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異世界料理道  作者: EDA
第十四章 群像演舞
238/1675

第三話 赤髭と風来坊

2015.9/12 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。次回の更新まで少々お待ちください。

「おい、貴様! いったいどこから入り込みやがったんだ!?」


 カミュア=ヨシュがその酒場に足を一歩踏み入れるなり、あちらこちらから悪意ある視線と罵声が叩きつけられてきた。


 南北に走る主街道から少し外れた、古くてあまり使われていない街道沿いにある、さびれた村落の酒場である。


 建物も、決して立派なものではない。二階には宿泊用の部屋も準備されているようだが、このように物寂しい土地で夜を明かそうという旅人は少ないだろう。

 主街道を北に半日ほど進めばベヘットの町、南に半日ほど進めばジェノスの町が、それぞれ控えている。当たり前の知識を備えている旅人ならば、朝から夜までトトスに鞭を入れて、安全で大きな町で夜を過ごせるような算段を立てるはずだ。


 しかし――その酒場は、ずいぶんと賑わっていた。

 さほど大きくもない客席に、15名ばかりの男たちが陣取っている。いずれも腕に覚えのありそうな、いかにも荒くれ者といった風貌の男たちである。


「はて? どこからと言われましても、俺は目の前の道をひょこひょこ歩いてきたまでですが」


「ふざけるな! 外には俺たちの見張りが目を光らせていたはずだ! 手前……どこかの貴族の間諜か?」


「まさかまさか。今のところは、どの土地の領主にも刀を捧げた身ではございません」


 深くかぶった頭巾の陰で、カミュア=ヨシュはにっこり微笑んでみせる。


「実は、旅の途中でトトスを失ってしまったのです。このような辺境の地をトトスもなしに通りぬけようとする輩はそうそういないでしょうから、それでその見張りとかいう方たちも俺の姿を見過ごしてしまったのではないでしょうかね」


「ふざけた口をきく男だな……いいから、その頭巾を取ってみな」


 と、その中でもひときわ魁偉な風貌をした大男が、のそりと進み出てきた。


「酔狂なシム人でもあるまいし、こんな夜更けにそんな暑苦しいもんをかぶる筋合いはねえだろうがよ? あやしいもんじゃねえってんなら、その面を拝ませてみろ」


「はあ、それはいっこうにかまいませんがね」


 そのように答えてから、カミュア=ヨシュは右腕を広げ、左手で心臓をつかむ仕草をしてみせた。


「その前に、俺は西方神セルヴァの子であることを、この魂にかけて誓わせていただきます」


「はん。手前みたいにべらべらとよく喋る男を、誰もシム人とは思わねえよ」


「ええ、シム人と思われる分には、いっこうにかまわないのですがね」


 そうしてカミュア=ヨシュは、神への礼を果たしてから、革の外套の頭巾を背中のほうにはねのけてみせた。


 男たちが、ぎょっとしたようなどよめきをあげる。


「手前……北の民か?」


「いえいえ、ですから、西の民です。母はマヒュドラの生まれでしたが、俺は西方神セルヴァに魂を捧げた身なのです」


 男たちはうろんげに、ぼそぼそと言葉を交わし合うことになった。

 それでもいきなり斬りかかってきたり、呪いの言葉をあびせてこようとする者はいない。


 やはり、ここまで内陸部に来ると、マヒュドラの民に対する敵対心というものは相当に緩和されるようだ。

 血で血を洗うマヒュドラとの国境は、ここからトトスでひと月以上もかかる北の果てなのである。


「なるほどな。いくら何でも、北の血が混ざった人間を召し抱えようって領主はいねえだろう。手前はただの、間の抜けた旅人に過ぎねえってわけだ」


「ええ。毒を持つ蜥蜴にトトスを噛まれてしまったのです。俺の準備の足らなさから、可哀想なことをしてしまいました」


「そいつは気の毒な話だがな。今晩、この酒場は俺たちの貸し切りなんだ。余所者を迎えるわけにもいかねえから、このまま出ていってもらおうか」


「ええ? そいつは困りましたねえ。俺はこちらで宿泊させていただこうと考えていたのですが」


「二階の宿も、満室だとよ。運がなかったな」


 カミュア=ヨシュは、ぐるりと視線を巡らせてみた。

 店の奥に横長の受付台があり、その向こうで酒場の主人と思しき壮年の男が酒盃に果実酒を注いでいる。


 目が合うと、主人は面倒くさそうに手をぷらぷらと振った。

 さっさと出ていけ、ということらしい。


「うーん、困りましたねえ。では、この村落で旅用のトトスを売ったりはしておりませんかね?」


 カミュア=ヨシュが言うと、男たちは下卑た笑い声をあげた。


「そんな大層なもんを売ってるわけねえだろうが? こんなさびれた村落に置いてあるのは、野良仕事を手伝わせるための老いぼれトトスぐらいのもんだろうぜ」


「一晩火でも焚いてりゃあ、物騒な獣に襲われることもねえだろうよ。ただし、手前自身が毒虫に噛まれちまわないよう気をつけるこった!」


 カミュア=ヨシュは「ふうむ」と考え込むことになった。


 すると、入口に近い卓で果実酒をあおっていた短躯の男が、酒臭い息を吐きながら近寄ってきた。


「おい、本当にこいつを帰しちまっていいのか? 見張りの目をすりぬけてまで店に入ってきたってのは、いかにもあやしい話じゃねえか?」


「そうだな。旅人のなりをした兵士なんかではないとしても、何か企みがあって俺たちに近づいてきたんだろう」


「このまま帰しちまうのは、危険だな」


 その男に呼応して、数名の男たちがカミュア=ヨシュを取り囲んでくる。

 カミュア=ヨシュは、両手を軽くあげて害意のないことを示してみせた。


「別に企みなどはないですよ。俺は一夜の宿を求めていただけなのです」


「口では何とでも言えるだろうがよ。おい、素直に吐けば痛い目を見ずに済むぜ?」


「うーん、痛いのは嫌ですねえ」


 カミュア=ヨシュの言い方が癇に触ってしまったのか、短躯の男が壁にたてかけてあったグリギの棒を握りしめた。


 ひときわ物騒な面がまえをした最初の大男が、「殺すなよ」と低くつぶやく。


「あの、俺は本当にあやしい者では――」


「うるせえッ!」


 短躯の男が、グリギの棒を振り下ろしてくる。

 まともに当たれば、肩の骨ぐらいは簡単に砕かれていただろう。

 それは嫌なので、カミュア=ヨシュは一歩だけ横移動した。

 外套とすれすれの位置を横切って、グリギの棒が木の床に叩きつけられる。


「手前ッ!」


 すると今度は、左手側にいた男がつかみかかってきた。

 カミュア=ヨシュは、その場にすとんと腰を落とす。

 男はカミュア=ヨシュの肩につまずいて、頭から床に落ちることになった。


「ほう、なかなか小癪な真似をしやがるな」


 残った男たちが、じりっと包囲の輪を縮めてくる。

 さてさて、どうしたものだろう――とか考えていたら、店の奥から「おい」という笑いを含んだ声がかけられてきた。


「もういいじゃねえか。困っているなら、ひと席分ぐらいは席を空けてやれ。そいつが毒蜥蜴に噛まれてくたばっちまうようなことになったら、俺たちまで夢見が悪くなっちまうだろうがよ?」


「いや、だけど、お頭――」


「そいつを俺のところまで連れてこい」


 男たちは、不満そうに顔を見交わした。

 しかし、それ以上は言葉を返そうとはせず、カミュア=ヨシュを包囲したまま店の奥へと足を向ける。

 棒をもった小男に背後を取られてしまったので、カミュア=ヨシュも彼らと一緒に前進するしかなかった。


 巨大な棚のせいで入口のあたりからは見通すことのできなかった最奥の卓に、その男は待ちかまえていた。


「へえ。本当に金色の髪をしているんだな。マヒュドラの血が混ざった人間を見るのは生まれて初めてだ」


 そのように言う男のほうこそ、実に珍しい色合いの髪をしていた。


 首の横まで無造作に垂らした、少しくせのある蓬髪――それは、炎と見まごうばかりの鮮やかな真紅をしていたのである。


「良かったらそこに座れよ。最初の一杯は、俺が奢ってやろう」


「それはどうも、いたみいります」


 カミュア=ヨシュは、言われるがままに腰を下ろした。

 俄然、この人物に興味を引かれてしまったのである。

 渦巻く炎のようなその髪と、野の獣のごとき黄色く光る双眸――そして、そのしなやかな身体に満ちみちた、尋常でない力の気配にだ。


(これはなかなかの大人物であるみたいだぞ)


 こっそりそのように心中でひとりごちる。


 それほど年をくった男ではない。せいぜい20を少し越えたぐらいだろう。西の民らしく黄褐色に焼けたその顔は、すっと鼻筋が通っており、女性的に見えなくもないぐらい造作が整っていた。


 粗末な布の服に包まれたその身体も、どちらかといえば細身であり、とてもしなやかな筋肉が張っている。座っているからわかりにくいが、背だってそんなには高くないだろう。


 しかし――その肉体には、荒々しいほどの生命力がみなぎっていた。

 口調は明るく、態度は気さくだが、その双眸にも油断のない光が宿っている。


 噂に伝え聞くマサラの山のガージェの豹というやつが人間に化けたら、かくもあろうかという、それは美しくも危険そうな若者であった。


「そら、飲みな。この酒場では一番上等な果実酒だぜ?」


「ありがとうございます。……セルヴァの民に幸いあれ」


 豪快に注がれた赤褐色の果実酒を、一息で半分ほど空けてみせた。

 強い酒精が、心地好く咽喉を焼いていく。


 それで周りの男たちは、渋々ながらも自分たちの席に戻っていった。

 彼らの「お頭」が客分と認めたからには、もう逆らいようがなくなってしまうらしい。


「俺は西の民、カミュア=ヨシュという者です。15の年にマヒュドラからセルヴァに神を乗り換えて西の領土をさまよっている、故郷を持たない風来坊です」


「俺は――そうだなあ。周りの連中は『ジドゥラ』と呼ぶから、そんな風に呼んでもらおうか」


「ジドゥラですか。失礼ですが、東の民を思わせるお名前ですね」


「ああ、東の言葉で『赤』って意味らしい。俺にはぴったりの仇名だろう?」


 にっと白い歯を剥き出しにして笑う。その笑顔は、さらに若々しくて子供っぽく見えるぐらいだった。


「さっきはうちの連中が悪かったな。お前さんが想像している通り、すねに傷を持つ人間の集まりだからよ。巡回の兵士どもには気が抜けねえし、酒を飲むにも見張りを立てなきゃならねえ身の上なのさ」


「はあ。ですが店のご主人に恐れられている様子はないようですね」


「そりゃあ最初にたんと前金を積んでおいたからな。銅貨さえ払えば文句はねえだろ。こんなさびれた酒場にとっては、またとない上客なんじゃねえのかな」


 笑いながら、果実酒をあおる。

 カミュア=ヨシュは「なるほど」と手を打った。


「それじゃあやっぱりあなたたちが、あの高名な《赤髭党》の面々なのでしょうかね?」


 途端――ようやく沈静化しかけていた酒場に、さきほどとは比べ物にならぬほどの殺気がみなぎった。


 何人かの男たちが、腰の得物に手をかけて立ち上がろうとする。

 そちらに手をかざしつつ、赤毛の若者は「まあ待てよ」と言った。


「そいつはずいぶん素っ頓狂なことを言い出したもんだな。《赤髭党》ってのは、このあたりで一番でかい盗賊団の名前だろう? 確かに俺はこんな髪の色をしているが、生憎と餓鬼みてえに髭の生えねえタチなんだよ」


「はい。ですが《赤髭党》というのは貴族だけを相手に略奪を働く不殺の義賊と聞き及んでいます。それなら酒場の親父さんもむやみに恐れたりはしないし、喜んで酒をふるまうのかなあと。……《赤髭党》は、貧しき民にその富を配り歩いている、という評判でもありますしね」


「……風来坊のくせに、ずいぶんこの土地について詳しいじゃねえか?」


「俺は北方からやってきたのですがね、ベヘットに差しかかるあたりから、《赤髭党》の名は頻繁に耳にすることになりました。貧しき民の間では、もはや英雄と称えられているぐらいの一団であるようですね」


 ジドゥラと名乗った赤髪の若者は、もう一度果実酒で咽喉を潤わせてから、カミュア=ヨシュをじっとねめつけてきた。

 黄色みがかった獣のような瞳が、爛々と燃えている。


「カミュア=ヨシュ。お前さんは、いったい何者なんだ?」


「さきほども述べた通り、故郷を持たない風来坊です。つけ加えるとしたら、《守護人》を生業にしていることぐらいでありましょうか」


 言いながら、首もとの飾り物を引っ張り出してみせる。

 さまざまな色合いのからみあった、ジェノスの瑪瑙で作られた《守護人》の証しである。

 表面には、西の言葉で小さくカミュア=ヨシュの名が刻み込まれている。


「へえ。もぐりじゃなく、王国から正式に認められた《守護人》かよ。お前さんは、何歳なんだ?」


「俺は、もうじき19になるところですね」


「その若さで、都の連中には忌避されるマヒュドラの血を引きながら、《守護人》と認められたってのか。そいつは尋常でない腕前を持つ剣士様ってことだなあ、おい?」


「ええ、まあ、剣の腕を磨かなければ生き抜けないような生まれでありましたので」


「ふうん……しかし、王国から認められた《守護人》ってことは、貴族どもの身を守る仕事を受け持つことも少なくないってことだよなあ」


 若者の双眸が、いっそう熾烈に燃えあがる。


「と、いうことは――貴族を狙う《赤髭党》にとっては、不倶戴天の仇敵ってわけだ?」


「そうですねえ。ただ、いま守るべきは自身の身柄のみですし、盗賊団の討伐などというのは専門外です。《守護人》の仕事は、依頼主の身を守ることのみでありますので」


 若者は、迷うように唇をなぞった。

 周りの男どもは、彼の号令を待つかのように息を潜めている。


「……どうしてだ?」


「え? 何がでしょう?」


「お前さんは、俺たちのことを《赤髭党》だと疑ったんだろう? だったら、《守護人》という身分を明かしたって、自分が不利になるばっかりじゃねえか?」


「いえ。おたがいが仕事の最中でない限りは、何も敵対するいわれはありませんし。それならば、何でも素直に打ち明けたほうが信頼を得られるかなあと思ったまでなのです。……もしもあなたがたが《赤髭党》であるならば、何とか心を通い合わせたいなあと思っていましたしね」


「どうしてだよ? 《守護人》だったら、《赤髭党》は敵だろう?」


「俺が貴族の護衛に励んでいて、そこを《赤髭党》に襲われたなら、刀を交える他なくなってしまいますけどね。だけど俺だって貧しき生まれでしたから、《赤髭党》の生き様には心を打たれてしまうのです。不殺の掟をつらぬいて、貴族の富だけを狙い、それを貧しき民にばらまく義賊。そんなの、格好よすぎてずるいぐらいじゃないですか?」


 若者は、こらえかねたように、ぷっと吹き出した。

 それから背中をのけぞらし、大きな声をあげて笑う。


「お前さんは、馬鹿だなあ! 本気でそんなことを考えて、自分の素性を打ち明けたってのか?」


「ええ。それに、あなたのような人間を敵に回したくないなとも考えました。もしもあなたが《赤髭党》の党首であるならば、この付近であなたがたの標的になりそうな仕事を受け持つのはやめておこう、と思ったのですよ」


 馬鹿だ馬鹿だと若者は笑い続けた。

 そうしてひとしきり笑ってから、懐に指先を潜り込ませる。

 そこから引っ張り出されたのは、若者の髪と同じ色合いをした布切れであった。

 それを自分の顔の下半面に巻きつけつつ、若者は目もとだけで笑う。


「だったら、真実を教えてやるよ。俺の本当の名は、ゴラムだ。悪名高き《赤髭党》の党首、赤髭のゴラムだよ。《赤髭党》の証しであるこの赤い布切れが、俺の異名になっちまったってわけだな。……おそれいったか、《守護人》カミュア=ヨシュよ?」


「はい。おそれいりました」


「お、お頭……」


「情けねえ声を出すんじゃねえよ! この若造は、王国の認めた《守護人》だ! 見たところ、その身分に恥じねえ腕前を持ってるみたいだしな。こんな野郎を敵に回したら、ぶっ殺さずに済ますことなんて出来そうにねえ。不殺の掟をつらぬくためには、酒でも酌み交わすしかねえんじゃねえのか?」


 赤髪の若者――赤髭ゴラムは、顔に巻いた布切れを咽喉もとまで引き下ろしながら酒場の主人を振り返った。


「おい、親父、果実酒を追加だ! あと、この店で一番上等な食事を持ってこい!」


「は、はい!」


「さあ、カミュア=ヨシュ。お望み通り、酒を酌み交わそうじゃねえか。……それで、そろそろ白状しろや。わざわざ見張りの目をすりぬけてまでこの宿屋に近づいてきたのは、ここらに《赤髭党》が潜んでいるって当たりをつけてのことなんだろう?」


「ええ、まあ、トトスを失ったのは真実なのですがね。ここ数日は、どこかであなたがたに巡りあえはしないかという期待を込めながら、ふらふらとあてどもなく旅を続けておりました」


「ふうん。何の手がかりもなく、よくこの酒場まで行きつけたもんだな?」


「はい。さすがにたくさんの兵を抱えるジェノスやダバッグなどには近づきもしないでしょうから、なるべくさびれた街道を選んで、兵士の巡回なども及ばなそうな区域を捜し回っていたのです」


「お前さんみたいに鼻のきく男が兵士どもの中にいなかったことを祝福するべきなんだろうな」


 そのように言ってから、ゴラムは険悪なしわを鼻の上に刻んだ。


「しかしな、ここ最近で俺たちの居所をつかんだのは、お前さんでふたり目なんだ。俺たちも、ちっとばかりは身を潜める場所を考えるべきかもしれねえや」


「へえ。兵士たちに追い回されたのですか?」


「いや。そんなのは別に珍しい話でもねえけどな。だから表に見張りを立ててるし、いつでも逃げられるようにトトスの準備もしてるんだ。酒場に前金を払ってるのも、兵士に踏み込まれたら銅貨を支払う余裕もなくなっちまうからなのさ。……そうじゃなくって、5日ばかり前のことだったかな。貴族みてえに裕福そうななりをした男が、今夜のお前さんみたいにふらりと近づいてきたことがあったんだよ」


「貴族? まさか貴族がこのような場所まではやってこないでしょう?」


「そのときはこの酒場じゃなく、もうちっとは上等な街道沿いの宿屋だった。そこはいつでも客で賑わってるから、貸し切りにはせず店の奥でこっそり楽しんでたんだ。……そこにあの、腐肉喰らいみたいな目つきをした貴族野郎がやってきたわけだな」


 嫌悪感を剥き出しにしながら、ゴラムはそのように言い捨てた。


「本当に、けったくそ悪い目つきをした野郎だった。商人風の装束を着込んでやがったけど、ありゃあ貴族だ。少なくとも、石の都のど真ん中でのうのうと暮らしている苦労知らずの輩だよ。どんな生活に身を置いているかは、目つきと手の先でも見りゃあすぐにわかるもんだからな」


「ふうむ。しかし、そのような身分の者が、どうして《赤髭党》のもとに? 過去に富を略奪された恨みがあろうとも、自分から盗賊団に近づく必要はないでしょう?」


「そうじゃねえんだよ。あの野郎は、俺たちに商団を襲ってほしいとか言い出しやがったんだ」


 すると、近くの席にいた男が「商団じゃなく使節団だぜ、お頭」と口をはさんできた。


「うるせえな、どっちだって変わらねえだろ! ……とにかくな、そいつはそのバナームからジェノスにやってくる使節団とやらを襲ってほしいとか抜かしやがったんだ。しかも、そいつらは全員皆殺しにして、お宝を奪っちまえってな」


「不殺の義賊に対して、皆殺しですか。そのような要求は何をどうしたって通るものではないでしょうに」


「ああ。だけど、その仕事をこなしてみせたら、《赤髭党》のこれまでの罪は目こぼししてやってもいい、なんてことまで抜かしてやがったな。どうだ、胡散臭い話だろう?」


「胡散臭いですね! バナームにジェノスといったら、この付近でもっとも規模の大きな町じゃないですか。俺はまだどちらにも足を踏み込んだことがありませんが、大きな城を持つ侯爵家の領土でしょう? 何やら陰謀のにおいがぷんぷんしますねえ」


「ああ。盗賊団を利用して、何か都合の悪い相手をぶっ潰したかったんだろうな。薄汚え貴族どもの考えそうなこったぜ。……だからそいつは、ここのところを刀でおもいきり断ち割ってやった」


 獣のように笑いながら、ゴラムは自分の額を左から右にすっとなぞった。


「一生消えない傷を見るたびに、あいつはこの赤髭ゴラムにふざけた口を叩いたことを後悔することになるだろう。薄汚えムントの魂に幸いあれだ」


「無用に貴族などの怒りを買うのは危険ですよ。……あるいは、その場できっちり生命を絶ってやるべきだったのではないでしょうかね?」


 そのように言ってから、カミュア=ヨシュはふっと微笑した。


「まあ、不殺の掟があってはそういうわけにもいきませんか。あなたたちは、本当に清廉な生き様をつらぬいているのですね」


「盗賊団に清廉もへったくれもあるもんかよ!」


 また火がついたように笑いだす。

 そこに、酒場の主人が大きな木の皿を手に近づいてきた。


「お待たせしました。キミュスの香草焼きですよ」


「おお、こいつは美味そうじゃねえか! こんなへんぴな酒場で皮つきの肉を食えるとは思わなかったぜ!」


 木皿には、ものすごい量の肉が載せられていた。

 ぶつ切りにされた、キミュスの皮つきの肉である。そのてっぺんには、珍しくも手羽の肉までもが載せられている。


「今日は一晩貸し切りという話だったから、嬶にキミュスをしめておくように言いつけておいたんですよ。ろくに卵を産めなくなった老いぼれキミュスだから、ちっとばかりは筋張ってるでしょうけど、それでも皮つきなら立派なご馳走でしょう?」


「ありがたくって涙が出るね! だけど、キミュスの皮なんてのは皮革屋に売りつけたほうが儲けになるんだろう?」


「若いキミュスを買いなおしたっておつりが来るぐらいの銅貨をいただいてるんですから、これぐらいのことは何てことないですよ」


 にっと楽しげな笑みをこぼしてから、主人はさらに何本もの果実酒を運んできた。

《赤髭党》というのは本当に貧しき民たちからの親愛と信頼を得ているのだなと、カミュア=ヨシュは感心してしまう。


「さあ、食えよ。この馬鹿げた出会いを祝福しようじゃねえか。一番上等な羽の肉を取りな!」


「ありがとうございます。では、遠慮なく」


 皮つきの肉以上に、この羽の肉というのは高値で取り引きされているのである。

 まず翼の羽毛からして貴族たちには珍重されているし、羽の肉は身が少ない上に味が良い。たとえキミュスの飼い主であっても、皮や羽というものは銅貨のために売り払ってしまうのが常であるのだ。


 カミュア=ヨシュは、分厚い皮に焼き色のついた羽の肉をつかみ取り、それにかぶりついた。

 砕いた岩塩をふりかけて、香草とともに焼いたものなのだろう。やたらと塩辛い塩漬け肉と異なり、適度な塩の味とゆたかな肉の汁が口の中に広がっていく。


 表面の焦げ色がついた部分はパリパリとしているが、その内側は、とてもやわらかい。

 さらにその内側には、しっかりと身のしまった肉がついている。


 キミュスは飛べない鳥であるのに、その羽にはやたらと強い力を有しているのだ。

 その強い力、発達した筋肉の加減がこの旨みを生み出しているのだろう。


 溜息が出るほど美味かった。

 それでも肉の量はわずかなので、急いで食べるのがもったいなく感じられてしまう。


「おい、そっちでも適当に取り分けな」


 自分も羽の肉を取り上げてから、ゴラムは木の皿を手近なところにいた男に渡した。

 男たちも歓声をあげながら、次々に焼きたての肉へと手をのばしていく。

 宴のような騒ぎである。

 カミュア=ヨシュには険悪な視線をぶつけてきた大男や小男たちも、子供のような顔で笑っていた。


「……さっき話した貴族野郎のせいで、あいつらも気が立ってたんだよ。本当は気のいい連中ばっかりなんだ」


 その姿を満足そうに見回しながら、ゴラムはそのようにつぶやいた。

 骨に残った肉を歯でこそぎ取りつつ、カミュア=ヨシュは「はい」と応じてみせる。


「俺みたいに胡散臭い男が姿を現したら、そりゃあ警戒もするでしょう。それでも誰ひとり刀を抜こうとしなかったのは、さすが《赤髭党》と評するべきなのでしょうね」


「何だ、自分が胡散臭いっていう自覚はあったのかよ?」


「それはもちろん。もう少し北方では、盗賊団よりも俺みたいな人間のほうがよほど忌み嫌われておりますよ?」


「ふうん。俺はこのあたりの生まれだから、マヒュドラについてはよく知らねえんだよな」


「知る必要はないと思います。知って楽しくなるような話は何ひとつありませんからねえ」


 カミュア=ヨシュがそのように答えたとき、「うるさいよ、この唐変木ども!」という威勢のいい声が頭上から降ってきた。


「まったく何て騒ぎだい! せっかく寝かしつけた坊やが目を覚ましちまうじゃないか!」


 カミュア=ヨシュは、目を丸くすることになった。

 何やら尋常でない風体をした女性が、木の階段をきしらせながら下りてきたのである。


 背が高い。下手をしたら、カミュア=ヨシュと同じぐらいあるだろう。

 そして横幅は、カミュア=ヨシュを上回ってしまっている。いちおうその輪郭は女性らしいやわらかな曲線を描いてはいるが、骨が太いのだ。肩幅や胸の厚さや足の太さなどは、明らかにカミュア=ヨシュ以上であった。


 その顔も、四角く骨ばってごつごつとしている。

 鎧などを身に纏ったら、男と判別がつかないぐらいだろう。


 しかし現在その人物が身につけているのはゆったりとした布の装束であり、足衣は二股に分かれた男性用のものであったが、胸や尻が圧倒的な力感で張っていたので、まあ性別で悩むようなことにはならなかった。


「うん? 何だい、あんたは? 見ない顔だね」


 ずかずかと、力強い足取りでカミュア=ヨシュたちのほうに近づいてくる。

 ゴラムは陽気に笑いながら、そちらに手を振っていた。


「ようやく坊主は寝てくれたのか。お前も飲めよ。……こいつはカミュア=ヨシュっていう胡散臭え風来坊だ。カミュア=ヨシュ、こいつは俺の女房で、マサラのバルシャって女だよ」


「そんな風来坊にあたしの名前を明かしちまってもいいのかい?」


 言いながら、バルシャと紹介されたその女性は卓の上の土瓶をかっさらい、男のような豪快さで咽喉を潤わせた。


「大丈夫だよ。それで何か剣呑な事態になっちまったら、そいつは俺に見る目がなかったってことだ。そのときは、不殺の掟を破ってでも俺が落とし前をつけてやるよ」


「それこそ剣呑な話じゃないか。まあ、好きにすればいいけどさ」


 バルシャはどかりとゴラムの隣の席に腰を落とした。

 伴侶であるというゴラムよりも、一回りは大きな体格である。


「なるほど……そういえば、赤髭ゴラムの伴侶は子をなすまでは党首の右腕として活躍されていた、というお話でありましたね」


「そんなことまで噂になってるのかよ? まったく町の連中ってのは噂話が好きなんだな!」


「それは、あなたがたのように真っ向から貴族たちに歯向かおうとする人間なんて、どこの国にもなかなか存在しないでしょうからね。それでもう何年も捕縛されずにいるのですから、ちょっとした伝説になりかけているのではないでしょうか。吟遊詩人なら、きっと英雄譚として歌に仕立てあげようとするぐらいでしょう」


「はん! どいつもこいつもおめでたいこったぜ。俺たちは、貴族どもが気に食わないから暴れ回っているだけなんだけどな。……おい、肉が余ってたらこっちに回せよ」


 党首の声に応じて、木皿が戻ってくる。

 その上には、もう数えるほどの肉片しか残ってはいなかった。


「何だい、人が坊やを寝かしつけてる間に、ずいぶん立派なもんを食べてたんだね」


 おそらくは胸肉と思われる皮つき肉をつまみあげ、バルシャが口の中に放り込む。

 外見ばかりでなく、その気性も男じみた女傑であるようだった。


「今、骨と臓物を煮込んだ汁物を持っていきますからね。ちょっと待っててくださいな、おかみさん」


「おかみさんは勘弁しておくれよ」


 酒場の主人に苦笑を返してから、バルシャはカミュア=ヨシュのほうに厳つい顔を近づけてきた。


「で、あんたはいったい何なのさ? なかなか腕も立つみたいだけど、もしかしたら《赤髭党》に入ろうっていう魂胆なのかい?」


「いえいえ。俺みたいに腰の座らない男には、《赤髭党》の一員はつとまらないと思います」


「ふうん? 家や家族があるってんなら、都合のいいときだけ手伝ってくれりゃあいいんだけどねえ?」


「あ、そういう形で仕事に参加する方々もおられるのですか。……ですが、俺はやっぱり《赤髭党》に相応しい人間でないように思えてしまうのですよね」


「ああそうかい」とあっさり引き下がり、それからバルシャはじろりと亭主の顔をねめつけた。


「それじゃあ、あんたはどうしてこの御仁に素性を明かして、酒なんて酌み交わしているのさ?」


「そりゃあ、こいつと友誼を結ぶためだよ。敵に回して厄介そうな人間は、仲間になっちまうのが手っ取り早いだろ? 幸い、生まれは貧乏人であるみたいだしな」


 豪快に笑い、果実酒をあおる。呆れたようにそれを見やりながら、バルシャもまた果実酒を口にした。

 どこをどう見ても、夫婦だとは思えない。

 が、両者の間には強い信頼と親愛が存在するのだなということは、たったこれだけのやりとりでも感ずることはできた。


 同じように酒盃を取りながら、カミュア=ヨシュはゴラムに向きなおる。


「そういえば、あなたには是非おうかがいしたいことがあったのですよね、赤髭のゴラム」


「おお、何だよ、あらたまって?」


「あなたがたは、なぜ不殺などという掟を打ち立てたのでしょう? 護衛の兵士や《守護人》を相手にするのに、それはあまりに危険な掟ではないでしょうか?」


「うん? そりゃあ人間を殺めるのとお宝を略奪するんじゃあ罪の重さが違うからな。俺たちだって、自分の身が可愛いってことさ」


「いやしかし、貴族の富に手をつけたら、どのみち死罪は免れられないでしょう? 罪の重さに変わりはないように思えてしまうのですが」


 ゴラムはけげんそうに眉をひそめた。

 それから、「ああ」と歯を剥いて笑う。


「こいつは俺の言い方が悪かった。我が身可愛さってのは肉体のことじゃねえ。魂のことなんだよ」


「魂?」


「そうだ。貴族の作った法だったら、略奪も人殺しも同じ罪だろう。だけど、大いなるセルヴァの御前でだったら、どうだ? 人殺しの魂は粉々に打ち砕かれちまうだろうが、略奪だけなら目こぼしをもらえそうじゃねえか?」


「はあ。死後の魂のために身をつつしんでいるということですか」


「そんな大層なもんではねえけどな! ただ、セルヴァの前でも俺はでかい声で宣言してやる。薄汚え貴族どもの富を略奪して何が悪い! 文句があるならこの魂を打ち砕いてみろ! ってよ。……俺の身に何も恥ずるところはない。それが、俺たちの力なんだ」


 にやりとふてぶてしく笑いながら、ゴラムの黄色がかった目はまた爛々と輝いていた。


「どうせ俺の最期は首くくりだろう。それでも俺は、笑いながら処刑台に立ってやる。他の連中だって、みんな同じ気持ちだろうぜ」


「そうですか」とカミュア=ヨシュは微笑してみせた。


 やっぱりこの《赤髭党》の男たちは、自分が思っていた通りの存在であったらしい。

 それを知るためにこそ、カミュア=ヨシュは彼らの存在を追い求めていたのである。


(野の獣のように荒々しく、そして清廉だ。彼らは本当に、何の後悔もなく処刑台に立つことができるんだろうな)


 それは、自分にはできない生き方だ。

 自分は、神を信じていない。

 神の裁き、神の摂理、神のもたらす運命というものを、是としていない。


 神の代理人たる王国の定めた法を蔑ろにして、ただ自分の生きたいように生きる――このゴラムたちも自分と似たような生き方を選びながら、やはりその根底には神への畏怖が潜んでいるのだろう。


 あるいは、自分とは異なる切り口で、神に抗おうとしているのかもしれない。

 己の生命と誇りのすべてをかけて、である。


「何だよ、おかしな笑い方をするんじゃねえよ」


 と、ゴラムがふいに不満げな声をあげた。


「お前、本当に18か? 面がまえもそうだけど、まるで老人みたいな目つきをしやがるな」


「そうですか。老いぼれた犬のようだと言われることはよくあります。俺はまだその犬という獣を見たことがないのですが」


「ふん。おかしな野郎だな」


 そのように言ってから、ゴラムはぐいっと顔を近づけてきた。


「ところでよ。無駄は承知で俺も一回だけ言わせてもらうが――お前さんは本当に《赤髭党》の人間になるつもりはねえのか、カミュ=ヨシュ?」


「ええ。それは心が打ち震えるほど栄誉な申し出であるのですがね」


 カミュア=ヨシュは、にっこりと笑い返してみせる。


「だけどやっぱり、俺にはあなたがたのように生きることはできそうにありません。俺はまだ、自分にとっての掟というものを探している最中なので、他者の掟に従えるような身ではないのです」


「ふん。ずいぶんご大層な言い訳をこしらえるもんだな。王国の認めた《守護人》なら食いっぱぐれることもねえだろうから、盗賊なんぞに身を落とす必要はねえってことだろ?」


 子供のように、ゴラムは唇をとがらせる。

 このように魅力的な人間とともに生きていくことができたのなら、それは素晴らしい生なのだろうな――などと考えながら、カミュア=ヨシュは首を横に振ってみせた。


「いえ。《守護人》としての資格を手に入れたのは、なるべく自由気ままに生きていくためなのです。俺はこの立場を利用して、色々な土地を巡り歩きたいのですよ。……それで自分の掟を見出し、それが《赤髭党》の掟に反しないものであったなら、俺はあなたとともに生きたいと願うかもしれません」


「ていのいい断り文句だな。すっとぼけた風来坊に幸いあれだ」


 ゴラムは肩をすくめつつ、果実酒の土瓶を取り上げた。


「それじゃあ、飲むか。どうせこの先は一生顔を合わせることもねえんだろうから、この一晩で一生分の酒を空けちまおうぜ」


「そうですね」


 事実、カミュア=ヨシュと赤髭ゴラムがこの先に顔を合わせる機会は一生訪れなかった。

 そんなことを知るよしもなく、彼らは朝まで酒を酌み交わすことになった。


 それから運命の歯車が噛み合って、カミュア=ヨシュとゴラムの子が顔を合わせることになったのは、その夜から10年と少しの歳月が流れてからのことだった。

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