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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
216/1675

⑩ギバ肉とチャッチのコロッケ

2015.7/16 更新分 1/1

 数時間後――定刻で仕事を切り上げた俺たちは、昨日と同じ編成でルウの集落へと帰還した。


 ただし、いささかならず重苦しい空気を纏っての帰還である。

 アイ=ファを筆頭とする狩人たちが、いまだに怒りを解消できずにいたからだ。


「おや、おつとめご苦労さん。……どうしたんだい? そろいもそろって、おっかない顔をしちまってさ」


 すっかりこの集落の一員に成り果ててしまったかに見えるマサラのバルシャが、薪割り用の鉈を手に下げながら、けげんそうに首を傾げた。

 その見張り役であり警護役でもあるリャダ=ルウもわずかに眉をひそめ、ミダはぽけっと俺たちを見下ろしてくる。


「ああ、サイクレウスの手下から、ろくでもねー伝言を受け取る羽目になっちまってよ。……リャダ=ルウ、親父たちはまだ森か?」


「うむ。まだ日が高いので、戻るには今しばしかかるであろう」


「そっか。親父も怒り狂うかな。いや、案外と親父は俺たちが怒るような話には怒らなかったりもするんだよな」


「いったいどうしたってのさ? 聞いてよければ、聞かせてほしいもんだねえ」


 バルシャもその唐獅子めいた顔に緊張の色を浮かべ始めている。

 そちらに向きなおり、ルド=ルウは黄褐色の頭をかきむしった。


「あんたに隠すような話ではねーな。明後日の会談について、サイクレウスの野郎がロクでもねー条件を突きつけてきやがったんだよ」


「条件?」


「ああ。ひとつ目は、会談の場所をトゥランではなく城下町のあいつの館に変更するって話だった。身体の調子が悪いんで、館から出るのが億劫になっちまったんだってよ」


 森辺の民は、ズーロ=スンらを引き連れていく代わりに、警護役の狩人を数十人ばかりも同行させる予定であった。

 会談の場におもむけるのは族長を含む数名であったとしても、狩人たちはその建物の周囲に待機して、有事の際は内部に踏み込む算段であったのだ。


「城下町には、通行証ってやつがないと足を踏み込めねえ。会談に関係ねえ人間の分は、10人まで同行を許す、だとよ。まったくふざけた話だろ?」


「10人、か。……なるほどな」


 あくまでも静かに、リャダ=ルウはそう述べた。


「それはやはり、ズーロ=スンらを引き連れていくというこちらの申し出に対して、向こうも警戒心を抱いたということなのだろうか?」


「へん! 都合よく病気が悪化したって考えるよりは、そっちのほうが自然な話だろうな!」


 しかしもちろん、ジモンはあくまでもサイクレウスの体調が思わしくないため、と言い張っていた。

 そして、会談の場にそれ以上の護衛役など不要であろう、とも。

 それとも森辺の民には何か叛意でも存在するのか、といわんばかりの口調であった。


「もうひとつの申し出は、さらにふざけてるぜ? あのくそったれの貴族野郎は、会談の場にアスタを連れてこい、なんて言いだしやがったんだよ!」


「アスタを? 何故だ? これはあくまでも、森辺の族長とサイクレウスによる会談なのであろう? アスタは無関係ではないか」


「知らねーよ! 何だかわけのわかんねーことをぐだぐだとくっちゃべってたけどな!」


 わめきながら、ルド=ルウは地面を蹴り飛ばす。

 なので、もしかしたらこの中では1番冷静であるかもしれない俺が説明役を肩代わりすることになった。


「あちらの言い分としては、俺の出自を問題視しているようです。海の外からやってきた渡来の民を一族に迎えるというのはちょっと前例のないことなので、もっと慎重に対処するべきではないのか、と――」


 俺は俺でこの世界の習わしというものを完全に把握しきれていないので、ジモンの言葉を理解するのはなかなかに困難であった。


 だけどまあ要するに、渡来の民というのはこの大陸の四大神の子ではなく、異教の神を崇める一族であるはずなので、そのような出自の人間をうかうかと招き入れてしまうのはあまりに浅慮なのではないのかという、そういう論旨であるようだった。


「アスタは森辺の同胞だ。アスタ自身がそう思っていて、周りの俺たちにも文句はねーんだから、そいつを横からうだうだ言われる筋合いなんてねーよ!」


 数時間前、宿場町の街道において、ルド=ルウはそのように言ってくれていたが、ジモンは冷徹な表情のまま、首を横に振った。


「それでは、ファの家のアスタも現在では西方神セルヴァの子である、ということだな?」


「はい。俺はそのつもりです」


「ならば、セルヴァの子たる証しを示してみせよ」


 もちろん俺には、何のことだかわからなかった。

 ジモンは、満足そうにうなずく。


「何なら、ジャガルかシムへの礼でもかまわぬのだが。マヒュドラの子でない限り、セルヴァの門が閉ざされることはない。むろん、それでもセルヴァの子とならない限りは、同胞と認めるわけにはいかんがな」


「……すみません。仰っている意味がよくわかりません」


「うむ。それがつまり、貴殿がこの大陸の出自でないということを証し立てている」


「ちょっと待てよ! そんなの、俺たちだって意味がわかんねーぞ!?」


 大声をあげるルド=ルウに向かって、ジモンは冷たい視線を投げかける。


「森辺の民は、セルヴァの子としての習わしを学んではおらぬそうだな。まったく考え難い話であるが、それは80年前にジェノス侯爵と森辺の族長との間で交わされた取り決めであるらしいので、誰を責めることもできん。神への礼も知らぬ人間など、この大陸には森辺の民ぐらいしか存在しないのだろうがな」


「へん! だったら別に、アスタだって――」


「森辺の民は、その特異な風貌によって出自を見分けることができる。また、これまでは森辺の外の人間と縁を結ぶ必要もなかったので、ことさら出自を取り沙汰されることもなかったのだろう。しかしこのファの家のアスタは、渡来の民でありながら西方神の子であると標榜し、西の地で銅貨を稼いでいる。それを放置することは、謎の多い渡来の民に対して悪しき前例を作ることにもなりかねない、というのがトゥラン伯爵のお考えである」


 あくまでも淡々と、ジモンはそう言い継いだ。


「伯爵の娘御の不始末とは関係なく、ファの家のアスタの存在を見過ごすことはできない。ファの家のアスタがこの先も森辺の民、ジェノスの民として生きていくつもりならば、ジェノス領主マルスタインの認可が必要となることは当然であろう、とのことだ」


「……その娘の不始末とやらを詫びた舌の根も乾かぬ内に、今度はそのような言いがかりをつけてくるのか」


 と――ついにはアイ=ファが、氷の刃のごとき冷たく鋭い声音でそのように発言した。


「あのサイクレウスという貴族に、己の浅ましさを恥じる心というものは存在せぬのか?」


「口をつつしむがいい、ファの家のアイ=ファよ。どれほど余人に誹謗されようとも、ファの家のアスタの素性が知れてしまった以上、伯爵はそれを見過ごせぬお立場であるのだ」


 その後はもう衛兵を呼ばれかねないような騒ぎになりかけてしまった。

「族長の指示を仰ぎます!」と俺が取りなしていなければ、本当に取り返しのつかないことになっていたかもしれなかった。

 それぐらい、アイ=ファやルド=ルウたちは怒り狂ってしまっていたのである。


「要するに、サイクレウスっていう野郎はアスタもスン家の連中も全部自分の手に入れようとしてるってだけのこったろ! わかりやすすぎて笑えてくるぜ!」


 深刻そうに眉をひそめているリャダ=ルウたちを前に、またルド=ルウが大声をあげる。

 感情は豊かでとても素直な気性をしたルド=ルウではあるが、この少年がこれほどの怒りをあらわにするのは本当に珍しいことだった。


「それとは別に、やっぱりサイクレウスは会談の場で森辺の民に暴れられることを警戒しているのかもしれないね。俺みたいな足手まといがいたら、族長たちも迂闊に動けなくなってしまうかもしれないし」


「関係ねーよ! 会談の場にはヤミル=レイやツヴァイなんかも連れていくんだからよ! サイクレウスの野郎は絶対、娘と同じようにアスタの身柄を狙ってやがるんだ」


 ルド=ルウは、もはや完全に狩人の眼光になってしまっていた。

 アイ=ファはアイ=ファで無表情のまま、ルド=ルウ以上に物騒な目つきになってしまっている。


「……だが、我々がどれほどの覚悟で2日後の会談に臨もうとしているかは、宿場町の民にも通達されているのだろう? ならば、それを聞きつけたサイクレウスという貴族が警戒するのは当然のことだ」


 沈着な声音で、リャダ=ルウがそのように言った。


「そして、その話を広めることをガズラン=ルティムに許したということは……族長たちも、サイクレウスに警戒されてもかまわない、むしろその動きをもって相手の真意をはかってみせよう、とでも考えているのではないかな」


「何だよそれ! それで自分たちが不利になってたら馬鹿みてーじゃねーか!」


「これしきの不利など不利にもならん、と考えているのかもしれん。……何にせよ、俺たちが騒いだところで何にもならんだろう。アスタの言う通り、族長の決定を待つ他あるまい」


 しかし、結論などはとっくに出ているのだろうと思う。

 君主筋は、あちらであるのだ。叛意がないのならば会談の場所などどこでもかまわないし、護衛の数など10名もいれば十分であろう――と言われてしまったら、それに抗うすべはないように思える。俺の扱いに関しても、また然りだ。


 それがわかっているからこそ、アイ=ファやルド=ルウたちもこれほどまでに激してしまっているのだろう。

 会談を2日後に控え、ついにサイクレウスも鎌首をもたげてきた、ということなのだ。


 ともあれ、族長ぬきであれこれ詮議をしていても埒は明かないので、俺たちは目前の仕事に取りかかることにした。

 アイ=ファとルド=ルウ以外の狩人はその場で散会し、残ったメンバーでかまどの間を目指す。


 かまどの間では、今日も当番であったリミ=ルウがひとりでポイタンを焼く準備を始めていた。


「ルドもアイ=ファも何をそんなに怒ってるの?」


 不思議そうに小首を傾げるリミ=ルウに再びルド=ルウが大声で説明し始める声を聞きながら、俺は肉の切り分けの準備を進める。

 すると、本日も追従してきたバルシャが「当人のあんたはずいぶん落ち着いてるみたいだね」と声をかけてきた。


「ええ。俺は族長の言葉に従うまでです。俺の存在で迷惑がかかってしまうのは非常に心苦しいことですが――俺さえいなければ、なんて卑屈なことは言いたくないですし」


「ふうん。案外、肝が据わってるんだね」


「そんなことはありません。内心では怒っているし、不安でもありますよ」


 ただ、俺の分までアイ=ファたちが怒ってくれていたので、それに対する申し訳なさとありがたさで、俺は妙に沈静化してしまっただけだった。


 何にせよ、これは俺個人のみの問題ではないのだ。

 森辺の一員でありたいと願った俺と、それを許してくれた森辺の人々との、みんなで背負うべき問題なのだろう。

 だから、森辺のみんなとともに考え、最善の道を選びたいと思う。


「しかし、神への礼を知らないなんて、たまげた話だねえ。そんな一族がこの大陸に存在するとは思ってもみなかったよ」


 言いながら、ふいにバルシャは逞しい右腕を真横に広げて、左手で自分の心臓をつかむような仕草を見せた。


「我、マサラのバルシャは西方神セルヴァの子であることを、この魂にかけて誓う。……たったこれだけのことなのにね、神への礼なんて」


「はあ。それで自分が西の民であるということが証し立てられるわけですか?」


「そうさ、簡単だろう? ……ただし、偽りの礼をほどこしたら、その人間は死後に魂を4つに引き裂かれちまうけどね。王族だろうと盗賊だろうと、この誓いだけはおろそかにすることはできないのさ」


 笑いながら、バルシャは腕を下ろす。


「まあ、マヒュドラのそばに近づかない限り、そうそう自分の神を証す機会なんてないけどさ。たとえばカミュア=ヨシュみたいに北の民じみた風貌をした人間なんかは、あちこちで身の証しを立てる必要にせまられるんだろうねえ」


「ああ、なるほど」


 シュミラルも、森辺への婿入りを果たすことがかなったならば、2度とシムの子を名乗ることは許されなくなるわけだ。

 それを隠してマヒュドラとの商売を続けて、何かの折に身の証しを立てるべしとせまられたら、西方神に信仰を移したことが露見してしまう、と――つまりは、そういうことなのだろう。


(神を乗り換えるっていうのは、やっぱりそれぐらいの大事なんだな)


 ならば俺も、きっちり西方神セルヴァの子となる覚悟が必要なのだろう。

 幸いなことに、俺は故郷で神とも信仰とも無縁の身であった。母の葬式は仏教式であったと思うが、正直なところ、どこの宗派なのかも俺にはわからない。


 そんな俺でも、素性の知れない神の子となる、というのはたいそう不安なものであったが――そうしなくては森辺の民を名乗ることは許されないというのなら、選択の余地はなかった。


(だけど、森辺の民にその習わしが伝えられていないっていうのは――やっぱりジェノスの領主にも、最初から同胞として迎え入れる気持ちが希薄だったっていうことなんじゃないのか?)


 あるいは、80年前の森辺の族長が、そのような習わしなどどうでもよい、とないがしろにしてしまったのか。


 だけど、そもそも森辺の民は南の王国ジャガルの出自であるはずだ。

 その時代から生きているジバ婆さんならば、神への礼という概念を備え持っているのだろうか。

 それとも、最初からそのような知識は持ち合わせぬまま、森辺の民は森の中で独自の暮らしを続けてきたのだろうか。


(本当に不思議な一族なんだな、森辺の民っていうのは)


 そのようなことに思いを馳せている間に、『ミャームー焼き』の肉の切り分けは完了した。


「よし。それじゃあ晩餐の支度に取りかかろうかな」


 俺の言葉に、リミ=ルウが振り返る。


「アスタは今日、すーぷのほうを作ってくれるんだよね? いったいどんなすーぷを作るつもりなの?」


 幸いなことに、リミ=ルウはルド=ルウの言葉を聞いても、まったく動じていなかった。

「ドンダ父さんにまかせておけば大丈夫だよ」と、家長を信頼しきっている様子である。

 それでルド=ルウも毒気を抜かれてしまったのか、ぶすっとした顔で壁にもたれかかっている。


「ああ、今日はカロンの乳を使うつもりなんだよ。昨日、荷車で運んできた、あれさ」


 ヤンから買いつけたカロンの乳10リットルは、壺に封入したまま食糧庫に保管させていただいていた。

 一晩たって、今ごろは脂肪分が浮いてきている頃合いであろうから、いよいよ乳脂の作製に着手しつつ、残った脱脂乳でスープをこしらえる予定であったのだ。


「すみません、アスタ。そちらを手伝うのに、もうしばらく時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 と、今度はパテ作りにいそしむレイナ=ルウが声をあげてくる。

 本日はあらかじめ、乳脂の作製とカロン乳の取り扱いの手ほどきをする約束をしていたのである。


「うん、焦る必要はないからね。その間に、俺はちょっと自分の勉強を進めさせていただくよ」


 かまどのひとつには、昨日使用したラードがそのまま残されていた。

 むろんゴヌモキの葉でできる限りは密封しているが、1度使ったラードは壺に戻せない。油が酸化して使用に堪えなくなるまでどれぐらいの期間と回数がかかるか、それは調理の勉強がてら確認していく心づもりであった。


(幸い、揚げ物のネタには困らないからな)


 昨日は『ギバ・カツ』ばかりでなく、歯の弱いジバ婆さんのために『ギバのメンチカツ』もこしらえることになった。

 本日は、第3の揚げ物料理の試作である。


 俺はかまどに火をかけて、まずは準備しておいたチャッチを煮込むことにした。

 その間に、ギバのロースやバラ肉の切れ端などをミンチにしていく。


「……はんばーぐか?」と、アイ=ファが小声で問うてきた。


「いや、これはまた別の料理なんだよ」と応じると、「そうか」とまぶたを閉ざしてしまう。


「はんばーぐじゃなかったら何なんだよ? チャッチも使うのか?」


 ようやく落ち着きを取り戻してきたルド=ルウも、興味深そうに鉄鍋の中を覗き込んでいた。

 そういえば、ルド=ルウはチャッチが好物なのである。


「うん、これは商売用の料理の勉強なんだけどね。コロッケっていう料理を作るつもりなんだよ。……よかったら、ルド=ルウも一口だけ味見をしてみるかい?」


「いいのか?」とルド=ルウは瞳を輝かせ、リミ=ルウは「ずるーい!」と不満の声をあげる。


「どーしてルドだけなの? リミも味見したい!」


「あ、ごめん。もともとこれは俺ひとりで味見をするつもりだったから、ひとり分の材料しか準備してなかったんだよね」


 いささか神経質かもしれないが、明日の晩餐でも少しばかり『ギバ・カツ』を作製する予定であったので、油ものの連日の試食はご遠慮いただこうかなと考えていた俺であった。


 それでもルド=ルウに声をかけてしまったのは、俺なんかのためにあれほどの怒りをあらわにしてくれたことへの、せめてもの謝意であったのだ。


 が、リミ=ルウはたいそう不満そうなお顔になってしまっている。


「ほら、昨日も説明した通り、揚げ物っていう料理は毎日食べると身体によくないかもしれないからさ。身体の小さなリミ=ルウなんかは、よけいに気をつけたほうがいいと思うんだよね」


「ルドだってちびルドじゃん!」


「お前ほどちびじゃねーよ!」


 何気ない提案が兄妹喧嘩を誘発してしまった。

 おそるおそるアイ=ファのほうを振り返ると、「私はいらん」と先制された。


「あまりに美味だと、味見だけでは物足りなくなってしまうだろうしな」


 それに私が食べたいのはその料理ではない、と顔に書いてあるように思えたが、それは俺の勘ぐりであっただろうか。


「と、とにかくね、明日の晩餐でもまた少しだけ『ギバ・カツ』を作る予定だから、それで勘弁しておくれよ。この料理は、あくまで商売用なんだ」


「だけど、アスタが作るなら美味しいに決まってるもん!」


「いやあ、人知れず失敗作の山をこさえたりもしてるんだけどねえ。……そんなに興味があるんだったら、次に作るときに試食をお願いするからさ。ね?」


 可愛らしく頬をふくらませていたリミ=ルウは、眉を下げながら「ほんとに?」と俺を見つめてきた。


「嘘つかない? 約束してくれる?」


「うん。約束する」


「うー……わかった。それじゃあ我慢する」


 リミ=ルウはしょんぼりと肩を落としながら、ポイタンの焼き作業を再開させた。

 ルド=ルウは、勝ち誇った表情で「にっひっひ」と笑っている。

 なんとも錯綜した兄妹愛である。


 気を取りなおして、俺も作業を再開させることにした。


 まずはアリアをみじん切りにして、少量のラードで手早く炒める。

 具材がしんなりしてきたらミンチも加えて、塩とピコの葉で味を整える。

 しかるのちに、ゆであがったチャッチを引き上げて、熱い内にグリギの棒で潰していく。

 木皿の中で、炒めた具材とチャッチをざっくり混ぜ合わせて 俵形に成形したら、タネは完成だ。


 あとは昨日と同じように、フワノ粉、キミュスの卵、焼きフワノ粉の順で衣を纏わせ、ラードで揚げるばかりである。


 ただし今日は、ソース代わりの調味料も作製する心づもりであった。

 干し肉に含まれる岩塩だけで過ごしてきた森辺の民には、油分と同様に過度な塩分も不要と思える。が、ピコの葉ではなく塩に漬けた肉を常食している宿場町の民は、森辺の民よりも塩気を好むし、また、それだけの塩分が必要な体質になっていると察せられる。ので、タウ油をたっぷり使ったソースの代用品をこしらえることにしたのだ。


 おおよそのレシピは、サイクレウス邸での余った時間で完成させていた。

 すり潰したタラパとアリアを鉄鍋で煮込み、粗熱を取ったのちにタウ油を注いでフワノ粉を添加する。タラパの酸味、アリアの甘み、それにフワノ粉のとろみによって、醤油にそっくりなタウ油をとんかつソースの味に近づけることは可能であった。

 ママリアの酢なんかを垂らすとまたいっそう風味が近づくのだが、それは城下町にしか存在しない。


「……アスタ、その料理もとても興味深いのですが」


 と、タラパのソースを煮込みながらレイナ=ルウが切なげな目を向けてくる。


「ああ、うん、うまくいけばどこかの宿屋で使ってもらおうと思ってる料理だからさ。本採用になったら、きちんと教えるよ」


 ギバ肉よりも多量のチャッチを使っているこの料理は、きっと宿場町の民のほうが相性はいいだろう。

 ただし、宿場町の民は森辺の民以上に油分の摂取とは縁遠い食生活であったはずなので、そこのあたりは宿屋のご主人たちにご意見をうかがおうと思っている。


 ともあれ、俺は料理を完成させることにした。

 昨日と同じ程度の温度に温めたラードに、タネを沈める。

 パチパチと、小気味のいい音色が今日もかまどの間に響きわたった。


 ラードはまだまだ透明なので、あと1、2回は問題なく使えるだろう。

 ただ、油をこす道具がないので、毎回不純物を除去するのが一苦労である。


(そういえば、ディアルはまだ宿場町に出てこれないのかな)


 この先も揚げ物を作製していくならば、鉄網などの新しい調理器具を購入したいところだった。

 が、宿場町にはその類いの器具は売っていないのである。


(だけど、ディアルの父親にとってはサイクレウスのほうが大事な商売相手なんだから、森辺の民とは交流なんて結びたくはないだろうなあ)


 そしてサイクレウスが失脚してしまえば、ディアルたちは大口の仕事を台無しにされることになる。

 良好な縁を結べそうで結びきれない、俺はこの先あの少女とどのような関係になっていくのだろう、などという漠然たる寂寥感を胸に、俺はコロッケを鉄串の上に引き上げた。


「見た目も匂いも普通に美味そうだな。名前は、ころっけだったっけ?」


「うん。肉料理とは呼び難い料理だから、森辺の民の口には合わないかもしれないけどね」


 しかし宿場町であるならば、小分けで副菜として売り込むことは可能なのではないか、と俺は考えている。

 さらに余談として、俺は森辺の民ももっと副菜を食べる習慣をつけるべきなのではないか、とも考えていた。


 昨晩は『ギバ・カツ』の添え物として、千切りティノとタラパの生サラダに、ゆでたギーゴも提供してみせたのである。俺の料理はこれまでの晩餐と比べると塩分も糖分も油分も高めであるはずだから、それにあわせて野菜の摂取量も増やしていく必要があるように思えるのだ。


(チャッチを使ったポテトサラダみたいな料理だったら、ルド=ルウなんかも喜びそうだしな)


 そんなことを考えながら、俺は余分な油の落ちたコロッケにソースもどきをひかえめに垂らした。


「よし、完成だ。熱いから、火傷しないように気をつけてね?」


 新しい木皿の上で小ぶりのコロッケを半分に分け、その片方をルド=ルウに差し出してみせる。


 で、もう半分を自分の口に放り込むと――非常に懐かしいコロッケの味が口の中に広がった。

 ジャガイモによく似たほくほくのチャッチがたまらない。普段は主張の激しいギバ肉も今回ばかりは脇役であるが、それでも確かな歯ごたえと旨みを残している。


 フワノ粉のさくさくとした食感も、やはり秀逸であった。

 ラードというものがこれほどまでに揚げ物に適しているということを、うちの親父なんかは知っているのだろうか?

 少なくとも、俺は知らなかった。


 何せ動物性の油脂なのだから、もっと油っぽくて口に残るイメージであったのだが、そのようなことはまったくない。後味なんかはむしろすっきりしているぐらいなのに、それでいて、肉の甘みや旨みがぞんぶんに含まれている。


 コロッケも、カツに劣る味わいではなかった。

 これならば商品として十分に通用しそうだぞ、という満足感を胸に、俺は大きく息をつき――


 そして、いきなり胸ぐらをつかまれることになった。


「え? 何? どうしたんだい、ルド=ルウ?」


 ルド=ルウの真剣きわまりない顔が、俺の目の前にまで迫ってきていた。


「……無茶苦茶に美味い」


「ああ、そうか。それなら良かっ――」


「今までで1番美味かった! すてーきよりも、はんばーぐよりも、しちゅーよりもぎばかつよりも美味かった! 何なんだよ、これ!」


「いや、だから、これはコロッケっていう料理で――」


「もっとたくさん作ってくれよ! これっぽっちじゃ全然足りねーよ!」


 俺よりも小柄であるが狩人としての膂力を有するルド=ルウに、ぐわんぐわんと頭をゆさぶられてしまう。


「う、うん、だけど、あの、揚げ物っていうのは栄養価が偏ってるから――ま、またその内にね?」


「その内っていつだ!? 明日か!? 明後日か!?」


 頭の中身がシェイクされて、だんだん目もとが白くかすんできてしまった。

 どうやら軽い貧血状態か、あるいは脳震盪でも起こしてしまっているようである。

 そんな俺を救出してくれたのは、やはりアイ=ファであった。


「ルド=ルウ、取り乱しすぎであろう」


 低く冷静な声が響くと同時に胸もとの圧迫感が消失し、ルド=ルウの姿が遠ざかっていく。

 が、世界はいまだに揺れていた。

 いや、揺れているのは俺の頭蓋骨の中身のほうなのだろうか。


 くたくたと崩れそうになる俺の身体を強い力と熱が包みこみ、ついでに甘い香りがふわりと意識の奥深くにまでもぐりこんできた。


「アスタは子供か女衆のようにひ弱にできているのだ。そのように乱暴に扱うものではない」


「だけどさ! すっげー美味かったんだもん!」


 ルド=ルウが子供のようにわめいている。

 まだ目の奥にチカチカとした白い光を感じながら、俺はその声を遠くに聞いた。


「とにかく、落ち着いて話し合え。どのように美味な料理であっても立て続けに食するのは危険である、という話がなされたばかりであろうが」


 いっぽう、アイ=ファの声はたいそう近い。耳もとのすぐ後ろから聞こえてくる。

 それもそのはずで、アイ=ファは後方から俺の身体をしっかり抱きとめていたのだった。

 足に力の入らない俺は、全体重をアイ=ファに預けてしまっており、そして胸もとにぎゅっと両腕を回されていたのである。


「うわ、ごめん! もう大丈夫だよ、アイ=ファ!」


「どこが大丈夫だ。まったく身に力が入っていないではないか」


 不機嫌そうに言い、さらに強い力で俺の身体をしめあげてくる。


「だけどさ、お前も食べてみればわかるって! 本当に美味かったんだから!」


「何を美味いと感じるかは人それぞれだ。それもかつて、すてーきをふるまわれた際に交わされた言葉であろう」


「だったら、俺にとってはころっけが1番美味い料理だったんだよ!」


「ならば、なおさら耐える他あるまい。アスタの力を薬とするための、それは試練であると考えよ」


 俺の肩ごしに、アイ=ファとルド=ルウの問答は継続されていく。

 その中に、リミ=ルウが「ずるいー!」と割り込んできた。


「そんなに美味しかったんなら、やっぱりリミも味見したかったよ! アスタ、今度は絶対にリミにも作ってね?」


「う、うん」


「わたしも味見をしてみたかったです。商売用の料理として考えていたのなら、なおさらに」


「本当にねえ。あたしも味わってみたかったよ」


 ついにはシーラ=ルウやバルシャまで加わってくる。

 アイ=ファに後方から抱きかかえられているこの状況に誰もふれようとしないのが、むしろ気恥ずかしくて死んでしまいそうである。


 で、最終的にはレイナ=ルウにも恨みがましい眼差しで見つめられることになった。


「……本当に、ずるいです」


 俺は、溜息をつくしかなかった。

 その耳に、アイ=ファが小声で囁きかけてくる。


「お前が気に病む必要はない。アスタの力を薬となすには、ときには忍耐も必要なのだ」


「う、うん……」


「私にも耐えられているのだから、ルド=ルウらに耐えられぬという道理はあるまい。……ただし、私たちの忍耐を粗雑に扱ったら、お前にも然るべき報いが訪れることになろう」


 そのままぎゅぎゅうと胸郭を圧迫されて、俺は本当に絶命してしまいそうだった。


 愛すべき家長になかなかハンバーグを提供することのできない、これがその報いであったのだろうか。


 ともあれ――会談の日まで、残りは1日と半分ほどだった。

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