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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
212/1680

⑥ルウ家の団欒

2015.7/8 更新分 1/1

2015.7/10 誤字を修正

 ポルアースと別れた後は特に波乱もなく、俺たちはその日の商売を終えることができた。


《玄翁亭》と《南の大樹亭》ではレイナ=ルウ作製の『ギバ・スープ』とギバの生鮮肉を卸し、《キミュスの尻尾亭》ではカロンの肉を使った献立の研究に励み、その裏ではシーラ=ルウたちが屋台の商売をやりとげてくれていた。


 特筆すべきは、屋台の料理がどちらも100食分完売したことであろう。

 この勢いはいつまで続くのか、とりあえず明日も同じだけの数を準備して様子を見る他ない。


 そして、ミラノ=マスはついに昨晩から『キミュスのつくね』の販売に踏み切っていた。

 梅干しにも似た干しキキのディップを試してみたところ、これなら何の問題もないと判断を下せたのだそうだ。


「おかげでカロンの肉ばかりが売れ残ってしまったわ」というのが、ミラノ=マスからいただいた評価である。


 ということで、以前にも試作した『カロンの細切り肉炒め』も、今宵から売り出されることになった。


 固いカロンの足肉を叩きまくって繊維を潰し、さらに限界まで細く切り分け、アリアとティノとプラと一緒に炒める。味付けは果実酒と、それに宿場町では有料となるピコの葉である。


 タウ油を使えればもっと味を向上させることもかなったのだが、商売仇でもあるナウディスのつてでタウ油を購入することを、ミラノ=マスはよしとしなかった。


「果実酒とピコの葉を使っているのだから、十分に贅沢だ。これで文句を抜かす客はいなかろう」


 ミラノ=マスは、そのように言ってくれていた。

 これで、料理の質がいまいちであるという《キミュスの尻尾亭》の評判を少しでも覆すことができれば、幸いである。


「それじゃあ明日からは、汁物や煮物なんかの献立も開発していきましょう。もともとカロンの足肉はそちらのほうが向いている食材なのでしょうから、きっと上手くいきますよ」


「でも、タウ油が使えないのは手痛いところですね。……それならば、しちゅーのようにタラパを使うのが有効なのでしょうか?」


 レイナ=ルウのアイディアに、俺は手を打つことになった。


「タラパか。そいつはいいかもね! じっくり煮込めばカロンやキミュスの肉からも出汁は取れるだろうし、食材費がかさまないていどに色々な野菜を使えれば、かなりいい感じに仕上がるんじゃないかな」


「……おい、お前さんたちは主旨を忘れちまっているんじゃないのか?」


 と、ミラノ=マスが眉をひそめて口をはさんでくる。


「お前さんたちはギバ肉を売り込むためにこそ、こんな手ほどきをしてくれているのだろうが? キミュスとカロンでひと品ずつ立派な献立を作りあげることができたのだから、もうその用事は果たせているだろうに」


「そうでしょうか? でも、汁物の新しい献立だって準備できるにこしたことはないでしょう?」


「……そこまで献立が充実しちまったら、ギバ肉の出番なんぞはなくなっちまうかもしれんぞ?」


「きっと大丈夫です。ギバ肉の美味しさはミラノ=マスもご存知の通りですから」


 俺は意識的に軽口を叩いてみせた。

 ミラノ=マスは、不機嫌そうに黙り込んでしまう。


「何にせよ、白の月の15日までに、やれることはやっておきましょう。さきほどもお話しした通り、それ以降は俺たちもどこまで商売を続けられるのかわからない状況になってしまっていますので」


 サイクレウスの本性を暴くことがかなわなければ、そこで俺たちは長きの休業を迎えることになってしまうのだ。

 ルウの人々に代わって、フォウやランやスドラの人々が護衛の役目を担えるようになるまで、およそひと月――それだけの期間を休まなくてはならないかもしれない、と告げたとき、ネイルやナウディスなどは見ているこちらが身を縮めたくなるぐらい悲嘆に暮れてしまっていた。


「だけどそのときは、ルウ家の人々が荷車を使ってギバの生鮮肉を宿屋まで運んでもよい、と言ってくれていました。それだったら、俺も家で料理を作って、それを一緒に運んでもらうことも可能かもしれません」


 そのように伝えると、ネイルもナウディスも「是非に!」と言ってくれていた。


 そして《西風亭》についても、白の月の15日を過ぎなければ商売の話を進めることはできなくなってしまった、と告げることになり、ユーミに大いに嘆かれることになった。


「あーあ、こんなことになる前にアスタと父さんの縁を繋げておければ良かったのに……あたしたち、縁がないのかなあ?」


「そんなことはないよ! もしも商売を続けられる状態になったら、ユーミのお父上とは是非お話をさせていただきたいと思っているよ?」


「本当に? いったん交わした約束を違えるような男は信用できん! って、父さんはいまだに怒り狂ってるんだけど」


「うん……その件については、やっぱり俺の口からもきっちり謝罪させていただくべきなんじゃないのかなあ?」


「あー、今のところはやめておいて。もうちょい頭を冷やさせないと、本当に血を見る騒ぎになっちゃうかもしれないから。……とにかくさ、これからも宿場町で商売を続けられるように頑張ってね?」


「うん、ありがとう」


 俺自身の交流は、それで以上だった。

 しかし、さらに一点、看過できぬ出来事があったが、俺がそれを知らされたのは森辺への帰り道でのことだった。


 ガズラン=ルティムである。

 族長たちから許しを得られたガズラン=ルティムは単身で宿場町に下り、ザッシュマと会見の場をもうけて、昨日の計略を伝えることになったのだった。


 大罪人ザッツ=スンを操っていたのはサイクレウスだったのではないか、と森辺の民が疑っているということ。

 そんな疑念をはらみながら、白の月の15日に、森辺の民はスン家の処遇をめぐってサイクレウスと会談を果たすということ。

 それでもサイクレウスの言葉に納得できなければ、刀を取ってでもスン家の人々は渡さない、という意気込みでいるということ。


 それらの話を宿場町に広めてほしいと、ガズラン=ルティムはザッシュマに依頼したのである。


「ふん……まあ、どのみち人の口に戸はたてられないからな。中途半端な噂話なんかが流れちまうのを待つよりは、こっちできっちり正しい情報を広めたほうが、まだしも利口かもしれない」


 ザッシュマは、そのように言っていたらしい。


「了解した。残り4日でどれほどの効果が見込めるかはわからないが、なけなしの手駒を使って話をばらまいてみよう」


 そのような会話がなされたのだということを、屋台に居残っていたシーラ=ルウたちに伝えた後、ガズラン=ルティムは早々に森辺へと帰っていったのだそうだ。


 事態は、着々と進んでいる。

 いったい明日からはどのような日々が待ちかまえているのか。そんな思いを胸に、俺たちはルウの集落へと帰還したのだった。


              ◇


「ああ、おつとめご苦労さん」


 荷車を本家の裏まで引いていくと、なんとバルシャが本当に薪割りの仕事に励んでいた。

 なおかつそのかたわらでは2名の男衆が同じ仕事に励んでおり、俺としてはむしろそちらのほうに驚かされることになった。


「リャダ=ルウに、ミダ……いったい、どうされたんですか?」


 それはシン=ルウやシーラ=ルウの父親であるリャダ=ルウと、ルウの家人ミダであったのだ。


「この客人は、森辺の狩人にも劣らぬ力を有している。それに刃物を貸し与えるならば、男衆が見張っておくべきであろうという話になったのだ」


 ドンダ=ルウの弟とは思えぬぐらいにすらりとした体躯のリャダ=ルウが、相変わらずの沈着な面持ちでそのように答えてくれた。

 黒褐色の髪を後ろになでつけて、形のよい口髭をたくわえた、渋い壮年の男衆である。


「しかし、他の男衆たちは今日から狩りの準備を始めているからな。その仕事を負うことのできない俺とミダが、見張りの役を受け持つことになったのだ」


 リャダ=ルウは足の筋を痛めて狩人の仕事から退いた身であり、ミダは足手まといにならぬよう持久力を鍛えているさなかであったのだ。

 聞けば納得の人選であるが、それにしても、なかなかのインパクトを持つトリオであることに間違いはなかった。


「アスタ……たくさん料理を売ってきたのかな……?」


 割った薪を図太い腕に抱え込んだまま、ミダが俺を見下ろしてくる。

 いくぶん無駄肉が落ちてきたような印象はあるものの、まだまだ十分に肉風船めいた巨体のミダである。


「うん。ひさびさの『ミャームー焼き』だったからね。たくさん準備していったんだけど、全部売り切ることができたよ」


「ふうん……」とつぶやきつつ、ミダは動かない。

 ただひたすらに、子豚のように小さな目で俺を見つめている。

 一昨日の夜、俺が数日ぶりに帰還できた夜も、ミダはこのような目で俺を見つめていた。


 俺が何者かにかどわかされたと聞いて以来、ミダはずっとぽけっとしていたそうだ。

 1日の仕事はきちんと果たしていたそうだが、普段以上に言葉を発しようとせず、手の空いたときなどは小山のようにうずくまったまま、ずっと虚空に視線を飛ばしていたらしい。


 で――俺が帰還して、ダン=ルティムが登場して、ちょっとした祝宴のような騒ぎになってしまった頃合いで、ミダはのそのそと本家にやってきて、こう言ったのだ。


「ミダは、泣かなかったんだよ……?」


 その一言で、俺のほうこそが泣きそうになってしまった。


 ヤミル=レイには心の一部が欠けているとまで評されていたミダであるが、他者を思いやる気持ちなどをきちんと有しているということは、すでに知れている。


 ザッツ=スンとともに暮らしながら、他の家族のように心を歪ませずに済んだのは、鈍さであるのか、強さであるのか――そのようなことを考えても答えを得られるはずもなかったが、とにかくこの途方もなく巨大な身体の中には森辺の民に相応しい純真な魂が宿っているのだということを、俺はまったく疑っていなかった。


「それにしても、すっげー量だなあ。まさか1日中、薪を割ってたのかよ?」


 と、俺の後ろから顔を覗かせたルド=ルウが問うと、ミダは「ううん……」と頭を震わせた。

 咽喉もとや肩の肉が邪魔をして、それ以上は首を動かすことができないのだ。


「水瓶を運んだり……毛皮をなめしたり……今日も色んな仕事をしてたんだよ……?」


「そっか。お疲れさん。薪割りはもう十分なんじゃねーの? 晩餐まで休んでろよ」


「いや。仕事が済んだのならば、また俺と修練をしてくれないか、ミダよ?」


 そう言い出したのは、シン=ルウだった。

 昨日もシン=ルウは、護衛の役を果たしたのち、ミダと力比べの稽古に励んでいたらしい。


「シン=ルウ、お前だって昼も夜も護衛の仕事を果たしてるんだからよ。休めるときには休んだほうがいいんじゃねーか?」


「問題ない。俺はもっと力をつけたいのだ」


「うん……リャダ=ルウ、薪割りはもういいのかな……?」


 リャダ=ルウは、静かな眼差しで息子の思いつめた表情を見つめてから、「うむ」とうなずいた。


 そうしてミダとシン=ルウと、ついでにアイ=ファとルド=ルウを除く護衛役の狩人たちも立ち去っていく。


「あれ? そういえばあの坊主はどこに行ったんだ?」


「レイトという子供は、宿場町に下りたらしい。そのまましばらくはそちらで自分の仕事を果たすそうだ」


 リャダ=ルウの言葉に、ルド=ルウは「ふーん」と眉を寄せる。

 カミュア=ヨシュ本人よりも、ルド=ルウはレイトの扱いを決めかねている様子だった。


 信用するしないの話ではなく、あんな幼い少年が師匠と同じように飄々とふるまっているのが不審であり、また心配でもあるのだろう。

 それは俺も、まったくの同意見である。


「それじゃあ俺たちも仕事を始めようか。よかったらまた晩餐の支度を手伝わせていただきたいんだけど、ミーア・レイ=ルウはどこにいるのかな?」


「ミーア・レイ母さんはかまどの間じゃないかな。たしか今日の当番だったはずだし」


 ララ=ルウの言葉にうなずき、俺はギルルの手綱を持ちなおした。

 とたんに、バルシャが「晩餐の支度かい?」と声をあげてくる。


「よかったら、そいつを見学させてもらえないもんかね? いったいどうやったらあんなに美味い食事を作れるのか、昨日から気になってしかたがなかったんだよ」


「えーと、それにもやっぱり女衆の束ね役であるミーア・レイ=ルウの許しがいるでしょうね」


 そんなわけで、俺たちはぞろぞろとかまどの間に向かうことになった。

 で、戸が開き放しであったかまどの間を覗きこもうとすると、そこから姿を現したのは、ヴィナ=ルウであった。


「あらぁ……みんな、帰っていたのねぇ……」


「うん。ミーア・レイ母さんはいる? アスタがまた晩餐の準備を手伝いたいって言ってくれてるんだけど」


「ふうん……母さんも、もうすぐこっちにやってくるはずだけどぉ……アスタは今日も準備を手伝ってくれるのぉ……?」


「はい。お邪魔でなければですが」


「アスタを邪魔に思う人間なんて、ルウの集落に存在するわけないじゃなぁい……?」


 そんなことを言いながら、ヴィナ=ルウはぼんやり微笑んだ。

 そのたたずまいの艶っぽさに、俺は思わずドキリとしてしまう。


 ヴィナ=ルウが色気に満ちあふれているのは、今に始まったことではない。フェロモンを抑制する機能が外れてしまっているのではないのか、と疑わしくなってしまうほどのヴィナ=ルウであるのだ。


 だけど何だか、ヴィナ=ルウは最近顔を合わせるごとに、色気の度合いを増していっているように感じられた。

 それも何だか、以前までとは趣が異なるような――その表情には憂いの色が濃くなり、とてもけだるげで、どこか心あらずであるような、そんな雰囲気なのである。


 口数は明らかに減っているし、無邪気に微笑む姿もほとんど見られなくなった。目の前にいる人間を見つめながら、その視線はもっと遠くを見つめているようで、いくぶん焦点がぶれてしまっている。そんな危うさを抱えこみながら、しかしヴィナ=ルウはこれまで以上に美しく、艶やかであったのだ。


(……考える時間が半年間って、そいつはちょっと長すぎたんじゃないのかな)


 ルウ家に婿入りを果たしたい、という言葉を残してシュミラルがジェノスを出立してから、いまだに10日ばかりしか経過していない。

 シュミラルは、今はどの地で自分の仕事に励んでいるのだろう。


 そんなことを考えていると、建物の陰からミーア・レイ母さんがひょっこりと姿を現した。


「へえ、今日も晩餐の支度を手伝ってくれるってのかい? そいつはありがたい話だねえ」


 ミーア・レイ母さんは、朗らかに笑いながらそのように言ってくれた。


「もちろんこっちは大歓迎さ。だけど、毎日毎日アスタに手伝ってもらうってのも、何だか気が引けちまうねえ」


「こちらこそ、軽はずみにかまどの仕事を手伝いたいなんて言うのは森辺の習わしにそぐわないのかなと心配なところなのですが」


「そんなことは気にしなくていいよ。ルウとファの間柄じゃないか。水くさいことを言うもんじゃないさ」


 とはいえ、森辺の民にとっての晩餐とは、その日1日の生命を得る神聖な行為でもあるのだ。

 ジザ=ルウなどの心境を考えると、あまり軽はずみに手を出せるものではない。


 しかし、ルウの集落に留まる以上、その晩餐の支度を手伝わない限り、俺の料理をアイ=ファの口へと届けることはかなわないのである。

 ルウ家の平穏を乱さない限りは、何とか手伝わせていただきたいと願わずにはいられない俺であった。


「ぞんぶんに手伝っておくれよ。あたしたちはまたポイタンと汁物を受け持つからさ」


「ありがとうございます。みなさんに喜んでもらえるよう、頑張ります」


 だが、まずは明日の下ごしらえであった。

 レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、ララ=ルウの3名はハンバーグのパテ作りを開始して、俺は『ミャームー焼き』の肉の切り分けに取りかかる。


「それでは俺も家に戻らせてもらう」とリャダ=ルウも去ったので、バルシャの見張りにはアイ=ファとルド=ルウが残ることになった。


「ふうん。そいつがギバの肉か。何だかやたらと美味そうな色をしているねえ」


 邪魔にならぬよう隅っこに控えたバルシャが陽気な声を投げかけてくる。


「それに、生命がけで狩った獲物をそのまま食べることができるなんて、羨ましい話だよ。ガージェの豹は人を喰らうから、毛皮と牙にしか価値がないんだよね」


「あ、やはりマサラでも肉食の獣は食用にならないのですか」


 このジェノスでも、腐肉を喰らうムントやギーズは決して口にするべからずという禁忌が存在するのだ。


「それは当然のことだろうさ。でも、バロバロの鳥を狩るには、どうしたってガージェの縄張りにまで足を踏み込まなきゃならないからね。マサラで狩人としての仕事を果たすには、けっきょくガージェの豹を仕留められるぐらいの腕が必要になるわけさ」


「なるほど。山には山ごとの苦労があるのですね」


 バルシャに言葉を返しながら、俺はジャガル産の肉切り刀でギバのロースを切り分けていった。

 ちなみにこの肉は、アイ=ファが朝方にファの家から運んできてくれたものである。俺がさらわれるまではアイ=ファの仕事も順調であったため、まだしばらくは自前の肉で商売をすることも可能であるはずだった。


「今日の晩餐は、何なのだ?」


 切り分けの仕事を終えた頃合いに、今度はアイ=ファが問うてきた。


「今日はひさびさに『ロースト・ギバ』にするつもりだよ。で、刻んだアリアとタウ油を基本にして、和風ソースってやつをこしらえてみようと思っているんだ」


「……そうか」


 はんばーぐではないのだな、とアイ=ファの目が語っている。

 スープ・ハンバーグにすればドンダ=ルウたちからも非難の声はあがらないのだろうが、それでもやっぱり心から歓迎される献立ではない。居候の身分としてはあまり勝手な真似はできないのだよと、俺も目で訴えかけておくことにした。


 が、アイ=ファはぷいっとそっぽを向いてしまう。

 白の月の15日まで、残り4日間。アイ=ファの忍耐力がそこまで持つのか――そして、それを越えたら本当にファの家に戻ることができるのか。もしも滞在が長引くようなら、何とかハンバーグを献立に加える手立てを見つけないと、ファの家の和を保つことも難しくなってしまいそうだった。


 その、アイ=ファが待望してやまないハンバーグのパテ作りにいそしみながら、レイナ=ルウが俺の手もとを覗きこんでくる。


「アスタ、その粉も晩餐で使うのでしょうか?」


 俺が調理台の上に載せたのは、帰り道にミラノ=マスに教えていただいたフワノ屋で購入したフワノの粉だった。


「うん。今日はほんの少しだけね。……あの、ミーア・レイ=ルウ、申し訳ないのですが、明日も晩餐の準備を手伝わせていただくことはできますか?」


「だから、申し訳ないことはないってのに。アスタの負担にならないんだったら、毎日でも手伝っておくれよ」


「ありがとうございます。それじゃあ明日のための下ごしらえもさせていただきますね」


 俺は大きめの木皿を拝借し、そこにフワノ粉と水を投入した。

 で、2日ぶりにそいつを練り上げて、フワノの生地をこしらえていく。


「それが、町の人間が食べているというフワノですか。やはりポイタンとはずいぶん勝手が違うようですね」


 と、今度はシーラ=ルウが声をかけてくる。

 あまり感情を表に出さないシーラ=ルウであるが、調理への熱意はレイナ=ルウに負けていないのだ。


「はい。ポイタンは半分液体の状態で焼きあげますけど、フワノは焼く前から固体であるのが1番の違いでしょうかね」


 しかし形状にこだわる理由はなかったので、俺は1番手間の少ない平べったい丸型の形でフワノを焼きあげることにした。

 ポイタンと同じような質感で、ポイタンよりも白味の強い、焼きフワノがそれで完成する。


 ララ=ルウやミーア・レイ=ルウたちも、物珍しげに俺の作業を見守っていた。


「で、そいつをどうするんだい? 焼いちまったら、そんなにポイタンと変わりはないみたいだけど」


「これはこのまま乾燥させます。そうしたら明日には固く干上がるらしいので、そいつを新しい料理の材料として使ってみようと考えているんです」


 焼いたポイタンは、たしか一晩ぐらい放置してもそんなに形状は変化しないと、シーラ=ルウあたりがそのようなことを言っていたような記憶がある。

 どの道、ポイタンについてはポルアースが研究を進めてくれているはずなので、今回はフワノにしぼってパン粉の代用品たりうるかを検証する心づもりであった。


(仮にポルアースの目論見通り、ポイタンをジェノスの主食にのしあげることができても、フワノの使い道がなくなるってことはないはずだ)


 ポイタンは、フワノほど小麦粉と似た性質は有していない。

 たとえば菓子作りやルーの作製などには、フワノのほうが適しているだろう。

 俺としては、今のところたった2種類しかお目にかかれていない穀物であるフワノとポイタンであるので、その両方の特性を活かして料理に取り入れていきたいと考えていた。


「よし。それでは今日の晩餐の準備に取りかかりますね」


 俺がそのように宣言してみせると、レイナ=ルウが「あ、あ」と奇妙な声をあげた。


「も、もうちょっと待っていてくれませんか、アスタ! もうすぐこちらの仕事も片付きますので!」


「あ、レイナ=ルウも今日のかまど番だったのかい?」


「いえ、今日の当番はララですが、わたしには急ぎの仕事もありませんし、できればアスタの手ほどきを受けたいのです」


「……わたしも手ほどきを受けることは可能でしょうか?」


 と、シーラ=ルウまでそのようなことを言いだした。


「こっちは全然かまわないけど、でも、シーラ=ルウには自分の家の仕事があるのではないのですか?」


 まだ日没までにゆとりはあるが、シーラ=ルウの家には彼女と母親しか女手が存在しない。商売用の下ごしらえが済んだのちは、そちらでかまど番の仕事を果たさなくてはならないはずだった。


 パテ作りを終えてタラパソースの作製に取りかかっていたシーラ=ルウが、切なげな目つきで俺を見つめてくる。


「ですが……せっかくアスタがかまど番を預かるのでしたら、わたしも手ほどきを受けたいと思います。そうしないと、この先レイナ=ルウの足を引っ張ることになってしまいますので……」


「まあ、何を言っているの、シーラ=ルウ? 商売のための料理に関しては、あなたのほうがより多くの技術を持っているでしょう?」


「いえ。わたしはレイナ=ルウほど巧みにすーぷを作ることはできませんし、そもそもかまど番としての腕前は最初からレイナ=ルウのほうが上だったではないですか?」


「そんなことはないと思う。ずっと早くからアスタの商売を手伝っていたシーラ=ルウのほうが、知識と経験でまさっているのだから」


 太陽のように華やかなレイナ=ルウと月のように儚げなシーラ=ルウが、手もとだけは如才なく動かしながら言い合いを始めてしまった。


 むろん、おたがいをライバル視していたとしても、強い血の縁で結ばれた2人である。年長のシーラ=ルウのほうが丁寧語を崩さないことを差し引けば、何だか仲のよい姉妹が遠慮なく意見をぶつけあっているように見えて、俺はとても心がなごんでしまった。


「だったらさー、あたしがシーラ=ルウと仕事を交代してあげよっか? タリ=ルウひとりじゃ大変だろうから、そっちはあたしが手伝ってきてあげるよ」


 と、かまどの火を見ていたララ=ルウがふいに声をあげた。

 シーラ=ルウは、不思議そうにそちらを振り返る。


「それはありがたい申し出ですが、かまどを預かったらその家でともに食事をとらなければならなくなってしまいますよ?」


「え……うん、だから、あたしがシーラ=ルウの家で食べて、シーラ=ルウがあたしの家で食べればいいんでしょ? たまにはそんなのも面白いじゃん」


 言いながら、見る見るララ=ルウの頬が赤く染まっていく。

 その姿を見て、ルド=ルウが「そういうことかよー」と大きな声をあげた。


「シーラ=ルウを気づかうふりして、きったねーな、お前! 自分がシン=ルウの家に行きたいだけなんじゃん」


「誰もそんなこと言ってないでしょ! でっかい声でわけのわかんないことわめかないでよ、ばかルド!」


「だって、それ以外に考えられねーじゃん。まあでもシン=ルウだって喜ぶだろうから、それはそれでいいんじゃねーの?」


 ララ=ルウは手もとにあった薪のひとつを、力まかせにルド=ルウへと投げつけた。

 それを鼻先でキャッチしたルド=ルウが、「へへ」と愉快そうに笑う。


「ヴィナ姉もレイナ姉もいまだに婿を見つけられねーってのに、まだ13歳のお前が1番色気づいてんだもんなー。もしかしたら、本家で真っ先に嫁に行くのは――うわ、何だよ!」


 3方向から飛来した薪が、ルド=ルウを襲う。

 3人の姉妹たちが、呼吸ぴったりに波状攻撃してみせたのである。

 それでも手にあった薪ですべてを叩き落とすことができるのは、さすが狩人の反射神経であった。


「あんたたち、暴れたいんなら外でやっておくれよ。料理に木屑が入っちまうじゃないか」


 笑いながら、ミーア・レイ母さんがたしなめる。

 そこでバルシャが、「あーあ」と声をあげた。


「やっぱり家族ってのはいいもんだね。あたしも早く放蕩息子をこの手で引っ捕まえてやりたいもんだよ」


 振り返ると、バルシャはその唐獅子みたいにごつい顔に、びっくりするぐらい穏やかな微笑をたたえていた。

 ミーア・レイ母さんも、そちらを見てまた笑う。


「あんたにはその息子しか家族がいないんだっけ? 一刻も早く再会できるように、あたしも森に祈っておくよ」


「そいつはどうもありがとうね。……本当はさ、カミュア=ヨシュの口車に乗るかどうか悩んでいたんだけど、亭主の仇だと思っていた森辺の民がどういう連中であるのかが知れたんだから、これだけでもマサラから出向いてきた甲斐はあったと思っているよ、あたしは」


 7人もの子をなして家の仕事を切り盛りしているミーア・レイ母さんと、幼い息子のために過酷な狩人としての生を生き直す決断をしたバルシャである。こんなに逞しい母親同士の邂逅があるだろうかと、俺はこっそり感じ入ることになった。


 そして、気づけばアイ=ファのほうに視線が動いてしまう。

 アイ=ファは無表情に、ほんの少しだけ目をすがめて、それらの情景を見つめていた。

 で、俺の視線に気づいて、静かに面を向けてくる。


(家族ってのは、いいもんだよな)


 アイ=ファの胸には、どのような思いが去来していたのだろうか。

 しかし、すべての家族を失ってしまった俺たちも、今ではかけがえのない存在を再び手に入れることができたのだ。


 そんなことを思っている内に、今日という日はゆるやかに暮れていった。

 この穏やかな日々を守り通すことができるのか、決着の時はゆっくりと、しかし着実に迫ってきているはずだった。

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