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異世界料理道  作者: EDA
第十四章 群像演舞
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第七話 《西風亭》にようこそ

2015.10/5 更新分 1/1

・今回は4話分の公開となります。

 その奇妙な2人連れが《西風亭》を訪れてきたのは、灰の月の7日のことだった。


「いらっしゃーい。お泊り? それとも食事かい?」


 店番を頼まれていたユーミは、店の奥の受付台から声を投げかける。

 昼下がりの中途半端な時間であるせいか、食堂では3名ばかりの男たちが安い果実酒で管を巻いているばかりであった。

 その男たちの視線を避けるように、入口から入ってきた2人がそそくさとこちらに近づいてくる。


 奇妙ななりをした者たちだった。

 町中であるのに、シムの民のように外套の頭巾を深々とかぶっている。

 が、シムの民ではありえない。その外套の合わせ目から覗くのは刺繍の入った胴衣に細い筒形の足衣というジャガル風の装束であったし、身長も、片方は子供のように小さかった。


 男女連れか、あるいは親子か――何にせよ、シム人でもないのに面相を隠しているのはあやしげであるし、身につけているものも宿場町には不相応なぐらいに立派なものであるように感じられる。

 これはわけありのお客かな、とユーミは受付台に頬杖をついたままぼんやり考えた。


 わけありだろうと何だろうと、銅貨を払えば客となる。ユーミとしては、その客同士で諍いにならぬよう心を砕くぐらいのことしかできはしなかった。


 しかし――


「やっと見つけた。ひさしぶりだね、ユーミ」


 小さなほうの人物がそのように言いだしたので、ユーミは驚いた。

 ユーミの驚きもよそに、その人物は外套の頭巾を背中にはねのける。

 その下から現れたのは、濃淡まだらの褐色の髪と、色が白くて造作の整った小さな顔であった。


「あんた、ディアルじゃん! こんなところで何をやってるのさ!?」


「何って、あんたに会いに来たんだよ」


 不満そうに、唇をとがらせる。

 一見男の子のように気の強そうな表情であるが、南の民とは思えないぐらい線が細くて、顔立ちも可愛らしい。南の王国ジャガルから商売に来たという豪商の娘である。


 その背後で立ちつくしているのも、見覚えのある顔であった。たしかラービスとかいう名前をした、ディアルの護衛役の若者だ。


「と、とにかくちょっとこっちにおいでよ。ここじゃあ人目についちまうから」


 ユーミは受付台から出て、ふたりを一番端っこの席に誘導した。

 自慢ではないが、《西風亭》には荒っぽい客が多い。料金の安さを売りにしているので、仕事にあぶれた荒くれ者や、身銭の少ない風来坊、そしてそれを仲間に引き込もうという野盗や小悪党なども頻繁に訪れるのだ。


 そういった者たちにとって、ディアルたちのように立派な身なりをした人間は、キミュスがミャームーをくわえて歩いているようにしか見えなかっただろう。安酒をあおっている先客の3名も、さきほどからちらちらとこちらに探るような目を向けてきている。


「ユーミの店って、ずいぶんわかりにくいところにあるんだね。あちこち探し回っちゃったよ」


 席についても、ディアルはまだ不満そうな声をあげていた。

 腕を組んでその姿を見下ろしながら「そいつは悪かったね」とユーミは言い返す。


「うちは祖父さんの代からこの場所に店を開いてるんだ。文句だったら、祖父さんに言ってよ。ま、あたしだって顔を拝んだこともないぐらいの大昔に、祖父さんはセルヴァに召されちまってるんだけどさ」


「別に文句があるわけじゃないけど……」


「そもそもどうしてあんたがこんな場所をうろついてるのさ? 言っちゃ何だけど、ここはあんたたちみたいななりをした人間がうろうろするような場所じゃないと思うよ?」


 ここは宿場町の、裏通りである。

 軒をつらねるのは荒くれ者や貧しき人間を相手にするあやしげな店ばかりであるし、夜になれば女衒や商売女、掏摸やかっぱらい、ひどいときには辻斬りまでもが横行する。衛兵でも単身では踏み込んでこないような、そういった区域なのだった。


 豊かなジェノスの暗部、悪党どものふきだまり、などと評されることもある。

 豊かな町であるがゆえに、その恩恵に預かろうという流れ者や、それに失敗した脱落者の受け皿というものが必要だったのだろう。


 しかしユーミは、この区域の生まれであるということを恥じてはいない。

 貴族が貴族の家に生まれついたのはその者自身の手柄ではないし、貧しい人間が貧しい家に生まれつくのだって、その者の罪ではないと思うからだ。


 もちろん、野盗や辻斬りなどといった罪人たちは、正しく裁かれるべきだと思う。

 だけど、そういった者たちだって、飢えて死ぬか罪人として生き永らえるかという苦悩の果てに、身を落としたのかもしれないではないか。

 庇う気持ちにはなれないが、責める気持ちにもなれはしない。


 だから、そういった者たちの敵でも味方でもなく、ただ銅貨と引き換えに一夜の宿や一杯の果実酒を与える宿屋の娘という役回りが、自分の性には合っているのだろうと思う。


「……で?」


「え?」


「いやだから、こんな場所にまで足を運んできた用件だよ。あたしに何か用事があって、わざわざ城下町から出向いてきたんでしょ?」


 ユーミの言葉に、ディアルはしょんぼりうつむいてしまった。

 さっぱりわけもわからないまま、ユーミは卓に手をついてその顔を覗き込む。


「まあ、だいたい想像はつくけどさ。あんた、あたしじゃなくってアスタに用事があったんでしょ? アスタだったら、今ごろは別の宿屋で仕事をしてるはずだよ?」


「ち、違うよ! 僕はユーミに話があって来たんだ」


「そうなの? だったら、そいつを話してみなよ」


「うん……」


 ディアルはしばらく目を伏せていたが、やがて思い切ったようにユーミの顔を見返してきた。


「あ、あのさ、アスタは元気にやってるのかな?」


「うん? そりゃまあ元気は元気なんじゃない? ああやって、無事に商売を再開させることもできたわけだしさ。北の通りから来たんなら、ギバの屋台がお客で賑わってるところも見たでしょ?」


「それは見たけど……ユーミもあんまりアスタとは顔を合わせてないの?」


「そうだねー。アスタも半月以上は店を休んでたからさ。昨日ようやくひさびさに顔を合わせることができたって感じかな」


「そっか……」


 ディアルは苦しげに眉をひそめて、唇を噛んだ。

 なかなかに見ていられない顔つきである。


「どうしたのさ? アスタがいったい何だっての?」


「うん……アスタはきっと僕のことを怒ってるだろうから……どんな感じに怒ってるのか、それをユーミに聞きたかったんだよね……」


「怒ってる? どうしてさ? そんなわけないと思うけど」


「そんなわけあるんだよ。アスタがリフレイアに捕まっちゃったとき、僕は何の力にもなれなかったんだから」


 ユーミはいっこうに腑に落ちなかった。

 他の客たちの卓は遠かったが、それでも声をひそめてディアルに問いかける。


「リフレイアってのは、たしかトゥラン伯爵の当主になった娘さんのことだよね? あんたがその屋敷でアスタと顔を合わせたって話は聞いてるけど、そのときに何かあったの?」


「何もなかったから、駄目なんだよ。アスタはあんなに困ってたのに、僕にはどうすることもできなくって……僕、サイクレウスっていうじーさまがそこまでの大罪人だったなんて、ちっとも気づくことができなかったんだ」


「そりゃあそんなこと、あたしだってちっとも知らなかったけど」


「僕が何とか城下町を抜け出して、森辺の民にアスタの居所を告げるだけで、アスタはもっと早くあそこから逃げ出すことができたはずなんだ。それなのに、僕は……」


 ユーミは「うーん」と考えこむことになった。


「あんたが責任を感じてることはわかったよ。でも、アスタは別にあんたのことを怒ったりはしてなかったよ? あんたのところからまた料理の道具を買いたいなあとか言ってたぐらいだし」


「……アスタがそんなことを言ってたの?」


「うん。その伯爵様が罪人として裁かれることになって、あんたの親父さんとの商売も無茶苦茶になっちゃっただろうから心配だなあとかも言ってたね」


「……アスタは優しい人だからね」


 ディアルはますます暗い面持ちになって、またうつむいてしまった。

 おつきの若者のほうは、さきほどからずっと不機嫌そうな顔で黙りこくっている。


「あのさー、やっぱりアスタ本人と話したほうが早いんじゃない? 今だったら、《南の大樹亭》っていう宿屋で仕事をしてると思うよ?」


「ううん。アスタに合わせる顔なんてないよ」


 処置なしだな、とユーミは肩をすくめることになった。

 ジャガルの民というのは感情ゆたかで豪放な人間が多いのだが、それが悪い風に向くとこのようになってしまうらしい。とにかく一本気で、自分の感情に振り回されてしまう気性なのだろう。


(もうちょっと小ずるく生きないと、くたびれちまうだろうにね)


 しかしユーミは、このディアルという娘がなかなか気に入っていたのだった。

 やっぱり貴族を相手にするような家で育ったせいか、小生意気で世間知らずな部分も多々見受けられるが、それを補ってあまりある魅力がある。ユーミも西の民としては直情的なほうであるので、この裏表のない真っ直ぐな性格は、欠点ではなく美点であるように感じられるのだ。


「そういえばさ、あんたはその伯爵様の家からどこに住処を移したわけ? アスタも知り合いに聞いて回ったけど、今ひとつ確かなことがわからないんだって言ってたんだよね」


「……今は、城の近くのお屋敷でお世話になってるよ。それで、ジェノス侯爵家の人と商売の話をやりなおしてるんだ」


「ジェ、ジェノス侯爵家? あんた、ついに領主様じきじきと商売することになったってわけ?」


「うん。あのじーさまとの商売はそっちに引き継がれることになったから」


 まったくもって、呆れた話である。

 ユーミは貴族など、遠目で姿を拝んだことしかない。あの威張りくさった連中が宿場町にまで姿を現すことなどはそうそうありえないからだ。

 宿場町を治めるサトゥラス伯爵家でさえその有り様なのだから、領主のジェノス侯爵家などは天の上の存在にも等しかった。


(で、この娘はその侯爵家の屋敷で世話になってて、アスタも貴族たちに料理をふるまうようなご身分ってわけだ)


 いまやアスタの名はジェノス中に轟くことになってしまっている。

 ジェノスの領主にギバの料理をふるまい、それが城下町の料理にも劣らぬものだというお墨付きをいただいた、という話が広まったからだ。


 そのおかげで、昨日から再開させた屋台や宿屋の商売も上々の成果をあげているらしい。

 特に屋台では、あまりの繁盛っぷりに衛兵が呼ばれるほどの騒ぎになってしまったようなのだ。


 だけど、アスタはアスタのままだった。

 お客さんの期待に応えられるような料理を準備しないとなあ、と昨日も意気を燃やしていた。


 異国人のアスタにとっては、きっと貴族も宿場町の民も、そして森辺の民さえもが同じ「人間」であるのだろう。

 その感覚は、生粋の宿場町の民であるユーミにもわからないではなかった。


 お高くとまった貴族の連中は気にいらないが、それは野盗やかっぱらいなどが気にいらないのと同じことだ。

 誰だって、生まれる場所は選べないのである。


 どんなに貧しい生まれでも、いい人間はいるし悪い人間もいる。

 それなら貴族の中にだって、いい人間もいれば悪い人間もいるのだろう。


 あの、凶悪な蛮族であると言われていた森辺の民でさえ、そうであったのだ。

 森辺の民と縁を持つことで、ユーミはそういった思いをますます強めることになったのだった。


「だけど、とにかくさ――」と、ユーミが言いかけたとき、ふいに裏口の扉が開いた。

 そこから姿を現したのは、大きな布の包みを抱えたユーミの母親であった。


「おや、お客さんを待たしちまったかい? 悪かったね。さ、何でも注文しておくれ」


「あ、ああ、おかえり。父さんはどうしたの?」


「父さんは裏で薪を片付けてるよ。で、注文は?」


 大きな荷物を受付台の裏に置いて、母親が笑いかけてくる。

 ユーミはそちらに曖昧にうなずき返してから、急いでディアルの耳もとに口を寄せた。


「悪いんだけどさ、何か注文していってくれない? 客じゃない人間を店に連れこむと、あたしが怒られちまうんだよ」


「あ、ごめん。それじゃあもう帰るよ。仕事中なのに悪かったね」


「いや、ここで帰られても怒られることに変わりはないんだよね」


 ユーミは、一計を講じることにした。


「大した料理はないけどさ、話のタネと思って何か食べていってよ。何なら、果実酒とかでもいいけど」


「果実酒なんて飲んで帰ったら、ラービスが父さんに怒られちゃうよね?」


 ディアルの言葉を受けて、若者はいっそう不機嫌そうな顔になる。


「それがご命令なら、わたしは従うばかりです」


「そんな命令はしないってば。……それじゃあ悪いけど、何か軽い食事を出してもらえる? 一人前でかまわないから」


「ん、ありがとね。……母さん、キミュスの乳脂焼きを一人前お願いねー」


「あいよ」


 腕まくりをしながら、母親が厨に引っ込んでいく。

 その姿を見送りながら、ディアルは小さな動物のように小首を傾げた。


「そういえば、街道沿いの屋台でもやたらと乳脂の匂いがしてたんだよね。最近の宿場町では乳脂が流行ってるの?」


「流行ってるっていうか、ここ半月ぐらいでいきなり宿場町で出回ることになったんだよ。それまでは、そんなもんが存在するってことすら、あたしたちは知らなかったぐらいさ」


 ユーミは肩をすくめてみせる。


「そいつもきっかけはアスタの存在だったらしいんだけどね。この店も、アスタとのつてがあったから、早々に乳脂やポイタンを取り扱えるようになったわけさ」


「ポイタン? ポイタンなんかを料理に使ってるの?」


 そんな風に言ってから、ディアルは慌てた様子で自分の口をふさいだ。


「ご、ごめん! 別に宿場町のことを馬鹿にしてるわけじゃなくって――」


「別にあやまるような話じゃないよ。宿場町でも、ポイタンを食べるような人間はいなかったさ。あんなのは、森辺の民や旅人のために売ってるだけだったんだから」


 そうしてユーミは、はたと思い至った。


「そういや、あんたはジャガルからはるばるこのジェノスを訪れてきたんだよね。だったら、ポイタンを食べたこともあるのかな?」


「うん、もちろん。フワノの粉を持ち歩くときもあるけど、湿気にやられると虫がわいちゃうからさ。長旅のお供は、もっぱらポイタンだね。タウ油や砂糖なんかと一緒に煮込めば、まあ食べられないこともないから」


「へーえ。タウ油や砂糖なんて、西じゃあなかなか手に入らないからねえ。……西というか、宿場町では、かな」


「…………」


「何さ、いちいち不安そうな顔をしないでよ。あんたが金持ちなのはあんたの責任じゃないっしょ?」


 ユーミは笑いながらディアルの短い髪をかき回してやった。

「やめてよー」とディアルは首をすくめる。


 その間に、厨からは乳脂を焼く芳しい香りが漂ってきていた。

 たちまち別の卓の酔漢どもが大きな声で騒ぎ始める。


「何だ、ずいぶん腹の減る匂いが漂ってきやがるな!」


「こいつは乳脂の匂いだよ。懐にゆとりのある人間はいいねえ」


 ユーミは、そちらにも笑いかけてやった。


「美味いものが食べたかったら、あんたたちもきっちり働きなよ。昼から酒を飲んでたって、何の稼ぎにもなりゃしないだろ?」


「うるせえなあ。宿屋の娘っ子に指図される覚えはねえよ」


「稼ぎがあったら、こんな貧乏たらしい宿屋に居座るかってんだ」


「ご挨拶だね! だったらその貧乏たらしい宿屋ですら銅貨を惜しまないで済むように頑張りな」


「違えねえや」と笑いながら、男たちは果実酒をあおる。


 ディアルがきょとんと自分の顔を見上げていたので、「どうしたのさ」とユーミは問うた。


「ううん、お客さんにあんな口を叩いて、よく喧嘩にならないなあと思って……」


「宿場町には宿場町の、その店にはその店の流儀ってもんがあるんだよ。大人しくしてるほうが厄介事を招いちまうこともあるのさ」


 そんな言葉を交わしているうちに、母親が厨のほうから顔を出した。


「出来上がったよ。運んでおくれ」


「はいよー」


 厨のほうに出向いていくと、木皿を手にした母親が顔を寄せてくる。


「ね、あの連中は何なんだい? まるで貴族みたいに立派ななりをしてるじゃないか?」


「貴族ってことはないよ。城下町で商売をしてる商人の娘だってさ」


「そんなの、貴族と一緒だね。あんまりわけのわからない連中と関わるんじゃないよ?」


「はいはい」


 心配げな母親から木皿を受け取って、ディアルたちの卓に戻る。


「お待たせ。キミュスの乳脂焼きだよ。お代は赤銅貨3枚だね」


「うん、ありがとう」


 ディアルの視線を受けて、ラービスのほうが銅貨を差し出してくる。

 それは白銅貨であったので、ユーミはお釣りを返すために受付台から卓までをもう一度往復することになった。


「さあ、冷めないうちにお召し上がりよ。口に合うかはわからないけどさ」


 これはカロンの乳脂焼きに次ぐ、現在の《西風亭》では2番目に値の張る献立であった。

 キミュスの胸の塩漬け肉を、茎のままのミャームーや細く切ったアリアとともに乳脂で焼いた料理である。

 匂いの強い乳脂とミャームーを一緒くたにしてしまうのはどうだろう、と最初は思えたが、食べてみると案外これがなかなかいけるのだ。ユーミとしては、固いカロンの足肉よりも、キミュスのほうが好みでもあった。


 また、横に添えられた丸いポイタンの生地にも、カロンの乳が使われている。

 脂を抜いて残った乳のほうはどう扱うべきか。今のところ、それはポイタンの粉を溶くための水気か、あるいは汁物料理で使うべし、との指示をサトゥラス家の使者から受けているのだ。


 カロンの乳やポイタンの粉を宿場町に流通させたのはサトゥラス家やダレイム家であり、それはトゥラン家との対立から生じたものであるらしい。

 だが、そのような裏事情など関わりなく、それらは宿場町の料理を一変させる存在であった。


 身銭にゆとりのある者は、みんな好んで乳脂の料理を求める。

 脂ののったカロンの胴体の肉やキミュスの皮つき肉などはそうそう手に入れる機会も得られないので、この乳脂というやつは大いなる彩りを宿場町の料理に与えてくれたのである。


(この先はもっと色々な食材が宿場町に流れ込んでくるかもしれない、なんてアスタは言ってたけど、いったいどうなることやら、だね)


 そのようなことを思いながら、ユーミはディアルがおそるおそる料理を口に運ぶ姿を見守った。


「どうだい? お世辞ぬきの感想をおくれよ」


「うーん……香りはいいけど、塩の味しかしないのが物足りないかなあ。タウ油をいれるだけで、うんと美味しくなる気がするんだけど……」


「ジャガルの民はタウ油が好きだね! ……まあその美味しさはあたしも思い知らされてるけどさ」


 父親の言いつけでアスタの腕前を確認するために、ユーミは《南の大樹亭》で数々の料理を味わっているのである。


『ギバの角煮』に『肉チャッチ』、それに『すーぷ』という汁物料理など、どれにもタウ油というやつがふんだんに使われていた。

 アスタの腕前やギバ肉の味もさることながら、やはりあれはタウ油あっての美味しさなのだろうと思う。


「ラービスも食べなよ。ギバ肉じゃなければ、嫌じゃないでしょ?」


「いえ。どうぞお気遣いなく」


「えー! 僕ひとりだと、おなかいっぱいになって晩餐が食べられなくなっちゃうよ。そしたらお屋敷の人たちに申し訳が立たないんじゃないのかなあ?」


 ディアルの言葉に、ラービスはしぶしぶ木匙を取った。

 ポイタンの生地にキミュスの肉とアリアを載せ、頑丈そうな歯をたてる。


「どう? よかったら、あんたも感想を聞かせてくれない?」


「……不味いことはありません。ただ、やっぱり塩だけでは味が足りないし、このポイタンの生地もばさばさしていて咽喉を通りにくいように思えます」


「ああ、やっぱりギーゴを入れるべきなのかな。そうしたら、アスタが屋台で出してるポイタンと同じ感じになるはずなんだよね」


 いくぶん材料費は割高になってしまうが、やはりそうするべきなのかもしれない。

 しかし現在は、新たに手に入れたカロンの乳やポイタンの粉の値段とあれこれ折り合いをつけている最中なのである。


 ポイタンはフワノよりも安く手に入れることができるが、その代わりに乳脂というやつは乳からわずかな量しかとれない。ユーミの親たちにしてみても、稼ぎを落とさないように食事の質を高めるにはどのように扱うべきか、そこが悩みどころであるらしいのだ。


 だが、そんな悩みもあと数日限り――と、ユーミはひそかに思っている。


「実はさ、うちの店でもアスタの料理を売り出す計画があるんだよね」


「え?」


 びっくりしたようにディアルがユーミを振り返る。


「そういう話は、もうひと月以上も前からあがってたんだけどさ。貴族どものせいで、話がのびのびになってたんだよ。ま、その前にまずうちの親父の石頭を木っ端微塵にしてやらないといけないんだけど、アスタの腕前なら心配はないっしょ」


「そっか……それはよかったね」


 いくぶんさびしげな顔でディアルは息をつく。

 らしくない表情だな、とユーミはまたその頭をぐしゃぐしゃにしてやった。


「だからさ、あたしもこれからは商売の仲間として、アスタにはこれまで以上に頑張ってもらいたいんだよ。そんなアスタがあんたのところから料理の道具を買いたいって言ってるんだから、あんたも耳を傾けてやってくれない?」


「りょ、料理の道具なんて宿場町でも売ってるでしょ?」


「ここいらで売ってるのは安物ばかりさ。あんたから肉切り刀を買ったとき、アスタはすごく満足そうな顔をしてたじゃないか?」


「そりゃあまあ、僕だってアスタに鉄具を売ることができたら嬉しいけど……」


 乱れた髪を両手でなおしながら、ディアルはまた力なく目を伏せた。

 その顔に、ユーミはずいっと顔を近づける。


「あんたさあ、か弱くふるまうのも可愛らしいけど、あんまり度が過ぎるのは嫌味ってもんだよ?」


「べ、別に最初から可愛くもないし」


「いいからさ、アスタ本人ときっちり話をつけちゃいなよ。そんな状態のままジャガルに帰ることになったら、あんたは後悔せずにいられるのかい?」


 ディアルは口を引き結び、ユーミの顔をじっと見つめ返してきた。

 まがいものでない本物の翡翠みたいに、綺麗な緑色の瞳である。


「わかった。……僕、アスタと話してみるよ」


「お、ようやく決心がついたのかい?」


「うん。アスタに冷たい目を向けられたりするのは嫌だから、顔を合わせたくなかったんだけど……だったらなおさら逃げ回るんじゃなく、きちんとあやまらなきゃ駄目だよね」


 そうしてディアルは、この場に来て初めての笑顔を見せた。

 まるで曇り空からようやく太陽が姿を現したかのようだ。

 ユーミはディアルのこういう笑顔が大好きなのである。


「やっと決心がついたよ。ユーミ、ありがとう」


「どういたしまして。最初っからそんなご大層な話ではなかったはずなんだけどね」


 ユーミは苦笑し、ディアルは「うん」とうなずく。


「それじゃあ3日後ぐらいに、今度は屋台のほうに顔を出せると思うからさ。もしもアスタに会うことがあったら、そんな風に伝えておいてもらえないかなあ?」


「え? 今日のうちに話をつけちゃえばいいじゃん」


「きょ、今日は無理だよ。3日かけて、気持ちの整理をしてみせるから!」


「ふうん」とユーミは笑ってみせた。

 その者たちが入口をくぐって姿を現したのは、まさにそのときであった。


「あの、こちらが《西風亭》でしょうか?」


 ディアルが、愕然とそちらを振り返る。

 背の高い金髪の男と亜麻色の髪をした子供をともなって《西風亭》に上がりこんできた黒髪の少年も、同じぐらい驚いた顔をした。


「あ、ディアルじゃないか! どうして君がこんなところにいるんだい?」


「そんなのもちろん、アスタに会いに来たに決まってるじゃないか。アスタの仕事が終わるまで、うちの料理の味見をしてもらっていたのさ」


 笑いをこらえながら、ユーミが答える。

 ふるふると細い肩を震わせていたディアルは、顔を真っ赤にして「だましたなー!」と大きな声をあげた。


「別にだましちゃいないだろ。アスタはこれからあたしの父さんと対決しなくちゃならないんだから、その前に話をつけてよね」


 怒れるディアルの頭をぽんぽんと叩きながら、ユーミはアスタに笑いかけてみせた。


「《西風亭》にようこそ。歓迎するよ、アスタ」

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