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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
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⑥祝福の夜(上)

2014.10/29 誤字を修正

 そして、決着の刻だった。


 昼と夜とが交錯する、逢魔ヶ刻。

 あちこちに掲げられた燭台の炎が照らしだす、ルウの家の本邸の大広間。


 今そこに、レイナ=ルウに付き添われて、ルウ家の最長老ジバ=ルウがよたよたと姿を現し――これで全員が出揃った。


 アイ=ファの家よりも二回りほども大きい、20畳ばかりの大広間である。

 造作自体に差はないが、男衆の刀や弓矢、毛皮のマント、それに柄の短い槍みたいな武具なんかが、ギバの骨で作られているらしい掛け具によって、物々しく壁に飾られている。


 そして、上座に陣取った家長の背後の壁には、化け物のように巨大なギバの毛皮と、禍々しい頭骨。

 生前にはいったい何百キロ級の巨大ギバであったのだろう?

 職業上、動物の毛皮や骨ガラなどに心を揺らされるはずもない俺でさえ、ちょっとした畏怖心をかきたてられてしまうほどの、それは途方もない巨大さだった。


「ふん。ようやくそろったな」


 土瓶の果実酒を豪快にあおりながら、ドンダ=ルウが不遜につぶやく。

 そのかたわらに、ジバ=ルウがちょこんと座りこんだ。


 隣りの人物が大きすぎるせいか、本当に小さく見えてしまう。

 既婚の女衆が着る一枚布の長衣だけではなく、その肩にもショールのような布を羽織り、何やら呪術的な飾り物をじゃらじゃらとつけたその姿は、まるで干した果実みたいに小さくしなびてしまっていた。


 腰が曲がっているのでよくわからなかったが、背だってレイナ=ルウより小柄であるに違いない。

 銀色の髪に包まれた頭なんて、リミ=ルウと同じぐらいの大きさしかないじゃないか。


 その見事に色素の抜け落ちた髪は、かたわらのレイナ=ルウと同じように下のほうで二つにたばねられており、顔は、しわくちゃの猿みたいだ。しわくちゃすぎて、どれが目なのかもわからない。


 肩掛けからはみだした指先は枯れ枝のように細く、弱々しく。存在自体が陽炎のように儚くて、ともに腰を下ろしたレイナ=ルウが手を放してしまったら、そのままくたくたと崩れ落ちてしまいそうだ。


(まあ……立って歩けるぐらいの元気があるなら何よりだけど)


 土台、このような老婆に肉主体の料理を食べさせようというのが無茶なのではないだろうか。

 しかし、賽はすでに投げられてしまった。

 あとはどのような目が出るか、見届けるしかない。


 大広間には、縦に二つのかまどがしつらえられて、その上では鉄鍋がこぽこぽと可愛らしい音色を鳴らしている。

 調理用ではない。保温用の小さなかまどである。

 この大広間では調理が行われず、そして食糧庫なども別の建物に設けられているせいか、それほど脂の匂いもしみこんでいない。

 だから、そこに満ちているのは、俺たちの作った料理の匂いだけだった。


 そのかまどを挟むようにして、14名もの人間が楕円形の座を形成している。


 楕円形の頂点には、上座に陣取る家長のドンダと、最長老のジバ。

 距離の離れた差し向かい、下座には、俺とアイ=ファ。


 俺から見て右手側に、3兄弟のジザ、ダルム、ルド。

 少し間を置いて、三姉のララ。末妹のリミ。


 左手側には、先代家長の嫁であるティト・ミン婆、家長の嫁であるミーア・レイ、長兄の嫁であるサティ・レイ、長姉のヴィナ。


 ヴィナ=ルウの左隣りには、レイナ=ルウのための器が並んでいる。

 本日のかまど番を代表して、レイナ=ルウがジバ=ルウの食事を手伝い、そのつとめを済ませたら自分の食事に取りかかる。これは今日だけのことではなく、毎日誰かしらがその役目を果たしているらしい。

 老齢のジバ=ルウは、もう自力では食事が困難なほど弱り果ててしまっているのだ。


 ちなみにサティ・レイ=ルウの幼子コタ=ルウは、母の後ろの草で編まれたゆりかごの中ですやすや眠っている。


「……森の恵みに感謝して……」


 と、ドンダ=ルウがこの野獣のような男にしてはずいぶんと厳かな口調で、そう宣言した。

 そのグローブみたいにごつい左手の指先が、髭に覆われた口もとの前にかざされる。


「……火の番をつとめた、ティト・ミン、レイナ、リミ、アイ=ファ、アスタに礼をほどこし、今宵の生命を得る……」


 全員がその言葉を復唱して、指先を、すっと横に引く。

 それは――アイ=ファが毎晩食事の前に見せるのと同一の仕草だった。


 アイ=ファは口の中で言葉を転がすばかりであったので、何を言っているのかまでは聞き取れなかったのだが。このような祈りを捧げていたのか。

 毎晩毎晩アイ=ファがひっそりと俺の名前を唱えていたのかと思うと、何だかおかしな気分だった。


 そして。

 その短い祈りが終わるとともに、至極唐突に食事が始まる。


 べつだん、俺やアイ=ファが匙を取るのを待つような素振りもない。

 食事に毒でも混ぜていたら、片っ端から絶命だ。

 そんな真似をするはずがない、と信じるのが――「かまどをまかす」ということなのだろう。


 だからこそ、俺たちに失敗は許されない。

 あえて言うなら、俺に失敗は許されない。


 確かに俺たちは5人でこの食事を作り上げたが、指示を出していたのは、俺だ。もしもこの夜、この食事で何かの間違いが生じたら、それはすべて俺の責任であるのだ。


 そうじゃない、なんて言いだすやつがいたって、すべての責任を奪い去ってやる。

 リミ=ルウにも、レイナ=ルウにも、ティト・ミン=ルウにも――もちろんアイ=ファにだって、指一本も触らせはしない。


(だから頼むぜ、レイナ=ルウ。うまくジバ婆さんをサポートしてやってくれ)


 自分の器にようやく手を伸ばしながら、俺は数メートルの先でジバ婆さんに寄り添っているレイナ=ルウへと、心の中でエールを送った。



 本日のメニューは、リミ=ルウの要望に応えて、昨晩と同一である。


『~ギバの肉のハンバーグ 果実酒のソース掛け 焼いたアリアを添えて~』だ。


 ただし、本日は『焼きポイタン』だけではなく、『ギバ・スープ』もご用意させていただいた。

 主食としてのスープではない。肉もアリアも控えめの、サイドメニューとしてのスープである。

 今、鉄鍋で火にかけられているのが、それだ。


 食事の挨拶が済むと同時に、ティト・ミン婆さんがすっくと立ち上がり、黙々と食を進める人々の器にそのスープを注いでいく。

 その間、ジバ婆さんに寄り添ったレイナ=ルウは、動かない。

 すべて段取り通りである。


 その間に、俺は今日の料理の出来栄えを確認しつつ、各人の様子をうかがってみたのだが――何というか、みな一様に、無言で匙を動かしていた。


 食事前、炊事係の5名でもって料理の皿を並べ始めたときは、そりゃあもう「何だこりゃ?」「これがギバかよ?」「この平べったいのは何?」と昨日のリミ=ルウばりの大騒ぎであったのだが、簡単な料理の説明と食べ方の指導および注意点を話して聞かすと、あとはもうお通夜みたいに静まりかえってしまったのだった。


 不満で不満でしかたなさそうな者、興味しんしんで目を輝かせている者、最初から最後まで黙りこくり仏頂面を決めこんでいる者、と反応はさまざまであったものだが。とにかくみな一様に口を閉ざし、あとはひたすらジバ=ルウの来訪を待ち続けたのである。


 そして今は、やはり無言のまま少し性急な感じで、みんな一心に匙を動かしている。


 ギバ肉のハンバーグ。ギバとアリアのスープ。焼きポイタン。三つの品で、1セットだ。

 女衆は男衆ほどの量は食べない、とのことであったので、女衆は300グラム強、男衆は700グラム弱、俺とアイ=ファは通常通りの500グラムていど、ジバ婆だけは控えめの200グラム強というサイズで調理させていただいた。


 特筆すべき点としては、ミニバーグではなく、通常サイズのハンバーグとして調理できたことか。

 ルウの家には複数のかまどがあったので、最初は強火で表面を焼き、お次は弱火でじっくり火を通す、というスタンダードな作り方をすることが可能であったのだ。


 女衆のは丸々1個、男衆は700グラムを二つに分けて、それぞれどっしりと厚みのあるパテを提供することができた。

 最後はやっぱり風味をつけるために果実酒で蒸し焼きにしたが。とにかくこのサイズ変更は、仕上がりに大きな差をつけられたと思う。

 俺の中での唯一と言ってもいいぐらいの不満点、「ミニバーグでは物足りない」というポイントをクリアーすることができたのだ。


 やっぱりこれは大正解で、3センチぐらいの厚さに膨れたハンバーグをがぶりとかじると、昨晩以上の肉汁があふれだし、たまらない美味しさだった。

 もともとしっかりとしていた噛み応えが増し、その上で、強火で焼かれていない内容量は増したから、よりジューシーで柔らかい。

 俺としては、大満足の逸品だ。


 で、ルウ家の人々の反応は、というと――やはり、無言なのである。


 食前と変わらず苦虫を噛み潰している者や、楽しげに頬をゆるめている者、完全に表情を消し去っている者、と反応はさまざまであるが。感想などは、特に語られない。アイ=ファがそうであったように、食事中に無駄口を叩く風習がないのだろうか。


 ちなみに、不満顔の代表格は家長のドンダ=ルウであり、楽しげにしているのは色っぽい長姉のヴィナ=ルウ、無表情は次兄のダルム=ルウ、という感じで、あとはその類型に属する感じだった。


 リミ=ルウはもちろん笑顔でぱくぱくと食していたが、その目は時おり心配そうにジバ婆さんへと向けられている。


「ほら、食事だよ、ジバ婆。今日のは特別おいしいからね。お客人が、とってもおいしい食事を作ってくれたんだよ」と、レイナ=ルウがジバ婆さんの口もとに木匙を差し出している。


 その木匙に乗せられているのは、焼きポイタンをちぎってふやかした、ギバ・スープであるはずだ。

 俺の考案した段取りである。


「こんな柔らかいお肉なら、ジバ婆も食べられるはず!」とリミ=ルウは歓喜していたが。異世界出身たる俺としては、「それでも80過ぎの婆さまにハンバーグは重いだろ」という気持ちがぬぐえなかったのだ。


 だから、順を追っていくことにした。

 最初は、焼きポイタンをふやかしたもの。

 その次は、スープに入っているアリア。


 それがクリアーできたなら、ようやく『ギバ・バーグ』だ。

 ただし、最初はバーグもスープでふやかす。それなら、噛まなくても口の中で挽き肉がほろほろとほどけていくはずである。


 それらをすべて食べ終えて、素のハンバーグが食べられそうなら、食べさせてやればいい。

 俺などには、ジバ婆さんの歯がどれぐらい残っているのかもわからないのだから。無理なら、ハンバーグまでたどりつけなくてもいい、とすら思っている。


 そのために、俺は『ギバ・スープ』を用意したのだ。

 これは、ジバ婆さんのためにのみ、用意したメニューなのである。


 もっとも、普通のメニューとして考えてもスープを添えたほうが上出来であるのは間違いないので、他の人々にも存分に堪能していただきたいとは思ってはいる。


 それでもあくまで、これはジバ婆さんのためのメニューだ。

 そのために、アリアは俺の好みよりも薄く刻んで、食感も残らないぐらいクタクタに煮込んでやった。

 ギバ肉なんて、ハンバーグでたっぷり使用しているのだから、スープのほうではダシを取るために入れた、ぐらいにしか考えていない。


 焼きポイタンやハンバーグをふやかすための、『ギバ・スープ』。

 これが俺の、ジバ婆さんのために考えた特別メニューなのだった。


「あ……」とリミ=ルウが小さく声をあげる。

 もちろん俺も、その変化には気づいていた。


 レイナ=ルウに声をかけられても、むずがるようにゆるゆると首を振っていたジバ婆さんが、やがてすべてをあきらめきったかのような仕草で、木匙の中身をちゅるんと飲みこんだのだ。


「ほら、おいしいでしょ? まだまだたくさんあるからね?」


 レイナ=ルウが嬉しそうに言って、新しいポイタンをちぎって器に落とす。

 しかし、ジバ婆さんは動かなかった。

 不謹慎だが、まるでその一口で絶命してしまったかのように――微動だにしなくなってしまったのである。


 何人の人間かが、せっせと食事を進めながら、そちらに注意を払っているのがわかった。


 まずは、ジバ婆さんの隣りに陣取っている、家長のドンダ=ルウ。

 女衆の年長者2人、ティト・ミン婆さんと、おっかさんのミーア・レイ。

 男衆では、末弟のルド=ルウ少年。

 そしてもちろん、俺とアイ=ファとリミ=ルウだ。

 長兄のジザ・ルウは、糸のように細い目をしているから、どこを見ているのかよくわからない。


「どうしたの? おいしいでしょ? わたしとリミとティト・ミン婆も、一緒に作るのを手伝ったんだよ?」


 少し焦ってきた様子で、レイナ=ルウが木匙を口もとに突きつける。

 いや、焦る必要はない。自分のペースで食べさせればいいよ、と俺が心中でつぶやいたとき――ジバ婆さんの口が、薄く開いた。


 ほっとしたように、レイナ=ルウはその亀裂みたいな口の中に木匙を差し入れる。


「それじゃあ次は、アリアにしようか? これも柔らかくておいしいよ?」


 レイナ=ルウには、調理中にすべての料理を試食してもらっている。

 食事を忌避するジバ婆さんに食事をすすめるには、本人もその味を知っておいたほうがいいであろう、と俺が提案したのである。


「アスタは、顔を合わせたこともないジバ婆のために、そこまで考えてくれているのですね……」とレイナ=ルウは瞳を潤ませていたが、俺の立場なら、それぐらい考えるのが当然だ。


 それは、ジバ婆さんを思うリミ=ルウとアイ=ファのためでもあるし。

 そして俺は、料理人なのだ。

 いかに美味しく自分の料理を食べていただくか。それを考えない料理人など、料理人の名に値しない。


「おいしいね? それじゃあちょっとお肉も食べてみようか? このお肉も、とっても柔らかいんだよ」


 ついにレイナ=ルウの木匙が『ギバ・バーグ』に伸び、一口の半分ぐらいの大きさをスープにひたす。


 これは、どうだろう?

 バーグに混ぜたアリアのみじん切りは、気持ちていど、普段よりこまかく刻んだつもりだが。基本的には、普通の作りである。


 焦げた表面はなるべく避けて、最初はなるべく中心の柔らかい肉だけを食べさせるように指示したが。もしも奥歯が全滅していたら、挽き肉やアリアが咽喉につかえるかもしれない。その危険性も、レイナ=ルウには十分に伝えておいた。


 ジバ婆さんの口の中に、肉片とスープが差し入れられる。


 しわくちゃの口が、もにゅもにゅと動き。

 そして――

 その目があると思しきあたりから、透明のしずくがあふれだした。


「なんて美味しい肉だろう……これは本当に、ギバの肉なのかい……?」


 静まりかえった大広間に、その枯れ果てた声は、確かにそう響きわたったのだった。

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