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異世界料理道  作者: EDA
第十三章 再生への道
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⑦雌伏の日々(上)

2015.8/25 更新分 1/1 ・2015.9/2 ・2018.4/29 誤字を修正

 それからまた5日ほどが経過して、白の月の24日。

 その日も俺たちは、荷車にたくさんの料理を詰め込んで、宿場町へと下りていた。


 メンバーは、俺とレイナ=ルウ。それに護衛役の、アイ=ファ、ルド=ルウ、シン=ルウ、他3名の狩人たちである。


 実際のところ、料理と生鮮肉を宿屋まで運び、新たな食材を購入するだけの話であるのだから、すべてを狩人たちに一任することは難しくない。

 が、俺は自分の目で宿場町の様子を見ておきたいという気持ちがあったし、また、宿場町の人々とはなるべくこれまで通りに縁をつむいでいくべきであろう、というガズラン=ルティムからの提言もあった。


 マルスタインの采配によって宿場町の人々がどのような思いを抱くようになっているかを知り、そして、森辺の民がどのような思いでいるかを伝える、そのパイプ役としてはやっぱりファの家のアスタが適任であろう、というありがたい判断である。


 ともあれ、その日も俺たちは宿場町で仕事を果たした。

《玄翁亭》には60食分の『ギバのソテー・アラビアータ風』と20食分の生鮮肉を、《南の大樹亭》には70食分の『肉チャッチ』と30食分の生鮮肉を届けて、ドーラの親父さんの店へと向かう。


 まだ中天には時間があったので、ヤンの屋台は開かれていなかった。

 が、色とりどりのポイタンを扱っている屋台の数は、日を重ねるごとにじわじわと増えてきている様子である。

 道を歩けば、あちらこちらから乳脂の甘い香りも漂ってくる。


(カミュアやポルアースの目論見は問題なく進んでるみたいだな)


 サイクレウスとシルエルは、もはや逃がれようもなく裁きの時を待つ身となっている。

 他の貴族からの横槍を防ぐために、このポイタンを大々的に売り出す計略は必須であったのだ、とカミュアはそのように述べていた。


「けっきょく領土を支配しているのはその町の貴族たちだからね。サイクレウスの富と権力はジェノス侯に匹敵するぐらい膨れあがりつつあったから、外堀を埋める必要があったんだよ」


 会談の翌日あたりに、カミュアはそのように言っていた。


「たとえば首尾よくサイクレウスらを捕縛できたところで、ダレイム家とサトゥラス家が篭絡されてしまったら、公正な裁きも望めないかもしれない。法務官も審問官も、全員がいずれかの貴き家柄に根を持つ者たちばかりなのだからね。下手をしたら、ジェノス侯爵家と三大伯爵家の対立などという構図にもなりかねなかったわけさ」


 しかしこのままポイタンがジェノスの主食にまで成り上がれば、フワノの価値も大暴落して、近い将来にトゥラン家は大きく力を失うことになる。

 これならば、ダレイムとサトゥラスの両家がサイクレウスやそれに連なる者からの報復を恐れて及び腰になることはないだろう、という話であった。


 で――そのように財政が傾いて、なおかつ前当主は罪人として裁かれることになる。そんないわくつきのトゥラン家を、リフレイアは10歳かそこらの幼さで相続するわけである。

 しかもそれは、後見人とやらに実権を握られての、名目上の相続に過ぎないらしい。


 親の因果が子に報い――などという使い古された言葉が頭から離れない。

 トゥラン伯爵家もスン家と同じように、かつての当主たちの罪によって、その栄華を失うことになるのだろう。


 負の連鎖が、これで断ち切れればよい。

 俺としては、そのように願う他なかった。


「やあ、アスタ! 今日も元気そうで何よりだね」


 野菜売りの店に到着すると、ドーラの親父さんが満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。

 ここ数日、親父さんは心底から嬉しそうにしてくれている。


「そりゃあそうさ。貴族の悪玉が捕縛されたってんだから、今度こそ森辺の民の行く末も安泰だろう? こんなに嬉しい話はないじゃないか?」


 いまだサイクレウスたちの審問は開始されておらず、その配下である無法者どもの行方もわからない。至極平穏な日々を送りつつ、まだまだ森辺の民が心からの安寧を得られるまでには至っていないのだ。


 それでも親父さんは、幸福そうに笑ってくれていた。


「俺だって、一日も早くぎばばーがーを食べられるようになってほしいとは願っているけどさ。今はアスタたちの元気そうな姿を見ていられるだけで十分だよ」


 照れくさそうに笑いながら、親父さんはターバンのような白布に包まれた頭をかく。


「ただ、屋台を再開させるときは、なるべく早く教えてくれよな? 最近は、作るそばからポイタンを買われていっちまうから、なかなか在庫をおさえるのも大変になってきてるんだよ。ダレイム領主からのお達し通り、どんどんポイタンのための農地を広げていってるんだけどね。そっちで収穫できるのはまだまだ先の話だからさ」


「そうですか。まさしく嬉しい悲鳴というやつですね」


 何にせよ、親父さんの笑顔は俺に力を与えてくれた。

 が、その娘さんがいつになく暗い面持ちをしていることに気づき、俺は「あれ?」と首を傾げる。


「どうしたんだい、ターラ? お腹でも痛いのかな?」


 ターラは焦げ茶色の頭をぷるぷると振った。

 暗い面持ちというか、何かちょっとご機嫌ななめのお顔に見えてしまう。


「ああ、俺がちょいと叱りつけちまったから、へそを曲げてるんだろう。アスタが気にすることはないよ」


「へえ、そいつは珍しいですね。いったい何があったんですか?」


「いやあ、うん……昨日、あのレイトって男の子と道端で出くわしたらしいんだ。そのときに、ちょっとな」


 さっぱりわけがわからない。

 すると、ターラがその髪と同じ色をした大きな瞳で、俺の顔をじっと見上げてきた。


「……レイトもカミュアのおじちゃんも、森辺の集落にしょっちゅうお出かけしてるんでしょ? それでこの前は、アスタおにいちゃんの料理を食べさせてもらったって言ってたよ?」


「ああ、うん、この前は俺が料理の勉強をしてるところにやってきたから、ちょっと味見をしてもらったんだよね。……それがどうかした?」


「……ターラだってアスタおにいちゃんの料理が食べたいし、アスタおにいちゃんの家に遊びに行きたいよ」


 ターラの目が、じわじわと涙を浮かべ始めた。

 俺は困惑し、親父さんは溜息をつく。


「あんまり無茶を言うんじゃない。もうしばらくすれば、アスタだって屋台の商売を始められるだろうからさ。それまでは我慢しな」


「……父さんはいいよね。毎日宿場町に居残って、アスタの料理を食べられるんだから」


「馬鹿、俺は――」と、親父さんは気まずそうに口をつぐんでしまう。


 親父さんは、宿場町からそう遠くもないダレイムの農村に住んでいるにも拘わらず、毎夜のように宿屋の食堂を訪れては、森辺の民の悪印象を払拭するための啓蒙活動に勤しんでくれているようなのである。


 それならば、西の民の少ない《玄翁亭》や《南の大樹亭》ではなく、他の宿屋に出向いているはずなので、俺の料理などは口にしていないはずだ

 が、そこまでの詳しい事情は、きっとターラには話していないのだろう。


「ターラ、実は俺も今はルウの集落でお世話になっていて、もう10日以上も自分の家には戻っていないんだよ」


「え?」


「悪い貴族たちは捕まったけど、まだその仲間たちは捕まってないからさ。ルウの集落も、昼間はジェノス城の兵隊さんたちに守られてるんだ。レイトなんかは、カミュアと一緒だから森辺の集落に行き来できるんだよ」


「そうなんだ……」


 心配そうに、ターラが顔を曇らせる。

 その小さな顔に、俺はにっこり笑いかけてあげた。


「でもいつの日か、悪い人間はみんな捕まって――それで、森辺の民と町の人たちがもっと仲良くなれれば、きっとターラが森辺の集落に遊びに来られるようになるよ。それまでは、ターラも我慢してくれるかな?」


「……ターラにも、アスタおにいちゃんの料理を食べさせてくれる?」


「うん。そのときは腕によりをかけて美味しい料理を作ってあげるよ」


 ターラはようやく嬉しそうに笑ってくれた。


「その前に、まずは屋台の商売を再開させないとね。新しい献立が開発できたら、また味見をしてもらえるかな?」


「うん!」


 ぱたぱたと尻尾を振る子犬のような風情のターラを見下ろしながら、ドーラの親父さんは苦笑を浮かべた。


「まったく、アスタの料理がからむと普段以上に強情になっちまうからなあ。……世話をかけるね、アスタ」


「いえ」


 あなたたちからは、それ以上のものを受け取っています。

 そんな思いを込めながら、俺は親父さんにも笑い返してみせた。


 それから「時が移るぞ」とアイ=ファにせかされて、俺は慌てて買い物を済ませることになった。


 そうして街道を引き返していくと、あちこちから通行人に呼びかけられる。

 その多くは南の民であり、5人に1人ぐらいの割合で、西の民がそれにまじる。


 内容は、「いつ屋台を再開させるのか?」という質問と、あとは簡単な挨拶ばかりだ。

 寡黙なる東の民たちは、無言で会釈をしてくるか、あるいは訴えかけるような眼差しを向けてくるばかりである。


 サイクレウスにまつわる事件については、その大部分がすでにジェノス領主マルスタインの名で宿場町の人々にも届けられていた。


 トゥラン伯爵家の当主サイクレウスと、護民兵団団長のシルエルが、かつての森辺の族長ザッツ=スンと共謀し、数々の罪を犯してきたという疑いをかけられて、現在は審問と裁きを待つ身であるということ。

 そして、ザッツ=スンから族長の座を引き継いだズーロ=スンが、数十名にも及ぶ血族たちに、モルガの恵みを荒らすように命じていた。その罪で、やはりジェノス城に捕らわれたということ。


 それらの話が広まるにつれて、宿場町を包んでいた不穏な空気はだいぶん払拭されたと思う。


 森辺の民――というか、町で悪さをしていたスン家を擁護していたのは、ジェノス侯爵ではなくトゥラン伯爵であった、という事実も明るみにされたのだ。

 今後は森辺の民が罪を犯しても、不当に許されることはない。最後の大罪人ズーロ=スンも、まもなく裁かれることになる。それがジェノス侯爵その人の名において発布されたのだから、人々にとっては衝撃であっただろう。


 これでさらに、ジェノス領主と森辺の族長たちの間で和睦の晩餐会が開催されると告知されれば――確かに、さらなる驚きを与えるとともに、両者が過去の恩讐を越えて絆を結びなおそうとしている事実を正しく示すことができるのかもしれない。


「……そこにまたアスタの存在が引っ張り出されてしまうというのは、いささかならず不本意な気もしてしまうがな」


 ギルルの手綱を引いて街道を歩みながら、アイ=ファがそのように耳打ちしてきた。


 マルスタインから提示された晩餐会については、リフレイアに爵位を相続させるという話ともども、大筋において族長たちからも承認されることになったのである。

 現在は、日取りや参加メンバーなどを煮詰めている最中であるが、開催場所が城下町であり、俺が料理番をつとめるということは、すでに決定されている。


 近日中に、この決定もまたジェノスの全土に届けられることになるのだろう――サイクレウスの爵位がリフレイアに相続されるという決定とともにだ。


(だからたぶん……ジェノス侯にとっては、民衆の気持ちを晩餐会のほうにそらしたい、という意図もあったんだろうな)


 これまでの話で、唯一民衆からの反感をくらいそうなのはリフレイアの件のみであろう。

 かつて森辺の民アスタをかどわかしたサイクレウスの娘が、その罪を許されて、爵位を相続する。それとは比較にならぬほどの罪を犯したサイクレウスから爵位を奪うため、という説明がなされても、やっぱりそれは貴族への不審感を助長するような采配であると思われてしまうはずだ。


 そこに「ジェノス侯爵がギバの肉を喰らう」というセンセーショナルな話題をかぶせて、悪い印象を相殺させようと考えているのだろう、きっと。


 俺はそのように考えたし、また、ガズラン=ルティムも独自にその考えに行き着いていた。

 よって、その考えは族長たちにも伝えられ、その上で、マルスタインからの提案は受け入れられたのである。


 族長たちにしてみれば、お手並み拝見、といった心境なのだろうか。

 自分たちの君主でもあるジェノス侯爵マルスタインが、どのような手で事態の収束をはかるのか。あの優雅で陽気な貴族の男に、森辺の民は刀を捧げ続けるべきなのか、それを静かに見届けようとしているのかもしれない。


「まあ、さすがにここまで来て、ジェノス侯爵に寝首をかかれることはないんじゃないのかな。そんな真似をしたら、自分がサイクレウス以上に悪逆な人間であるとジェノス中に示すことになるんだろうからさ」


 俺はそのように答えたが、アイ=ファの顔から不機嫌そうな表情は消えなかった。


「うむ……しかし、会食の場が城下町であるというのが気に食わん。ギバの肉を口にすることで誠意を示したいというのならば、森辺の集落まで足を運ぶべきなのではないのか?」


「うん、そのへんはまあ貴族様なんだから、しかたがないよ」


 これだけ大きな町の領主が、ギバの徘徊する危険な森辺の集落を訪れるなんて、それこそありえない話なのだろう。


 それにまた、晩餐会においてはジェノスの側でも料理人を準備する、という話であったのだ。

 ジェノスの貴族と森辺の民が、おたがいに料理を供し合い、胸襟を開いて親睦を深め合う。それが、マルスタインからの提案であった。


 さすがに城下町の料理人を森辺の集落に呼びつけるわけにもいかないだろう。石組みのかまどしか存在しない森辺では、彼らも本領は発揮できないはずだ。


「何にせよ、これだけ大がかりな晩餐会のかまど番をまかされるなんて、誇らしいことじゃないか?」


 俺がそのように述べてみせると、アイ=ファは怖い顔をして口を寄せてきた。


「誇らしいけど、不本意なのだ」


 それは俺も、似たり寄ったりの心情である。

 しかしこれは、ジェノスと森辺の民が絆を結びなおすための、重大な通過儀礼でもあるのだろう。

 その料理人として選ばれたのなら、やはり誇らしいと思う。


 俺としては、全身全霊でその仕事に取り組む心づもりであった。


               ◇


「さて、献立はどうするべきかなあ」


 昼下がり。

 狩人たちが森に出ていった後、俺は本日も料理の修練に取りかかることになった。


 かまどの間には、レイナ=ルウとシーラ=ルウ、それにリミ=ルウが顔をそろえている。

 ルウの集落においては、3名の女衆を宿場町の仕事に割り振りつつ、残った者たちで日常の仕事をこなす態勢が完成されていた。ゆえに、屋台の仕事を休業している現在も、3名までは午後の空いた時間をまるまる料理の修練にあててもよい、という取り決めがなされていたのだ。


 今後も宿場町での仕事を担っていくレイナ=ルウとシーラ=ルウは固定メンバーであり、残りの1名枠は本家の姉妹たちが日替わりで受け持っていた。


 で――本日からは、いよいよ晩餐会に向けての具体的な修練である。


「晩餐会では、ずいぶん多くの品数を準備しなくてはならないのですよね」


 レイナ=ルウも、可愛らしく小首を傾げながら考えこんでいた。


 貴族の晩餐会においては、いわゆるコース料理のようなものが供されるのが常であるそうなのである。


 前菜と汁物から始まって、フワノ料理、野菜料理、肉料理――そして最後は甘い菓子でしめる。あわせて6種類の料理が必要となるらしい。


「まあ、何から何まで城下町の流儀に従う必要はないけどね。とりあえず、肉料理にギバの肉を使ってもらえれば。それ以外のことはどうでもかまわないよ」


 カミュアはそのように言っていたが、まあ、あえて流儀に逆らう理由もない。


「とにかく今回の会で重要なのは、ギバを使った肉料理だからね。まずはそいつを決定してから、残りの献立を考えようと思ってるんだ」


 言いながら、俺は作業台の上の木皿へと視線を落とした。

 木皿には、白い粉がこんもりと盛られている。


 フワノではない。

 ポイタンでもない。

 これはこの数日の間に俺が開発した、新たなる食材であった。


「それで、できればこいつを使ってみたいんだけど、どうだろうね。森辺の民には『ギバ・カツ』が好評だったし、貴族たちには『キミュスの唐揚げ』が好評だったみたいだから、こいつでそれに匹敵するような料理を作ることができたら、そいつを主菜にしてみようか」


「『ギバ・カツ』に匹敵する料理ですか」


 レイナ=ルウは、うっとりと目を細めた。


「そのような料理をあっさりと作られてしまったら、わたしは今以上にアスタとの力の差を思い知らされてしまいます」


 そのように言いながら、何とも幸福そうな笑い方をしているレイナ=ルウである。

 そのかたわらから、リミ=ルウは皿の上の粉をちょんちょんとつついている。


「これってチャッチから作った粉なんでしょ? いったいどうやったら、チャッチがこんな風になっちゃうの?」


「これはね、チャッチから絞った汁を干したものなんだよ」


 ジャガイモのごときチャッチをこまかく刻み、薄手の布に包んだ状態で、水を張った鍋に沈める。そうして入念にもみこんで、チャッチの汁を抽出し、しばらく放置しておくと、でんぷん質が底に沈殿する。何回かに分けて上澄みの水分を除去し、最後に残った沈殿物を干して乾かせば、完成だ。


 チャッチが本当にジャガイモと同じような成分を有しているならば、これは片栗粉と同じような食材に仕上がってくれているはずである。


 ポイタンよりも小麦粉に近いフワノ粉と出会った俺は、片栗粉の代用品たりうる食材も欲するようになってしまったのだった。


「これを使えば、『ギバ・カツ』よりも油分を控えめの揚げ物が作れるかなと思ってね。まずはそいつを試してみようか」


 小麦粉ではなく片栗粉を使用する、いわゆる竜田揚げを作るために、俺はこのチャッチ粉の作製に取り組んだ次第なのである。


 むろん、片栗粉には揚げ物以外にも使い道は山ほど存在する。が、森辺の民は俺が想像していた以上に揚げ物料理が口にあったようなので、そのバリエーションを広げたくなってしまったのだ。


 竜田揚げならば、卵を使わないし、衣も若干薄めになるので、『ギバ・カツ』よりも少しばかりはヘルシーなのではないのかなという思いもある。


 また、ルウ家ほど豊かでない氏族だと、フワノやら卵やらという新しい食材にもなかなか手がのばしにくい。そんな人々でも、この料理ならば親しみやすいのではないだろうか。


「とりあえず、試食品を作ってみるよ。レイナ=ルウ、ギバのラードを温めておいてもらえるかな?」


「はい」


「肉はさっき、薪割りの合間に漬けこんでおいたんだ。ミャームーと果実酒とタウ油で作った漬け汁で、漬ける時間は『ミャームー焼き』と同じぐらい。漬ける前に塩とピコの葉をもみこんであるから、あとはこのチャッチの粉をまぶして、『ギバ・カツ』と同じように揚げるだけだね」


「なるほど。それならば、漬け汁に使う食材の割合と漬ける時間で味が異なってくるのですね」


「そう、そのあたりも『ミャームー焼き』と同じ要領です」


 答えながら、俺はシーラ=ルウの表情をそっと盗み見る。

 ダルム=ルウが帰還して以来、シーラ=ルウは打ち沈んだ顔を見せることが多くなったように感じられるのだが、さすがに修練の最中には毅然とした表情を保っていた。


「ねえねえ。リミはまだ揚げ物の料理を手伝っちゃいけないの?」


 と、レイナ=ルウがラードを温めてくれている間に、リミ=ルウがそのように問うてきた。

 さすがに8歳児のリミ=ルウに危険な揚げ物料理をまかせる気持ちにはなれなかった俺なのである。


「そうだなあ。はっきり言って、ヴィナ=ルウやララ=ルウよりは、リミ=ルウのほうが安心してまかせられる気もするんだけど。とにかく熱した油ってのは危険だからさ。はねた油が身体につくだけで、一生消えない傷痕にもなりかねないんだよ」


「そっか……」とリミ=ルウは悲しげに目を伏せてしまう。

 ターラに引き続き、これまた胸の痛むお顔である。


「どうしたんだい? 今のところ、揚げ物に関してはレイナ=ルウたちと、あとはミーア・レイ母さんぐらいにしかまかせてないんだから、リミ=ルウがそんなに気にする必要はないと思うけど」


「うん……だけどやっぱり、今回もリミは連れていってもらえないのかなあと思って……」


「え? 連れていくって、城下町の晩餐会に?」


「うん。レイナ姉たちは、アスタの手伝いで城下町に行くんでしょ?」


 晩餐会の参加人数は、まだ決定されていない。

 しかし、森辺の側からだけでも族長たち6名の参加が決まっており、貴族の側もそれより少なくなることはない、という話であったので、最低でも十数名分の料理を準備することになるのである。


 貴族の側でも料理は準備されるので、ひとりひとりの分量は半人前で済むのだろうが、6種の料理ともなれば、なかなかの品数だ。

 よって、レイナ=ルウとシーラ=ルウの2名はすでに助手として参加することが決まっており、場合によってはさらなる人手が補充されることになる。


「うーん、どうだろう。料理の腕前に関しては、むしろリミ=ルウなんて願ってもない戦力なんだけど、何せ城下町だからねえ」


「でも、悪い貴族はみんな捕まったんでしょ? ドンダ父さんたちは、仲直りをするために城下町に行くんでしょ?」


「リミ、誰を連れていくのかを決めるのはドンダ父さんなんだから、あまりアスタを困らせてはいけないわ」


 レイナ=ルウの言葉に、リミ=ルウは「うん……」とまたうつむいてしまう。

 確かにこれは、俺あたりが迂闊に返事をしてしまえる話ではない。

 俺は白いチャッチ粉をまぶされたギバのロース肉を手に、リミ=ルウに笑いかけてみせた。


「ドンダ=ルウが帰ってきたら、相談してごらん。落ち込むのは、その返事を聞いてからでいいんじゃないのかな」


「そうだね」とリミ=ルウも自分を元気づけるように微笑んでくれた。

 そのあどけない笑顔を見届けて、俺は鉄鍋に向きなおる。


「さて、ラードの具合はどうかな?」


「はい。そろそろ頃合いだと思います」


 レイナ=ルウが、ラードに沈めた木串を指し示してくる。

 確かに頃合いの大きさをした泡がこぽこぽと浮き上がってきている。

 さらにレイナ=ルウは、チャッチ粉をひとつまみラードの中に投じ入れた。


 粉がラードの中に留まれば中温、浮かんでくれば高温である。

 ぱちぱちと音をたてながら、チャッチ粉は上のほうまで浮かんできた。


 そして、ジャガイモならぬチャッチ独自の性質で、爆発したり何だりしなかったことに、俺はほっと安堵の息をつく。


「よし。それじゃあこいつをお願いするよ。くれぐれも気をつけてね?」


「はい」とレイナ=ルウは緊張の面持ちでギバ肉を受け取った。

 揚げ物は調理の機会が少ないので、なるべくレイナ=ルウたちに実践の機会を譲っているのである。


 油がはねてしまわないように、レイナ=ルウはそっとギバ肉を投じ入れた。

 とたんに元気のよい音が弾け飛び、ちょっと離れたところで「うわあ」とリミ=ルウが目を輝かせる。


 数分待って、衣がキツネ色に変じてきたら、完成だ。

 グリギの菜箸を使ってそいつを引き上げたレイナ=ルウは「あれ?」と目を丸くした。


「衣が少し膨らんでいるように見えますね。わたしは何か失敗してしまったのでしょうか?」


「いや、チャッチの粉が油や空気を吸っただけだよ。これが『ギバ・カツ』とはまた違った食感になると思うんだ」


 実際のところ、カツと竜田揚げのどちらがヘルシーであるかなど、俺にも断言はしきれない。

 また、森辺の民にとって油分の摂取というのが必要なのか不要なのか、そんなことだってわかるはずもない。


 しかし、遥かな昔にハンバーグを作り上げたとき、道を決するのは自分たちだとガズラン=ルティムは言ってくれていた。

 味に溺れて健康を害するなら、それは自分たちの責任なのだと。


 そんな言葉に甘えてしまいたくはなかったが――それでも俺は、色んな料理で森辺の民たちに喜びを与えたい、という欲求を抑えることができなかった。


 俺の料理は薬なのか、毒なのか。それを疑問に思う用心深さだけは根っこに置いたまま、俺の料理を食べてほしいと思う。

 美食によって健康を害したというサイクレウスの話を聞いて以来、俺はいっそうその思いを新たにさせられてしまっていた。


「さて。そろそろ余分な油は落ちたかな?」


 俺は菜箸で揚がった肉を板の上に移し、刀で四等分にしてみせた。

 熱の入り具合に問題はない。肉は綺麗な象牙色に仕上がっていた。


「よし、それじゃあ味見をしてみよう」


「わーい」と無邪気な声をあげて、リミ=ルウが真っ先に竜田揚げをつかみ取った。


 それをぱくりと口に入れ、もぐもぐと何度か顎を動かすと――その小さな面には、とろけるような表情が浮かんだ。

 というか、完全にとろけていた。


 レイナ=ルウとシーラ=ルウも、ぞんぶんに喜色をあらわにしている。

 特に、シーラ=ルウが片方の頬に手をあてて、「んー」と子供のように声をあげているのが、びっくりするぐらい可愛らしかった。


「とても美味しいです。……わたしはぎばかつよりもこちらのほうが好きかもしれません」


「わたしは、同じぐらい美味だと思います」


「えーっとえーっと……リミも、おんなじぐらい好き!」


 三者ともに、『ギバ・カツ』と同等以上の評価をあげてくれたようだ。

 それらの笑顔にじんわりとした幸福感を得ながら、俺も自分の分を口に入れてみた。


 サクサクとしたカツの衣とは異なる、カリッとした食感である。

 その薄皮一枚の下には、とてつもない旨みをはらんだギバ肉の感触が待ち受けている。

 そして、ラードによって増幅された肉の風味と、ミャームーおよび果実酒の風味が渾然一体となって口の中に広がっていき――同じ揚げ物でありながら、『ギバ・カツ』とはまたまったく異なる味わいだ。


 俺としても、まずは文句のない出来栄えであった。

 味付けの微調整と、使用する肉の部位および切り分け方をさらに吟味すれば、どこに出しても恥ずかしくない一品に仕上がるだろう。


「それじゃあ、主菜はこれで決定しようかな」


 俺が宣言すると、リミ=ルウたちは笑顔でうなずき返してくれた。

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