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異世界料理道  作者: EDA
第十四章 群像演舞
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      北の果てより(中)

2015.10/31 更新分 1/1

 おたがいの荷が片付けられると、今度は宴のためのさまざまな料理で広間は埋めつくされることになった。


 鉄鍋の中で煮えている汁物料理に、メレスの生地と一緒に焼かれた魚の燻製、大熊の肉の香味焼き、塩漬けにして発酵させた小魚、正体の知れぬ動物の卵をゆでたもの、甘く香る青いアマンサの実の煮物――それに今回は、真っ黒い色をした小さな卵の塩漬けに、海の獅子と呼ばれる凶悪な獣の生肉までもが供された。


『ちょうど先日、都から荷が届いたところであったのだ。海獅子の肉はさきほど氷から溶かしたばかりなので、東の民でも腹を壊すことはなかろうさ』


 このターレスの山から北氷海までは、およそ半月の距離であるという。ゆえに、海産の食糧は大熊の肉や毛皮などと引き換えに、マヒュドラの都から送られてくるものであるらしい。


 その中でも海獅子の肉や黒い卵の塩漬けという料理は、10回ばかりもこのムナポスの集落を訪れているシュミラルにとっても数えるぐらいしかお目にかかったことのない物珍しい品であった。


『さあ、思うぞんぶん腹を満たしてくれ! マヒュドラとシムの友誼に!』


『マヒュドラとシムの友誼に』と応じ、故郷の言葉で神への祈りをつけ加えてから、シュミラルたちはそれぞれの酒盃を掲げた。

 マヒュドラの寒冷に耐えうる北の麦で作られた蒸留酒である。

 咽喉が焼けるほど、酒精は強い。が、さまざまな国でさまざまな酒をたしなんでいるシュミラルたちには、この強烈な酒精も心地好かった。


 広間には《銀の壺》の10名と、それと同数ていどの北の狩人たちが座している。さらに5名ていどの女衆らが料理を取り分けたり酒を注いだりしてくれていたので、人間の熱気もものすごかった。


 また、北の狩人らはよく笑い、よく喰らう。東の民がどんなに静けさを保っていても、彼らのひとりずつが3人分も騒いでくれるので、宴の場が物寂しくなることはありえなかった。


 シュミラルは、賑やかな場が好きである。

 そうでなくては、諸国を巡る旅人としての生を選ぶことはなかっただろう。

 だから、シュミラルの同胞たちも同じようにこの賑やかさを楽しんでいるはずだった。


 東の民は、みだりに感情をあらわすことを恥と考えている。

 涙を流すことが許されるのは、家族を失ったときのみだ。

 同胞だけの食事の場では、あまり口をきく者もいない。


 それが東の民の習わしであり、東の民の生だった。

 それも愛すべき、かけがえのない生である。

 しかし、それだけでは物足りない――という思いを持つ者だけが、こうして故郷の外へと飛び出してしまうのだろうか。


『……どうぞ。ムフルの熊の臓物を使った汁物料理です』


 と、シュミラルの前に木皿が置かれた。

 女衆のひとり、ちょっとはかなげな目つきをした若い娘が、シュミラルのななめ後ろで膝を折っている。


『ありがとうございます。ティオン=ファル』


 そのように呼びかけると、娘は紫色の目を大きく見開いた。


『……わたくしなどの名前をお覚えになってくださったのですか、シュミラル様……?』


『はい。もう10回ほど、ムナポスの集落、訪れていますので』


 それはムナポスの長ウライア=ファルの末娘であるティオン=ファルであるはずだった。

 北の民としては骨の作りが細いので、特に印象に残っていたのである。

 それで、背だけは北の民らしくすらりと高いので、体型だけならば少し東の民を思い起こさせるところもあった。


 陽気で豪放な男衆に対して、北の女衆は質実で物静かな女性が多い。そういう部分もあわせると、なおのことこのティオン=ファルは東の民の気風に沿った娘であると言えるかもしれなかった。


『……どうぞ、冷めぬうちにお召し上がりください』


『はい。ありがとうございます』


 シュミラルはうなずき、木皿を取る。

 白く濁った汁の中に、ぶつ切りにした大熊の臓物や香草が沈んでいた。

 ムフルの大熊は、木の実や根ばかりでなく肉も喰らうせいか、どの部位も強い臭みを持っている。そのために、この臓物は香草と蒸留酒で煮込まれているのだ。


 熱で酒精は飛んでいるのだろうが、香りは蒸留酒のそれが強い。

 汁をすすると、香草の味がちくちく舌を刺してきた。


 しかし、北の民よりも大量の香草を扱う東の民にとっては、何ほどのものでもない。

 汁には大熊の臓物の滋養が溶けこんでおり、それが蒸留酒の甘みと合わさって、身体を内側から温めてくれるかのようだった。


『とても美味です』


 シュミラルがそのように告げてみせると、ティオン=ファルはまたはかなげに微笑んだ。

 しかし、何故だかその場から立ち去ろうとしない。

 彼女の席は父親の隣であるので、そちらに戻らねば自分の食事を始められないはずである。


「シュミラル。私、海獅子の肉、初めてです」


 と、逆の側から同胞の若者が西の言葉で呼びかけてきた。

 見れば、若者の皿には真っ赤な色をした海獅子の肉が載せられている。


「海獅子、美味です。私、好物です」


「そうですか」


 安心したように目を細め、若者は木串で海獅子の肉を口に運んだ。

 手の平の半分ほどの大きさをした、生の肉の切り身である。

 大きいが薄い肉であったので、若者はそれを丸ごと口の中に入れる。

 そうしてその肉を何度か咀嚼して――若者は、ぴたりと動きを静止させた。


「海獅子、血の臭い、強いので、この香草、必要です」


 シュミラルは、木皿の横に添えられた小さな壺を指し示してみせた。

 強い風味を持つミャームーに似た香草が、こまかく刻まれた上で、茶色い魚醤と練り合わされている。海獅子の生肉には、この調味料が必須であるのだ。


 若者は、とても静かな目つきでシュミラルを見た。


「シュミラル、ひどいです」


「経験、大事です。私も、初めて食べたとき、驚きました」


 若者はかろうじて感情を抑えこみつつ、もにゅもにゅと肉を咀嚼する。

 きっと口の中は血の味でいっぱいだろう。


 すると、そこでティオン=ファルが『まあ』と驚きの声をあげた。


『シュミラル様も、そのようなお戯れをなさるのですね。若衆がお気の毒です……』


 どうやら西の言葉は理解できぬまま、シュミラルの意図を察することができたらしい。

 シュミラルは、ティオン=ファルにうなずき返してみせた。


『はい。ついつい悪戯、してしまいました。反省、しています』


『まあ……まるで子供のようですね……』


 口もとに手をあてて、くすくすと笑いだす。

 ティオン=ファルもこのような笑い方ができるのだなと、シュミラルは心の中で感心した。


『ティオン! 酒がもうじきになくなりそうだ! 倉から新しいものを運んでくるがいい!』


 と、ウライア=ファルが大声で呼びかけてくる。

 ティオン=ファルは微笑を消し去り、『はい……』と広間を出ていった。


 ウライア=ファルは、そのまま笑顔でシュミラルへと声をかけてくる。


『どうかな、東よりの客人よ。我らの宴は楽しんでもらえているのだろうかな?』


『はい。皆、とても楽しんでいます』


『そうか。其方たちはあまりに表情が動かぬので、こちらとしてはいささか心配になってしまうものなのだ』


『とても楽しんでいます。料理、どれも美味です』


 それは偽らざる本心であった。

 肉も魚も、何もかもが美味である。野菜が多少不足気味であるが、それはマヒュドラの土地柄であるのでしかたがない。東には東の、西には西の、そして北には北の作法というものが存在するのだ。


 それに、野菜が少なくともこれだけの肉と魚があれば、十分に贅沢な晩餐といえるだろう。

 塩も海からいくらでも採取できるので、ふんだんに使われている。

 北の都と太い通商の道を有しているムナポスならではの、これは豪勢な宴であるはずだった。


(野菜が少ない分は、きっと香草やこのメレスから滋養を得ているのだろう)


 メレスというのは茹でると甘くなる黄色い果実であるが、北の民はこれを挽いて粉にして、フワノのような生地に仕立てる。寒冷の地でもよく育つこの穀物のおかげで、北の民は麦のすべてを蒸留酒に仕立てあげることがかなったのだった。

 そのメレスの生地で巻かれた魚の燻製は、風味も豊かで噛み応えも心地好い。マヒュドラの海に面した領土では、この料理が主食であるという。


 大熊の肉は、たっぷりの香草と一緒に焼きあげられている。こちらはなかなか顎の疲れる固さであり、香草でも消しきれない独特の風味があるが、山育ちのギャマの臭みを知っている東の民にしてみれば、忌避する筋合いはどこにもなかった。


 塩漬けの小魚などは、さらに独特の味わいである。

 内臓と骨を抜いた小魚を塩に漬けて発酵させたのち、レテンの亜種である植物油にひたして、さらに熟成させるのだ。


 塩気と風味が強烈で、半ば溶けかかった魚の身はねっとりと舌にからみついてくる。《銀の壺》も買い付けている食材であるが、西の王国でこれを求めるのは一部の好事家のみだった。

 ただ、チット漬けを好む東の民にとっては、これも苦手な味ではない。魚の肉のみで作る漬物とは珍しいなと感心するばかりだ。


 真っ白にゆでられた卵は、罪のない味である。

 保存性の悪さから商品にはなりえないので詳細は聞いていないが、海辺の鳥か何かの卵なのだろう。キミュスの卵と大差のない、素朴な味わいだ。

 北の民は、これにも魚醤をつけて食する。


 アマンサの実は、アロウの実を思わせる甘酸っぱい果実である。

 横に添えてあるメレスの生地に塗って食べるのが作法であり、ジャガル産の砂糖や蜜などを使ったら上等な菓子に仕上がりそうだなと思う。


 つやつやと輝く黒くて小さな卵の塩漬けは、とても塩辛いが滋養にあふれているように感じられる。北の民は豪快に木匙ですくって食しているが、シュミラルはこれもメレスの生地に載せて食べるのが好きだった。


 そして、海獅子の生の肉だ。

 これも、魚醤と香草の調味料とあわせて食せば、なかなかの珍味である。

 きめの荒い赤身の肉で、脂身などは一切存在しない。焼いたらきっと大熊以上の噛みごたえとなってしまうのだろう。もともと生の肉を食する習慣のない東の民にとっては、大いに好奇心を満たされるひと品だ。


 どれもこれも美味であり、そして物珍しい。


 アスタならば、これらの食材を使ってどのような料理に仕上げるだろう――ふっと、そんなことを考えてしまった。


(買い付けた食材のいくつかは、セルヴァの王都で売り切ることなく、ジェノスにまで持ち帰ることができるだろう。それらは城下町でなく、アスタに買ってもらえないだろうか)


 常であれば、物珍しい食材はジェノスの貴族サイクレウスが言い値で買い取ってくれていた。

 そもそもは、マヒュドラの食材を扱える数少ない商団として、《銀の壺》はサイクレウスに重宝されていたのである。


 しかし、サイクレウスが森辺の民と穏やかならぬ関係にあるというのなら、これ以上あの不義理な相手と商売を続けたくはない、というのがシュミラルの本心であった。


(私ひとりで決められることではないが、サイクレウスは刀を買い取る約束を反古にした。ラダジッドらとも、よく話し合ってみよう)


 そのようなことを考えているうちに、皿の上の料理は着々と減じていった。

 赤ら顔をいっそう赤くしたウライア=ファルがまた陽気にシュミラルへと声をかけてくる。


『いい商売を終えた後の酒は格別だな! 次の来訪が1年以上も先であるというのが口惜しいほどであるぞ、団長殿よ!』


 シュミラルは、木皿を置いてそちらを振り返った。


『ムナポスの長ウライア=ファル。私たち、あなた、告げること、あります』


『おお、どうしたのだ、そのようにかしこまって。……まあ、かしこまらぬ東の民などこの世には存在しないのであろうがな!』


 声をあげて、豪放に笑う。

 商売相手としては誠実で、その気性にも裏表のないウライア=ファルのことを、シュミラルは信頼していたし、好感も抱いていた。

 ゆえに、このような言葉を届けなくてはならないのが、とても心苦しかった。


『私たち、《銀の壺》、ムナポスの集落を来訪する、本日、最後となる予定なのです』


 ウライア=ファルは、きょとんと目を丸くしてしまった。


『今、なんと言ったのかな? 其方は顔を見せるたびに北の言葉が流暢になり、それほど商売の話をするのに困った覚えもないのだが』


『《銀の壺》、マヒュドラで商売する、本日、最後なのです』


 ウライア=ファルの手から、酒盃が落ちる。


『そ、それはどういうことなのだ? いったい其方たちは何の不満があって――』


『不満、ありません。ですが、私、西の王国、婿入りするかもしれないのです』


 今度は周囲の者たちまでもがざわめき始めた。

 無論のこと、不穏なものをはらんだざわめきである。

 ティオン=ファルなどは、父親のかたわらで顔面蒼白になってしまっている。


『西の民、北の領土、踏み込むこと、許されません。仕える神、乗り換える、私のみですが、西の民、ひとりでもいれば、マヒュドラとの商売、不可能になります』


『馬鹿な! どうして西の民などに婿入りを――其方は本気で故郷と神を捨てる心づもりであるのか!?』


『はい。申し訳ない、強く思っています』


『それならば、其方が商団から身を引けば――』


 そのように言いかけて、ウライア=ファルは口をつぐんだ。

 副団長のラダジッドが、その中途で途切れた言葉に答える。


『シュミラル、私たち、同胞です。シュミラル、シムを捨てる、悲しいですが、私たち、シュミラルを捨てる、できません。商売、色々と不都合あるため、団長、私、引き継ぐつもりですが、シュミラル、これからも《銀の壺》です』


『わかっている。其方たちとは、おたがいの父の代からのつきあいであるのだ。シュミラルよ、かつては俺の父と其方の父が手を携えて商売をしていた。多くの東の商人がこのムナポスを訪れるが、《銀の壺》ほど長きに渡って俺たちに喜びをもたらしてくれた商団は他にないだろう』


 無念そうに、ウライア=ファルが唇を噛む。


『このムナポスは、俺の祖父の代から、戦場としての価値を失った。武勲をたてる機会を失ったファルの一族にとっては、今や狩人としての仕事とそれを元手にした商売こそが戦いの場であるのだ。其方たちは、信頼すべき戦友であると同時に、またとない好敵手だとも思っている』


『はい』


『其方たちを失うのは、あまりにも惜しい。どうか西の民に婿入りをするなどと言わず、これからも俺たちとの商売を続けてくれぬだろうか?』


 北の民らしい、率直な物言いであった。

 刀を使う戦場において、北の民ほど恐ろしい敵は存在しないのであろうが、商いの相手としてはシュミラルもウライア=ファルと同様の感慨を抱いていた。


 そしてこれは、シュミラルの父が切り開いた道でもあるのだ。

 シュミラルの胸は、刃の切っ先をおしあてられているかのように痛んだ。


『申し訳ない、強く思っています。しかし――私、自分の気持ち、曲げること、できないのです』


 眉間に力がこもってしまう。

 きっと、感情を隠しきることもできていないだろう。

 シュミラルは、ごわごわとした毛皮の敷物に両方の拳をついて、ウライア=ファルの無念そうな顔を見つめ返した。


『長き時間、続いてきた商売、終わらせてしまうこと、苦しいです。ウライア=ファル、ムナポスの民、マヒュドラの民、皆に申し訳ない、思っています。あなたがた、縁、切れてしまうこと、悲しいです。……しかし、自分の気持ち、曲げること、できないのです』


『そうか……』


 ウライア=ファルは、がっくりと肩を落とした。


『其方の気持ちは、よくわかった。だが、本日の其方たちが大事な客人であるという事実に変わりはない。最後まで宴を楽しんでくれ』


『……ありがとうございます』


 シュミラルは、ウライア=ファルに向かって深々と頭を下げてみせた。

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