表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第十四章 群像演舞
240/1675

     試練の五日間(二)

2015.9/21 更新分 1/1

 翌日――白の月の6日の朝、薪やピコの葉の採取という最低限の仕事だけを片付けてルウの集落におもむくと、そこにはまた途方もない数の人間が集まっていた。


 ドンダ=ルウやガズラン=ルティムが、大声を張り上げてその者たちに何やら呼びかけている。どうやら、誰がどの場所で捜索の仕事を果たすべきか、その指示を送っているものらしい。


「ああ、アイ=ファ。お待ちしていました。本日はどうぞよろしくお願いいたします」


 ギルルを降りてその様子をうかがっていると、アマ・ミン=ルティムが急ぎ足で近づいてきた。


「本日は、男女1名ずつで組を作って捜索にあたるそうです。アイ=ファは女衆ですが狩人でもありますので、わたしがその供に選ばれることになりました」


「そうか。しかし、ここまでの人数が駆り出されるとは思わなかった」


「ええ。男女あわせて60名にも及ぶようです。集落に居残る側はその60名分の仕事も果たさなくてはなりませんが、半数は休息の期間にあった狩人たちですし、まあ大丈夫でしょう。そちらのほうは、ジザ=ルウや家長ダンなどが取り仕切るそうです」


 ドンダ=ルウも、本当の本腰でアスタを捜してくれるつもりなのだ。

 その真情を疑っていたわけではなかったが、いざそれを目の当たりにすると否応なく胸が熱くなってしまった。


 そこに、ルド=ルウとシン=ルウも近づいてきた。


「来たのか、アイ=ファ。あのさあ、昨日は――」


「もう言うな。わびの言葉など、一度聞かされれば十分だ」


 思わず乱暴に言葉をさえぎってしまう。

 このふたりには、アスタをさらわれたという言葉を告げられたときに、はからずも涙をこぼす姿を見られてしまったので、あまり顔を合わせたくなかったのだ。


 それに、敵方にあのサンジュラという男がいたならば、ルド=ルウたちを責めるわけにもいかないだろう。

 あの男は、もともとルド=ルウにも匹敵するような力を有しているように感じられた。それで人質を取られてしまったら、抗いようもなくなってしまう。


 それでも、自分がいたならば――とは、言っても詮無きことだ。

 自分はルウ家を信頼して、護衛の仕事の肩代わりを願った。その信頼を裏切られたとルウ家に罪を問う気にはなれない。

 今なすべきは、責任の所在ではなくアスタの所在を求めることなのである。


「わかった。なんべん謝ったって、俺たちの罪が軽くなるわけじゃねーもんな。この恥は、一生をかけてでもすすがせてもらうよ」


 いつになく張り詰めた顔をして、ルド=ルウはそう言った。

 シン=ルウも、同じように両目を光らせている。


「それじゃあ、親父からの伝言だ。あのな、ファの家の荷車を借り受けたいそうなんだけど、了承してもらえるか?」


「荷車を? そのようなものを、何に使うのだ?」


「もちろん、ルウルウに引かせるんだよ。実はな、今日もレイナ姉たちは商売を続けるって話らしいんだ」


 アスタは必ず帰ってくる、それまでは自分たちが宿場町との縁を繋ぐのだ――レイナ=ルウは、そのように言っていたらしい。


「それに、屋台や宿屋にも大勢の人間がやってくるだろ? そういう連中からも話を集めようって魂胆らしい。それで朝から大急ぎで商売の準備を整えたみたいだぜ?」


「……そうか」


 誰もがアスタのために力を振り絞ろうとしてくれている。

 絶対に大丈夫だ――と、アイ=ファはひそかに両方の拳を握りしめた。


「で、俺たちの仕事のほうだけどよ、アイ=ファはトトスを持ってるから、町の中でも一番遠いトゥラン領を受け持ってほしいって親父が言ってたぜ」


「トゥラン領――サイクレウスの治める領地か」


 のぞむところだと、アイ=ファはアマ・ミン=ルティムを振り返った。


「では、すぐにでも出発しよう。アマ・ミン=ルティムも、準備はよいか?」


「はい、大丈夫です」


「あ、トゥランでは北の端から一軒ずつ家を回ってくれってよ。他の連中が南の端から回っていくから、真ん中で合流できたらトゥランはおしまいってことだ」


「了承した。荷車は家の脇に置いてあるので、自由に使うといい」


「ありがとうよ。……お前が元気そうで安心したぜ、アイ=ファ」


 その言葉には何も答えず、アイ=ファはギルルに跨った。

 アマ・ミン=ルティムにも手を貸して、ギルルの上に引っ張りあげる。


「では、行くぞ」


 そうして、アスタを捜索する日々が始まった。


              ◇


 トゥラン領は、城下町の北側に広がる領地である。

 間に城下町をはさんでいるため、南側の農村の区域よりも宿場町からは遠い。が、ギルルを走らせればどうということもない距離であった。


 領地は、背の低い木の塀で囲まれている。

 ギバを除けるための備えである。

 ギバはものすごい怪力で足も速いが、自分の頭の高さより高いものを飛び越えることができない。ゆえにその塀も、アイ=ファたちの胸もとぐらいまでしか及んでいなかった。


「だけどこれは、あちこち修繕が必要なようですね」


 アイ=ファの胴に両腕を回したアマ・ミン=ルティムがギルルの背の上でそっとつぶやく。

 分厚い木の塀には、ギバの角と牙であちこち穴が空けられてしまっていたのだ。

 中にはおもいきりひしゃげてしまって、木の板が外れかかっている場所もある。きっと体当たりでもくらわされしまったのだろう。


 あとは、塀の足もとの地面が深々とえぐられている場所もあった。

 飛び越えることができないので、地面を潜ってやろうと画策したギバがいたのに違いない。

 しかしその塀はずいぶん地中の深くまで埋められているようで、ギバが侵入に成功した形跡はなかった。


「これだけの塀を築くのには、相当な時間と労力が必要なのでしょうね。だから南側の農園では、塀を築くこともかなわないのでしょうか」


 そのようなことがアイ=ファにわかるはずもなかったし、また、本日の仕事に関わりのある話だとも思えなかった。

 木の塀に沿って、速歩でギルルを進ませる。

 固い石の街道でも、ギルルは難なく走ることができるようだ。


 そうしてしばらく進んでいくと、ようやく町の最果てが見えてきた。

 真っ直ぐに続いていた塀が曲線を描きながら、じょじょに街道から離れていく。それより北側は、宿場町の周囲と同じくまばらな雑木林が広がっているようだった。


「北側に入口らしきものは見当たらないな。アマ・ミン=ルティムよ、しっかりつかまっているのだぞ?」


「え?」


 アイ=ファはしばらくギルルを進ませてから反転させ、助走をつけて塀を飛び越えさせた。


「きゃあ」と可愛らしい声をあげながら、アマ・ミン=ルティムがぎゅうっとアイ=ファの胴体を抱きすくめてくる。


「び、びっくりしました。トトスにはこのようなこともできるのですね」


「うむ。突然飛び出してきた子供を避けるために手綱を引いたとき、うっかり胴を蹴ってしまったら、ギルルがこのような動きを見せたのだ。私も最初は驚いた」


「すごいですね。まるでトトスがアイ=ファの身体の一部であるかのようです」


「……ギルルとて、心を通じ合わせたファの家の家人であるからな」


 しかし、ギルルにもアスタの代わりはつとまらない。

 アスタだってアイ=ファを乗せてこのように軽快に走ることはできないだろうから、それはお互い様であるはずだ。


「……思ったよりも、家は少ないようですね」


 トゥランの領土を見渡しながら、アマ・ミン=ルティムがそのようにつぶやいた。


 確かに、閑散とした情景である。

 西に向かって道がのびており、その左右にぽつぽつと家が並んでいる。足もとは土の地面で、家はどれも木の造りだ。

 森辺の家よりは大きくて、二階建てのものも少なくはなかったが、宿場町の宿屋などと比べたら、実につつましい造りである。


「まあ、貴族はみんな城下町で暮らしているのですものね。……しかし、当主が自分の領地に住んでいないというのは、何やら奇妙にも感じられます」


「うむ。しかしこの領地にもサイクレウスの館というものは存在するはずだ。族長たちは、その館でサイクレウスと会談をしていたという話であったからな」


 油断なく周囲を見回しながら、アイ=ファは地面に降り立った。

 そうして、アマ・ミン=ルティムにも手を貸して降ろしてやる。


 ここはトゥランの、北東の端である。

 ここから西に進んでいき、じょじょに南へと下っていけば、用事は足りるだろう。


 アスタがさらわれたのが城下町でなければ、次に可能性が高いのはこのトゥランの領地であるはずだ。

 アイ=ファの四肢には、さらなる力がみなぎっていた。

 確かな目的さえあれば、アイ=ファは迷わず邁進することができる。

 また煩悶に満ちみちた夜を迎える前に、アイ=ファはすべての力を振り絞るつもりであった。


「では、一軒ずつ家を回っていきましょう」


 アマ・ミン=ルティムは一番手近な家の戸板を叩いた。

 しばしの静寂のあと、きいっと扉が引き開けられる。


「何だい、あんたたちは……? 若い衆は、みんな働きに出ているよ」


 顔を出したのは、干したアリアのような老婆であった。

 薄汚れた布の服を纏い、頭には灰色の布を巻いている。草でも編んでいたのだろうか。前掛けに木屑がたくさんついていた。


「申し訳ありません。実は、行方知れずになってしまった同胞の行方を捜しているのです」


 そうしてアマ・ミン=ルティムは丁寧に説明を始めたが、それは途中でぶっきらぼうにさえぎられることになった。


「宿場町に人さらいが出たって、そんなもんがあたしらに関係あるもんかね。どうせ余所の土地から来たごろつきか何かの仕業だろう? あたしの知ったこっちゃないよ」


「いえ、ですが――」


「ここいらには余所に移り住むあてもない貧乏人しか住んじゃあいないんだ。ごろつきどもだって、こんな場所には用事もないだろうさ。仕事の邪魔だから帰っておくれよ」


 ぴしゃんと、戸板を閉められてしまう。

 アマ・ミン=ルティムは、「うーん」と小首を傾げつつアイ=ファに向き直る。


「アスタたちを隠しているために、わたしたちを追い払おうとしている。……という風には見えませんでしたよね」


「うむ。そして、私たちが森辺の民であるということもわかってはいない様子であったな」


 森辺の民こそ、このような土地には用事がない。見慣れた宿場町からわずかに離れただけで、アイ=ファたちは異郷を訪れたかのような気分を味わわされることになった。


 そうして何軒かの家を回ったが、家に居残っているのは老人ばかりであり、返ってくる言葉も似たりよったりのものであった。

 また、家屋の半分は打ち捨てられた廃屋であり、もう何年も人が住まっているようには感じられず、何かの悪事に利用されているという痕跡もなかった。


「宿場町で人さらい? そいつは剣呑な話だね! だけど、そんな無法者どもがトゥランに逃げ込んでくるとは思えないねえ」


 そんな中、ようやくまともに耳を傾けようとしてくれる人物に出会えたのは、10軒ばかりの家を巡ったのちのことであった。

 小さな子供を胸に抱いた丸っこい壮年の女が、好奇心に目をきらめかせながら、そのように語ってくれたのである。


「とにかくトゥランには古くからの住人しかいなくて、人間の数も減る一方だからさ。余所者なんかがまぎれこんだら、目に立ってしかたがないんだよ。……それでいて、領主様の荘園を守るために衛兵だけはわんさかいるから、あたしがすねに傷もつ人間なら、まずトゥランには近づいたりしないだろうね」


「そうなのですか。今のところ、衛兵には行き会っていないのですが」


「荘園は領地のど真ん中だからね! あたしらは、田畑のついでに野盗から守られてるだけなんだよ」


 面白くもなさそうに笑い声をあげる。

 その目が、今さらのようにじろじろとアイ=ファたちの姿を見回してきた。


「ところで、あんたたちはずいぶん奇妙ななりをしているね。シム人ほど肌は黒くないようだけど、いったいどこの生まれなんだい?」


「わたしたちも、ジェノスの生まれですが」


 アマ・ミン=ルティムがそのように答えたので、アイ=ファは驚いた。

 女は「ふうん」と疑り深そうに目を光らせる。


「ま、何でもいいけど、こんなところを歩き回ったって無駄足だよ。面倒事は衛兵にまかせて、あんたたちも家に帰るこったね」


「ありがとうございます。お忙しい中、失礼いたしました」


 そこからしばらく家はなかったので、ギルルを引き連れながらてくてくと道を歩くことになった。


「森辺の民と名乗らなかったのは、無用な騒ぎを避けるためです。モルガの森辺もジェノスの領土ではあるのですから、虚言にはならないでしょう?」


「うむ」


「それにしても、やっぱりトゥランの住人は森辺の民がこのような姿をしているということすら知らないのですね。このトゥランの田畑とて、森辺の狩人に守られているということに変わりはないはずなのに、何だかおかしな気分です」


「その田畑すら、自分たちには関係がない、という口振りであったな」


 アイ=ファの胸にも、何かもやもやとした疑念がわだかまってしまっていた。


「この町は、何か奇妙だ。宿場町のような生気がまったく感じられない」


「ええ。ですが宿場町には異国や余所の町の人間も大勢いるのでしょうから、どちらがより正しい姿なのかは判別が難しいところですね」


 そうなのだろうか。

 アイ=ファにはまったく腑に落ちなかった。


 ともあれ、捜索である。

 しばらく歩くと、道の端に一軒だけ小さな家がぽつんと建っていた。

 アマ・ミン=ルティムが戸を叩くと、中からは小さな少女が現れた。


「はい、何でしょう?」


 褐色の髪を三つ編みにして胸もとにまで垂らした、可愛らしい娘であった。

 年齢は、リミ=ルウとララ=ルウの間ぐらいであろうか。茶色い瞳が、明るく無邪気そうに輝いている。


 そして、家の中からは何とも胃袋を刺激される芳しい匂いが漂ってきていた。

 まだ中天までには間があるが、日中の軽い食事をこしらえていたらしい。


「お忙しいところを申し訳ありません。実は、無法者にかどわかされた同胞の行方を捜し求めているのですが――」


 丁寧な口調は崩さずにアマ・ミン=ルティムが同じ内容を伝えていくと、娘は「それはお気の毒ですね」と眉を下げた。


「あたしは朝から買い出しに出かけていましたけど、中央のほうでも特に変わった様子はありませんでした。この付近も、いつも通りに静かです」


「買い出しですか。店というのは、もっと南側にあるのでしょうか?」


「いえ。数日にいっぺん、宿場町の商人がこちらにまで出向いてくれるんです。トゥランでは、それで用事が足りてしまいますから。店と呼べるのは、中央にある酒場ぐらいだと思います」


 それだけの受け答えで、この娘の聡明さと親切さがはっきりと感じ取ることができた。

 それに、同胞をかどわかされたアイ=ファたちに、たいそう同情してくれているようでもある。

 そうと見て取ってか、アマ・ミン=ルティムはさらに言葉を重ねていく。


「たとえば、人知れず人間を隠しておけるような場所は、このトゥランに存在するのでしょうか?」


「うーん、それも難しいと思いますね! もちろん身動きが取れないようにして閉じ込めておくことはどこの家でも可能でしょうけど、余所者がうろついていたら一目で知れてしまいます」


「それでは、東の民などがこのトゥランを訪れることはありますか?」


「ありません。東の商人から物を買えるほど豊かな人間は少ないので、立ち寄る理由がないのでしょう」


 それが残念でならないように、娘はちょっとむずがるような顔をした。

 それから、ハッとしたように背後を振り返る。


「すいません! 料理を火にかけているんです。そろそろ火を止めないとタラパが焦げてしまうので、戻ってもいいですか?」


「はい。お忙しい中、すみませんでした。……とてもいい匂いですね?」


 何気なくアマ・ミン=ルティムがつけ加えると、娘は嬉しそうに微笑んで「ありがとうございます」と言った。


「何かあったら衛兵さんたちに伝えておきますね。お気を落とさず、頑張ってください!」


 そうして娘が戸板の向こうに姿を消すと、アマ・ミン=ルティムはふっと息をついた。


「あのように無邪気そうな女の子がいて、少しほっとしました。どうもわたしはこのトゥランの領地というのがとても居心地悪く感じられてしまいます」


「うむ。それは私も同様だ」


 この地には、何かどんよりと無気力の膜みたいなものがかぶせられているように感じられてしまう。

 かつてのスンの集落のように、住人たちが澱んだ目つきをしているわけではないが、何とはなしに空気が重いのだ。


 宿場町があまりにも雑然とした活気にあふれているために、このように感じられてしまうのだろうか。

 何にせよ、そんな中であの娘のように明るく健気に生きている人間も存在するというのは、余所者のアイ=ファたちにとっても喜ばしく感じられることだった。


「何だか今の匂いのせいでお腹が空いてきてしまいましたね。不調法ですが、歩きながら干し肉でもいただきましょうか」


「うむ」


 狩人であるアイ=ファに、それはべつだん不調法とも思えない。

 そうして塩気の強い干し肉をかじり、革の水筒で咽喉を潤しながら、トゥランの地を歩く。


 それから大いなる変化が現出したのは、太陽が中天に差しかかり、50軒あまりの家を訪れたのちのことであった。

 南側へと続いていた道が開けて、巨大な田畑の情景が忽然と姿を現したのである。


 それと同時に、目ざとい衛兵たちが左右から駆け寄ってきた。


「貴様たちは、森辺の民だな! このような場所で、いったい何をしているのだ!」


 総勢で5名の衛兵たちであった。

 宿場町の衛兵と同じように簡素な革の鎧を纏っており、手には長い槍を携えている。


「私たちは、宿場町でかどわかされた同胞の行方を追っている。トゥランに害をなす意思はない」


 ようやくアイ=ファの出番であった。

 このために、狩人と女衆で組を作らせたのだろう。町の住人から穏便に話を聞き出すのは女衆の役割で、荒事に立ち向かうのは狩人の役割ということだ。


 が――衛兵たちは、意外な言葉を口にした。


「その報は、宿場町からも届いている! 貴様たちは、宿場町のみならずこのトゥランでも騒ぎを起こす心づもりか!」


「何?」


 聞いてみると、宿場町では衛兵らと森辺の民とでひと悶着あったらしい。

 アイ=ファとアマ・ミン=ルティムはギルルを使って早々にこのトゥランを訪れたが、あちらでは60名もの森辺の民が大挙して町に下りてきたのだ。考えてみれば、それで悶着が起きないはずもなかった。


「騒ぎを起こすつもりはない。同胞と無法者どもはこのトゥランに潜んでいないという、その確証を得るために出向いてきたのみだ」


「無法者が、このトゥランなどにやってくるものか! 仮にやってきたとしたら、我らがそれを取り押さえてみせよう!」


「それはありがたい話だが、私たちがトゥランを訪れるのは何かの罪になるのか? そうでなければ、何も文句を言われる筋合いはない」


「しかし――」


「通行証なくして城下町に踏み込むのは罪とされた。それゆえに、我らは城下町でなく宿場町やトゥランで仕事を果たそうとしているのだ。我らの行いに罪があるのか、ジェノスの法のもとに語ってもらおうか」


 薄皮一枚の下に潜めていた怒気が、かすかにこぼれてしまったのかもしれない。衛兵たちは、青い顔をして槍の穂先を突きつけてきた。


「こ、この果樹園には何びとたりとも近づくことは許されていない! それはトゥラン伯爵サイクレウス卿の定めし法である! トゥランを退去すべしとは言わぬが、この場からは立ち去ってもらおう!」


「ふん……このように見通しのいい場所には、誰も隠れ潜むことなどはできなかろうな。言われずとも、このような場所に用事はない」


 アイ=ファはアマ・ミン=ルティムをうながして、もと来た道を戻ることにした。

 その際に、アマ・ミン=ルティムが顔を寄せてくる。


「アイ=ファ、あの田畑で働かされているのは――」


「うむ。あれが話に聞くマヒュドラの民というやつなのだろうな」


 衛兵たちの背後に広がっていた、広大なる田畑――そこで荷を引いたり土に鍬を入れたりしていたのは、いずれも金色の髪を持つ途方もない大男たちばかりであった。


 ざっと目を走らせただけで、数十人はいたように思う。

 サイクレウスは、北方の奴隷商人から買いつけたマヒュドラの民たちを奴隷として使役しているのだ。


(そしてサイクレウスは、森辺の民も自分と同じ人間とは見なしてはいない――カミュア=ヨシュは、そのように言っていたな)


 サイクレウスにとっては、マヒュドラの民も森辺の民も、己の富を築くための道具に過ぎないのだろうか。

 だから、刀をもってかどわかすなどという、そんな無法な真似もできるのだろうか。


 アイ=ファの胸には、深甚なる怒りの火が燃えていた。


(必ず――必ずアスタは、この手で救ってみせる)


 しかしその日は何の成果をあげることもできず、夜を迎えることになってしまった。


 サイクレウスの邸宅や、マヒュドラの民を収容する建物など、アイ=ファたちには立ち入りの許されない場所もいくつか存在したのだが、それはのちに訪れたドンダ=ルウが衛兵たちにかけあって、探索の仕事を果たしてくれた。


 で――それ以外では、アスタや無法者どもが潜んでいそうな場所などはまったく見出すことができなかったのだ。

 むろん、すべての家の中を捜索することなどはかなわないのだから、一時的に身を潜めるぐらいなら、いくらでもできるだろう。

 しかし、このような場所で人目を恐れながら身を潜ませる理由があるとも思えない。

 トゥランにおける捜索の仕事は、わずか一日で完了することとなってしまった。


                ◇


 翌日は、ジェノス南部の農村における捜索であった。

 こちらでは、野菜売りのドーラという者が手伝ってくれることになった。


「お得意さんの宿屋なんかには朝一番で野菜を届けておいたからさ。手売りの仕事はさっさと切り上げることにしたんだよ」


 ドーラは、そのように言っていた。

 この者も、アスタの身を心から案じてくれているのだ。

 一緒についてきたターラという娘などは、リミ=ルウと同様に2日が経過しても泣きそうな顔をしてしまっていた。


「昨日はトゥランを回ってきたんだってね? あそこは小さいし住人の数も少ないから手間もなかっただろうけど、俺たちの村はとにかくだだっ広いからさ! 住人の案内がなかったらどうにもならないはずだよ」


 いっぽうのドーラは、外見だけは変わらずに陽気そうだった。

 しかしそれは、心中の不安や怒りをねじふせた上での陽気さなのだということは、しばらく行動をともにするだけで察することができた。


 そんなドーラとともに、農村の道を歩く。

 ドーラの言葉通り、農村の区域は広大であった。


 また、広大であるばかりでなく、田畑の間に背の高い樹木が密生していたり、川の流れに行く手をさえぎられたりと、複雑に地形が入り組んでおり、木の塀などの区切りがないこともあって、どこからどこまでが人間の管理する領域なのかも判然としないほどであった。


 田畑の規模はトゥランと比較にならなかったし、そして、家や住人の数などは数倍にも及ぶように感じられる。


「そりゃあトゥランでは、野良仕事をすべて奴隷たちにまかせてるって話だからねえ。奴隷たちには家族もないから、自然に人間の数は少なくなっちまうんだろうさ」


 この農村――ダレイムという領地においては、小作の農民というものが何百人と住んでいるらしい。

 いくつかの家で組を作り、領主から与えられた田畑の管理をしているのだ。

 このドーラという男は、その中でも二番目に大きな田畑の取り仕切りをまかされている家の主人であるとのことだった。


「まあ、実際の取り仕切りはもう一番上の息子にまかせちまって、それで俺は宿場町での手売りの仕事を受け持ってるんだよ。領主や貴族の相手をするよりは、宿場町の連中を相手にするほうがうんと楽しいしね」


「貴族を相手にも商売をしているのですか」


 アマ・ミン=ルティムが如才なく相槌を打つと、田畑の間のあぜ道を歩きながら「そりゃあもちろん」とドーラは答えた。


「作る野菜の半分以上は、城下町で引き取られているんだよ。あとに残った分とアリアとポイタンを、俺が宿場町で売りに出しているのさ」


「アリアとポイタンは、城下町では買われないのですか?」


「うん、アリアなんてのはあんまり貴族様の気取った口には合わないらしいし、ポイタンは――それこそ旅人か森辺の民にしか買い手がつかない野菜だからね」


 そこでドーラは足を止め、右手のほうに広がる畑を指し示してきた。


「でも、見事なもんだろう? ここから見える分は、全部ポイタンの畑だよ」


 それでアイ=ファも好奇心を刺激されて、その広大なる畑を見渡すことになった。

 水気のない茶色い土の地面が、果てしなく広がっている。

 しかしそこに見慣れたポイタンの姿はなく、しなびた蔓草のような葉と茎が等間隔で土から顔を出しているばかりだった。


「ポイタンってのは痩せた土地でも育つし、あっという間に収穫することもできるからさ。こいつを森辺の民がたくさん買い上げてくれるから、それだけでも俺たちには十分な稼ぎなんだよ」


「森辺の民は、最低でも1日にふたつのポイタンを食するようにしていますからね」


「そう、それで森辺の集落には、全部で500人以上の人間がいるんだろう? そうしたら、1日に1000個ものポイタンが買われていることになる。こんなにポイタンの売れる町なんてのは、ジェノスの他にないんだろうと思うよ」


 そこでドーラは、深々と息をついた。


「で、最近ではアスタが1日に150個ものポイタンを買ってくれていたからさ。俺たちは、慌ててポイタンの畑を広げることになったんだ。幸い、ポイタンしか育たないような痩せた土地だったら、南側にいくらでも広がっているからね。領主様だって、何の文句もなく田畑を広げることは了承してくれたよ」


「そうですか……」


「こいつは、すごい話だろう? アスタが商売を始めただけで、俺たちは畑を広げるような騒ぎになっちまったんだ。アスタは、すごい男だよ。そのすごさを本当にわかっている人間なんて、宿場町にもまだそんなに多くはいないかもしれない。……そんなアスタと真っ先に知り合えて、縁を結ぶことができたことを、俺は誇りにすら思ってたんだ。それが、こんなことになっちまって……」


 ドーラの目に、怒りと悲しみの光がくるめいた。

 とぼとぼと一緒に歩いていたターラのほうも、涙目になってしまっている。

 そしてドーラは、ぶんぶんと頭を振ってから、申し訳なさそうにアイ=ファたちを見た。


「悪いね。同胞であるあんたたちのほうが、よっぽどつらい思いをしてるだろうにさ。俺なんかが泣き言を言うのはおこがましいや」


「そのようなことはない。あなたからそのような話を聞くことができて、私こそ誇らしいと思う」


 思わずアイ=ファも横から口をはさんでしまった。

 ドーラは「うん」と大きくうなずく。


「あんたはアスタの家の家長だったよね。アスタのおかげで、俺は長年恐れてきたあんたたちとも縁を結ぶことができたんだ。何としてでもアスタを取り戻して、またあんたたちと変わらぬつきあいを続けていけるようにと祈っているよ」


「私も、そのように願っている」


 しかし、南のダレイムの地においても、何らかの成果を上げることはできなかった。

 城下町の外に犯人はいない。その事実は、日を重ねるごとに明らかとなっていったのだ。


 ダレイムは、ドーラの協力の甲斐あって、1日と半分で捜索の仕事を終えることができた。

 3日目の残り半分は、宿場町における捜索を手伝うことになった。

 宿場町は建物も人間も密集しているし、また、旅人や商人などの出入りが激しかったので、捜索の作業ももっとも困難であったのだ。

 しかしそれでも、その日の内には捜索を終えることができた。


 宿場町にも、トゥランにも、ダレイムにも、アスタや無法者が留まっていたという痕跡を発見することはかなわなかったのだ。


「この事実をもって、明日は城下町におもむこととする」


 その夜に、ルウの集落でドンダ=ルウはそのように宣言した。


「ザッシュマという男を通じて、メルフリードという貴族にも話を通したが、やはり明後日の朝まで動くことはできぬという返事であった。その朝にはサイクレウスもまた行動の自由を得ることになるので、我々はその前に城下町に踏み込もうと思う」


 いよいよだ――と、アイ=ファはいっそう強く拳を握り込むことになった。

 ここまでは、城下町に踏み込むための前準備に過ぎない。

 明日こそが、決着の時となるのだろう。


 アスタがさらわれた日から数えて、今日で4日目。

 その1日ごと、孤独な夜が訪れるたびに、アイ=ファは魂の砕けそうになる苦しみを負うことになった。


 晩餐を終えた後のわずかな時間、様子を見に来てくれるサリス・ラン=フォウの存在がなかったら、自分がどうなってしまっていたかもわからない。


 だけどそれも、この夜で最後だ。

 この夜で、絶対に最後にしてみせる。

 そんな思いを胸に、アイ=ファは苦悶に満ちた夜に耐えた。


 そして翌日――

 アスタがさらわれてから、5日目の朝。

 この朝はアイ=ファもギルルをルウの集落に預けて、ドンダ=ルウらとともに町へと下りることになった。


 そこに、現れたのだ。

 ギバとは異なる毛皮の外套を纏った、赤い髪をした異国の狩人――赤髭ゴラムの息子ジーダが。


「ファの家のアスタは、城下町のサイクレウスという貴族の館に捕らわれている。犯人は、その貴族の子であるリフレイアという娘だ」


 ジーダは、そのように告げてきたのだった。

 当然のこと、ドンダ=ルウらは勢いこんでジーダに事情を問い質した。


 しかし、アイ=ファにはそれ以降の記憶がおぼろであった。

 みなの言葉は耳に入っていたのに、まったく記憶に留めることができなかったのだ。


(アスタは、生きている――)


 その思いだけが、頭と身体と心に満ちて、アイ=ファは何も考えることができなくなってしまっていた。


 母なる森は、アスタとアイ=ファを見捨てたりはしなかった。


 アイ=ファはしばらくまぶたと口を閉ざし、あふれそうになる涙と嗚咽をこらえることになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 読み返していたら気になったので… 明日は城下町におもむこととする →明日は城下町におもむくこととする
[気になる点] ・「この事実をもって、明日は城下町におもむこととする」 〈おもむこととする〉は、〈おもむくこととする〉が正しいかと思います。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ