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異世界料理道  作者: EDA
第十三章 再生への道
234/1675

⑮明日へ

2015.9/1 更新分 2/2

・本日は2話更新ですので、読み飛ばしのないようご注意ください。

・明日から書き溜め期間に入ります。次章はオムニバスの短編形式になる予定です。

 それから5日後――灰の月の5日である。

 灰とはまた奇妙な月名であるが、先月が白の月で来月が黒の月、それで今月が灰の月ということになるらしい。


 それはともかく、灰の月の5日。

 この日、俺とアイ=ファは、ようやくファの家に帰ることが許された。


 メルフリードらの尽力あって、《黒死の風》とかいうご大層な名を持つ野盗どもが、ついに捕縛されたのである。

 護民兵団の背信者たちも、サイクレウスの告発通りに罪を認めたらしい。

 そのサイクレウスもようやく病状が回復して、ジェノス城に身柄を移されることになった。


 明日からは、ついに審問が開始されるのだ。

 死罪か、あるいは永久の禁固刑。それを下回る判決が下されることはないと、マルスタインは森辺の族長たちに確約していた。


 その審問が終わったのちには、ズーロ=スンとバルシャの罪も裁かれることになる。

 しかしそちらも、ズーロ=スンには10年の苦役の刑、バルシャには恩赦が与えられることが、内々ですでに取り決められている。


 本当にすべてが終わったと言い切るには、もういくばくかの時間が必要なのであろうが――俺たちは、とりあえずの日常を取り戻すことがかなったのだった。


「いやあ、何もかもが懐かしすぎて、涙が出てきそうだなあ」


 ファの家のかまどで晩餐の支度に励みながら、俺はそのように言ってみせた。

 ついさきほど狩人の仕事から帰ってきたばかりのアイ=ファは、少し離れた場所で片膝あぐらをかいている。


 俺がリフレイアに身柄をさらわれたのは、白の月の5日。

 だから、俺にとっては丸々一ヶ月ぶりの帰還であったのである。

 所用で何度か立ち寄ったことはあるし、ルウの集落でも夜はアイ=ファとふたりで過ごすことのほうが多かったのだが――それでもやっぱり、俺の胸には抑えようのない感慨があふれかえってしまっていた。


 むろん、アイ=ファが日に一度は帰って食糧庫の管理などをしてくれていたので、ファの家には何の変わりも見られなかった。


 また、日中にはフォウやスドラやディンの人々がわらわらと挨拶に来てくれた。

 ルウの集落も、俺にとっては居心地のよい、かけがえのない空間であったが、やっぱり俺の帰るべき場所はこのファの家であるのだ。


「明日からは、ようやく屋台の商売も再開できるしな。審問が終わるまで気は抜けないけど、本当に、ようやく日常を取り戻せた気分だよ」


 屋台の商売では、近衛兵団とカミュア=ヨシュたちが警護してくれる段取りになっていた。

 今度こそすべての罪人は捕縛されたはずであるのだが、それでも審問が終わるまでは念のために警護が必要であろうとマルスタインが提案してくれたのである。


「兵士たちには少し離れた場所で見張りに立ってもらって、宿屋とかには俺やザッシュマが付き添うからさ。アスタたちは安心して仕事に励んでくれ」


 カミュアも、そのように言ってくれていた。

 そうして審問が終わったのちには、カミュアも少しジェノスを離れる予定であるという。


「ウェルハイド殿をバナームまでお送りしたら、そちらで仕事を探して、また西の領土をあちこち巡ろうかと思ってね。……何せもう3ヶ月以上もこの一件にかかりきりだったから、俺も羽をのばしたくなってしまったのだよ」


 カミュアのその発言も、この事件が終焉に向かっているのだということをはっきりと示唆していた。

 紫色の不思議な瞳を持つ風来坊は、あの、俺を落ち着かなくさせる不思議な笑い方をしながら、さらにこんな風にも言っていた。


「森辺の民がジェノスの中でどのような立場を確立するのか、きっとここからが第二の本番なのだろう。サイクレウスにシルエル、それにザッツ=スンといった者たちがねじ曲げてしまった運命が、ようやく真っ直ぐに引き戻された。俺が次にジェノスを訪れるとき、みんながどのような思いで暮らしているのか、その変わりっぷりを想像しながら、俺は諸国を巡ることにするよ」


 それは、カミュアの言う通りなのだろうと思う。

 すべての誤解は、解消されつつある。

 ジェノスの貴族と森辺の民の間で結ばれていた不穏な関係性は断ち切られて、すべての罪が白日のもとにさらされることになった。


 ここからが、本番なのだ。

 大罪人が一掃されても、森辺の民がいささかならず閉鎖的で、町の人々とは異なる倫理と掟のもとに生きている稀有な一族であるということに変わりはない。


 森辺の民は、ジェノスの人々とどのような絆を結ぶことができるのか。

 80年目にして、それがまた改めて問われることになるのである。


 だけどやっぱり、俺などにできることは、ごく限られていた。


「宿場町にも、色々な食材が流通するようになるかもしれないからな。そうなると、他の屋台や宿屋で売られる食事は、ぐんぐん質がよくなっていく可能性が高いと思うんだ。それに負けないよう、俺も新しい献立の開発を頑張ってみるよ」


「お前なら、きっと自分の仕事を果たすことができるだろう」


 真面目くさった面持ちで言ってから、アイ=ファはほんの少しだけ眉尻を下げる。


「しかし今は、今の仕事に集中するがいい。……私は腹が減ってたまらないのだ」


「ああ、うん、もう仕上がるからしばしお待ちを!」


 窓から差し込む陽光は、だいぶん赤みがかってきている。

 今日も大物のギバを仕留めて、それを汗だくになりながら家に持ち帰り、皮剥ぎと解体の作業にいそしんだアイ=ファは、いつになく疲弊しきっている様子であった。


 このあたりではギバの数が減ってきたために、最近はかなり森の奥まで足をのばしているらしい。

 あと数日もしたら休息の期間をとるべきなのだろうと、アイ=ファはそのように述べていた。


「そういえば、その休息の期間っていうのも、フォウやスドラの人たちと連動するべきか協議中なんだって?」


「うむ。これまでは個々の家において期間を定めていたのだがな。近在の家同士ではその足並みをそろえたほうが、何かと都合がよいのではないかと、スドラの家長がそのように申し述べてきたのだ」


 無意識になのだろうか、引き締まったお腹を右手で撫でさすりながら、アイ=ファはそのように答えてくれた。


「このあたりでいえば、ファ、フォウ、ラン、スドラ、ディン、の五氏族、もう少し南方ではガズ、ラッツ、ベイム、などの三氏族。……ただし、ディン家はザザ家の眷族であるので、それにはグラフ=ザザの了承が必要となるな」


「ああ、それでもディン家とザザ家はものすごく家が離れてるもんなあ。そこは血の繋がりより家の近さを重視したほうが、確かに理にはかなってる気がするよ」


 スン家が親筋であった時代には、このようなことを思いついても、とうてい提案できるような空気ではなかったのだろう。


 森辺の民も、変わり始めている。

 これまでは見向きもされていなかったファやスドラのように小さな家の人間の言葉が重んじられ、族長筋とも忌憚なく意見を交換できる土壌が形成されつつある。


 ジェノスも、森辺の集落も、これからさまざまな変革に見舞われることになるのだろう。

 同胞の罪を乗り越えて、ジェノスと森辺がどのように変わっていくのか――自分もその因子のひとつであるのだという思いを胸に、見届けていきたい、と俺は強く思っていた。


「よし、完成だ! お待たせしたな、家長。1ヶ月ぶりの、ファの家の晩餐だぞ」


「うむ」


 重々しくうなずく家長の前に、俺は木皿を並べていった。

 ルウの家に便乗して、ファの家でも少し食器を充実させたのだ。


 各自によそったスープと肉料理、大皿にまとめた生野菜のサラダと焼きポイタン、それに取り分け用の小皿と、手作りの箸、鉄串、木匙をひとそろえずつ。

 皿が何枚か増えただけで、内容量はさして変わっていないのだが、なかなか壮観である。


 アイ=ファはごにょごにょと食事前の挨拶を唱えて、唇をなぞるような仕草を見せてから、木匙を取り上げた。


 そうして、「ふむ」と厳粛な視線で料理を見渡す。


「……はんばーぐだな」


「ああ、ハンバーグだ」


 ここで異なる献立をお披露目したら、さすがに首でも締められていただろう。

 なおかつ本日は、初めての試みをこの料理にほどこしている。


 赤褐色に照り輝くこの掛け汁は、各種の野菜と乳脂などを駆使して作製したデミグラス風のソースであり、添えてあるのは、弱火でじっくり熱を通したチャッチとネェノンとアリアのソテーである。


 俺にとっては一番馴染み深い、これぞハンバーグという王道の味を追求してみたのだ。


「1ヶ月ぶりのハンバーグだ。存分に味わってくれよ」


「うむ」


 あくまでも厳粛に、アイ=ファはハンバーグの木皿を取った。

 タウ油ではなくタラパ仕立てのギバ・スープをすすりつつ、俺はこっそりその様子を観察する。


 アイ=ファは木匙でハンバーグを一口ぶん切り分けて、無表情のままそれを口に運び――そして、愕然と目を見開いた。


 その目が少しばかり冷静さを欠いた様子で、ハンバーグの断面を覗き込む。


「アスタ、このはんばーぐは――」


「そうそう。中に乾酪を仕込んでみたんだよ。乾酪・イン・ハンバーグってところだな」


「乾酪は、ずいぶん昔に使い切ってしまったのではなかったのか?」


「いや、実は、昨日こっそりカミュアを通して、トゥラン伯爵家であまっていた乾酪を買い取らせていただいたんだよ。むこうでは食材があふれかえって大変なことになってるって聞いてたからさ」


 カマンベールチーズのごとき乾酪をハンバーグに載せて食するのが、アイ=ファにとっては最上級のご馳走であるはずだった。

 それを載せるのではなくパテの内部に仕込んだのは、まあサプライズの演出である。


 デミグラス風ソースとの相性も、タラパや果実酒のソースには負けていないと思う。


「これが精一杯の心づくしとなりますので、お気に召しませば幸いにてござります」


 アイ=ファは肉と乾酪を噛みながら、ややせわしなく手もとの木皿と俺の顔を見比べた。

 で、やがて名残惜しそうに木皿を置くと、勢いよく身を乗り出して、俺の頭をわしゃわしゃとかき回してくる。


「美味い」


「それは良かったよ。ありがとう」


 もうこれぐらいでは動揺しないぞと、俺はにっこり微笑み返してみせた。

 すると――アイ=ファは俺の手からスープの木皿を取り上げて、丁寧に床に置いてから、料理を迂回して俺のもとにやってきて、ぎゅうっと俺の身体を抱きすくめてきた。


「美味い」


「わ、わかったってば! せっかくの料理が冷めない内に食べてくれよ!」


「わかっている」


 アイ=ファはきっかり5秒間、骨も砕けよとばかりに俺の身体をしめつけてから、またいそいそと自分の位置に戻っていった。

 で、パテからこぼれ落ちるとろりとした乾酪を大事そうにすくいあげ、肉やチャッチとともに頬張る。


「……美味い」


「うん、嬉しいよ」


「……あとでまた」


「あとでまた、何!?」


「今は、料理が冷めてしまうからな」


 そこまで表情は動いていないのに、アイ=ファはとても嬉しそうに見えた。

 青い瞳が子供のようにきらめいて、とても綺麗だ。

 その胸もとには、かつて俺が贈った青い石の飾り物が、第三の目のごとく光っている。


 森辺とジェノスは、この先どのように変わっていくのか。

 その変わりゆく世界を、アイ=ファとともに生きて、見届けたい。


 そんな思いを胸に溜めながら、俺もとっておきのハンバーグを食するために木皿を取り上げた。

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