④審問(中)
2015.8/22 更新分 1/1
「……我はまだ、其方らの名を聞いていなかったな……」
サイクレウスが、ゆったりとヤミル=レイを見つめ返す。
ヤミル=レイは、妖艶なる笑みを口もとに広げながら答えた。
「わたしはかつてスン本家の長姉であったヤミル=レイ。こちらから順に、ディガ、ドッド、ミダ。こちらは、オウラとツヴァイ。オウラはズーロ=スンの伴侶であった女衆で、それ以外の5名は全員、ズーロ=スンの子よ。……ただし、オウラの子であるのはツヴァイのみで、わたしたちは全員、母親が異なるけれど」
「ふむ……其方は確かに、ザッツ=スンの血を引く人間に相応しい豪胆さを有しているようであるな」
「過分なお言葉を賜り恐悦至極、とでもお答えすればいいのかしら?」
見ているこちらがひやひやしてしまうぐらい、ヤミル=レイの口調は挑発的であった。
「ところで最初に確認させていただきたいのだけれど、あなたはスン家の人間に対する処断が手ぬるい、という理由でわたしたちを呼びつけたのでしょう? わたしたちは、罪人としてジェノスの法に裁かれるのだ、という覚悟を携えてこの場に参じたのよ」
そのように言いながら、ヤミル=レイはかつての家族たちの姿を見回す。
その視線を受けて反応したのは、なんとミダだった。
「うん……ミダは悪いことをたくさんしてきたから、きちんとそれを……つ、つぐない……? つぐないをしなきゃいけないって、ルウのみんなに言われたんだよ……?」
これまでの会話をどれぐらい理解できているのか、ミダの言葉は子供のようにたどたどしく、そして涙ぐましいぐらいの真情にあふれていた。
「ミダはルウの家で森辺の民として生きていきたいから……どんな罰でも、泣かないで我慢するんだよ……?」
しん、と大広間が静まりかえる。
その中で、シルエルが「化け物め」と小声で吐き捨てる声が、妙にまざまざと響きわたった。
俺は一瞬で血管が切れそうなほどの怒りを覚えたが、すかさず隣から手首をつかまれたので、何とか自制を失わずに済んだ。
振り返ると、さきほどに劣らず両目を燃やしたアイ=ファが耳もとに口を寄せてくる。
「取り乱すな。同胞たちは、みな同じ気持ちだ」
「ごめん」とうなずき返してから、俺は荒ぶりそうになる呼吸を整えた。
やがて、冷たい笑いを含んだヤミル=レイの声が再び大広間に響きわたる。
「この通り、この中ではもっとも幼い考えをしているミダでさえ、相応の覚悟を固めていたのよ。それなのに、いつの間にか族長たちの下した処断が不当に重い、という話にすりかわってしまったのかしら?」
「……以前の会談の際には、まだカミュア=ヨシュやアスタなる者たちの企みを見抜くこともできてはいなかったのだ。それでも、其方たちの罪を改めて審問する、ということに変わりはあるまい」
「なるほどねえ……だけど、あなたがどのような思いを抱いていようとも、今さらスン家を族長筋として再興させるのは不可能なのよ、トゥラン伯爵様」
「ほう……それは何故であろうかな……?」
「少し考えればわかることでしょう? 長年に渡って同胞たちを裏切り続けてきたスン家を族長筋と認める人間なんて、今や森辺の集落にはひとりとして存在しない、ということよ」
ヤミル=レイは、冷然とそう言った。
「森辺の民は、裏切りや堕落を許さない。もしもスン家に再び族長筋の座などを与えてしまったら、すべての民が叛旗をひるがえすでしょう。もしかしたら、スン家を除く全員がモルガの森を捨ててしまうかもしれないわね。……伯爵様は、そのような結末を望んでいるのかしら?」
「……しかしまた、森辺の民は法や掟を重んずる一族でもあるのであろう? ズーロ=スンを除くスン家の者たちに罪はなし、という審問が下されれば、その限りではないのではないのかな……?」
「駄目ね。スン家の人間は、もう十数年間もまともにギバを狩ってこなかったのよ? 分家の者たちは他の氏族にギバ狩りの手ほどきを受けている最中だし、本家であった者たちは、見ての通りの体たらくだわ」
と、ヤミル=レイはしなやかな指先でディガたちを指し示す。
「まともにギバを狩る力もない人間を、森辺の民が族長と仰げるはずはないでしょう? あらゆる意味で、スン家にはもう森辺を統べる資格はないのよ」
事と次第によっては、自分が族長の座を担って、サイクレウスの懐中に飛び込んでもよい――そのように発言して、ジバ婆さんやグラフ=ザザに掣肘されていたヤミル=レイが、今度はそのような論調でサイクレウスに対抗しようとしていた。
思いも寄らぬ伏兵の登場に、サイクレウスもしばし黙考のかまえである。
すると、そのかたわらの弟が待ちかまえていたかのようにがなり声をあげた。
「女、もっともらしい言葉を並べ立てて悦に入っているようだが、そのようなものは蛮人の浅知恵だ! 厳粛たる法の前にそのような戯れ言は無意味であると知れ!」
ヤミル=レイは、冷ややかな流し目でシルエルを見る。
シルエルは、赤鬼のような形相で笑っていた。
マッシュルームのように切りそろえられた前髪が、ふるふると揺れている。
「資格とは、その人間の才覚に与えられるものではない! 血筋や立場に与えられるものなのだ! どのように無能でも、悪逆でも、然るべき血筋を有しているという、その一点こそが肝要なのである!」
「……無能でも、悪逆でも、罪人でさえなければ、それでいいと仰るの?」
「その通りだ! 俺と兄君ほどその苛烈なる真実に苦しめられてきた人間は他にいないのだからな!」
サイクレウスは表情を消して、何故かそのまぶたを閉ざしていた。
何となく――奇妙な雰囲気である。
「メルフリード殿やザイラス殿には、俺の言わんとしていることも理解できるであろう? 俺たちの父と兄は、無能であり愚鈍であった! 悪逆でこそなかったかもしれないが、トゥラン伯爵家の名を負うには足りない非才の凡夫であった! そんな父と兄がセルヴァのもとに召されるまで、俺たちは日陰者として生きていくことしかできなかったのだ!」
兄――現在の当主であるサイクレウスの上に、まだ兄弟がいたのだろうか。
何にせよ、顔を真っ赤にしてがなりたてているシルエルの双眸には、得体の知れない情念の炎がどろどろと渦巻いていた。
「それでも俺たちは、セルヴァが正しき道を示すまでは、辛酸をなめつつ耐える他なかった! その苦悩の末に、今のトゥランの繁栄はあるのだ! 森辺の民よ、貴様たちとて、ジェノスに生きるからには法に従う他はない! たとえ族長が無能であっても、愚鈍であっても、それを支えて、ともに生きていくことこそが唯一無二の道なのだ!」
「あなたたちがどのような生を強いられてきたのかはわからないけれど……スン家を再び族長筋に据えることが、そんなにもジェノスの法と合致するのかしら?」
いきなりの狂態をさらし始めたシルエルの姿をじっと見つめながら、ヤミル=レイはそのように応じた。
「スン家を族長筋と定めたのは、数十年前の同胞たちだわ。そして現在は、すべての家長たちの承認によって、ルウとザザとサウティが新たな族長筋に定められた。それはどちらもジェノスの法とは関わりのない領分であるはずだけれど」
「それが森辺の民のみで定められたことならば、我らが口を差しはさむ余地もなかったやもしれぬ……しかし、ジェノスに不和をもたらさんとする人間の思惑がからんでいるとすれば、どうであろうかな?」
サイクレウスが、復活した。
さきほどの奇妙な無表情と沈黙は何であったのか、粘っこい笑みを浮かべながらヤミル=レイの姿をあらためてを見つめ返す。
「カミュア=ヨシュや渡来の民アスタの策謀によって族長筋に祭り上げられた三氏族をそのまま認めることは、非常に危険なことであると、我には思えてならぬのだ……その三氏族が、スン家以上の混乱と災厄を森辺とジェノスの双方にもたらすのではないのか、とな」
「ならば、スン本家の長兄を新たな族長と定めるか?」
と――ドンダ=ルウが、初めてこの場で発言した。
激情に両目を燃やすグラフ=ザザやダリ=サウティよりも、その表情は冷静であった。
「何より血筋を重んじるというのならば、族長としての資格を持つのは、そこのディガだ」
ディガは、愕然とドンダ=ルウを振り返る。
無精髭の濃いやつれた顔には、ほとんど恐怖に近い表情が浮かんでいた。
「其方が長兄であったか、ディガ=スンよ……」
サイクレウスのねっとりとした視線がその姿をからめ取る。
「其方の父は、かつての家長として、かつての族長として、その罪を裁かれねばならぬ身である……その跡取りである其方には、一族を正しい道に導く責任があるのではないのかな?」
「お……俺は……」
ディガは、わなわなと震え始めた。
蛇ににらまれた蛙のような様相である。
「其方は、まだ若い……其方の祖父や父が踏み外してしまった道を、其方が身命をかけて正すことこそが、我には最善と思えるのだが……如何であろうかな……?」
ぐびりと音をたてて、ディガは生唾を飲み込んだ。
そして――何故か一瞬だけ俺やアイ=ファのほうを見やってから、言った。
「お、俺は……もうひと月も前にスンの氏を奪われた身だ。……お、俺に跡取りの資格などは、存在しない」
「ほう……しかし、氏を奪われるという裁きそのものが間違っていたならば、其方は依然として――」
「お、俺は、大罪人ザッツ=スンの恐怖に打ち勝てず、ドムの集落を逃げ出した! しかもその後、俺はザッツ=スンのもとからも逃げ出したんだ! そんな俺に、スン家を名乗る資格なんてあるわけがないじゃないか!」
と、いきなりディガはわめきだした。
痩せて落ちくぼんだ目に、うっすらと涙がにじんでいる。
「テイ=スンだって、俺たちと一緒にドムの集落から逃げ出した! だけどあいつはザッツ=スンのもとに留まったから、再びスンの氏を戻されることになって……それで、罪人として死ぬことになったんだ! テイ=スンを置き去りにして逃げた俺とドッドに、スン家を名乗る資格なんてない! あってたまるか! それでも俺にスンの氏を戻したいなら、お、親父と一緒に、頭の皮を剥げ!」
「……ディガが処刑されるなら、その次の跡取りは次兄の俺だな」
暗い声で、ドッドがつぶやく。
「だけど俺も、ディガと同じ気持ちだ。……それなら、次の跡取りはミダか?」
ミダは、きょとんとかつての兄たちを見下ろしている。
それを横目に、ヤミル=レイが艶然と微笑した。
「ミダはまだ14歳なのだから、家長としての資格が得られるのは1年後ね。それまでは、長姉のわたしが家長の座を守ることになるのだろうけど……もちろんわたしも、悪逆なるスン家の家長の座を引き継ぐなんて、ごめんだわ」
「……15を越える子がいない場合は、家長の伴侶が家を守る習わしであったわね」
オウラが、ツヴァイの手を握りしめながら、静かに言った。
「わたしも家長の座を守る意志はありません。どうぞディガたちとともに罪人として処断してください」
全員が、スンの家長の座を放棄した。
黙りこむサイクレウスを前に、ヤミル=レイは唇を吊り上げる。
「どうやら本家の人間だけでは用が足りなかったようね。本家に家長を継ぐ資格のある人間が絶えた場合は、その次に血の濃い分家に長の座は引き継がれるわ。……ただし、ズーロ=スンの兄弟はみんな子を残さずに死に絶えてしまったから、よほど血の薄まった分家の人間を家長に据えるしかなくなるでしょうね」
「…………」
「そこまで血の薄まった人間に、家長はつとまっても族長などがつとまるものかしら? そもそも、ザッツ=スンへの恐怖だけで縛られていた分家の人間たちに、そのような役回りを引き受ける気概が残っているとも思えないけれど」
そうしてヤミル=レイは、あやしい流し目でグラフ=ザザを見た。
「きっと分家の人間が家長となったら、一族総出で眷族の家人となることを望むでしょう。絶たれた血の縁を回復するというのなら、スンの眷族で一番大きな氏族はザザ家になるでしょうから、けっきょく族長の座はグラフ=ザザが引き継ぐことになるでしょうね」
「…………」
「スン家の族長筋としての血筋を重んじるなら、それが唯一の道となるわ。ご満足かしら、トゥラン伯爵様?」
「ふざけないでヨ! アタシとミダ以外の全員が死罪だなんて、そんなの許せるはずがないじゃないのサ!」
と、ツヴァイがぴょこんと立ち上がった。
「勝手に席を立つな!」とシルエルが吠え、「うるさいヨ!」とツヴァイがわめき返す。
「黙って聞いてれば、どいつもこいつも勝手なことばかり言ってサ! そもそもそんな風に貴族どもの言いなりになる筋合いなんてどこにもないじゃないか!」
「貴様! ジェノスの貴き血筋を蔑ろにする気か!?」
半ば無意識のようにシルエルは自分の腰のあたりをまさぐったが、もちろんそこにも刀はない。
その姿をにらみつけながら、ツヴァイは「フン!」と鼻を鳴らした。
「アンタたちが森辺の民の君主筋だって言い張るなら、アンタたちも責任を取ってみせなヨ! ザッツ=スンに好き勝手やらせてたのはアンタたちも一緒なのに、どうしてそんな風にふんぞり返っていられるのサ!」
「貴様――ッ!」
「森辺の民は、全員でザッツ=スンの罪を贖おうと決めたんだ! スン家の人間にとっては正しく生きていくことが贖罪で、その他の人間たちにとってはスン家を正しく導くことが贖罪なんだ! だからルウやルティムやドムの連中は、アタシたちみたいな厄介者を家人として迎えることにしたんだヨ!」
この中では一番小さな身体をしたツヴァイが、大事な母親を守らんとばかりに立ちはだかり、シルエルをにらんでいる。
そのぎょろりとした三白眼には、昨晩以上の怒りの火が燃えさかっていた。
「だけどザッツ=スンたちは、森辺の外でも罪を犯してた! それを知ってて見逃してたんなら、アンタたちだって同罪じゃないか! そんなアンタたちが、どうして森辺の民を責められるのサ!?」
「そんなものは、カミュア=ヨシュとかいう不埒者がでっちあげた讒言に過ぎん! 我々は、スン家の人間が罪を犯していたなどとは、まったく知らされていなかった!」
「だったら、アンタたちの目も節穴だったってことじゃないか。先に気づいたルウやルティムの連中のほうがまだマシってこったネ!」
そのように言ってから、ツヴァイは大きな目を半眼に隠す。
「それに――ディガやドッドは、前から言ってたヨ? 都の人間に、スン家の罪を裁く気概なんてないんだってネ。ドッドやミダが宿場町で騒ぎを起こしても、アンタたちが丸くおさめてたんじゃないの?」
「そうですね。前回の会談においてはその質問もはぐらかされてしまいましたが、今日こそは得心のいくお答えを聞かせていただけるのでしょうか?」
ガズラン=ルティムが長い腕をのばし、ツヴァイの身体をそっと席に引き戻しながら、穏やかに言葉を差しはさんだ。
「あなたがたは、ザッツ=スンらの悪行については何も預かり知らぬと言い張っていた。その反面、ドッドやミダなどの罪に対しては不当に擁護していましたね。そこには如何なる思惑が潜んでいたのでしょう?」
「…………」
「私はあなたに問うているのですよ、護民兵団団長シルエル。ドッドたちを擁護していたのは町の衛兵たちであり、あなたはその衛兵たちの長なのでしょう?」
「はん! 宿場町の衛兵どもの失態まで面倒を見きれるか! 俺の仕事は、護民兵団全軍の統率なのだ!」
「衛兵の統率はあなたの役回りではない、ということですか?」
ガズラン=ルティムの静かな追撃に、シルエルはこの上なく醜悪なうすら笑いで報いた。
「文句があるなら、衛兵長の首でもくれてやる。俺の知ったことではない!」
「それは衛兵長とやらの独断であったのですか? ミダが屋台を壊した際などには、城下町から出てきた兵士たちが賠償の銅貨を支払い、その場をおさめたと聞いているのですが」
「知ったことか! そのような真似をした人間が護民兵団に存在するというのなら、まずはその証しを示してみせよ!」
「……あなたのその言動は、とうてい理解や共感を得ようとしている人間のものとは思えませんね。非常に残念です」
ガズラン=ルティムは、同じ穏やかさを保持したまま、そう言った。
「実はアスタは、森辺の集落で生を受けた生粋の森辺の民なのです。……あなたはこのような言葉を聞かされて信じることができますか?」
「何? いきなり何を抜かしているのだ、貴様は?」
「森辺の集落には、ときおりアスタのような風貌の人間が生まれるのです。渡来の民などと名乗ったのはアスタの冗談に過ぎないので、彼がカミュア=ヨシュと共謀しているなどという疑いは今すぐに捨て去ってください」
「馬鹿を抜かすな! 今さらそのような言い逃れが通用するとでも――」
「では、アスタが渡来の民であるという証しが存在しますか? アスタはたまたまこういう外見で森辺に生まれつき、17年目にして初めて宿場町に足をのばしたという、ただそれだけの話なのですよ。そんな彼が、都の人間と共謀して森辺やジェノスに災厄をもたらすはずがないではありませんか?」
真面目くさった口調でそのように述べてから、ガズラン=ルティムはにこりと微笑んだ。
「あなたが述べているのは、このような言葉なのです。あなたが私を信じることができないというのならば、私もあなたを信じることはできません」
シルエルは、憤怒の形相で黙りこんだ。
そこにレイトが追い打ちをかける。
「それではそろそろ僕たちの出番でしょうか。証しのある話を取り沙汰したほうが、どなたにとっても有意義でありましょうし」
「……其方はカミュア=ヨシュの付き人であるそうだな、子供よ」
サイクレウスが、狡猾そうな目つきでレイトを見る。
「そして、10年ほど前に襲撃された商団の長の遺児であるとも聞いている。その境遇には同情の念も堪えぬが、今さら其方のような子供を証人として引っ張り出しても、有益な話が得られるとは思えぬのだが……」
「ええ。僕に証人としての価値などはありません。僕はカミュア=ヨシュの代理人であり、カミュア=ヨシュがジェノスに招いた証人というのは、こちらのバルシャです」
サイクレウスの目が、いぶかしそうに細められた。
その表情に、レイトはいっそうにこやかに笑う。
「カミュアが会談に間に合わなかったので、僕のことを苦しまぎれに証人として仕立て上げたとお思いでしたか? それは大いなる誤解です。カミュアがジェノスの外で捜索していたのは、こちらのバルシャの存在なのですよ」
そのバルシャは、無言でシルエルのほうをにらみつけている。
そちらを横目で確認してから、レイトはさらに言った。
「このバルシャは、今は亡き《赤髭党》の党首ゴラムの伴侶であった女性です。そう言えば、彼女に証人としての価値があるとご理解いただけますか?」
「伴侶……女性? その者が、女性であると……?」
「どいつもこいつも失礼なこったねえ。まあ、男あつかいされるのは慣れっこだけどさ」
バルシャは、にやりとふてぶてしく笑った。
その手が、髪をひっつめていた革紐を乱暴に引きむしる。
意外に長い黒褐色の髪が、ばさりと顔のほうにまで垂れた。
「どうだい? ちっとは女らしく見えるかね? 色っぽさとは無縁な面がまえだけどさ」
たぶん、誰もが異変に気づいていた。
ついさきほどまで真っ赤な顔をしていたシルエルが、石像のように硬直して、すっかり血の気を失ってしまっていたのだ。
「この10年とちょっとの間で、なまりきってた身体も鍛えなおしたことだしね。あの頃はずいぶんほっそりしてたから、見違えちまっただろう? ……あんたのほうは、一目でそれと知ることができたけどね」
「き、貴様はいったい何を……」
「とぼけるんじゃないよ。あたしの亭主ゴラムにバナームの使節団を襲ってくれって頼みこんだのはあんたじゃないか、シルエルとやら」
バルシャの瞳に、ふつふつと激情の火が燃えていく。
「違うってんなら、その愉快な髪の毛をちょいとかきあげてみせておくれよ。怒ったゴラムにざっくりと断ち割られた額の傷は、10年ちょっとで消えるもんでもないだろう?」
シルエルは、椅子の背もたれに背中を張りつかせて、おこりのように身体を震わせ始めていた。
その手が、きっと無意識にだろう、ゆたかな前髪に包まれた額におし当てられている。
「まさか、貴族が自ら盗賊団のもとに出向いていただなんて、僕もなかなか信じられなかったのですが、カミュアの予想は的中していたようですね」
レイトは、同じ表情で微笑んでいる。
「まあ、護民兵団の団長に任命されるまでは、あなたも存分に手は空いていたのでしょう。それに、このような悪巧みを肉親以外の手にゆだねられるほど、あなたは他者を信用していないだろうとカミュアは言っていましたよ、サイクレウス卿」
「なるほど……これもまたあの痴れ者の策謀であったか……」
サイクレウスは、陰鬱に笑う。
「シルエルの額に古傷があると知り、このような策謀を思いついたのであろうが……そこな女よ、生命が惜しくば、このような悪巧みからは手を引くがよいぞ……?」
「ふん、そんな心配はご無用だよ。生命をかける覚悟もなくって、貴族相手に喧嘩を売れるもんかね」
「ほう……本当に其方は理解できておるのかな……? 《赤髭党》の党首の伴侶といえば、子をなすまでは盗賊団の一味であったと目されていた人間であるのだぞ……?」
「そんなことは、誰よりもあたし自身が一番よくわきまえてるよ」
「ふむ……それならば、盗賊団の生き残りとして処断されることも覚悟の上、ということであるのかな……?」
サイクレウスの目が、毒々しく瞬いた。
「その罪は、十数年を経ても許されるものではない……其方が赤髭ゴラムの伴侶であると言い張るのならば、シルエルの去就とは関わりなく、其方も罪人として処断されることになるのだが……」
「くどいねえ。生命をかけるってのは、そういうこったろ?」
バルシャは猛々しく笑いながら、サイクレウスの眼光をはね返した。
「あたしは《赤髭党》の最後の生き残り、赤髭ゴラムの女房バルシャさ。首くくりにでも何でもするがいい。そんな覚悟の持ち合わせもなしに、城下町なんぞに足を踏み込めるもんかね」
俺は、思わず息を呑んだ。
そして、朝方のバルシャの様子を思い返す。
最後に一目、息子のジーダの姿を見たかったと言っていた――あのときのバルシャの言葉には、そこまでの覚悟が秘められていたのか。
俺の隣で、アイ=ファもまたくいいるようにバルシャをにらみつけていた。
「この身命と西方神セルヴァの名にかけて、誓わせてもらうよ。あたしは赤髭ゴラムの女房であり、そこのそいつはゴラムにおかしな悪巧みを持ちかけた罪人さ。もうじきバナームからご大層な使節団がやってくる。その日取りと道筋と警護の具合なんかをすべて教えてやるから、使節団を皆殺しにしてお宝を奪っちまえって、そこのそいつがあたしの亭主をそそのかそうとしてくれたんだよ」
「だ、黙れ! トゥラン伯爵家の正統なる血筋であるこの俺が、貴様たちのような盗賊団のもとにおもむくはずが――」
「ジェノスでは、伯爵家なんて木っ端貴族に過ぎないんだってね? 当主とその跡取り以外には、大した役職も富も割り振られないんだってカミュア=ヨシュが言っていたよ」
惑乱するシルエルを前に、バルシャは静かに猛っている。
「だから、当主の言いなりになって使い走りをさせられることになったのかねえ? まあ、何でもいいよ。あたしにできるのは、あんたが亭主をそそのかそうとした張本人だって証言することだけさ。後のことは、他の連中にまかせるよ」
何回目かの沈黙が落ちた。
それを破ったのは、メルフリードである。
「シルエル殿。貴殿は、バナームの使節団が襲撃されるのと時期を同じくして、護民兵団の団長に任命された。それは、サイクレウス卿からの強い要望があっての、異例の大抜擢であったのだと私は聞いている」
「…………」
「そして、貴殿はその座を獲得するなり、使節団と護民兵団の前団長を襲ったのは《赤髭党》であると断じ、討伐隊を進軍させた。……だが、それを《赤髭党》の所業と断じたのは、当時それほどの勢力を持つ盗賊団は《赤髭党》の他に存在しなかったゆえ、という話であったな」
「…………」
「しかし、同じように《赤髭党》の所業とされていたモルガの森の襲撃事件は、ザッツ=スンなる者たちの犯行だった。……貴殿らは《赤髭党》を配下に置こうという企みが破れたために、口封じの意味もあって《赤髭党》にあらぬ罪をかぶせたのではないのか?」
「馬鹿な! 《赤髭党》は、悪辣なる盗賊団だった! きゃつらが何年にも渡って罪を重ねてきたのは、まぎれもない事実だ!」
「それはもちろんその通りだ。いかに不殺の盗賊団といえども、それまでに犯してきた罪の重さに変わりはない。数々の略奪を働いてきたその者たちには、生命で罪を購ってもらう他なかっただろう」
ということは――やはりバルシャにも死罪が言い渡されてしまうのだろうか。
煩悶する俺のかたわらで、アイ=ファがぎりっと奥歯を噛み鳴らす。
「しかし、そうであるからこそ、法の刃は正しく揮われなくてはならない。いかに罪人といえども、あらぬ罪までかぶせられることなど許されるはずもないのだ」
「待たれよ、メルフリード殿……これはカミュア=ヨシュなる不埒者の企みである。あの卑劣漢めは幾重にも罠を張り巡らせて、我とシルエルを陥れんと画策しているのだ」
赤くなったり青くなったりしているシルエルをまた手で制し、サイクレウスがそのように言った。
その双眸には追いつめられた獣のような光を浮かべながら、まだその顔には歪んだ笑みをへばりつかせている。
「その女めは、確かに盗賊団の生き残りなのやもしれぬ……しかし、そうだからといって、その言葉のすべてが真実であるとは限らぬであろう……?」
「この者が、虚偽の言葉を語っているとでも? 己の生命をかけてまで、そのような虚言を吐く理由など存在するだろうか?」
「存在するのであろう……たとえば、己の生命よりも大事な存在をカミュア=ヨシュに握られているとすれば、どうであろうかな……?」
「はん! そいつはもしかしたら、あたしの息子ジーダのことかい? いくらカミュア=ヨシュが凄腕の《守護人》でも、あの跳ねっ返りをそう簡単に捕まえられるもんかね」
小馬鹿にしたようにバルシャが言い捨てた。
メルフリードに視線を定めたまま、サイクレウスは口もとをねじ曲げる。
「どうであろうかな……半月ほど前に、赤い髪をした子供の野盗が、そこのアスタを始めとする森辺の民を町中で襲ったという事件が起きているのだ。その野盗めが盗賊の遺児であるとしたら、カミュア=ヨシュと繋がりを持つアスタと接触している、ということになるのであるぞ? これは果たして、偶然であるのかな……?」
「偶然だね。あたしとジーダは、もう1年も前から行動を別にしてるんだ。あたしはあたしの意志で、あの子はあの子の意志で、それぞれ好き勝手に生きてるだけなんだよ」
バルシャはそう言ったが、サイクレウスはやはりそれを黙殺した。
「それに、カミュア=ヨシュには新たな嫌疑もかけられている……メルフリード殿も、森辺の民の装束を纏った野盗というものがダレイムの農園をいくたびも襲っている、という話は聞き及んでいるであろう……? あの事件もまた、我はカミュア=ヨシュめの陰謀だと考えておるのだ」
メルフリードは、無表情にその言葉を聞いている。
その冷たい灰色の瞳からは、いかなる感情も読み取れない。
「あの者は、森辺の狩人を数人引き連れて、ジェノスを出ていった……それからほどなくして、あやしげな野盗が農園に出現した……カミュア=ヨシュは、自分とともにある狩人たちをその犯人に仕立てあげて、護民兵団にそれを処断させようと目論んでいるのであろう」
「……それもまた、ジェノスと森辺の民の関係を引き裂くための策謀である、ということであろうか?」
「その通りだ……むろんシルエルも、そのように見え透いた策謀に引っかかるほど愚かではない。現在は、カミュア=ヨシュの手引きで無法を働いている罪人どもを捕獲するべく、討伐隊がジェノスの外までを巡回しているのだ。……もう間もなく、カミュア=ヨシュも罪人たちも、護民兵団によって捕縛されるであろうな」
あの騒ぎは、森辺の民ではなくカミュア=ヨシュを陥れるための策謀であったのか。
サイクレウスはきっと、誰よりもまず先にカミュア=ヨシュの口をふさごうと目論んでいたのだ。
(だとしたら、カミュアが戻ってこなかったのは正解なのかもしれない。……それとも逆に、カミュアがいないと埒が明かないのか?)
俺がそのように考えたとき、背後から何者かの声が響き渡ってきた。
「伯爵様、お客人が到着いたしました!」
分厚い扉の向こうから聞こえてくる、それはジモンの声であった。
サイクレウスの顔が、不気味な笑みを浮かべたまま凍りつく。
「客人だと……? 会談の参列者は、すでに全員そろっておるではないか……?」
「そのようなことはありません。僕などは、ただの代理人に過ぎないのですから」
明るい声音で、レイトがそう言った。
それで誰しもが、何者が訪れてきたのかを知ることができた。
やがて扉が開かれて、そこからは俺たちが予想した通りの人物が姿を現した。
「すっかり遅れてしまいました。皆様がお帰りになる前に到着することができて何よりです」
すっとぼけた笑いを含んだ声が大広間に響き渡る。
半月ぶりに見るカミュア=ヨシュが、飄々とした足取りで室内に踏み入ってきた。