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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
218/1675

⑫ルウ家の晩餐会(上)

2015.7/18 更新分 1/2 ・2018.4/29 誤字を修正

 そして世界は薄紫色の夕闇に包まれた。

 晩餐の刻限である。

 晩餐の会は、屋外の広場で執り行われることになった。


 いかにルウ本家が大きくても、これだけの人数を収容するのは難しい。ダン=ルティムたち飛び入りの客人を迎える前から26名という大人数であったため、屋外で晩餐をとるということは事前に取り決められていたのだ。


 そのために必要な物資も、宿場町で購入してきた。

 すなわち、地面に敷く布の敷物と、料理を載せるための大皿である。


「これは今後の宴でも使用することができるので、わたしたちが購入いたします」


 とのことで、それらの銅貨はレイナ=ルウが商売の稼ぎから捻出することになった。

 ルウの家で独自に商売を始めてから、すでに7日が経過している。単純計算で、その売り上げは赤銅貨2700枚にも及び、なおかつルウ家では人件費もギバ肉の費用もかからないことを考えれば、その7割以上が純利益になるはずなのだ。


 もちろんそれはレイナ=ルウたち個人ではなくルウ家全体の資産ということになるのであろうが、このような形で銅貨を消費することに、ドンダ=ルウから反対の声はあがらなかったらしい。


 そういった経緯で、ルウの本家の前には大きな敷物が何枚も敷かれ、そこに数々の料理を載せた木皿が並べられることになった。

 真ん中には、石を組んだ台の上に、スープの鉄鍋も置かれている。

 それを取り囲むのは、35人にまでふくれあがったこの晩餐会の出席者たちだ。


 ルウの本家が、12名。分家のシン=ルウ家が、6名。

 かつてスン家であった者たちが、7名。

 俺とアイ=ファとバルシャで、3名。

 そして、ダン=ルティム、ガズラン=ルティム、ラウ=レイ、ダリ=サウティ、グラフ=ザザ、フォウの家長、ベイムの家長、という新規の客人たちが、7名。


 実にそうそうたる顔ぶれである。

 まるで宴か何かのようだ。


 しかし、集まった人々に笑顔はなく、焚き火やかがり火に照らされるその面は、みんな真剣そのものである。

 嬉しそうに瞳を輝かせているのは、リミ=ルウやシン=ルウの幼い弟たちぐらいのものだった。


「それでは、晩餐を開始しようと思うが――」


 と、上座に陣取ったドンダ=ルウが重々しく声をあげる。


「今宵の晩餐には、この日の生命を得る、という以上の意味がある。特に、大罪人ザッツ=スンの血族であった貴様たちにはな」


 その、ザッツ=スンの血族であった人々は、ドンダ=ルウの正面にあたる下座に一列に並んでいた。


 ザッツ=スンの息子であり、現在は処断を待つ身である、ズーロ=スン。

 現在はどこの家人でもなく、脱走の罪を贖うためにドム家で働かされている、ディガとドッド。

 ルウの家人となった、ミダ。

 レイの家人となった、ヤミル=レイ。

 ルティムの家人となった、オウラとツヴァイ。


 以上の7名である。


「ザッツ=スンは、森辺の族長でありながら数々の罪を犯してきた。盗賊まがいの真似までしていたというのは、俺たちと同様、貴様たちにとっても預かり知らぬことであったのだろうが――貴様たちは、ザッツ=スンの取り決めた許されざる掟に従い、十数年もの間、モルガの森を荒らしてきた」


 ドンダ=ルウの鋭い眼差しが、ひとりひとりをにらみ回していく。


「ザッツ=スンが病魔に倒れ、家長と族長の座から退いても、新たなる家長はその許されざる掟を守るよう分家の者たちにまで強いて――」


 ズーロ=スンは、ぐんにゃりとうなだれたまま動かない。


「男衆どもは、恥も知らずに森辺と町の両方で無法を働いてきた」


 ディガとドッドも、顔を上げようとはしなかった。

 ミダは目の前の料理に腹を鳴らしつつ、それでも懸命にドンダ=ルウのほうを見つめている。


「また、女衆にも愚鈍なる男どもを掣肘する力はなく、ある者は心を閉ざし――」


 オウラは、膝をそろえて静かにドンダ=ルウの言葉を聞いていた。


「ある者は、自分たちの非にも気づかず――」


 ツヴァイは、いつもの不機嫌そうな顔でそっぽを向いている。


「ある者は、さらなる混乱を森辺にもたらそうと目論んだ」


 ヤミル=レイは、無表情だった。

 ただ、その目はすくいあげるようにドンダ=ルウを見つめている。


「だが、貴様たちへの罰は、すでに決まっている。家長と族長の座を引き継いだズーロ=スンには、その生命をもって罪を購ってもらう他ないが、それを除く家人には、氏を奪うという罰を与えた。ドムの家人となりながら、ザッツ=スンらの前に膝を屈したディガとドッドには、今しばらくその魂の有り様を示してもらうとしても、これ以上の罰を貴様たちに与える掟は、森辺には存在しない」


 そしてドンダ=ルウは、握った拳をズーロ=スンたちに突きつけた。


「貴様たちは明日、さらなる罰を望むジェノスの貴族の前に立つことになる。その身に恥じることはないと、貴様たち自身の口で語るのだ。森辺の同胞として、俺たちはそれに力を添えるが、試されるのは貴様たち自身の誇りと信念だ。貴様たちに、森辺の民としての誇りと信念が存在しなければ、俺たちも力を添えることはできん。それだけは、重々承知しておけ」


 答える者はいない。

 ドンダ=ルウは、ゆっくりと腕を下ろす。


「そしてこの森辺には、同胞にさらなる豊かさをもたらさんとして、宿場町で商売などを始めた者たちがいる。今さら説明するまでもないが、それはファの家のアイ=ファと、アスタだ。いまだそれに力を貸しているのはルウの眷族と、フォウやスドラといった一部の氏族に過ぎないが、呆れるばかりの銅貨を稼いでいるという事実は動かない」


「…………」


「…………」


「…………」


「ザッツ=スンは、町の人間を襲い、モルガの恵みを荒らすことによって、さらなる豊かさを得ようとした。ジェノスの貴族どもに対抗するのに、やつは力と豊かさを求め、そうして道を誤ってしまったのだ。……それでは、俺たちはどうなのか? ファの家やルウの家は、正しき道を歩いているのか? ザッツ=スンの血族であった貴様たちには、それを知る義務と権利が両方存在するのだと、俺は考えている。そのための、この晩餐だ」


「…………」


「…………」


「…………」


「前置きが長くなった。いいかげんに、どこかの馬鹿親父が騒ぎそうな頃合いだな」


 ドンダ=ルウがにやりと笑い、俺の左手側に陣取っていたダン=ルティムが不満の声をあげる。


「それが誰のことかはわからんが、お前さんが長々と喋っている間に料理はどんどん冷めていってしまうぞ、ドンダ=ルウよ!」


 ドンダ=ルウはまぶたを閉ざし、「森の恵みに感謝して……」と何の前置きもなく詠唱を唱え始めた。


「火の番をつとめた、アスタ、アイ=ファ、ミーア・レイ=ルウ、サティ・レイ=ルウ、ヴィナ=ルウ、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、タリ=ルウ、シーラ=ルウに礼をほどこし、今宵の生命を得る……」


 30名以上の人間がそれを復唱するのは、壮観であった。


 そうして食事前の詠唱を終えると、ドンダ=ルウは「さて」という、この御仁にしては珍しい言葉で疑念を呈してきた。


「これで俺たちはどんな風に食事を食えばいいんだ? ずいぶんたいそうな量をこさえたようだが、俺たちの腕はそこまで長くはねえんだぞ」


「どうでしょうね。そこは助け合いの精神で乗り切っていただきたいところなのですが」


 俺はズーロ=スンたちからもたらされる重苦しい空気を払拭せんと、明るい声で応じてみせる。


「取り皿もレイナ=ルウがたくさん買ってきてくれましたので、そいつで料理を取り分けてください。遠くの料理を取りたいときは、近場の人に皿を回せばよいのではないでしょうか」


 35人もの人間が車座になって、料理を取り囲んでいるのである。座ったままのバイキング形式が難儀であろうことは、実行の前から予測できていた。


「とりあえず、スープだけは最初に取り分けてしまいますね。皆さんはご自由にお召し上がりください」


「そうは言われても、何から手をつけていいかもわからなくなってしまうな!」


 嬉しそうな声をあげたのは、アイ=ファをはさんで右手側にいたラウ=レイであった。

 ずらりと並んだお盆のように巨大な平皿には、各種の料理がたっぷりと盛りつけられている。


 果実酒のソースを添えた『ギバ・バーグ』。

 アリアの他にティノとプラも一緒に焼きあげた『ミャームー焼き』。

 丸ごとのアリアと一緒に煮込んだ『ギバの角煮』。

 ほくほくのチャッチが売りの『肉チャッチ』。

 タラパのソースにチットの実を加えた『ギバのソテー・アラビアータ風』。

 山盛りの生サラダを添えた『ギバ・カツ』。

 特製ソースでじっくり照り焼きにした『ギバのスペアリブ』。

 そして、高々と積み上げられた『焼きポイタン』の山と、各種の野菜の炒め物。


 確かにこれでは、目移りしてしまってもしかたがないだろう。

 献立の豊富さでいえば、間違いなく過去最大であるのだから。


 この晩餐会をもって、ルウの集落では貯蓄分のギバ肉をほとんど使い果たすことになった。

 半月もの間、ルウ家は狩人の仕事を休息していたし、そもそもピコの葉に漬けても肉は20日ていどしか保存できない。収穫の宴と、本日の晩餐会と、商売で使う分の肉までを独自にまかなえていたことのほうが、むしろ物凄いことであった。


 もちろん明日や明後日に即座に食べるものが尽きる、というわけではないが、近日中に新たなギバを狩らねば、強大なるルウの一族といえども、飢えることになる。だったら稼いだ銅貨でカロンやキミュスの肉を買えばよい――などと考える森辺の民では、決してないのだ。


(本当に、貴族相手の喧嘩なんて、森辺の狩人にとっては余計な厄介事でしかないんだろうな)


 そのようなことを考えながら、俺は席を立ち、料理長の責任としてスープを分配することにした。

 まずは新作の、『カロン乳仕立てのギバ・スープ』からだ。


 これもサイクレウス邸でおおよそのレシピを完成させた料理である。

 ギバの肩肉と、アリア、ティノ、チャッチ、ネェノンといった各種の野菜を入念に煮込んで出汁をとり、カロンの脱脂乳とあわせて、さらに生ポイタンでとろみをつけた。味付けは塩とピコの葉のみで、乳脂などは使用していないので、ヘルシーかつややすっきりとしたミルクスープのような料理に仕上げることができた。


 そいつをせっせと木皿に取り分けていくと、いつの間にか同じように席を立っていたレイナ=ルウが、まずは上座から配膳してくれた。


 そこに、「ぬわー!」という雄叫びが聞こえてくる。

 振り返ると、両手にスペアリブを掲げたダン=ルティムがのけぞった体勢で硬直していた。


「ア、アス、アスタ、このあばら肉は――」


「はい。タウ油と果実酒の配合をちょっと変えてみたんです。それに、チットの実という少し特殊な食材も使ってしまっているのですが、お口に合いましたか?」


「美味い! 死ぬほど美味い!」


「それは何よりです」


 そういえば、タウ油などを購入しているのはファとルウの家だけであるのだから、そもそもダン=ルティムは収穫の宴でぐらいしかタウ油の恩恵に預かっていないはずだった。


「アスタ、アスタ、この味は――」


「そうですね。タウ油とチットの実さえあれば、ルティムの家でも同じ味を作れるはずです。もっとタウ油を購入できるかどうか、宿屋のご主人に相談してみますね」


「……どうしてアスタには俺の心が読めてしまうのだ?」


 それは俺にも不明である。

 とにかくダン=ルティムが厳粛にして暗鬱なる空気を粉砕せしめてくれたので、一気にその場には宴のような賑やかさが生まれることになった。


 まずは手近な料理を手に取り、女衆たちが華やいだ声をあげる。

 すでにその味の知れ渡っている『ギバ・バーグ』や『ミャームー焼き』よりも、やはり馴染みの薄い料理のほうが人々の関心を集めているようだった。


「うわ、これは何だかおかしな柔らかさだな!」


 と、ダリ=サウティの大きな声が聞こえてきた。

 見ると、その木皿には『ギバの角煮』が載っていた。


「それはギバの胸肉を煮込んだものです。やっぱりその柔らかさは狩人の口に合わないでしょうか?」


「いや……びっくりはしたが、味に文句はない。というか、あまりの美味さにもびっくりさせられてしまった」


 そんな彼のかたわらでは、同じ料理を口にしたらしいフォウの家長がしみじみと息をついており、さらにその隣では、『ミャームー焼き』を皿に載せたベイムの家長が目を白黒とさせていた。


「これは……家長会議でふるまわれたのと同じ料理であるはずだな?」


「はい。タウ油という食材を使って、ちょっと味付けを変えてもいますが」


 さらに言うなら、あのときみんなが口にしていたのは、俺やミーア・レイ母さんたちに手ほどきを受けた、スン家の女衆の料理である。

『ミャームー焼き』を手がける頃には、スン家の女衆たちもそれなりに動けるようにはなっていたが、シーラ=ルウが腕によりをかけたこの『ミャームー焼き』とは、さすがに仕上がりの差が生じてしまうだろう。


 そんなことを考えていると、今度は後方から「痛い!」という声が聞こえてきた。


「アスタ、口の中が痛いぞ! この料理は本当に大丈夫なのか!?」


 わめいていたのはラウ=レイで、その皿に載っているのは『ギバのソテー・アラビアータ風』であった。


「うん。それにも東の民が好むチットの実という香辛料が使われているんだよ。商売用のものよりはずいぶん辛さをおさえているんだけど、まだ辛いかな?」


「ううむ。ピコの葉の塊をうっかり噛んでしまったときのような痛さだ」


 ぼやきながら、ラウ=レイはもう一口、肉をかじった。


「……痛いけど、美味い」


「それなら良かった。あんまり痛いときはスープで口なおしをするといいよ」


 ラウ=レイの隣では、バルシャが同じ料理を食べながら、豪快に果実酒をあおっていた。


「チットの実を使うなんて小粋じゃないか。こいつは東の行商人につてがないと、なかなか手に入らないからねえ。……それにしても、あんたの腕前はやっぱり大したもんだよ、アスタ」


「ありがとうございます」


 そういった客人たちと同様に、ルウ家の人々も本家と分家の区別なく、料理を楽しんでくれているようだった。

 女衆が率先して木皿を回し、男衆に料理を届けてあげている。リミ=ルウやシン=ルウの弟たちなどは、あふれんばかりの笑顔で『肉チャッチ』や『ギバのスペアリブ』に舌鼓を打っていた。


 ジバ婆さんのかたわらにはミーア・レイ母さんとティト・ミン婆さんが控えて、『ギバ・バーグ』や『ギバの角煮』、それに特別メニューである『ギバのメンチカツ』といった柔らかめの料理を食べさせてあげている。


 ルド=ルウはひさびさに再会したダルム=ルウに何かと声をかけ、『ギバ・カツ』をすすめている様子だった。

 そのルド=ルウの皿に載っているのは、是非にと懇願されて特別に作製した『ギバ肉とチャッチのコロッケ』である。


 ララ=ルウは、シン=ルウ一家にスープを届けつつ、その場に居座って自分も料理を食べ始めていた。

 普段の晩餐ではあまり見かけない光景であるが、席移動というのもこの際はありであろう。


 ドンダ=ルウは何やら深刻そうな面持ちでジザ=ルウと言葉を交わしており、そのかたわらではサティ・レイ=ルウがコタ=ルウに『カロン乳仕立てのギバ・スープ』の汁を木匙で与えていた。


 ついにコタ=ルウも、離乳食を口にするようになったらしい。

 おそらくはそのコタ=ルウこそが、俺のもたらした森辺の新しい食事のみで育つことになる、最初の世代になるのだ。

 自然と、俺は身の引き締まる思いであった。


 ともあれ、一部の人間を除いては、みな笑顔である。

 本当に、宴さながらの賑わいだ。


 そこで――ガズラン=ルティムと、目が合った。

 俺はうなずき、視線を巡らせる。


 スープは全員に行き渡った。

 しかし、いっこうに木皿を取ろうとしない人々がいる。

 言わずもがな、下座に控えた7名の人々である。

 そして、そのすぐそばに控えたグラフ=ザザも、さきほどから果実酒ばかりをあおっているように見えた。


 俺は余っていた木皿に『ギバのスペアリブ』や『肉チャッチ』などを載せ、そちらに足を向けることにした。


「ズーロ=スン。……それに、ディガとドッドも、おひさしぶりです」


 うつむいていたディガが、のろのろと顔を上げた。

 そのあまりのやつれっぷりに、俺は思わず息を飲んでしまう。


 大柄で肉付きもいいディガであったのに、フォウの家長ぐらい痩せてしまっている。

 目は落ちくぼみ、頬はこけ、もともとはのっぺりとしていた顔に陰影が濃い。

 髪はぼさぼさで、口のまわりには無精髭がのび――まるで別人のようである。


 いっぽうのドッドは、そこまで容貌に変化はなかった。

 いささか痩せてはしまったようだが、きっと骨格がしっかりしているのだろう。狛犬のような顔にも、小柄でずんぐりとした体型にも大きな変化はない。

 ただひたすらに、覇気がなかった。


 そして、ズーロ=スンである。

 この人物とは、それこそ家長会議以来の対面であった。


 本来はディガよりも大柄で肥え太っていたズーロ=スンが、すっかりしなびてしまっている。きっとひと回りは小さくなってしまっているだろう。

 それでたるみ気味であった顔の皮膚はいっそう弛緩してしまい、空気の抜けたヒキガエルのような面相になってしまっている。


 そして、目もとにかぶさるまぶたの下では、小さくて黒みがかったふたつの瞳が、死んだ魚のようにどろりと濁ってしまっていた。

 まるで、かつてのオウラや、スンの分家の人々のように、である。


(これは……予想していたより、ひどい有り様だな)


 この中で、ズーロ=スンだけは死罪を宣告されている身であるのだ。

 ひと月以上もその罰が施行されていないのは、サイクレウスがその身柄を引き渡すべし、と言い張り続けていたからに過ぎない。


 確定された死を待つ人間の心境など、俺に理解できるはずもなかったが――とにかくズーロ=スンは憔悴しきり、生ける屍のごとき様相になり果ててしまっていた。


 なおかつ、その手首は皮膚が擦りむけて、赤い血がにじんでしまっている。

 ズーロ=スンばかりではない。ディガもドッドも、それは同様だ。

 さらに足首には、今も30センチていどの長さを持つ革紐が巻かれてしまっている。歩くことはできるが走ることはできない、罪人のための拘束具である。


 数々の料理を前にして、彼らは泥でできた人形みたいに座り込んでいるばかりであった。


(……それもこれも、俺がスン家の罪を暴いたからなんだよな)


 ディガとドッドに対して、後悔はない。あれほど悪辣な真似を繰り返していた彼らであるのだから、多少の荒療治は必要なのだろうと思う。彼らがこのように気の毒な境遇になっていなければ、きっと俺はアイ=ファをさらわれた恨みをいつまでも忘れることができなかっただろう。


 だが、ズーロ=スンだけは、別だった。

 俺が糾弾したことによって、ひとりの人間の生命が損なわれてしまうのだ、と考えると――胃袋をわしづかみにされるような心地に陥ってしまう。

 そうする他に道はなかったのだと自分に言いきかせようとしても、なかなか割り切れるものではない。


 だけどそれでも、俺はこの憐れげな姿から目をそらすことはできないのだ。

 死罪と定めたのは森辺の族長たちであり、森辺の民たちは、その定めに従った。

 森辺の同胞の全員が、ズーロ=スンの死を背負っていこうと決意したのだ。


 くじけそうになる気持ちを何とか奮いたたせて、俺は持参した木皿をズーロ=スンの前に置いた。


「……俺の料理を食べていただけませんか、ズーロ=スン?」


 ズーロ=スンは、動かない。

 その濁った瞳に、俺の姿は映っているのだろうか。


 彼らの右手側にはミダとヤミル=レイが、左手側にはオウラとツヴァイが座していたが、彼らの皿にも手をつけられた様子はない。

 ミダでさえもが、いまだに料理を口にしていないのである。


「ミダ、食べないのかい? 今日の料理は、どれも自信作だよ?」


「……うん……」


 ミダの小さな目は、じっとズーロ=スンたちの姿を見つめていた。

 ミダはあんまりズーロ=スンやディガたちの去就を気にかけている様子がなかったので、ヤミル=レイやツヴァイたちほど大事な相手ではなかったのかな、と思えていたのだが――それでもミダは、ぎゅるぎゅると鳴いている大きなお腹を抱えこんだまま、ちょっと切なげな目つきでかつての父や兄たちを見つめるばかりであったのだった。


「……ドンダ=ルウの言葉は貴様たちも聞いていたはずだな」


 やがて、遠からぬ位置に陣取ったグラフ=ザザが底ごもる声をかけてきた。

 それで、ディガとドッドはびくりと身体をすくませる。


「貴様らの父であり祖父であったザッツ=スンの罪を贖うために、我らはサイクレウスという貴族に立ち向かおうとしている。貴様たちには、かつての恥をすすごうという誇りと信念の持ち合わせも存在しないのか?」


「お……俺は……」


「ザッツ=スンは我らを裏切り、我らに隠れてジェノスの者たちに災厄をふりまいた。やり方はどうあれ、このファの家のアスタはそうしてザッツ=スンに乱されたジェノスとの縁を取り持とうと尽力しているのだ。それゆえに、アスタが宿場町で売りさばいている料理というものを貴様たちも口にするべき、とドンダ=ルウは考えた。……ここまで言われて、貴様たちは知らぬ顔を決めこもうというのか?」


「ちょ、ちょっと待ってください、グラフ=ザザ。あなたにそのように問い詰められてしまったら、誰だって萎縮してしまいますよ」


 グラフ=ザザの言葉の内容には大いなる感謝の念を捧げつつ、俺はそのように口をはさんだ。


「無理矢理に食べても、料理は美味しくありません。どうせだったら、楽しく食べましょう」


「……何を言っているのだ、お前は」


 グラフ=ザザは鬼火のように双眸を光らせながら、果実酒をあおる。

 俺は呼吸を整えてから、ズーロ=スンたちに向きなおった。


「だけど、俺からも少しだけ話をさせてください、ズーロ=スン。それに、ディガとドッドも。……俺たちの間には、悪い縁しか存在しませんでした。あなたたちはファの家に災厄をもたらそうとしていたし、俺たちのほうは、スン家の罪を暴く役回りを演じることになったのですから、おたがい情愛の持ちようもない間柄だったと思います」


「…………」


「だけど、ファの家のアイ=ファに拾われた俺は、森辺の民の一員として生きていきたいと願っています。森辺の民の全員を、俺は同胞だと思いたいし、同胞だと思われたいんです。……そしてドンダ=ルウは、あなたたちもまぎれもなく森辺の同胞なのだと言っていました。それならば、俺もあなたたちとは同胞でありたいと願います」


「…………」


「ザッツ=スンは、森辺の民の行く末を憂えるあまり、道を踏み外してしまいました。その道を正しい方向に戻すためにも、みんなと力を合わせてはいただけませんか?」


「……今のズーロ=スンに、そんな難しい話を理解する力は残っていないのじゃないかしら」


 と――ヤミル=レイがふいに立ち上がり、俺の隣にまで歩を進めてきた。

 そして、ズーロ=スンの前に膝をつき、スープの木皿を取り上げる。


「さあ、お飲みなさい。あなただってミダに劣らず、美味なる食事というものには目がなかったはずでしょう、ズーロ=スン?」


 ズーロ=スンは、虚ろな目でヤミル=レイを見た。


「モルガの森には、とても美味しい果実や野菜が実っていたものねえ。……だけどこのアスタの料理には、もっと美味しい田畑の恵みが使われているのよ?」


 ズーロ=スンが、震える指先で木皿を受け取る。

 それを満足そうに眺めてから、ヤミル=レイは横目でディガを見た。


「ディガ、あなたは銅貨で買うキミュスの肉というものが好物だったわよね。自分では宿場町に下りる勇気もなかったのに」


「え……俺は……」


「だけど、アスタのさばいたギバの肉は、そんな肉よりももっと美味しいのよ。家長会議の料理では物足りなかったのかしら? 今日の料理なら満足できるはずだけど」


 そうしてヤミル=レイは、俺の運んできた料理の皿をディガの前に押し進めた。


「どうせザザやドムの家でふるまわれる食事に満足できなかったから、そんなに痩せ細ってしまったのでしょう? いいから、この料理を食べてごらんなさい」


 ディガも、怖々と木皿を取る。

 ヤミル=レイは、ドッドを振り返った。


「ドッド、あなたもよ。大好きな果実酒はもう口にすることを許されないのだから、きちんとした食事で心と身体を満たしなさい」


「…………」


「わたしの言うことが聞こえないの?」


 ヤミル=レイの瞳が、ほんの一瞬だけ毒蛇のような光を瞬かせた。

 とたんに、ドッドは「ひいっ」とかすれた悲鳴をあげる。


「まったく、誰も彼も意気地のない。族長筋という肩書きがなかったら、あなたたちは毅然とふるまうこともできないのね」


 ヤミル=レイは、ゆらりと立ち上がった。

 そして今度は、ミダを振り返る。


「ミダ。あなたも早くお食べなさい。うかうかしていると、みんなルウやルティムの連中に食べられてしまうわよ」


「……うん……」


「こんなにたくさんのご馳走を、一口も食べられずに終わってしまってもいいの?」


「うん……いやなんだよ……?」


「それじゃあ、お食べなさい。わたしが取ってきてあげるから」


 ヤミル=レイが、きびすを返す。

 そのついでのように、切れ長の目が俺を見た。


「アスタ、あなたも何も食べていないのじゃないの? こんな連中につきあって空腹をこらえることはないわ」


「はい。だけど、ヤミル=レイだって何も食べていないんじゃないですか?」


「わたしは、果実酒を飲んでいたもの」


 ぷいっと顔をそむけて、ヤミル=レイは料理を取り分け始めた。

 で、色っぽく屈んだ体勢のまま、ななめ後ろのオウラを見つめる。


「オウラ、手伝ってもらえないかしら? わたしひとりでは手が足りないわ」


「ええ……そうね、ヤミル……いえ、ヤミル=レイ……」


 オウラが立ち上がり、ヤミル=レイに手を貸し始める。

 ということで、俺もそれに協力することにした。


「ありがとうございます、ヤミル=レイ。俺ひとりでは、たぶんどうにもできませんでした」


 小声でそのように呼びかけてみると、冷たい横目でにらまれてしまった。


「別に御礼を言われる筋合いではないわ。ただ、あの連中があまりに腑抜けてしまっているから、腹が立ってきてしまっただけよ」


 かつて家族であった時代、スン家ではどのような営みが行われていたのだろう。

 堕落の極みにあった家長と、跡取りの座にあぐらをかいていた長兄に、酒乱の気がある粗暴な次兄。末弟はいつもぽけっとしており、末妹は豊かなスン家こそが森辺の覇者であると疑わず――そして、家長の嫁とその父親は、死んだ魚のような目をしていた。


 そんな中で、諸悪の根源たる先代家長に真の後継者と目されつつ、心の奥底ではスン家の滅びを願っていた長姉は、いったいどのように立ち回っていたのだろうか。


 少なくとも、怒った顔をして家族のために料理を取り分けるような役目は果たしていなかったように思う。


「おーい、ミダー、ちゃんと食べてるのー?」


 と、小さな子供たちが大きな木皿を掲げて走り寄ってきた。

 リミ=ルウと、シン=ルウ家の弟たちである。


「ほら、『ミャームー焼き』! 放っておくと全部食べられちゃいそうだったから、持ってきてあげたよ!」


「うん……ありがとうだよ……?」


「ミダ、ツヴァイたちにも分けてあげなさい」


 ヤミル=レイの言葉に、ミダは「うん……」と頬を震わせる。

 その子豚のように小さな瞳には、ようやく明るい光が灯り始めているようだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ・俺たちと同様、貴様たちにとっても預かり知らぬことであったのだろうが 〈預かり〉は、正しくは〈与り〉かと。 ・〈タウ油の恩恵に預かっていないはずだった。〉 〈預かって〉は、正しく…
[一言] 何回読んでも、このエピソードのダン=ルティムとアスタのやり取りが好きすぎるw
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