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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
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④かまどの間(下)

2014.10/30 誤字、文章を修正。ストーリー上に変更はありません。

 さあ、気持ちを入れ替えて、集中しよう。


 どうもさっきから周囲の声に惑わされて、手もとがおろそかになってしまっている気がする。料理人の末席を汚す身として、これはいかん。そんな浮ついた気持ちで親父の三徳包丁を扱うなんて、決して許されることではないのだ。


「……このポイタンの調理法は、そんなに難しいものではありません。もしも最長老ジバ=ルウのお気に召すようでしたら、是非明日からも皆さんの手で振る舞っていただきたく思います」


 そんな風に宣言をかました俺の眼前で、そのポイタンはぐらぐらと煮立っている。焦げついてしまわないようにお玉で攪拌してみると、すでにかなりの粘っこさになっていた。


「あの、もしかして、すべての水がなくなるまで煮立てるつもりなのですか?」


 尋ねてきたのは、レイナ=ルウだ。

「そうだよ」と答えると、そのつぶらな瞳が困惑したような光を浮かべやる。


「でも、そうするとポイタンは粘土のように固くなってしまいますよね? あれでは人間の咽喉を通らないと思うのですが……」


「え? レイナ=ルウはそこまでポイタンを煮詰めたことがあるのかい?」


 レイナ=ルウは一瞬きょとんとしてから、「はい!」と瞳を輝かせた。


「ポイタンをもっと食べやすくする方法はないか、色々試していたんです。みんなには、食糧を粗末に扱うなと叱られてしまいましたけど」


 何だろう。幸福そうな微笑が顔いっぱいにをひろがっていく。

 何でこのタイミングでそんな表情を浮かべるのやら。まさか、俺が初めてその名前を呼んだからではなかろうな?


 いかん。集中だ、集中。


「それじゃあポイタンはレイナ=ルウにまかせるよ。……しかし、こう言っちゃ何だけど、森辺の民でもそんな風に調理法を模索することがあるんだな」


「はい。ジバ婆があんな風にならなければ、たぶん何も悩んだりはしなかったと思いますけど。……完全に水気をなくしてしまっていいのですか?」


「ああ。焦げつかせないように気をつけてな」


「はい!」


 さて。まだまだ夕暮れ時には時間があるが、済ませられる仕事は今のうちに済ませておいてしまおう。


「では、ギバ肉の下ごしらえに取りかかります。こっちの料理は火加減が難しいんですけどね。それでもまあ、参考になるようだったら参考にしてください」


 言いながら、今度は肩ロースの包みをほどいていく。

 すると、リミ=ルウが「あれえ?」とまた大きな声をあげた。


「変なかたち! これって本当にギバの肉なのお?」


「ん? 何か変か? これは、ギバの背中と肩の間にある肉だけど」


「へーえ! そんなの、食べたことないや!」


「ど、どうしてだよ? ルウの家ではギバを丸ごと持ち帰ってるんだろ?」


「それは毛皮を剥ぐために持ち帰っているだけで、わたしたちは後ろ足しか食べはしないのですよ、アスタ」


 そう答えたのは、ティト・ミン婆さんだった。


「何故ですか? これだけの大家族だったら、後ろ足なんてすぐに食べ尽くしちゃうでしょう?」


「いいえ。ルウの家の男衆は、毎日2頭のギバを狩るのでね。後ろ足だけでも腐らせてしまうことがあるぐらいなのですよ」


「1日に2頭、ですか……」


 俺はちょっと呆れてしまった。

 そりゃまあ確かに、70キロ級のギバだったら、後ろ足だけで20キロ近くあるだろうから、それが2頭で40キロ……そんな大量の肉を1日で消費しきれるわけがない。燻製にする分を考えても、片足だけで済んでしまうぐらいかもしれない。


 しかしまた、思った。ギバの牙と角は、ひとそろいでアリアとポイタン10食分にしかならないのだ。

 ということは、12人(プラス乳幼児1人)家族のルウ家においては、1日1頭では足りないのである。だいぶん余剰は出てしまうが、2頭仕留めるのが、妥当なのだ。


 そりゃあもちろん、このシステムだとどうしたって肉が余ってしまう、というのはわかる。我が家の食糧庫においても、それは顕著なのである。


 6日ほど前にアイ=ファが仕留めたギバは、45キロていどの肉になり、ピコの葉で保存しているうちに水分が抜けて40キロていどに縮まった。が、俺とアイ=ファだけでは1日に1キロていどしか消費できないし、保存も2週間ていどしかきかないから、このままだと半分以上を燻製にするしかなかったのだ。


 しかも、その間もアイ=ファは牙と角を得るために5日に1度はギバを狩る必要があったから、それらはまるまる森に残して野生動物の餌にするしかない、というオマケつきである。


 そんなわけで、せっかくきちんと血抜きをしてさばいた肉を燻製にばかり使ってしまうのは勿体なかったから、今回の1件で10キロ近くも消費できることを、俺などはむしろ喜ばしく思っていたぐらいなのだが――こんな大きな家でも、せっかくの肉をモモしか食べていなかったのか、と少し悲しい気持ちになってしまう。


 俺は肩ロースを切りわけつつ、正面に立っていたティト・ミン婆さんの朗らかな顔をちらりと見やる。


「それであの、捕らえたギバは毛皮を剥いで、角と牙と後ろ足を切り落としたら、あとはまるまる捨てちゃうんですか?」


「ええ。森辺の民の手に渡らぬよう、谷の下に放り捨てます。谷の下にはムントの巣があるので、ムントがギバの魂を森に持ち帰るのです」


「……森辺の民の手に渡らぬように?」


「はい。もしもギバを狩る力がない人間がその肉を見つけて、人の捨てたギバをしか喰らわないようになってしまえば、誇りを持たぬ民が生まれてしまうのでね」


 森辺の民の誇り、というやつか。

 異世界の生まれである俺には、何とも釈然としない話だ。

 まあ――一番釈然としなかったのは、こんなに美味いロースやバラ肉を廃棄物扱いするなんて!という点であったので、俺の倫理観もたかが知れている。


「参考までに。男衆が怪我をしたり年老いたりしてギバを狩れなくなったら、その家族の末路はどうなるのですか?」


「力を失った民は、眷族を頼るでしょう。眷族にそれを救う力がなければ、より大きい力を持つ家を頼るでしょう。ギバを狩れずとも他の仕事をまっとうできる力さえあれば、ギバを喰らう資格はありますでな」


「そうですか」


 その説明で、俺もなけなしの倫理観を納得させることにする。


「了解しました。ありがとうございます。……さて、こんな風にだいたい肉を切りわけられたら、お次は刀で叩いて挽き肉にしていきます」


 もう一度、気持ちを調理に引き戻す。

 今は、情報収集のお時間では、ないのだ。


「最初は大きめの刀を使ったほうが楽でしょうね。そんなに力は入れないで、刀の重さを利用するようにして、こう、まんべんなく肉を叩いていくんです」


「何それ! 面白い! リミもやるっ!」


「うん? ……そうだな。これぐらいなら、まかせてもいいか」


 時間にはまだ余裕もあることだし。仕上げだけ俺がやってしまえば問題はなかろう。明日以降のことを思えば、少しでも彼女たちにギバ肉の美味い食べ方を伝授していきたい。


「うわー、にちゃにちゃー! おもしろーい!」


 声だけ聞いていると遊んでいるかのようだが、リミ=ルウの包丁さばきにまったく危なげなところはなかった。幼いとは言っても、しっかり家の仕事をこなしている身の上なのだろう。


「あ、あの! アスタ! わたしもそれを、やってみたいです!」


 と、声をあげたのは、もちろんポイタン汁を攪拌しながら、首をのばして俺の手もとを覗きこんでいたレイナ=ルウである。

 そんな必死にならなくても、14人分として7キロもの肉をハンバーグ用に確保しているのである。叩きたければ、好きなだけ叩くがいい。


「あ、ポイタンのほうももう十分そうだな。えーっと、これってこのまま移動できたりするのかな?」


「取っ手に棒を通せば、ふたりで運べます!」


「それは助かるね。じゃあ、アイ=ファ……」


「これぐらいなら、わたしでも持てますよ?」と、グリギの棒を手に持ったレイナ=ルウが微笑みかけてくる。


 だったら、アイ=ファとレイナ=ルウで……とも思ったが、俺の内なる野生のカンが、この2名にペアを組ますべからず!と叫んでいた。


 ということで、火傷をしないように気をつけながら、横合いの取っ手を上に向けて、そこにグリギの棒を通し、俺とレイナ=ルウでえっほえっほと野外に運んでいく。


 アイ=ファはもうあまり冷ややかな目をしていなかったが、何となく、ティト・ミン婆さんと会話をしたあたりから、少し暗い目で何かを考えこんでいるように見えた。

 嫌だな。打ち沈んでいるアイ=ファというのは、俺の中で一番見ていたくない姿だ。


「それで、この鍋をどうするのですか?」


「ああ。日当たりのいい場所において、このまま乾燥させるんだ。焦げつかないように、鍋の外側に少し水でもかけておこうか」


「はい!」


 アイ=ファへの不安感とは別の話で、このレイナ=ルウという娘の働きぶりは見事なものだった。

 非常にてきぱきしているし、飲み込みも早い。一を聞いて十を知るってやつだ。これはリミ=ルウもたぶん一緒だが、ジバ婆さんのためにきちんと技術を習得したい、という思いが強いのだろう。


 ポイタン搬出の後、レイナ=ルウに肉を叩かせてみると、これはリミ=ルウ以上の上出来で、もう俺が仕上げをする必要がないぐらい、綺麗なミンチに仕上がっていた。

 刀はいくらでもあったので、ついにはティト・ミン婆さんまで参戦すると、7キロ分の大量のギバ肉も、あっというまにピンク色の小山に成り果ててしまう。


 彼女たちは、実に優秀な生徒たちだった。


「あれ? アスタ! こっちにお肉が余ってるよ! これもにちゃにちゃにしちゃっていいの?」


「あ、それはそのままにしておいてくれ。ちょっと別の料理で使うから」


 歯が弱いのならスープも必須であろうと思い、ハンバーグの7キロ分とは別にロースを3キロ分ほど分けておいたのである。リミ=ルウはたいそう残念そうに「ちぇーっ!」と唇を尖らせた。


「ちょっと順番が逆になっちゃったけど、次はアリアの下ごしらえだな。他にも色々必要なんで、俺も食糧庫に案内してくれるかな、リミ=ルウ?」


「うん!」


「あ、そろそろもう一つ鍋に火を入れておいてください。……アイ=ファ、お前は荷物運びを手伝ってくれよ」


 アイ=ファは、気のない表情で壁から背を離した。

 かまどはティト・ミン婆さんが受け持って、残りの4名で食糧庫に向かう。


 小屋には三つの扉があり、右からかまどの間、食糧庫、解体部屋、だった。

 真ん中の扉を開けて、リミ=ルウの案内で足を踏み入れた俺は、「うわ……」と声をあげてしまう。


 これは、予想していなかった。

 そこには、見たこともない食材がずらりと並んでいたのだ。


「何だこりゃ? すごいな? お宝の山じゃないか!」


 俺がそんな風に叫んでしまったのも無理はあるまい。

 8畳ていどの空間に、ずらりと戸のない棚が並んでいる。

 そこに収められていたのは、トマトみたいに真っ赤でカボチャみたいに馬鹿でっかい実だとか、レタスで作ったバラの花みたいな青野菜だとか、蛇がとぐろを巻いているようにしか見えない謎の塊だとか、ドリアンみたいにトゲトゲのついた青い皮の果実だとか――とにかく、アリアでもポイタンでもない食材の山であった。


 壁には、よく見知ったピコやリーロの葉も吊るされている。

 しかし、そのかたわらには竹のように太くてゴボウのように毛根を生やした2メートルばかりもある謎の植物がたてかけられていたり、黄色い干し柿みたいなものがぶら下がっていたりもした。


 ギバの肉は、どこにも見当たらない。奥の壁に扉が見えるから、きっとそちらが貯肉室なのだろう。

 つまりは、8畳ていどのスペースのほとんどが未知なる食材で満たされた、そこは楽園のごとき情景であったのだ。


「アスタ! アリアはこっちだよー!」


 その棚の間をちょろちょろと走り回り、リミ=ルウが室の右隅に寄っていく。

 確かにそこには、アリアとポイタンが転がっていた。莫大な数が、ゴロゴロと。


「……この世界にも、こんなにたくさんの種類の野菜があったんだな」


「世界? ……うん! 鍋に入れると色々と味が変わって面白いんだよ! リミはタラパが好きだなあ。レイナ姉はティノの葉が好きだよね!」


「だけどさ、リミ=ルウ。人間ってのはアリアとポイタンを食べていれば生きていけるんだろ?」


「うん? ああ、そうみたいだね! だけど、毎日同じ味じゃあ飽きちゃうでしょ?」


 なるほど。これらの食料群は、力ある氏族の贅沢品、ということか。

 いや――だけど、きっと栄養価だって高いのだろう。

 贅沢品ではあっても、嗜好品などではないはずだ。


 そういえば、ここの女衆は、リミ=ルウやララ=ルウの2名を除けば、みんな肉づきがよろしくていらっしゃる。それも、きわめて健康的な様子で、だ。

 そもそもポイタンが穀物であると察せられる以上、野菜がアリアだけというのは少し頼りない感じだから、彼女たちはこれらの野菜で不足分の栄養を補っているのだと推察できる。


(だけど……結局こいつらも、ポイタンを溶かしたギバ鍋にぽいぽいぶちこむだけなんだろう?)


 何とも勿体ない話だ。

 これだけの食材があれば、いったいどれほど彩りのある料理が作れるものか――ああ、想像しただけで身体が震えそうだ。


「……もし良かったら、これらの食材も使ってみてはいかがですか?」


 と、レイナ=ルウが控えめに笑いかけてくる。

 俺は、無茶苦茶に心を揺さぶられつつも「いや」と、それを固辞してみせた。


「味見をしている時間はないんで、惜しいけれどやめておくよ。見たこともない食材を使って料理の味をぶち壊しちまったら何にもならないからな」


 ポイタンの解析にだって、4日の歳月を必要としたのだ。

 料理人の誇りやらアイ=ファの気持ちといったものどもを質草にして、そんな冒険に踏みきれるわけはない。


(そういえば……)と、アイ=ファを振り返ると、彼女はさして関心もなさそうに、それらのものどもを睥睨していた。


(……そうだよな。こっちは5日に1頭ギバを仕留めないと、必要最低限の食糧もまかなえない身の上なんだ。恵まれた環境にいる人たちを羨ましがったって始まらないや)


 大衆食堂に生まれついた俺などに、キャビアやフォアグラなどは無縁の食材だ。これらの食材は庶民には不要なる贅沢品なのだ、と気持ちを切り替えることにする。


 というわけで、俺たちは14名分のアリアと、果実酒の土瓶、それに岩塩をくるんだ包みだけを手に抱え、食糧庫を後にすることになった。


 そこに――

 そいつらが、やってきたのである。


「何だあ、こりゃあ? ギバの糞か? 通り道に邪魔くせえもんを置いとくんじゃねえ!」


 雷鳴みたいにひび割れた、胴間声。

 アイ=ファの顔に、緊張が走った。


「あれえ? ドンダ父さん、お帰りなさい! 今日はずいぶん早かったんだねっ!」


 土瓶を抱えたリミ=ルウがはしゃいだ声をあげて、そちらのほうに走り寄っていく。

 食糧庫を出たばかりの俺たちの眼前に、獣の匂いがする4人の男たちが立ちはだかっていた。

 その先頭に立って、路上に置かれたポイタンの鍋を不愉快そうに見下ろしていた大男が、リミ=ルウの頭ごしに、俺をにらみつけてくる。


「何だ、貴様がファの家に転がりこんだという余所者か? 白い白いとは聞いていたが、本当に生白い小僧だなッ!」


 その息までもが獣くさそうな、髭面の大男――

 もちろんそれが、ルウの本家の家長にしてリミ=ルウたちの父親たる、ドンダ=ルウその人なのだった。

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