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異世界料理道  作者: EDA
第十四章 群像演舞
249/1675

第十話 没落の系譜(一)

2015.10/16 更新分 1/1

・今回は全5回の更新となります。

・これまででは一番暗鬱な内容となっておりますので、苦手な方はご注意ください。あくまで番外編ですので、読了せずとも本編を読み進めるのに支障はありません。

「どうもあの貴族は気にいらぬ……」


 夜――

 森辺の族長でありスン本家の家長でもあるザッツ=スンは、底ごもる声でそのように言った。


 スンの本家の、ザッツ=スンの寝所である。

 部屋の中には、ザッツ=スンとテイ=スンの姿しかない。

 その部屋にはザッツ=スンの放つ猛烈な怒気と苛立ちの念が満ちてしまっているようで、テイ=スンはたいそう息苦しい心地を味わわされることになった。


 ジェノスの北側にあるトゥラン領の屋敷を訪れて、褒賞金を受け取った、その夜のことである。


 ザッツ=スンは、憤っていた。

 ジェノス領主の代理人が老齢で身体を壊したため、本日から新たな貴族が森辺の民との交渉役を担うことになったのだ。

 トゥラン伯爵家の当主であると名乗ったその者は、確かに今まで以上に虫の好かない、厄介な相手であるように思えた。


「これまでの貴族どもとて、我々を蔑んでいるということに変わりはなかったが……あの者は、まるで野の獣でも見るかのような目つきで我々を見ていた。自分たちこそが、ムントのごとき醜悪な人間であるにも拘わらず、な……」


「しょせん石の都の貴族どもなどは、魂が穢れているのです。何もお気になさる必要はないでしょう」


 テイ=スンには、そのようにしか答えることはできなかった。

 どうせ貴族どもなど、年に4回、褒賞金を受け取るときにしか顔を合わせることもないのだ。

 あのような連中は、放っておけばよいと思う。


「だが、腑抜けのズーロではあのような貴族どもと渡り合うこともできまい。……ようやく生まれたズーロの長子も、女児であったしな」


「ズーロ=スンは、まだ18です。齢を重ねれば、自ずと族長としての力を身につけましょう」


「あの腑抜けが齢を重ねたところで、どうにかなるものか……? 我の生命とて、永遠ではないのだぞ……?」


 ザッツ=スンの黒い瞳が、圧力を増してテイ=スンを責めたててくる。


 ザッツ=スンは、たしかテイ=スンより6歳年長、いまだ37歳ていどであるはずだ。

 テイ=スンよりも拳ひとつぶん大きいだけのその身体には、途方もない狩人としての力がみなぎっている。あと5年でも10年でも、族長として君臨することは可能だろう。


 しかし確かにギバ狩りの仕事をつとめていれば、どのように力を持つ狩人でも、いつ森に朽ちるかはわからない。

 そうなったとき、ザッツ=スンの唯一の子であるズーロ=スンに、一族を導く力が備わっているかどうか――言葉とは裏腹に、テイ=スンも不安をぬぐうことはできなかった。


「あれならば、次兄や末弟のほうがまだしも強い力を持っていた……森は何故、ズーロではなくその弟たちの魂を召してしまったのであろうな……」


「それはあまりな物言いです。ズーロ=スンに力が足りなければ、我々血族がその力となり、支えてみせましょう」


「ふん……せめてズーロに、ミギィ=スンの半分ほどの豪胆さでも備わっていればな……」


「ミギィ=スンの半分も豪胆であれば、それは立派な荒くれ者でございましょう」


 ザッツ=スンの逆鱗に触れるのは恐ろしかったが、テイ=スンはそのように掣肘せずにはいられなかった。


「ここのところのミギィ=スンの有り様は目に余ります。この前の家長会議などでは、ルウの眷族を相手に刀を抜きかねない騒ぎだったではありませんか。ルウ家はスン家にも劣らぬ力をつけつつあるのですから、むやみに挑発するような真似はつつしむべきです」


「……それはルウ家が、スン家から族長筋の座を簒奪しかねないという意味であるか……?」


 ザッツ=スンの双眸が、黒い炎を噴きあげる。

 その怒りの波動を全身に感じながら、テイ=スンは必死に「いえ」と首を振ってみせた。


「いかにルウ家といえども、そのような無法を働くはずはありません。……いっそのこと、スン家はルウ家と血の縁を結ぶべきなのではないでしょうか?」


「ほう……貴様はそこまでルウ家の力を恐れているのか、テイ=スンよ……?」


 ゆらゆらと揺れる燭台の火に照らされて、ザッツ=スンはそれこそ獣のように笑った。


 岩肌のようにごつごつとした、魁偉な顔である。

 しかし、ザザやドムであれば、もっと厳つい容貌をした狩人など山ほどいるだろう。

 だが、そういった者たちともかけ離れた圧力と気迫が、ザッツ=スンには備わっている。


 ザッツ=スンは、生まれながらの族長であるのだ。

 誰よりも強く猛々しい、森辺の支配者なのだ。


 テイ=スンは背筋に冷たい汗を感じながら、「いえ――」ともう一度首を振りかけた。


 奇怪なわめき声が響きわたってきたのは、そのときである。


「父上――父ザッツはどこにおられるか? 父ザッツよ――!」


 それは、ズーロ=スンの声であった。

 完全に惑乱しきっている。その声に驚いたのか、遠くの部屋で赤子のヤミル=スンが泣きだす声まで聞こえてきた。


 ザッツ=スンは、苛立たしげに双眸を燃やしながら、動かない。

 さほど待つまでもなく、寝所の戸は外側から引き開けられた。


「おお、父ザッツ! それに、テイ=スンも……た、大変です! ル、ルウ家の男衆どもがスンの集落に乗りこんでまいりました!」


「ルウ家の男衆どもだと……?」


 ザッツ=スンが、刀を引っつかむ。


「ルウ家がスン家に何の用だ……さては、刀をもって族長の座を簒奪する心づもりであるか……?」


「そ、それはわかりません! しかし、ものすごい人数です! さ、30名はいるように思えます!」


 30名――それは、相当数の眷族の狩人まで引き連れてきたということだ。

 このスンの集落には、20名足らずの狩人しか存在しない。これで刀を交えることになったら、スン家が滅ぶことになるだろう。


「悪逆なるルウ家め……そのていどの数でこのザッツ=スンの首をとれると思っているなら、試してみるがいい……」


 ザッツ=スンは、ゆらりと立ち上がった。

 その父親よりも一回りは大きな図体をしたズーロ=スンが、怯えた様子で後ずさる。


「族長ザッツ=スンよ、どうか短慮だけはおつつしみくださるよう。……まずは言葉を交わして、ルウ家の者どもの心づもりを確かめるべきです」


 言いながら、テイ=スン自身も刀を取り、立ち上がった。

 そして、考える。ルウの家長とは、そこまで悪逆な男であったろうか、と。


 確かに前回の家長会議において、ミギィ=スンの愚かな所業により、スン家とルウ家はいっそうの悪縁を結ぶことになってしまった。が、それはその場で和解がなされたはずだ。もとより、血気にはやった若衆同士の諍いであったのだから、あれしきのことで復讐の刀を取ることなど、森辺の掟が許さないだろう。


(もしや、それとは別にまたミギィ=スンが災厄の種を蒔いたのでは……?)


 そんな不安がぬぐえない。

 ともあれ、真相を確かめる他なかった。


 心配げな女衆らは家に残し、ザッツ=スン、ズーロ=スン、テイ=スンの3名で外に出る。

 集落の突き当たりに、松明の火が燃えていた。


 おびただしい数の狩人らが、西と東に分かれて対峙している。

 スンの集落の男衆たちも、騒ぎを聞きつけて飛び出してきたのだろう。

 しかしやっぱり、その人数は外側に陣取っている狩人たちの半数ていどにしか至っていなかった。


「……いったい何の騒ぎであるかッ!」


 ザッツ=スンが、怒号をあげた。

 血族たちはほっとしたように道をあけ、ルウ家の狩人たちは一気に激情の気配をみなぎらせる。


「何の騒ぎもへったくれもあるか! ミギィ=スンとかいう痴れ者を今すぐに引き渡せ!」


 その先頭にいた大柄な人影が、ザッツ=スンに劣らぬ声で応じてきた。

 ザッツ=スンは、革鞘に収められた刀を手に、その男と相対する。


「誰だ、貴様は……? 森辺の族長ザッツ=スンに名を名乗るがいい」


「貴様が族長ザッツ=スンか。俺は、ルウ本家の長兄ドンダ=ルウだ」


 まだ若い、青い火のような目をした狩人であった。

 ズーロ=スンと同じぐらい上背があるが、その長身は見事に引き締まり、狩人としての力にあふれている。


「ほう……貴様がルウ家の跡取りか……ということは、これはルウ家の家長も認めた蛮行であるということであるな……?」


「蛮行に手を染めたのはどちらだ! いいから、ミギィ=スンを引き渡せ!」


 ドンダ=ルウもまた、今にも刀を抜きかねない様子であった。

 ザッツ=スンの、森の怒りを結集させたかのような気迫に怯む様子もない。


(ドンダ=ルウ……ルウ本家の長兄ドンダ=ルウ、か……)


 これはいずれ、ひとかたならぬ傑物に成長するに違いない狩人だ、とテイ=スンはひそかに息を呑むことになった。

 その間も、両者の問答は続いている。


「ミギィ=スンが何だというのだ。和解のなされた話を蒸し返して、族長筋に刀を向けようという心づもりであるか……?」


「和解が聞いて呆れるわ! 貴様は血族の犯した罪も知らずに、そのように呑気な言葉を吐いているのか、ザッツ=スンよ。ミギィ=スンは、ルウ家に嫁入りが決まっていたムファ家の女衆をさらったのだ! いかに族長筋といえども、このような無法が許されてたまるか!」


「ムファ家の女衆……?」


 黒い瞳を爛々と燃やしながら、ザッツ=スンがうなり声をあげる。

 そのような話は、テイ=スンも初耳である。

 今日は一日行動をともにしていたテイ=スンが知らないのだから、ザッツ=スンだって知るはずはない。


「数日前に、ミギィ=スンという痴れ者とムファの女衆は宿場町で顔を合わせてしまったのだ。そのときにその痴れ者めは、ルウ家ではなくスン家に嫁入りをせよと女衆に詰め寄った。それを拒まれたために、ミギィ=スンめはこのような凶行に及んだのだろう。……わかったら、その痴れ者めとムファの女衆を今すぐこの場に連れてこい!」


 ザッツ=スンはドンダ=ルウの長身をにらみすえたまま、「ミギィ=スンはどこか……?」と血族らに問うた。

 しかし、族長の左右に立ち並んだ分家の男衆らは、厳しい面持ちで首を振る。


「今日は昼からミギィ=スンの姿を見た者はおりません。スン家は現在、休息の期間でありますため……」


「ふん。だから宿場町で昼から酒などをかっくらっていたわけか」


 ドンダ=ルウが、乱暴にその言葉をさえぎった。


「休息の期間に何をしようが勝手だがな、嫁入りを拒む女衆をさらうことなど、許されてたまるか! 森辺の掟と秩序を守るために、ミギィ=スンにはその身で罪を贖ってもらおう!」


「ずいぶん勇ましく吠えておるな。吠えれば吠えるほど己の愚かさを示すことになるぞ、ルウ家の狩人よ」


 と――冷ややかな悪意に満ち満ちた男の声が、闇の向こうから響きわたる。

 そちらを素早く振り返りながら、ドンダ=ルウは刀の柄に手をかけた。


「何だ、貴様らは!」


「何だと問う貴様らこそ何だ。ここは族長筋スン家の集落であるぞ」


 何か猛烈な熱気のようなものが、ひたひたと近づいてくる。

 やがて姿を現したのは、ギバの毛皮や頭骨をかぶった狩人の一団――スン家の眷族たるザザやドムの男衆たちであった。


 総勢は、ルウ家の者どもとほぼ同数、30名近くに及んだだろう。

 その中から、唯一毛皮や頭骨をかぶっていない巨躯の狩人が進み出てきた。


 ドンダ=ルウよりも長身で、ズーロ=スンよりも図太い体格をした、ざんばら髪の大男――ミギィ=スンである。


 そうと察したらしいドンダ=ルウが、いよいよ怒りに双眸を燃えあがらせた。


「貴様が、ミギィ=スンだな……?」


「いかにも。スンの分家の家長、ミギィ=スンである」


 ミギィ=スンは、ザッツ=スンの姉の息子であり、4つある分家の家長のひとりでもあった。


 だが、この場にいるどの狩人よりも恵まれた体格をしておりながら、その齢はいまだ15を越したばかりで、つい半年ほど前に家長の座を継いだばかりの身でもある。


 異様にせりだした眉の下で、大きな目をぎらぎらと輝かせる、これもまた野獣のごとき勇猛なる狩人であった。


「どうせ貴様らがムファ家の者たちにたぶらかされて、のこのこと姿を現すのだろうと思ってな。北の集落の狩人らに助力を頼むため、集落を離れていたのだ。……スンの家長にして森辺の族長ザッツ=スンよ、スンの同胞らに無用の不安を与えることになってしまい、まことに申し訳ありませんでした」


 この乱暴者のミギィ=スンも、ザッツ=スンにだけは敬意を払うことを忘れていなかった。

 というか、この乱暴者がへりくだるのは、この森辺において族長をおいて他になかったのである。


「……これはいったいどういう騒ぎであるのか、説明してもらおうか、ミギィ=スンよ……?」


 底ごもる声音で問うザッツ=スンに、ミギィ=スンはいっそう深く頭を垂れる。


「これは、スン家とルウ家に諍いを起こさせようという、ムファ家の企みであったのです。ルウ家に嫁入りが決まっていたムファ家の女衆が、よりにもよってこのミギィ=スンをたぶらかさんとしてきたのですよ」


「貴様、根も葉もない虚言を抜かすな! ムファの女衆をたぶらかそうとしたのは貴様のほうだろうが!」


「ほう? 何をもって俺の言葉が虚言だと? 俺は先日、宿場町に下りた際に、ムファの女衆めに声をかけられた。自分はルウ家に嫁入りするよう家長に命じられてしまったが、本当は族長筋たるスン家の血族になりたかったのだと、その女衆めはそのように述べてきたのだぞ?」


 巨大な顔面にいびつな笑いを浮かべながら、ミギィ=スンはそのように言った。


「すでに嫁入りが決まっているなら、何を望もうと詮無きことだ。ルウ家とてスン家に負けない力をつけつつあるのだから、そちらで森辺の民としてのつとめを果たすがいい。……そのように応じてその場はおさめたのだが、今日、家人の目を盗んで、その女衆めは俺の家を訪れてきたのだ」


「貴様……!」


「その女衆めは、自ら装束を脱ぎ捨てながら、このように言った。自分を嫁にして、ムファをスンの眷族にしてほしい……そして、何かと族長筋に楯突くルウなどは、スンの力で滅ぼしてほしい、とな。どうやらルウ家はあちこちで不和の種を蒔いているようであるな?」


 もはやルウ家の狩人たちは、全員がドンダ=ルウと同じように怒りの気配をみなぎらせていた。

 その中から、ドンダ=ルウのかたわらに控えていた褐色の髪の若衆が怒声を張り上げる。


「戯れ言もいいかげんにしろ! ならばその女衆からも、真実はどうであったかを語らせてみるがいい!」


「それは、かなわぬ申し出だ」


 ミギィ=スンが、眷族の狩人らを振り返る。

 すると、一団の最後方から、ドムの男衆が1名、進み出てきた。

 その逞しい腕によって運ばれてきたのは、革紐を結ばれた引き板であり――その大きな板の上には、ぞっとするような膨らみを持つ布がかぶせられていた。


 褐色の髪をした若衆が、愕然と立ちすくむ。


「まさか、これは――」


 ドムの男衆が、無造作に布を剥いだ。

 布の下からは、誰もが予想していた通りのものが、冷たくなって横たわっていた。

 そのあまりの惨たらしさに、テイ=スンは思わず顔を背けてしまう。


「この痴れ者めは、嫁入りを拒むならば掟に従って目玉を差し出せ、と俺に刀を向けてきた。自ら裸身をさらしたくせに、ふざけた言い草であろう? ……このような痴れ者に、森辺の民を名乗る資格はない」


「おのれっ!」と若衆が躍りかかろうとする。その腕を、ドンダ=ルウが素早くつかみ取った。


「やめておけ、ダン=ルティム」


「何故だ!? このような無法が許されてたまるか! こいつは――こいつは、森辺の同胞を――!」


 ダン=ルティムと呼ばれた若衆は、褐色の長い髪を振り乱して、ミギィ=スンにつかみかかろうとする。まだ20になるならずという若さでありながら、その長身にもドンダ=ルウに負けない力と気迫があふれかえっていた。


「森辺の族長ザッツ=スンよ、貴様はどのように判ずるのか、それを聞かせてもらおう」


 炎のごとく双眸を燃やしながら、ドンダ=ルウが静かに問う。

 ザッツ=スンは、悪鬼のごとき笑みでそれに報いた。


「ミギィ=スンの述べる通り、このような痴れ者に森辺の民たる資格はない。森に魂を返す他に、道はなかったであろう。……大事に至る前に真相が知れたのは僥倖であったな。スン家とルウ家が争えば、森辺を二分する大きな戦いとなり、ともに滅ぶしかなかったのであろうからな」


「なるほど。それが貴様の答えか」


 ドンダ=ルウは感情のない声で言い、引き板にのせられたものを両腕ですくいあげた。


「俺にルウ家の道を決する資格は、まだ与えられていない。……貴様たちは、それこそを僥倖と思っておけ」


「ふむ。言っている意味はよくわからぬが、このような無法を働いたムファの者どもにはどのような罰が必要であろうかな……?」


「ムファとは、必ず血の縁を結ぶ。ルウの眷族に手を出すつもりなら、今度こそ相応の覚悟を固めてもらおうか」


 ドンダ=ルウとザッツ=スンの眼光が、闇の中で火花を散らす。

 ザッツ=スンは、ギバの牙のごとき歯を剥き出しにして、哂った。


「このような痴れ者どもに情けをかけるとは、まこと奇特なことであるな……その情の深さに免じて、族長筋に無礼な言葉を吐きかけた罪は不問としてやろう。ルウの家長にも、そのように伝えるがいい」


 そうしてルウとその眷族たちは、激情を押し殺しながら立ち去っていった。

 その姿が完全に見えなくなってから、ザッツ=スンが自分の眷族らを振り返る。


「ザザにジーンにドムの狩人らよ。このたびは、ご足労をかけた。しかし、お主らの尽力によりムファの邪な企みは潰え、ルウの者たちも己の不明を恥じ入ることになった。……今宵はスンの集落で身体を休めていくがよい。スン家の果実酒でお主らの労苦をねぎらわせていただこう」


 狩人たちは、ゆっくりと頭を垂れた。

 ザッツ=スンの言葉には、不思議な支配力がある。もしもミギィ=スンの言い分に疑念を抱いていた者があったとしても、これでそのすべては解消されたことだろう。


 うすら笑いを浮かべたミギィ=スンと、冷や汗をぬぐっているズーロ=スンとともに、狩人たちはスンの本家へと足を向けた。


 それを追おうとするザッツ=スンに、テイ=スンはすかさず囁きかける。


「族長よ、ミギィ=スンには如何なる処遇を与える心づもりでありましょうか?」


「如何なる処遇? ……ミギィ=スンは、森辺の民としてのつとめを果たしただけだ。特別に褒めたたえるような話でもあるまい」


 テイ=スンは、言葉を失ってしまう。

 ミギィ=スンが、どれほど自制のきかぬ人間であるか。それをありありと知らされているスン家の人間であれば、真実がどうであったかを察することは難しくないはずであるが――ザッツ=スンは、本気でムファのようにちっぽけな氏族の人間がスンやルウに災厄を招くような真似をしでかした、と信じているのだろうか?


 そんなテイ=スンの懸念を嘲笑うかのように、ザッツ=スンは口もとをねじ曲げた。


「本当に、ズーロめにミギィ=スンの半分ほどの器量もあれば、我もスン家の行く末を憂える必要もなくなるのだがな……まったく、世の中とは上手くいかぬものだ」


 テイ=スンは、やはり返す言葉をもてなかった。


 思えば――その夜から、スン家はゆっくりと滅びへの道を進むことになったのである。

 しかしテイ=スンがその事実を思い知るには、まだ長きの時間が必要であった。

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