第二話 ルウの末弟の小さな冒険(上)
2015.9/10 更新分 1/1 2015.10/30 誤字を修正
「んー? 何をぎゃーすか騒いでんだよ?」
ルウの集落の、夕暮れ時。
狩人としての仕事を終えて、ぷらぷらと集落を散策していたルド=ルウは、広場の片隅で騒いでいた一団のもとへと足を向けた。
顔ぶれは、ララ=ルウとシン=ルウとミダである。
場所は、シン=ルウの家の前だ。
ルド=ルウが近づいていくと、ララ=ルウは眉を逆立てながらこちらに向き直った。
「あ、ルド! ルドからも何か言ってやってよ! 無茶をしたっていきなり立派な狩人になれるわけじゃないでしょ!?」
「うるせーなあ。シン=ルウ、いったいどうしたってんだ?」
どうやら騒いでいたのはララ=ルウひとりであるようだ。
ララ=ルウとは逆に眉尻を下げたシン=ルウが、救いを求めるようにルド=ルウを見つめてくる。
「何もどうもしていない。俺はただ、ミダと狩人の修練に取り組もうとしていただけなのだ」
「だからさ! 狩人の仕事を果たしたすぐ後に修練をしようってのが無茶だって言ってんの! もうすぐ晩餐だって始まるんだから、少しぐらいは身体を休めなよ!」
「しかし……」と、シン=ルウは思い詰めた眼差しになってしまう。
ルド=ルウは「うーん」と頭をかいてみせた。
「あのなあ、普段だったらたいていララが悪いんだけど、今回ばかりはお前のほうが悪いみたいだな。前にも言っただろ? 身体を休めるのも狩人にとっては大事な仕事なんだぜー?」
「うむ……」
「修練で身体を壊して、明日の仕事で下手を打ったらどうするんだよ? たぶん、親父やリャダ=ルウが聞いても同じことを言うだろうな」
「…………」
「大体さー、ミダは腹が減れば減るほど弱くなっちまうんだよ。晩餐前の腹ぺこの状態じゃあ、足をひっかけただけですぐにすっ転んじまうんじゃねーの?」
言いながら、ルド=ルウはミダのせり出た腹をぼよんと叩いた。
その感触に、ちょっとばっかり眉をひそめる。
「ミダ、お前、また少し肉が落ちたか?」
「うん……? よくわからないんだよ……?」
途方もなく高い位置から、ミダのぼんやりとした声が降ってくる。
自分の足もとで繰り広げられている騒ぎなど、毛ほども気にはしていない様子だ。
ただ――肉にうもれたつぶらな瞳に、若干元気がないように感じられる。
もしかしたら、城下町の牢獄に幽閉されているかつての父親のことが気にかかっているのかもしれない。
ルド=ルウは「そっか」とつぶやきながら、さらにその腹をぼよんぼよんと叩いてやった。
「見た目はあんまり変わってないのに、脂が筋肉に変わってきてんのかな。今度の収穫祭では、ぜってー負けねーぞ?」
「うん……」
「とにかくな、ミダとやりあうのは危ねーんだよ。勝っても負けてもこの腹に押し潰されたら骨ぐらい簡単に折れちまいそうだしな。もっと時間のあるときに、おたがい万全の体調でやりあえよ」
「……わかった」と応じながら、シン=ルウはますます思い詰めた目つきになってしまう。
「そうしてきちんと正しい道を選ぶことができないのも、俺が未熟な人間であるせいなのだろうか」
「んー? 今度は何だよ? シン=ルウが未熟だったら、おんなじ年頃の狩人の半分以上は未熟ってことになっちまうんじゃねーの?」
「しかし俺は、ルド=ルウやミダに力比べで勝つこともできないし、あの日は――アスタを守ることもできなかった」
「ちょっと、シン=ルウ――」
ララ=ルウがいっそう怒った顔をする。
ルド=ルウは、手をかざしてそれを黙らせた。
「えーっとな、シン=ルウ、そいつはたしか……うーん、何だったかなあ」
「…………?」
「こころえちがい! そう、心得違いってやつだよ! 自分の失敗が許せなくて、もっと強くなりたいとか考えるのは当然のことだけどよ。焦って間違った道を進んだら、強くなるどころか弱くなっちまうもんなんだぜ?」
「…………」
「俺だって、あの日のことは一生の恥だと思ってるんだ。アスタを人質に取られていても、親父だったら何とかすることができたかもしれない。それを考えると腹が立ってしかたがないから、俺だって、もっともっと強くなりてーなーと思ってるんだよ。……お前が間違った道を進んでたら、俺はひとりで強くなっちまうぞ?」
「ちょっと! 少しはシン=ルウの気持ちも考えなよ! もうちょっと言い方ってもんがあるんじゃないの?」
と、今度はララ=ルウがルド=ルウのほうに怒りの目を向けてきた。
「お前、面倒くせーなあ……そんなにいっつも怒ってて疲れねーの?」
「あんたたちが、怒らせるようなことばっかりするからでしょ!」
「俺は何にもしてねーじゃん。面倒くせーから、お前らとっとと婚儀をあげちまえよ。……あ、だけどララはまだ13なんだっけか。うわー、あと2年もこんなのが続くのかよ」
ララ=ルウがぶんぶんと拳を振り回してきた。
それをかわしつつ、ルド=ルウはミダの背後に回り込む。
「何だよ、どうせお前ら婚儀をあげるんだろ? まさか今さら他の相手を伴侶に選んだりしねーよな?」
「うるさい! ばかルド! よけいなことばっか言うな!」
ララ=ルウが執拗に追ってくるので、ぽけっと突っ立っているミダを中心に、ぐるぐると何周もすることになった。
それを見つめるシン=ルウは、ララ=ルウに劣らず赤い顔をしてしまっている。
「あんたさあ! いっつも人のことを茶化してばっかりいるけど、自分のほうこそどうなのさ! あんたは15になったんだから、嫁を娶れるようになったんでしょ?」
やがて追撃をあきらめたララ=ルウが、ぜいぜいと息をつきながらそのように言い出した。
「俺が何だって? 俺に嫁入りしたい女衆でもいるってのかよ?」
「まわりのことじゃなく、あんた自身の気持ちを聞いてるの! これだけ眷族がいるんだから、気になる女の子のひとりやふたりはいるんでしょ?」
「んー、茶化されたぐらいで顔を真っ赤にするような相手はいねーなー」
再び拳が襲いかかってくる。
それを回避していると、シン=ルウまでもが声をあげてきた。
「だが、ルウの本家は婚儀が遅すぎると眷族に心配されているのも事実だ。それはヴィナ=ルウやダルム=ルウの責任なのかもしれないが、ルド=ルウだっていずれ他人事ではなくなるのだぞ?」
「別にどうでもいいんじゃねーの? 放っておいたってくっつくやつはくっつくよ。それはお前らが一番よっくわかってんだろ」
けっきょく顔を赤くするのはシン=ルウとララ=ルウである。
そこに、広場の向こうからちょこちょこと近づいてくる人影があった。
「あ、ルド=ルウ、こんなところにいたんだね。もうすぐ晩餐が始まるよ?」
「あれ? モルン=ルティムじゃん。こんな時間まで何やってんだよ?」
「今日は昼からみっちり修練を積みに来たの。それで、このまま本家の寝所を借りることになったんだあ」
モルン=ルティムは、ルティム本家の末妹である。
ちょっと父親似の丸っこい体型をした娘で、年齢はルド=ルウと同じく15歳。愛嬌たっぷりの笑顔が魅力的な、気立ての優しい女衆だった。
「へー、ずいぶん気合いが入ってるんだな」
「うん、あのね、ルウ家が屋台の商売を再開させることになったら、あたしとアマ・ミンが交代でそれを手伝うことになったの。だからそれまでは、ルウの本家で勉強をさせてもらうことにしたんだよ」
本日は、灰の月の2日。城下町での晩餐会を終えて、ベヘットとかいう町に潜んでいるらしい無法者どもが捕縛されるのを待っている時期にある。その無法者どもが捕らえられて、当面の危険が回避されたら、大々的に商売を再開させる予定なのである。
「なるほどなー。で、今日の晩餐は何なんだ? アスタはまた色々と新しい料理を考えてるんだろ?」
「うふふ。それは帰ってからのお楽しみだね」
「そっか。それじゃあ、とっとと帰ろうぜ! シン=ルウ、ミダ、また明日なー」
「ああ」
「うん……」
「ララ、あんまりシン=ルウの家に迷惑をかけんじゃねーぞ?」
「うるさいよ! ……モルン=ルティム、夜はそっちに戻るからね?」
「うん。寝所ではいっぱいお話しようね」
そうしてルド=ルウはモルン=ルティムと連れ立って、ルウの本家に戻ることになった。
アスタとアイ=ファはまだルウの集落に留まったままであるし、ララ=ルウの代わりにシーラ=ルウが晩餐には参加する。そこにモルン=ルティムまで加わったら、何だかちょっとした宴みたいだな、とルド=ルウは楽しい気持ちになった。
「……ララ=ルウとシン=ルウは、相変わらず仲がいいみたいだね?」
「あー、そうだな。ララが15になった翌日には婚儀をあげてるんじゃねーかなー」
「それは大げさだよ」とモルン=ルティムが微笑む。
その顔が、次の瞬間にふっと陰った。
てくてくと広場を歩きながら、「どうしたんだ?」とルド=ルウは問うた。
「え? 何が?」
「今、さびしそうな顔してたじゃん」
「そ、そんなことはないと思うけど」
「そんなことなくもないだろ。好きな男衆でもできたのかよ?」
モルン=ルティムは、さきほどのララ=ルウに劣らず真っ赤になってしまった。
「ど、どうしてそこで男衆の話になるのかな?」
「だって、ララたちの話をしてた矢先だろ。そう考えるのが普通なんじゃねーの?」
「……ルド=ルウって、けっこうぼけーっとしてるような感じなのに、すごくよく人のことを見てるよね」
「何だよそりゃ。ぼけーっとしてても目に入るもんは入るだろ」
「ううん。それってすごいことだと思うよ。それで、とっても優しくしてくれたりもするしね」
モルン=ルティムは、ついさきほどルド=ルウが妹に追いかけ回されていた光景を見ていなかったのだろうか。
それはともかく、モルン=ルティムはとても赤い顔をしながら、とても真剣な目つきになり始めていた。
「あ、あのさ、ルド=ルウに相談したいことがあるんだけど!」
「おう、何でも相談に乗るぜー?」
「あたし、真剣なんだけど、真剣に聞いてもらえる?」
「俺だって真剣だよ。モルン=ルティムは大事な眷族だし、小さい頃からの馴染みだしな」
ルド=ルウは足を止め、モルン=ルティムに向きなおった。
モルン=ルティムは、もじもじとうつむいてしまう。
「あたしね……なんか、気になる男衆ができちゃったみたいなの」
「おう、そいつはわかってるよ」
「だけど、どうしたらいいかわかんないんだ……こんなの絶対、相手にとっては迷惑だろうし……」
「そんなことねーよ。モルン=ルティムだったら、誰でも嫁に欲しがるだろ」
「そ、そんなことないよ。あたし、ダン父さんとそっくりになっちゃったし」
「別にそっくりってほどじゃねーだろ。怒ると、そっくりな顔になっちまうけどなー」
「…………」
「でも、怒るべきときにしか怒んねーからいいんじゃねーのか? そんなの、怒らせるほうが悪いんだよ。にこにこしてたらこんなに可愛いんだから、誰も嫁取りを嫌がったりはしないって」
「……迷惑じゃないかな……?」
「迷惑じゃねーよ」
ルド=ルウの言葉に、モルン=ルティムはおずおずと顔を上げた。
「それじゃあ、言うけど……ルド=ルウは、絶対に驚くと思うよ?」
「驚かねーよ。嫌じゃねーなら、言ってみな」
「…………」
ごにょごにょと、モルン=ルティムが何事かを囁いた。
「んー?」とルド=ルウは顔を寄せる。
「…………ムなの」
「聞こえねーよ。何て言ったんだ?」
「…………ディック=ドムなの」
驚かないと宣言したのに、ルド=ルウはきょとんと目を見開くことになった。
「えーっと? ディック=ドムって、俺らの親父ぐらいのおっさんじゃなかったっけ?」
「そんなことないよ! ルド=ルウだって、ディック=ドムとは顔を合わせてるんでしょ!?」
ディック=ドムとは、会談の日の護衛役として同行したことがある。
あとは、家長会議でもちらりと顔は合わせているはずだが――何にせよ、深々とかぶったギバの頭骨に、その下でぎらぎらと燃える黒い瞳、それに傷だらけの逞しい手足の印象しかなかった。
「うーん、あんまり思い出せねーなあ。……でも、モルン=ルティムはどこでディック=ドムと顔を合わせたんだ?」
「その、貴族たちとの会談の日だよ。あの日はダン父さんもガズラン兄さんも集落を離れることになったから、ルティムの人間は全員ルウの集落に集まることになったでしょ? そのときに、ちょこっとだけ言葉を交わしたの」
「……まさか、それだけで好きになっちまったのか?」
「うん……おかしいかなあ?」
「うーん」とルド=ルウは考えこむ。
確かに森辺の民の中には、ひと目で相手に心を奪われる人間も少なくはないのかもしれない。
ルド=ルウの見る限り、姉のヴィナ=ルウやレイナ=ルウなんかも、出会ったその日にずいぶんとアスタに心を引かれている様子であった。
「まあ、おかしいことはないのかもしんねーな。ギバだって、出会ったその場で子作りを始めることがあるみたいだし」
「……ギバと一緒にしないでよ」
「ああ、だけど、モルン=ルティムが悩んでる理由はわかったよ。ルウの眷族ならともかく、他の族長筋の眷族が相手じゃあ色々と面倒だよな」
「うん……しかも相手はドムの家長で、あたしはルティムの末妹だもんね……どっちも本家の人間で、しかも親筋のルウやザザに次ぐ大きな氏族なんだから、そうそう勝手な真似はできないんだよ……」
そう言って、モルン=ルティムは深々と溜息をついた。
あばら肉を食いっぱぐれたダン=ルティムでも、ここまで悲しげな顔はしないかもしれない。
ルド=ルウは、また「うーん」と考えこむことになった。
が、気のきいた言葉を思いつく前に、モルン=ルティムのほうが慌ただしく声をあげてくる。
「あの、ありがとうね、ルド=ルウ。話を聞いてもらえて、少しだけ気持ちが楽になったよ」
「え? 何にも解決してねーじゃん」
「うん、だけど、最初から無理な話なんだからさ。……そもそもドムとルティムじゃこの先に顔を合わせることもないし、縁の結びようがないんだよ」
「だったら、ガズラン=ルティムに相談してみりゃいいんじゃねーか? こういう小難しい話はあの人が得意だろ」
「ううん。こういう話はガズラン兄さんを困らせるだけだと思う」
妙にきっぱりとした口調でモルン=ルティムはそう言った。
まあ確かに、こういう話が得意であれば、23歳まで独り身をつらぬいて周囲を心配させることもなかったかもしれない。
「だから、いいんだ。しばらくは誰の嫁になる気持ちにもなれないと思うけど、きっとそのうち落ち着くだろうから」
そう言って、モルン=ルティムは普段通りの朗らかな笑顔を見せた。
「話を聞いてくれてありがとう。さあ、みんなを待たせちゃったから、急いで家に戻ろう?」
薄暗がりの向こうに黒い影となっている家のほうに駆けていく。その小さくて丸っこい後ろ姿を見つめながら、ルド=ルウはもう一度「うーん」とうなった。
◇
その翌日。
ルド=ルウは、ドムの集落に向かってルウルウを走らせていた。
今日はあちこちの罠にギバがかかっていたので、早々に仕事を切り上げることがかなったのだ。
収穫が多いのは喜ばしいことだが、まだルウの集落の付近では森の恵みがそこまでは育っていない。このように実りの少ない森に寄ってくるのは、よその縄張り争いに負けた貧弱なギバか、あるいは飢えに飢えきったギバばかりで、総じて傷だらけか、痩せ細ってしまっている。こうまで脂が少ないと、美味しく仕上げるのが大変だ、などとアスタは頭を抱え込んでいた。
(かまど番にも、色々な苦労があるんだな)
そのようなことを考えながら、ルウルウを走らせる。
ひさびさに道をおもいきり走ることができて、ルウルウも何だか嬉しそうな様子だった。
びゅうびゅうと吹きすぎていく風が心地好い。
ときおりすれ違う見知らぬ氏族の者たちなどは、たいそう驚いていることだろう。
ルド=ルウは、トトスを走らせるのが大好きだった。
ルウルウが集落にやってきて、まだふた月も経ってはいないのに、ずっと昔からこのようにトトスを走らせていたような心地になってくる。
森辺の民は、まだ敵対する前に森で出会った南と東の民が血の縁を結んで生まれた民である、という俗説があり、また、東の民はトトスで草原を駆ける一族である、という風聞がある。
だから森辺の民の血には、草原で駆けていた頃の記憶が眠っているのではないか――などと、アスタは愉快なことを言っていた。
何はともあれ、ルド=ルウはトトスを走らせるのが好きなのだ。
時間さえあれば、もっともっとトトスに乗っていたいと思う。
(俺もラウ=レイみたいに自分のトトスを買っちまおうかなあ)
この先、本格的に宿場町での商売に取り組むにあたって、ルウ家では荷車を買う算段を立てていた。
いつまでもアスタの厚意に甘えて荷運びを任せるのは不義理であろう、という判断だ。
しかしそうなると、ルウルウは日中ずっと宿場町に留まることになり、緊急の伝達などの仕事が果たせなくなってしまう。
ならば、ルウの集落にももう1頭ぐらいはトトスを置いてもいいような気がした。
(明日、親父に相談してみるか)
ちょっと懐かしいファの家を通り過ぎ、名も知れぬ氏族の集落を通りすぎ、ついにはスン家の集落を通りすぎ――そうして太陽が西に沈みかけた頃、ようやく最果ての、北の集落が見えてきた。
長々と続いてきた森辺の一本径が、ここで終わっている。
まさに北の最果てと言っていい集落だ。
ルド=ルウはルウルウの手綱を引き絞り、歩調をゆるめて集落の内を進んだ。
時間が時間なので、外をうろついている者はいない。
が、一番手前の家に近づいたとたん、中からわらわらと黒い人影が飛び出してきた。
ギバの毛皮を頭からかぶった、ザザかジーンの狩人たちだ。
「……何者か?」
「俺はルウ本家の末弟ルド=ルウだ、ドムの集落に用事があってやってきた」
「ルウの本家……何か緊急の事態であるか?」
「いや、ジェノスのほうは相変わらずみたいだ。今日は、俺個人の用事でやってきたんだよ。もちろん北の一族に喧嘩を売るつもりはないから安心してくれ」
すると、家の中からひときわ大きな人影が現れた。
上背はそうでもないが、横幅がものすごい。ルド=ルウの記憶に間違いがなければ、これはジーン本家の家長であるはずだった。
「ルウ家の末弟か。ひさしいな。……ドム家に用事とは、どういうことだ?」
「いや、ちょいとディック=ドムに話があってね。いちおう親父の了承は取りつけてあるんだけど」
ジーンの家長はしばらく黙りこくってから、西の方角に指をさした。
「ドムの集落は、そこの小径を辿った先にある。この時間でもギバは出るので、燭台を貸してやろう」
「ありがとう。感謝する」
スン家が族長筋であった時代には、こうして北の集落の奥深くにまで踏み込むことなど絶対に不可能だっただろう。ましてやルウ家の人間であるなどと知れたら、問答無用で袋叩きにされていたかもしれない。
(何だか不思議な話だよな)
アスタが森辺に現れて以来、さまざまな常識がひっくり返ることになった。
びっくりするぐらい食事は美味くなり、スン家は滅ぶことになり、新たな三氏族が族長筋として名乗りをあげ――そしてルウ家は宿場町で商売をすることになったのだ。
アスタが現れる前に、このような将来が訪れると予言する者がいても、誰も信じはしなかっただろう。
これは、80年前にモルガを第二の故郷と定めたときと同じぐらい、森辺の民にとっては激変にまみれた時代なのだろうと思う。
このように愉快な時代に生まれつくことができて、ルド=ルウは心の底から喜んでいた。
(それに比べたら、ドムとルティムの婚儀なんて、可愛いもんじゃねーか)
そんなことを考えながら、ジーン家に借りた燭台を手に、道を進む。
少しルウルウの足取りが重いのは、森に蠢くさまざまな生き物の気配を感じ取ってのことだろう。
ギバほど大きな獣の気配は感じられないが、マダラマの子と呼ばれる大きな蛇や、腐肉あさりのムントなんかは、獲物を求めて目を光らせているのかもしれない。
(ずいぶん物騒なところに集落をかまえてるんだな)
これでは森の端で仕事をする女衆たちも気を抜けないだろう。
森辺の民として、もっとも苛烈な生に身を置いているのは北の一族である――と言われる所以は、こういう部分なのかもしれない。
そうこうしている内に、行く手に灯りが見えてきた。
ドムの集落だ。
それほど広くもない空間に、五つばかりの家が寄り添い合うように並んでいる。
その中で、一番大きそうな家の前まで進み、ルド=ルウはルウルウから飛び降りた。
そして、木の戸板を強めに叩く。
「夜分に申し訳ない! ルウの本家の末弟ルド=ルウだ! ドムの家長ディック=ドムに用事があってやってきた!」
しん――と重苦しい沈黙が返ってくる。
もう一度叩いてみるか、と手を上げかけたところで、戸板が開かれた。
「ルウの本家の末弟と言ったわね。うちの家長に何の用事なのかしら?」
うわ、とルド=ルウはのけぞりそうになる。
何だか猛烈な気配を放つ女衆であった。
年齢は、ルド=ルウより少し上なぐらいであろうか。
むやみやたらと背が高い。ルド=ルウより頭半分は大きそうだ。
それに、胸や尻も大きくて、腰のあたりなんかは見事にくびれているのに、腕や足にはしっかりとした筋肉がついている。外見だけで言うならば、アイ=ファよりも女狩人という言葉に似つかわしいような風貌であった。
「えーっとな、話せば長くなるんだよ。狩人の仕事があったんでこんな夜更けになっちまったけど、いちおう手土産も用意してきたんで、良かったら家長に取り次いでもらえねーかな?」
「ふうん……だけどこちらは、これから晩餐なのよねえ」
「あ、自分の食べる分は準備してあるから、気づかいは無用だ」
「……そういう意味で言ってるんじゃないんだけど」
腕を組み、ルド=ルウの顔を見下ろしてくる。そのはずみで、腰に巻きつけていたギバのあばら骨の飾り物がじゃらりと鳴った。
黒色の長い髪を高々と結いあげており、少し目尻の上がったぎょろりとした目も、高い鼻も、肉の厚い唇も、すっかりあらわになっている。美しくて色気もたっぷりだが、やはり男衆のように気性の荒そうな顔つきであった。
(……どんなに色気があっても、ここまで気の強そうな女衆を嫁に迎えたくはねえなあ)
などと礼を失したことを考えていると、奥のほうからくぐもった男衆の声が聞こえてきた。
「何をしているのだ、レム。お前で済まぬ用事ならばこちらに通せ」
勇猛にして美麗なる容姿をした女衆は、肩をすくめつつ引き下がる。
「それじゃあ、刀をお預かりするわ。……あなた、本当にルウ家の人間なのでしょうね?」
「嘘をついたってしかたがねーだろ。トトスも玄関口に入れさせてもらってかまわねーかな?」
実に面倒くさそうな目つきで、ドム家の女衆レム=ドムは「どうぞ」と言った。
刀と鉈を預けたルド=ルウは、ルウルウとともに玄関口へと上がりこみ、戸板を閉める。
「ルウの末弟ルド=ルウか。このような夜更けに、どうしたのだ?」
広間では、上座にあぐらをかいたディック=ドムがひとりで待ち受けていた。
手土産と食事の入った革袋を手に、ルド=ルウは下座に腰を落ち着ける。
「ちょいとあんたに話があってね。……ところで、他の家族はどうしたんだ?」
「家族は、このレムのみだ」
「え? 本家なのに、家族がふたりだけなのか?」
「ドムの血族は15名。そのうち、本家の人間は俺と妹のレムのみだが」
15名なら、レイ家とちょうど同じぐらいの人数だ。
しかし――勇猛で知られるドムの本家に2名の家人しかいないというのは、それはあまりに驚きの事実であった。
「ディガとドッドは、男衆の多い分家の家で面倒を見られている。……それで? 親筋のザザではなくこのドムに用事とは、いったいどういうことなのだ?」
片膝を立てたあぐらの体勢で、ディック=ドムが静かにルド=ルウを見つめ返してくる。
静かだが、とても強い光をした目だ。
頭骨のかぶりものを外していたので、ルド=ルウは初めてはっきりとその面相を確認することができた。
確かに、そこまでの壮年ではないのかもしれない。ごつごつとした傷だらけの顔をしているが、髭をたくわえているわけでもないし、鼻筋のあたりなどは意外にすっきりしている。
が、下顎などはがっしりと角張っているし、それにやっぱり両方の頬に刻まれた傷痕が物々しい。
妹と同じく髪も瞳も黒色で、手足には尋常でない筋肉が盛り上がっている。父のドンダ=ルウやグラフ=ザザを上回る巨躯の持ち主なのだ。
ルウの眷族で一番の大男であるジィ=マァムよりは、さすがにいくぶん小さいのかもしれないが――その内からもれる力の気配は、ジィ=マァムを遥かに上回っていた。
(もしかしたら……ジィ=マァムどころか、グラフ=ザザよりも強いぐらいなのかもしれねーな)
ということは、父のドンダ=ルウに匹敵するほど――自分でもかなわないぐらいの力量であるのかもしれない。
うずうずと、背骨のあたりがむずがゆくなってきてしまった。
(機会があったら、力比べをさせてもらいたいもんだぜ)
そんなことを思いながら、ルド=ルウは手もとの革袋を引っ張り寄せた。
「その前に、まずは手土産を渡しておくよ。面白みはねーけど、果実酒と干し肉を用意してきた」
本当だったらアスタの料理を分けてやりたいところだが、余所のかまどで作られた晩餐を口にするのは森辺の習わしに反してしまう。たしか北の一族は古めかしいしきたりを重んずる石頭が多いはずであるので、そこには注意が必要だろうなと思っていた。
「果実酒と干し肉か」
「ああ。ルウ家自慢の干し肉だ」
2本の果実酒とひと塊の干し肉を、手前にいたレム=ドムに差し出してみせる。
家長がうなずくのを確認してから、レム=ドムはそれを受け取った。
「晩餐の邪魔をしちゃ悪いから、良かったら食べながら聞いてくれよ。俺も持参した食事を食べさせていただくから」
広間の右の隅に据えられたかまどに鉄鍋が載せられており、そこからは懐かしきポイタンの煮汁の匂いがしていた。
また家長の意思を確認してから、レム=ドムがそちらのほうに近づいていく。
それを横目に、ルド=ルウも自分の食事を革袋から引っ張り出すことにした。
ゴヌモキの葉でくるまれた包みである。
蔓草を解いてそれを広げると、中からは焼いたポイタンの生地が現れた。
気をつけないと、頬がゆるんでしまいそうになる。
それはアスタがこさえてくれた、たしか『ころっけさんど』とかいう料理なのだった。
「屋台の商売が再開できるようになったら、そいつも献立に加えようと思ってるんだ。良かったら後で感想を聞かせておくれよ」
アスタはそのように言っていたが、感想など食べる前から決まっていた。
このポイタンの生地にはさまれているのは、ルド=ルウがこの世で一番美味いと思っているギバ肉とチャッチの『ころっけ』なのである。
こっそり生地の中を覗いてみると、茶色いフワノの衣に包まれた『ころっけ』の姿が見える。
『ころっけ』にはタウ油で作られた『そーす』が塗られており、そしてポイタンの生地と『ころっけ』の間にはこまかく刻んだティノの葉もはさみこまれている。
さらに革袋には、やはりゴヌモキの葉で封印をされた深皿も入っていた。
中身をこぼさぬよう気をつけつつ開封してみると、そちらにはギバ肉とアリアとチャッチを炒めた料理が準備されている。
「こっちは冷めたら味が落ちちゃうと思うけど、『コロッケサンド』だけじゃあ栄養が足りないからさ」
木皿の料理では、アリアがどっさり使われていた。
ミャームーとタウ油の香りが漂い、ますます腹が空いてきてしまう。
それらの料理を足もとに並べつつ、レム=ドムが木皿を手に戻ってくるのが待ち遠しくてたまらなかった。
「……森の恵みに感謝して、火の番をつとめたレム=ドムに礼をほどこし、今宵の生命を得る……」
ディック=ドムの重々しい声が、がらんとした広間に響き渡る。
やはりこのポイタン汁は、レム=ドムがひとりで作り上げたものであるらしい。
まあふたり分の量であれば、どうということのない仕事なのだろう。
見た感じ、以前にルウ家でも作られていたのと同じ、肉とアリアとポイタンを煮込んだだけの汁物であるようだ。ルウ家ではそこに日替わりで色々な野菜も加えられていたが、そういったものは見当たらない。
「森の恵みに感謝して、火の番をつとめたファの家のアスタに礼をほどこし、今宵の生命を得る」
ルド=ルウの儀式の声に、ディック=ドムはぴくりと眉を動かした。
「ルウ家の末弟よ。食事というものは、それをこしらえたかまど番と同じ家で食べるべきなのではないのか?」
「んー? そいつはかまど番に生命を預けるっていう覚悟と、かまど番が生命を預かるっていう覚悟をおたがいに示す習わしなんだろ? それだったら、食べる場所自体はそんなに重要じゃねーんじゃないのかな」
その点はアスタも気にしていたので、ルド=ルウは自分なりの気持ちを語る準備ができていた。
「俺にもアスタにも覚悟は備わってる。この食事で俺の生命や魂が穢されたらそれはアスタの責任だし、そんなことは絶対に起きないっていう信頼を俺は抱いている。森への誓いの宣言はあんたたちが聞き届けてくれたんだから、何も問題はねーだろ?」
あんまり納得した風でもなかったが、ディック=ドムは無言のまま自分の皿に手をのばした。
レム=ドムも、片頬で笑いながらそれにならう。
(なかなか前途は多難かな)
こっそり肩をすくめつつ、ルド=ルウは『ころっけさんど』にかじりついた。
ポイタンの生地やフワノの衣は、いくぶんしんなりしてしまっている。
やわらかいチャッチやこまかく刻まれたギバの肉は、人間の体温よりも少し冷たいぐらいである。
が――それでもやっぱり、『ころっけさんど』は美味かった。
「そりゃあできたてのほうが美味しいのは百も承知だけど、俺の故郷ではこういう風に冷めた状態で食べる食べ方もあったんだよね」
などと、アスタは言っていた。
確かに、フワノの衣のさくさくとした感じはほとんど失われてしまっている。
が、タウ油の『そーす』がしみこんだその衣は、ほどよくしっとりとやわらかくなっており、まるで異なる歯触りでありながら、十分な満足感をルド=ルウに与えてくれた。
その『そーす』というやつはなかなか味が強いので、ほとんど味のしないポイタンやティノと一緒に食べるのが、とても合っているように思える。
そして何より、やっぱりチャッチが美味い。
自分はどうしてこんなにチャッチが好きなんだろう、と取りとめのない疑問を頭の片隅に浮かべつつ、ルド=ルウはもりもりと『ころっけさんど』をたいらげていった。
『ころっけさんど』は、晩餐の量にあわせてもうひと包み準備されているのである。
幸せで幸せでたまらなかった。
「……ねえ、あなたは何を笑っているのかしら、ルウ家の末弟さん?」
と、レム=ドムがうろんげに呼びかけてくる。
「え? 俺、笑ってたか? うん、あんまり食事が美味いもんだから、ついつい頬がゆるんじまったのかな」
「ふうん……それがファの家のもたらした『美味なる食事』というやつなのね」
白いとろりとしたポイタン汁をすすってから、レム=ドムはまた片頬で笑う。
「ザザの眷族でそれを口にしたことがあるのは、家長会議に参加した人間と、あとは南方に済むディンの者たちだけなのよね。それがいったいどういうご大層な代物なのだか、わたしもいつか口にしてみたいものだわ」
「だったらその内、ルウの集落にでも出向いてくればいいんじゃねーのかな」
はからずも、それはルド=ルウの用件にも通ずる話題であった。
「なあ、ディック=ドム。これは族長である親父自身の言葉じゃなくて、ルウの中でぽつぽつあがってる話にすぎないから、そのつもりで聞いてほしいんだけどさ。あんたたち北の一族は、美味い食事を作る技術ってやつを習う気はないのか?」
ディック=ドムは、強く光る目でルド=ルウを見つめ返してきた。
新しい『ころっけさんど』の包みを広げつつ、ルド=ルウはさらに言葉を重ねてみせる。
「アスタの作る料理には、すげー力があると思うんだ。アスタの作る料理を食べると、今まで以上の力があふれてくる。それはルウの眷族だけじゃなく、ダリ=サウティや、フォウやスドラの連中なんかも認めていることなんだよ」
「……その話は、族長グラフ=ザザからも伝え聞いている」
「あ、そうなのか。……でな、美味い料理を作るにはちっとばっかり修練が必要になるけど、最初の血抜きと、あとはポイタンの焼き方ぐらいだったら、習ったその日に覚えられるぐらいのもんなんだよ。家の遠いサウティなんかでは、ルウの眷族としばらく家人を貸し合うことでその修練を積んでいるんだ」
「……だから、北の集落もそうするべきだと?」
「ああ。同じ人数の家人を貸し合えば、他の仕事についても不都合はねーだろ? ファとルウの家の商売に賛成するか反対するかって話とは別に、こいつは森辺の民にとって力になる話だと思うんだよな」
ディック=ドムは、無言で木皿をレム=ドムに差し出した。
きっと中身が空になったのだろう。半笑いでルド=ルウの言葉を聞いていたレム=ドムが、肩をすくめつつかまどのほうに引っ込んでいく。
そういえば、この家は同じ建物の中にかまどがあるのだ。
家の大きさも、ルウよりはファのほうに近いぐらいかもしれない。
「美味なる食事の価値というものについては、北の集落でも取り沙汰されている」
「ん、そうなのか?」
「ディンの家長から申し出があったのだ。ファの家の正しさを確かめるために、ディンの家人がその商売を手伝うことを許してはもらえぬか、とな。……それで、次に婚儀や収穫の宴などが行われる際は、ファの家に食事の作り方を習ったというディン家の家人を招いて、かまどを預けることになった」
ディン家の家人――
そういえば、家長会議で出会ったスンの分家の娘がディンという眷族の家に移り住んだのだ、とかいう話をアスタがララ=ルウにしていた気がする。
「なるほどね。それで納得がいったら、あんたたちも血抜きや料理の作り方を習うことになるのかな?」
「そのような話ではない。ただ、ディン家がファ家にこれ以上関わることを許すかどうかを決めるだけだ。……しかし、族長グラフ=ザザには、さらにその先の考えもあるのやもしれんな」
強く輝くばかりで今ひとつ感情の読めないディック=ドムの目が、何かを透かし見るように細められる。
「あの、ズーロ=スンらを招いて行われたという、ルウの集落での晩餐の会。その夜の晩餐で、グラフ=ザザは何やら心を乱されてしまったらしい。……しかとそのように言っていたわけではないが、驚くべきものを食わされた、などと述べていたからな」
「ああ、あの日の晩餐はすごかったもんなあ! 俺にとっては、生涯で最高の晩餐だったよ! ……ま、あくまで今のところはって話だけどな。3日前の城下町での晩餐も、それに負けない宴みたいな晩餐だったしよ」
「……族長グラフ=ザザの心をあそこまで騒がせたのだから、お前たちの言う美味なる食事というものには、何か一考に値するものがあるのだろう。家長会議で少しばかりはその力に触れた俺にも、それぐらいのことは想像することができる」
そうしてディック=ドムは、新たに注がれたポイタン汁をすすってから、言った。
「それで……お前はそのような話を、どうしてこの俺に持ちかけてきたのだ、ルウ家の末弟よ? お前が叩くべきは、ドム家ではなくザザ家の戸ではなかったのか?」
「んー? 族長たちには族長たちで話し合ってもらったほうがいいだろ? 俺はその眷族であるあんたの意見が聞いてみたかったんだよ。ちょうど話のついでもあったしな」
「話のついでとは?」
「うん、俺はあんたがどういう人間であるのかを知りたかったんだ、ディック=ドム」
ルド=ルウもアリアやチャッチの料理をひとしきりかきこんでから、次に投じるべき言葉を探した。
やっぱりこっちの料理はできたてのほうが何倍も美味いんだろうな、などと考えつつ、発言する。
「その前に、ひとつ質問。あんたはいったい何歳なんだ?」
「……俺は、17だ」
「じゅ、じゅうなな? 俺とふたつしか変わらないのかよ!」
「ちょうど2年前に先代の家長が森に朽ちたので、長兄の俺がその座を継ぐことになった。それが何だというのだ?」
「いやあ、うーん、その若さで家長をつとめるなんて大したもんだよ。……そっかあ、ラウ=レイやアスタやアイ=ファなんかと同じ年なんだな……」
そういえば、ラウ=レイもアイ=ファも同じ家長の身なのである。
特にラウ=レイは、ドム家と同じぐらいの大きさを持つレイ家の本家の家長だった。
(ま、家人の助けが少ないアイ=ファやシン=ルウのほうが、そういう意味ではしんどい立場かもしんねーけどな)
それはともかく、ここからの話が重要だった。
「そういえば、さっき婚儀の宴がどうとかって話が出たけど、あんた自身にそーゆー話はないのか? 本家の家長で17だったら、そろそろ周りからせっつかれる頃合いだろ?」
「べつだん、せっつかれたりはしない。嫁など、18までに娶れば十分だろう。それまでに心をひかれる相手が現れなければ、同じように婿のあてのない女衆を迎えるだけだ」
面倒くさげに言い放ち、ディック=ドムはルド=ルウの持参した果実酒をひっつかんだ。
「ルウ家よりの厚意に感謝する。……ちょうど果実酒を切らしていたので、この心づかいはありがたかった」
「ああ、北の集落から町までは遠いんで、買い出しひとつするにもひと苦労って話だったな」
「そうだ。トトスを手に入れてからは、それもだいぶん楽になったがな」
ディック=ドムは、父のドンダ=ルウにも負けぬ勢いで果実酒をあおった。
これでは2本の果実酒などあっという間に飲み干されてしまいそうだ。
「しかし、嫁取りに関しても軽はずみに決められない事情が持ち上がった。俺たちは、あらためて血の縁を結ばねばならない眷族がいくつか存在するのだ」
「え? そいつはどういう意味なんだ?」
「これまで俺たちの親筋はスン家であった。俺たちは、スン家を源として血の縁を交わしていたのだ。そこから中心のスン家を廃すると、血の縁をまったく持たない眷族というものができあがることになる。……たとえば南方のディン家やリッド家などは、スン家に嫁や婿を捧げるという形でしか血の縁を結んでいなかったから、北の一族とはまったく血の縁を有していないのだ」
なるほど、とルド=ルウは膝を打つことになった。
ルウ家だって、6つの眷族すべてと直接的に血の縁を結んでいるわけではない。リリンやマァムなどといった小さな氏族は、レイやルティムやミンなどと血の縁を重ねているために眷族と認められているばかりなのである。
しかしまた、レイやルティムには古くからルウの血が入っているため、どの氏族とも血の縁がまったくない、などという事態には至らない。
が、スン家の場合は北から南にかけて手広く血の縁をひろげていたため、その最北と最南ではまったく血が交じわらない、などという事態にも至ってしまうのだろう。
特にスン家は、モルガの森を荒らしていたという罪を隠すために、この十数年間は眷族に嫁や婿を出していなかったという。
それではいっそうスンの集落の外では眷族同士の血の交じわりようがなくなってしまうわけだ。
「うーん……それじゃああんたは、ディンやリッドから嫁を迎えるつもりなのか?」
「そのように定められているわけではない。ただ、18までに相手が見つからなければ、そのように定められるのだろうな」
「18歳にこだわるんだな。18までに嫁や婿を迎えるのが北の集落の習わしなのか?」
「……習わしというか、一人前の狩人と認められる15の年から3年も過ぎて伴侶を娶らぬというのは、強き血をのこすという仕事をおざなりにしているということになるであろうが?」
だからその3年という期間の出処がわからなかったのだが、確かにルウの集落でも婚儀をせっつかれるのは18か19あたりが境い目であるように感じられた。
(まあ、ガズラン=ルティムは23まで嫁を取らなかったし、うちのヴィナ姉ももう20だけどな)
ともあれ、必要な情報はそろってきた。
気になる点は、あとひとつだ。
「で、あんたはもう17なんだよな? あんたはあとどれぐらいで18になっちまうんだろう?」
「……俺は先月、17になったばかりだが」
では、まだ10ヶ月以上は残されていることになる。
ようやくルド=ルウは一息つくことができた。
「それで、俺の何が知りたいというのだ?」
また空になったらしい木皿を置き、ディック=ドムがぐいっと身を乗り出してきた。
かじった『ころっけさんど』を飲み下してから、ルド=ルウはそちらに笑いかけてみせる。
「ああ、もういいんだ。知りたいことは知ることができたよ。あんたは立派な狩人みたいだな、ディック=ドム」
「……言っている意味がわからないのだが」
「言っている通りの意味だよ。外見はグラフ=ザザなみに凶悪そうだけど、何でもあけすけに喋ってくれるし、態度も誠実だ。偏屈さなら、俺の兄たちのほうが上だろうな。……それでもって、狩人としての力もとんでもねーみたいだし、うん、あんたみたいに立派な狩人は、この森辺にだってそうそういないと思うぜ?」
「……族長を凶悪などと称するのは感心せんな」
「ああ、悪い意味で言ったんじゃねーんだよ。面がまえの凶悪さなら俺の親父も負けてねーし、そもそも俺は、グラフ=ザザのことだって狩人として尊敬しているよ」
このディック=ドムという男衆も、きっとモルン=ルティムが心を引かれるだけの人間ではあるのだろう。
それを感じ取ることができただけで、ルド=ルウにはもう十分だった。
「俺の話はおしまいだ。晩餐の時間をやかましくしちまって悪かったな。今日はあんたと話せて良かったよ、ディック=ドム」
「……やっぱり言っている意味がわからないが、まさかお前はこのままルウの集落に戻る心づもりではあるまいな、ルウ家の末弟よ」
「え? もちろん帰るつもりだけど? トトスだったら、そこまで時間がかかるわけでもねーし」
「馬鹿を抜かすな。夜の道は、危険であろうが?」
「大丈夫だって。トトスならギーズにもムントにも、なんならギバにだって追いつかれることはないんだし、危険はねーよ」
「それでは、朝と夜ではどちらが危険なのだ?」
ディック=ドムは、強情に言い張ってきた。
「そのように危険な道を帰すのは、ドムの家の恥となるのだ。まさかお前はドム家に恥をかかせるつもりではあるまいな、ルウ家の末弟よ」
「いや、だけど……」
「レムよ、空いている部屋に寝具の準備をしろ。客人の鋼は俺の部屋に片付けておけ」
「……了解しましたわ、家長」
誠実で力のある立派な狩人であるかもしれないが、この親切な強情さは美点と欠点のどちらに数えるべきなのだろう、とルド=ルウは小さく溜息をつくことになった。