②集いし者たち
2015.8/20 更新分 1/1 2015.8/21 一部文章を修正
(これがジェノスの城下町か……)
荷車の振動に身をゆだねつつ、俺は初めて城下町の情景をはっきりと目にすることがかなった。
街路も家屋も石造りの、まさしく石の都の名に相応しいたたずまいである。
道は太く、建物は大きい。
ときおり街路樹なども立ち並んではいるが、土の地面というものはほとんど見当たらないし、行き交う人々はみんな裕福そうな身なりをしている。
だが、この城下町にはシュミラルやディアルなどといった異国の商人にも出入りが許されているのである。
トトスに重そうな荷を引かせている南の商人や、フードですっぽり顔を隠している東の商人なども、数は少なくない。
また、黄褐色や象牙色の肌をした西の民たちも、みんな小奇麗な格好をしてはいるものの、その大半はやはり商人であるように見受けられた。
城門からほど近いこのあたりは、商人のためのエリアなのかもしれない。
さらに進んで大きな噴水のある広場にまで差しかかると、そこには屋台の出店をも確認することができた。
(そりゃあまあ、城下町の人間だって働かないと食べてはいけないもんな)
これだけ大きな町なのだから、その住人の数は数千人か、あるいは数万人にも及ぶのだろう。
貴族など、その内のひと握りに過ぎないのだ。
山のように積み上げた野菜を売りさばいている男がいる。
道行く人に綺麗な布を広げてみせている女がいる。
赤い果実をかじりながら噴水の周りを駆けている幼子がいる。
そこには明るい活力があふれ、人々は平和な世を心から謳歌しているように見えた。
(森辺の民だって、こういった人々の安寧を脅かしたいわけではないんだ)
むしろ、この平和で豊かな生活を守るためにこそ、森辺の民は《ギバ狩り》という過酷な生を担っているのである。
このジェノスにおいては、トゥランやダレイムにしか大規模の田畑は存在しない。城下町の人間とて、石塀の外から食糧を買いあげて飢えを満たしているはずなのだ。
フワノも果実酒も各種の野菜も、質のよいものは高値で城下町に買いあげられることになる。宿場町には安物の酸っぱいタラパしか存在しない、と以前に誰かがぼやいていたが、高価で酸っぱくないタラパというのは、すべて城下町の住人に買い占められてしまっているのだろう。
(別にそれが悪いってわけじゃない。でも……この石塀の内側に閉じこもっている人たちは、森辺の民にこの豊かさを支えられてるってことすら、ろくに知らないんじゃないのか?)
もちろん森辺の民たちは、見返りや感謝の言葉を求めて狩人の仕事に励んでいるわけではない。
俺と一緒に窓の外を覗いているアイ=ファの面にも、これといって何の感銘を受けている様子はなかった。
だけど俺は、やっぱり少し腑に落ちない。
(サイクレウスなんかは論外としても、ジェノス領主のマルスタインとかいう御仁だって、いったいどういう心情でいるんだろう。石塀の内側さえ豊かで平和なら、あとのことはどうでもかまわないっていう考えなのか?)
そんな俺の想念も知らぬげに、トトスの荷車は軽快に街路を進み――そうしてついに、俺たちはその屋敷へと辿り着いた。
◇
「……到着いたしました」
御者の声が告げてくると同時に、後方の扉が大きく開け放たれた。
俺たちは、連れ立って荷車の外に下りる。
足もとには石敷きの地面が広がっており、目の前には石造りの館がそびえたっていた。
6日前に別離したばかりの、トゥラン伯爵家の屋敷である。
この建物もまた、明るい内に目にするのは初めてのことだった。
石というか、灰色がかった煉瓦のようなもので構築された大きな建物だ。
切妻形の屋根だけが、妙にくっきりとした黄色をしている。そういえば、かつてシュミラルもサイクレウス邸のことを「黄色い屋敷」と称していた気がする。
四角くどっしりとした様式であり、両翼のように建物が左右にのびている。
中央部のみが4階建てで、左右の棟は3階建てだ。
俺が捕らわれていたのは、向かって右側の棟である。
ここに至るまで、俺たちはさんざん城下町の町並みを見せつけられることになったが、これほどに立派な建物を他に見かけることはなかった。
俺の感覚に照らし合わせるならば、ちょっとした学校の校舎ぐらいのスケールを有する建物だ。
そのサイクレウス邸を取り囲むのは、高さが4、5メートルはあろうかという石の塀である。
俺たちが立っているのはその石塀の内側、4台の荷車と30名近い人間を収容しても余りある、広大なる中庭であった。
建物に向かって真っ直ぐ石の道がのびており、道の左右には青々とした芝生のような地面が広がっている。
夜間には、この空間に番犬が放たれるのだろう。
(……だけど、こんな大きな建物に家族は2人しか住んでないってんだもんな。それじゃあ大勢の使用人や兵士たちのためだけに、こんな大きな家を準備してるようなもんじゃないか)
そのようなことを考えていると、ジモンが「どうぞこちらに」と建物に向かって歩き始めた。
族長たちを先頭に、俺たちもそれに追従する。
正面玄関と思しき扉の前には、2名の兵士が立ちはだかっていた。
掲げているのは、銀色の穂先を持つ長槍である。
ジモンが数歩手前で立ち止まると、兵士のひとりが両開きの重そうな扉を引き開けた。
「さあ、どうぞ」
ジモンはさらに歩を進めていく。
が、ドンダ=ルウは動かなかった。
「待て。ここから先に進むのは、会談に臨む人間だけだ」
「……それはどういう意味でありましょうか? 護衛役の方々にも、控えの間を準備しておりますが」
ジモンの疑問に答えたのは、ドンダ=ルウのすぐ後ろにいたダン=ルティムだった。
「しかし、この扉をくぐれば刀を預けなくてはならなくなるのだろう? 刀なくして護衛役などつとまらぬからな! 俺たちはこの場に居残らせてもらおう」
「ですが……族長らのそばに控えていなければ、護衛の役などは果たせぬように思えてしまうのですが」
「案ずることはない! この建物ごと、族長らの身は守ってみせよう!」
そう言って、ダン=ルティムはガハハと大笑いする。
ジモンは「左様ですか」と小さくうなずいた。
「それではこちらも護衛隊を何名か配置いたしますので、あとはその隊長の指示に従っていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「おお、もちろん!」
「では、よろしくお願いいたします。……族長らは、こちらに」
笑顔のダン=ルティムや、真剣な面持ちをしたルド=ルウ、凶悪に目を光らせるダルム=ルウやディック=ドムなどに見送られて、俺たちは館の中に踏み入った。
まずは、広々とした玄関口である。
足もとには、ここからすでに赤褐色の敷物が敷かれている。
俺たちが全員そこに踏み入ると、重々しい音色をたてながら扉が背後で閉ざされた。
「ようこそいらっしゃいました……」
そこに待ち受けていたのは、黄色いお仕着せを着た10名ほどの小姓たちだった。
黄褐色か象牙色の肌をした、俺よりも年若いぐらいの少年たちである。
が、よほど訓練がゆきわたっているのか、目を伏せて立ち並ぶ少年たちは、いずれも能面のような無表情を保持していた。
「刀をお預かりいたします……」
その内の何名かが、うやうやしく手を差しのべてくる。
ドンダ=ルウたちは、無言のまま腰のものを受け渡した。
「……外套もお預かりしてよろしいでしょうか……?」
「断る。これは、狩人の誇りだ」
ドンダ=ルウの声は常よりも穏やかなぐらいであったが、問いかけを発した少年はびくりと首をすくませた。
その姿を一瞥してから、ドンダ=ルウは背後の同胞を振り返る。
「狩人の衣に鉄串や刀子を仕込んでいる者は、すべて引き渡せ。武器となるものを帯びていなければ文句はなかろう」
その言葉に従って、狩人たちはマントの裏側から言われた通りのものを引っ張り出した。
これで全員が、武器を失った。
最初から想定済みの展開とはいえ、やはりいくぶん心拍数は上がってしまう。
「では、こちらに」
ジモンの先導で、絨毯敷きの回廊を進み始める。
突き当たりを左に進むと、たちまち道筋は細くなって、迷宮のように入り組み始めた。
家屋の、左側の棟に移ったのだ。
俺にとってもこの棟は未踏の領域であったが、この狭苦しさと薄暗さには、激しい既視感を呼び起こさせられた。
壁にはいくつもの扉が設置されていたが、それらはすべて黙殺され、右に左にと道を折れていく。
この道筋の複雑さは、やはり侵入者を警戒しての造りなのだろうか。
屋敷の外に居残ったダン=ルティムたちとは、どんどん隔絶されていってしまう。
しかし、こういったサイクレウス邸の構造は、事前にドンダ=ルウに伝えていた。
その上で、ダン=ルティムたちは屋敷の外に配置されたのだ。
だから何も心配する必要はないのであろうが――俺の心拍数は上昇する一方である。
そうして最後には、煉瓦造りの螺旋階段をのぼらされることになった。
そのままさらに回廊を突き進んでから、ジモンはようやく足を止める。
やはり2名の兵士が長槍を掲げた、ひときわ大きな扉である。
その扉の前に立ち、ジモンは声を張り上げた。
「森辺よりの客人らがご到着いたしました!」
何かくぐもった声が返ってきて、それを聞き遂げてから、ジモンは扉を引き開けた。
ジモンはよどみのない足取りで室内に踏み入り、俺たちもそれに続く。
ついに――サイクレウスとの、再会だ。
「よくぞ参ったな、森辺の族長らよ……我の都合でこのような場所まで足を運ばせることになり、まことに申し訳ないことであった」
サイクレウスのしわがれた声が響く。
そこは、10メートル四方はあろうかという大広間であった。
床にはやはり赤褐色の絨毯が敷きつめられており、左右の壁際には大きな衝立が、正面の奥には緞帳のような幕が引かれている。
その、トゥラン家の紋章が刺繍された巨大な幕を背景に、サイクレウスが座していた。
「体調が思わしくないとのことであったが、口をきけるほどの力が残っていたのならば何よりだ」
ダリ=サウティが、ぶっきらぼうな口調で応じてから室内を見渡した。
それに合わせて、俺もこっそり観察の視線を走らせる。
とても豪奢でありながら、なおかつ殺風景にも感じられる部屋である。
衝立や幕や絨毯などは、もちろん見るからに上等な品であるようだが、それ以外には人数分用意された丸椅子ぐらいしか調度が見当たらない。真ん中に大きな卓でも置いたらちょうどよさそうな、奇妙にがらんとしたたたずまいであった。
俺たちの正面にはサイクレウスと、もうひとり見覚えのない人物が陣取っており、数メートルほどの距離を置いて、2名の人物がそれと向かい合っている。
メルフリードと、やはり見知らぬ白髪の老人だ。
「我の隣に控えているのは護民兵団団長のシルエルであり、メルフリード殿のかたわらに控えているのは、ジェノスの法務官ザイラス殿である」
これがサイクレウスの弟か、と俺はまず正面の人物に関心をかきたてられることになった。
図太くて大柄な身体を白い略式の鎧に包んだ、壮年の男である。
あぐらをかいた鼻が特徴的な、いかにもふてぶてしそうな面がまえをしており、それでいて褐色の髪をマッシュルームのようなおかっぱ頭にしているのが、何やら滑稽だ。
年齢は、四十路を越えたぐらいであろう。とりあえず、痩せこけていて老人めいた風貌のサイクレウスとはまったく似ていない。
ただ――色素の薄いその双眸だけは、サイクレウスと同質の粘っこい光をたたえているように感じられた。
いっぽうのザイラスという人物は、白い長衣の胸もとに黄金色の飾り物を光らせた、痩せぎすの老人である。
俺の位置からは横顔しか見えないが、むっつりと不機嫌そうな表情をしているようである。
「メルフリード殿の要望で、シルエルとザイラス殿にも同席してもらうことになったのだ。……族長らにも、異存はないだろうか?」
ドンダ=ルウは、無言でうなずいた。
その旨は、あらかじめレイトから伝え聞いていたのだ。
サイクレウスの共犯者と見なされているシルエルと、ジェノスの法に誰よりも精通している法務官を同席させて、今日こそはサイクレウスの旧悪を白日のもとにさらす。それがカミュア=ヨシュの計略であった。
ただしそのカミュア=ヨシュは、やはり不在だ。
カミュア=ヨシュが不在でも、メルフリードと共闘することはかなうのだろうか。
いくぶんの懸念を胸に、俺はメルフリードの姿をこっそり見やる。
ガズラン=ルティムから話には聞いていたが、兜を外した彼の素顔を見るのは、これが初めてのことだった。
色の薄い褐色の髪に、筋の通った鼻梁と、引き締まった顎の線。想像していたよりも眉目は秀麗であり、貴族らしい風格に満ちている。鍛えぬかれた長身を、やはり略式の白い鎧に包んだその姿は、ほれぼれとするような武者姿であると言えた。
しかし、灰色に光るその瞳は、やはり爬虫類のように冷徹である。
かつてのヤミル=レイともまた異なる、ひたすら冷たい無機的な眼光だ。
「さあ、まずは腰を落ち着けるがよい。森辺の族長らよ……」
サイクレウスにうながされて、ダリ=サウティが眉をひそめる。
「心遣いはありがたいが、森辺の民はこのようなものに座る習慣を持ってはいない」
「それは以前にも聞き及んでいる。……しかし本日は長丁場となろうから、ジェノスの風習に従ってはいただけぬかな? 自分たちのみが座しているというのは、なかなかに気分が落ち着かぬものであるのだ」
ダリ=サウティはさらに反問しかけたが、何かを思いなおしたような表情でサイクレウスの言葉に従った。
それで俺たちも、ダリ=サウティに続くことにする。
背もたれのない、木製の簡素な丸椅子である。
サイクレウスとその弟は、それこそ王侯のように大きな背もたれと肘掛けのついた席に座しているため、何だか最初から見下されているような心地を味わわされてしまう。
また、人数が多いため、座席は左右と下座に区分けされており、サイクレウスたちを遠くから半包囲するような格好になっていた。
もともとメルフリードたちが陣取っていた右手側にはレイトとバルシャ、それにアイ=ファと俺が座り、左手側には族長らの6名、真ん中の下座にはズーロ=スンら7名が腰を落ち着ける。
「では、御用の際はお呼びください」
と、俺たちが席に着くのを見届けて、ジモンはこの広間を出ていった。
それで俺は、もやもやと心中にわだかまっていた違和感の正体を知ることができた。
サイクレウスの周囲に、護衛の兵士が存在しないのだ。
以前の会談では20名もの兵士を引き連れていたという話であったのに、側近のジモンさえもが退出してしまった。
サイクレウスのかたわらにあるのは、鈍重そうな体格をした弟のみだ。
「……気を抜くなよ、アスタ。兵士どもは、あの巨大な幕の裏に潜んでいるようだ」
と、俺の疑念を察したかのようにアイ=ファが耳打ちしてきた。
「数は、20名……いや、もっと大勢やも知れぬ。どんなに息を殺しても、気配までは殺しきれていない」
「そうか。姿を隠させて、俺たちを油断させようとしているのかな」
「そうであるならば、片腹痛いとしか言い様もないが。しかし、そこのメルフリードなる者たちも、刀を帯びることは許されなかったようだな」
俺は驚いて、バルシャのひとつ隣にいるメルフリードの姿を盗み見た。
姿勢よく椅子に座したその腰に、確かにトレードマークたる2本の長剣が見当たらない。
「前回の会談においては、かの者とカミュア=ヨシュは帯刀を許されていたはず。……トゥランと城下町では習わしが異なる、というだけの話かもしれんが、とにかく用心だけは怠るな」
おそらくは完全武装をしているであろう兵士たちが数十名、サイクレウスの背後には潜んでいる。
それに対して、こちらは森辺の狩人が7名――ミダを含めれば8名を擁しており、バルシャやメルフリードもそれなりの実力者であるとしても、全員が素手である。
これで荒事に発展してしまったら、血を見ずに済むことなどできるのか。否が応にも、不安感をかきたてられてしまった。
そのとき――ふいに、ダリ=サウティが「ああ」と奇妙な声をあげた。
それと同時に、奇妙な匂いが俺たちのほうにまで漂ってくる。
「何だ、このおかしな香りは!」
シルエルが、つぶれた声でわめきたてた。
「失礼した。座ったはずみに、ギバ除けの実を踏み潰してしまったようだ」
「ギ、ギバ除けの実だと!?」
「うむ。我がサウティの家に伝わる、希少な果実だ。これを振りまけば半日はギバを除けることがかなうという大事な果実であったのだが、惜しいことをした」
何だかツンと鼻に刺さるような、あんまり好きにはなれなそうな香りであった。
「心配せずとも、人間には害のない果実だ。しかし、窓があるなら空気を入れ替えるべきであろうな」
「……このように日が高いのだから、窓はすべて開け放っている。かまいはせぬから座しているがよい、森辺の族長よ」
ねっとりと笑いながら、サイクレウスがそのように取りなした。
腰を浮かせかけていたダリ=サウティは「そうか」と座りなおす。
その窓というのは、俺たちから見て右手側の衝立の向こうにあるのだろう。壁の高い位置には明かりとりの小窓も切られていたため、室内はそこそこ薄明るく、空気も抜けていっている感じがする。
しかし、ギバ除けの実というやつはよほど強い香りを有しているらしく、俺などはむせこみたくなるぐらいの刺激を鼻腔に与えられてしまっていた。
「ひと月前、商団に扮した一団を先導した際も、このギバ除けの実を使わせてもらったのだがな。そんなものでは太刀打ちできないほどのギバ寄せの実を使われてしまったために、まったく無駄に終わってしまった。かえすがえすも、あれは忌々しい事件であったよ」
「……そのように急かずとも、いまだ中天の鐘は鳴っておらん。今日は心ゆくまで言葉を交わし、不幸な誤解を打ち消そうではないか……?」
同じ笑みをたたえたまま、サイクレウスはそう言った。
相変わらず病的に青黒い顔色をしているが、とりたてて体調が悪いようには思えない。
ただ――肘掛けにもたれて小さな身体をやや斜めに傾けているのが、いささか力なくは見えた。
「しかし……メルフリード殿に讒言を吹き込んだあの金髪の不埒者めは、どうやら姿を現さぬようであるな?」
と、サイクレウスの粘っこい目がメルフリードを見る。
「あれほどに我とシルエルを誹謗しておきながら、姿を隠してしまうとは……拍子抜けであり、また、腹立たしくもある。メルフリード殿は、いったいどのようにお考えなのであろうか?」
「とりたてて不都合は感じていない。もともとカミュア=ヨシュからは会談に間に合わぬ可能性もあると告げられていたし、その代理人もこうしてきちんと顔をそろえてくれているのだからな」
レイトはにこにこと笑っており、バルシャは正面をにらみすえている。
そのバルシャの口から、「そうか……」というつぶやきがもれるのを、俺は聞き逃さなかった。
「なるほどねえ……そういうことだったのかい」
たぶんその声は、同じ側の座席にいる俺やアイ=ファたちにしか聞き取れなかっただろう。
バルシャは勇猛なる微笑をたたえながら、サイクレウスではなく、その隣の弟の姿をにらみつけているようだった。
「まったくふざけた話だな! たまさかジェノス侯爵と面識を得ただけの風来坊が、よりにもよって俺や兄君を誹謗するなどとは!」
そのサイクレウスの実弟であるシルエルが、また濁った声でわめきたてる。
「護民兵団の長たる俺には、数々の任務が待ち受けているのだ! 城中の安寧さえ守っていれば済む近衛兵団とはわけが違うのだぞ! ……そうは思わぬか、メルフリード殿よ?」
メルフリードは何も答えず、ただ冷たい灰色の目でシルエルを見返した。
シルエルは、座ったまま子供のように足を踏み鳴らす。
「ふん、まあいい。その風来坊の悪辣な企みも今日限りだ! ジェノス侯爵家の第一子息という立場でありながら、そのような下賤の男の妄言にたぶらかされた罪は重いぞ、メルフリード殿よ?」
「横言はそれまでにしておけ、シルエルよ……どうあれ、今日という日にすべての真実は明らかにされるのであろうからな」
サイクレウスがそのように述べたとき、どこか遠くから、ゴォォォン……ゴォォォン……という重々しい鐘の音色が響きわたってきた。
太陽が中天に到達したのだ。
「……それでは会談を始めるとしよう……」
青黒い顔に奇怪な笑みをたたえながら、サイクレウスはそう言った。