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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
219/1675

⑬ルウ家の晩餐会(下)

2015.7/18 更新分 2/2

*本日は2話更新です。読み飛ばしのないようご注意ください。

*明日から書き溜め期間に入ります。ちょっと時間がかかってしまうかもしれませんが、ごゆるりとお待ちいただければ幸いです。

「ほら、お食べなさい」


 ヤミル=レイとオウラと俺で、料理の載った皿を男衆の前に並べる。

 その間も、ズーロ=スンとドッドは力なくスープをすすっており、ディガは『肉チャッチ』をもそもそ食べていた。


 ヤミル=レイはしばらくその姿を見つめてから、1枚の木皿を手に、きびすを返す。

 目指すその先には、ギバの毛皮を頭からかぶった魁偉なる狩人の姿があった。


「さあ、あなたも召し上がったら、グラフ=ザザ? あなたと同じようにファの家の行いに反対をしているベイムの家長も、熱心に味を確かめているようよ」


「……貴様の差し出口など、聞く筋合いはない」


「あらそう。まあ、お好きになさるといいわ」


 ヤミル=レイは優雅な仕草でグラフ=ザザの前に木皿を置くと、自分の座っていた位置に戻った。


「さあ、食べましょう、アスタ?」


「はい」


 俺は自分の席に戻るきっかけを失ってしまったので、ヤミル=レイの向かいに陣取ることにした。


 その耳に、「うぐ……」という奇妙な声が聞こえてくる。

 見ると、ディガが『ギバ・カツ』を一口かじり取った体勢で機能停止していた。


「その料理は、初めて見るわね」


 ヤミル=レイも、自分の皿から『ギバ・カツ』を一口食した。

 すると、切れ長の目が驚愕に見開かれてしまう。


「これは……何だか凄い料理ね、アスタ?」


「森辺の民には、その『ギバ・カツ』が好評のようですね。でも、食べすぎると太ってしまうかもしれないので気をつけてください」


 食事の場で毒だ何だという無粋な言葉を使いたくなかったので俺はひかえめに表現したつもりであったのだが、ヤミル=レイは「え」と不安そうな表情になり、しなやかなラインを描くお腹に手をあてた。


「あ、いや、これぐらいの量なら大丈夫です。そんなに不安そうなお顔をなさらないでください」


 あまりの微笑ましさに口もとをゆるめてしまったのが悪かったのか、「……嫌な人ね」と上目づかいでにらまれてしまった。


「とても美味ね……ねえ、ツヴァイ?」


 と、低くひそめられた声が耳に飛び込んでくる。

 ミダから分けてもらった『ミャームー焼き』を口にしながら、オウラが穏やかな目つきでツヴァイを見つめていた。

 ツヴァイは無言のまま、木皿の中身を口にかきこんでいる。


 気づくと、ディガやドッドたちも熱心に料理を食べてくれていた。

 スープの皿は空になり、肉や野菜を口いっぱいに頬張っている。


 やがて――そんなディガの瞳から、大粒の涙がこぼれ始めた。

 嗚咽をこらえながら、肉をかじり、タラパの汁をすする。無精髭に覆われたその顔は、子供のようにくしゃくしゃになってしまっていた。


 ドッドは無言で、やけくそのように料理をたいらげていく。

 何だか痩せこけた野犬が数日ぶりの餌にありつけた、とでも言いたくなるような食べっぷりだ。


「……それじゃあ足りないみたいだね?」


 と、その有り様をおそるおそる覗きこんでいたリミ=ルウが誰にともなく発言した。


「もっと持ってきてあげるよ。ミダは何が食べたいかな?」


「うん……ミダは何でも食べたいんだよ……?」


「わかったー!」と、リミ=ルウは男の子たちと駆けていく。

 それと入れ違いで、こちらに近づいてくる人影があった。


 とても小さな人影と、その手を引くすらりとした人影――

 ジバ婆さんと、アイ=ファである。


「……ちょっとお邪魔してもいいかねえ……?」


 2人は、俺の隣に腰を下ろした。

 スン家であった人々と向かい合う格好であり、そしてジバ婆さんの正面にいるのは――ズーロ=スンだ。


「ズーロ=スン……顔をあわせるのは、きっとこれが初めてだね……あたしはルウの家長ドンダの父の母で、ジバ=ルウという老いぼれだよ……」


 ズーロ=スンは、空虚な目でジバ婆さんを見た。

 その手には、食べかけのスープの木皿が握られている。


「あんたどころか、あたしはザッツ=スンとすらまともに顔を合わせたことはなかった……スンの集落とルウの集落は遠いからねえ……あたしが知っているのは、先々代のスンの家長……ザッツ=スンの父親ぐらいだよ……」


「…………」


「今から70年ぐらい前のことかねえ……族長筋のガゼ家は、ギバにやられて滅んじまった……その眷族であったリーマの家も、同じように滅んじまった……後にはスン家とルウ家ぐらいしか、一族を導けるほどの力を持った氏族はなかったから……あたしたちは北と南に分かれて、それぞれがギバを狩っていくことにしたんだよ……」


「…………」


「それでルウ家も、本家の血を継ぐのはあたしぐらいしか残らなかったから、新たな族長筋の座は、スン家に担ってもらうことにしたのさ……いくら血族や眷族の数が多くても、女衆のあたしが族長となることはできなかったからねえ……だけど、スン家の家長はそりゃあ立派な狩人だったから、あたしたちも何の心配もなく族長として迎えることができたんだよ……」


 青い明哲な瞳が、じっとズーロ=スンの弛緩した顔を見つめている。

 ズーロ=スンの澱んだ瞳には、小石を投じられた夜の湖の水面みたいに波紋が広がり始めているように感じられた。


「スンの家長……新しいあたしたちの族長は、本当に立派な男衆だった……荒くれもののザザやドムだって、スンの家長には心酔していた……ザッツ=スンは、その立派な父親の背中を見ながら、育ったはずなんだよ……」


「…………」


「それでもザッツ=スンは、道を踏み外しちまった……きっとザッツ=スンだって、森辺の同胞を正しい方向に導こうと、あれこれ考えていたはずなのに……どこかで、ほんの少しだけ道を間違えちまったんだ……もしかしたら、それは最初から間違った道を歩かされていたからなのかもしれないよねえ……」


「…………」


「80年前、モルガの森辺に移り住んできたとき、族長筋はガゼ家だった……そのガゼ家の家長が、ジェノスの領主と間違った縁を結んじまったのかもしれない……南の黒き森の中で、誰とも交わらず、森を神として生きてきたあたしたちには、森の外の人間たちとの正しい交わり方がわからなかった……そんな風にも思えてきちまうんだよ……」


「…………」


「だけど、ガゼの家長を責めることなんて、誰にできるはずもない……誰が族長でも、何も結果は変わらなかったんだろうから……だけど、間違っていた道を歩いていたなら、正しい道に戻らなきゃならない……族長筋はガゼからスンに、スンから新しい3つの氏族へと移ったけど……あたしたちは、力を合わせて、正しい道を探すべきだと思うんだよ……」


 ジバ婆さんの枯れ枝のような指先が、ズーロ=スンのふやけた手の甲にそっと重ねられた。

 ズーロ=スンはぶるりと肩を震わせたが、それ以上は動こうとしない。


「だから、ズーロ=スン……あんたも最後まで、森辺の同胞として力を貸しておくれ……それと、みずから死を望むだなんて、そんな悲しいことは言わないでおくれよ……あんたの罪に罰が必要なときには、あんたの同胞が正しく刀をふるってくれるだろうからさ……」


「…………」


「だけどねえ……ザッツ=スンはその生命で罪を贖うことになったんだから、あたしはその子にまで生命を求めるのが正しい道だとは思えないんだよ……」


 そうしてジバ婆さんは、その透き通った視線をズーロ=スンの右側に移した。

 そこに座していたのは、ヤミル=レイである。


「……ヤミル=レイというのは、あんただね……?」


「ええ」とヤミル=レイは恐れ気もなくジバ婆さんを見つめ返した。


 ジバ婆さんは、しわくちゃの顔でにこりと微笑む。


「あんたもね……家族のために生命を差し出すなんて、そんな真似はもうしないでおくれよ……? その誇り高さは美しいかもしれないけれど、何もかもをひとりで背負いこもうとするのは、決して正しいことじゃない……あんただって、森辺の同胞のひとりなんだからさ……」


 ヤミル=レイは、舌打ちをこらえるような表情で俺のことをにらみつけてきた。

 これはきっと、サイクレウスがスン家の身柄を欲しているならば、ザッツ=スンに後継者とみなされていた自分の身柄だけを引き渡せばよい、というヤミル=レイの発言について取り沙汰されているのだろう。


 もちろん俺はそのような話をあちこちに広めたりはしていなかったので、ラウ=レイ経由でジバ婆さんの耳に入ったのだと思う。


「ルウ家の最長老ジバ=ルウ、あなたの仰ることもわからなくはないけれど、わたしにはわたしなりの考えというものがあるわ」


「ふうん……それはどんな考えなんだろうねえ……?」


 まさか、ジバ婆さんとヤミル=レイが言葉を交わす日がやってこようなどとは、俺は予想だにしていなかった。

 ジバ婆さんはにこやかに、ヤミル=レイは挑むように相手の姿を見やっている。


「もしもサイクレウスという貴族がスン家を再興させようと目論んでいるのならば、やっぱり森辺の民はわたしとズーロ=スンの身柄だけを引き渡せばいいのじゃないかしら」


 こまかく編みこまれた黒褐色の髪をかきあげながら、ヤミル=レイはそのように言った。


「そうしたら、わたしがスン家の新しい家長となって、何なら族長の座を受け継いでもいいわ。……そうしたらサイクレウスに従うふりをして、どのような企みがあるのかを暴いてみせるわよ」


「馬鹿な。貴様のような女を族長などと認められるものか!」


 どうやらしっかり聞き耳を立てていたらしいグラフ=ザザが、ひび割れた声でがなりたてた。

 ヤミル=レイは、妖艶な横目でそちらをねめつける。


「馬鹿げたやり口だとは思っているけれど、でも、いざとなったら刀を取ってでも貴族たちを打ち負かしてみせる、なんて息巻いているあなたたちと、どちらが馬鹿げているかしら? 少なくとも、わたしのやり方なら、しばらくは誰の血も流れずに済むわ」


「……貴様は本当に森辺の民なのか? あのガズラン=ルティムでも、そこまで小賢しい策謀を考えついたりはしないだろう。そんなのは、それこそ貴族どもにこそ相応しい、陰謀だ!」


「陰謀を仕掛けてくる相手に陰謀を返して何が悪いのかしら? 何でも力ずくで解決しようとするよりは、よほど利口だと思うけれど」


「駄目だねえ、ヤミル=レイ……自分たちの身を守るために、あんたに虚言の罪をかぶせるわけにはいかないよ……それに、まかり間違ったら、やっぱりあんたとズーロ=スンは生命を失うことにもなりかねないじゃないか……?」


 同じ微笑みをたたえたまま、ジバ婆さんは首を横に振った。


「あんたはもうザッツ=スンの血族じゃなくて、レイ家の人間なんだ……もう、何もかもをあんたが背負いこむ必要はないんだよ……」


「……わたしだって、このような考えが頑固な族長たちに通じると本気で考えていたわけではないわ」


 不機嫌そうに言い、ヤミル=レイは一瞬だけズーロ=スンの姿を盗み見た。

 もしかしたら――貴族に引き渡すぐらいなら頭の皮を剥いでくれ、とズーロ=スンが錯乱した際に、ヤミル=レイはそのような陰謀を思いついてしまったのだろうか。

 自分さえかたわらにあったなら、ズーロ=スンも少しは毅然と貴族たちに立ち向かえるのではないか、と。


 だけどやっぱり、そのような搦め手をよしとするグラフ=ザザやドンダ=ルウではないはずだった。


「あんたみたいな人間がいるってのは、きっと心強いことだよ……明日はあんたも族長たちに力を添えてあげておくれ、ヤミル=レイ……」


 そんな風に言いながら、ジバ婆さんは料理の皿をズーロ=スンのほうに押し進めた。


「さあ、アスタの料理を食べるといいよ、ズーロ=スン……あたしも道を見失ったとき、アスタの料理を食べることで、何とか力を取り戻すことができたのさ……アスタの料理で力をつけて、あんたも頑張っておくれ……」


 濁った瞳に不規則な光をちらつかせながら、ズーロ=スンはその手に木皿を取った。

 震える指先が木匙をつかみ、柔らかく煮込まれた『ギバの角煮』をすくいあげる。

 そうしてギバの肉を力なくかじり取ると――たるみきった頬の上に、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「我は……」


「うん、何だい……?」


「我は、父ザッツが、恐ろしかったのだ……」


 肉を噛みながら、ズーロ=スンは夢遊病者のようにつぶやいた。

 ジバ婆さんは、静かにその言葉を聞いている。


「しかし、父ザッツの切り開いた道の他に、道を見つけることはできなかった……いずれはザザやドムたち眷族もともにこの道を歩み、貴族に屈することのない新しい生を得ることができるのだと……我はそのように、父ザッツの言葉を信じるしかなかった……そうせねば、我らは全員、ルウの一族に討ち滅ぼされてしまうと思っていたのだ……」


「ああ……スンの集落に住まう何十人もの血族の運命が、あんたの行動ひとつにかかってしまっていたのだものねえ……あたしもかつては家長だったから、そのしんどさはわきまえているつもりだよ……」


 ジバ婆さんは、どこか遠くを見つめるように目を細めた。


「だけど、あんたの肩にはもう何ものっかっちゃいない……大事な家族の存在も、ともに罪を犯してきた血族の存在も、他のみんなが背負ってくれているよ……だからあんたは、みんなと一緒にその存在を負いながら、1番正しいと思える道を探せばいいんじゃないのかねえ……」


 ズーロ=スンはぽろぽろと涙をこぼしながら、木皿の料理を食べ続けた。


「……最後にひとつだけ問わせてもらうぞ、ズーロ=スン」


 そこにグラフ=ザザが、地鳴りのような声で問う。


「貴様は本当に、ザッツ=スンらが町でも大罪を犯していたということは知らなかったのだな? ……森辺の民の誇りにかけて、真実を述べてみせろ」


「知らなかった……いや、父ザッツらがどこからともなく大量の銅貨を運んでくることを、不思議には思っていたが……恐ろしくて、とうていその出処を問うことはできなかったのだ……」


「貴様の罪は、その性根の弱さだ、ズーロ=スン」


 憤慨しきった口調で言い、にわかにグラフ=ザザは料理の木皿をつかみ取った。

 その白くて頑丈そうな牙のような歯が、『ギバ・カツ』をかじり取る。


「貴様は父親のザッツ=スンを恐れ、ルウの一族を恐れ、ジェノスの貴族どもを恐れ――しまいには、眷族であるザザやドムさえをも恐れた。それは森辺の民にあるまじき弱さだ。貴様のように脆弱な人間を族長と仰いでいたことを、俺は一生の恥と考えている」


「…………」


「……しかし、貴様がザッツ=スンか、あるいはそこの長姉の半分ほどのしたたかさでも持っていたならば、ザッツ=スンはすべての大罪を貴様に明かし、それを受け継がせようと目論んでいたかもしれん。そのときは、より多くの血がジェノスに流れることになっていたのだろう」


 ドンダ=ルウにも負けぬ野獣のような眼光を燃やしながら、グラフ=ザザはそう言った。


「貴様の弱さは、森辺の民としてとうてい許されるものではなかったが――しかし、その弱さこそがザッツ=スンの執念、怨念を食い止める役に立っていたというのは、笑えないぐらい皮肉な話であるし……あるいは、それもまた森の導きであったのかもしれん」


 そうしてグラフ=ザザは、果実酒で『ギバ・カツ』を飲み下した。


「何にせよ、貴様を処断するのは貴族どもと決着をつけた後だ。森に魂を返すその最後の瞬間まで、貴様は森辺の民として、生きろ」


 ズーロ=スンは、何も答えられないまま、ほろほろと涙をこぼしている。

 ジバ婆さんは、静かに微笑んでいた。

 ディガとドッドは、無言で料理を食べ続けている。

 グラフ=ザザも、残っていた『ギバ・カツ』にまた歯を立てた。


 そこにリミ=ルウたちが、「お待たせー!」と新たな料理の皿を手に戻ってきた。

 ずいぶん遅い帰還であったので、ジバ婆さんの話が終わるまではと他の家族たちに引き止められていたのかもしれない。


 それでついに、この長い問答も終了するかと思われた。

 だが、思いがけない方向から言葉を投げつけてくる者があった。


「フン! けっきょく誰も彼もが新しい族長たちの裁きに従うってことだネ!」


 ツヴァイである。

 ツヴァイが立ち上がり、痩せた胸をそらして、その場にいる者たちの姿をにらみ回していた。

 その目が、ヤミル=レイをとらえたところで固定される。


「ねえ、ヤミル。ザッツ=スンの後継者っていう話なら、そいつはヤミルなんかよりアタシのほうが相応しいんじゃないのかネ?」


「何を言っているの? 兄弟の中でも1番幼いあなたに、そのような役回りは不相応だわ」


 いぶかしそうに、ヤミル=レイがツヴァイを見つめ返す。

「フン!」とツヴァイはもう1度鼻を鳴らした。


「だけど、罪人として裁かれたのは、ザッツ=スンとテイ爺じゃないか? アタシの身体には、その2人の血が同じ濃さだけ流れてるんだヨ! だったら、罪人の後継者に1番相応しいのは、このアタシだネ!」


 ザッツ=スンとテイ=スンは、ともにツヴァイの祖父であるのだ。

 そのテイ=スンの娘であるオウラは、惑乱しきった眼差しで娘の姿を見つめている。


「ツヴァイ……罪人の子は罪人だなんていう、そんな理は存在しないよ……?」


 ジバ婆さんが穏やかに呼びかける。

 ツヴァイは、ぎょろりと大きな三白眼に反抗心の火を燃やし、そちらをにらみ返した。


「何がどうでもかまわないヨ! こんな下らない話、アタシにとってはどうでもいいのサ! 貴族と戦がしたいなら、好きにやればいいじゃないか!」


「ツヴァイ!」


 隣に座っていたオウラの腕をすりぬけて、ツヴァイはいきなり背後の闇へと姿をくらました。

 俺は慌てて立ち上がり、その後を追う。

 ルウの集落を出なければ、何も危険なことはないのだろうが、放っておけるはずはなかった。


 月明かりを頼りに、ツヴァイに追いすがる。

 幸い、ツヴァイは俺よりも鈍足だった。


「ツヴァイ、いったいどうしたんだよ?」


 筒型の装束に包まれた小さな肩を、後方からつかむ。

 とたんにツヴァイは「さわらないでヨ!」とわめき散らし、俺の手の甲に爪を立ててきた。


 そして、火のような目で俺の顔をにらみすえてくる。


「さぞかしいい気分だろうね、ファの家のアスタ! スンの家は滅んで、何もかもがアンタの思い通りになった! さすがは森辺で1番の英雄だヨ!」


「英雄って……」


 言葉を失う俺のかたわらに、ふっと人の気配が立つ。

 当然のこと、それはアイ=ファであった。

 ジバ婆さんの身柄を誰かに託し、追ってきたのだろう。


 かがり火の灯りも届かない暗がりで、ツヴァイは両目を燃やしている。


「それはあの、銅貨を稼げる人間こそが1番えらいっていう話かい? それはたぶん、豊かさこそが力であり正義であるっていうザッツ=スンやズーロ=スンの教えなんだろうけど……そんなのは、偏っているし間違った考えだよ」


「フン! だったらアンタは何のために銅貨を稼いでるのサ!? そいつは貧しい森辺の集落に豊かさをもたらそうっていう作戦なんじゃなかったの!?」


「うん、それはその通りだけど……」


「アンタたちが正しくて、スンの人間が間違っていた! だからファの家を後押しするルウの家が栄えて、スンの家は滅んだ! 何も間違っちゃいないだロ! アンタたちが英雄で、スンの人間が罪人ってことサ!」


「それは、族長という立場でありながら道を誤ったザッツ=スンとズーロ=スンが罪人とみなされたという話だ。それに何か不満でもあるのか、お前は?」


 静かな声でアイ=ファが問うと、ツヴァイはいっそう激しく両目を燃やした。


「罪人は、ザッツ=スンとズーロ父さんだけじゃないヨ! テイ爺もだ! テイ爺だって、罪人として処断されたじゃないか!」


「それはテイ=スンが、我らや町の民に刀を向けたためであり――」


「テイ爺だって、ザッツ=スンに逆らえなかっただけなんだ! スンの人間は誰ひとりザッツ=スンには逆らえなかったのに、どうしてテイ爺ばっかりが罪人扱いされなきゃいけないのサ!」


「だからそれは――」


「わかってるヨ! テイ爺はザッツ=スンと一緒に町の人間を何人も殺めた! 最後にはアスタを殺そうとしたから、スドラの家長に罪を裁かれた! アンタたちは何も間違っちゃいない! 間違っていたのはテイ爺だ! テイ爺は、生命で罪を贖うしかなかったんだ!」


 地団駄を踏みながら、ツヴァイがわめき散らす。

 その大きな瞳から、ふいに涙がふきこぼれた。


「アンタたちなんて、大ッ嫌いサ!」


「ツヴァイ……」


 呆然とたたずむ俺の胸もとに、ツヴァイが小さな指先をのばしてくる。


「アタシだけでも、アンタたちを嫌っていないと……テイ爺が、かわいそうじゃないか!」


 そしてツヴァイは、俺の胸もとに額をおしあてて、子供のように泣きじゃくり始めた。

 いや、ツヴァイはまだ12歳――こんなに小さな身体をした、本当の子供なのだ。

 言葉も出せないままかたわらを振り返ると、アイ=ファはわずかに目を細めて、静かにツヴァイの背中を見つめていた。


 俺はツヴァイの細い肩に手を置き、その場に膝をつく。

 ツヴァイは俺の肩に顔をうずめ、さらに大きな泣き声をあげた。


「ツヴァイ……ドンダ=ルウが言っていた通り、どんな罪を犯したって、その罪人たちも森辺の民であるということに変わりはないんだよ」


 そのタマネギみたいにひっつめられた頭にそっと手をそえながら、俺は言った。


「ザッツ=スンも、テイ=スンも、森辺の民として生きて、森辺の民として死んだ。彼らが抱いていた怒りや無念を、ドンダ=ルウたちはできるだけ正しい形で引き継ごうとしてるんだと――俺は、そんな風に考えているよ」


「……アンタたちなんて……大ッ嫌いだヨ……」


「うん」


 夜空に浮かぶ半月はひたすら青く、俺たちに近づいてくる者はなかった。


 そうしてサイクレウスとの決着をひかえた白の月の14日は、それぞれの人間にそれぞれの思いをもたらしながら、終わっていくことになった。

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ヤバイこの話、外で見てたら不意打ちで泣かされたw
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