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異世界料理道  作者: EDA
第十三章 再生への道
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⑩貴族と狩人

2015.8/28 更新分 1/1

 そうして時間はせわしなく過ぎていき、作業は着々と進んでいった。


 作業手順は事前に計画を立てていたので、何も問題はない。

 レイナ=ルウたちにとっては手馴れた作業もあり、ここ数日で修練を積んだ作業もある。

 しかしいずれにせよ、その手際に不備は見られなかった。


 かまど番の筆頭たるレイナ=ルウとシーラ=ルウは言うに及ばず、リミ=ルウの手際も見事なものである。好きこそものの上手なりけりとはよく言ったもので、リミ=ルウのかまど番としての腕前は、すでにミーア・レイ母さんにも負けないぐらいの域にまで達しているように感じられた。


(そういえば、城下町の料理人ってのは男性ばっかりなんだな)


 俺の世界でも、比率でいえば圧倒的に男性が多かったように思う。

 確かに料理というやつは、意外に体力を必要とする。食材の切り分けや火を使った調理など、何十名分もの量ともなれば、ほとんど体力勝負とも言える。


 が、森辺の女衆は底なしの体力を有していたし、レイナ=ルウたちは調理に対する熱意も備えている。それでしっかりとした味覚も携えているのだから、これ以上に力強い仲間というものは考えられなかった。


(だけど……実際のところ、宿場町の人々と比べたら、そいつはいったいどれぐらいの腕前なんだろう)


 宿場町に、料理人という肩書きは存在しない。

 宿屋のご主人やおかみさんなどが、家庭料理の延長としての料理を売っているに過ぎないのだ。


 しかしそれは、レイナ=ルウたちとて同様である。

 森辺の女衆らは、この数ヶ月で俺から少しばかり手ほどきを受けただけで、それまでは、おそらく宿場町の人々よりも低い意識でかまど番の仕事をつとめていただけのはずだ。


 それでも彼女たちの作る料理が宿場町のそれよりも上をいっていると思えるのには――まず、俺と同様にギバ肉の存在が強烈なアドバンテージになっているのだろうと思う。


 現にネイルやナウディスなどは、ギバ肉を使ってそれなりの料理をこしらえることに成功していた。

 彼らには彼らで、チットの実やタウ油といった異国の食材というアドバンテージが存在するのである。その効果も相まって、現在の盛況はあるのだろう。


 しかし、最近ではカロンの乳や乳脂といった食材が宿場町にも流通しつつある。

 そしてサイクレウスが失脚したのちは、そちらで買い占められていた食材が、まずは城下町を潤わせた後、宿場町にまであふれかえる可能性がある。


 あまりに高額な食材なんかは見向きもされないだろうが、たとえばタウ油ぐらいの価格であれば、それほど無理もなく購入することはできるだろう。

 そうしたら、宿場町でも今以上の豊かな食生活が望めるようになるはずだ。


 そうなったとき、レイナ=ルウたちの腕前はどこまで通用するのか。

 大きく下回ることはないだろうが、上をいくことは可能なのか。

 俺としては、上をいけるように頑張ってほしい、と願わずにはいられなかった。


「あ、鐘の音!」


 と、ギバの肉をミンチにしていたリミ=ルウが楽しそうな声をあげる。


「面白いねー。四回鳴ったから、四の刻?」


「そうだね。これで残り時間は半分か」


 晩餐会は、日没を告げる六の刻から始められる。

 残された時間は、二時間強だ。

 作業の進み具合いは、至極順調である。


 と――そこで再び扉が外から叩かれた。


「アスタ。カミュア=ヨシュが面会を求めている」


 アイ=ファの声とともに扉が開かれて、カミュアのひょろ長い顔だけがにゅるりと室内に侵入してきた。


「やあ、アスタ。仕事中に申し訳ない。いくつか報告したいことがあるのだけれども、どうだろう?」


「ええ、かまいませんよ。どうぞ入ってきてください」


「いやいや。あちこち駆け回ってきたから埃まみれでね。こんな身で厨に汚れを持ち込んでしまったら申し訳ないので、ちょっとそちらが出てきてもらえないかなあ」


「はいはい、仰せのままに」


 俺は手ぬぐいで指先を清めつつ、そちらのほうに歩を進めた。

 カミュアの首が引っ込んで、それを追うように俺は扉の外に出る。


 回廊には、護衛役の2名の兵士と、アイ=ファたち4名の狩人と、カミュア=ヨシュと――そしてもう1名、見覚えのある若者が立ちつくしていた。


「あ、そちらは――」


「うん。バナーム侯爵家のウェルハイド殿だ。ジェノス城に立ち寄ったらたまたま顔を合わせることになったので、一足早くこちらにお連れしたんだよ」


 貴族らしい白皙に気難しそうな表情を浮かべた黒髪の若者が、無言で目礼をしてくる。

 よその領地の侯爵家の第六爵位継承者、というのがどれほどの身分なのかはピンとこないが、粗相があっては大変なので俺はそれなりの角度で頭を下げてみせた。


「会談の日から半月が経過したけれども、シルエルのほうは相変わらず知らぬ存ぜぬで沈黙を守っているらしい。やっぱり正式な審問が始まらないことには、なかなか埓が明かないようだね」


「はあ、そうですか」


「それでサイクレウスのほうも、ろくに口をきく元気もない上に、やっぱり何ひとつ語ろうとはしないらしい。このままサイクレウスが病魔に負けて息を引き取ってしまうようなことになると、いささかならず厄介な事態に陥ってしまいそうだね」


「ええ。その点については族長たちも危惧していました。やっぱりシルエルを正しく裁くには、サイクレウスの証言が必要となるのですよね?」


「うん。サイクレウスが死んでしまったら、シルエルもここぞとばかりにすべての罪を死者になすりつけようとしてしまいそうだからねえ。会談の場で凶行に及んだのだから、それでシルエルの罪が消えてなくなるわけではないけれども、やっぱり過去の罪についてもなるべく正確に審問していただきたいところだよ」


「……僕としても、そうして真実が闇に葬られてしまったら、父君に顔向けができません」


 と、厳しい表情でウェルハイドがつぶやく。


「父君に死をもたらした人間は、サイクレウスとシルエルのどちらなのか。せめてそれだけでも明かされないことには、僕のほうこそが憤死してしまいそうです」


「ええ。俺が預かっているレイトという少年もウェルハイド殿と同じ立場でありますので、その心中はお察しいたしますよ」


 そのとぼけた顔に可能な限りの真面目たらしい表情を浮かべつつ、カミュアはそのように相槌を打った。


「そういったわけでね。アスタにも色々と思うところはあるだろうけども、サイクレウスにはなるべく満足のいくような料理を届けてやってほしい。こちらが情理を尽くしても、あの御仁が改心するとまでは思えないけどね」


「……情理を尽くせるかどうかはわかりませんが、作ると決めたからには自分にとって最善と思える料理を届けたいと思っています」


「うん、まかせるよ。サイクレウスに晩餐を届けるのは、族長らの晩餐会を終えた後だよね?」


「はい。俺はその晩餐会に立ち会わないといけないようなので、その後になります」


 問題は、病床に伏しているサイクレウスに、俺の料理を口にする余力が残っているかどうかである。


 だけど俺は、自分にできる仕事を果たすしかない。

 実に複雑な心情を抱えこみながら、俺はカミュアたちに一礼してみせた。


「それじゃあ仕事に戻りますね。失礼いたします」


「あ、ちょっと待ってくれ! もうひとつ話が残っているんだよ!」


「はい? 何でしょう?」


「ええと……」と、カミュアは彼らしくもなく、もじもじとそのひょろ長い身体を蠢かせた。

 当然のこと、可愛らしくも何ともない。


「実はだねえ、非常にぶしつけなお願いなのだけれども……そのう、俺にもアスタたちの料理を分けてもらうことは、可能だったりするかなあ?」


「はい? それは、護衛役やかまど番のみんなが食べる料理のことですか?」


「うん。俺みたいな立場の人間が晩餐会に参加できるはずもないからねえ。だから、アイ=ファたちのために用意する食事なんかを、ちょっとばっかり恵んでもらうことはできないかなあと……やっぱり、無理な相談かなあ?」


「いえ。ギバの肉はたっぷり持参してきているので、この後に盛大な失敗でもやらかさない限りは、いくらでもご用意できますけど」


 俺の言葉に、カミュアはきらきらと瞳を輝かせた。

 この期待を裏切ったら、どれほど悲しい顔を見せてくれるのだろうか。ちょっと試してみたいような気もしたが、そこまで人の悪い真似はできなかった。


「それじゃあ、ご用意いたしますよ。かまど番の食事も晩餐会の後になるのでけっこう遅い時間になってしまいますが、それはご了承くださいね」


「もちろん! ありがとう! 恩に着るよ、アスタ!」


「……ギバの肉の料理というのは、それほどまでに美味なものなのですか?」


 と、ウェルハイドがいぶかしげに発言する。


「気分を害させてしまったら申し訳ないが、ギバの肉などはとうていまともな人間の食べられるものではないと伝え聞いています。角が生えるだの何だのというのは俗信なのでしょうけども、ジェノスにはバナーム以上に豊かな恵みが取りそろえられているのでしょう?」


「はいはい。俺もジェノス侯のお招きでとても物珍しい晩餐をいただいたことはありますけども、ギバの料理というのは――というより、アスタの料理というのは、それとも比較にならぬほどの絶品であるのですよ」


「いえ、あの、あまり過度な期待をかけられると俺も困ってしまうのですが……」


「大丈夫! アスタの料理には、食する人間の身分を問わない凄みのようなものが備わっているからね! 貴族であろうと平民であろうと、アスタの腕前を認めない人間などこの世には存在しないはずさ!」


 俺は深々と溜息をついてみせる。

 ウェルハイドはなおも不審そうに口を開きかけたが――その表情が、何故か途中で凍りついた。


「あの、アスタ、お話の最中に申し訳ありません。ちょっとおうかがいしたいことがあるのですが……」


 と、それと同時に背後から声をかけられる。

 振り返ると、扉の隙間からレイナ=ルウが半身を覗かせていた。


「新しい果実酒を開けてみたら、ものすごく酸っぱくて使い物にならないようなのです。他の果実酒を取り寄せることは可能なのでしょうか?」


「ああ、いや、それは果実酒と同じママリアの果実を使ったお酢っていう調味料なんだよ。普通の果実酒は、戸棚にまだ残っていると思うけど」


「あ、そうなのですか! すみません、早合点してしまって……」


「何も謝ることはないさ。ママリアの酢も、森辺や宿場町で取り扱えるようになるといいんだけどね」


 そんな風に応じながら、俺はそろりと視線を転じてみる。

 驚愕に目を見開くウェルハイドの視線の先には、当然のごとくレイナ=ルウの存在があった。


 レイナ=ルウもそれに気づいて、「あの、何か……?」と困ったように微笑する。

 ウェルハイドは、さきほどのロイと同じようにぶんぶんと首を横に振った。


(えーっと……つまり、ギバの恐ろしさを直接的には知らないであろう城下町やバナームなんかの人間の中には、森辺の民に対してそれほど強い差別感情を持っていない人も少なくはないってことなのかな)


 そんな俺の感慨を知ってか知らずか、カミュアは「さて!」と明るい声をあげた。


「あまり仕事のお邪魔をしても悪いので、そろそろ退散いたしましょうか。もうじきダレイム伯爵家の第二子息が到着するはずですので、そちらにもお引き合わせいたしますよ、ウェルハイド殿」


「あ、ああ、うん……よろしくお願いする」


 そうしてカミュアとウェルハイドは退去していった。

 レイナ=ルウは首を傾げつつ厨に引っ込み、それを見届けてからラウ=レイが「ふむ」と細い顎を撫でさする。


「まあ、いささか子供っぽい面は抜けぬが、レイナ=ルウもなかなかの器量であるからな。俺はアイ=ファのようにすらりとした美人のほうが好みだが」


「……いきなり何を抜かしているのだ、お前は」


 アイ=ファが怖い顔でラウ=レイをにらみつける。


「いや、俺は本心からそのように言っているのだ。以前にも告げただろう? お前が狩人でさえなければ、嫁に欲しいぐらいだとな」


「だから、いったい何の話を――」


「だから、女衆としての器量の話だ。俺たちもそろそろ嫁取りに本腰を入れねばならない時期だなあ、ダルム=ルウよ?」


 ダルム=ルウは、不機嫌そうなオーラを黒炎のごとくゆらゆらと撒き散らしながら、静かにまぶたを閉ざしていた。

 その口が低い声音で「ファの家のアスタよ」と俺を呼ぶ。


「はい!」


「……用事が済んだのなら、仕事に戻れ」


「はい……」


 ウェルハイドとラウ=レイのどちらがダルム=ルウの逆鱗を刺激したのか、俺にはわからない。

 ただ俺はその場に残されるアイ=ファのご機嫌を案じつつ、厨に引っ込むしかなかった。


(そういえば、ラッツやガズの男衆がアイ=ファに嫁取りを願い出た、なんて話もあったなあ)


 男女の間に発生してしまう気苦労というやつは、どこの世界でも共通なのだろうか。


 俺は何とか気持ちを切り替えつつ、自分の仕事に励むことにした。


             ◇


 そうしてさらに時は過ぎていき、壁の燭台に灯りが必要となった頃、無事に6種の料理は完成した。


 肉料理とフワノ料理――ならぬポイタン料理だけは出来立ての熱々を召し上がっていただきたいので、火を通されぬまま作業台に鎮座ましましている。


「リミたちが食べられるようになるのは、ドンダ父さんたちが食べ終わってからなんだよね? うー、お腹が空いたなあ」


「だったらつまみ食いをすれば良かったのに。竜田揚げをちょっぴりだけ揚げてあげようか?」


「ううん! お楽しみは後に取っておくの!」


 そんな会話をしていると、三たび扉が叩かれた。

 現れたのは、シフォン=チェルである。


「まもなく六の刻の鐘が鳴ります……アスタ様は、食堂に移動していただけますか……?」


「了解しました。前菜はもう持ち込んでもいいのですよね?」


「はい……当番の者がお運びいたします……」


 シフォン=チェルの声に従い、黄色いお仕着せの小姓が2名、厨に入ってきた。

 トゥラン家ではたびたび見かける小姓たちだが、この少年たちも以前とは違う顔ぶれなのだろう。


 車のついた瀟洒な台に、前菜の大皿と取り分け用の木皿が載せられる。

 埃よけの、クロッシュみたいなお椀形の蓋をかぶせておいたので、まだその中身は人目にさらされていない。


「あ、そういえば、毒見はしなくても大丈夫なのですか?」


「ええ……毒見というのは、前当主様の取り決めた習わしであったようです……」


「なるほど。そうだったんですか」


 カミュアは、トゥラン伯爵家の前当主は毒殺されたのだ、などと言っていた。

 真偽のほどは定かではないが、そのあたりの事情から発生した習わしであったのだろうか。


(俺たちはまだ、ジェノスの貴族っていうものについて、全然知識が足りていないんだよな)


 サイクレウスは、森辺の民を蛮人と蔑む悪逆な人間だった。

 シルエルも、それに輪をかけた人間性であるらしい。

 リフレイアは、どこか倫理観というものが欠落しているように感じられてしまう。


 しかし、ポルアースは明朗で屈託のない人間であるように思える。

 メルフリードはその逆で、厳格の度が過ぎている。

 サトゥラス家の傍流であるという法務官のザイラスは、まあ謹厳で信頼に足る人柄であるように思えた。

 ウェルハイドは、いかにも実直そうな若者だ。

 マルスタインは――まだよくわからない。


 が、マルスタインに限らず、どの貴族もまだごく短い時間しか接したことのない相手ばかりである。


 西の王国セルヴァにおける貴族とは、いったいどういう存在であるのか。

 彼らは森辺の民と相容れる存在であるのか。

 本日の晩餐会が、それをはかる試金石となるのだろう。


「アスタ、どうぞお気をつけて」


「うん、レイナ=ルウたちも」


 俺は、小姓の少年たちとともに厨を出た。

 ダルム=ルウとラウ=レイはその場に居残り、アイ=ファとルド=ルウが俺を警護してくれる。


 シフォン=チェルの導きで、俺たちは迷宮のごとき回廊を進んだ。

 そうして目の前に現れたのは、やはり見覚えのある立派な両開きの扉であった。


 去りし日に、リフレイアに呼びつけられた、あの部屋だ。

 そこにはリフレイアやディアルばかりでなく、ポルアースとアイ=ファまでもが顔をそろえており――そうして俺は、5日間にも及んだ虜囚の生活から解放されることになったのだった。


「森辺の料理人、ファの家のアスタ様をお連れしました!」


 ボーイソプラノの声で、少年が告げる。

 兵士たちの手によって扉は引き開けられ、そしてその光景が現出した。


 ジェノスの貴族らと森辺の族長らが一堂に会した、晩餐会の会場である。


「おお、ファの家のアスタよ。本日は大儀であった」


 朗々とした壮年男性の声が響きわたる。

 巨大な卓の上座に陣取った、マルスタインである。

 その隣には、見届け人という役割を担ったウェルハイドが座している。


 白くまばゆい輝きを放つシャンデリアに、部屋の四隅を守る半人半獣の石像たち、煉瓦の壁を覆う天鵞絨のタペストリーに、毛足の長い葡萄色の絨毯――以前に見た通りの、食堂の様相だ。


 あの日はずいぶんとゆとりのあった巨大な卓も、今日は大勢の客人たちで埋め尽くされている。


 右手側には、森辺の族長たち――

 ドンダ=ルウ、グラフ=ザザ、ダリ=サウティ、ガズラン=ルティム、ベイムの家長、フォウの家長。


 左手側には、ジェノスの貴族たち――

 リフレイア、その後見人であるらしい初老の男性、メルフリード、ポルアース、それにサトゥラス家の代表であるらしい痩身の青年。


 総勢13名の、錚々たる顔ぶれである。


 マルスタインとウェルハイドの左右には、白甲冑の近衛兵が2名ずつ、それに侍女と思しき若い女性らが1名ずつ控えている。

 さらに、貴族側の壁際には、俺と同じように2名の小姓を連れたティマロが背筋をのばして立ちはだかっていた。

 さすがに口もとを隠したりはしていない。お行儀のよい、取りすました表情だ。


「ファの家のアスタも、族長らの側に控えてくれたまえ。六の刻の鐘とともに、晩餐会を開始するからね」


「はい」とうなずき、俺は言われた通りの場所に陣取った。

 アイ=ファとルド=ルウは、閉ざされた扉の前に立ったまま、鋭い視線を室内に巡らせている。


 族長たちは、刀を預けたらしい。今この場で刀を有しているのは、上座に控えた4名の兵士とアイ=ファたちだけだった。

 むろん、次の間などにはどっさり近衛兵が待機しているのだろうが、森辺の民の身体能力を考えれば、瞬時で制圧も可能である状況だろう。


 きっとこれも、マルスタインにとって信頼の表明であるに違いない。


「ファの家のアスタは初めてであったね。こちらが今後、リフレイア姫の後見人となるトルスト殿で、そちらはサトゥラス伯爵家の第一子息リーハイム殿だ」


 だんだんと名前を覚えることが苦痛になってきた俺であるが、とにもかくにも一礼してみせた。


 トルストというのはくたびれたパグ犬のような顔をした小柄な初老の男性で、リーハイムというのは褐色の髪に油を塗りたくった痩せぎすの若者だった。

 トルストは、ポルアースとよく似た乳白色の長衣を纏っているが、リーハイムはマルスタインとよく似た襟つきのジャガル風の装束を纏っている。貴族の間でも、ジャガル風の装束というのは好んで着られるものであるらしい。


 しかし――それよりも気になったのは、リフレイアである。

 乱雑に切ってしまった栗色の髪は可愛らしいショートボブのスタイルに改められていたが、その面からはいかなる表情も消え去ってしまっていた。


 頭にはちょこんとティアラを載せて、小さな身体にはフリルとリボンだらけの白いドレスを纏っている。

 日に焼けていない肌と相まって、それはフランス人形のように可愛らしい姿であったが――同時にまた、精巧なつくりものみたいに人間味が感じられなかったのだった。


 むろん現在の立場を考えれば、傲岸にふるまうことなど許されないだろう。

 しかしそれでも――それはあまりに、かの小さな暴君らしからぬたたずまいであった。


「さて。それでは会食に先立って、私から挨拶をさせていただこうかな」


 相変わらずの気安い口調で、マルスタインはそのように申し述べた。

 褐色の長い髪を首の後ろでゆったりと束ねて、儀礼用の白いマントを肩口に垂らした、非常に若々しい容貌の男である。

 その茶色い瞳は明るく力強くきらめいており、綺麗に髭の整えられた口もとには快活な微笑が浮かんでいる。

 とりあえず、息子のメルフリードとはまったく似ていない。


「すでに告知されている通り、これは我がジェノスが森辺の民と絆を結びなおすための、親善の晩餐会である。これまで森辺の民との調停役はトゥラン伯爵家の前当主サイクレウスに一任されていたが、彼は二代前の森辺の族長であったザッツ=スンなる人物と共謀して、西の王国の領土に災厄をもたらしていたという疑いがかけられている。……我々にとって、それは未曾有といっていいほどの由々しき事態である」


 族長たちも貴族たちも、いっさい口を差しはさもうとはしなかった。

 リフレイアも、静かに虚空を見つめている。


「我々は、ジェノスを統治する身として、森辺の民とともにその罪を贖わなくてはならない。そのためには、これまで以上に森辺の民と心を通じ合わせ、手を取り合う必要があるだろう。……その一環として、本日をもってトゥラン伯爵家の当主の座はリフレイア姫に相続され、後見人にはトルスト殿が正式に着任することになった。また、森辺の民との調停役には、我がジェノス侯爵家の第一子息にして近衛兵団団長たるメルフリードが選出されたことを、この場で告知させていただこう」


 俺は、こっそり息を呑むことになった。

 リフレイアと後見人については既知のことであったが、マルスタインの代理人としてメルフリードが選出されたというのは初耳だ。

 だが確かに、これ以上マルスタインに近しい人間というのも、他には存在しないのだろう。


「私からは、以上である。小難しい話はまた晩餐の後に会談の時間をもうけるとして、今は料理番をつとめてくれたティマロとファの家のアスタの心づくしをぞんぶんに味わいつつ、どうか親睦を深めていただきたい」


 マルスタインは、ゆったりとその場にいる人々を見回した。

 リフレイアを筆頭に、表情らしい表情を浮かべている者はいない。


 ただ、ちょっとひさびさのポルアースはおどおどとした目つきで森辺の狩人らの姿を盗み見ており、その隣のリーハイムは少しふてくされたような面持ちで目を伏せている。

 これが伯爵家と侯爵家の差異なのか、年少のウェルハイドほど毅然とした態度を取りつくろうことはできていないようだ。


(だけど本当に、これはすごい光景だな)


 巨大な卓の右と左で、まるで異なる世界の住人みたいにかけ離れた風貌の人々が向かい合っているのである。


 ギリシア神話の登場人物みたいに白い長衣か、あるいは襟つきの西洋的な装束を身に纏った、高貴で、洒脱で、洗練された、石の都の貴族たち。

 狩人の衣を纏いつけ、野生の獣のごとき精気を発散させている、豪放で、強靭で、勇猛な、浅黒い肌をした森辺の狩人たち。


 これまでは、まったくといっていいほど交流のなかった貴族たちと森辺の民である。

 この夜で、80年間にも及ぶ断絶はどれほど埋めることができるのか――この段階では、まったく推し量ることはできなかった。


 しかし、それらの人々を真ん中の位置から見守る格好で、マルスタインはひとり悠然とした微笑を浮かべながら、満足そうにうなずいている。


 そのとき、どこからか重々しい鐘の音色が響いてきた。


「六の刻だ。……それでは、晩餐会を開始しよう」

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