③かまどの間(上)
2017.12/24 誤字を修正
「……どうぞ、こちらです」
案内役をかって出てくれたのは、ルウ家の次姉レイナ=ルウである。
リミ=ルウは客人の刀を片付けるために建物の中に、祖母のティト・ミン=ルウは脂絞りの後片付けに、残りの女衆はそれぞれの仕事に戻るため、すみやかに離散していった。
かまどの間は、建物の裏手に設置されていた。
これぐらい大家族だと、広間と炊事場は別物になるらしい。本邸よりも二回りほど小さい別区切りの建物が背面に設置されており、そこにかまどの間と、食糧庫と、そしてギバの解体部屋が設けられているのだそうだ。
「あれ? そっちにもかまどがあるじゃないか?」
その建物の横合いに、アイ=ファの家と同じ造りをした石のかまどが、でんと控えていた。しかも、2台もだ。
屋外で、頭上には木材でこしらえた屋根まで設置されている。かまどは正面合わせでぽっかりと空いた口を互いに見せあっており、なんだかのっぺらぼうのにらめっこみたいである。
ただし、どちらも鉄鍋などは乗せられていない。
「これは肉を焼くときに使うかまどです。父のドンダは、ギバを煮るよりも焼くほうが好いていますので」
と、長い黒髪をおさげにした小柄な娘さんが、にこりと微笑む。
「なるほど! ギバ肉は焼くと煙がすごいもんなあ。こりゃいいや。それじゃあ今日はこのかまども使わせていただくよ」
「え? アスタはギバの肉を焼くのですか?」
俺は何がなしハッとして、娘さんのつぶらな瞳を見返してしまう。
何だろう。幼馴染と同じ名前をした娘に名前を呼ばれるのは、なんだかおかしな気分だった。
もっとも、玲奈のやつは高校生になっても「あすたちゃん」だったが。
「……ああ。今日は焼き料理の予定だけど、何かおかしいかな?」
「はい。わたしはリミから、とても柔らかい肉を食べたと聞いていました。だからきっと、それはギバの肉を煮込んだものだと思っていたのですけれども……」
「そっかそっか。だけどそいつはギバの肉を焼いたもんなんだ。まあ、色々と突拍子のない作り方なんだけど、ややこしい部分は俺が受け持つから、お手伝いをどうぞよろしくな?」
「はい! わたしにとってもジバ婆はかけがえのない家族なので、アスタにはとても感謝しています! 頑張ります!」
やっぱりこの娘さんは、リミ=ルウとかなり似ているかもしれない。無邪気で、明るくて、元気いっぱいで、すごく真っ直ぐな目つきをしている。
それに比べれば、ずいぶんどうでもいいことなのだけれども――身長はけっこうちっこいくせに、肉づきのほうは、けっこうその、色気の塊みたいな長姉さんと同じ遺伝子を受け継いでいるらしい。
腕にも足にもけっこう脂がのっていて、胸とおしりがとても女性的なラインを描いている。ウエストがきゅっとくびれているので太りすぎという印象はないが――ちょっと目のやり場に困る感じだな、これは。
大体、この集落の娘さんは薄着に過ぎるのである。胸と腰だけ隠せばいいというものではないし、その衣服も薄い布をくるくる巻きつけているだけなので、身体のラインは必要以上に出まくってしまっている。
そして彼女たちは、これまでに見た集落の女衆と異なり、「装飾品」というものを身につけていた。
グリギの実を編んだ腕飾りは標準装備だが、それ以外にも、鈍色に光る金属の髪飾りやら、耳飾りやら、足飾りやらで身を飾っており、そして――
「……あ。その首飾り」
「え?」
「君たちは、みんな3本の牙だか角だかを首飾りにしてるんだな。それは何かのおまじないか何かなのかい?」
「はい。女衆はギバを狩りませんので。男衆から、牙と角を授かるのです。森辺で健やかな生を送れるように、と」
その大胆な起伏を見せる胸もとに揺れる首飾りを押し抱くようにして、娘さんが幸福そうに微笑む。
「子どもだったら父親から、妻であれば夫から。自分で狩ったギバではないという証しのために、ひと揃いではなく1本欠けた3本の牙と角を授かるのですね」
「ふうん。面白い風習だな」とか答えたとき、何やらうなじのあたりがチリチリしてきたので背後を振り返ってみると、建物の壁にもたれたアイ=ファが実に冷ややかな目つきで俺たちのことを眺めやっていた。
もちろん、忘れていたわけではない。屋外に設置されたかまどを発見して気がそれていただけですよ、マイマスター。
「えーっと、鍋は四つあるんだよな? とりあえず屋内のかまどにひとつだけ火を点けさせていただこう」
「はい。ご案内します」
またにっこりと微笑んで、レイナ=ルウがアイ=ファのほうに足を進めていく。
その仏頂面に会釈をしてから、レイナ=ルウはアイ=ファのすぐ脇にあった横開きの扉をスライドさせた。
「こちらが、かまどの間です」
「ほいほい」と足を進めつつ、俺はアイ=ファに一声かけようとしたが、我が親愛なる女主人はぷいっと顔をそむけるような仕草とともに、俺より先んじて扉をくぐってしまった。
何だろう。よくわからないけど、すごくやりづらいかもしれない。
それはともかく、俺もそちらへ足を踏み入れる。
「へえ。こりゃあさすがに立派なもんだな」
その部屋は、大きさ的にはせいぜい8畳ぐらいだったが、そんなに調度が多いわけでもないので、ずいぶん広々として見えた。
室の中央に、四つのかまどが二つずつ並んでいる。ちょっと感心してしまったのは、それらのかまどの横合いに、丸太を土台にした作業台と思しき設備と、それにたっぷりと水の入った水瓶がそれぞれ一つずつ設置されていることだった。
薪も、どっさりと積まれている。
足もとは地面がむきだしで、木製の壁やら梁の張った天井などは、アイ=ファの家と大差ない。
ただし、その壁には大小さまざまな調理用の刀や、お玉、すりこぎみたいな攪拌棒などが掛けられており、戸のない棚には、器や木匙などの食器類がぎっしりと詰めこまれている。
これはまさしく、かまどの間だ。炊事場だ。調理室だ。
不覚にも、ちょっと胸が高鳴ってきてしまう。
それらの調理器具を吟味していると、かまどの前に屈みこんだレイナ=ルウがまた屈託のない笑顔で声をかけてきた。
「もう火を起こしてもよいのですね? わたしが承ります」
ウケタマワリマスときたもんだ。
無邪気なくせに、品はいいんだな。
ちなみに点火方法は、アイ=ファの家と同一だった。カラカラに乾かしたラナという草の葉を細い薪の先端にくくりつけて、それを勢いよく他の薪に擦りつけると、マッチみたいにラナの葉が燃えるのだ。
その種火が消えぬよう気をつけながら、薪に火が移るのを待つ。
俺などはまだ3回に2回は失敗してしまうのだが、無論のことレイナ=ルウは1発で成功させていた。
「うん。それじゃあ鍋には真ん中ぐらいにまで水をいれておいてくれ。火は、強火でな」
「はい」と答えて、レイナ=ルウはてきぱきと水を移していく。
……何となくまた首筋に視線を感じるのだが、この一幕に俺の落ち度は存在しないよな?
「よし、アイ=ファ、ギバの肉を貸してくれ。えーと、君、この台の上で肉を広げちゃってもかまわないかな?」
「はい、もちろん。……あの、よかったらわたしのことはレイナ=ルウと呼んでください」
「ん、ああ、そうだな。やっぱり知り合いと同じ名前ってのは、ちょっとおかしな気分になるもんなんだよ」
アイ=ファからギバ肉の包みを受け取って、ゴムノキモドキの葉を剥がしていく。すると、レイナ=ルウは横合いから俺の顔を覗きこむようにして、笑った。
「もしかしたら、そちらのレイナはアスタにとって大事な女性だったのですか? だからわたしのことをその名前で呼びにくいのでしょうか?」
「……別に、そういうわけじゃないんだけどな」
だったらどういうわけなのか。そんなもんは、俺にだってわからない。
だけど、そうだな――たぶんあいつは、家族の他では一番長い時間を共有した相手であり、恋愛感情なんかはこれっぽっちも抱いていなかったけど、この先もう二度と会うことはないのだろう、とか考えると――いつだって胸が苦しくなるような、そんな存在ではあるのだ。
だから、あんまりその名前を口にしたくはないし、耳にしたくもない。
なんてことは、たまたま同じ名前をしているだけの相手に伝えるべきではないよな、やっぱり。
「……え?」
葉っぱの包みを剥いていた俺の手に、小さな褐色の手がそっと重ねられる。
びっくりして視線を動かすと、ついさっきまでにこにこと笑っていたレイナ=ルウの顔が、泣いているみたいに曇ってしまっていた。
「ごめんなさい。わたしは何か、言ってはいけないことを言ってしまったのですね。アスタにそんな悲しそうな瞳をさせてしまいました……」
「いや! そんなことないよ! 本当に全然大丈夫! ちょっと考え事をしてただけだって!」
何なんだ? 俺はラブコメをするためにわざわざこんなところまで出向いてきたんじゃないんだぞ?
ああ、後頭部が痛い。氷でできたドリルか何かをぐりぐりとねじ込まれていくかのような感覚だ。こんなに視線を物理的感触として知覚できるなんて、俺には剣豪の才能でもあったのだろうか。
「お待たせーっ! アスタの刀だよーっ!」
「うわーっ!」と俺は叫んでしまった。
いきなり背中をぶすりと刺されたので、本当にそのへんの調理刀で「誰かに」切りつけられたのかと思ってしまったのだ。
「まあ、リミ、駄目よ! 刀で遊んではいけません!」
「えー? 鞘に入ってるからいいじゃん!」
俺は冷や汗をぬぐいつつ、リミ=ルウの指先から三徳包丁を奪い取った。
「そ、それじゃあ俺は肉を切りわけるから、人数分のポイタンを持ってきてくれるかな? それで、鍋の水が煮立ってきたら、全部投入しちゃってくれ」
「わかったーっ! レイナ姉、食糧庫に行こーっ!」
「うん」
仲の良さげな姉妹が炊事場を出ていくと、俺と俺の主人だけがその場に取り残された。
さっそくモモ肉のブロックにこびりついていたピコの葉を払い落として、その表面に包丁を入れつつ、俺はちらりと視線を飛ばしてみる。
我が主人は、壁にもたれて片膝あぐらをかいていた。
「……私などの出る幕は一切なさそうだな」
「そんなことはないよ! お前は俺の精神的支柱だ! お前がそこでそうして見守ってくれているからこそ、俺は安心して調理に励むことができるのさ!」
「……何を取り乱しているのだ、お前は」
取り乱してなんかいませんよ。取り乱しているとしたら、あなたのお声がいつになく低く冷たく凍てついてしまっているのが原因であるに違いありません。
だけど、これはアイ=ファと個人的な会話を交わす貴重なチャンスである。その冷たい眼光に辟易としつつも、俺はずっと胸中にたまっていた思いを吐き出してみることにした。
「……何だかさ、思っていたよりも気さくな連中なんだな、ルウの家の人たちってのは。俺はもっとこう、血の気の多い狩猟民族の代表格!みたいのを想像していたんだけども」
「知らん。私だって、リミ=ルウとジバ=ルウ以外の女衆と顔を合わせるのは、これが初めてなのだからな」
「あ、男衆とは顔を合わせてるんだっけ?」
「……ドンダ=ルウが嫁入りを申し入れにやってきたとき、3人の息子たちを引き連れていた。血の気の多い輩を待ち望んでいるならば、夕暮れ時を待て」
「いや、別に待ち望んでいるわけではないんだけど……」
そんなていどの言葉を交わしたぐらいで、もう仲良し姉妹が帰ってきてしまった。
両手いっぱいに抱えた平カゴのようなものに、ジャガイモモドキことポイタンが山積みになっている。14人分×2玉で28玉だから、さすがにすごい分量だ。
それでもって、姉妹の後ろにもう1名の助っ人が増えていた。ぽってりとした体格の、半白髪の老婆、ティト・ミン=ルウである。
「お待たせしましたね。わたしもお手伝いいたしますよ。……おお、これは立派なギバの足だ」
皺は深いが色つやのいい顔をほころばせて、婆さまがアイ=ファを振り返る。
「ファの家のアイ=ファ。あなたはひとりでファの家を守っていると聞いたけれど、それじゃあこのギバもあなたが仕留めたものなのかい?」
「……ああ。そうだ」と口調はまったく変わらないが、いちおうきちんと立ち上がりながら、アイ=ファがうなずく。
「大したもんだねえ。しかもファの家は他の家とも血の繋がりが絶えてしまったのだろう? あなたみたいな女衆が何者の力も借りずにひとりで家を守っているなんて、わたしには想像もつかない生き方だよ」
「……べつだん、どうということはない。父は私にギバの狩り方を教えてくれた。森辺で生きるすべを教えてくれた。何者の力を借りずとも、私は生きていくことができる」
「生きて、そして死んでいくのかい?」
老婆の顔が、何とも透き通った微笑を浮かべやる。
アイ=ファは口を開きかけ、そして何も語らぬまま、また閉じた。
「女衆が《ギバ狩り》をしていたら、子を為すこともできないじゃないか? ひとりで生きて、ひとりで死んで、そしてファの家は絶える。……あなたはそれで満足なのかい、ファの家のアイ=ファ?」
「……そうして絶えた家は、これまでに森辺でいくらでもあった。どの家もがルウの家のように力を持てるわけではないのだ」
「はて? 力とは何だろうね? わたしやレイナやリミなんかは、とうていギバなんて狩ることはできないよ? いやいや、男衆の中にだって、ひとりでギバを狩れるような人間はそうそういないだろうね。そう考えたら、あなたほどの力を持った人間など、そうそういないってことになるんじゃないのかい?」
「それは……」
「だけど、ファの血は潰えて、ルウの血は遺る。それはいったい何故なのか……なんてことを考えてみたら、もしかしたらファの血も潰えずに遺るかもしれないよ?」
「……ねえ、ティト・ミン婆は何のお話をしているの?」
退屈そうにポイタンの実をつついていたリミ=ルウが、不思議そうに問いかける。
老婆はそちらのほうを見て、何やら楽しそうに目を細めた。
「リミにもいつかわかる日が来るよ。……さて、鍋が煮立ったようだねえ」
「あっ! リミが入れる!」
どうやら家族間では苗字を名乗らないらしいリミ=ルウが元気に宣言して、壁から細身の調理刀を取りあげた。
そして、ぐらぐらと煮立った鍋に目を落とし、「あれれ?」と小首を傾げやる。
「何だか全然お湯が少ないよ? アスタ、こんなたくさんのポイタンをたった一つの鍋で煮ちゃうの?」
「ああ、それでいいんだ。昨日のあのポイタンが食べたかったら、残らず投入しちまってくれ」
「はーい!」
山積みになったポイタンに切れ目を入れて、どぼんどぼんと放りこんでいく。その頃には、俺もあらかたモモ肉の切りわけを終了していた。
調理用に脂身を切り落として、赤身のほうはミンチにしやすいように適当に切っただけなので、大した手間ではない。重量は、およそ5キロていどである。
すると今度はティト・ミン婆さんが俺のほうに笑いかけてきた。
「ファの家のアスタ。あなたは女衆よりも器用に刀を使うんだねえ」
「え? ああ、はい。俺は自分の国で料理人の見習いをしていたんですよ」
俺の返事に、ティト・ミン婆さんは「ふうん」といっそう目を細める。
「ギバを狩る女衆に、料理の得意な男衆かい。そいつは面白い組み合わせだねえ。だったら、わたしなんかが口をさしはさむ必要はなかったかもしれないね」
「そうだよ、ティト・ミン婆。他の家のことに口を出すのは、あまり良くないことだよ」
少し子どもっぽい口調で、レイナ=ルウが文句をつける。
何だか、アット・ホームだなあ。
しかし、俺の気持ちはあんまり安らいでもいない。
アイ=ファはいかがお過ごしであろうかと目を向けてみると、我が女主人はひたすら苦虫を噛み潰していた。