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異世界料理道  作者: EDA
第十三章 再生への道
230/1704

⑪城下町の晩餐会(上)

2015.8/29 更新分 1/1 ・2017.11/29 誤字を修正

「こちらがわたしの準備した前菜となります」


 まずはティマロが自分の料理を開示した。

 金属製の大きな鍋から木の蓋が取り除かれ、何とも複雑な芳香が室内に漂い始める。


「トトスの卵とラマンパの実の和え物でございます」


 ラマンパの実とは、どの果実のことだろう。

 俺の預かった厨にも備えられている食材しか使用しないと言っていたが、その名前は初耳であった。


 ティマロの指示に従い、小姓たちが料理を陶磁の皿に取り分けていく。

 遠目には、少し黄色みがかったディップ状のものがてらてらと光っているぐらいのことしか判別できなかった。


 で、俺のすぐかたわら、森辺陣営の末席に座していたフォウの家長のもとにもその皿が届けられたので、こっそり覗きこんでみると――なるほど、確かにそれは和え物であるようだった。


 黄色く見えたのは卵の黄身で、光っていたのは油のようである。

 なおかつトトスの卵の白味は火にかけてもあまり白くならないので、半透明のディップ状になっており、それがまたシャンデリアの光を受けていっそう輝いてみえるようだった。


 で、ラマンパの実というのはどれのことなのか。見たところ、ずいぶんとたくさんの種類の野菜たちが四角く小さくカットされて、そこにはまぜ合わされているようである。


 オレンジ色のはネェノンで、クリーム色がかっているのはチャッチで――それに、緑や赤い果実もある。

 さらに、こまかく刻まれたクルミの実のようなものもどっさり使われているようだ。

 もしかしたら、こいつがラマンパの実なのだろうか。


「……ラマンパの実はペペットの香草で燻られており、各種の野菜はレテンの油で漬け込まれております。それをトトスの卵で練り合わせたのが、こちらの料理になります」


「なんと、前菜からずいぶんと凝っているのだな」


 マルスタインの楽しげな声に、ティマロはにっこりと笑い返す。

 そしてその目が、ゆるりと俺のほうに向けられた。


「アスタ殿のほうも、準備をどうぞ」


「はい。それでは――」


 こちらは全然凝っていないんだけどなあ、などと考えながら、俺も器の蓋を取り払った。

 ちょっと大ぶりの木の深皿に、拍子木切りにした生のギーゴがどっさりと詰め込まれている。

 それを木皿に取り分けて、タウ油とスープの出汁で少しゆるくした干しキキのディップを載せる。俺が準備した前菜は、これだけのものである。


(お通しの感覚でこいつをチョイスしたんだけど、あまりにシンプルすぎたかな)


 ヤマイモのごときギーゴを拍子木切りにして、梅干のごとき干しキキのディップを添える。タウ油とスープの出汁で干しキキを溶いたのは、めんつゆの代わりである。


「……それはまた、ずいぶん素朴な料理であるようですな」


 ティマロがにこにこと笑いかけてくる。


「しかし、森辺の民の純朴な有り様の伝わってくる、とても素晴らしい料理だと思います」


「は、恐縮です」


 このように格式ばった場所だとどこまでかしこまればいいのかもわからなかったので、俺は言葉少なく応じておいた。

 しかし、これは森辺ではなく《つるみ屋》の流儀に沿った献立であるので、いささか心苦しいところである。


(ヤマイモの梅干掛け。酒好きのお客さんには好評だったし、親父も大好物だったんだけど、さてどうだろうな)


 そうして俺たちが料理を取り分けている間に、侍女の手によって各人の酒盃に果実酒が注がれていった。

 魁偉なる容貌をしたドンダ=ルウらを前にしても、侍女たちは折り目正しい無表情を保っている。ポルアースやサトゥラス家の若君よりも、彼女たちのほうが肝は据わっているようだ。


 ともあれ、すべての酒盃が満たされる頃には、俺とティマロの料理も全員に行き渡っていた。


「それでは、いただこう」


 貴族の側に、食前の挨拶というものは存在しないらしい。

 森辺の民たちがぼそぼそと詠唱している間に、貴族たちは金属製の匙を取った。


「おお、これは素晴らしい味わいだな」


 まずはティマロの前菜を口にしたマルスタインが賞賛の声をあげる。


「ラマンパの風味が実に素晴らしい。この香ばしさは、トトスの卵とも絶妙に合っているようだ」


「お口に合えば光栄にてございます」


 ティマロも実に満足げな笑顔を浮かべていた。

 貴族たちは、のきなみティマロの料理から手をつけた様子である。


 その中でただひとり俺のほうの木皿を取ったリフレイアが静かに「ファの家のアスタ」と声をあげた。


「何だかこの料理はつるつるとしていて、みんな匙からこぼれてしまうわ」


「あ、申し訳ありません。金属ではなく木の匙か、あるいは二又の鉄串を使うと食べやすいと思います」


 さすがにこのような場では口調を改めるべきであろうと思い、俺はそのように応じてみせた。

「そう」と低い声でつぶやき、リフレイアは卓の上から木匙を取り上げる。

 桜のつぼみのように小さな唇に、俺の料理が運ばれた。

 リフレイアの表情は、動かない。


「ふむ。火を通さないギーゴなどを食するのは初めてだ。これは森辺の習わしであるのかな? ……それとも、アスタの故郷の習わしであるのかな?」


 マルスタインが、微笑みとともに問うてきた。

 俺は、「故郷の習わしです」と答えてみせる。


「そうか」とマルスタインは『ギーゴの干しキキ掛け』を口にした。

 その目が、軽く見開かれる。


「なるほど。これは新鮮な味わいだ。干しキキの酸味がギーゴの土臭さを消して、食べにくいことはまったくないな。いや、これはなかなか愉快な趣向ではないか」


「……恐縮です」


 森辺の民たちは、無言でかつかつと俺の料理を食べてくれていた。

 こちらはこちらでギバ肉を使わぬ料理には関心が薄いので、やはり反応は希薄である。


 ただ、一番近い位置にいたフォウの家長だけが、小声で「生のギーゴとはこのような味なのか」と評してくれた。


「フォウの家では、ポイタンにまぜるぐらいでしかギーゴなどは使っていなかったが……これは何だか、不思議な味だな」


「はい、お気に召しましたか?」


「うむ、俺は嫌いではない。……というか、何だか余計に腹が減ってしまうような料理だな」


「ええ。実はそれがこの料理の主眼だったりします」


 フルコースの料理などというものに馴染みの薄い俺にとって、前菜というのは食欲をかきたてるための存在である、というぐらいのイメージしかなかった。

 胃を動かし、次の料理へと期待を高める、そういう役割を担わせるためにこの献立をチョイスしたのだが、如何なものだろう。


 そうこうしている間に、小姓たちは台車とともに食堂から消えていた。

 次なる料理、汁物を運んでくるためだ。


「むう、これは奇妙な味だな」


 と、ダリ=サウティがふいに大きめの声をあげた。

 見るとその手には、ティマロの陶磁の皿が掲げられている。


「ダリ=サウティ殿、貴殿の口には合わなかったかな?」


 マルスタインが穏やかに問うた。

 ダリ=サウティは、太い指でぼりぼりと頭をかく。


「口に合わないというか何というか――このぬるぬるとした感触が、いささかならず気色が悪いように感じられてしまう」


 なかなか直截な言い様である。

 しかし、ティマロは余裕たっぷりに微笑んでいる。


「それはきっと、和え物に練り込んだレテンの油の舌触りでございましょう。初めて口にする御方には、ちょっと舌に馴染みにくいのやもしれませんな」


「ふうむ。アスタの料理もぬるぬるとしていたが、こいつはちょっと……俺も果実酒をいただくか」


 ちなみにドンダ=ルウとグラフ=ザザは早々に2種の前菜を片付けて、がぶがぶと果実酒をあおっていた。

 小ジョッキぐらいの大きさでしかない銀の酒盃なので、彼らにとっては一口分にしかならない。いちいち侍女が酒盃に注ぐのを待つのが、いささかもどかしげである。


 だけど本日は、ドンダ=ルウらも肚をくくってこの晩餐会に挑む心づもりなのだろう。

 貴族たちが何を考え、何を思い、自分たちをどのように扱おうとしているか――それを見極めんとして、彼らはこの場に馳せ参じる決断を下したのだから。


「うん、僕はアスタ殿の料理も気に入ったよ」


 と、そこでポルアースが声をあげた。

 愛嬌のある丸っこい顔に、実に屈託のない微笑が浮かんでいる。


「ティマロ殿の料理はとても凝っており、これ以降にはどのような料理が出てくるのだろうと期待させられたし、アスタ殿の料理には、早く次の料理をよこせと胃袋にせっつかれる心地がした。前菜としては、どちらも素晴らしい出来栄えなのではないのかな」


「ありがとうございます」と、俺とティマロは同時に声をあげることになった。

 俺としては、自分の思惑にある通りの意見をいただけてほっとしたのだが、ティマロのほうは少なからず不本意そうな目つきである。


 こんな粗雑な料理と一緒にするな、という心境なのだろうか。

 まあ、前菜というのは文字通り前菜である。

 ここからは、ギバ肉料理のオンパレードなのだ。


 全員が匙を置いて一息ついたところで、次なる料理が登場した。

 汁物料理、スープである。


「ああ、いい香りだ」とポルアースが鼻をひくつかせる。

 それはティマロの持ち込んだ鍋から発散されている乳脂の芳香であった。


(ロイもそうだったけど、汁物に乳脂をどっさりぶちこむのが城下町の流儀なのかな)


 ティマロが蓋を取り除けると、いっそうの甘い芳香が室内の隅々にまで充満した。


「カロンの乳脂と三種の香草を使った汁物料理です」


 その香草のひとつは、ヤンが宿場町で使用したものと同一であるらしい。

 乳脂の香りをさらに引きたたせる、シナモンのごとき甘い香りである。


「こちらはギバ肉とタウ油を使った汁物料理です」


 ここは王道の、『タウ油仕立てのギバ・スープ』だ。

 具材は、ギバのモモ肉、バラ肉、アリア、チャッチ、ギーゴ、ネェノン、プラ、の大盤振る舞いである。

 なおかつ今回はさらなるひと手間を加えており、ルウ家で試食をしたドンダ=ルウ以外は初のお目見えとなる。


 が、それよりも何よりも、「ギバ」の二文字で室内にはぴりっと緊張感が走り抜けていた。


 ついに来たか――という切迫した雰囲気である。


 リフレイアやメルフリードなどは無表情を保っていたが、それにはさまれたトルストは深々と嘆息しており、ポルアースは目を泳がせて、リーハイムは口をへの字にしてしまっている。


 80年の昔には、災厄の象徴とされていたギバである。

 現在でも、そんなものは蛮族たる森辺の民しか食さないとされている。


 たとえ宿場町ではそのギバの料理が話題になっているのだと聞かされても、城下町の人々にとっては何の慰めにもならないのだろう。


 これもサイクレウスの罪を贖うため――という殉教者じみた面持ちか、あるいは、どうして自分がこのような目に――という憤懣やるかたない表情しか、そこには見出すことができなかった。


 そんな中、料理は粛々と配膳されていく。

 当然のように、貴族たちはティマロの皿から、森辺の民たちは俺の皿から口をつけることになった。


「ああ、これもまたよく出来ている。乳脂の甘みが際立っているな」


 マルスタインが、また率先して賞賛の声をあげる。


「それに、この柔らかい肉は何なのだろう? キミュスの皮――とは違うようだが」


「それは、カロンの胃袋にてございます」


「ほう! カロンの胃袋か!」


 俺も内心で「へえ」と感心することになった。

 ジェノスにも、内臓料理の文化があるらしい。

 これは、晩餐会の後の試食が楽しみだ。


 そこに、ダリ=サウティが「何だこれは!」と驚嘆の声をあげた。


 俺のひと工夫が口に届いたらしい。


「それはワンタンという料理です。フワノの生地にギバの挽き肉を包み込んで、それを茹であげたものですね」


『タウ油仕立てのギバ・スープ』は、俺とレイナ=ルウの競い合いによって、ほぼ完全に味が完成されている。

 それでもまだ趣向を凝らす余地はないかと思い、俺はワンタンの作製に思い至ったのだった。


 作製方法は何も難しくない。さきほどダリ=サウティに説明した通りだ。

 水で練ったフワノ粉を平たくのばし、塩とピコの葉とタウ油で味付けをした挽き肉を包み込む。ギョーザの要領で皮を閉じたら、スープとともにしばらく熱を通して完成である。


 ぷるぷるに茹であがったフワノの生地に、ギバの挽き肉の旨みが封じ込められて、これはなかなかの出来栄えであると思う。

 少なくとも、ルウ本家の女衆らには大絶賛をいただくことがかなっていた。


「ううむ、これは美味いな! 美味いし、何だか口の中が心地好い。そうは思わんか、ガズラン=ルティムよ?」


「ええ、非常に美味です」


 本日は、ガズラン=ルティムが普段以上に沈静な様子を保っていた。

 おそらくは、貴族たちの動向を静かに見守っているのだろうと思う。

 そうしてガズラン=ルティムに見守られながら、まずはポルアースが意を決したように匙を取った。


 丸っこい身体をさらに丸めて前かがみになり、器の中身をじっと覗き込む。それからゆっくりと木匙をつけて、おそるおそるスープを口にすると――


 その顔に、驚きの色が爆発した。


「これは――」と今度はせわしなく匙を動かして、何度も何度もスープをすする。

 そして、ついには白いワンタンが口の中に投じられ――


「美味い!」とポルアースは快哉の声をあげた。


「これがギバの肉か! アスタ殿、これは美味だよ! ……うん、これはまさしく、カロンの胸肉にも劣らぬ味わいだ!」


「ありがとうございます。光栄です」


 くすんというおかしな声が聞こえたので振り返ると、ティマロがそっぽを向いて苦笑していた。

 うっかり鼻で笑ってしまったのだろうか。


 しかしそのうすら笑いは、ほどなくして凍りつくことになった。


「うむ、これは美味い」とマルスタインも同意を示してくれたのである。


「なるほどな。宿場町ではギバの料理がたいそうな評判であると聞いていたが、これほど美味であるならば得心がいく」


「ええ、これは本当に美味ですね」


 と、かたわらのウェルハイドも大きくうなずいている。


「ファの家のアスタ殿、さきほどは失礼なことを言ってしまって申し訳ありませんでした。ギバの肉が固くて臭いなどというのは、ただの風聞であったようです」


「いえ、そのように言っていただけて光栄です」


 俺もようやく肩の力を抜くことができた。

 そこで「アスタ」とリフレイアに呼びかけられる。


「とても美味だわ」


「ありがとう。……あ、いや、ありがとうございます」


 気づくと、トルストもリーハイムも一心にスープをすすってくれていた。

 なかなか強烈な芳香を放っていた乳脂の汁物に圧倒されてしまうのではないかという危惧もあったので、これでひと安心である。


 その乳脂の汁物に口をつけた森辺の民たちは、今ひとつ反応が芳しくなかった。


「これもまたぬるぬるとしているな。城下町の民は、ぬるぬるとした料理が好みなのだろうか?」


「……それはカロンの乳脂の舌触りだと思われます。森辺の民らは、油というものを好まれないのでしょうかな」


「ふむ。ギバの脂ならば、いくらでも喰らうのだがな」


 ぶつぶつとぼやきながら、ダリ=サウティは木匙を口に運んでいる。

 フォウの家長やベイムの家長などは、ちょっと苦行僧のような面持ちになってしまっていた。


 かつてはポイタン汁をすすっていた森辺の民であるのに、そこまでティマロの料理が口に合わなかったのだろうか。

 まあ、乳脂と香草をふんだんに使った汁物料理というのは、俺もロイから味見をさせていただいたことがある。俺は苦手ではなかったが、あの複雑な味わいは、森辺の民には歓迎されないのかもしれない。


 そうして一同が何とかかんとか皿の中身をたいらげたところで、次なる料理が運ばれてきた。

 ティマロのほうはフワノ料理、俺のほうはポイタン料理である。


「ギャマの乾酪の帽子焼きでございます」


「ポイタンを使った、これはお好み焼きという料理です」


 帽子焼きというのは初めて聞いたが、ぱっと見にはグラタンかパイのような料理に見えた。

 陶磁の平たい大皿に、こんがりと焼き色のついた乾酪が蓋のようにかぶせられている。オーブンを有する城下町ならではの、実に食欲をそそられる見栄えと芳香である。


 で、こちらは『お好み焼き』だ。


 そもそもこのように一品ずつ料理を食していくという作法は、俺の実家でも森辺の集落でも馴染みがなかったので、ポイタンをどのように仕上げればよいのかと、頭を悩ませた結果がこれである。


 ざっくりと切ったティノとギバのバラ肉を、水で溶いたポイタンとギーゴのすりおろしたものでまぜ合わせて焼く。調味料は、タウ油をアレンジしたソースもどきに、キミュスの卵とママリア酢とレテンの油で作製したジェノス産マヨネーズだ。


 しかし、青のりや鰹節の代用品は発見できなかったので、いささか物足りないところではある。

 それで苦肉の策として、マルの塩漬けの塩を抜いて乾煎りしたものを上に降りかけさせていただいた。


 マルの塩漬けとは、ネイルがチット漬けの作製で使用していた、小エビかオキアミを思わせる甲殻類の塩漬けである。

 これだけ水の豊かな土地でありながら、何故だかジェノスには魚介の食材というものが皆無といっていいぐらい流通していない。その中で、貴重な魚介類であると思われるマルの塩漬けを、アクセントとして使用させていただいたのだ。


 鰹節の代わりにはならないかもしれないが、物足りなさは少しだけ緩和されたと思う。

 それにそもそも『お好み焼き』の原型を知らないルウ家の人々には、この料理ものきなみ好評であった。


 ちなみに、メインディッシュの肉料理の仕上げ以外では食堂に留まるべしと言われていたので、これを焼きあげてくれたのはレイナ=ルウたちである。

 この日のために修練を積んだので、仕上がりに問題はないようだった。


「これは、どのように取り分けましょう?」


 丸く焼きあげられた6つの生地を前にして、小姓が困惑気味に問うてくる。


「自分が切り分けるので、それをひと切れずつ配ってください」


 6つの生地を4つずつ切り分ければ、24枚だ。

 リフレイアにはひと切れで十分であろうし、ドンダ=ルウには3、4切れぐらい必要だと思う。


「さすがは渡来の民、実に不可思議な料理でございますな」


 このしばらくで自制心を復活させていたティマロが、薄く笑いながら自分の料理を取り分けている。


 その手もとを見て、俺は「あれ?」と内心で首を傾げることになった。

 香ばしい芳香をあげている乾酪の蓋が破られると、その下からはオートミールのごときどろりとした半液状の料理が出現していたのである。


 焼いたフワノをこまかく刻んで、それをカロン乳か何かでふやかした料理なのだろうか。乾酪の匂いに、濃厚なる乳の香りがブレンドされていく。


 で、さらに嗅覚を澄ましてみると、その向こう側にはツンとした香草の香りも感じ取れた。

 見れば、何やら茶色い落ち葉のような色合いをした細長い香草が、ところどころから顔を覗かせている。

 チットの実ほどではないが、なかなかに鋭角的な風味の香辛料を使用しているようである。


 その刺々しさと乳や乾酪の甘い香りが、俺にはいささかミスマッチであるように感じられた。


(これはまた、森辺の民には不評なんじゃないかなあ)


 しかし俺には、自分の料理の心配をすることしかかなわない。


「うん、僕は帽子焼きが好物なんだよ」


 やがて料理が行き渡ると、まずはポルアースが嬉しげな声をあげた。

 やはり、乳製品の甘さとエスニックな香草の組み合わせというのは、ジェノスにおいてポピュラーなものであるらしい。


 そんな中、「ぐう」と奇妙な声がした。

 お好み焼きをかじったらしいベイムの家長が、とても難しげなお顔になってしまっている。

 同じ料理を木匙で切り分けようと苦心しながら、フォウの家長が「どうしたのだ?」と小声で問うた。


「……べつだん、何でもない」


「ベイムの家長は、この料理が口に合ったのか」


「……そのようなことは、一言も言ってはいない」


「よいではないか。アスタの商売に反対することと、アスタの料理を美味いと感じることは、また別の話であろう?」


 ベイムの家長はぶすっとした顔で、実にすみやかにお好み焼きをたいらげてくれた。

 その正面に座していたポルアースには、きっと両者の会話が聞こえていたのだろう。ポルアースは食べかけの皿を置くと、興味深そうにお好み焼きを銀の匙で切り分け始めた。


 で――また「美味い!」と感嘆の声をあげる。


「これは美味いぞ。さっきの汁物に劣らず美味い! ……アスタ殿、この生地はフワノではなくポイタンなのだね?」


「はい。この料理にはポイタンのほうが向いているようだったのでポイタンを使用しました」


「すごく美味だよ! ポイタンでこんなに美味なる料理を作れるなら、これを宿場町で売りに出せば良かったじゃないか?」


「この料理は手づかみでは食べにくいので、軽食には向かないのです。できれば宿屋のほうで使ってもらえないかなとは考えています」


 そんな風に答えてから、俺はもう少々説明をつけ加えさせていただいた。


「それに、レテンの油やママリアの酢が使えないと、この上にかかっている調味料は作製できないのですよね。宿場町で売り出す際には、その点がちょっと弱くなってしまいます」


 ルウの女衆らは、それでもたいそう美味しそうにこの料理を食べてくれていたが、鰹節や青のりに加えてマヨネーズまで不在とあっては、今ひとつ物悲しい俺なのである。


 ちなみにこの料理をもっとも気に入ってくれたのは、焼きポイタンをこよなく愛するサティ・レイ=ルウだった。


「なるほど。しかし、このタウ油も何だか不思議な味わいだねえ? 妙にとろりとしているし、ママリア酢とは異なる酸味が含まれているようだ」


「それはタラパの酸味です。煮詰めたタラパやアリアをタウ油にまぜ込んでいるのです。とろりとした食感は、フワノの粉ですね」


「ううむ、感心した! ……どうかな、リーハイム殿? これがポイタンを使ったアスタ殿の料理なのだよ!」


 興奮さめやらぬポルアースの呼びかけに、しかめ面をしたリーハイムが振り返る。


「ポイタンがどうとか言う前に、何もかもが文句なく美味い。ファの家のアスタとやら、これは本当にギバの肉を使った料理なのか?」


「はい。これはギバの胸の肉を使っています」


「……しかしやっぱり、これがフワノではなくポイタンであるというのが、儂には何よりの驚きでありますな」


 と――リフレイアの隣に座した初老の男性、トルストが溜息まじりの声をあげる。


「ポイタンでこのような料理が作れるのならば、それは宿場町の民たちもフワノに見向きもしなくなるでしょう。……ジェノス侯よ、いったん引き受けたからには、儂もトゥラン家の立て直しには身命を注ぐ心づもりでありますが、しかし、このままでは1年と待たずして、トゥラン家の富は底をついてしまうやもしれません」


「そこまで悲嘆に暮れる必要はないだろう。前当主があちこちで結んでいた商売の話を、ひとつずつ解いていけばいいだけのことさ。むやみに買いあさっていた食材の取り引きから手を引くだけで、それなりの富を確保することは可能だろう?」


「その商売を取りやめるという作業にとてつもない時間と手間がかかってしまうのです。前当主は、シムやジャガルとも莫大な数の取り引きを結んでおりましたからな。それらをこちらの都合だけで無下にしてしまったら、トゥランのみならずジェノス自体が両王国からの信頼を失ってしまうことになるでしょう」


「だからそれには、何とか私も力を添えさせていただくよ。トゥラン家とは縁のなかった料理屋などに食材がゆきわたるように手配したり、何なら宿場町の店でも取り扱えるように手配すれば、届いてしまった食糧を無駄にすることもないだろう。……これまでは、トゥランの前当主が食材を独占するために、そちらの流通を封じていたのだろうからね。なかなか手に入りにくかった食材を好きなだけ買えるようになるのだから、それを福音と感じる者たちのほうが多いぐらいなのかもしれないよ?」


 悠揚せまらず、マルスタインは果実酒で唇を湿す。


「まあ、今はそのような雑事は忘れて、彼らの料理を楽しもうじゃないか。……ファの家のアスタよ、其方の料理はどれも絶品だ。その若さでこれほどの料理を作ることができようなどとは、驚きの一言に尽きてしまうね」


「……過分なお言葉をいただき恐縮であります」


 そんな言葉を返しながら、俺はリフレイアの心情を思わずにはいられなかった。

 しかしリフレイアは、やっぱり人形のような無表情でお好み焼きをついばんでいる。


「ファの家のアスタ、貴様の料理はまだ余っているのか?」


 と、ふいに遠くからドンダ=ルウが呼びかけてきた。


「はい。あと11枚ほど残っています」


「3枚よこせ。これしきの量では余計に腹が減るばかりだ」


 するとポルアースが「あ、僕も1枚お願いできるかな?」と便乗してきた。


「胃袋を空けておきたいところだけど、これは我慢がきかないよ! ああ、ギバの肉がこんなに美味であるのだったら、宿場町で売られていた軽食も食べておくべきだった! 一刻も早く無法者どもは捕らえてしまって、君の商売を再開させていただきたいものだね、アスタ殿!」


 さらにその後は森辺の民の全員とウェルハイドとリーハイムが追加を所望してくれたので、余分に用意した分も無事にさばくことができた。


 いっぽうで、ティマロのほうはマルスタインとポルアースが一杯ずつおかわりをしただけであったので、ずいぶん料理を余らせてしまったようだった。


 せっかくひとたびはご機嫌を取り戻したティマロも、また笑顔を引きつらせ始めてしまっている。


「……食事を余らせてしまうというのは、俺たちの流儀ではないのだが……」


 と、フォウの家長が俺だけに聞こえるよう囁きかけてくる。


「このような料理では、自分に配られた分を食べるだけで精一杯だ。何やら胸のあたりが重くなってきた。……貴族どもも同じものを食べていなければ、毒を盛られたのかと思えてしまうぐらいだぞ」


「そうですか……」


 多量の乳脂に、乾酪、カロン乳、という乳製品の波状攻撃が、森辺の民に痛撃を与えてしまっているのだろうか。

 俺も森辺の集落で晩餐をこさえる際は気をつけよう、と胸に刻んでおくことにした。


「ティマロの料理もアスタの料理も絶品だ。次の献立も楽しみだね」


 さまざまな感情にとらわれている人々の姿を楽しげに見回しつつ、マルスタインはそのように言った。

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