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異世界料理道  作者: EDA
第十四章 群像演舞
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第八話 ルティムの嫁とルウの四姉妹

2015.10/6 更新分 1/1

 灰の月の9日の昼下がり、アマ・ミン=ルティムがルウの本家を訪ねると、まずは家の前で長姉のヴィナ=ルウと出くわすことになった。


「あらぁ、どうしたのぉ、アマ・ミン=ルティム……? あなたの当番は明日のはずだったわよねぇ……?」


 何故かヴィナ=ルウは家に入らず、壁にもたれて座り込み、何やら思案している最中であるようだった。

 そちらにうなずき返しつつ、アマ・ミン=ルティムは自分が引いてきた引き板の荷物を指し示してみせる。


「実はルティムで、ひさびさに丸々と太ったギバを仕留めることができたので、アスタに届けに来たのです」


「へぇ……こんな風に言ったら何だけど、ダン=ルティムがよくそんな上等なギバの肉を手放す気持ちになれたわねぇ……?」


「はい。太ったギバは2頭ほど狩れたので、その1頭はファの家に譲ろうという話になりました」


 ルウの眷族の集落の付近では、まだ森の恵みが十分に回復していないため、縄張り争いに負けた痩せこけたギバぐらいしか近づいてこないのだ。

 ルウの眷族が休息を取っていた間は、ファやフォウの家で狩っていたギバの肉を商売で使っていたらしいが、今度はそちらの氏族らが休息の期間に入るとあって、その間のギバ肉をどこから調達したものか、アスタは頭を悩ませているらしいのである。


 血抜きの技術を習得したサウティとも取り急ぎ売買の話を詰めているようなのだが、名目上、サウティはまだファの家の商売について中立の立場を取っている。族長筋として、そこのところを曖昧にしたまま商売に協力するのは如何なものかと、そのように紛糾してしまっている様子なのだ。


「脂ののっていないギバは、確かに味が落ちますものね。……アスタから美味なる食事というものを教わるまでは、そのようなことを気にしたことはありませんでしたが」


「脂、かぁ……」


 と、ヴィナ=ルウが切なげな視線を向けてくる。


「……アマ・ミン=ルティムって、細すぎもしないし太すぎもしないし、女衆としてはちょうどいいぐらいの脂加減よねぇ……?」


「え、ええ? いったい何のお話ですか?」


「ううん……わたしって、人並み以上に脂がついちゃってるからさぁ……」


 アマ・ミン=ルティムは、ぶしつけながらヴィナ=ルウの姿を検分させていただいた。


 脂がつきすぎているという感じは、まったくしない。もちろん痩身ではありえないが、実に健やかかつ女性らしい丸みと凹凸を有した肉体であり、数多くの男衆がこの肢体には魅了されているのである。同じ女衆のアマ・ミン=ルティムから見ても、それは決して気に病むような姿であるとは思えなかった。


 そもそもヴィナ=ルウは、この上もない魅力と色香を有してもいるのだ。

 森辺の集落のみではなく、宿場町においてもヴィナ=ルウは存分に異性の関心を引いてしまっている。とろんとした眠たげな眼差しも、肉感的な唇も、端麗でありながらどこかに幼さを残したその顔立ちも、すべてが男衆を惑わせる役に立っているのだろうと思う。


 そして、本来ヴィナ=ルウはそうして過剰に男衆を引きつけてしまうことこそを気に病んでいたはずであった。

 この5年間でヴィナ=ルウが嫁入りや婿取りを断った話は、両手の指でも足りないぐらいの数に至ってしまっていたのである。


「……あんまりじろじろ見られると、気恥ずかしくなっちゃうんだけどぉ……」


 と、ヴィナ=ルウが悩ましげにその肢体をくねらせる。

 こういった仕草も、きっと無意識に男衆を惑わせてしまうのだろう。


「すみません。でも、ヴィナ=ルウは誰もが羨むほどの優美さを持っていると思います。むろん、国が違えば美醜の基準も違ってきてしまうのでしょうが」


「…………」


「それでもあのシムの民は、外見でなくヴィナ=ルウの内面に心を引かれたと述べていたのでしょう? ならば、何も気にする必要はないのではないでしょうか」


「……どうしてアマ・ミン=ルティムがそんな話を知っているのかしらぁ……?」


「あ、すみません。ララ=ルウとアスタがそのような話をしていたのが、たまたま耳に入ってしまったのです」


 ヴィナ=ルウは、長く重い溜息をついた。

 そして、子供のように唇をとがらせる。


「別にわたしは、あの男にどう見られているかを気にしてるわけじゃないのよぉ……? ただ、確かに肉や脂がつきすぎてるんだろうなあって自覚させられただけで……」


「いえ、ですから、そんなことは決してないと思います。ヴィナ=ルウだって、痩せてはいない代わりに太ってもいないはずですよ?」


 そしてアマ・ミン=ルティムは、少し心配になったので一言つけ加えてしまった。


「ですから、あの……無理に痩せようとかはしないでくださいね、ヴィナ=ルウ?」


「……どうしてわたしがそんな真似をしなくちゃならないのぉ……?」


 ヴィナ=ルウは、いっそう不満そうな顔になってしまう。

 しかし、それもすぐに憂いげな表情に塗りつぶされてしまった。

 その指先が、おそらくは無意識のうちに、左の手首につけられた石の飾り物にのばされている。


「ヴィナ=ルウは、その男衆を婿に取るべきかどうかを思い悩んでおられるのですね」


「……そんな話、ドンダ父さんが許すはずもないわぁ……ルウ家は族長筋として、森辺の民に規範を示さなくちゃならないんだからぁ……」


「ドンダ=ルウに反対されたとき、自分がどのようにふるまうべきかを思い悩んでおられるのではないのですか?」


 ヴィナ=ルウは口をつぐんでしまった。

 その正面に屈み込み、アマ・ミン=ルティムはヴィナ=ルウの瞳を覗き込む。


「それは、正しい気持ちだと思います。相手はシムの神を捨てでまでヴィナ=ルウに婿入りしたいと願ったのですから、断るにせよ受け入れるにせよ、ヴィナ=ルウも懸命に正しい道を選ぶべきなのではないでしょうか」


「……正しい道なんて、わたしにはわからないわぁ……」


「いえ、それは自分にとっての一番正しい道、という意味です。ヴィナ=ルウが一番幸福になれるであろう道、とも言えますね」


 ヴィナ=ルウは、恨めしそうにアマ・ミン=ルティムを見つめ返してくる。


「そんなの、わたしには難しすぎるわぁ……わたしだけが幸福になったって、それは家族や他の人間にとっての不幸になっちゃうのかもしれないし……」


「そんなことはないと思います。ヴィナ=ルウを大事に思っている人間であれば、ヴィナ=ルウが幸福になることを一番の喜びと感じるはずです」


 ヴィナ=ルウの面に、別の色合いの感情が浮かびあがってくる。

 それは、親とはぐれた子供のように不安げな表情に見えた。


「わたしは最近、自分が何を求めているのかもわからなくなってきちゃったのよぉ……どうせそのあたりのことも、ララとかアスタとかが話していたんでしょう……?」


「はい」


 東の民シュミラルとの別れを遂げるとき、ヴィナ=ルウは「外の世界に憧れていた」という心情を吐露していたらしいのだ。

 しかしそのような願いは打ち捨てて、森辺の民として生きていく決心をしたのだ――と。


 森辺の民が外の世界に憧憬を抱いてしまうなんて、それはよほどのことであったのだろう。

 アマ・ミン=ルティムの知る限り、そのような願いを抱く森辺の民はひとりとして存在しない。


 そんなヴィナ=ルウが、外の世界の人間に他ならないシュミラルという人物に思いを寄せられてしまったのだ。

 きっとヴィナ=ルウは、煩悶したのだろうと思う。

 自分が望めば、外の世界に連れ出していってくれるのかもしれない。そんな相手を目前に迎えて、自分はどのようにふるまうべきか――深く深く思い悩んだ末に、ヴィナ=ルウは森辺の集落で森辺の民として生きていく決心を固めたのだ。


 それで話は終わるはずだった。

 が、シュミラルという人物は案に相違して、ヴィナ=ルウを嫁として迎えるのではなく、自身が森辺の集落に婿入りしたいなどと言い出してきたのである。


 彼は彼で大いに悩み、森辺の族長筋たるヴィナ=ルウを嫁に迎えることは難しいと考え、自分が神と故郷を捨てる決断を下してしまったのだった。


(それはヴィナ=ルウとしても混乱して当たり前な状況なんだろうなあ)


 そんなようなことを考えながら、アマ・ミン=ルティムは悩めるヴィナ=ルウの顔を見つめ続けた。

 栗色の髪の先を弄りながら、ヴィナ=ルウはまた深く息をつく。


「自分の気持ちがわからないんだから、正しい道なんて選びようもないでしょう……? そもそも、人を愛するってどういうことなのかしらねぇ……」


「それはきっと、誰にとってもはっきりとした答えは出せない問題なのだと思います」


「そうなのぉ……? でも、アマ・ミン=ルティムは……ガズラン=ルティムを愛していたからこそ、伴侶となることを決断できたのでしょう……?」


「はい。だけど、わたしはガズランの気持ちを先に知ることができなければ、きっと何もしないまま伴侶となることをあきらめていたと思います」


 頬のあたりに熱を感じながら、アマ・ミン=ルティムはそのように答えてみせた。


「今では自分の気持ちに疑いはありませんが、それまでは自分の抱える気持ちが何であったのかも知ることはできませんでした。いっそのこと、ガズランが早く他の女衆を嫁として娶ってしまえばいいのに――とすら思っていたほどです」


「本当にぃ……? 今のあなたからは想像もつかない話ねぇ……」


「ええ。ですから、ガズランのほうが先に己の気持ちを見出すことができて、本当に良かったと思います。ガズランがそばにいない生なんて、今では想像するだけで胸が苦しくなってしまいますし」


 言いながら、アマ・ミン=ルティムはこらえかねて自分の頬を両手でおさえてしまった。


「すみません。ものすごく気恥ずかしいことを口にしてしまっていますね。馬鹿な女だと思われてもしかたのないところです」


「そんなことないわぁ……わたしなんかのためにそこまで心情をさらけ出してくれるなんて……あなたは本当に優しいのね、アマ・ミン=ルティム……」


「それはだって、大事な眷族ですから」


「わたし……あなたには嫌われているんだろうなあって思っていたのよねぇ……」


 まだ少し不安そうな面持ちで、ヴィナ=ルウが上目づかいにアマ・ミン=ルティムを見つめてくる。

 一瞬なんのことかわからなかったが、アマ・ミン=ルティムはすぐに「ああ」と思い当たることができた。


「それはヴィナ=ルウがガズランへの嫁入りの話を途中で断った件のことですね? そのようなことは、わたしもガズランも気にしておりません。……そして、その一件があったからこそ、ヴィナ=ルウも本当に正しいと思える相手にしか嫁ぎたくはないのだろうと思っていたのです」


「うん……」


「わたしもガズランも、さんざん思い悩んだ末におたがいを見出すことができました。一生の伴侶を選ぶのですから、それぐらい悩むのは当然のことなのだと思います。だからヴィナ=ルウも、これは幸福な生をつかみとるための試練だと割り切って、大いに悩んでしまえばいいのではないでしょうか?」


「悩むのは、当然……? そんなこと、わたしは思いつきもしなかったわぁ……」


 ヴィナ=ルウはしばらく目を伏せてから、やがて真っ直ぐにアマ・ミン=ルティムの顔を見つめ返してきた。


「アマ・ミン=ルティム……わたしが男衆だったら、きっとアマ・ミン=ルティムのような女衆に心を引かれていたでしょうねぇ……とてもつつましやかなのに、毅然としていて……すごく魅力的だもの……」


「ええ? わたしはただ、表面を取りつくろうのが得手なだけです。こんなに気性の激しい娘では先行きが不安だと家族らを悩ませていたほどなのですよ?」


「そうなのぉ……? とうてい信じられないわぁ……でも、ありがとう……思い悩むのは正しいことだって言われて、わたしは少し気が楽になったみたい……」


 そのように言いながら、ヴィナ=ルウは艶やかに微笑んだ。


「あと数ヶ月間、頭がすりきれるまで思い悩んでみるわぁ……それで、自分がどうするべきかを考えてみる……」


「はい。おつらくなったときは、いつでも相談してください」


 そのとき、集落の入口のほうから賑やかな気配が伝わってきた。

 がらごろと荷車を引いたトトスが現れる。アスタやルウの女衆らが、宿場町から戻ってきたのだ。


「あらぁ、もうそんな時間になったのねぇ……干していたピコの葉を片付けないとぉ……」


 ヴィナ=ルウが、ゆらりと立ち上がる。

 かと思うと、そのしなやかな両腕がぎゅうっとアマ・ミン=ルティムを抱きすくめてきた。


「ヴィ、ヴィナ=ルウ? どうされたのですか?」


「ううん……何だか急に、アマ・ミン=ルティムのことが愛おしくなってしまったのぉ……わたしは長姉だったから、頼もしい女衆に心を引かれてしまうのかもしれないわねぇ……」


 そうして名残惜しそうにアマ・ミン=ルティムから身を離したヴィナ=ルウは、それこそ恋する乙女のように頬を赤らめてしまっていた。


「ごめんなさぁい……あの、またルウの集落に留まることがあったら、いっぱいお話をしましょうねぇ……?」


「は、はい」


 こんな潤んだ瞳で見つめられたら男衆はたまらんだろうなあと思いつつ、アマ・ミン=ルティムはうなずき返してみせた。

 そうしてヴィナ=ルウは家の横手に消えていき、トトスの荷車がアマ・ミン=ルティムの前にまで近づいてくる。


「ああ、アマ・ミン=ルティムだったのですね。いったい誰かと思いました」


 御者台から降りたアスタが、手綱を握ったまま心配そうに顔を寄せてくる。


「ご一緒にいたのはヴィナ=ルウですよね? 何かあったのですか?」


 もちろんこちらを目指していたアスタにはすべてを見られてしまっていただろう。アマ・ミン=ルティムはわけもなく顔を赤くしながら、「ちょっとお話をしていただけです」と答えることしかできなかった。


「あれ、アマ・ミンがいるよ?」


「ホントだ。アンタ、家の仕事をほっぽり出して何をやってるのサ?」


 同じように荷車を降りてきたモルン=ルティムとツヴァイもこちらに寄ってくる。モルン=ルティムは中天から、ツヴァイは朝方から、それぞれルウ家の屋台の商売を手伝っていたのである。


「ええ。ルティムで立派なギバが獲れたから、アスタに買い取ってもらえるかどうか相談に出向いてきたのよ」


「え、本当ですか? ルティムのほうでもまだ痩せたギバしか近づいてこないのでしょう?」


「ときにはこうして元気で肥え太ったギバが迷い込んでくることもなくはないようです。わたしは狩人ではないので詳しくはわからないのですが」


「脂ののったギバなら大助かりです! スドラやラッツなどからも肉は買い上げているのですが、ちょっと備蓄が心もとなくなりかけていたところだったので」


 アスタは、きらきらと瞳を輝かせていた。

 宿場町での商売を再開させて、今日で4日目。日を追うごとに、アスタはこれまで以上の生気と意欲をみなぎらせているように感じられた。


「かまどの間でご確認ください。それほど大きなギバではありませんが、脂は十分にのっていると思います」


「ありがとうございます! それでは早速!」


 引き板に載せていた大きな革袋を、ふたりがかりで荷車に積み込む。

 その間に、残りの女衆らも荷車を降りていた。


 アスタの屋台を手伝っていたリィ=スドラとララ=ルウ。それに、ルウ家の屋台を任されているシーラ=ルウとレイナ=ルウである。

 その、最後に降りてきたレイナ=ルウの姿を見て、アマ・ミン=ルティムは「あら?」と首を傾げることになった。


「綺麗な花束ですね。ルウ家ではどなたか生誕の祝いを迎えるのでしょうか?」


「いえ。そういうわけではないのですけれど……」


 レイナ=ルウは、何やら困惑げに微笑んでいた。


 その間に、他の一同は連れ立って家の裏手へと回っていく。

 アスタは4日ほど前からファの家に戻ったが、商売の後はいつもこうしてしばらくルウの集落に留まり、料理の手ほどきをしてくれているのだ。


 レイナ=ルウはちょっと迷うような素振りを見せてから、アマ・ミン=ルティムのそばに寄ってきた。


「実は、屋台を訪れた貴族に手渡されてしまったのです。何度もお断りしたのですが、どうしてもと言い張られてしまって……」


「ああ、バナームという町の貴族ですか」


 その話は、ラウ=レイから伝え聞いていた。

 どうやら城下町の晩餐会において、レイナ=ルウと顔を合わせた貴族や料理人の若者たちがそろって胸を騒がせることになってしまったそうなのである。


 しかし、レイナ=ルウは「いいえ」と首を横に振った。


「バナームではなく、このジェノスの貴族です。宿場町を治めるサトゥラス伯爵家の、たしかリーハイムと名乗っていました」


「サトゥラス伯爵家? そのような人物が、どうしてレイナ=ルウに花束を?」


「はあ。どうやらその人物も先日の晩餐会に参席していたらしく、アスタが屋台を再開させた初日にも姿を現したのです。わたしが顔を合わせたのはそのときが初めてなのですが、今日はこのようなものを手渡されることになってしまいました」


 アマ・ミン=ルティムとしては「まあ」と目を見開くしかなかった。


「バナームの貴族や城下町の料理人に加えて、今度はジェノスの貴族がですか。もちろんレイナ=ルウは魅力的な女衆ですが……ジェノスの貴族が森辺の女衆に花束を贈るだなんて、ちょっと前代未聞なのではないでしょうか」


「本当です。いったい何を考えているのでしょうね」


 レイナ=ルウは、ただひたすらに困惑しているようであった。

 それも無理からぬことだろう。アマ・ミン=ルティムが同じ立場であったなら、困惑を通りこして怒るか笑うかしていたかもしれない。


「まあ、ジェノスの貴族が森辺の女衆を嫁に娶るとは思えませんし、そう考えると、贈り物などを捧げるのは不実なことにすら思えてきてしまいますね」


「はい。まったくその通りです。……もっとも、嫁に娶りたいなどという話であったのなら、なおさらこのようなものは受け取れませんでしたが」


「……その貴族はどのような人物であったのですか?」


 好奇心に負けてアマ・ミン=ルティムが問いかけると、レイナ=ルウは子供がむずがるような顔になってしまった。


「頭に油を塗りたくった、いかにも貴族めいた若者です。わたしの前では態度を取りつくろっていましたが、いかにも傲岸そうな目つきをしていましたね。……その上、叩いたらすぐに折れてしまいそうな脆弱さも隠しきれてはいませんでした」


「なるほど。それは災難でしたねえ」


「はい、災難です」


 レイナ=ルウがあまりにもきっぱりと言い切ったので、アマ・ミン=ルティムは思わず吹き出してしまった。


「わたしにとっては笑い事ではありません。貴族が相手ではあまり無下にもできませんし、ほとほと困っているのです」


「すみません。心中はお察しいたします」


 アマ・ミン=ルティムは笑いを引っ込めて、レイナ=ルウの姿を見つめ返す。


 ヴィナ=ルウはアマ・ミン=ルティムよりいくぶん長身であるが、次姉であるこのレイナ=ルウは、拳ひとつぶん以上も小柄であった。

 しかし、魅力の度合いは姉のほうと大差はない。森辺では珍しい黒髪を首の横でふたつに結っており、その小さな面には青い瞳が明るくきらめいている。背は小さくとも非常に肉づきはよく、彼女を嫁に欲しがる男衆は森辺でも少なくはないはずであった。


「しかし、ジェノスの貴族が臆面もなく花束を贈ってくるというのは、それだけレイナ=ルウが魅力的な女衆であるということなのでしょう。そのことだけは、素直に喜んでもいいのではないでしょうか?」


「とうてい喜ぶ気持ちにはなれません。もしも屋台にいたのがわたしではなくヴィナ=ルウであったのなら、そちらに花束を贈っていたのでしょうし」


 レイナ=ルウはアマ・ミン=ルティムと同じく17歳であったが、決して自分に対して口調を崩そうとはしない。家族の名を氏とともに呼ぶのも、そのあらわれだ。

 しかし、分家のシーラ=ルウに対しては、年上でもくだけた口調で語りかけている。ルウ家は親筋なのだから、自分に対してもそこまで気を払う必要はないのにな、とアマ・ミン=ルティムは常々思っていた。


「どうでしょうね。レイナ=ルウもヴィナ=ルウもそれぞれ魅力的ですが、人柄としてはあまり似ていないように思います。レイナ=ルウに心を引かれた男衆が、同じようにヴィナ=ルウに心を引かれるとは限らないのではないでしょうか」


「それでも迷惑だということに変わりはありません。わたしは今、男衆に思いを寄せられてもそれを喜べるような心境ではないのです」


「え? それが森辺の男衆であってもですか?」


「はい。わたしは今、すべての力を振り絞って料理の修練を積んでいるのですから、男衆からの求愛など迷惑だとしか思えないのです」


 それはあまりに、森辺の習わしに反する心情であった。


「ですが、伴侶を娶って子供をなすというのも、女衆には大事な仕事です。美味なる食事を作るというのも大事な仕事ではありますが、さすがに比べられるようなものではないでしょう」


 レイナ=ルウは、子供のように唇を噛んでしまう。

 ただでさえ幼げな容貌をしたレイナ=ルウがそんな仕草をすると、ますます子供っぽく見えてしまう。


「でも……わたしにとっては、それが素直な心情なのです。森辺の習わしには反してしまっているかもしれませんが、自分の気持ちを曲げることはできそうにありません」


「それは困った話ですね。いったいどうしてそのような心情に陥ってしまったのでしょう」


「それは……」と言いかけて、レイナ=ルウは目を伏せてしまう。


「……自分でもよくわかりません。ただわたしは、アスタをも越えるような力量を身につけたいと願っています」


「アスタ以上の力量ですか? それはずいぶん……あまりにも険しい道であるように思えてしまうのですが」


「承知しています。でも、そうしないと自分の気持ちに区切りをつけられそうにないのです」


 子供のように言い張りながら、しかしレイナ=ルウの目に迷いはなかった。

 もしかしたら、この次姉は姉よりも強い気性を持っているのかもしれない。


「そうですか。……それならば、自分が正しいと思う道を進むしかないのでしょうね」


 アマ・ミン=ルティムがそのように応じると、レイナ=ルウはびっくりしたように目を見開いた。


「わたしを、諌めないのですか? ルウの本家の家人として、そのように勝手な真似は許されない――わたしはそのように言われると覚悟していたのですが」


「わたしはそれほど規範を重んずる人間ではないのです。森辺の掟に反しない限り、人は自分の気持ちこそを一番に重んじるべきだと考えています」


 アマ・ミン=ルティムは、小さく舌を出してみせる。


「だからわたしもガズランとの婚儀が決まるまでは、いつまでひとりでいるつもりだと親をやきもきさせていました。それでもわたしは、森辺の習わしよりも自分の気持ちを重んじたかったのです」


「そうなのですか……アマ・ミン=ルティムは、何の不都合もなく自分の気持ちを森辺の習わしに重ねておられる方なのだと思っていました」


「さきほどヴィナ=ルウにも同じことを言いましたが、わたしは取りつくろうのが得手なだけなのですよ。決して模範的な人間ではありえないのです」


「それは、本当に意外です。わたしはアマ・ミン=ルティムのことを誤解していました」


 そう言って、レイナ=ルウはにこりと微笑んだ。

 それはやはり、姉にも劣らぬ魅力的な笑顔であった。


「それならば、今の話は伏せておいていただけますか? 家族には心配をかけたくないと思いますので」


「誰にも言いません。そして、レイナ=ルウの努力が実を結ぶ日を心待ちにしています」


「ありがとう」と、レイナ=ルウはいっそう魅力的に微笑む。


 そこに、家の裏手から小柄な人影がふたつ戻ってきた。

 ツヴァイと、ララ=ルウである。


「レイナ姉、いつまでおしゃべりしてんの? アスタたちはもう明日の準備を始めようとしてるよ?」


「え、本当!? ごめん、すぐ行く! ……アマ・ミン=ルティム、それじゃあまた」


「ええ。明日はわたしが当番ですので、屋台の商売も料理の修練もよろしくお願いいたします」


「うん、こちらこそ」


 レイナ=ルウの口調が、少しだけ親しげなものに変わったような気がした。

 何とはなしに温かい気持ちが得られたところで、今度はツヴァイのほうが声をあげてくる。


「アマ・ミン=ルティム。さっきの肉は無事に買い取られることになったヨ。銅貨はアタシが受け取っておいたから、さっさと帰ろうヨ」


 モルン=ルティムはこのまま料理の修練を積みつつ晩餐の準備を手伝って、ルウの集落に逗留するのだ。

 アマ・ミン=ルティムは「そうね」とうなずきかけたが、そこにララ=ルウが言葉をはさんできた。


「あのさー、あたしちょっと、アマ・ミン=ルティムと話があるんだよね。悪いんだけど、あんたはシン=ルウの家で時間を潰しててくれない?」


「ハア? シン=ルウなんて、あたしはまともに喋ったこともないんだけど?」


「シン=ルウはまだ森の中でしょ。でも、ミダはリャダ=ルウたちと一緒に家の仕事を手伝ってるはずだよ?」


 この申し出に、ツヴァイはたちまち不機嫌そうな顔になってしまった。


「……アタシとミダは縁を切られたんだから、そんな気安く顔を合わせてたら周りの連中に示しがつかないんじゃないの?」


「そんなことないよ、あんたはルティムの家人でミダはルウの家人なんだから、まぎれもない眷族なんだ。眷族が親しく口をきいたって、なんにも悪いことはないさ。……あんたもミダも、ついでにレイ家のヤミル=レイだって、森辺の民として真っ当に生きようとしてるんだし、誰に何を恥じる必要もないっしょ」


「別にアタシは、最初から何も恥じちゃいないヨ」


「わかったから、とにかくシン=ルウの家に行っててよ。アマ・ミン=ルティムはすぐに返すからさ」


 いかにも不承不承といった様子で、ツヴァイは歩み去っていった。

 それでもこの年の近いふたりは案外に相性がいいのではないのかなと、アマ・ミン=ルティムは安心する。ふたりともに短気で直情的な気性であるが、そういう遠慮のない部分がうまい具合いに噛み合うのかもしれない。


「それで、わたしにお話とは何なのでしょう?」


 ツヴァイの小さな背中を見送ってからアマ・ミン=ルティムが問うと、ララ=ルウは「あー」と真っ赤な髪をかき回した。


「ちょっと、そっちの木の陰に行かない? 家の前だと、いきなり誰かが出てきちゃうかもしれないし」


「はい」


 言われた通りに、本家と隣の家の間にそびえたっていた大きな木の陰に移動する。

 しかし、そちらに場所を移しても、ララ=ルウはなかなか用件を切り出そうとはしなかった。


「わたしなどに話とは珍しいですね。宿場町での商売についてでしょうか?」


 きっと違うだろうなと思いつつ、そのようにうながしてみる。

 案の定、ララ=ルウは「ううん」と首を横に振った。


「あのさあ、答えにくかったら無理に答えないでね? ……アマ・ミン=ルティムって、ガズラン=ルティムと喧嘩したりすることはあるの?」


「喧嘩ですか? いえ、特にそういうことはないように思いますが」


「うーん、ふたりとも落ち着いた性格をしてるもんね。……でも、嫁に入る前はどうだったの? 今よりは、意見がぶつかることも多かったんじゃない?」


「どうでしょう? もちろんこまかい部分では意見が異なることもありますが、わたしとガズランは生来から物事の考え方やとらえ方が似ている人間であったようなのです」


「そっか……やっぱり伴侶になる人間っていうのは、そういう相手のほうが相応しいのかなあ?」


 この質問には「いえ」と答えてみせる。


「そのようなものは、人それぞれでありましょう。真ん中の大事な部分さえ重なっているならば、それ以外のところはどうでもかまわないのだろうと思います。わたしとガズランとて、考え方は似ていても気性や人柄はずいぶん違っているように思えますし」


「そうなの? ふたりとも、雰囲気からしてそっくりだなーって思ってたんだけど」


「そのようなことはないと思います。わたしもガズランも、表面を取りつくろうのが得手なだけなのですよ」


 まさか同じ台詞を日に3度も口にすることになるとは思わなかった。

 べつだんアマ・ミン=ルティムは内心を隠して生きているわけではなく、他者には礼節をもって対するべき、という家の教えを守っているに過ぎないのだが、それがあまりに成功しすぎていた、ということなのだろうか。


「……それでもアマ・ミン=ルティムたちは、ふだんから喧嘩をしたりするような仲ではなかったんだね」


 と、ララ=ルウが消沈した様子で息をつく。


 真っ赤な髪を頭のてっぺんで結った、13歳になったばかりの少女である。背丈のほうが先にのびてしまったらしく、ずいぶん細っこい身体つきをしているが、ふだんは男の子のように活発で遠慮のないところが、この少女の最大の美点であるとアマ・ミン=ルティムは思っている。

 そんな彼女が彼女らしくもなくしょんぼりしてしまうのは、姉たち以上に懸念を抱かせるものであった。


「あたしさ、シン=ルウっていう男衆と、いっつも喧嘩になっちゃうんだよね。……いや、喧嘩っていうよりは、あたしがひとりで頭にきちゃって、相手を怒鳴りつけてるだけなんだけど」


「はい」


「でも、シン=ルウだってもう16歳の立派な狩人なんだし、それどころか5人の家族を守る分家の家長なんだからさ。それがあたしみたいな若輩の女衆に怒鳴りつけられてたら格好がつかないよね。あたしもなるべくシン=ルウの面目を潰さないように気をつけたいとは思っているんだけど……」


「面目というのは大事な話ですね。特に森辺の男衆というのは、狩人としての誇りを力にかえているのですから」


 そのように言ってから、アマ・ミン=ルティムは「でも」とつけ加えた。


「面目と誇りというのは、似ているけれども同じものではありえません。面目というのは他者に向けるものであり、誇りというものは自分に向けるものなのでしょうから」


「うん……? ごめん、あたし、あんまり難しい話はわからないんだよね」


「何も難しい話ではありません。大事なのは、そのシン=ルウという男衆の気持ちである、ということです。シン=ルウにとって他者よりもララ=ルウの存在が重要であるならば、何を怒鳴りつけられても大きな問題にはならないのではないでしょうか?」


「えー? だけど、大事な相手はもっと思いやるべきじゃないかなあ?」


「ララ=ルウは、その相手を思いやってはいないのですか?」


「そんなことないよ! ……でも、あたしは自分の意見や気持ちをぶつけちゃってるだけだからさ……」


「意見や気持ちが異なっていたならば、わたしはガズランに隠したくないし隠されたくもない、と思いますけれども」


「うーん……だけど、アマ・ミン=ルティムは相手を怒鳴りつけたりはしないんでしょ?」


「そうですね。でも、なるべく正しい形で感情を伝えたいとは思います」


 そのように言ってから、アマ・ミン=ルティムはにっこり微笑んでみせた。


「ララ=ルウは、感情を隠せない気性なのでしょう? だからついつい怒鳴りつけたりもしてしまうのでしょうが、その分、別の場所では相手を思いやる気持ちなども正しく届けられているのだろうと思います。それならば、何も心配はないのではないでしょうか」


「ア、アマ・ミン=ルティムはシン=ルウのことを知ってたっけ?」


 感じやすい頬を赤くしているララ=ルウを可愛いなと思いながら、アマ・ミン=ルティムは「いいえ」と首を振ってみせる。


「でも、ララ=ルウがどれほど真っ直ぐで清らかな人間であるかはわきまえているつもりです。だから、心配はいらないと思います」


「そんなことないよー! あたしは未熟で、自分の感情をおさえることもできない子供なだけなんだから!」


「いいえ。ララ=ルウに感情をぶつけられて嫌な思いをするならば、それは相手のほうが間違っているのです」


「絶対そんなことないってば!」


「でしたら、その相手に確認してみればよいのではないでしょうか? それが一番確実でありましょう?」


 ララ=ルウは目を白黒させながら、「確認って、こんな話をどう伝えればいいの?」と言う。


「言葉を飾る必要はありません。さきほどわたしに伝えたのと同じ言葉を届ければいいのです。そうすれば、ララ=ルウの気持ちは正しく伝わります」


「えーっ! シン=ルウにそんな話をするのは……さすがに気恥ずかしいかなあ」


「でも、ララ=ルウは不安になってしまったのでしょう? その不安を取り除くためには、素直に気持ちをぶつけるのが一番だと思います。ララ=ルウは、きっと気持ちを伝えることを得手にしているのでしょうから」


 ララ=ルウは口もとに手をあてながらうつむいてしまった。

 その顔が、髪の毛に負けないぐらい赤くなってしまっている。


 この少女も、きっと数年後には姉たちに負けないぐらいの魅力的な女衆に成長するのだろう。

 このような少女に思いを寄せられている男衆は果報者だ、と思う。


「人間は、自分に似ているものにも似ていないものにもそれぞれ心を引かれるのだと思います。もしかしたら、そのシン=ルウという男衆は、あまり感情が表に出ない人柄なのではないでしょうか?」


「う、うん。よくわかったね? シン=ルウは、自分の気持ちを出すのが下手みたいなんだ」


「森辺の民は、シムとジャガルの血が合わさって生まれた一族であるという伝承がありますからね。そのせいかどうかはわかりませんが、自分の感情をあまり表そうとしない人間と、感情のおもむくままに生きようとする人間と、けっこう両極端に分かれているように思うのです。……その男衆が感情を出すことを苦手にしているならば、素直に感情を出せるララ=ルウの存在をかけがえのないものと考えている可能性もあると思います」


 そう言って、アマ・ミン=ルティムはもう一度微笑みかけてみせた。


「そうだとしたら、ララ=ルウが自分の気持ちをおさえこもうとすることを悲しく思うかもしれません。だからこそ、自分ひとりで思い悩まずに、相手と気持ちを通い合わせるべきだと思うのです」


「……アマ・ミン=ルティムって、なんかすごいね。サティ・レイと同じぐらい小難しい話のできる女衆なんて、あたし初めて見たかもしれないよ」


「そうですか? わたしも気性の落ち着かない人間なので、なるべく正確に自分の気持ちを言葉で表したいと願っているだけなのですが」


「ううん、すごいと思う! あたし、アマ・ミン=ルティムに相談してよかったよ!」


 そう言って、ララ=ルウは青い瞳を明るくきらめかせた。


「帰るところを引き止めちゃってごめんね? ツヴァイが待ちくたびれてるだろうから、そろそろ戻ろっか」


「はい」


 ふだんはそこまで言葉を交わす機会もないルウ家の姉妹たちと、今日はずいぶん心情を打ち明け合うことになってしまった。何だか不思議な日だなあと、アマ・ミン=ルティムは心中でこっそり考えた。


 そうしてララ=ルウとともにシン=ルウとやらの家に向かってみると――そこには想像していたよりも多くの人影があった。


 ツヴァイとミダ、それにマサラの狩人ジーダにルウ家の末妹リミ=ルウという、ずいぶん風変わりな組み合わせである。


「あ、アマ・ミン=ルティムだ! ひさしぶりだねー?」


 いつでも無邪気なリミ=ルウに「そうですね」と微笑み返す。

 それを横目に、ララ=ルウはジーダのことをにらみつけていた。


「本家のほうについてこないと思ったら、あんたはこんなところで何をやってるのさ?」


「この家の薪割りを手伝っていた。別に文句を言われる筋合いはないと思うが」


 このジーダという異国の狩人は、護衛役としてアスタたちとともに宿場町へ下りていたのである。荷車は6人でいっぱいなので、彼だけはルウ家のトトスで移動していたのだが、集落に戻るなりこのシン=ルウの家を訪れたらしい。トトスのルウルウは、木に繋がれて枝の葉を食んでいる。


「薪割りだったら、別の家を手伝えばいいじゃん。ここはリャダ=ルウやミダのおかげで男手は足りてるんだからさ」


 ララ=ルウが、あまり穏やかでない口調で言いたてる。

 何かこのジーダに含むところでもあるのだろうか、と思っていると、リミ=ルウにちょいちょいと装束の裾を引かれた。


「あのね、ずーっと前にジーダがシン=ルウをやっつけちゃったことがあったから、ララはあんまりジーダのことが好きじゃないんだよ。シン=ルウは、ジーダの怪我が治ったら力比べを挑むんだーって頑張ってるんだけどね」


「リミ! 何をぼそぼそ内緒話してんのさ!」


「べっつにー? ジーダはさ、あんまりたくさんの人がいると落ち着かないんだよ。だから、本家じゃなくってシン=ルウの家に来たんじゃないのかなあ?」


 アマ・ミン=ルティムの背後に隠れながら、リミ=ルウはそのように言った。


「それでさ、他の家はまだ男衆が帰ってきてないから、ミダやリャダ=ルウのいるシン=ルウの家を選んだんじゃないの? 刀を持つことはドンダ父さんに許されてるけど、女衆しかいない家だとちょっぴり怖がらせちゃうかもしれないしね」


「……別に俺はそこまでややこしいことを考えていたわけではない」


 黄色い目を光らせながら、ジーダは不機嫌そうに応じる。

 もしかしたら、完全に図星をつかれてしまったのかもしれない。

 まだ8歳の幼さでありながら、このリミ=ルウという娘はやたらと人の心情を汲むのが得意なのである。


「ツヴァイ……ツヴァイはもう帰っちゃうのかな……?」


 と、ララ=ルウがまた眉を寄せて発言しようとしたとき、ふいにミダがそのような声をあげてきた。

 その足もとでララ=ルウやジーダ以上に不機嫌そうな顔をしていたツヴァイが、ぎょろりとした目でかつての兄をにらみつける。


「アマ・ミン=ルティムが戻ってきたんだから、とっとと帰らせていただくヨ。家にはまだまだ仕事が残されてるんだからネ」


「うん……」


 ミダはふるふると頬肉を揺らしている。

 その姿を見て、リミ=ルウがぴょこんと首を傾げた。


「ねえねえ。アマ・ミン=ルティムとモルン=ルティムは交代で料理のお勉強をしてるのに、ツヴァイはどうしてお勉強をしていかないの?」


「ああン? アタシの仕事は銅貨を数えることなんだヨ! 屋台の仕事はあらかた覚えることができたんだから、何も文句をつけられる筋合いはないサ」


「ふうん? だけど、ミャームーの料理は全員が作れるようになると助かるんだけどなあってレイナ姉が言ってたよ? ツヴァイはまだぎばばーがーしか作ることはできないんでしょ?」


「……そんなの、そこのララ=ルウだってまだ作れないじゃないか? どうしてアタシばっかりが修練を積まなきゃならないのサ?」


「だって、ララはアスタのほうを手伝ってるんだもん。ミャームーの料理もルウ家の屋台で受け持つことになったんだから、それを手伝うルティムの3人は全員作れるようになったほうがいいんじゃないのかなあ?」


「いや、だけど――」と、アマ・ミン=ルティムは口をはさもうとした。


 そのぶんツヴァイは、銅貨の管理という難しい仕事を任されているのである。100人前の料理を作るにはいくらの銅貨が必要で、それを売りさばくとどれぐらいの稼ぎになるのか、そのような計算を悩まずにこなすことができるような人間は、今のところアスタとツヴァイぐらいしか存在しないのだ。


 それに、商売を再開させてからは屋台を4つに増やしたため、人手をもっと増やすべきだという話もあがっている。そうして人手が充実するなら、ツヴァイが無理に料理の腕を上げる必要もないように思える。


 アマ・ミン=ルティムはそのような言葉を述べるつもりであったのだが、再びリミ=ルウに裾を引かれて、その大きな瞳でじっと見つめられると、思わず口を閉ざすことになった。


 もしかして――と思いながら、別の言葉を口に出してみる。


「……もちろんツヴァイが料理の腕を上げてくれれば助かるのですけれど、あまり無理をさせるのは気が引けてしまうのです。彼女はただでさえ、銅貨の勘定という難しい仕事を受け持ってくれているのですから……」


 すると、ツヴァイはぶすっとした表情で「あのネ」と声をあげた。


「アタシが大変とかそんな話はどうでもいいんだヨ。でも、大変なのはアタシみたいな能なしに仕事を教えることになるアスタたちのほうなんじゃないの?」


「能なしだなんて、そんなことはないわ」


「かまど番としての腕前の話だヨ! アタシはこれまでかまど番なんて任されたことはなかったから、能がなくて当たり前なのサ。……その代わり、銅貨を勘定することに関しては誰にも負けないからネ。おたがいが得意な仕事を受け持てば、それが一番手っ取り早いじゃないか?」


「それはその通りだけれど、でも、銅貨を勘定する仕事もツヴァイひとりに任せておくわけにはいかないと思うのよね。もしもツヴァイが病や怪我で仕事を休むことになってしまったら、みんなが困ってしまうから」


「フン! アタシは病にかかったことなんてないけどネ!」


「そうだとしても、将来のことはわからないでしょう? ……それにツヴァイはまだ12歳なのだから、かまど番の能がないなんて言い切ってしまうのは早いと思う。ツヴァイだっていつかは伴侶を迎えることになるんだから、そのためにも料理の腕前は上げておくべきじゃないかしら?」


「……氏を持たない人間に伴侶を迎えることなんて許されるわけないじゃないか」


「家長のダンは、早くあなたとオウラにルティムの氏を与えたいと願っているわ。こうして大事な宿場町の仕事を任されているのだから、その日は決して遠くないでしょうね」


 ツヴァイは干し肉を咽喉に詰まらせたような表情でアマ・ミン=ルティムをにらみつけてくる。


「アタシは別に、何がどうでもかまわないヨ。アタシに働かせたかったら、家長に言いつければいいじゃないか」


「そうね。それじゃあ帰ったら家長ダンに相談してみましょう。それがきっと、あなたのためにもなると思うし」


 アマ・ミン=ルティムがそのようにしめくくると、ミダが再び口を開いた。


「そうしたら……ツヴァイはもっとたくさんルウの集落に来れるようになるのかな……?」


「あのネ! 言っておくけど、アタシは遊びに来るんじゃないんだからネ! こんな風に寄り道してぺちゃくちゃおしゃべりしてるヒマはそうそうないんだヨ!」


「うん……」と頼りなげに大きな頭を揺らしつつ、ミダの瞳にはたいそう嬉しそうな光が宿っているような気がした。


 そして、アマ・ミン=ルティムの裾が三たび下から引っぱられる。

 見ると、リミ=ルウはミダ以上に嬉しそうな顔をしていた。


「さすがだね、アマ・ミン=ルティム」


 屈んだアマ・ミン=ルティムの耳に、そのような言葉が注ぎ込まれる。

 さすがなのはどっちだと、アマ・ミン=ルティムは苦笑した。

 リミ=ルウが水を向けてくれなければ、アマ・ミン=ルティムもミダの心情などには気づくことができなかっただろう。


(本当にルウ家の四姉妹っていうのは――)


 誰も彼もが変わり者だし、誰も彼もが魅力的だなあと、アマ・ミン=ルティムはそのような思いを新たにさせられることになった。

 しかし――アマ・ミン=ルティムがそれを痛切に思い知らされるのは、これからが本番だったのである。


 この日を境に、彼女たちはアマ・ミン=ルティムがルウの集落に逗留するたびに、誰が寝所をともにして誰が眠るまで言葉を交わし続けるか、その身柄を争奪し合うことになってしまったのだ。


 そのような未来が待ち受けていることも知らぬまま、アマ・ミン=ルティムはそこはかとない充足感を胸に、ツヴァイをともなってルティムの集落へと帰還したのだった。

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