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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
215/1701

⑨開店の日

2015.7/15 更新分 1/1 ・2018.4/29 誤字を修正

 白の月の13日。

 中天を迎えてリィ=スドラとアマ・ミン=ルティムに業務を引き継いだ俺は、いささかならず胸を高鳴らせながら、屋台を離れることになった。


 メンバーは昨日と同じく、レイナ=ルウと、アイ=ファやルド=ルウを含む6名の狩人たちである。


「どうしてお前はそのように浮ついた顔をしているのだ?」


 石の街道を歩きながら、アイ=ファが問うてくる。


「んー? そんなに浮ついてるかな? 俺はただ、あのヤンっていう料理人の出す屋台が楽しみなだけなんだけど」


「楽しみ? ……何故だ?」


「何故って言われると困るけど……あの人には色々と共感できる部分も多いし、城下町の料理人が宿場町の食材でどんな料理を作るのかは、やっぱり気になるよ」


「そうですね。わたしもとても気になります」


 レイナ=ルウが、にっこり笑って同意を示してくれる。

 その笑顔を眺めながら、アイ=ファは「そうか」とつぶやいた。


「しかし、同じ敵を相手にする同志の立場とはいえ、この宿場町で店を出すということは、お前にとって――いわゆる、しょうばいがたきというものになってしまうのではないのか?」


「おお、アイ=ファもそんな言葉を知ってたんだな! ……うん、だからこそ、余計にヤンがどういう料理を作るのかが気になるのかもしれないな」


 そしてこれは、焼きポイタンの味をジェノスの人々に知らしめようという、壮大にして素っ頓狂なる計画のためになされる仕事なのである。

 昨日のヤンの様子からして、彼が料理人としての矜持をかけてその仕事に挑もうとしていることに疑いはない。


 料理の価値は食材の値段で決まるものではない、という信念を持つヤンがどのような料理でこの命題に挑むのか、俺としては期待せずにはいられなかったのだった。


「アスタ。もしかしたら、あれがその屋台なのでしょうか?」


 と、レイナ=ルウが俺の袖を引っ張ってきた。

 見ると、進行方向に人だかりができている。

 露店区域と宿屋区域のちょうど中間地点、俺たちから見て右手側の並びである。

 4、50人ばかりの人々がそこに集まって、道幅10メートルはあろうかという石の街道を半分がたふさいでしまっていた。


「うん、どうやらそうみたいだね」


 はやる気持ちを抑えながら、俺はその人だかりへと近づいていった。

 とたんに、温めた乳脂の芳しい香りが鼻腔に忍び込んでくる。

 これもまた、この屋台がヤンの店であるというまぎれもない証しであった。


「うわ、人がすごくて全然様子がわからないな。こいつは予想以上に繁盛してるみたいじゃないか」


「うむ。様子をうかがいたいのならば、私の肩に乗るか?」


 真剣そのものの表情でアイ=ファがそのように述べてきた。


「い、いや、素直に順番を待つことにするよ。もともとヤンの料理は買うつもりでいたわけだし」


「そうか」


 というわけで、俺たちは人だかりの最後尾に並ぶことにした。

 が、6名の狩人を引き連れた大所帯である。その場にいた内の、お客か野次馬かもよくわからない様子で物見高そうに群がっていた人々は、俺たちの登場に気づくと困惑の表情で輪の外に離脱していってしまった。

 その反応でもわかる通り、この屋台に群がっているお客たちの8割は、黄褐色か象牙色の肌をした西の民であったのだ。


(まいったな。これじゃあ営業妨害になっちまうじゃないか)


 しかし、そのおかげで人混みに隠されていた屋台の様子を目にすることができた。


 屋台は、俺たちがレンタルしているのと同様の造りをしている。

 笑顔でお客さんの注文を聞いているのは、若い女性だ。

 その隣で白装束のヤンが熱心に料理をこさえており、そして、屋台の両脇には2名の兵士が立ちはだかっている。町の衛兵よりも立派な身なりをした、ダレイム家の私兵である。


 さらにその屋台には、ダレイム家の紋章が刺繍された旗のようなものまで掲げられていた。


(すごいな。貴族のお抱え料理人ということを隠さずに商売を始めたのか)


 それで武官の護衛までつけていたら、その物々しさで宿場町の人々には敬遠されそうなものであるが――しかし、その屋台はたいそう繁盛していた。


 露店区域の最南端であるこの場所は、きっと仕切り屋に心づけを払わないと借りることのできない一等地であろう。宿屋の区域と隣接しているので人通りは多いし、時間もちょうど中天を過ぎた頃合いであるのだから、軽食の屋台としてはかきいれどきだ。


 しかし、ひとつの屋台にこれほどのお客さんが群がっているのを見るのは、初めてのことだった。

 我がギバ料理の屋台でいえば、朝一番のラッシュに匹敵する賑わいである。


「おお、アスタ。本当に足を運んでいただけたのですね」


 俺たちの番が回ってくると、料理の作製に没頭していたヤンが面を上げた。

 五十路を越えた、痩せぎすの男性である。

 俺がサイクレウス邸で着させられていたのとよく似たデザインの白装束を纏い、頭には筒型の帽子を載せている。

 痩せてはいるが血色のいい黄褐色の顔には、その多忙さを証し立てるかのようにうっすらと汗が浮かんでいた。


「お疲れ様です。ご盛況なようで、何よりです」


「ええ。初日としてはまずまずといったところでありましょうか」


 鹿爪らしい面持ちでヤンがうなずく。


「申し訳ありませんが、後ろがつかえておりますので、ご注文のほうをお願いいたします」


「はい、ええと――」


 そこで、ヤンのかたわらにいた女性と視線がぶつかった。

 褐色の長い髪を後ろで束ねて、頭にはスカーフのようなものを巻き、質のよさそうな長衣に前掛けを着けた、いかにも上品そうな若い女性である。

 おそらくは、俺の周囲に群がる狩人たちに恐れをなしてしまっているのだろう。いくぶん血の気の下がっていた象牙色の面に、弱々しい微笑がひろがる。


「いらっしゃいませ。お代は赤銅貨1枚になります。どの色をお選びになりますか?」


「え? 色?」


 女性はうなずき、手前の台の右手側を指し示してきた。

 そこには3種のポイタン生地が飾られていたのだ。

 大きさは直径15センチていど。俺が『ミャームー焼き』で使用しているものよりもふた回りは小さな、丸型の平べったい生地である。


 驚いたのは、その色合いであった。

 その生地の、ひとつは見慣れたクリーム色であったが、残りのふたつは、なんと淡いオレンジとグリーンの色彩をしていたのである。


「白い生地にはギーゴを、朱色のものにはネェノンを、緑色のものにはナナールを混ぜ合わせております。お代はどれも赤銅貨1枚ですので、お好きな色をお選びください」


 野菜で着色しているのか、と俺はさらに驚くことになった。


 ギーゴを混ぜると食感がふんわりすると教示したのは、俺自身である。

 が、ギーゴはもともとポイタンと同じようなクリームがかった白色をしているので、色彩に変化などは生じない。


 で、ネェノンというのはニンジンとよく似た色をした野菜であり、ナナールというのは――俺はまだ自分の献立では使用していないが、たしかホウレンソウのような野菜であるはずだった。


(それでもって、お代は赤銅貨1枚か)


 その理由は、生地の大きさで納得できる。きっとこれは、赤銅貨2枚で販売している『ミャームー焼き』の半分ぐらいのサイズで売られているのだ。


 俺がこの宿場町で初めて口にした『キミュスの肉饅頭』も、小さなやつは赤銅貨1枚で販売されていた。

 子供ならばひとつで十分であるし、大人であればふたつ購入すればよい、ということなのだろう。

 そうして価格をおさえておけば、初見の人々でも気軽に購入することができる、という目論見であるに違いない。


「あの……どうなさいますか?」


 娘さんが、ちょっと頼りなげな営業用スマイルで問うてくる。


「それじゃあ、朱色と緑色をひとつずつお願いします」と俺は応じた。

 ヤンの料理は俺とレイナ=ルウがひとつずつ購入する、と取り決めていたのだ。


「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」


 きっとこの娘さんも、ダレイム家にゆかりある城下町の民なのだろう。ここまでお上品に接客をする人間を、俺は宿場町で見かけたことはない。


 ともあれ、俺とレイナ=ルウは1枚ずつの赤銅貨を支払い、それに応じて、ヤンが軽食をこしらえてくれた。


 屋台の内側には巨大な鉄鍋が設置されており、その中では茶色い具材がくつくつと煮えていた。

 漂ってくるのは、カロンの乳脂と香草か何かの甘い匂いだ。


 どろりとした茶色いペーストが、ポイタンの生地に包まれていく。

 形状は、『ミャームー焼き』と同じような――つまりはクレープと同じような三角型だった。

 やはり丸型の生地では、このように織り込むのが1番無難なのであろう。


「お待たせいたしました」


「ありがとうございます。……では、ご感想はまたのちほどということで」


「はい。ご足労いただきありがとうございました」


 あくまでも鹿爪らしく、ヤンは頭を下げてきた。

 きっと城下町では、客前に立つような商売はしていなかったのだろう。もともと生真面目で堅物そうな人物ではあったが、雑念を払って仕事に集中しようとしている様子である。


 俺たちは、周囲の人々の目に追われるようにして屋台から離脱した。

 商売の邪魔にならぬよう、あるていどの距離を取ってから息をつく。

 幸いなことに、俺たちが遠ざかるとまた屋台の周囲にはわらわらと人が集まり始めた。


「香りは、素晴らしいですね。これがカロンの乳脂という食材の香りなのですか?」


 その手に持ったヤン作製の軽食に真剣な眼差しを向けつつ、レイナ=ルウがそのように問うてきた。

 レイナ=ルウがオレンジで、俺がグリーンの生地である。


「そうだね。あとはカロン肉の匂いと、それに香草も使ってるみたいだね」


「そうですか。ギバではない肉を口にするのは、やはり少し緊張してしまいますね」


 しかしレイナ=ルウも、《キミュスの尻尾亭》でミラノ=マスに料理の手ほどきをした際、キミュスとカロンの肉を口にしている。

 皮のないキミュス肉とカロンの足肉がどれほど味気ない食材であるか――そしてそれらを俺がどのような手順でいっぱしの料理に仕上げたか、それを知った上で、レイナ=ルウはこの料理の試食に挑むのである。


「それでは、いただいてみようか」


「はい」


 俺たちは同時にポイタンの生地に歯をたてた。


 まず、バターにも似た乳脂と、あまり覚えのない香草の香りが鼻に抜けていく。

 乳脂とも調和する、ずいぶん甘い香りである。

 俺の知る中では、シナモンに近い香りかもしれない。


 その後に、よく煮込まれたカロン肉と野菜の旨みが口の中に広がった。

 カロンの足肉は、ほどよい噛み応えが残るていどに、柔らかく煮込まれている。

 野菜は、何を使っているのだろう。とりあえず、アリアとネェノンの甘みは感じ取れたが、それ以外にもさまざまな野菜を使っていそうだった。


 ポイタンの生地に混ぜられているナナールという野菜はそこそこの青臭さを持っているはずであったが、それは具材の風味で帳消しにされている。

 ギーゴを使っていないので、生地は若干パサついていたが、具材に汁気が多いのでさほど気にならない。


 一言で評するならば、これは甘さを主題にした料理であるようだった。


 乳脂の甘さ、カロン肉の甘さ、野菜の甘さ――それらを結び合わせるために、おそらくこのシナモンのような香草を用いているのだろう。


 そして、その香草の他に調味料というものは使われていない。

 カロンの足肉は塩漬けにされていたのだろうが、知覚できるような塩辛さは存在しなかった。

 もしかしたら、その塩気さえもが料理の甘さを引きたてているのかもしれない。


(これはきっと――乳脂を軸にして考案された味付けなんだな)


 岩塩の他には調味料らしい調味料を入手することが難しいこの宿場町において、俺はミャームーの香りや、タラパの酸味、果実酒の甘さなどを味の主軸に定めてみせた。それに岩塩とピコの葉を組み合わせることによって、まずは納得のいく料理を作り上げることがかなったのだ。


 それに対して、ヤンは乳脂と、この名も知れぬシナモンのような香草で味を組み立ててみせたのである。


 驚くほどに美味い、ということはない。

 個人的に、甘さだけを強調するというのはちょっと食べなれない感じがしてしまうし、自分だったらこの方向性は選ばないと思う。


 ただ、肉や野菜から甘みを引き出す手腕と、それを乳脂と香草で統合させる発想には、ひとかたならぬ技術とセンスを感じさせられた。


 端的に言うと、完成された味である。

 宿場町でこれほど完成された料理というものを、俺はこれまでに口にしたことはなかった。


「これは、肉を焼いてから野菜と一緒に煮込んでいるのでしょうか?」


 相変わらず真剣な面持ちをしたレイナ=ルウが、そのように述べてきた。


「うん。きっとカロン肉の表面を乳脂で焼いて、それが柔らかくなるまで野菜や香草と一緒に煮込んでいるんだろうね。使われているのはアリアとネェノンと――ひょっとしたら、ティノやチャッチなんかも使われているのかな」


「ティノは使われている気がしますね。ほとんど形は残っていないようですが」


「あ、あと、煮込むときに脱脂乳も入れてると思う。だからこんなにまろやかな味なんだろうね」


 片手の平ぐらいの大きさでしかない料理であるが、俺もレイナ=ルウも一口食べた後は解析に夢中になってしまっていた。

 周囲を囲んだアイ=ファたちは、ひたすら街道の様子に気を配りつつ、こちらに対しては無関心である。


「このポイタンの生地の色には少し驚かされましたが、味には関わっていないのですね。これならば、ギーゴを混ぜたものが1番美味なのではないでしょうか?」


「そうだね。これはたぶん、お客の目を引くための細工なんだと思う。……やっぱりネェノンの味は全然しない?」


「しない……と思います。わたしに感じ取れないだけかもしれませんが」


「いや、こっちもナナールの味は感じられないから、間違いないんじゃないのかな。……それでもいちおう、おたがいの味を食べ比べておこうか?」


 瞬時の内に、レイナ=ルウの顔が真っ赤に染まった。

 それと同時に、背後からそこそこの力で足を蹴られてしまう。

 振り返ると、アイ=ファの不機嫌そうな横顔が見えた。


「あの、アスタ……申し訳ないのですが、家人でもないのに同じ料理を口にするというのは……森辺の民として、控えるべき行為だと思われます」


「あ、ああ、そうだよね。ごめん、気遣いが足りていなかったよ」


 しかし俺はリミ=ルウに自分のハンバーグを分け与えた記憶があるし、ルド=ルウもターラから肉饅頭をおすそ分けされていたと思うのだが、幼子が相手の場合はノーカウントなのだろうか。


 何にせよ、今回については俺の大失態なので、このふくらはぎの痛みは真摯な気持ちで受け止めさせていただこうと思う。


「なんか、匂いだけはやたらと美味そうだな。レイナ姉、一口だけ味見させてくれねーか?」


 と、ルド=ルウも街道のほうに目を向けたまま、そのように発言してきた。

 レイナ=ルウは頬に赤みを残しつつ、そちらに食べかけの軽食を差し出す。


「あ、アイ=ファ、お前も良かったら――」


「いらん」


 俺は大人しく、ふた口目を頬張ることにした。

 その間に、姉の手から軽食を一口かじり取ったルド=ルウが「うーん」と不明瞭な声をあげる。


「美味いのか、これ? 別に不味いとは思わないけどよ」


「たった2日間で考案したと思えば素晴らしい出来だと思うよ。何というか、味の筋が1本通ってる感じなんだよね」


「……よくわかんねー。俺はアスタやレイナ姉の作るもんのほうが断然美味いと思えるな」


 それは、俺たちがギバ肉というアドバンテージを有しているからだ。

 少なくとも、俺が《キミュスの尻尾亭》でこしらえた『キミュスのつくね』や『カロンの細切り肉炒め』に劣る料理ではないと思う。

 もちろんヤンのほうも乳脂を使用できるというアドバンテージを有しているわけであるが、それでもこれが完成度の高い料理であるという事実に変わりはなかった。


 さらに、色とりどりなポイタンの生地と乳脂の香りで道行く人々の目と鼻をひきつけ、なおかつ価格は赤銅貨1枚におさえた。料理の味だけでなく、そういったものも含めての戦略だったのだろう。


 専門職としての料理人というものが存在しないこの宿場町において、ヤンはしっかりその実力を示してみせたのである。


「よお、やっぱり姿を現したな」


 と、そこに笑いを含んだ声をかけられた。

 マントのフードを深々とかぶった、大柄な西の民――その口もとは灰色の布きれで隠している、《守護人》のザッシュマである。


「ああ、どうも。まずは順調なすべりだしのようですね」


「そうだな。初日でこれだけの賑わいなら十分以上だろう。今はけっこう落ち着いているが、最初の内はこれがポイタンなのかと驚いている連中もそれなりにいたようだったしな」


 狩人たちの肩ごしに、ザッシュマは目もとで笑いかけてくる。


「それにやっぱり料理人ってのは大したもんだ。宿場町でこれだけ美味い料理を食べさせる店はそうそうないだろう。……俺はもうちょっと酒に合う味付けのほうが好みだがな」


「ああ、あなたも味見をされたんですね」


 俺の言葉に、ザッシュマはフードごしに頭をかいた。


「それはいちおう、俺たちにとっても大事な作戦の一環だからな。……いまだにお前さんの料理を食べていないのは、ちっとばかり申し訳ないなと思っているよ」


「いえ、そこまで気を使っていただくことはないですよ」


 黄褐色の肌をしたザッシュマは、このジェノスかごく近場の町の生まれなのだろう。ならば、彼もギバや森辺の民を忌避してきた人間のひとりなのである。

 ポルアースだってなかなかギバの料理を口にする気にはなれないと言っていたのだから、それはしかたのないことだ。そのような素性でも森辺の民と共闘してくれようとしているのだから、不満などを述べられるものではない。


 ただ――ひとつ、気にかかる点はあった。


「……そういえば、ヤンの店に集っているのは、ほとんど西の民であるように見受けられますね?」


「ああ。そいつもしかたのないことだろう。南や東の民なんかは、こぞってお前さんたちの店に集まっちまってるんだからな。客の取り合いにならなくて、けっこうな話じゃないか」


 目先の売り上げだけを考えるならば、その言葉は正しかったかもしれない。

 だが、俺たちの目的はあくまで西の民にギバの味を知ってもらうことなのだ。

 そういう意味では、この先ヤンの店は最大のライバルになってしまうのかもしれなかった。


(もちろん、それならそれで真っ向勝負するしかないけどな)


 この対抗意識は、いい意味で燃焼させてもらおうと思う。

 それに付け加えて、この先はどの店でも乳脂を扱えるようになっていくのだから、宿場町における料理というものが全体的にワンランク高いレベルに上がっていく可能性も想定しておかなければならなかった。


(だけど俺だって乳脂を使えるし、それに、フワノ粉やキミュスの卵っていう新しい食材とだって巡りあえたんだ。人手さえ確保できるなら、屋台を増やして新しい料理を売り出してみよう)


 しかし、それもこれもサイクレウスとの決着をつけた後の話である。

 そこで満足な結果を得ることができなければ、ギバ肉の普及もへったくれもないのだ。


「まあ、宿場町で貴族のお抱え料理人が店を開くなんて、前代未聞の話だからな。それだけでも評判にならないわけはない。……そして、ダレイム家の家紋をこれ見よがしに掲げたあの店が宿場町の人間に受け入れられてるってのも、こっちにとっては吉報だよ」


 気を取りなおしたように、ザッシュマがそう言った。


「お前さんがトゥラン伯爵の娘にさらわれたとき、その救出に一役買ったのがダレイム家の人間だってことはもう宿場町にも知れ渡っている。森辺の民をいまだに恨んでいる人間だったら、ダレイム家ゆかりの店なんかに関わろうとは思えないだろう。……反対に、もしもあの店がトゥラン家の家紋なんざを掲げていたら、あそこまで繁盛しなかったんじゃないのかね」


「そうですか。……そうですよね」


 あの場にいた西の民たちは、その大半が森辺の狩人の登場に動揺していた。

 だけど確かに、そこまで森辺の民を恐れたり嫌悪したりはしていなかったように思う。


「森辺の民とサイクレウスの確執についてもだいぶん知れ渡ってきたようだし、そいつは確実にサイクレウスを非難する気風を生み出しつつある。あのガズラン=ルティムっていう森辺の男衆は、なかなか時勢を読むのに長けているようだな。……悪い意味で言うんじゃないが、森辺の集落にああいう人間が存在するってのは、ちっとばっかり驚きだったよ」


「ええ。俺もあの人には驚かされることが多いです」


「ああいう男は、話していても気持ちがいい。この厄介事が片付いたら、一緒に酒でも――」


 そんな風に言いかけて、ザッシュマはすっと目を細めた。


「――なんて、そんな呑気なことを言っている場合でもないようだな。おい、俺はいったん姿を隠させてもらうから、用心しておけよ、お前さんたち」


「え? それはどういう――」


 俺の呼びかけもむなしく、ザッシュマはさっさと人混みにまぎれてしまった。

 わけもわからず視線をさまよわせると――アイ=ファが、北の方向をにらみすえていた。


「ルド=ルウよ。あれは、サイクレウスの配下の兵士だ」


 とたんに、俺とレイナ=ルウを取り囲んでいた狩人たちが包囲の輪をせばめてきた。

 ただでさえ狭い空間に押し込められていた俺たちは、輪の中心で肩をぶつけてしまう。


「……森辺の民よ。この場で出会えたのは僥倖であった」


 北の方角から接近してきた大柄な人影が、俺たちの前に立つ。

 儀礼的な白い革の甲冑姿で、細身の長剣を腰に下げたその人物は、確かにあの館でサイクレウスを警護していたトゥラン家の武官のひとりであった。


「森辺の民、ファの家のアスタにアイ=ファだな? 自分はトゥラン家の警護隊第一隊長ジモンである。……この中に、森辺の族長筋ルウ家の人間は含まれているか?」


「俺はルウ本家の末弟ルド=ルウだ。いったいどんな用向きなのか、聞かせてもらおうか」


 狩人の火を両目に燃やしたルド=ルウが、ジモンの前に進み出た。

 トゥラン家の紋章を胸当てに刻んだ武官と、森辺の狩人が対峙する姿に、道行く人々がざわめいている。

 そんな不穏なざわめきの中、ジモンは落ち着き払った声で言った。


「我が主人、トゥラン伯爵サイクレウスからの言葉である。森辺の族長らに正しくお伝えしていただきたい。内容は、2日後に迫った会談についてであるが――」


 そうしてジモンは、ふたつの事項を俺たちに申し渡してきた。

 そのふたつ目の事項に言葉が及んだとき、アイ=ファはその青い瞳に激情の炎を宿らせて、「ふざけるな!」と怒号をあげることになった。

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