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異世界料理道  作者: EDA
第十四章 群像演舞
248/1675

     城下町の怪事件 ~失われた右手~(下)

2015.10/8 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。次回の更新まで少々お待ちください。

 一同は、テティアの寝所に集められることになった。

 テティアとニコラとゼス、カミュア=ヨシュとポルアースとレイト、6人きりの会談である。


 初めて目にする第一息女のテティアは、寝台に半身を起こしての参席であった。

 淡い栗色の髪を肩までのばした、いかにも気弱げな娘である。いまだ祖母の死の衝撃からは立ち直れず、それこそ死人のような顔色になってしまっている。


 ニコラは、不機嫌そうだった。

 ゼスは、戦いにのぞむ剣士のように双眸を燃やしている。


 そんなアルファン子爵家の面々を見回しながら、カミュア=ヨシュは「さて」と言った。


「いちおう俺なりに、これが真実なのではないかという考えをまとめることができました。お耳汚しですが、皆様のご意見をいただければ幸いでございます」


「あなたはまだ、賊がこの屋敷に留まっているかもしれないなどという妄言を吐くつもりなの?」


 ニコラが、険悪に言いたてる。

 カミュア=ヨシュは「いえいえ」と細長い首を振った。


「今後はもうこの一件の犯人を賊呼ばわりしようとは思いません。高貴なるアルファン子爵家のご血筋を賊呼ばわりするのはあまりに不敬でありましょうから」


「へえ……それじゃああなたは、このわたしを犯人に仕立てあげようというつもりなのね?」


 ニコラは口もとだけで笑った。

 ゼスは怒りに震えている。

 テティアは――人形のような無表情だ。


「滅相もありません。あなたのように可憐な姫君にこのような凶行をなすことはできなかったでしょう、ニコラ姫」


「ふざけないで! それなら、テティアが犯人だとでも言うつもり!?」


「そうではありません。……あるいは、そうであるとも言えるかもしれませんが。真相は、ほんのちょっぴりだけ入り組んでいるのだろうと思うのです」


 カミュア=ヨシュは、にこにこと笑っている。

 その不思議な紫色の瞳には、いったいどのような真の相が見て取れたのか。レイトは無言のまま聞き入ることにした。


「まず大前提として、俺は外部からの侵入者という説を最初から切り捨てております。貴婦人マティーラが朝方まで生きていたというのは、その亡骸の様子からも明らかであるのですから、そう考えざるを得ないでしょう。朝の二の刻、通行人に見とがめられずに石塀を乗り越えて逃走することは不可能です。犯人が誰であれ、その人物はまだ確実に邸内に居残っているはずなのですよ」


「…………」


「そのように考えると、貴婦人マティーラを害することができたのは、朝方に寝所へと足を踏み入れることができた3名のみ、と俺は考えております。その中でもっともあやしげと思われている夜番の従者は、現在も衛兵たちによって執拗に尋問されておりますが――俺はこの人物も、犯人たりえないと思っています」


「ふうん。それはやっぱり、彼が犯人だと切り落とした手首を隠したり血の汚れを清めたりすることも不可能だからなのかな?」


 ポルアースが問いかけると、カミュア=ヨシュは「はい」とうなずいた。


「あるいは彼に協力者でも存在したなら、その限りではないのですがね。窓から縄を垂らして仲間を引き入れたり、凶器や手首を隠すよう頼むことができたりすれば、彼でも犯行は可能となります。……しかし、そんな可能性は極めて低いと思うのですよね」


「どうしてだい?」


「彼が犯人なら、このような朝方にそれを決行しようとする理由がないからです。朝の二の刻ともなればもう他の従者たちもせっせと働き始めているのですから、どこでどのように罪が露見するとも限りません。さんさんと朝日の照りつける中、窓から縄を垂らして2階の寝所に仲間を招き寄せるなんて、そんな馬鹿げた話はないでしょう。それに、賊の仕業と見せかけたいなら、それこそ夜更けを選ぶべきです。現にこうして、衛兵たちは朝方に石塀を乗り越えることなど不可能であったはずだ、という結論に達してしまっているのですから」


 そこでひと呼吸おいて、カミュア=ヨシュは無言の人々を見回していった。


「これが事前から練られていた計画なら、何がどうあっても犯行は夜更けに行われていたと思います。しかし、マティーラが生命を失ったのは朝方だった。……つまりこれは、誰にとっても予見することのできなかった、偶発的な事件だったのではないでしょうか?」


「偶発的な事件?」


「そうです。あらかじめ貴婦人を害そうという計画が練られていたわけではなく、不幸な偶然が重なったために勃発してしまった事件――俺は、そのように考えています」


 そうしてカミュア=ヨシュの視線はニコラのもとで固定された。


「さて。犯人である資格を有している2人目は、朝方に寝所を訪れたあなたです、ニコラ姫。……しかし、あなたの腕であのように深々と短剣を突き刺すことは不可能であったでしょう。短剣の刃は、あばらを砕いて心臓にまで達していました。俺やゼス殿ぐらいの腕力がなければ、あのような真似はできるはずがありません」


「ならば、自分が犯人であると?」


「いえいえ。ゼス殿であっても朝から屋敷の壁をよじ登ることなどできなかったでしょう。……だから、あなたはただ窓から剪定用の鋏を投げ入れただけなのではないでしょうかね?」


 ゼスは、慄然と立ちすくんだ。

 その顔から、血の気がすうっと下がっていく。


「ニコラ姫に命じられて、あなたは裏庭から2階の寝所へと鋏を投げ入れた。その後は、貴婦人の血にまみれた鋏と、肩掛けに包まれた右手首を処分する役をおおせつかったのでしょうね。あなたにとっては、さぞかし魂の縮むような作業であったことでしょう」


「何だ、それならやっぱりわたしを犯人扱いしたいのね」


 ニコラは冷たく笑っている。

 カミュア=ヨシュはそちらに「いいえ」と首を振った。


「ニコラ姫、あなたはおそらくご遺体から手首を切り落としただけなのだと思います。賊の仕業と見せかけるために窓を開いたとき、小屋のそばにいるゼス殿の姿を見つけたのでしょうかね。それで、鋏の準備と後始末を頼むことができた。運が良かったのか悪かったのか、そこでゼス殿を呼びつけることができていなかったら、ここまで話がこじれることもなかったのでしょう」


「何よそれは! どうしてあたしがおばあ様の手首なんて切り落とさなくてはならないの!?」


「それは、テティア姫を救うためだったのではないでしょうか? そこにはたぶん、テティア姫の罪の証しが残されていたのだと考えられますので」


 今度は、ニコラも立ちすくむことになった。

 カミュア=ヨシュは、ゆっくりと寝台のほうを振り返る。


「テティア姫、御祖母マティーラの胸を短剣で刺したのはあなたですね?」


 テティアは、のろのろとカミュア=ヨシュを見る。

 その小さな唇が何か答えかけたとき――ニコラが「駄目よ!」とわめきたてた。


「テティア! 何も喋ったら駄目!」


「みんな……みんな、わたしのしたことに気づいていたのね……」


 死人のように真っ青な顔をしながら、テティアはひとしずくだけ涙をこぼした。


「そうです……わたしがおばあ様の胸に短剣を刺したのです……」


「テティア!」


「おばあ様を殺めたのはわたしです。ニコラもゼスも関係ないのです。すべての罪はわたしひとりに……」


「いえ。あなたは確かに短剣を突きたてたのでしょうが、それは昨晩の話なのでしょう? 貴婦人が生命を失ったのは夜が明けてからです。貴婦人を殺したのは、あなたではありません」


 カミュア=ヨシュが、ニコラのほうに視線を戻す。


「貴婦人は、テティア姫によって胸を刺されました。だけどきっと、骨にぶつかってそれほど深くは刃も入らなかったのでしょう。ただでさえ、貴婦人はふくよかなお身体をしておりましたしね。……それで、テティア姫が退出したのちに、貴婦人は胸の短剣を引き抜こうとして、それで右手の平を深く傷つけてしまったのだと思います。さきほど発見された手首には、その痕がざっくりと残されておりましたからね」


「…………」


「そうして貴婦人は血止めをするために、手近にあった肩掛けで強く手首を縛ったのでしょう。それで意識を失ってしまったか、あるいは血を流しすぎて声をあげることもできなくなってしまったか――とにかく、扉の外にいる従者を呼びつけることもできぬまま、孤独で心細い一夜を過ごすことになってしまったのです」


 ニコラは唇を噛み、おし黙った。

 カミュア=ヨシュはやわらかくそちらに笑いかける。


「そうして朝になり、ニコラ姫が寝所を訪れたのでしょう。そこでどういうやりとりがあったのかはわかりませんが、貴婦人は寝台から落ちて絶命することになった。床に落ちた衝撃で、浅く刺さっていただけの短剣があばらをへし折り、心臓にまで到達してしまったのです。あなたは当然、従者を呼ぼうとしたのでしょうが――あなたは昨晩テティア姫が寝所を訪れたということを知っていたのでしょうね? あるいは、朝方に貴婦人自身からその真実を聞かされたのでしょうか? とにかく、このままではテティア姫の罪が露見してしまうために、あなたは一計を講じる他なかったのです」


「何故だい? 手の平の傷がいつついたかなんて、手首に巻かれていた肩掛けをほどくだけで有耶無耶にすることができるじゃないか?」


 緊迫感のない声でポルアースが問うと、「いいえ」とカミュア=ヨシュは首を横に振った。


「おそらく、それでは用事が足りなかったのです。一晩中しめつけられていたのですから、貴婦人の手首には鬱血の痕が残されてしまっていたのでしょう。それを隠蔽するために、ニコラ姫は手首をまるごと始末する必要に迫られてしまったのです」


「うーん、聞けば聞くほど突拍子のない話だね! もしかしたら、さきほど発見された貴婦人の手首にその鬱血の痕とやらが残されていたのかい?」


「いえ。傷口はずくずくになっていたので、そのような痕を発見することはできませんでした」


「ううう、聞いているだけで寒気がしてしまうな。……しかし、それじゃあすべては当て推量なわけだね。いったい何をどのように考えたらそんな話をひねり出すことができるのだろう?」


 不思議そうな顔をしているポルアースに、カミュア=ヨシュはのんびり笑いかける。


「何も難しい話ではありません。証しは、寝台に残されていたのですよ」


「寝台?」


「ええ。寝台にも、多量の血の痕が残されていました。胸の傷は大したこともなかったでしょうから、あれはすべて手の平からこぼれた血なのでしょうね。……その、血だまりではなく点々と飛び散った血のほうは、指でひっかくと剥がれ落ちるぐらいに乾いてしまっていたのですよ。あれらがすべて朝方に流された血であったなら、そこまで乾ききっているはずがありませんよね?」


 カミュア=ヨシュは、その場にいる人間を順番に見回していく。


「貴婦人の亡骸にはまだ若干の温もりが残されていました。貴婦人が生命を落としたのは朝方で間違いありません。そうであるにも拘わらず、寝台にはもっと以前に流された血の痕が残されていた。俺は最初から、その謎を解くためにこそ、あれこれ話を聞いて回っていたのです」


 レイトは、誰にも気づかれぬように小さく息をつくことになった。

 同じものを見ていたはずなのに、レイトは気づくことができなかった。

 レイトが確認するべきは、亡骸ではなく寝具の状態であったのだ。


「昨晩、貴婦人の寝所を訪れたのはテティア姫のみだった。となると、貴婦人に血を流させたのは、テティア姫か控えの間の従者でしかありえない。しかし、従者が犯人であったなら、昨晩の内に何としてでもとどめをさしていたでしょうから、このような状況にはなりえない。よって、短剣を刺したのはテティア姫であり、それを賊の仕業だと見せかけようとしたのはニコラ姫である、という結論に行き着いたわけですが――はてさて、如何なものでありましょう?」


 ニコラは、何も語ろうとはしない。

 その姿をくいいるように見つめながら、テティアのほうが口を開いた。


「ニコラ、そうなのね……? あなたとゼス兄さんは、わたしをかばうためにそのような真似をしてしまったのね……?」


「あなたは何も聞かされていなかったのですね、テティア姫」


「はい……おばあ様が賊に殺められて、右の手首が持ち去られてしまったのだと聞かされて、わたしもわけがわからなくなってしまっていたのです……わたしは昨晩におばあ様を傷つけましたが、その後に賊が押し入って、おばあ様を殺めたなんて……そんなおかしな話がありえるのだろうか、と……」


「あなたはどうして御祖母を傷つけることになってしまったのでしょうか?」


 カミュア=ヨシュの問いに、テティアはいっそうの涙をこぼした。


「わたしは……アルファン子爵家の跡目について話し合うために、おばあ様の寝所を訪れたのです……確かにわたしの母は侍女の身でありましたが、わたしはジェノスの法務官の立ち会いのもとに正当な嫡子と認められたのです。それをねじ曲げてニコラに継承権を移すことなどできるはずもないのですから、何とかお考えをあらためていただけるようにと……」


「しかし、その願いは聞き届けられなかったのですね」


「はい……そればかりか、わたしはあの短剣を手渡されて、自害せよ、と詰め寄られることになってしまいました……」


 テティアの細い指先が、寝具をぎゅうっと握りしめる。


「お前さえいなければ、何もかもが丸くおさまる…………お前の母親が犯した許し難い罪を、お前の生命で贖うのだ、と……それで、口汚く母様のことを侮辱されてしまい……気づいたときには、おばあ様の胸を短剣で突いておりました……」


「そうだったのか、テティア」


 ゼスが底ごもる声で言った。

 その目には、とてつもないほどの苦悶の光が宿っていた。


「そうと知っていれば、俺がお前の代わりに刀を取っていたものを……あの老人めは、どうしてそこまで俺たちを憎むのだ! 貴族の家に生まれつかなければ、人間は人並みの幸せを願うことも許されないのか!?」


「それは、しかたのないことだわ……わたしたちの母様が、その貴族である父様を受け入れてしまったのだから……」


「だからといって、おばあ様にテティアを罵る資格などありはしないわ! 悪いのは、侍女に子を生ませた父様なのだから!」


 ニコラが大声でわめきたてる。

 その頬にも、いつしか涙が伝い落ちていた。


「あたしは跡目なんて継ぎたくなかったんだ! あたしは――あたしは、ゼスを伴侶に迎えたかったんだから!」


 わめきながら、ニコラは涙に濡れた瞳でカミュア=ヨシュをにらみつける。


「だからあたしは、おばあ様を説得するために寝所まで出向いたんだよ! 馬鹿な考えは打ち捨てて、テティアの伴侶を次代の当主にすればいいって――!」


「その点において、あなたは真実を語っていたのですね。しかし、どうして貴婦人は生命を落とすことになってしまったのでしょう?」


 やわらかい声音でカミュア=ヨシュが問うと、ニコラは唐突な悪寒に見舞われたかのごとく自分の身体を抱きすくめた。


「おばあ様が、寝台の上であたしにつかみかかってきたのさ! テティアがやった、あの娘は罪人だ、これで跡目はお前のものだって……真っ青な顔で、獣みたいに笑いながら、あたしの身体につかみかかってきたんだ! それであたしが逃げようとしたら、おばあ様は寝台から落ちて……」


 ニコラが、崩れ落ちそうになる。

 そのほっそりとした身体を、ゼスがすかさず抱き止めた。

 その姿を見つめながら、テティアがかすれた声音でつぶやく。


「ゼス兄さんとニコラに結ばれてほしかった……だからわたしは、この身にアルファン子爵家の名を負いたかったのです……でも、おばあ様はそれを許してくれなかった……」


「おばあ様は、爵位に取り憑かれてたんだよ! 子爵なんて、大した爵位でもないのにさ! 血を分けた家族よりも、おばあ様には爵位を自分のやり方で守ることが一番大事だったんだ!」


 ニコラもテティアも泣いていた。

 ゼスは口を引き結び、嗚咽をこらえているようだった。

 姉は妹を、妹は姉を、兄は妹と愛する人間を、それぞれ守りたかっただけなのだろう。

 家族というものを知らないレイトにも、その苦悩や悲しみを想像することぐらいはできるような気がした。


「どうやら俺の考えは一通り当たっていたようですね。貴婦人を殺めた犯人は、その場にいた3番目の人物――貴婦人自身であったようです」


 とても穏やかな微笑をたたえながら、とても静かな口調でカミュア=ヨシュはそう言った。


              ◇


「まったく、とんでもない騒ぎだったねえ――」


 アルファン子爵家を後にしながら、ポルアースがそのようにつぶやいた。

 玄関の扉を出たところで、カミュア=ヨシュがそちらを振り返る。


「ポルアース殿は、彼らをどうするおつもりなのでしょうかね?」


「うん? それはもちろん、ありのままの真実を報告するよ。家族に刀を向けるのも、それを隠すために衛兵たちを騙したのも、ジェノスの法では罪になるのだからね」


 鹿爪らしく、ポルアースはそのように答えた。


「法のもとには、誰もが正しく裁かれるべきだ。……だから、マティーラの生命が失われたのは不幸な事故だった、という事実とともに、すべてを正確に伝える必要があるだろうねえ」


「そうなると、アルファン子爵家はどうなるのでしょう?」


「当然のことながら、廃位になるのじゃないのかな。王都の連中の手前、伯爵家であれば何がどうあっても存続させなければならないけれど、子爵家の取り扱いはジェノス侯に一任されているからね。王都に報告のトトスを走らせて、それでおしまいさ」


 そう言って、ポルアースはふにゃりと笑みくずれた。


「まあ、彼らにとってもそのほうが幸福だろう。望んでいない者にとって、爵位などは重荷にしかならないからね。貴族としての栄誉と安楽な生活と引き換えに、彼らは自由な生を得るのさ。罪をつぐなったのちに働きどころがなかったら、ダレイム家で奉公してもらおうかな」


「そうですか」とカミュア=ヨシュも笑った。

 カミュア=ヨシュにしては珍しい、なかなか屈託のない笑顔であった。


「それでは後のことはおまかせいたします。ジェノス侯にもよろしくお伝えください」


「うん! 今度は僕の家に招待するからね!」


 ぶんぶんと手を振るポルアースに別れを告げて、カミュア=ヨシュとレイトは門を出た。


 城下町の石造りの街路を、並んで歩く。

 アルファン子爵家で起きた惨劇など知らぬげに、町は明るい光と活力にあふれていた。


「あの、ひとつだけ僕にはわからないことがあるのですが」


 歩きながらレイトが告げると、カミュア=ヨシュは「うん?」と不思議そうに見つめ返してきた。


「腕力のないニコラ姫でも、貴婦人を寝台の下にうまく落とせば、とどめをさすことは可能でしたよね? それなのに、カミュアは最初から貴婦人が自分の不注意で生命を落としたのだと結論づけていました。その理由が、僕にはわからないのです」


「俺は何も結論づけてなどはいなかったよ。俺はあの場で喋りながら、ずっとニコラ姫の表情や挙動の変化をうかがっていたのさ。最初にニコラ姫が犯人でないと決めつけたのは、言ってみれば相手を油断させるための策謀みたいなもんだね」


 こともなげに、カミュア=ヨシュはそう言った。


「だけど彼女は、感情を隠すのがそれほど得手であるようにも思えなかった。人並み外れた意志の強さと胆力を持ち合わせているようではあったけれども、肉親を害するような非情さとは無縁なような人柄にも思えた。だからまあ、証しはないけど彼女は潔白なのだろうと思うよ。……そうでなかったら、いずれ俺たちの代わりにセルヴァが彼女の魂を裁いてくれるだろうさ」


「……僕はやっぱりまだカミュアの足もとにも及んではいないようです」


 レイトは深々と息をついてみせる。


「同じ場所に立って、同じものを見ているはずなのに、どうしてもカミュアと同じように物事を考えることができません。不肖の弟子で、申し訳ない限りです」


「大仰な言い様だなあ。君は何歳になったのだっけ、レイト?」


「知っているでしょう。この年で11です」


「若いなあ!」とカミュア=ヨシュは笑う。


「俺が11歳の頃なんて、この世の道理もわからずに震えてばかりだったよ。それに比べれば、レイトなんてびっくりするぐらい大人びていると思うけどねえ」


「大人びているだけでは足りないんです。僕は、大人になりたいのですから」


「年なんて、放っておいても勝手に食ってしまうものなのだから、今の若さを存分に楽しむべきだと思うよ?」


 笑いながら、カミュア=ヨシュはレイトの頭にぽんっと大きな手の平を載せてきた。

 これもまた、なかなか彼らしくない仕草である。


「あの、これではますます子供めいてしまうのですが」


「11歳は立派な子供だよ。無理に背伸びをする必要はないさ」


「カミュアはもう30ですものね」


「29だよ! 知ってるくせに、ひどいなあ」


 ぼやきつつ、レイトの頭からは手を離そうとしない。

 その温かさが、レイトには落ち着かなかった。


「あのねえ、レイト。確かに君は俺の弟子だけれども、それはあくまで《守護人》としての見習いだからね? 剣技やトトスの乗り方ぐらいしか、俺には教えることもできないんだ」


「はい。だから僕は、僕なりのやり方でカミュアのような人間になれるよう努力しているつもりなんです」


「どうして俺みたいな人間を目指してしまうのかなあ! そんなのは、100人中の100人が猛反対するような話だと思うのだけれども」


「それなら僕は、101人中の101人目なんです」


 カミュアは苦笑し、ぽんぽんと何度かレイトの頭を叩いてからようやく手を離してくれた。


「俺のような人間は、行く末は野垂れ死にと相場が決まっている。もうちょっと安楽な人生を求めたほうが幸福だと思うけれどねえ」


「はい。マサラのバルシャにも良い死に方はしないだろうと忠告されました」


「うんうん、もっともな話だよ。人間は、どのような死に方をするかが肝要なんだ。どんなに恵まれた人生を送っても、最後の最後で家族に恨まれながら死んでいくなんて、そんな虚しい話はないじゃないか」


 それはきっと、貴婦人マティーラのことを指しているのだろう。


 子爵家の名に固執したマティーラが悪いのか。

 激情をおさえきれなかったテティアが悪いのか。

 侍女に子を生ませたテティアの父親が悪いのか。

 雇い主からの求愛を拒めなかったテティアの母親が悪いのか。


 レイトには、そこまでの判別をつけることはできなかった。


「……僕はまだ11歳なのだから、理想の死に様までを上手く思い描くことはできません。ただ、自分で納得のいく生を生きて、その末に訪れる死を受け入れたいと思っています」


「うーん、11歳でそこまで達観していることが恐ろしいように感じられてしまうのだけれども……」


「30を目前にしたカミュアには、自分の死に様を思い描くことができているのですか?」


「30を強調しないでくれってば! ……そうだねえ。俺はたとえ野垂れ死にだとしても、へらへら笑いながらセルヴァのみもとに召されたいなあと考えているよ」


 実際にへらへらと笑いながら、カミュア=ヨシュはそのように言った。

 その目が、何かを透かし見るようにすがめられている。


「まあ、そう考えると――これでニコラ姫に跡目を継がせられるのだと信じながら絶命することになったマティーラなどは、案外幸福な心地で天に召されていったのかもしれないね。苦悩するのは、いつも残される人間たちのほうなのだから」


「だからカミュアは、自分の子をこの世に残そうとしないのですか?」


「どうだろうね」とカミュアは笑った。


「まあきっと、今さら自分の子をこの世に残していきたいなどという考えには至らないだろうと思うけれども、可愛い弟子が《守護人》として一人立ちする姿を目にすることさえできれば、それなりに満足かな」


「……ご期待にそえるよう、頑張ります」


「うん、頑張っておくれよ」


 カミュア=ヨシュは、にっこりと微笑んだ。


「さあ、何とか軽食をとる時間ぐらいは確保できたみたいだね。急いで宿場町に戻ることにしよう」


「はい」


 2年間も行動をともにしていながら、レイトはまだカミュア=ヨシュのことを半分も理解しきれていないのだろうと思う。

 自由気ままに諸国を巡り歩き、神の怒りや禁忌をものともせず、とてもたくさんの人間に敬愛されたり疎まれたりしながら、カミュア=ヨシュは幸福であるのか不幸であるのか――もしかしたら、それを見定めたいがために、レイトはカミュア=ヨシュのそばにあるのかもしれなかった。


(だけど、幸福であろうと不幸であろうと、僕はあなたのようになりたいんです、カミュア)


 そんなことを考えながら、レイトは奇妙な師匠とともに石の街路を歩き続けた。

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