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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
214/1675

⑧ギバ・カツの力

2015.7/10 更新分 1/1

・申し訳ありませんが、ここでいったんお休みをいただきます。第28章は残り4話ていどで完結する予定ですので、数日中にお披露目できると思います。

・なお、前話「⑦料理人たち」にて作者の記憶違いから矛盾点が生じてしまったため、内容を修正させていただきます。詳細は活動報告にて。

 そしてその日も、無事に仕事をやりとげることができた。

 宿屋でも数日ぶりに『ギバのソテー・アラビアータ風』と『肉チャッチ』を提供することがかない、屋台の料理も100食ずつを売り切ることがかなった。客足の順調さでいえば、店を休業する以前を上回るぐらいあった。


 ザッシュマを通して宿場町に広められた噂話のおかげで、なにかとお客さんたちに事情を問われることは多かったものの、その大半は南や東の民であったので、「今後も商売を続けられるのか?」という部分に彼らの関心は集約されているように感じられた。


 いっぽうで、サイクレウスのほうに動きはない。

 町の衛兵たちはいくぶん陰気な目つきを向けてくるばかりで近づいてこようともしなかったし、俺たちの前に襲撃者が姿を現すこともなかった。


 森辺の民の装束を纏った野盗というものも、俺がサイクレウス邸から帰還して以降は、なりを潜めてしまっている。


「表面上は、至極平和だな」


 ギルルの引く荷車にて、御者台のすぐ後ろに陣取ったアイ=ファが低い声でそのように述べた。


 荷台のほうにはルウ家の3名の女衆とリィ=スドラ、それに護衛の分家の少年が1名乗っており、あとはルウルウとレイ家から借り受けたトトスの背に2名ずつの狩人が乗っている。ツヴァイやアマ・ミン=ルティムらは、中天からの護衛役である6名の狩人たちと徒歩で帰路を辿っているのだ。


「会談の日まで、あと3日。このまま何事もなく過ぎていけばよいのだがな」


「ああ。それでもって、会談の日以降も平和に過ごせるように祈ろう」


 ドーラの親父さんばかりでなく、ミラノ=マスやネイルたちも、森辺の民の今後をものすごく案じてくれている様子だった。

 森辺の民とサイクレウスの行く末は、そのままジェノスの行く末までをも左右しかねないのだろう。

 これが、ザッツ=スンたちの残していった爪痕なのだ。


「やあ、今日も無事に帰ってきたね」


 ルウの集落に到着し、全員で本家のかまどの間に向かうと、また家の裏でバルシャたちが薪を割っていた。


「さっそく晩餐の支度かい? 今日も見物させていただこうかね」


 アイ=ファとルド=ルウ以外の狩人たちは去っていき、残ったメンバーでかまどの間を目指す。この段階でリャダ=ルウも離脱したことを除けば、昨日とまったく同じ展開であった。


 が、晩餐を作るかまど番のメンバーはランダムで交代となる。

 今日のかまどの当番は、ティト・ミン婆さんとリミ=ルウであった。


「あとは本当はララも当番なんだけど、今日もシーラ=ルウと交代するのかなあ?」


 かまどの間で待ち受けていたリミ=ルウがそのように問うと、ララ=ルウは「何か文句あんの?」と、さっそく顔を赤くした。


「ううん。シン=ルウも喜ぶだろうから、いいと思う!」


 リミ=ルウは、にこーっと満面に笑みを広げる。

 言っている内容は昨日のルド=ルウと変わらないのに、こちらは無邪気そのものである。

 よって、ララ=ルウは癇癪を爆発させることもできず、ひたすら顔を赤くしていた。


「ねえねえ、今日は何を作るの?」


 と、姉を撃沈させたリミ=ルウが同じ表情のまま、俺の胸もとに取りすがってきた。


「今日はね、今までとまったく違った料理を作るつもりなんだよ。だから、森辺の民の食事に相応しいかどうか、できるだけたくさんの人たちに試食をしてもらいたいんだ」


「本当に? やったー!」


 リミ=ルウは、俺の胸もとに赤茶けた髪をぐりぐり押しつけてきた。

 サイクレウスの館から帰還して以来、リミ=ルウはこれまで以上に親愛の念をぶつけてくれるようになっていた。


「おい、ちびリミ、アスタだっていちおう男衆なんだからな。あんま気軽にくっつくんじゃねーよ」


 ルド=ルウがちょっと怒った声をあげると、リミ=ルウは俺の胸もとに頬を押し当てたまま、可愛らしくべーっと舌を出した。


「うるさいよーだ。リミが誰とくっつこうとリミの勝手でしょー?」


 ルド=ルウはがりがりと頭をかきむしる。

 すべての人々との和を保つために、「それでは仕事を始めようか」と俺は作業開始の声をあげることにした。


 まずは商売の下ごしらえだ。

 だが、『ギバ・バーガー』のパテとタラパソースの両方をこしらえなくてはならないレイナ=ルウたちよりも、俺の仕事は早々に完了する。

 もしも試食で駄目を出されてしまったら、別の料理に切り替えなくてはならなくなるため、俺はすみやかに晩餐の準備に取りかかることにした。


 個人的には待ちに待っていた、『ギバ・カツ』の調理である。


「さて。フワノはどんな感じかな」


 木皿の上で眠らせておいた生地の仕上がりを確認する。

 確かにポルアースが言っていた通り、フワノの生地は水分が抜けて干上がっていた。

 カチカチ、というほどの仕上がりではないが、指でつまんでもなかなかちぎれないぐらいには固くなっている。

 1センチていどの薄さにしておいたのが功を奏したのか、けっこう内部まで水が抜けているようだ。


「よし、これならいけそうだな。レイナ=ルウにシーラ=ルウ、よかったらそちらの仕事のさまたげにならないていどに――」


 そのように言いかけたが、無為なことだった。

 最初から、彼女たちは自分の仕事に励みつつ、熱心な視線をこちらに向けてきていたのである。


「ねーねー、それをどうするの?」と、こちらは晩餐の分のポイタンを焼きながら、リミ=ルウが無邪気に問うてきた。


「これはね、こいつを使って細かい粉に戻すんだよ」


 そう言って、俺は宿場町におけるすりおろし器、甲殻類の平たい甲羅を差し出してみせた。

 そいつでフワノをすりおろしていくと、何の苦もなくポロポロと崩れ落ちていく。

 固いといっても、たかが知れている。むしろ、もっと固く干上がっていてくれたほうが望ましいぐらいかもしれなかった。


 ともあれ、いくぶんしっとりとしたフワノの粉が、まな板の上で山となる。


「で、こいつは脂をひかない鉄鍋で乾煎りするんだ」


 リミ=ルウにというよりはレイナ=ルウらに聞かせるために、俺は解説を添えながら作業に取り組んだ。

 これでフワノの粉からはほぼ完全に水気が抜けて、カラカラの状態になる。

 色合いも多少ながら黄色みをおびて、ビジュアル的にもパン粉の代用品らしく仕上がってきた。


「お次は、肉だね。背中の肉のスジを切って、棒で叩いておく。ステーキよりは柔らかい仕上がりにしたいので、そこそこ念入りにね」


 部位は、あえてロースを使用することにした。

 カロリーを気にするならば、ヒレやモモを使用するべきかとも思ったが、コレステロールに関しては、ロースのほうが抑えられるという説を聞いたことがあったからだ。


 もともと脂身の少ないヒレやモモは、揚げる際に肉が油を吸ってしまうため、ロースよりもコレステロール値が上昇してしまうことさえある、と――そんな豆知識を俺に授けてくれたのは、誰あろう幼馴染の玲奈であった。


「だからあたしはヒレカツじゃなくてロースを食べるの!」


 と、無邪気に笑いながら親父の作ったトンカツを頬張っていた玲奈の姿が脳裏に蘇る。


 単なる女子高生にすぎなかった玲奈の言葉を鵜呑みにするのは危ういことかもしれなかったが、俺がヒレではなくロースを選んだのには、もうひとつの理由もあった。


 すなわち、肉の形状である。

 ヒレは細長い形をしているので、普通はそれを輪切りのように横から切って、小さな形でカツに仕上げる。

 が、ひとつひとつが小さいと衣を纏う面積が増えてしまうため、そういった点からもカロリーやコレステロール値の上昇につながってしまうのではないかと思えたのだ。


 カツの美味しさを知ってもらいたい、という欲求と、なるべくこれまでの食事からかけ離れた料理にはしたくない、という気持ちのせめぎ合いである。


 とにかく、以上の考察から俺はロースを使用することに決めた。

 平たく切り分けたロースの一枚肉を、入念に棒で叩いていく。


 できるだけたくさんの人々に試食をしていただきたいので、500グラムの特大サイズである。

 3センチていどの厚みが半分ぐらいにまで潰れたら、完了だ。

 このていどの厚みであれば、それほど時間をかけず熱を通すこともできるだろう。


「で、こいつには塩とピコの葉をすりこんでおいて、それが終わったら、衣の作製の準備だね」


 俺は作業台に置いておいた布の包みを開いてみせた。

 ポイタンを焼きながら、リミ=ルウは「うわあ」と声をあげる。


「何それ! なんか、可愛いね?」


「こいつはキミュスの卵だよ。キミュスっていうのは、町の人たちが食べている鳥の名前だね」


 キミュスを飼育し、その肉を販売するキミュス屋で購入した、卵である。

 動物性タンパクには不足していない森辺の民であるし、そもそもこいつは露店区域で売られている姿も見かけないので、ほとんどの人たちには初のお目見えになるだろう。


「これは木皿に中身を出して、黄身と白味をまぜておく。そうしたら、最初に普通のフワノ粉をまんべんなく肉にまぶして、溶いた卵にくぐらせてから、さきほど乾煎りした焼きフワノの粉を最後にまぶす。この衣が厚くなりすぎないように気をつけてね?」


「はい」と遠いところからレイナ=ルウとシーラ=ルウが返事をしてくれた。


「そうしたら、次はいよいよラードの登場だ」


「らーど?」


「ギバの脂を煮詰めたものだよ。森辺でも普段から、蝋燭を作るために脂を煮詰めているだろう? 言ってみれば、あれと一緒さ」


 それは以前に作製したものを、朝方アイ=ファに家から持ってきてもらっていた。

 ギバ肉の運搬と食糧庫の管理のために、アイ=ファは昨日から毎朝ギルルに乗ってファの家とルウの集落を往復してくれているのである。


 以前は革袋に詰めていたラードであるが、最近はより密閉性の強い蓋つきの壺で保管していた。

 そうそう腐るものではないが、酸化してしまうと見る見る味が落ちてしまうため、ゴヌモキの葉で内蓋までほどこしている。


 その内蓋を引き剥がすと、クリーム色のラードがねっとりと糸を引いた。

 肉1枚が余裕をもって浸かるていどの量を、木べらで鉄鍋に移していく。


「これでラードを温めたら、肉を沈めて熱を通すんだ。……この火加減が1番難しいので、これはこの献立が本採用になったら、あらためて教えるね?」


 また「はい」という同時の返事。


 かまどに薪を投入していくと、ラードはすぐに透明に溶けて、表面がゆらゆらと揺れ始めた。

 火の勢いは中火をキープして、さらに数分待つ。

 グリギの菜箸をつけてみて、ほどよい大きさの泡が浮いてきたら、さらに焼きフワノの粉をひとつまみ投じてみた。

 パチパチと音をたてながら、フワノ粉は表面に浮かびあがってくる。


 頃合いであろう。

 できるだけ肉や衣が油を吸わないように、短い時間で熱を通したいので、180度の高温の見当だ。


「よし、それじゃあ揚げてみよう。……あ、リミ=ルウ、悪いけど鉄串を何本か貸してもらえるかな?」


 ちょうどポイタンの焼き作業を終えたところであったリミ=ルウは、すみやかに俺の要望に応えてくれた。

 木皿の内側にゴヌモキの葉を敷きつめ、皿の縁に鉄串を互い違いに重ねておく。

 もちろん、揚がったカツを一時保管するための、金網の代わりである。


 俺は衣を纏った肉をつまみあげ、鉄鍋の中にそっと落としこんだ。

 今度はそれなりの勢いで、ラードがパチパチと音をたてる。


「わー、すごーい!」と、リミ=ルウがはしゃいだ声をあげた。

 アイ=ファ、ルド=ルウ、バルシャの3名も興味深そうにこちらを見守っており、レイナ=ルウとシーラ=ルウは相当やきもきしている様子だった。


 熱せられたラードの香りが、ゆるやかにかまどの間を満たしていく。


「ふうん。こいつははんばーぐ以来の凝った料理みたいだねえ」


 どうやらギバ鍋の下ごしらえを終えたらしいティト・ミン婆さんも、にこやかに笑いながらこちらに近づいてきた。


 その間に、衣はどんどん色を変じていく。

 そいつがほどよいキツネ色に揚がったところで、俺は鉄串の上に引き上げた。


「これで余分な油が落ちるのを待てば、完成です。……リミ=ルウ、もうひとつお願いしたいんだけど、男衆を4、5人呼んできてくれないかなあ?」


「男衆を? どうして?」


「うん。こいつはティト・ミン=ルウも言っていた通り、ハンバーグなみに特別な料理だからさ。森辺の民の晩餐に相応しいかどうか、ルド=ルウやアイ=ファよりも頑固そうな狩人にも試食してもらいたいんだよ」


「そっかー。だけど男衆は、みんな森に罠を仕掛けに行っちゃってるんだよねー。……あ、それじゃあリャダ=ルウにお願いしてみよっか! あとはミダとか、宿場町から戻ってきた男衆でいいよね!」


 自己完結して、リミ=ルウはかまどの間を飛び出していった。

 ミダに頑固さは求められないと思うが、なかなか俺の料理を食べてもらう機会の少ない相手であるので、それはよしとしておこう。


「アスタ、こちらの仕事もひとまずは完了しました」


 と、そこでレイナ=ルウとシーラ=ルウも参戦してくる。


「これは本当に、はんばーぐに負けないぐらいの不思議な料理ですね。何だかさっきから、わたしはひどく胸が高鳴ってしまっています」


「俺も初めての挑戦だからね。うまく仕上がっているといいんだけど」


 まずは生焼けになっていないか。

 森辺の民の口に合うかどうか。

 そして、このような料理は毒である、と断じられないかどうか。


 俺にしてみても、これはステーキやギバ・ローストなどを初めてドンダ=ルウにふるまったとき以来の、緊張のひとときであった。


「アスタ、お待たせー!」


 せっかくの試食品が冷めてしまう前に、リミ=ルウは戻ってきてくれた。

「ありがとう」と言いかけて、俺は思わず言葉を失ってしまう。


 そこには確かにリャダ=ルウも立ちつくしていたが、そのかたわらには彼の兄君とそのご子息――つまりは、ドンダ=ルウとジザ=ルウまでもが立ちはだかっていたのだった。

 で、その後方に控えているのは、シン=ルウとミダである。


「ちょうど2人が森から帰ってきたところだったの! ルウの集落で1番頑固なのはドンダ父さんとジザ兄だろうから、この2人が大丈夫ならみんな大丈夫でしょ?」


 リミ=ルウはえっへんと胸をそらしていた。

 ひるみそうになる気持ちを引きしめて、俺はそちらに頭を下げてみせる。


「すみません。事情はリミ=ルウから聞いていると思いますが、試食をお願いしてもよろしいですか?」


「……ずいぶんとまたけったいな料理をこしらえたようだな、貴様は」


 底ごもる声で、ドンダ=ルウが言い捨てた。


「本当にそいつはギバの肉なのか? 俺には土くれか何かにしか見えねえがな」


「これはギバの背中の肉で、周りを覆っているのはフワノの粉にキミュスの卵という食材です。……今、人数分に切り分けますので」


 男衆が6名、女衆が5名、それに、俺とアイ=ファとバルシャを加えて、総勢14名だ。

 500グラムのビッグサイズなので、この人数でもひと切れずつは行き渡るだろう。


 まずは真ん中から切り分けてみると、とりあえず生焼けの心配は回避できていた。

 赤い色はまったく残っておらず、綺麗な象牙色に染まっている。

 肉と衣の間からはじんわりと透明な油がにじみ出て、何とも食欲をそそられてしまう。

 さらに人数分に切り分けて、レモン代わりのシールの果汁をふりかける。


 トンカツの再現を目指した俺にとって、見栄え的には申し分なかった。

 しかし問題は、森辺の民の評価である。


「どうぞ、お召し上がりください。……いや、俺にとっても初めての料理ですので、まずは自分で出来上がりを確認させていただきますね」


 そのように宣言して、俺は『ギバ・カツ』をひと切れつまみあげた。

 そいつを口に放り込み、思いきって歯をたてると、さくりという心地好い感触の後に、まだ十分に熱い油が口の中に広がっていく。

 フワノ粉の衣は、厚みも食感もほぼ理想通りであった。

 それに、ラードを使用しているためであろうか、風味がとても豊かである。


 実際のところ、俺はラードでカツを揚げたのは、これが初めてのことであった。

 ただ、商店街の肉屋などで販売しているコロッケなどはラードで揚げていることが多いと聞き及んでいたので、作製に踏み切ったのだ。


 この味わいは、ギバ肉がもたらすものなのか、ギバのラードがもたらすものなのか。

 衣そのものに肉の旨みが含まれているように感じられ、それでいて、くどいことはまったくない。

 ただでさえ旨みの強いギバ肉が、さらなる旨みを纏って、口の中で弾けたかのようだ。

 そして、シールの果汁の酸味が、また心地好い。


 俺にとっては、最高に美味かった。

 これならば、何の後悔もなく、みんなの評価を待つことができる。


「俺としては、満足な出来栄えでした。皆さんも味見をお願いいたします」


 女衆は鉄串を取り、狩人たちは手づかみで『ギバ・カツ』を口に運んだ。


「うわ……」と、ルド=ルウが声をあげる。

 その目が、愕然と俺を見た。

 が、料理を頬張っているので、それ以上の言葉は出ない。


 リミ=ルウは、まん丸に目を見開いていた。

 レイナ=ルウとシーラ=ルウは、真剣そのものの面持ちである。

 ドンダ=ルウは、無表情だ。


 しばし、かまどの間には肉を咀嚼するわずかな音色だけが漂った。

 俺はいささか落ち着かない気持ちで、アイ=ファを振り返る。

 アイ=ファは、まぶたを閉ざして肉を噛んでいた。


「あの、お味はどうでしょうか……?」


 たった一口の試食であるのに、みんななかなか飲み下そうとしなかった。

 そんな中、ようやく俺に答えてくれたのは、リミ=ルウである。


「すっごく美味しい!」


 大きな瞳が、きらきらと輝いている。


「アスタが作ってくれた料理の中でも、1番美味しいかも! ……ああでもしちゅーも美味しいんだよなあ。どっちが1番とか決められないかなあ」


 と、今度は頭を抱え込んでしまう。

 その愛くるしい姿に、とりあえず俺は安堵の息をつくことができた。


 すると、それを皮切りにして、あちこちから声があがり始める。


「これは……素晴らしい味わいですね」


「ううん、びっくりしちまって声も出なかったよ」


「すっげー美味いよな! 何なんだよ、これ!」


「ああ、あたしは間違いなく、こんなに美味い料理を食べたのは初めてだと思うね」


 シーラ=ルウ、ティト・ミン=ルウ、ルド=ルウ、バルシャがそれぞれの言葉で賛辞を呈してくれた。

 リャダ=ルウとシン=ルウの父子は、とても穏やかな面持ちで同胞らの言葉を聞いている。

 レイナ=ルウは――うっとりと目を閉じて、自分の思いにひたりきってしまっているご様子だ。


 そして、アイ=ファである。

 アイ=ファは表情を消したまま、レイナ=ルウと同様にまぶたを閉ざしていた。


「……なあ、アイ=ファはどうだった?」


 アイ=ファは目を開き、俺を見た。

 とても静かで、穏やかな眼差しである。


「美味かった。……確かにこれは、お前の作る料理の中でも最高の出来栄えであったかもしれんな」


 俺の心臓が、トンと軽くはねあがってしまう。

 俺は衝動を抑えきれず、アイ=ファの耳もとに口を寄せて、さらに問うた。


「それじゃあ、俺はようやくハンバーグをこえる料理をアイ=ファに提供できたのかな?」


 するとアイ=ファは顔をふせて、周りのみんなから表情を隠しつつ、唇をとがらせた。


「…………はんばーぐは、別格だ」


「別格なのか」と、つい俺は口もとをほころばせてしまう。

 アイ=ファは怒った顔をして、俺の足を蹴ってきた。


 それから、ふっとミダのほうに視線を巡らせる。


「おい、泣くなよ?」


「うん……ミダは泣かないんだよ……?」


 見ると、かまどの間の入り口をふさぐ格好で立ちはだかったミダが、ふるふると頬を震わせていた。


「アスタ……とってもとっても美味しいんだよ……?」


「ありがとう」と応じようとした、まさにそのとき、別方向からあがった声が俺の口をつぐませた。


「これは……今までの料理で1番ギバの力を感じる料理かもしれない」


 俺は、ハッとして振り返る。

 それは、ジザ=ルウの言葉であったのだ。


「何故だろうな。フワノやキミュスの卵などという、森辺の民には余計にも思える材料を使っているはずなのに……自分はギバの力を取り入れているのだ、と強く感じることができる」


「それはもしかしたら、ギバの脂をたくさん使っているからかもしれません。肉を包んだ衣には、ギバの脂がたっぷりしみこんでいるはずですから」


 そんな風に説明してから、俺はいっそう心を引きしめる。


「だから、ただ肉を焼いたり煮たりする料理よりは、栄養価が高いはずなんです。その栄養価が偏り過ぎているんじゃないか、というのが唯一の心配な点なのですが――」


「余計な心配だな。栄養というのは、力の源なのだろうが?」


 地鳴りのような声で、ドンダ=ルウがつぶやいた。

 俺は緊張感を保持したまま、そちらに向きなおる。


「はい。ですがやっぱり、薬が過ぎれば毒となる、というのは正しい言葉だと思うんです。俺の故郷では、栄養の偏りから病気にかかる人たちもたくさんいましたし――それに、昨晩もお話ししましたよね。このジェノスでも、贅沢な料理によって引き起こされる内臓の病というものが存在するのです」


「ふん。あのサイクレウスという貴族がその病魔とやらに犯されている、という話か。……いらん心配だ。俺たちには、もっと強い力が必要なのだからな」


 ドンダ=ルウの青く燃える目が、真正面から俺を見た。


「フォウの家長が言っていたぜ。貴様に手ほどきを受けた女衆の料理を食べていると、身体に力が満ちていくのを感じられる、とな。……そいつは味の善し悪しだけじゃなく、単純に、その栄養ってやつがたっぷり含まれているからなんじゃねえのか?」


「それはまあ……確かに小さな氏族の人々は、ギバとアリアとポイタンと、それに干し肉で使われる岩塩ぐらいしか口にしていなかったでしょうからね。俺の料理には干し肉以外でも岩塩が使われることが多いですし、果実酒に含まれる糖分や、ミャームーなんかの野菜にも滋養強壮の効果はあるかもしれません」


「こまかい話はどうでもいい。これほど力にあふれた食事が、森辺の民にとっては毒にもなりうると、貴様はそのように抜かすのか?」


 強い口調でドンダ=ルウに問われて、俺は必死に考えを巡らせる。


「そうですね……もしかしたら、ハンバーグぐらいの危険性はあるのかもしれません。ハンバーグが歯や顎の力を弱めかねない料理だとしたら、こちらは栄養価が偏っている、という意味で。……だから俺の故郷でも、こういった料理を食べる際にはたくさんの野菜や酸味の強いものを一緒に摂取するのが望ましい、とされていました」


「だったら、貴様もそうすればよいだろうが?」


「はい。もとよりそのつもりではありました。この料理を晩餐で提供することが許されるなら、ティノやタラパやギーゴといった野菜も一緒にたくさん食べていただこうかな、と。このシールという果実の汁をかけて召し上がっていただいたのも、油分が過度に吸収されてしまうのを防ぐためでした」


 考え考え、俺は答える。


「それでもやっぱりハンバーグと同様に、同じ料理ばかりを立て続けに食べない、というのが肝要なのだと思います。もとより使用しているのはギバの脂でありますから、量さえ気をつけてもらえればそうそう身体に悪い影響は出ないんじゃないかと――俺はそんな風に考えています」


「ふん。そうすれば、貴様の力を毒ではなく薬にすることができるということだな。ジェノスの貴族どもを相手取るためにも、俺たちはもっともっと強い力を取り入れなけりゃあならねえんだ。……ファの家のアスタよ」


「は、はい」


 ドンダ=ルウが俺の名を呼ぶことは、きわめて珍しい。

 思わず背筋を伸ばしてしまう俺の姿を、ドンダ=ルウはいっそう強い目でにらみつけてきた。


「貴様も森辺の民ならば、正しい食事で俺たちに正しい力をもたらせ。森辺の民として、それが貴様に担わされた仕事だ」


「……はい。了解いたしました」


 その目をしっかりと見つめ返しながら、俺はうなずいてみせた。

 ドンダ=ルウはひとつうなずき、それからさらに、驚くべき言葉を口にした。


「それじゃあ森辺の族長として、貴様に仕事を申しつけさせてもらう。貴様は2日後の夜に、ルウの本家で晩餐を作れ。……昨日や今日のように貴様が女衆を手伝うのではなく、貴様が女衆の手を借りて、その夜に相応しい晩餐を作るんだ」


「その夜に相応しい晩餐……?」


 2日後の夜といえば、サイクレウスとの会談の前夜である。

 その夜に、いったい何があるというのだろう?


「……会談には、かつてスン本家の人間であった7名を連れていく。前日までに、そいつらはこのルウの集落に集めておくことに決めたんだよ。ズーロ=スン、ディガ、ドッド、オウラ、ツヴァイ、ヤミル=レイ、ミダ――ルウの本家の人間と、そいつら7名が食べる晩餐を、貴様に作れと命じているんだ」


「はい……それはもちろん、作れと仰るなら何の異存もありませんが……だけどそれは、いったいどういう――」


「あの連中も、森辺の同胞であることに変わりはない。処断を待つ身である大罪人のズーロ=スンでさえも、それは同様だ。……そしてあいつらは、3日後に森辺の民として貴族どもの前に立つことになる」


 ドンダ=ルウの声は重々しく、そして、力と威厳に満ちていた。


「ミダとヤミル=レイに関しては、すでに貴様の料理を口にしているのだろうが、残りの5名は、貴様に手ほどきを受けたスンの女衆の料理しか口にしてはいまい。貴様が森辺に何をもたらそうとしているのか、何を思って宿場町で商売などをしているのか……あの連中は、それをもっと深いところで知る必要がある。だから、貴様の料理を食べさせろと言っているんだ」


「――はい」


 得体の知れない激情が、俺の胸中で暴れ始めた。

 おもいきり拳を握りしめていないと、身体が震えそうになってしまう。


「言っておくが、代価なんぞを支払うつもりはねえぞ。森辺の家人を名乗るならば、貴様は貴様の信念と誇りをもって、森辺の同胞に己の覚悟を伝えてみせろ。ルウ家の俺たちや、そこのファの家長にそうしてきたようにな」


「はい。ありがとうございます」


 礼を言われる筋合いなどあるか、とばかりにドンダ=ルウは鼻を鳴らした。

 そして狩人の衣をなびかせ、ミダの巨体を軽く手の甲でおしのけつつ、きびすを返す。

 ジザ=ルウもそれに続いてかまどの間を出ていき、その場には重めの静寂だけが取り残された。


「……何だかよくわかんないけどよ。要するに、不抜けた連中にアスタの料理で活を入れろって話なのかな」


 その静寂を払いのけたいかのように、ルド=ルウがぶっきらぼうな口調でそうつぶやいた。


 ドンダ=ルウの真意はわからない。

 ただ俺は、森辺の民として仕事を果たせ、と命じられたことに昂揚しているだけなのかもしれなかった。


 だけど、思う。

 ザッツ=スンの血族として生まれついてしまった彼ら7人は、森辺の民がどのような思いで、どのような覚悟でもって、同胞の犯した罪と向かい合おうとしているのか、それを正しく知る必要があるのだろう、と。


 それを知らしめるのに、俺の料理が一助になる、とドンダ=ルウが考えてくれたのならば――俺は、何としてでも俺の仕事を果たしてみせたかった。


「……大丈夫だ」と、静かな声が俺の耳に忍び込んでくる。


 振り返ると、アイ=ファが強い目で俺を見つめていた。


「お前ならば大丈夫だ、アスタ」


 とても静かな表情で、とても力強く青い瞳を輝かせながら、アイ=ファはもう1度繰り返した。


 サイクレウスとの対決の日まで、残りはわずか3日間である。

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