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異世界料理道  作者: EDA
第十三章 再生への道
222/1675

③審問(上)

2015.8/21 更新分 1/1

「まずは、ジェノス侯爵マルスタインよりの言葉を伝えよう。……今回の会談を迎えるにあたって、侯爵はふたつの疑念を晴らすべしと申し述べられた」


 サイクレウスが、俺たちに手の甲を見せる格好で「まずひとつ」と人差し指を立てる。


「モルガの森の恵みを荒らすという大罪を犯したスン家の人間たちに、いかほどの罰が必要か、ジェノスの法に照らして、それをつまびらかにする、ということ……」


 ズーロ=スンたち7名は、まんじりともせずサイクレウスの言葉を聞いていた。


 ズーロ=スンはうなだれており、ディガとドッドは初めて踏み入った貴族の館に困惑の表情、ヤミル=レイとオウラは無表情で、ツヴァイは仏頂面――そしてミダは、相変わらずのぽけっとした顔である。


「そしてふたつ」とサイクレウスは中指を立てる。


「森辺の家人を名乗る渡来の民、ファの家のアスタの素性と目的をつまびらかにすること……この2点だけはどうあっても見過ごすことはできぬ、というのが侯爵のお言葉である」


「ふん、トゥラン伯爵は本当に潔白の身であるのか、という我々の疑念はジェノス侯爵にとってどうでもよい話である、ということか」


 不愉快そうに、ダリ=サウティが言った。

 サイクレウスは、にたにたと笑っている。


「案ずることはない、森辺の族長よ。それらの話はすべてひと繋がりになっているのであろうと、我は考えている。本日この席から離れるとき、我々の間には真なる理解と共感が芽生えていることであろう」


「そのときは、俺たちも森と西方神に惜しみない感謝の言葉を捧げることになるだろうな」


 ダリ=サウティが、分厚い肩をすくめる。

 サイクレウスは、ゆっくりと視線を動かした。

 ズーロ=スンたちを素通りして、その目が俺のもとで固定される。


「それではまず、ファの家のアスタなる者から審問を始めさせていただこう……」


 俺は背をのばし、サイクレウスの視線を正面から受け止めた。


「ファの家のアスタよ、先日は我の娘が大変な不始末を犯すことになってしまったが……皮肉なことに、それで其方の素性が我々の知るところとなった。其方はこの四大神の創世せしアムスホルンの子ならぬ、渡来の民である、と……それで相違はないであろうな?」


「はい。自ら渡来の民と名乗った覚えはありませんが、この大陸の生まれでないということは事実です」


「ふむ……確かに、渡来の民が自らを渡来の民と名乗ることはなかろう。……それでは其方らの流儀に従って、ここは竜神の民とでも呼ぶべきであろうか?」


「竜神の民――ですか?」


「渡来の民が崇めしは、海の支配者たる竜の神……それゆえに、渡来の民は自らを竜神の子、竜神の民と名乗っているのであろう?」


 そのような名前は、初耳だ。

 ここは真実を語るしかないだろう。

 俺はいっそう気を引き締めて、座り心地の悪い椅子に座りなおす。


「俺はこの大陸ではない島国の生まれですが、竜神というものを祀っていた覚えはありませんし、自分がその神の子であるという意識もありません。そういう意味では、俺は渡来の民ですらないのかもしれません」


「渡来の民では……ない?」


 サイクレウスの小さな双眸が陰火のように燃えた。

 そのかたわらで、シルエルが「何を馬鹿な!」とわめきたてる。


「海の外からやってくるのは総じて渡来の民、竜神の民だ! そのようなおためごかしで我々をたばかれると思うなよ、小僧!」


「いえ、何をたばかっているつもりもありません」


「ふん! 渡来の民は、その根をマヒュドラの民と同じくすると聞く! 太古の時代、大陸を捨てたマヒュドラの民が竜神の子となった、という伝承が残っているのだ! それゆえに、渡来の民はマヒュドラかシムとしか通商を結ぼうとはしなかった! マヒュドラの血族であるならば、渡来の民など我々にとっては不倶戴天の仇敵も同然なのだ!」


 そうなのか、と俺は口をつぐむことになった。

 ならばなおさら、俺は自身の潔白を示さなくてはならない。

 が、俺が反論の言葉を思いつくより早く、サイクレウスがいきりたつ弟を制した。


「しかし……その伝承の通り、渡来の民はその多くがマヒュドラの民と似通った姿をしていると聞く。金色の髪に紫色の瞳、赤く灼けた肌を持つ巨躯の蛮人……それが話に伝え聞く渡来の民の姿である」


 そうしてサイクレウスの粘着質の視線が、ねとねとと俺の姿をねめ回してくる。


「だが、其方はシムの民のごとき黒色の瞳と髪を持ち、肌の色は西の民さながらである……ということは……其方は真実、竜神の民ではない、ということになるのであろうか……?」


「はい。俺は日本という島国の生まれで、その民が竜神の子と呼ばれていたことはないと思います」


「にほん……その島国とやらは、いったいどこに存在するのであろうかな……?」


「それは俺にもわかりません。俺は自分の意思でなく、わけもわからぬままこの大陸の真ん中に放り出されてしまったのです」


 答えながら、俺はサイクレウスの様子が気になってしかたがなかった。

 おかしな感じに両目を光らせながら、少し興奮した様子で身を乗り出している。それは何だか――未知なる玩具を発見した幼子のように無邪気で、なおかつ不気味な姿に見えてしまったのだ。


「またわけのわからぬことを言いだしたものだな! このジェノスは、どこの海とも遠く離れた大陸の中央に位置しているのだぞ? 血筋どうこうを取り沙汰するまでもなく、海の外の人間などがこのような場所をうろついているだけで、それは不審である! あげくの果てに、自分の意思でやってきたわけではない、などとは――何か邪な企みがあってそれを隠しているのだと吐露しているようなものだぞ、小僧!」


 いっぽうのシルエルは、ずっと同じ調子でわめきたてている。

 何となく、失脚する前のディガやドッドを思わせるふるまいである。


 己の感情を制御することのできない人間が、強い権力と肥大化した自我を有してしまっている。雰囲気的には小悪党であるが、これは、かつてのディガやドッド以上に危険で厄介な相手であるように思えてならなかった。


「邪な企みなどはありません。俺は気づいたら、モルガの森の中で倒れていて――そこをこのファの家の家長アイ=ファに救われたのです。それで、自分の故郷に帰る手立ても見つけられそうになかったので、森辺の家人として生きていく決断を下したまでなのです」


 俺はシルエルを興奮させぬよう気をつけながら、それでも精一杯に毅然と言葉を返してみせた。


「それは何かの罪になるのでしょうか? 俺は海の外の生まれですが、森辺の民として生きていきたいと願っています。森辺の民が西方神セルヴァの子であるというのなら、俺もセルヴァの子として新たな生を得たいと願います」


「……己の神を捨てて、セルヴァの子となる、と……?」


「はい。それだけの覚悟は固めてこの場におもむいてきたつもりです」


 サイクレウスは身を引いて、背もたれに身体を預けながら、ザイラスという老人のほうに視線を向けなおした。


「どうであろうな、ザイラス殿よ……渡来の民がセルヴァの子となることは可能なのであろうか……?」


「そうですな。そのようなことは前例がありませんため、祭司長や神祀官などの意見をうかがう他ないと思われます」


 感情のない声で、老人はそのように応じた。

 メルフリードとは異なり、無理に感情を押し殺しているような様子である。


「では、その件に関しては祭司長らの言葉を待つ他ないが……ファの家のアスタよ、其方にはひとつ、重大な嫌疑がかけられている」


「重大な嫌疑?」


「うむ……それは其方があのカミュア=ヨシュなる不埒者と共謀して、ジェノスと森辺の民の関係を決裂させようと目論んでいる、という嫌疑である」


「何を馬鹿な」とアイ=ファが低く言い捨てた。

 その瞳に、おさえようもない青い炎が燃えあがる。


「トゥラン伯爵よ。私はこの数ヶ月間、アスタと生活をともにしてきた。アスタにそのような邪心がないことは、私が一番にわきまえている。そんな私にとって、あなたの言葉は私自身をも侮辱する言葉に他ならない」


「そうであろうか……? たとえどれほどの時間をともに過ごしても、他者の心情をすみずみまで知ることなどはかなわぬのではないのかな……?」


「アスタは他者ではない。私の家人だ」


 あくまでもその双眸だけを激しく燃やしながら、アイ=ファは低くそう言った。


「アスタが私を裏切ることはない。そうと信じられぬ限り、異国生まれのアスタを家人と認めることはない。……さきほどの讒言を取り消していただこう」


「私からも、発言させていただきます」


 と、ガズラン=ルティムも静かに声をあげる。


「アスタが宿場町で商売をしてみたい、と我々に協力を願ったとき、ルウの家長ドンダ=ルウもその一点に懸念を抱いていました。それゆえに、ドンダ=ルウは条件をつけたのです。もしもアスタがカミュア=ヨシュと共謀して、何かあやしげな企みを画策していたときは、その右腕を頂戴する、と。……こうしていまだにアスタが右腕を失っていないのは、彼がドンダ=ルウの信頼を勝ち得たという証しなのです」


「ほう……」


「アスタの商売に反対する者も、森辺の集落には多数存在します。しかし、アスタが都の人間と共謀していると疑っている人間などはひとりとして存在しないでしょう。あなたのさきほどの言葉は、アスタやアイ=ファのみならず、森辺の民のすべてを侮辱し誹謗する言葉なのだと思われます」


「なるほどな……しかし残念ながら、我々にはそのアスタという者の言葉を信じる材料がどこにも存在しないのだ、森辺の若き狩人よ」


 悠揚せまらず、サイクレウスはそのように言った。


「ファの家のアスタよ。其方がジェノスの宿場町に初めて姿を現したのは、緑の月の14日であると聞く……それに相違はないか?」


「ええ? 日にちまでは記憶していませんが、たしか2ヶ月ほど前のことだったと思います」


「宿場町の詰め所に、記録が残されていたのだ。其方らはその日にそこのスン家の次兄と町中で騒ぎを起こし、それをカミュア=ヨシュという男に救われたのであろう?」


 ドッドが、ぴくりと肩を震わせる。


「それから半月と経たぬ内に、其方は宿場町で屋台の商売を始め、ファやルウの家に恵みをもたらした……さらにその半月後にはスン家の罪が暴かれて、族長筋としての資格を失った……このような変事が続いたのは、すべて偶然なのであろうかな?」


「偶然というか……なるべくしてなった、ということではないでしょうか? 確かに宿場町で商売をする、という案を俺に与えたのはカミュア=ヨシュですが、それはそれだけのことです。彼はご存知の通り、メルフリードとともにスン家の旧悪を暴くという計画を立てていたため、森辺の民と宿場町の縁を壊してしまわないように、という思いも込めて、俺に商売を勧めてくれたのだと後から聞かされました」


「ふむ……しかし、最初にスン家の罪を暴いたのは、其方やルウ家の者たちなのであろう? カミュア=ヨシュの計略が実を結んだのは、その後のことであるはずだ」


 サイクレウスがいっそう奇怪な笑みを浮かべる。

 ガズラン=ルティムに「ムントのようだ」と言わしめた不気味な笑みである。


「カミュア=ヨシュはメルフリード殿を、其方は森辺の民をそれぞれ操って、スン家を失脚させた……最初から、其方はそのためにこそ森辺の家人になりすましたのではないのかな……?」


「なりすましたとは、どういう言い草だ」と、再びアイ=ファが双眸を燃やし、「何という目つきをする女だ!」と、シルエルがわめいた。


 しかし、サイクレウスの笑みは消え去らない。


「そのように考えたほうが、よほど腑に落ちるのだ……ファの家のアスタに、カミュア=ヨシュ、この両名が宿場町に姿を現してから、ひと月と経たぬ内にスン家は失脚した。その失脚に両名が関わっていたとあらば、それを偶然と片付けるほうが不自然であろう……?」


「そうしてスン家を失脚させたのは、ジェノスと森辺の間に不和をもたらすためであった、というお話であるわけですね。ですが、そのようなことをして、俺たちに何の利があるというのでしょう?」


「其方は渡来の民であり、カミュア=ヨシュはマヒュドラとの混血である……西の王国に災厄をもたらすのに、それ以上の理由など必要であろうかな?」


 もはや物理的な質量を有しているのではないのかというぐらい、サイクレウスの声はねばねばとしていた。


「そしてまた……それに加えて、我がトゥランの領土においては、多数のマヒュドラの民を奴隷として使役している。それゆえに、マヒュドラに根を持つ人間には恨みを買ってしまうという面もあるのやもしれん……」


「しかしさきほどもお話しした通り、俺は竜神の民ではなく、マヒュドラとも関係のない身です。西の王国に災いをもたらす理由はありません」


「渡来の民とは、総じて竜神の民である。確かに其方は竜神の民とも思えぬ風体をしているが、それのみをもって竜神の民でないと断ずることはできん」


 渡来の民というのがマヒュドラに近い一族である、というのは完全に計算の外であった。

 しかし、俺がこの大陸の生まれでないと明かしても、ジェノスの人々は特に敵意を向けたりはしてこなかった。だからたぶん、渡来の民がマヒュドラの血族であるというのはひとつの俗説に過ぎず、サイクレウスの言葉も言いがかりに過ぎないのだろう。


 だけどこれは、いったいどのように反論すればよいのだろうか。

 なまじカミュア=ヨシュとは共闘の関係にあるために、身の証を立てるのは非常に困難であると思えてならなかった。


「其方は料理人として、なかなかの手腕を有していると聞く……それで宿場町における商売で成功をおさめ、まずはファとルウの家に大きな富をもたらすことによって、信頼の足がかりとした……そうではないのかな、ファの家のアスタよ……?」


「違います。俺はただ、森辺の集落に今まで以上の豊かさをもたらしたいと願っただけです。自分のような異国生まれの人間がそのようなことを望むのはおこがましいかもしれないと思いながら、それでもアイ=ファやガズラン=ルティムの言葉を聞き、それでようやく決断することができたのです」


 すべてが、俺の真情である。

 しかし、それがサイクレウスらの心に届いているという気配は微塵も感じられなかった。


 当たり前だ。

 きっとこの連中にとっては、真実などどうでもよいのである。

 というか、自分たちにとって都合のよい話しか真実と認めぬつもりなのだろう。


 最初から心を通い合わせるつもりもない人間に真情をぶつけるというのが、どれほど虚しい行為であるか――俺は、胸中に満ちる虚無感を、全力でねじふせねばならなかった。


 そうして俺が新たな言葉を探している間に、発言する者があった。


「……サイクレウス卿よ、そのようなことを取り沙汰するのに、いったいどのような意味があるのだろうか?」


 メルフリードである。


「仮にこのファの家のアスタという者がカミュア=ヨシュの同胞であり、その目的が奈辺にあったとしても、私には関わりのないことだ。どうあれ、スン家の者たちが大罪を犯していたことに違いはないし、貴殿とシルエル殿にも同様の嫌疑がかけられているという事実にも変わりはない」


「大いに、意味はある……と、我は考えている」


 何かわめこうとするシルエルを手で制し、サイクレウスはそう言った。


「確かにスン家は大罪を犯していた……しかし、それが証し立てられたのは、ザッツ=スンとテイ=スンの両名が商団に扮した貴殿たちを襲ったということと……あとはせいぜい、10年ほど前にも商団を襲っていたらしい、というその2点のみであろう?」


「待て。その他にも、スン家はモルガの恵みを荒らしていた。だからこそ、ズーロ=スンは罪人としてこのように裁きを待つ身となったのだ」


 ダリ=サウティが、鋭く言葉をはさむ。

 サイクレウスは、そちらに向き直って、にたりと笑った。


「我らは実際にその情景を目にしたわけではない……ただ我らは、そのように言い張る貴殿らの言葉を信じる他なかった、というだけのことである」


「俺たちが、ありもしない罪でスン家を陥れようとしているとでも抜かすつもりか?」


 ダリ=サウティの声が、激情にひび割れる。

 普段は温厚で朴訥な人柄であるが、都の人間と相対するときは、彼も少なからず熱い血が騒いでしまうようなのだ。

 しかしそれでも森辺の民としては格段に理知的なタイプであるため、ガズラン=ルティムとともに彼が交渉役を担っているのである。


「貴殿らの全員が虚言を口にしているとは考え難い……しかし、高潔なる森辺の民ならばこそ、都の人間にたぶらかされてしまう危険性は否めぬのであろう」


「だから、スン家の人間をたぶらかしていたのは――」


「貴殿らは、ファの家のアスタやカミュア=ヨシュらにたぶらかされているのではないのか、森辺の族長らよ?」


 ダリ=サウティの言葉をさえぎって、サイクレウスはそう言った。


「確かにスン家の者たちは、モルガの恵みを荒らしていたのかもしれぬ……しかし、その罪を暴いたのは、誰であったかな? 家長会議の日に、ファの家のアスタの進言がきっかけとなってその罪は暴かれたのだと、貴殿たちはそのように申し述べていたはずであるが」


「その通りだ。アスタはかまど番を果たしていたのだから、誰よりも早くその事実に気づくことができた。何もおかしな話ではあるまい」


「ならば貴殿らは、ファの家のアスタに感謝したことであろうな。何せスン家は、十数年もの間、森の掟を破り続けていたのだから……」


「感謝したら、何だと言うのだ?」


 いよいよダリ=サウティの声から平静さが失われていく。

 サイクレウスは、それを逆なでするように微笑んだ。


「それこそが、ファの家のアスタの策略だったのではないのかな……カミュア=ヨシュとファの家のアスタは、スン家の罪を暴くことによって、メルフリード殿と森辺の民の信頼を勝ち得た。そうしてから、今度はありもせぬ罪をスン家と我々にかぶせて、さらなる混乱をジェノスにもたらそうと目論んでいるのだ」


「なるほど。つまり、スン家が犯していたのはモルガの恵みを荒らすことと商団を襲ったことのみで、それ以外のことはすべてカミュア=ヨシュの言いがかりである、と主張されているわけですね」


 ガズラン=ルティムが、沈着きわまりない声で応じた。


「バナームという町からの使節団を襲ったことや、護民兵団の長を殺めたこと――そして、それらの罪をあなたがたが《赤髭党》なる盗賊団になすりつけたことなどは、すべてカミュア=ヨシュの言いがかりに過ぎないと、あなたはそのように仰るのですね、サイクレウス」


「その通りである、森辺の若き狩人よ。カミュア=ヨシュは、その言葉に半分の真実をまぜることで、残りの半分の虚言を信じこませようと画策したのだ。……何とも悪辣な手口であるな」


 サイクレウスは痩せた腹の上で両手を組み、実にもったいぶった口調でそのように続けた。


「あの男は、マヒュドラとセルヴァの混血であるという……ならば悪縁のないシムやジャガルなどに身を置けばよいものを、わざわざセルヴァで不遇な半生を過ごし、セルヴァを憎むことになったのであろう……あのような男の邪念に巻き込まれてしまった森辺の民とメルフリード殿には、同情を禁じ得ない」


「……貴様はどうしても俺たちを正邪の区別もつかぬうつけ者と貶めたいようだな、サイクレウスよ」


 ついにこらえかねたように、グラフ=ザザが底ごもる声で言った。


「俺たちは最初から、カミュア=ヨシュなどという異国人を味方だなどとは思っていなかった。しかし、やつの言葉には信ずるに足るものを感じたからこそ、その真偽を見極めるために貴様と相対しているのだ、サイクレウス」


「それで……? カミュア=ヨシュの言葉のみを真実と信じ、我の言葉を虚言と疑う、その心情にはどれほどの正当性が存在するのであろうかな……?」


 言いながら、サイクレウスは視線をズーロ=スンのほうに転じた。


「ズーロ=スン……かつての森辺の族長よ……」


 ズーロ=スンは、虚ろな目つきでサイクレウスを仰ぎ見る。


「我が森辺の族長との調停役を任じられてから、すでに20と余年が経っている。最初の10年はザッツ=スンと、その次の10年は貴殿と縁を繋いできた我である……そんな我だからこそ、見える真実というものが存在する」


「…………」


「ザッツ=スンは、野心の塊のような男であった。その野心の牙が、いずれジェノスに向けられるのではないかと、我も危ぶんでいたものだ……しかし貴殿から、父親のような野心や邪心を感じることは、1度としてなかった」


「…………」


「貴殿は確かに、スンの血族を誤った方向に導いてしまったのやもしれぬ……しかし、貴殿もまたザッツ=スンに示唆された道を歩んでいただけなのではないのかな? そうだとすれば、貴殿のみが罪人として扱われてしまうのは、我には不憫と思えてならぬ……」


「不憫だったら、何だというのだ」


 グラフ=ザザが、苛立たしげに言葉をはさむ。


「そのような問答は、森辺の集落においても交わされている。それでも十数年に渡ってギバ狩りの仕事を打ち捨て、モルガの恵みを荒らしてきた罪は重い。……それにつけ加えて、スンの集落においては絶望に魂を腐らせながら死んでいく者も多かった」


「ほう……その罪をも、ズーロ=スンひとりに担わせようというのが、森辺の民の裁きであるのだな……?」


「ズーロ=スンは、族長であると同時に、スン本家の家長でもあったのだ。ザッツ=スンはすでに家長の座を退いていたのだから、この10年の罪はズーロ=スンが負う他ない」


 グラフ=ザザの瞳が、爛々と燃えている。

 そのズーロ=スンともっとも太い縁を結んでいたのは、かつて眷族であったこのグラフ=ザザであるはずなのだ。

 長きに渡って血の縁を重ねてきたスン家とザザ家なのである。その親筋たるスン家の家長を弾劾せねばならないグラフ=ザザの心情は如何なるものなのか、俺などには計り知れない。


 しかしサイクレウスは、そんな心情も知らぬげに嘲笑うばかりであった。


「ふむ……貴殿の申す通り、いかに不憫なれども、ズーロ=スンの罪を問わぬわけにはいかぬのであろう。……しかし、貴殿らが外部の人間たちにたぶらかされていたとなれば、また色々と話は違ってくるのではなかろうかな……?」


「……貴様はまだファの家のアスタやカミュア=ヨシュが俺たちをたぶらかしていると言い張るつもりか?」


「うむ……得心がいかぬのであれば、ここはジェノスの法務官たるザイラス殿に公正なる立場から意見を述べていただこうか……」


 と、サイクレウスの目が再び老人を見る。

 メルフリードのかたわらで、ザイラスは迷惑そうに顔をしかめている。


「ザイラス殿……民を誤った道に導こうとしたズーロ=スンには、やはり相応の裁きが必要となるのであろうな?」


「は……族長であり家長であったという立場の人間が、法や掟を破るよう他者に強いていたのならば、それは大きな罪となりましょう」


「では、その家族たちにも裁きは必要となるのであろうか……? そこに控えしズーロ=スンの家族らは、スンの氏を奪われて、他の氏族の家人となる、という罰を下されたようであるのだが……」


「それは、ジェノスの法に合致する行為とは言えぬでしょうな」


 感情を殺した声で、ザイラスはそう言った。


「森辺において、その氏族を統べるのは家長であると聞き及んでおります。ならば、家族といえども家長の言葉にあらがうすべはなかったでしょう。分家の人間たちに罪がないというのならば、その6名にも罪はない、ということになるのではないでしょうかな」


「分家の人間たちに罪がないとは申しておりません。彼らにとっては、森辺の民として正しく生きていくことが贖罪の道なのだと私たちは考えています」


 ガズラン=ルティムが、静かに言葉を差しはさむ。


「そして、スン本家であったこの6名も然りです。彼らは多かれ少なかれ、ザッツ=スンから悪い影響を受けておりました。その呪縛から解き放つという意味でも、彼らはスンの氏を捨てる必要がある、と私たちは考えたのです」


「ふむ……そして、スン家から族長筋としての資格をも奪い去った、ということであるな?」


 いよいよあやしげに両目を光らせながら、サイクレウスが笑う。


「その一点が、我には得心できぬのだ……そこに外部の人間の思惑が見え隠れしているとあっては、なおさらな」


「その措置に、アスタの存在は関わりありません。確かにスン家の罪を暴くのにアスタの存在は重要でありましたが、その後の道を決したのは、家長会議に集まっていた家長全員の意志です」


「しかし、スン家を失脚させることこそが陰謀の一環であったとなれば、話は変わってくるであろう? 現に貴殿らは、その後もカミュア=ヨシュらの口車に乗って、我を誹謗することになったのだからな。……そのような策謀の末に族長筋として選出された貴殿たちを、我らはどこまで信用してよいものか……我には、それが疑問に思えてきてしまったのだ」


 広間に、しばし沈黙が落ちた。

 サイクレウスがどのような論調で罪を逃れようとしているのか、その手札はだいぶん見えてきたように思える。


 想定内のこともあれば、想定外のこともあった。

 まずはどこから切り崩していくべきか――族長たちが静かに瞳を燃やしながら沈思している間に、その声があがった。


「それで……現在の三族長が信用ならないとしたら、いったいどうするおつもりなのかしら? まさか、スン家にまた族長筋の座を担え、とでも?」


 冷たい笑いを含んだ声――ヤミル=レイの声が、まずはその場の静寂を叩き壊した。

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