思いの外、トゥランのマイムに対して友好的な見解を述べていた。

 アイ=ファはジーダにトゥラン伯爵邸の場所を教えたミケルに対して、強い感謝の念を抱いているようなのだ。

 まあ確かに、ジーダとミケルの存在がなければ俺の身もどうなっていたかはわからないので、俺だってもっと彼らには感謝するべきなのだろう。


「それにしても、お前はマイムが俺以上の腕前かもしれないって聞いても眉ひとつ動かさないんだな。レイナ=ルウなんかは、かなりぷりぷりしていたのに」


「私はそこまで狭量な人間ではない。世界は広いのだから、中にはお前を上回るかまど番だって存在し得るものなのであろう」


 そのように言ってから、アイ=ファは静かに俺を見つめ返してくる。


「それにお前は、レイナ=ルウにすーぷの腕前で追いつかれそうになったとき、すぐさまそれを上回る力を身につけたからな」


「……えーと、それはもしかして、マイムが俺を上回る腕前であったとしてもすぐさまそれを追い越すべし、と仰っておられるのでしょうか、家長殿?」


「お前は自分よりも優れたかまど番が存在することを許せるのか、アスタよ?」


 アイ=ファの眼差しに変化はない。


「それに、優れた好敵手が存在するからこそ己の技量はより磨かれるのだと、お前はかつてそのように言っていた。あの言葉は偽りであったのか?」


「いや、偽りではないですけれども……」


「ならば何も問題はない」


 かつてはレイナ=ルウよりも美味なるスープを作るべし、と対抗心を燃やしていたアイ=ファが、今は全幅の信頼を込めた眼差しで俺を見つめている。

 何にせよ、家人に慢心や怠惰を許す気持ちなどこれっぽっちも持ち合わせてはいないアイ=ファであるようだった。


「もちろん俺だって修練を怠るつもりはないよ。森辺やジェノスではさんざんもてはやされることになったけど、俺はれっきとした半人前なんだからな」


「ふむ。お前は謙遜の気持ちでそのように述べているのであろうが、あまり外ではそのような言葉を口にするのではないぞ、アスタよ」


「え、どうしてだ?」


「どうしても何も、お前は城下町の料理人にも味比べで勝利しているのだ。そんなお前が自分を卑下すれば、お前に負けた相手はそれ以下のどうしようもない存在ということになってしまうではないか?」


 言いながら、アイ=ファはゆったりと前髪をかきあげる。


「私とて、自分の力量に満足しているわけではない。しかし私が自分を卑下すれば、それは私よりも収穫をあげられていないすべての狩人を卑下することになる。人間は、己を卑下することなく、誇りを胸に生きていくべきなのだ」


「うん。俺だって内心には誇りを持っているつもりだよ」


「そのようなことは私が一番わかっている。お前のように誇り高くて負けず嫌いな人間などそうそういないのだからな」


 そのように言ってから、アイ=ファはふっと口もとをほころばせた。


「だから私はお前の言葉を聞き違えることもないが、私ほどお前のことを知らぬ人間であれば自分を侮辱されているのかと思い違う危険がある。だから、迂闊なことを外では口走るなと掣肘しているのだ」


「わかったよ。何だか今日はいつも以上に威厳たっぷりだな?」


「何だ、普段の私は子供じみているとでも言いたげだな」


 と、いきなり不満そうに唇をとがらせてしまう。

 そういう部分が子供じみているのだが、どちらのアイ=ファも俺にとっては大事な存在であるので問題はない。


「それにしても、次から次へと慌ただしいことだ。ようやく宿場町での商売が落ち着いてきたと思ったら、今度は幼き身でアスタと同等以上の腕前を持つ料理人の娘か」


「ああ、さすがはミケルの娘さんだよ。俺も一度でいいからミケルの料理を食べてみたかったものだなあ」


「……お前がそのようなことを口にするのは初めてだな」


「そうか? ヤンが新作の料理をお披露目するたびに、俺は楽しみにしていたよ。……でも、マイムが作る料理っていうのは、そういうのとも違うんだ」


 俺がヤンに抱いているのは、異国というか異世界の料理人に対する好奇心や興味といったものだった。

 しかし、マイムに感じているのは――素性や立場など関係なく、ただ純粋に美味なる料理を作りあげることのできる存在に対する憧憬のような思いだった。


 敵愾心などは一切ない。

 ただ、むやみやたらと胸のあたりが熱くなってくる。

 それは、同じ感性を有する相手に対する仲間意識のような感情であるのかもしれなかったし、また、同じ目線で切磋琢磨できる相手を見つけた喜びの感情なのかもしれなかった。


「……何にせよ、その娘との出会いはお前にとって喜ばしいものであったのであろう」


 と、まるで俺の心中を見透かしたかのようにアイ=ファが言ってきた。


「ならば私も、その娘を歓迎したいと思う。その娘が訪れる日を楽しみにしているぞ、アスタよ」


「うん、きっとマイムも喜ぶよ。……それじゃあそろそろ寝るとするか」


「うむ」


 アイ=ファは窓の燭台を消してから、あらためて俺の正面に寝転がった。

 その手が、俺の指先をきゅっとつかんでくる。


「今日は悪い夢など見るのではないぞ、アスタよ」


「俺もできるなら見たくはないけど、こればっかりは運まかせだよ」


「どのような悪夢を見ても、私がかたわらにいる。それだけは忘れるな」


 暗がりの中で、アイ=ファの青い瞳が穏やかに光っている。


「何も恐れるな。お前は大丈夫だ、アスタ」


「うん」


 同じ力で、アイ=ファの指先を握り返す。

 大丈夫だ。

 アイ=ファがともにある限り、俺は大丈夫だ。


 その夜は、何の夢を見ることもなく朝まで眠りこけることができた。

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