⑬かまど番の試食会
2015.8/31 更新分 1/1 2016.9/13 誤字を修正
・明日は2話分を更新するので、読み飛ばしのないようご注意ください。
「おいしー! やっぱりアスタのたつたあげは最高だね!」
鉄串に刺した竜田揚げを手に、リミ=ルウがはしゃいだ声をあげている。
晩餐会から半刻ののち、厨の隣の小さな食事場においてのことである。
族長と貴族らは、そのまま食堂に居残って会談を続けている。
料理番としての任を終えた俺たちは、ようやく護衛役の狩人らとともに遅めの晩餐を食することがかなったのだった。
「わたしはこの野菜の料理もとても好みです。茹でた肉を水で冷まして食するというのは、とても新鮮な味わいですね」
「うん、わたしもそう思う。でもきっと、これが美味しいのはこのシールの実を使った汁の効果も大きいのでしょうね。ただ茹でただけの肉と野菜では味気ないもの」
シーラ=ルウもレイナ=ルウも、大役をやりとげたという達成感からか、いつも以上に明るい笑顔となっていた。
卓の上には、族長らに供した料理がすべて残らず載せられている。
森辺の民としては、やっぱりこうしてさまざまな料理をいっぺんに楽しむほうが気風に合っているのである。
「あー、そんなにたつたあげばっかり食べないでよ! リミだってもっと食べたいんだから!」
「うるせーなー。まだ山ほど残ってんじゃねーか。食いすぎるとミダみたいにまん丸になっちまうぞ?」
「そんなに食べないもん! ちびルドのばか!」
護衛役の面々も、全員がこの場に顔をそろえている。
この部屋は内側からかんぬきをかけることが可能であったので、彼らもひとときの休息を得ることがかなったのである。
森辺の民の若い男女が、座りなれない椅子に座り、卓を囲んで食事をとっている。なかなか物珍しく、かつ心の温まる情景だ。
そんな中、レイナ=ルウと料理談義をしながら食事を進めていたシーラ=ルウは、会話の切れ間にお好み焼きへと手をのばし、それを載せた皿をおずおずとダルム=ルウのほうに差し出した。
「ああ」とぶっきらぼうに応じつつ、ダルム=ルウはその皿のお好み焼きにかじりついた。
その横顔を一瞬だけじっと見つめてから、シーラ=ルウはまたレイナ=ルウに向きなおる。
「……どうでもいいけどよ、そっちの料理はずいぶんな分量だな」
と、ひかえめかつ不機嫌そうな声で言う者があった。
この場における珍客のひとり、ロイである。
今ごろはティマロらも別室で晩餐をとっているはずであるのだが、彼だけは俺たちに同席を求めてきたのだった。
「あんな葬式みたいな場で食べても味がわからなそうだったからな」
などとロイは言っていた。
食べながら、ちらちらレイナ=ルウのほうに視線を飛ばしていることは、まあ不問にしておこうかと思う。
「ティマロたちに半分渡して、まだこの量かよ。そんなんで、こっちの料理まで食べる余地はあるのか?」
「渡したのは、かまど番の分の半分だけですからね。森辺の男衆ってのはとにかくよく食べるから、これぐらいの量は必要になってしまうんですよ」
「それは見てればわかるけどよ……あと、そっちのおかしな顔をしたやつはいったい何なんだよ?」
と、後半部分は声をひそめて問うてくる。
その視線の先にはもうひとりの珍客、カミュアの姿があった。
カミュアは泣きそうな顔になりながら、森辺の狩人らにも負けない勢いでギバの肉を喰らっている。
あまりにひさしぶりのことすぎて完全に失念してしまっていたが、カミュアは感極まると死神のように不吉な顔になるか、あるいはこのように泣きだしそうな顔になってしまうというわけのわからない習性を有していたのである。
「もういいかげんアスタの料理に驚かされることもなくなったと思っていたのに、こいつはどれも美味すぎるよ」
などと言いながら、カミュアはずるずるとギバ・スープをすすっていた。
同胞以外には閉鎖的な森辺の民であるが、その反面、異分子の存在を気にかけない豪胆さも持ち合わせているので、カミュアやロイの同席によって食卓の団欒が乱されることはなかった。
ラウ=レイなどは、ほぼすべてが初見の料理であるため、一口食べるごとに驚きの声をあげている。
アイ=ファやダルム=ルウなんかは無表情かつ無言であるが、食べるペースは誰よりも速い。
そしてその分、リミ=ルウやルド=ルウや、それにレイナ=ルウなども明るく楽しげな笑い声をあげており、その場に華を添えていた。
さきほどの晩餐会に比べたら、なんて和やかな空間であろうか。
森辺の民と親睦を深めたかったのなら、マルスタインは女衆や若衆の同席を許すべきだったのだ、きっと。
「で、ギバ肉のお味はいかがですか?」
俺が質問をし返すと、一通りの料理を吟味し終えたロイは仏頂面で頭をかいた。
「クセは強いけど、不味いことは全然ない。俺はもっと、山育ちのギャマみたいな肉の味を想像してたんだけどな」
「へえ? ギャマってのは、東の王国の動物ですよね。山育ちのギャマってのはクセが強いんですか?」
「強いどころか、普通に臭いよ。だからシムの連中は、チットの実みたいに強烈な香辛料でその臭みを消してるんだろうさ。ギャマの肉も乾酪も、西では草原育ちのやつしか売り物にはならねえんだよ」
なるほど、山と草原では食べる草か何かが異なり、肉や乳の味が変わってきてしまう、ということか。
俺の知る乾酪はまったく臭いことはないので、きっと草原育ちのギャマの乳から作られたものなのだろう。
「この揚げ物の料理なんて、以前に食わされたキミュスの揚げ物より美味いぐらいだもんな。……これじゃあティマロも、ぐうの音も出ねえよ」
「ティマロの料理だって、きっと大したものなのでしょうけどもね」
言いながら、俺はかたらわの小卓に視線を転じた。
そちらには、ロイと小姓たちが運んできてくれたティマロの料理が出番を待ち受けているのだ。
「よし、それじゃあ俺たちはこっちの料理にも取りかかろうか。レイナ=ルウ、お待ちかねの城下町の料理だよ」
「あ、はい!」
レイナ=ルウが立ち上がり、いそいそと小卓のほうに寄ってくる。
とたんにロイは視線を泳がせかけたが、何とか途中で立て直した。
「だけど、森辺の客人らはこの料理がお気に召さなかったってんだろ? 領主様に相当きつい小言をくらったらしくて、ティマロは死人みたいな顔になってたぜ?」
「ああ、あれでは誰だって傷つきますよ。わざわざティマロを貶めるために料理番として選んだんじゃないかって疑ってしまったぐらいです」
「ああ、お前はその場にいたんだっけか。だけど、そいつは的外れだ。ティマロは純粋に、自分にとっての最高の料理を作りあげただけだよ。いったい何が気に食わなかったのか、俺には想像もつかねえな」
腕を組んで渋い顔をするロイである。
その間にシーラ=ルウもやってきて、リミ=ルウも「全部食べたら駄目だよ!」とルド=ルウに言い置いてからちょこちょこと駆け寄ってくる。
「ふうん。何だか不思議な匂いのする料理ばっかりだね?」
「うん。まずこの香草を使いまくる作法っていうのが、森辺とは異なるところだよね」
かまど番の4名は、小さな卓を囲む形で着席した。
男衆らは城下町の料理になどいっかな興味も示さなかったので、これはかまど番のためだけの試食会である。
が――その結果は、実に惨憺たるものであった。
「まずーい!」というリミ=ルウの悲鳴が高らかに響き渡る。
リミ=ルウが食したのは、チーズとハーブ入りのオートミールのごとき、フワノ料理であった。
匂いの通り、たっぷりのカロン乳とたっぷりの香草が使われており、あえて表現するならば――それは、ちぎったパンをミルクでふやかしつつ、クミンやレモングラスと一緒に煮込んだような味わいであった。
さらにその中には、カマンベールチーズのごときギャマの乾酪と、牛のロースのごとき肉片も投じられている。
甘いのに、ぴりぴりとした刺激が舌を刺してくる。
タイ料理とイタリア料理をハイブリッドさせたような、実に複雑な味わいであった。
「これは……確かに食べすぎると、胸が悪くなってしまいそうですね……」
期待に瞳を輝かせていたレイナ=ルウも、すっかり眉尻を下げてしまっている。
レイナ=ルウが食しているのは、乳脂と香草の匂いたつ汁物料理である。
こちらには、バターのごとき乳脂と、シナモン、ローズマリー、そしてニラのような香草が使われていた。
それにたぶん、あの固形ブイヨンのごとき調味料もふんだんに使われているのだろう。匂いも、味も、濃厚にして強烈だ。
カロンの胃袋とやらは、白くてつるつるとした食感であり、まあホルモンの類いが嫌いでなければ悪くない食材であった。
だけどやっぱり、とにかくスープの味付けが複雑で舌に馴染みにくい。
「うーん……」とシーラ=ルウは難しい面持ちでうなってしまっている。
彼女の皿に載っているのは、メインディッシュたるカロンの肉料理であった。
もともとこちらはまかないで食される予定ではなかったのだが、晩餐会で余りが出てしまったので、こちらに届けられたのだそうだ。
温めなおされたカロンの肉は、また艶々と輝きながら、美味そうな匂いを放っている。
ただひとり狩人らの中でこちらに好奇の目を向けていたルド=ルウが、椅子から飛び降りて近づいてきた。
「その肉だけは美味そうだよな。アスタ、俺にもひと切れ分けてくれよ」
「うん、いいよ」
バターのようにやわらかい肉塊に刀を入れて、俺は自分とルド=ルウの分を取り分けた。
で、それを口に入れてみると――カロンの肉は、たしかに溶けるかのごとく口の中であっけなく崩落してしまった。
しかし、この味わいと感触は――
「げー、何だよこれ!? ただの脂の塊じゃんか!」
ルド=ルウは大きな卓のほうにとんぼ返りして、口直しとばかりにギバ・スープをすすった。
「ロイ、これはもしかして――肉の中に、後から脂を流し込んでいるんですか?」
「ああ、よくわかったな。そいつは髪の毛みたいに細い針で肉を穴だらけにして、それでカロンの脂に漬け込みながら、野菜や香草なんかと一緒に蒸してるんだよ」
こともなげに、ロイはそう言った。
「そうじゃなきゃ、そこまでのやわらかさと旨みは出せねえよ。下ごしらえには、そいつが一番時間がかかったな」
「そこまで肉をやわらかくすることに意味はあるんでしょうかね? あのフワノ料理に入っていたカロンの肉だって、十分にやわらかくて美味しかったと思いますけど」
「ダバッグのカロンは質がいいからな。さらに差をつけるなら、こんなやり方も有効だろ。実際、すげえことを考えるなと思ったよ」
切り分けられたカロンの肉は、てらてらと濃い桃色に輝いている。
その味わいは、最高級の牛肉みたいに美味であったし、上から掛けられている柑橘系のソースも悪くはなかった。
ローストなのに、とろけるようにやわらかい。大量に使われていた野菜や香草も、ぞんぶんにその旨みをこの肉に捧げているのだろう。
だけどこれは――何か、一線を越えているように感じられてならなかった。
ジャンクフードにだってそれほどの抵抗はない俺であるのに、何かが間違っている――何かが歪んでいる――と、胃袋のほうから抗議があがってきているような、そんな心地にさせられてしまう。
ルド=ルウの言う通り、脂の塊を飲み込んでいるような感覚が否めないのだ。
「城下町の民っていうのは、普段からこんなに油分を摂取しているんですか? これはちょっと、健康を害するぐらいの油分であるように感じられてしまうのですけれども」
「んー? そりゃあ伯爵様の――いや、元伯爵様のお抱えの料理人や料理屋だったら、乳脂もレテンの油もカロンの脂も使い放題だろうけどさ。ここまで贅沢な料理を注文できるのは、それこそ貴族ぐらいのもんだろうよ」
こんな料理ばかりを食べていたから、サイクレウスも健康を害してしまったのではないのだろうか。
そのように思えてならないぐらい、これらの料理には油分と塩分があふれかえっていた。
「あ、こちらの料理は悪くないですね」
と、取りなすようにレイナ=ルウがそう言った。
真っ赤な色をした、タラパ主体の野菜の煮付けである。
あの巨大タラパの器から取り分けられたものなのだろう。普通の鉄鍋の中に、ごく少量の料理がおさめられている。
俺も味見をしてみたが、それは確かになかなかの出来栄えであった。
各種の野菜からしっかりと出汁が出ており、パクチーのような香草の香りは強めだが、ミネストローネに近い味わいかもしれない。
俺だったら、もう少しだけ塩分をひかえめにして、それに、やっぱりこの香草は使わないと思う。それ以外に、不満と思える点はなかった。
「そいつには、パナムの蜜や砂糖も使ってるんだ。味を壊しちまわないように、分量には相当気を使っていたみたいだな」
鹿爪らしくロイが述べると、レイナ=ルウは「なるほど」と手を打った。
「何か、香草の他にも覚えのない味がしたように思えたのです。パナムの蜜や砂糖というのはあの、菓子というものに使う甘い調味料のことでしたよね?」
レイナ=ルウに真っ直ぐな視線を向けられて、とたんにロイは均衡を失った。
「そうだよ! 何か文句でもあるのか!?」
「……文句を言ったつもりではありませんでした。気分を害されたのでしたら、お詫びを申しあげます」
ぺこりと頭を下げてから、レイナ=ルウは次なる試食に取りかかる。
ロイはこっそり頭を抱えたが、声をかけるのは差しひかえておいた。
「……アスタぁ……」と、そこでくいくいとシャツの裾を引っ張られる。
見ると、リミ=ルウが涙目で俺を見上げていた。
その手の皿にあったのは、四角く切り分けられたフワノの焼き菓子だ。
「これ……まじゅい……」
「ええ? リミ=ルウでも撃沈かい?」
グラフ=ザザはまだしも、厨では砂糖の登場に歓喜の感情を爆発させていたリミ=ルウなのである。
見た感じ、薄いフワノの生地を何層にも重ねたミルフィーユのような外見で、不味そうなことはまったくない。
質感はきわめてしっとりとしており、ピンク色をしたミンミの実が可愛らしい。俺の故郷のケーキ屋に並んでいてもおかしくはなさそうなビジュアルだ。
「見た目は美味しそうなのになあ。それじゃあ、俺が処理係を……あ、家族じゃないと、食べかけのものを食べちゃいけないのか」
「……それは10歳を過ぎて、幼子の身から脱した後の習わしだ」
「うわあ、びっくりした! アイ=ファ、どうしたんだよ?」
「晩餐が済んだのだ。どの料理も美味であったぞ」
俺の背後に立ちはだかっていたアイ=ファが、じろじろとうろんげに皿の上の焼き菓子を眺めている。
ルド=ルウたちはまだ旺盛な食欲を満たしているが、アイ=ファは一足先に切り上げたらしい。
「珍妙な料理だな。匂いは、悪くないようだが」
「うん。見た目もけっこう美味そうだよな。……アイ=ファも食べてみるか?」
「あのように礼を失した人間の料理など食べる気もせん」
「そうですか」
俺は涙目のリミ=ルウの頭を撫でてやりながら木皿を受け取った。
で、ひかえめな量を口に入れてみたところ――リミ=ルウの口に合わなかった理由は、すぐに判明した。
この料理には、何かブランデーのような酒類が風味づけに使われていたのだ。
あの、バランのおやっさんからいただいた上等な果実酒と同一のものなのかもしれない。そこにまた何種かの香草だか果実の汁だかがブレンドされているようで、判別はいささか難しかったが、とにかくベースは酒類で間違いない。
で――フワノの生地は、その一枚一枚がたっぷりとパナムの蜜とカロンの乳を吸っている。
途方もなく甘くて、こってりとしており、そして果実酒の匂いが香る、外見よりもパンチのきいた味わいであった。
「これはちょっと……確かに完食するには忍耐力を必要とする味わいだなあ」
「散々な言われようだな。お前たちの料理を味見してなきゃ、ふざけんなって言いたいぐらいだぜ」
と、自爆のショックから立ち直ったらしいロイがそのように述べてきた。
「確かにお前たちの料理は、ティマロの料理にも引けを取らない出来栄えだった。それはすげえことだと思うけど、そこまでティマロの料理が劣っているとは、俺には思えねえぞ? ……お前たちの料理はどれも味付けが薄めだったし、香草なんかもほとんど使ってなかったから、それを不満に思う人間だって、城下町には少なくないと思うしな」
「ええ。ですからジェノス侯も、俺とティマロの料理にまさり劣りはない、と述べたんでしょう。俺だって、その評価に異論はありません。……ただ……」
「ただ、何だよ?」
「ただ、城下町では――というか、ロイやティマロの作る料理では、調味料の使われ方が過剰にも感じられます。なるべくたくさんの香草や油や乳製品なんかを、味を壊さない範囲でどれだけ使えるか、そこに眼目を置いているように感じられてしまうのですが……この解釈は、間違っていますか?」
「んー……別に間違っちゃいねえだろ。というか、料理ってのは、そういうもんなんじゃねえのか?」
「俺は父親に、そういう風には習いませんでした。むしろ、素材の良さを活かすために、効果的に調味料を使うようにと習いましたね」
「それは――」と言いかけて、ロイは口をつぐんだ。
そのそばかすの散った顔に、悩ましげな表情が浮かびあがる。
「……俺はまだ19歳だけど、3つの料理屋で働いた後、このトゥラン伯爵家に招かれた。でかい仕事場に移るたんびに、使える食材や調味料が増えていって……そいつを上手く使いこなすことが、料理人としての腕前なんだって叩きこまれてきたんだよ」
「はい」
「ちっぽけな料理屋では、ちっぽけな食材しか使えない。立派な料理屋で、立派な食材をふんだんに使いまくって、立派な料理を作りあげるのが、一流の料理人ってもんだ。……俺は、そんな風に習ったな」
「うーん……やっぱり俺の故郷とは、色々と考え方が違っているんでしょうね。もしも上等な肉というものがあったら、それはただ焼いて食べるのが一番美味しい食べ方なのかもしれないっていうのが、俺の考え方です」
「だったらお前は、どうしてギバの肉を揚げたり茹でたりしてるんだよ。ギバ肉の味には、自信があるんだろ?」
ロイが子供のようにふてくされた顔をする。
俺は頭をかきながら、そちらに笑いかけてみせた。
「どうなんでしょうね。ギバ肉は美味しいから、塩とピコの葉をもみこんで焼くだけで最高に美味しいとは思っています。その美味しさに負けないようにあれこれ頭をひねっているだけだとしたら、俺も余計な手間をかけているだけなのかもしれませんね」
「そのようなわけがあるか」
と、横からアイ=ファに脇腹を小突かれた。
「いらぬことまで思い悩むな。お前が肉を焼くだけの晩餐しか作らぬようになったら怒るぞ、私は」
「別に思い悩んではいないよ。明日からもあれこれ頭をひねるから、期待して待っててくれ」
「ふん」とアイ=ファが鼻を鳴らしたところで、扉が外から叩かれた。
「はいはい」と、何故かカミュアが足速にそちらへと駆け寄っていく。
かんぬきを外し、扉を薄めに開いて外の人物としばらく言葉を交わしてから、カミュアは俺を振り返った。
「アスタ、サイクレウスがようやく目を覚ましたらしい。これを逃すと明日の朝まで目覚めそうにないから、晩餐の準備をしてもらってもかまわないだろうか?」
「ええ。大丈夫ですよ」
ついに、最後の仕事である。
「それじゃあレイナ=ルウ、あとはまかせるよ。……ティマロの料理は、無理をしてたいらげなくてもいいからね?」
「はい」
立ち上がろうとするルド=ルウたちを制して、アイ=ファだけが俺に付き添うことになった。
まずは厨で料理を温めなおさなくてはならない。そう思って、アイ=ファとともに部屋を出ると――そこには、予想を越える人数と顔ぶれがそろっていた。
「やあ。手間をかけさせてしまうね、アスタ」
その先頭に立っていた人物の姿に、俺は言葉を失ってしまう。
扉の陰でカミュアと言葉を交わしていたのは、誰あろう、ジェノス侯爵マルスタインその人であったのだ。
その後方には、メルフリードとドンダ=ルウ――さらにリフレイアと、2名の近衛兵にはさまれたサンジュラの姿まであった。
「ドンダ=ルウ殿には、見届け人として同行していただくことにした。この仕事さえ済んでしまえば、今日という日の仕事はすべて完了する。よろしくお願いするよ、アスタ」
「……了解いたしました」
俺は拳を握りしめ、最後の仕事に取りかかることにした。